電脳網庭球寺 僧房

テニスの修行僧如空の修行の日々とテニス観戦記を綴る

雑記

師走2009

普段は走らない先生も忙しくて走るから、あるいは師匠の僧が各家で経を読むために馳せ走るから、12月は師も走る「師走」と呼ぶらしい。師ではないが、修行僧のこの河内房如空もこの2009年の12月は走りまわされた。

父親が突然死んだ。葬式を出す。がそれだけではすまない。母親を既になくており、祖父・祖母も当然いない。如空は長男だ。一家の筆頭になってしまった。喪主というヤツをやらなければならない。嫁さんや兄弟達の協力を得ながらも、決めなければならない膨大な作業の前に、その消化に没頭してしまい、父の突然の死を実感する間もなかった。

葬式だけではすまない。死後父の残したモノを整理・処分し、財産は相続手続きをしなくてはならない。これがまた、とてつもなく膨大な作業だった。しかも、調べてみると以前亡くなった母や祖母などの遺産相続も完全に終了していない部分があることが判明、これらを処理するのに膨大なエネルギーが費やされた。相続税を支払わなければならないほど財産が残っていたわけではない。だが小額で細かく分散されていて、それを一つ一つ見つけ出して処理していくことに時間がかかった。また両親共にモノを捨てずにとっておくタイプだったので、自宅には膨大なモノが溢れかえっていた。これをまた一つ一つ確認しながら処分していく。これにも時間がかかった。

喪主だったもので取引先や職場に無理を言って丸四日休んだ。サラリーマンで言うところの「忌引き」というヤツである。しかし、たかが四日で処理が終わるような作業量ではなかった。その後もほとんど仕事以外の時間をこの父親の死後処理に費やして、師走は過ぎ去り、あっという間に今年もあと数日というとこまで来てしまった。

しかも、忌引きで休み、その後復帰した職場では止まっていた物件がなんとこの四日間の間に突然動き出した。なんてこった。おかげで職場でもてんてこ舞いである。「不景気なにの忙しいそうで如空さんがうらやましいねぇ。」なんという声をかけられて「いつでも代わってあげますよ!」と切り返しながら大車輪で仕事をこなしていった。

という訳で、この12月はテニスどころではなかった。仕事が忙しい上に、仕事が終わって帰宅しても遺産処理の書類仕事に追われ、週末は実家に帰って家処理に追われていた。おかげでATPツアーファイナルは録画したが、内容をすぐにチェックすることが出来なかった。それでもツアーはほとんど11月に終わったので、助かった。問題は如空自身がテニスできないことだ。12月にエントリーしていた大会は全てキャンセル、週末も時間が取れずにレッスンを欠席した。来年は少しは落ち着いてテニスできるようになるかな。

テニスをしていないし、ツアーもオフなので、ブログも更新せずに12月が終わろうとしている。しかし、毎年恒例の10大ニュースだけはしておきたいがね・・・・もう間にあわないなぁ。来年に持ち越すかね

デジタル放送の悲劇

雨による開始時間の遅れ、さらに二度にわたる中断、そして試合そのものが全英決勝戦史上最長の4時間48分であったことから、放送時間が大幅に伸びてしまった今年のウィンブルドン男子決勝戦。NHKはこの放送を総合TVで放送しきれず、日本時間の4:30に教育TVにリレーして中継した。まるで高校野球のようなこの処置を不意打ちで喰らった如空のレコーダーは当然対応できずに、決勝戦中継はファイナルセットの途中で録画できなくなった。後日WOWOWの再放送が視聴できたからよかったものの、これが1チャンスの放送であったなら、世紀の一戦の結末を見ずに終わってしまうところだった。

今年から衛星中継ではWOWOWが全英中継を行った。去年まで全英中継を行っていたNHKは完全撤退するのかと如空は予想したが、実際は地上波のみNHKにて中継を行った。ここで、こう考えるだろう思う。「なぜ最初からWOWOWで録画していなかったのか。」と別にWOWOWの解説が嫌いで、NHKが好きだった、というわけではない。

両方視聴できる立場の如空としてはどちらを録画するか悩むところだが、今年はNHKを録画した。放送する試合数は圧倒的にWOWOWの方が多い。なんてたって連日数試合を生中継したのだから。一方でNHKは編集した録画中継で第一週を放送した。もしもテニス中継に飢えていて、視聴する時間が有り余っていいる人はWOWOW放送を全て録画すればよいが、如空は最近もうWOWOWのグランドスラム中継を全て録画をしても、その内容を全てチェックできなくなっている。だからダイジェスト版となるNHKの放送の分量が今の如空にはちょうどよい分量である。ちなみに、WOWOWデジタルは複数チャンネルになっており、アナログ放送分と同じ内容の放送分は、こちらも第一週ダイジェストでグランドスラム放送をしている。これは時間のない如空にとってありがたいことである。

さて、今年に限って言えば、NHKを選んだ理由はもう一つある。NHK地上波がアナログで視聴できたからだ。

個人的な話だが、今年の春に引越しをした。その際に加入しているCATV(ケーブルテレビ)をアナログからデジタルに切り替えた。如空は地上波も衛星放送もCATVを介して視聴している。これによりWOWOW等の衛星放送もデジタル放送受信となり、見ることの出来るチャンネル数が増えた。ATPマスターズシリーズやWTAツアーを放送しているGAORAもデジタルになった。

デジタルは画像がきれいだが、スイッチやリモコン等の操作に対する反応が悪く、またチューナーの操作性が根本的に悪い。そのほかにも色々問題点が多く、このまま問題点が改良されないまま2011年7月24日の地デジ完全移行などしたら大混乱必至だと思うのだが、残り数年でこれらの問題点は改善されるだろうか。

如空のように深夜のスポーツ中継を録画して翌日に録画を視聴し、その内容を記憶媒体に保存するというスタイルをとっているものにはさらに厄介な問題がある。コピープロテクトの問題だ。

