ジョン万次郎の秘話・逸話

直系子孫によるジョン・マンの知られざるストーリーご紹介

ジョン万次郎の知られざるストーリーをご紹介します

(18) 土佐清水市「ジョン万次郎資料館」がリニューアルオープン

中濱京です。

このブログをご覧いただき、ありがとうございます。

ご報告がございます。


万次郎の故郷、現在の高知県の土佐清水市にある「ジョン万次郎資料館」が4月1日に、めでたくリニューアルオープンされました。


(リニューアルオープン式典)

John_Mung_House_renewal


高知県尾崎知事、土佐清水市泥谷市長はじめ、関係者の皆様に厚く御礼申し上げます。


館内の展示は、少年期ゾーン、青年期ゾーン、壮年期ゾーンと分かれていて、解りやすくジョン万の歩みを知ることができます。


また、デジタル映像などを駆使して、大海原で捕鯨をする写真が取れたり、すぐ足元まで波がくるような映像があったりと、子供も楽しめる本当に素敵な工夫がされています。
私もとても楽しかったです!


高知を訪れる方は、是非、是非お立ち寄りくださればと思います!


それから、このオープン式典では、万次郎をテーマにした歌、「ジョン万が見た海へ」(日本語、英語バージョン)のお披露目もありました!


(今回リリースした「ジョン万が見た海へ」のチラシ)

john_mung_song

実は私自身も作詞させていただいています。

日本語と英語で歌われていまして、現代人への応援歌となっています。


Please check it out!!

では。 

(17) 「ジョン万次郎上陸之碑」の除幕式 in 沖縄大度浜海岸

中濱京です。

このブログをご覧いただき、ありがとうございます。

前回の記事でお話しましたが、2月18日に沖縄糸満市の大度(おおど)浜海岸で「ジョン万次郎上陸之碑」の除幕式が開催されました。

糸満市内外から約260人が参加し、私も出席させていただきました。

糸満市役所の関係者の皆様と 期成会の皆様のお陰でこのような機会を与えていただいたことに感謝申し上げます。

上原糸満市長は、「ここを新たな南部観光のスポットにしたい」とお話しされました。今後、多くの方が訪れて下さることを私も願っています。

(万次郎上陸之碑と除幕式典)
記念碑の除幕



式典の様子

・・・

「万次郎と共に日本最初のアメリカ文化とデモクラシーは、ボートに乗って夜 そっと摩文仁の浜(現:大度浜海岸)からやってきた。」

これは万次郎4代目になる私の父の博(ひろし:故人)の著書「中濱万次郎」の中に書かれた一文です。

その地で今回、上陸之碑が披露されたことは感慨深いものがありました。
 
漂流して約10年、アメリカと世界の海で生活した万次郎は1851年、鎖国の日本に帰国します。

上陸の地として沖縄のこの浜を選んだことは、まさに天のお告げと思います。
 
と申しますのは、「万次郎は、取調べを受ける身分にもかかわらず豊見城市の高安家に温かく迎え入れられ、自由に歌ったり踊ったり、楽しく過ごした時期があったからこそ、その後の日本での再スタートができた」と私は思うからです。

(万次郎を受け入れて下さった高安家の現在の当主様と)
高安さんと一緒

高安家ならびに沖縄の方々の人情深さのおかげです。まさに「隣人愛」を賜りました。

沖縄には万次郎の足跡があちらこちらにあり、今回、私も関係者の皆様と深い繋がりを頂戴しました。
これからもこの関係を大切にしていきたいと心から思います。

糸満の地の関係者・参加者の皆様、今回も本当にありがとうございました。

では。



(16) 大河ドラマ御礼&万次郎はアメリカで育ってはいなかった!?

中濱京です。

今、熱戦が繰り広げられている冬季オリンピックで、日本選手の奮闘を拝見すると励みになりますネ!

さて、前回も触れましたが、NHK大河ドラマ「西郷どん」でついにジョン・マンが登場しました!
実はこのブログは1年前に始めて、更新も月イチ程度のマイペースで、ご覧いただいている方々も1日あたり10~20名でした(見て下さり本当にありがとうございます)。

しかし、日曜日の西郷どん放送以来、アクセス人数はその後の僅か4日間で延べ3,400名となりました(放送当日は1,750名)。
TV放送の効果って本当に凄いですね。
NHK様、多くのブログ閲覧者の皆様に厚く御礼申し上げます。

番組では万次郎が島津家に捕らわれの身から転じて斉彬公と情報交換をするシーンなどがあり、記憶に残ります。
ちなみに、薩摩に来る前に彼がアメリカから帰還した最初の地は「沖縄」でした。
沖縄の海岸に上陸し同地の名家、高安(たかやす)家で一時的に保護されていたのです。
(先祖が大変お世話になった高安家様と私は、現在も交流させていただいています)

万次郎は、上海行きの船でアメリカを出発、沖縄に近づいた際に自ら積み込んでいた小船(アドベンチャー号)で単身、その海岸に下り立ったのです。
しかし、鎖国時代の日本帰還は通常は死罪だったはずで、その覚悟たるや「アドベンチャー」どころの話じゃありませんヨネ!!・・・

・・・

万次郎をご存知の皆様でも、あの運命の太平洋の漂流から日本帰還までの10年間、ずっとアメリカで過ごした思われている方も多いのではないでしょうか?
 「実は違うんです」
・・・なんて私はご紹介したりしています。

彼は渡米後、ホイットフィールド船長家のおかげで正規の学校教育を受けましたが、成長してからは、捕鯨船員として世界の海で過ごし、その間の時間も長いのです(約5年)。

「その間の彼の航行距離は地球の7周分に相当する」
などと言われています。

(万次郎の航行を説明する当時の書:左)
John_Mung_Ocean

また、万次郎が海で過ごしていた時期と、小説「白鯨」の著者「ハーマン・メルビル」が捕鯨船員だった時期が重なっていて「ひょっとすると2人は世界の海のどこかでコンタクトがあったかもしれない」・・・というお話もございます。

日本を離れている間、アメリカで育ったとも言えますが、「海で育った」とも言えましょう。
(このため日本に帰還当時は最先端の航海術を身につけていたことになります)

実際には大変厳しい洋上生活だったとは思いますが、冒険とロマンにあふれた青春だったのでは?とも思いたくなります。

・・・

沖縄のお話に戻りますが、明後日2月18日(日)には、沖縄糸満市の大度浜海岸の会場で「ジョン万次郎上陸之碑」のお披露目式が開催されます。
私も来賓として出席の栄誉を賜っており、とても楽しみです。


糸満市様、そしてNPO法人ジョン万次郎上陸之地記念碑建立期成会様の、これまでのご尽力に厚く御礼申し上げます。


この様子は次号の更新でご報告したいと思いまます。

では。


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