生まれて初めて、地震で身の危険を強く感じた。

「すぐ避難しなければ俺も死ぬかもしれない」、本気でそう思った。





生まれて初めて、地割れの瞬間を見た。

それはアニメで見たような枝分かれ状に徐々に広がるものではなく、

地面が一気に、一瞬で断裂する凄まじいものだった。





揺れは何度も畳み掛けるように襲う。

二度三度と続くにつれ、周囲の悲鳴も増していく。





駐車場の車は整列が乱れ、あちこちでぶつかり始める。

私は駐車場から離れた場所に停めた営業車にしがみつくように立っていた。

建物のすぐ脇に停めた営業車は、建物の壁と激しくぶつかり合う。





揺れが一瞬収まりかけた隙に、とにかく車を建物から離そうと考えた。

しかし私はエンジン始動を躊躇う。濃いガス臭が漂っていた。

建物の裏側に廻ると、プロパンガスのボンベが全て倒れているのを見つけた。

ホースに繋がれたボンベに引っ張られ、壁から剥ぎ取られるように折れ曲がったガス配管から、ガスが噴出していたのだった。

車から手袋を取り出し、全てのボンベのバルブを固く締める。

液体のガスが手袋を凍らせ、あっという間に手がかじかんでしまったが周囲には私しかいない。

また激しくなる揺れの中、なんとか全ての棟のボンベのバルブを締めた。





建物とぶつかった車は走れるのか?

また営業車のほうへ走って戻る途中、ふと思い出す。

さっきまで建物の中では、大勢のお年寄りが腰を抜かしてしまい、動けなくなっていたはず…

そっちの誘導を手伝うのが先か?

車に戻ると同時に突如鳴り出す携帯電話。そして車に備え付けられた無線機…

電話はまだ使えるのか?

子供達は大丈夫だろうか?学校だろうか?

いや、下の子供はこの時間は児童館かも…もしかすると自宅で独りじゃないか?

何からどうしたらいいのかわからない。

何かを選択したら、何かが犠牲になるかもしれない…

建物の窓ガラスが割れる。

自分自身も、地割れしたここから早く避難したい。死にたくない…





思考が完全に混乱した状態のまま、まず無線機を手に取った。

「全車に一斉伝達、全車に一斉伝達です。訓練どおりに安全確保の上、帰庫しなさい。繰り返します、訓練どおりに安全確保の上、速やかに帰庫のこと。」

とにかくそれだけ繰り返した後、携帯電話で事務所からの着信を受けながら私は建物内へ入った。





すでにお年寄り達は誘導されあらかた避難した様子。

施設の管理の人にガス漏洩があるため車のエンジンはかけないよう伝え、私は自宅と長男の携帯電話、そして妻の携帯電話に連絡を試みた。

しかし既に携帯電話は繋がらない状態になっていて、家族の安否の確認はとうとう出来なかった。





車に戻り、ラジオに耳を傾ける。

ラジオはどこのチャンネルでも大津波の警報を繰り返し伝えていた。

大津波?

いつもの潮位変化のような津波じゃなくて?

本当にそんな事が起きるのか?

そうだ、ワンセグは観れるか?





電波状態が悪くなっていたものの、携帯電話のワンセグは起動した。

しかしそこに映し出された映像は、信じられない光景…

自衛隊のヘリが上空から撮影している、まさしく大津波だった。

本当に大津波が来ている。もう既に来ている。早い、早すぎる。

これじゃみんな逃げ切れない。

宮城の街が濁流にどんどん飲み込まれている…

小さい画面の中で、まるでオモチャのように押し流される家々。

ヘリのカメラがぐるりと周囲を撮したが、見渡す限りの海岸線は大津波で犯されている。

なんという規模…

なんという地獄絵図…

震え出す脚。私は何とも表現しきれない不安感に完全に支配された。

この大津波はどこまで遡るんだ?

仙台の平野部全てを飲み込んでしまうんじゃないか?