なんと、デジタル放送を録画したデータにはコピープロテクトがかかっているのだ。しかも、如空の契約するCATVがデジタル化した今年の春の時点ではまだコピーワンス、一度ハードディスクに録画したデータはダビングできないというシステムだったのだ。普段如空はマスターズシリーズなどの録画をHDにした後、編集してDVD−ROMに保存していたのだが、これが出来なくなった。現在はこの悪評高かったシステムは改善され、ダビング10、つまり10回まではダビング可能なシステムに変更になった。だが如空の持つ録画システムではこの恩恵を受けられない。
まず、システムが古いために、デジタル放送の録画可能と表記されているDVD−ROMを使ってもダビングできない。しかもマニュアルによればデジタル放送でもムーブは可能であると書いてある。ムーブは移動のこと、つまりダビングした後、ダビング元のデータを消去することである。これはダビングが失敗した場合、元データが消えてしまうというトンでもないリスクがあるので、やりたくはない。しかし、デジタルに移行してしまった以上、やるしかない。もう少しお金があればレコーダーなどの機器を買い換えるのだが、引越しでお金を使い、少し慎重になっている。まして、今は前述のダビング10の移行や、ブルーレイディスクの規格の一本化など、各規格の移行期なので、少し様子見の意味でも買い替えは後にしようと思う。
だが視聴者の事情に関わりなく、テニス中継は行われる。名勝負を見逃すことになってはいけないと、強引に録画している。色々調べたが、DVD−ROMはダビングできないが、DVD−RAMなら如空の古い機械でもダビングでムーブが出来るらしい。早速大型家電量販店でDVD―RAMを購入して、HDに満杯になりつつあったテニス中継をダビングした。

さて、DVDはすぐに消費してしまう。こんなことになるとは思いもしなかった如空は今年の年頭にDVD−ROMのディスクを大量に購入してストックしていた。今のシステムでダビングしている限り、これらDVD−ROMは使えない。どうしたものかと頭を悩ませていたところに、NHK地上波がウィンブルドンを中継するとの報に接した。

NHK地上波をCATVを介さず、TVのチューナーから直接視聴すればいい。TVそのものはまだアナログだ。それをレコーダーで録画すればDVD−ROMへもダビングできる。大量に在庫を抱えてしまっているDVD−ROMを少しでも処理できる。渡りに船とはこのことではないか。

というわけで、今年はDVDディスクの在庫処分のためにNHKを録画した。もっとも規格の混乱も収まって来た様だし、デジタル対応したレコーダーとTVに買い換えてしまえばいいのだけれど、色々と順番というものがある。家族の様々な意見の中で、このレコーダーとTVの買い替えを優先するのは難しい状況である。

ついでながら・・・・・今年のNHKの決勝戦中継途中でのチャンネルチェンジは暴挙だと思うが、WOWOWは過去にもっと酷いことをしている。2005年の全仏準決勝ナダル対フェデラー戦で放送予定時間の追加延長枠を使い切り、この試合をLIVEで伝え切れなかった。途中で中断したのだ。翌日、女子の決勝が早く終わったため、この試合の結末を録画で放送したが、あれも酷い扱いだったと思う。

だがさらに考えてみれば、プロ野球中継や高校野球中継ではこれはよくあること、野球ファンはよくこの状況で怒りもせずに耐えていられるなと感心する今日この頃である。

全ての道はコートに通じる テニスのインフラ

「河内房如空さん、少し話があるのだが。」
「なんですか上司殿、話って?」
「実は新しい仕事が急に入ってきてなあ・・・・・今壮絶なシェア争いをしている某業界の某メーカーが最新鋭工場を建設するんだが、その某メーカーのライバル企業も対抗して、新鋭工場を建設することになったんだ。その設計がうちに発注されていて、私が担当することに急遽きまった。今、建築主である某メーカーと毎日打合せを重ねているところなんだ。」
「まるで液晶パネルにおけるシャープ対松下みたいな話ですね。それで、このところ外を飛び回っているわけですか。姿を見ないなあと思っていたんですよ。」
「でなあ、今の部署とは別に、この設計を担当するプロジェクトチームが出来るんだ。何せ工場建設は時間がないから短期決戦で人・金・物を集中させないとスケジュールに乗らないからな、集中して一気に設計してしまおうとういう方針なんだ。それで如空さんにもそのチームに入ってほしいのだよ。」
「人事はお任せしますが、いま私が担当している某再開発プロジェクトはどうなりますか?今実施設計の真っ最中ですよ。」
「それは元々の担当者に任しておけばいいよ。だいたい如空さんはそのプロジェクトに応援でヘルプに入ってもらうというだけの話だったはずだろう。なのに担当者がいつの間にか如空さんにまかせっきりになってしまっているじゃないか。彼の教育上もよくないから、ここは如空さんには手を引いてもらうのがいいと思うんだ。それより工場だよ。最新鋭工場は独自のノウハウと鉄骨造の短期工法が必要とされる。この数年で如空さんがやってきた商業施設での鉄骨造短期工法の設計でこの工場の設計をまとめてほしいのだよ。」
「いや、でも商業施設と工場ではスペックや要求されれる性能が違うでしょう。」
「そこだよ。それで私はこれから最新鋭工場のノウハウを学ぶべく二ヶ月ほど関東の発注主の既存工場に行くことになったんだ。そこで現物を見ながら建築主と仕様や要求をまとめながら、基本設計を平行して進めてしまおうという計画なんだ。その関東出張に如空さんも一緒に来てほしいのだよ。」
「・・・・・・それって関東でホテル住まいってことですか。」
「経費は会社持ちだ。二週間に一回は帰阪する費用も出る。手当も今のままというわけには行かないだろうから少しは上げられると思うよ。なんだ、今大阪にいないとまずい事情でもあるのか?」
「いえ・・・・・・その・・・・・ホテルではインターネットに接続できますかね。」
「・・・・さあ。」
「ホテルの周囲にはテニスコートはありますかね?」
「コート?あるんじゃないか。」
「短期入会できるテニススクールもありますかね?」
「知らん。」
「ホテルでGAORAは視聴できますかね?」
「GAORAってなんだ。」
「いえ、何でもないです。とにかくお任せします。」
「そっか、よかった。短期に鉄骨の大型物件をまとめるのは如空さんが得意だからな。ぜひ欲しいのだよ、君の力が。すぐに人事を動かすよ。」

えらいことになってきたなあ・・・・・二ヶ月も大阪の自宅を離れて関東に単身赴任かい。その間テニスできないかもな。TVでテニスも見られないかもな。ブログも更新できないかもな。いや、工場建設って突貫だからにこの一年ばかりテニスどころではなくなるかもなあ・・・・・と思っていたら。

「如空さん、あんた人気者だね・・・・・。」
「なんですか、上司殿。」
「君の新しい上司殿が如空さんは絶対今の部署から出さないといって上に色々と働きかけて、如空さんを囲い込みしたようだ。部長から如空さんは諦めろといわれたよ。最初は如空さんを連れて行っていいと言ったくせにさ。」
「ありゃりゃ、じゃあ前の上司殿、関東への単身赴任も取止めですか。」
「ああ、今君と一緒に仕事している再開発プロジェクトの担当者君がかなり騒いだらしいよ。如空さんを取られると困るって。」
「私の知らないところで色々動いているのですね。まるで人身売買じゃないですか。」
「まったくなあ・・・・如空さんをあてにしていただけにこっちも困ったよ。とにかく新チームへの転属はなしで、今のプロジェクトに専念してくれ。いろいろ混乱させて申し訳なかったね。」
といって、前の上司殿は去っていった。

