ジョン万次郎の秘話・逸話

直系子孫によるジョン・マンの知られざるストーリーご紹介

ジョン万次郎の知られざるストーリーをご紹介します

(13) 「現代の女性版ジョン・マン」と出会って

中濱京です。

このブログをご覧いただき、ありがとうございます。

先日、東京の某TV局の夕方の番組で浅草の老舗の鰻屋さん「奴(やっこ)」がクローズアップされていました。
このお店が紹介されたメインのトピックスは「うな重」が美味しいことなのですが、「因みにこのお店は、歴史上の人物も足しげく通っていました・・・」として「勝海舟や中濱万次郎も!・・」と紹介されていました。

その通りで、万次郎もここの常連だったらしいです。そして当時、自分が食べ残した鰻を店から持って出て、恵まれない人々に分け与えていたそうです。

このことは、万次郎通にはよく知られたお話なのですが、人種が異なるにもかかわらず、自分がアメリカでホイットフィールド船長家から受けた「隣人愛」を帰国後に自らが実践したのではとも思います。

私も見習わなきゃ!!^^

・・・

さて、本日は私が勝手に「まさにこの方こそ、現代の女性版ジョン・マンでは?!」と思った方をご紹介させていただきます。

そのお方は、このブログを通じて今年の9月にお会いしたアメリカのロサンゼルス在住の女性で「鈴木智香子」さんという方です。

現在、ハリウッドでテレビ番組や映画のアート・ディレクターとしてご活躍されておられ、既に米国籍を取得されているそうです。
(日本語で言うと「美術監督」とご紹介すべきでしょうか?)

気軽な気持ちでお会いしてみると、とても素晴らしいご経歴の方であることがわかり、びっくりです!

なんと3年前に、あの
「エミー賞」を受賞されている方だったのです!(受賞作品:ハウス・オブ・ライズ =Hourse of Lies)

MS_Chikako_Suzuki_2



















MS_Chikako_Suzuki_3















(彼女のWebサイト)
http://chikakosuzuki.com/

このサイトのBIO(経歴)を拝見すると、

カーネギーメロン大学、演劇部学部で修士号を取得。卒業後はハリウッドで美術監督として活躍。
2014年に”ハウスオブライズ”でエミー賞を受賞。英語と日本語のバイリンガル。現在古文書の勉強中。将来の夢は時代劇の美術を担当する事と日米合作映画を作る事。


Ms_Chikako_Suzuki_5

















・・・とあります。スゴイ!

受賞時に日本のマスコミからアクセスがあった際、「国籍は米国」とご返答されたので、日本国内ではあまり取り上げられなかったそうです(
道理でこれまで存じ上げなかったはずです。米国籍なので以降、Chikakoさんと記述させていただきますね)。

でもとにかく、スゴイですね! エミー賞受賞!

アメリカでは、映画はオスカーのアカデミー賞、音楽はグラミー賞、そしてTV番組はエミー賞ということで、まさに業界の超プロフェショナルの方とお会いすることができました。

若くしてアメリカに渡り、いろいろなご苦労があったかとは思いますが、ハリウッドでご自分のキャリアを切り開かれた方ですので、まさに現代のジョン万次郎(女性版)ではないでしょうか!?

・・・

Chikakoさん曰く、日米の懸け橋となった「ジョン・マン」を現地で映画化あるいはTV番組化してみたいとのことです。
アメリカに長くいると、かえって日本のすばらしさを再認識されることが多いそうです。

数時間、アメリカの映画やTV、俳優さんの事など、いろいろなお話をしてとてもエキサイティングな情報交換でした!

Chikakoさん!お会いできて光栄です。
お声がけいただき、ありがとうございました。

今後ともどうぞよろしくお願いします!

では。

(12) お世話になっている団体のご紹介3・・・「中浜万次郎の会」

中濱京です。

このブログをご覧いただき、ありがとうございます。

前回の記事に関連しまして、日ごろ大変お世話になっています「中浜万次郎の会」(北代淳二会長・幅事務局長)のことをもう少し詳しくご紹介させてください。

11月12日の「万次郎忌」に加え、前日の「ジョン万サミットin東京」では、東洋大学の文学部史学科教授の岩下哲典教授による万次郎とその歴史的背景に関するご講演があり、5代目子孫である私自身も大変勉強になりました。