宮城が壊されていく…





とにかく帰らなくては。

外のガス臭が風に吹かれて無くなったのを確認し、施設の管理人にそれを伝え、私は車を走らせた。





道路脇の電柱という電柱は全て斜めに傾き、ところどころで電線が断線している。

水道管が破裂したのか、道路は所々で水が溢れ出している。

神社の鳥居が倒れ、道路を塞いでいる。

交差点の信号は全て消え…それどころか街の灯りすべてが消えている…

橋は段差が酷く、通行出来ない。マンホールもあちこちで飛び出し、通れる道路も限られていた。

途中アパート等のガスボンベは見渡す限り倒れていて、ガス臭が立ち込める。

大丈夫か?ここを車で走って大丈夫なのか?

黒い煙がうっすらと立ち込める中、あちこちで唸る消防のサイレン。

火災も起きているのだろう。都市ガスも漏洩してるかもしれない…

倒壊した家々。

道路脇で立ちすくむ住人達。

帰れない。

これは簡単には辿り着けない。





そして…更に混乱を上塗りするかのような大雪が降り始めた。

多くの車はコンビニや商店に寄り、食糧等を買い求める。

しかし私は家族と連絡が取れない不安感からか、立ち止まる時間さえも惜しかった。

車にある飲みかけのペットボトル、飴玉数個、これだけあれば何とかなると自分に言い聞かせ、運転を続ける。

辺りは真っ暗闇に包まれた。こんな、全く灯りの無い街を見るのはもちろん初めてだ。

真っ白に降り積もる雪だけがほのかに光って見えた。





運転を始めてどれくらい経った頃だろう、突如妻からメールが届いた。

子供達は小学校の体育館に避難してるとのこと…

妻がやっと職場の安全確保を終え、そこへ到着したとのこと…

そして、携帯のiモードならかろうじて使える事…

それら全てが一度に確認できた私はやっと、少しだけ、いやかなり、安心出来た。





一方、時間が経つにつれ、ラジオは次々と惨状を報じた。

仙台の荒浜地区で、無数の遺体が発見されたこと。

仙台港には高さ10メートル以上の大津波が襲ったこと。

あちこちで建物の崩壊と火災があり、死者が出ていること。

宮城ばかりではない、岩手や福島の沿岸部の市町村とも連絡が取れていないこと…

そしてふと空に目を向けると…

遠く仙台の方角だろうか、空一帯がオレンジ色に光っていた。

それは一定に光っているのではなく、時には大きく揺らぎ、すぐに大火災のオレンジ色だとわかるものだった。

後で知ったが、それは数日間に渡った港湾部の燃料タンクの火災だったようだ。





降りしきる大雪の中、運転を始めて7時間半。

ようやく私は事務所へ帰庫した。

社長をはじめ、幹部全員が私の帰庫を待ってくれてた事に感動し、何度も頭を下げた。





そこから避難所である小学校の体育館へは比較的スムーズに到着出来た。

深夜0時。やっと家族と合流。

何重もの毛布にくるまった我が子達の寝顔を見た瞬間はさすがに涙が溢れた。





そうして、妻から聞いてわかったのだが…

地震当初、次男は小学校にいたとのこと。

中学校から帰宅した長男が、弟がまだ帰宅していないことを確認し、

「たしか保護者が小学校に引き取りに行かなきゃならないんだっけ?」

と自分が小学生だった時のルールを思い出し、小学校へ引き取りに行ってくれたこと。

そして更にゲーム機と毛布を1枚ずつ持って、2人で自主的に体育館へ避難に行ってくれたこと…

「とにかく大人がいる所に行かなくちゃ」と考えたらしい。





本当に、それを聞いた時は涙が零れました。















それからも、1日の食事がおにぎり2個とクッキーだけだったり、

水の確保が困難だったり、

ガソリンが底をついて移動が出来なくなったり、

皆さんもテレビ等でご存知のとおりの苦しい状況がずっと続くわけですが…



とりあえず、とにかく、



年が変わってしまう前に、私の3月11日を忘れないよう書き留めておきたくて、

ここに記しました。





まだまだ大変な状況ではあるけれど、

宮城をはじめとする被災地が動き始めることが出来たのも、

皆さんのおかげです。

本当にありがとうございます。



しかし復興はまだまだなんです。何十年もかかるでしょう。

これからも、どうか支援をお願いいたします。









んぐーすでした。

良いお年を。