最新鋭の工場建設にはとても興味があったので、転属がなくなった事はとても残念だった。だが同時に今の生活、特にテニスに関わる生活基盤が完全に自分の自宅に依存していることに改めて気づかされた。どんなに忙しくても、一時間でも二時間でも時間が出来れば、コートに行きテニスが出来る。録画してあればテニス中継を観戦できる。インターネットに接続できればテニスの最新情報が入手でき、ブログに記事をアップできる。これらは全て自宅とその周囲にその体制を整えているからだ。職場もコートも近くして移動時間を短縮する都心の自宅、常に追加レッスンを取ることが可能なスクール、すぐにコートに飛び出していけるように必要なものが準備されているテニスバックと車、コートまでの最短コースを知り尽くした交通網、どこでもテニス関係者に連絡できる携帯電話と電子メール、空きコートをすぐに検索できる情報網、職場の休み時間でもチェックできるネット上のテニス関連ウェブサイトとそのリンク集、どこでもブログの記事が書けるノートパソコン、ライブで見ることの出来ないテニスのTV中継を空き時間での観戦可能にしてくれるCATVとHDレコーダー、突然見たくなった過去のTV中継試合の見たいシーンをすぐに見せてくれる試合の録画DVDストック、これらがあるから、如空はどんなに仕事や家事で忙しくても、テニスと関わっていられる。テニス生活を支えるインフラストラクチャーがこの大阪の地に整えてあるから、今のテニスの生活がある。かつてローマ帝国を支えたのが「全ての道はローマに通じる」といわれた道路網であったように、今の河内房如空の日常は、全てがコートにつながっている。だが、そのテニスのインフラとも言うべきこの基盤が、拠点を移すと機能しなくなる。つまりテニスから離れなくてはならなくなるのである。テニスが生きる糧となっている人にとってこの「テニスのインフラ」はまさに生命線、ライフラインといえよう。

遠隔地に短期の単身赴任をする時はこの「テニスのインフラ」が機能しない。「テニスのインフラ」から離れずにすんだという点においては今回の転属話がつぶれた事は助かった。期待され、自らも期待した仕事を逃してしまったことは残念であったが、仕事に関してはまた次のチャンスを待とう。当分はまだテニスが出来る、自ら築いた「テニスのインフラ」とともにある限り。

と思っていたら、この春、応援で担当していたプロジェクトが爆発して火を噴いた(外的・内的要因で仕事が混乱し始めたということ)。ただひたすらに消火作業に追われる消防士河内房如空、仕事に時間を奪われ、コートにもいけない、テニス中継も見れない。せっかくのテニスのインフラを使うことが出来ずにいる。ああ、どうせこんなことになるのであれば、単身赴任話が決まってくれていたほうがよかったじゃないか!

消火作業は続く。

ススキの穂を見て思うこと

ススキで有名な奈良の曽爾高原に近くに、ハードコート3面を備えたオートキャンプ場とコテージが一体となった施設がある。テニスを始めた頃、テニスサークルの仲間たちと秋口にそこに合宿に行っていた。大型のコテージは二戸で1コテージになっている。屋根裏部屋が寝室になっていて、一階にキッチンとダイニングがあり、自炊できるようになっている。大きなテラスがあり、そこには炭火グリルがあり、そこでバーベキューができる。稼動壁を収納すればテラスは二戸でつなげることができ、ダイニングも扉でつながっている。だから二戸としても一戸としてもこのコテージは使えるわけだ。男女混成のサークルにはちょうど良くて、半分を男子、半分を女子にして二階の寝室は別、一階のダイニングとテラスは共用という形にして使う。

朝、テニスの他に釣りの好きな幹事に付き合って、夜が明けぬ内から合宿所近くの山に入りアマゴを釣る。何で合宿の当日に釣りをしなくてはならないのかと問うと「もうすぐ禁漁期間になってアマゴが釣れなくなるから。今が大事なんだ。」とテニスとはまったくかけ離れた、わけのわからない理由で釣りに繰り出す。幹事を拗ねさせるとまずいからということで釣りの経験のある男子数名が、本隊とは別に別働隊となって川に釣りに行く。フライフィッシングやルアーフィッシングなどが全盛の今時に、餌を使って黙々とアマゴを釣る。ヤマメと共に渓流の女王と呼ばれるアマゴは美しい。クリーム色の魚体に大きな楕円の灰色の斑点が美しく並ぶ。東日本型のヤマメと違って朱色の小さい斑点が側面にある。渓流に生息する魚だが、川の最上流部にいるイワナと棲み分けをして少し下流にいるので、それほど奥深い山奥に入らなくてもポイントに行ける。大きな岩がゴロゴロ転がるその隙間から緑色の水が轟々と流れてくる、その川に竿を入れる。イクラを餌にして午前中いっぱい釣る。釣っても小さい魚は川に返す。20cm位の大型のものだけ腸をさばいてクーラーに入れて持ち帰る。日が高くなると、竿を納めて車で町まで出る。

郊外型の大型ショッピングセンターで女性陣と「朝早起きして釣りなどしたくない」という男性陣とで構成される本隊と合流。食品売り場で夕食の食材を買出しをし、荷物を一杯積み込んだ自動車キャラバンがキャンプ場へと向かう。

合宿所に付くと着替えて、後は延々テニス。とにかくテニス。一面で練習、一面で試合、ダブルスもシングルスもする。日が暮れて、疲れ果てて、昼の部は終了。元気のあるやつは夕食後にナイターもやる。鬼の合宿である。昼の練習が終わった後、風呂に入ってからバーベキューの用意をする。男共が火をおこし、肉と野菜をぶつ切りにして、焼く。ひたすら焼く。午前中に別働隊が調達してきたアマゴも塩でシメて遠火で焼く。女性陣が準備したお酒や前菜と一緒に食う、飲む、焼くを繰り返す。山の暗闇の中に騒々しい声が響き渡る。

夕食後もテニス、翌日もテニス、テニスして風呂に入って、そして家路につく。せっかく曽爾高原の近くに来ているのに、ススキの原を見ることなく、テニスだけして帰っていく。熱血系テニスサークルの正しい姿である。