続いて岩下教授、高知の万次郎研究家である青野博先生、北代会長と私でパネルディスカッションの後、全国の万次郎関連団体による活動報告がありました。
情報共有いただきました「沖縄ジョン万次郎会」「ジョン万次郎上陸記念碑建立期成会」「土佐ジョン万会」「ジョンマン・ホィットフィールドの会」「CIE財団(国際草の根交流センター)」「中浜万次郎の会」の皆様の万次郎へのご愛着、重ねて感謝申し上げます。

「え?土佐出身の万次郎は沖縄とも関係あるの??」

と思われるかもしれませんが、大いに関係がございまして、彼が日本に帰還時は先ず沖縄に上陸し、同地の高安(たかやす)家に身柄を預かっていただいたのです。(これについてはいつか詳しくご紹介したいと思います)

その後、参加メンバーで東京湾をクルーズして、船上ではブログ「(8) 音楽とジョン・マン」でもご紹介したCHiHARUさんと土佐ジョン万会の森会長による万次郎の歌「黄昏のMayDay Basket」と「ジョン万の見た海」の演奏がありました。
(その時の様子はYouTube動画でここから見ることができます)

とても充実した一日目が終わり、翌日のお墓参りの後に、万次郎終焉の地となった銀座にあるレストランで懇親会がありました。

そこでは大人気の女流講談師の神田陽子さんによる「泰平新話」や、万次郎の曾孫(つまり私とは遠い親戚)で音楽家の野武重忠先生による「ジョン万オーケストラと私」の講話等々がありました。

また、高知県の土佐清水市ご出身の国会議員の広田一先生や、万次郎の同市の泥谷光信市長もご参加され、大盛況でした。

以上の様子は、泥谷市長のブログに詳しくご紹介いただいています。(泥谷市長、どうもありがとうございます。)

皆さまと共に、5代目としてこれからも、万次郎のことを伝承し世の中の多くの方々に知っていただくことの大切さも痛感した二日間でもありました。

主催いただきました北代会長・幅事務局長、本当にありがとうございました。


では。

(11) ジョンマン秘話・逸話・・「万次郎は実は漁師ではなかった?」&ジョン万サミットin東京/万次郎命日

中濱京です。

このブログをご覧いただき、ありがとうございます。

秋になり、日本各地の美しい紅葉の様子がTVで紹介されていますね。

万次郎の故郷の高知県にも、清流の四万十川の支流がある「黒尊渓谷(くろそんけいこく)」が紅葉で有名です。

万次郎も、アメリカ本土や世界の海で過ごした頃は、二度と帰れないと覚悟した故郷の秋にも思いを馳せたことでしょう。

・・・

さて! 今回の題名の「万次郎は実は漁師ではなかった?」です。

ネット等でよく紹介されている「土佐の漁師の子として生まれ・・」からだと、彼は最初から本格的な漁師だったという印象を受けますが、漁師となるに至りちょっとしたいきさつがあったのです。
万次郎は父親を早くに亡くしたことから、母を助け家族を養う目的で最初は農業に従事していました。

(今でいうアルバイトでしょうね。・・・)
そして精米の作業についた時、「臼に小石を入れると効率的」だと考え、それを実行しました。

そして想定通りの好結果を得たにもかかわらず、その事を親方から咎められて仕事を辞めざるを得なくなり、次なる働き口として漁船に乗り込むことになったのです。

それこそが、このブログの(3)でご紹介した「宇佐の港(うさ=USAとはなんたる偶然!)」から出港した船だったのです。


もしも彼が、そのような工夫(精米で臼に小石)をしていなかったら、あの過酷でアドベンチャラスな物語の始まりとなる太平洋の漂流も無く、もっと平穏な人生を送っていたのでは・・・とも思います。

・・・

実は先週の11月12日はその万次郎の命日でした。

(彼は帰国後、1898年(明治31年)に71歳の生涯を江戸(東京)で閉じました。)

その前日11日から「中浜万次郎の会」(北代淳二会長様・幅泰治事務局長様)による「ジョン万サミット in 東京」が開催され、命日は都内にある万次郎(中濱家)のお墓で大変多くの参加者の皆様が供養(万次郎忌)をして下さいました。

私も妹と共に両日とも参加し、このブログを含む自分の近況のご報告などもさせていただきました。
記念懇親会で:私は前列左から3番目)

ジョン万サミットin東京









例年に引き続き、今回も会を開催いただきましたこと、そして皆様と旧交を温めさせていただきましたことに、あらためてこの場をお借りし厚く御礼申し上げます。

本当にありがとうございました。

では。



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