その合宿ももう過去の話になった。みんな結婚して、子供が出来て、仕事と家族サービスに時間を取られ、テニスをする時間すら取れなくなり始め、まして合宿など行けなくなり、自然消滅していった。特に結婚した女性はなかなか家を出辛いようだ。ポーチに出るタイミングは絶妙なくせに、いつ旦那に合宿のことを伝えるか、言い出すタイミングを取るのは難しいと奥様達は言う。

奥様たちは大変だ。
「この前なぁ、忘年会で遅くなってなあ、遅くなること伝えてあって、旦那に先に寝とき、といってあったんで、当然のごとく家に鍵がかかってあって、合鍵で入ろうとしたらなぁ、チェーンがかけてあってん!!!」
「いやぁぁぁぁぁ(女性陣一同)」
「習慣でかけてしまっただけだろう(男性陣一同)」
「違う!違うねん!絶対わざとやわ!いけずやわぁぁぁぁ」
などと飲み会に行くだけでも大騒ぎである。

男性は結婚しただけでは生活は変らないが、子供が出来ると、コートに出てこなくなる。カミさんが子供の面倒を見ているのに、自分だけ遊びに出ることが出来づらくなっていく奴が多く、せっかく上達したのに、途中でテニスから遠ざかる男性が多い。
これでは合宿どころではなくなり、自然消滅に至る。

先日、曽爾高原の近くの室生寺を見学に行き、そのついでに曽爾高原のススキの原を見てきた。一面ススキで覆われた高原は美しい。秋の高い澄み切った空にススキの白い穂が映える。夕日を浴びた姿は特に美しいらしく、その瞬間を撮影しようとアマチュアカメラマンが高価な機材をセットして日没を待ち構えている。夕日まで見ていたかったが、時間の関係ですぐに高原を後にした。

ススキを見ながら合宿のことを思い出していた。テニスはへたくそだったが、朝から晩までテニスのことを考えていた。テニスに飢えていた。同じように、テニスに夢中になっていた。今、相変わらず、テニスも好きだが、仕事以外の時間の全てをテニスに費やすだけの余裕がなくなってきた。時間だけでなく精神的エネルギーの面でも。色々と考えなくてはならないことが多い。一つのことに夢中になれるような時間が減ってきた。

思い起こせば子供の時、釣りを始めた頃、水を見れば魚がいるものと考え、どう釣るかと考えていたものだ。両親が遠い親戚の家に法事をかねて遊びに行く、そんな時も近くに海があるとわかれば釣り道具一式を抱えて、法事に行き、親によく怒られた。釣りをしていない時は釣り道具をいじって時間を潰し、つり仲間とは会えば次に行く釣りの話ばかりをしていた。一生自分は釣りを最優先事項にして生きていくのだと、子供心にそう誓っていた。だが、ある日突然釣りをしなくなった。なにか特別なきっかけがあったわけではない。部活や勉強やその他の友人との付き合いが忙しくなって、自然としなくなっていった。

大学に入って建築の設計を志してからも同じようだった。朝から晩まで建築の設計演習の課題をこなす事に使える時間の全てを費やしていた。「よく勉強するねえ」と感心されることが多々あったが、本人たちは「お勉強」だとは思っていない。好きだからやっているのである。面白いからやっているのである。「建築の設計は魂を取られる」といわれるが、それほどに面白く、そしてのめり込んでいく。またそういうタイプの人間でなければ設計稼業は務まらないのである。卒業して設計事務所に就職しても、その建築への熱意は衰えるどころか、ますます熱くなっていった。だがそれも30歳を越える頃から、さすがにモチベーションがそれまでのように、常に高い状態でいるわけではなくなっていった。仕事に飽きたわけではではない。もう一つ、「魂を取られる」ほどに夢中になってしまったものが出来たからだ。それがテニスだった。

そのテニスもまた、一時期ほどに夢中ではなくなって来ている。試合もなかなか勝てない日々が続いている。それでもテニスを離れるところまでには至らない。むしろ、テニスに占める時間が少なくなっている分、その重みは増しているような気もする。これからもマイペースで続けていこう。曽爾高原のススキを思い起こしながら、しばし感傷に浸りながらも、そう思った。

毒あればこそ

先週末のデビスカップでは準決勝の裏舞台でプレーオフが行われた。だが準決勝もプレーオフもわからないことが多かったので、すぐ記事にはしなかった。わからないこととは初日のシングルスで出場していた各国のエースたちが、なぜか勝負のかかった最終日のシングルスに出てこなかったからだ。時間がたつとネット上に色々と情報が出てきて、ようやく事情がわかり始めた。

まずチェコのティブサレビッチを苦手のクレーで勝利したヒューイットは、最終日でジョコビッチとの決戦を戦う予定であったが、流感にかかり欠場、ヒューイットのワンマンチームとも言える今のオーストラリアではジョコビッチ擁するセルビアにヒューイット抜きで勝てるわけもなく敗北、かつてのテニス王国オーストラリアはワールドグループから陥落した。
準決勝のロシア対ドイツもよくわからなかった。なぜか最終日のシングルスにハースとダビデンコの両エースが登場しなかったからだ。ダビデンコは調子が悪かったので監督が変えたらしい。ロシアは選手層が厚いので、一番手が調子悪ければ二番手三番手を出して勝てるから強いわ。ドイツはなぜキーファーが参加してなかったのかね。いればハースと二枚看板で戦えたろうに。
クロアチアのエース・リュビッチは体調不良で初日のシングルスすらも出場できなかった。クロアチアの対戦相手であるイギリスはヘンマンの引退試合として、シングルス二試合にダブルス一試合のフル参戦させ、ヘンマンは見事にその全てに勝利した。これでヘンマンもコートを去る。有終の美をウィインブルドンの芝の上で飾れて満足いく終わり方だったのではないだろか。
ヘンマン同様、シングルスとダブルスでフル参戦したフェデラーであったが、ATPに君臨する圧倒的強者・皇帝フェデラーをもってしても3連勝とは行かなかった。ステパネックとベルディッヒという手ごわいチェコ勢を相手にシングルスでは連勝できたが、ダブルスでは勝てず、スイスのNo2ワウリンカはシングルスに勝てずに、スイスは勝利を逃して昇格できなかった。
そして大阪では日本がルーマニア相手にシングルス1勝とダブルス1勝でワールドグループ昇格に王手をかけていたが、最終日のシングルスで二連敗、貴重なチャンスを逃してしまった。

如空は英語を読むのが遅いので、流し読みで英語のニュースを把握するということは苦手である。特に映像付きの記事は、映像から勝手にニュースの内容を推理して見てしまい、そのために記事の内容を間違えてとらえてしまうことがよくある。この銅像のニュースも最初はテニスのニュースだとは思わなかった。後になってよく読むと・・・・これフェデラーの銅像だったんだ。ATPツアー最終戦のマスターズカップ会場である上海では今回出場するエリート8の8人に対して、一人ひとり銅像を作るんだそうだ。おいおい、一昨年みたいに開始してから欠場するような選手が現れたどうするつもりなのだろう。

日本人にとっては英語圏の情報を日本語に置き換えてくれるブログの記事はありがたいものだ。だがその中でも充実していた元WOWOW実況の岩佐徹氏のブログがペースダウンを宣言した。完全閉鎖ではなのだがほぼ休業に近くなる。少し再開されているが、モチベーションの低下が理由だからもうあの調子は当分戻らないだろう。WOWOWのスポーツ実況者復帰を目指していたらしいが完全に道が閉ざされたと語っている。自らの意思で引退したのだと思っていたのだが・・・・ふむ、復帰を目指していたんだ、岩佐さん。残念ですね。

フェデラーのファンサイトのブログである「Rogi オタ ワールド! blog」も、途中からナダル贔屓になったブログ「新・…Just One More Thing」も開店休業状態になってしまった。ぼちぼち更新しているがさすがにもうかつてのような膨大な情報量を記事にすることはなさそうだ。この二つのブログも岩佐さんのブログ同様、色々知らない知識を教えてもらえるブログとして愛読していただけに残念だ。ブログの寿命は2年といわれる。それ以上は書き手のモチベーションが維持できないというのが理由だ。その説が正しければ如空のブログも去年あたりから寿命を過ぎていることになる。まあ臨終を静かに迎えるまで、マイペースでやっていこう。

その岩佐さん、二年前にあるナダルファンにブログのコメント欄で噛み付かれたことをかなり気にして引きずっている。岩佐さんはTV中継に関わっていたアナウンサーでブログのアクセス数もかなりのものだったから、ある程度はその発言に公共性を求められるかもしれない。少々岩佐さんの反論も意固地に思える。でもね、所詮ブログは日記なのだよ。読みたい人が読めばいい、不愉快なら二度と読まなければいい。彼は言う「嫌われないように、“おとなしく”書くか、リスクを覚悟で“思ったとおりに”書くか?少し迷った時期もありますが、今は何の迷いもありません。八方美人的に毒にも薬にもならないような記事を書くくらいならブログをやめたほうがマシでしょう。ハハハ。」
遅いよ、岩佐さん、如空なんかブログを始めたときからとっくにその境地さ。エナンのファンに噛付かれても、フェデラーのファンにうっとしい事を言われても、自分のテニスのやり方を色々言われても、そんなことかまわず書き進む。ありきたりの記事を読みたいのならテニス365にでも行けばいい。この「電脳網庭球寺 僧房」に書かれてある事はテニスの毒だ。毒の中にこそ面白さがある。だから免疫を持たぬものは読まなければいい。そう思って書いている。

AIGオープンの来日にあわせているのだろうか、本屋に行くとテニス雑誌はこぞってフェデラー特集である。とうとう「ROGER FEDERER PERFECT TENNIS B (B・B MOOK 506 スポーツシリーズ NO. 380)」なるものまで発売されてしまった。フェデラー人気がテニス人口の増加につながれば、これは喜ばしいことではある。テニスを観戦する人口も、プレーする人口も。そして人気者は更なる勝利と記録の更新を期待される。だがテニス観戦を楽しみにしている如空としてはやはりそのあたりの心境は複雑である。「強いものがさらに強いものに挑み、そして打ち勝つ」というストーリーを見てみたい如空としては、あまりにもフェデラーにやられすぎの他のATPトップランカー達の不甲斐なさに腹が立つ。もちろんフェデラーが強いからと言って、そのせいでATPが退屈だとフェデラーにあたるのは筋違いだ。だからこそ、強く願う。誰でもいい、No1を倒せ、フェデラーを止めろ! と

炎天下のコート

今年は珍しく夏休みが一週間取れた。だからといってどこかに旅行に行くわけでもなく、ただひたすら空いた時間にテニスを入れるのみである。

ダブルスのペアと二時間コートを取って、外でテニスをした。日本で観測史上最高気温記録が更新された日だった。この一年ばかり、ナイターとインドアでばかりテニスしている如空である。それがいきなり炎天下の真夏のコートに出たからたまらない。すぐに顔が真っ赤になって、頭がボーっとなって、足がもつれそうになった。ペアも同じだった。熱中症が怖いので、休みを多めに入れながらのテニスになった。ひ弱になったものだ。テニスを始めた頃は雨が降ろうが灼熱地獄だろうが、テニスといえば屋外でプレーしたものだった。おかげで毎年5月くらいから人より日に焼け、いつも顔が真っ赤だった。夏のコートでふらふらしたことはついぞなかった。だが今現在、仕事との兼ね合いでナイターとインドアにホームグランドを置いてからは、炎天下のコートではすぐにふらつようになった。いかんな、9月には屋外でいっぱい試合の予定がある。残暑の厳しいコートでまともに動けるだろうか。試合対策で少し意識して昼間の屋外コートに出る必要があるな。

問題は暑さ対策だけではない。ナイターやインドアでテニスばかりしているものが白昼のコートに出ると、ボールが遅く見えるものだ。もちろん普段屋外の昼間にコートに出ているものは逆にナイターやインドアでボールが速く見える。これが意外とプレーに影響するのだよね。草トーは練習なしで、サーブ4本打ったらすぐ試合開始である。本番開始直後で不慣れな状況に対応するのは難しい。昼間の屋外コートでいきなりテニスをすると、ボールを待ちきれずに打ち急いでミスしやすくなる。屋外だ屋外、暑くても屋外に出なければ、試合は屋外であるのだ。

ちなみにその日、ペアと共に練習したコートは始めて訪れたコートであったが、クラブハウスがとても充実していた。特にシャワールーム、8つの小割りのシャワーブースに分かれているのだが、各シャワーブースの前にはカーテンで区切られた小さな前室がそれぞれのブースに作られており、そこで脱衣して、衣類をかごに入れてからシャワーを浴びる。ブースの中には水がかからないところに棚がある。またシャワー室と隣り合わせの更衣室には洗面台と大きな鏡があって、ドライヤーまで準備されていた。たかがドライヤー一つと侮るなかれ、これがあるなしでは大きく違う。如空のホームグランドであるコートでのシャワー室は脱衣室とシャワーブースの距離が離れていたり、小さなユニットシャワーブースだけで脱衣室がなかったり、ブース内に持ち込んだタオルをかける場所がなかったり、更衣室が手洗いだけで、洗面台も鏡もコンセントもなかったりと、「こんな状況でシャワーなど浴びられるか!」といいたくなるようなシャワー室ばかりである。こういう細かいディテールがしっかりとした施設が増えて欲しいものだと思う。

修行は続く

淡路でテニスと食い道楽

まだ夏本番というわけではないが、一足早く合宿に行って来た。例年は朝から晩までひたすらテニスという熱血スパルタテニス合宿である。だが今年はいつもと趣を変えて、「リゾートでテニスを満喫する旅」となった。我々庶民がプチセレブの感覚を味わうのが目的である。なぜだかわからない。とにかく今年はそういうことになった。行き先は海外、南の島・・・・・とい訳にはいかないのが庶民である。経済的にも、時間的にも、そうはいかない。気分だけセレブである。感覚だけ高級リゾートである。だから行く先は淡路島である。

大阪の庶民は車で阪神高速湾岸線を西へ向かう。湾岸線の終点で神戸の庶民を拾う。いつもならすぐテニスが出来るようにテニスウェアで移動するが、今年は私服である。なにかいつもと違う。でも妙にハイテンションな気分だけセレブの庶民たちは明石海峡大橋を渡って淡路島に上陸した。

「テニス合宿ではない。バカンスである。」という定義では、いきなりテニスはせずに観光から入る。なぜだかわからないがそうらしい。というわけで、淡路島の持つ数少ない観光資源、淡路夢舞台に行く。数年前に行われた「花の博覧会」の会場跡地である。今でも跡地は巨大な植物園になっており、国際会議場ホテルが営業している。初夏の湿気混じりの暑い空気の中、階段を汗だくになって上る。コンクリート打ち放しの壁と列柱と階段、水のカスケード、光と影、長い誘導導線と大きな広場、この施設一帯を設計した建築家安藤忠雄の良く使うモチーフがこれでもかこれでもかと、浴びせられるほどに展開していた。でも如空の目にはまるでローマやギリシャの廃墟に見えた。なんか花や草木を見に来ていいるのに、建物を見に来ているかのようだ。人の入りは結構あって、団体客が来ていたわけでもないのだが、昼食時に飲食店街は盛況であった。昼からイタリアンの店に入った。昼からコースだ。うーん気分だけセレブだぜ、車なのでワインが飲めないのが残念だ。だが前菜・パスタ・ピザとデザート、どれも美味であった。

普段は安藤忠雄と同じ建築家である河内坊如空(←如空は建築家というより建築設計業者だろう!)はちょいと気になる建物がこのそばにあるので、無理を言って、その建物を見学に行った。淡路夢舞台と同じ安藤忠雄設計による本福寺本堂である。海沿いの田舎道の端にある杜の丘にその建物はある。杜の外からは見えない。砂利道沿いに歩いて丘を登る。長細いコンクリートの壁が丘の上にある。大きな壁に比べて小さな開口部があいている。その開口部をくぐるとまたコンクリートの白い壁にはさまれた狭い道がある。そこを超えると楕円形の蓮の池が丘の上に浮いていた。蓮は仏教の世界では重要な意味を持つ。釈迦は蓮華の上で瞑想するし、泥の中に美しい花を咲かせる蓮は俗世の中で清く正しく生きていく象徴としてたたえられる。蓮の池のその蓮が群生する楕円形の人工池の真ん中に階段が一直線に下りていく。その先に本堂があるのだ。明るくてまぶしい人工池の下にある本堂は、池とは対照的に暗くて静かだ。コンクリートの外壁に囲まれて、朱に染まった木格子で仏像を囲っている。小さいがなんとも神秘的な世界である。安藤忠雄の建築家としての力量にただただ、呆然とした。

寄り道をしたために、予定より遅れた。急ぐために神戸淡路鳴門自動車道に車を乗せた。大きな高速道路だ。最高時速が80キロでなく100キロである。でも100キロで走行しても40キロくらいでしか走っていないような感覚に襲われるほど、幅広く、見通しが良い。あっという間に淡路島の南端に着いた。高速を下りて、ホテルに向かった。

目的のホテルについて、びびった。駐車場にある車がフォルクスワーゲンにBMWにベンツ・・・・日本車はレクサスしかない。高級車ばかりだ。「俺たちがここに来て本当にいいのか」とビビリながらチープな我が愛車を駐車した。後部ドアを開けて荷物を降ろしていると背後に人の気配を感じた。振り向くとホテルマンが立っていた。「ようこそ、いらっしゃいませお客様」と笑顔で答えて、我々の荷物をフロントまで運んでくれた。後で他の宿泊客を見て気づいたのだが、こういうホテルでは車寄せに車を寄せて、荷物をホテルマンに降ろしてもらってから、駐車するのだ。いつも車で簡保の宿に行くか、電車で旅行する庶民にはわからない世界である。フロントでチェックインして、部屋に案内してもらう。こじんまりとしているがいい部屋である。リゾートホテルなのでバルコニーが大きい。全室オーシャンビューである。トイレとバスルームが分かれている。クローゼットにバスローブがつってある。大きさは十分広い。ハイアット・シェラトン・ウェスティン・ヒルトン・モントレなどのやや高級と呼ばれるホテルでもスタンダードな部屋はここまで広くはない。「高級ホテルよりプチ・ホテルの方が同じ値段でグレードが高い」とこの旅行を企画立案した人は言う。当初今回の旅行も淡路島にあるウェスティンホテルに宿泊する案が有力であったが、最終的に立案者の案に従って正解であった。

さて、テニスである。フロントに内線をかけてコートを取ると、ウェアに着替えてラケットを担いでコートに繰り出すテニス馬鹿達。だがホテルを飛び出そうとするときに、ホテルマンに扉を開けられて「入ってらっしゃいませ」と丁寧にを送り出されると、さすがに走るわけには行かず、胸にラケットを抱えてお上品にコートまで歩いていった。

コートはきれいだ。特別な設備があるわけではない、ただのオムにコートなのだが、隅々までよく手入れされている。いつもの簡保の宿のコートでは、コートのサーフェイスはカビが生えているわ、雑草は生えているわ、ポールやベンチは錆びているわ、ネットは穴が開いているわ、日よけのテントや庇は蜘蛛の巣がはっているわで、気分が悪いったりゃありゃしない。ここではそれがない。気分よくテニスが出来る。
ゲームを少ししただけで後は基礎練習をした。短期合宿にはそれがふさわしい。ある練習を集中的にすることで弱点を克服したり、得意な技術をさらに伸ばしたりするのだ。如空はサーブとリターンを集中的にした。ストリングをアルパワーからアスタリスクに替えたために、少し修正の必要を感じたからだ。
リターンは良くなった。ボールを掴まえる感覚が良い。適度にボールが飛んでくれるので、テイクバックもコンパクトになった。ボールを掴まえて押すという感覚がよくわかる。如空はリターンでラケットを引きすぎる癖がある。それを矯正するために最近はリターンの時、猫背になって肩甲骨を前にスライドさせてしまってから打つようにしている。そうすればボディターンをするしかなくなるからだ。猫背でラケットを前に動かそうとすると自然と肘が前に出る。フォアを打つ時も両手バックを打つ時も脇が絞まる。リーチが短くなるが、安定する。両手バックは猫背になって肘を前に出すだけでなく、両肘をつけるくらいに胸の前で寄せると、上半身が固定されて良い、手でこねてしまって面があらぬ方向に向いてしまうことが少なくなる。タッチは握力よりも両手の手首の固定具合でつける。いい感じである。
逆にサーブは色々問題だ。フラットサーブは良くなった。今まで高い打点で打とうとして頭の上で打ちすぎていた。もっと打点を落としても前で打ったほうがコントロールが良くなる。威力の問題だけでなく、コントロールをよくするためにも打点を前にする事は効果がある。肘は耳より前に、肩は口より前に出るように腕を振る。ラケットは肩を支点に円弧を描くので、前で打てば打点は頭の上よりやや低くなる。でもそれでよいのだ。ネットを十分越えてくれる。そして打ちたいコースに飛んでくれる。
一方で回転系サーブの回転のかかりが悪い。サーブの打ちこみをしていろいろ試したがうまくいかなかった。テンションを少し上げた方がいいかな。でもたまにいい感じのスライスサーブが打てる。やはり打ち方かな。研究が必要だ。

バックハンドスライスの集中練習をしたいという人のために、ボール出しとクロスラリーの相手をかなりした。いいスライスを打つって結構難しいねえ、とその人の集中練習を見て思った。如空にも必要だな、バックハンドスライスの集中練習。

練習が終わって部屋に引き上げた。シャワーを浴びれば、後は浴衣に着替えてお決まりの宴会・・・・・・ではなくて今回はフレンチの店でディナーである。男性はいつもより少しまともな格好で、女性はいつもよりかなりドレスアップして、このホテルの売りであるレストランに行く。今まで、フランス料理の店には何度も行ったが、ソムリエのいる店に入ったのは初めてである。コースの説明のあと、そのソムリエが出てきて食前酒を何にするか聞いてきた。ここではビールを頼み辛いシチュエーションである。でも頼んだ。淡路の地ビールだ。テニスの後のビールはうまい。一気に飲み干した。「お代わりはいかがですか。」とソムリエがすかさず聞いてくる。「もう一本!」といいたいところをぐっとこらえて「ワインリストをお願いします。」と気取っていってみた。
ワインを選んで、後は食事を楽しんだ。うまかった・・・・・・あんな美味い料理を食べたのって久しぶりだね。どのお皿も美味い。量も適量で、コースが終わる頃には男性のお腹も十分に満たされていた。最後のデザートもワゴンで出てきて、「お好きなものをお好きなだけお召し上がりください。」と来たもんだ。いつも「デザートは別腹」という女性もさすがに一皿以上手が出ず、残念がっていた。
ワインの酔いと、テニスの疲れで、部屋に帰るとすぐに寝た。泥のように寝た。

翌日起きると小雨がぱらついていた。今回はセレブなバカンスがテーマなので、無理せずテニスは中止にした。滞在型のリゾートホテルなので、ホテルにいるだけで十分楽しい。朝食にお粥を食べて、ゆっくしりした後、車を取りに駐車場に向かった。如空の愛車の左にフェラーリ、右にポルシェが停まっていた。嫌がらせかい、まったく。連れがそれでも「あんなのはまだまだ序の口、本当の高級ホテルならアルファロメオがあるはずだ」と言っていた。アルファロメオはなかったが遠くにジャグァーがあった。

遅くにチェックアウトして、淡路島の西海岸を一般道でゆっくり北上した。あいにくの空模様だが、瀬戸内海はそれでもきれいだった。明石海峡に出た。穏やかな海が一変して川のように激しい潮流が流れている。操業している漁船が、海上で停まれず、潮流に逆らって西に航行しては停船して東に流され、ある程度流されたらまた西にさかのぼっていく、鳴門の渦潮も有名だが、この明石の潮も激しい。その明石は新鮮な海産物で知られる。帰りはそこで寿司を食っていくことになった。海峡を渡って、明石に着くと、車を駐車して町をぷらぷらした。魚の棚商店街と呼ばれる有名な商店街がある。そこでは明石海峡でその日に取れた海産物がそこで売られる。如空たちが行った時間帯は昼過ぎていたが、商店街は「昼網」という昼の操業で取れた魚や蛸・海老を売っていた。明石焼きなどを食べながら時間をつぶし、知人に教えてもらったすし屋に入った。寿司が美味い。赤身も白身も口の中で溶けていくようだ。穴子の焼き物も口の中で溶けていく。

何かテニス合宿というより食道楽といった感じの今年の合宿であった。

心を亡くす春

心を亡くすと書いて「忙しい」と読む。
心が荒れると書いて「慌しい」と読む。

春になって心を亡くしている状態が続いている。発端は二年前の年末からである。姉歯建築士(元)の構造計算書偽装問題に端を発した建設業界の信用低下問題は、当然の帰結として関連法規の厳格化をもたらした。今年の6月に施行される改正建築基準法とその関連法案は建築基準法制定以来の大改編となる。一定規模以上の建築物は、その工事着手前に、設計が法規に合致しているかどうかを、審査機関が審査する。「建築確認申請」と呼ばれる申請審査で通常の手続きなら21日かかることになっている。その審査期間が大幅に延長され厳しくなり、さらに構造に関しては任意の第三者機関による第三者チェック、俗にピアチェックと呼ばれる審査がそれに追加される。規模の小さい建物はこれにあたらないが、ほぼ、一定規模以上の建物はこの対象になる。つまり今まで設計して工事着手にかかるまでの時間と手間が大幅に長くなるということだ。
安全を期するためにはやむをえないという世間の意思であるが、その世間は、そのために設計にかかる時間、工事着手にかかる時期を延ばしてくれるわけではない。設計に携わる建築士達ら設計スタッフはとてつもないハードワークが待っていることになる。

待っているだけではない。今、業界で何が起こっているか。それは6月の法規改正前に確認申請や計画変更確認申請、そして完了検査申し込みを全て終わらせてしまおうと設計・工事スケジュールの前倒しが行われているのだ。法規が厳しくなる前に申請関係の手続きを出来るだけ終わらせてしまおうというわけだ。つまり申請の駆け込み需要が起こっている。おかげで設計する側も審査する側も、通常の何倍もの物件をこの数ヶ月で処理しなくてはならなくなっているわけだ。「姉歯のおかげで法規が厳しくなり、申請に時間がかかることになりました。というわけで建築主様に竣工した建築物をお渡しする時期も延びることになります。」といって納得する建築主であればよいのだが、そうはいかない。「法規なんぞ関係ない、予定通り竣工させろ。」とお金を払っているお施主様はおっしゃる。すると我々はスケジュールを前倒しして駆け込みで膨大な申請作業をこの数ヶ月で終えてしまわなくてはならない。前倒しとはつまり、半年や一年かけてする設計をこの数ヶ月でやってしまうということである。しかも現在抱えている物件全てに関して。

コートの外では建築士として建築の設計を日々の生業としている如空にとってもこの状態は例外ではない。駆け込み申請の準備のおかげで毎日終電帰宅、連続休日出勤という日々が続いている。週二のテニスが週一に減り、とうとう先週末はテニスが出来なかった。これ当分続くなあ、GWに試合エントリーしたが、これも危ない。仕事がハードになる一方でテニスをする時間がなくなっていく。ああ心が失われていく・・・・。

多忙は続く。

初めての北海道 後編

「初めての北海道」 前編 中篇 の続きです。 

翌日の朝、ゆっくり寝ている間もなくベッドから飛び起きて朝食に向かう。朝食はどこにでもある和洋中折衷のバイキングである。如空はこのホテルの朝食バイキングが大好きである。普段日常生活の朝食はパンなので、中華粥があればそれに飛びつく。食べやすくてかつ量が食べられる。ちなみに粥がないホテルでは納豆とご飯と味噌汁だ。今日は昼食まで長い、かつ体を動かしつづける。きっと腹が減る。お粥をせっせと胃袋にかきこむ。主食はお粥だがお皿には中華も和食も乗せず、ひたすら洋食を乗せる。普段の朝食で食べることのない、ベーコンやらソーセージやらスクランブルエッグやらパスタやらサラダやらフルーツをお皿いっぱいに盛り付けて、もぐもぐと食べる。牛乳を飲んで、グレープフルーツジュースを飲んで、コーヒーを二杯飲んで、お腹をいっぱいにしてから部屋に戻ってスノボースタイルに変身、すぐにバスがやって来てそれに乗り込んだ。

寝不足をバスの中の睡眠で補う。途中目がさめるとバスは大きな湖の岸辺を走っていた。あとでそれがさっぽろ湖という札幌市の水源とするために作られたダム湖だと知るが、とても人工湖とは思えないほど、付近に人工の建造物がなく、雪の中で水面は凍結しており、とても幻想的な風景であった。この道は昨日新千歳空港から札幌国際スキー場に向かった道とほぼ同じなのだが、風景が変わっている。昨日よりも雪が深い。一晩でこれだけ積もるのだ。灰白色に覆われた世界をバスは進む。

到着後、すぐにスクールをまた取った。ターンができるところまでやってみたかったからだ。受付に行くと昨日如空にレッスンしてくれたインストラクターという名のコーチがいた。
「今日もですか。いいですね。ターンまで行きましょうね、今日は。今、インストラクターを手配しますから。」といって後方の人と相談を始めた。今日彼は後方待機日らしい。別のインストラクターが手配されることになった。「リフト券買っておいてくださいね。昨日は一回しか使いませんでしたが、今日は何度もリフトに乗ることになりますよ。」とインストラクターに言われて、スノボーを置いてチケット売り場まで雪の上を走っていく。「一日リフト乗り放題」のチケットを購入して気がついた。このスノーボードウェア、レンタルなのでリフト券入れがついていないのだ。今度は受付の近くにあるショップに走り、リフト券をグローブの上につけるパスケースを買って装着、スノボーを担いで集合場所に向かう。今日も遅刻だ。

今日の初心者コースは如空一人である。インストラクターは小さくてかわいらしいお姉さん。
「私、グーフィーなんですよ。よろしく。」
ってグーフィーって何?
「レギュラー・スタンスは効き足である右足を後ろ、左足を前にしてボードに乗るのですが、私は左足が利き足なので、左足を後ろ、右足を前にしてボードに乗ります。それをグーフィーと呼ぶのです。レギュラーの如空さんとはちょうど対称で、自分の姿が鏡に写っていると思ってみていてくださいね。」
なんともかわいらしいお姉さんである。だがかわいい顔とは裏腹に、彼女は昨日のインストラクターよりもスパルタで厳しいサディストであった。

「体重を前に移動して・・・・・・肩を回して・・・・・腰が回ってボードが回る・・・・・ぎゅーっと小さくなって止まる。これだけですよ。」
と簡単に言ってくれるがこれがなかなか簡単に行かない。特に右ターンがターンした後止まらない。それどころかターンの最中に加速してスピードが上がる。怖くなって何度も自ら転倒して勢いを止めた。
「右ターンの時にドリフトターンせずにカービング・ターンになってしまっているのですよ。だからスピードが上がってしまうんです。」
カービング・ターンって?
「ボードのサイドのエッジで斜面を切りつけて滑るターンです。ほら、自分がターンしたときに斜面につけたスノーボードの後を見てください。左ターンの後は波打つように斜面を削った後があるでしょう。でも右ターンの時は、ほら、鋭く細い、刃物で切ったような後がついているじゃないですか。これがカービングの後です。進行方向に対してエッジがきれいに平行になるとこうなります。スピードを落とさずにターンできるので上級者はこのターンで曲がります。だけど如空さんはまだスピードをコントロールできないじゃないですか。だからボードで斜面を削ってスピードを殺しながら曲がるドリフトターンをまず覚えてください。進行方向に対して少しボードを斜めにする感じでブレーキをかけながら曲がるんです。後ろ足でボードを斜面の下方向に押し出すようにすればいいです。」
とニコニコと解説しながら延々同じことを繰り返す。リフトに4回も乗って、同じコースを4往復した。ふ、脹脛が限界だ。痙攣を起こす一歩手前に来ている。でも「痛いですねぇ、足、これが皆が通る道なんですよぉ。」と笑みを絶やさず如空を斜面に送り出す。だが継続は力である。これだけ、マンツーマンのレッスンを受けながらひたすらドリフトターンをしていると何時の間にか、左右ともターンして連続ターンで斜面を降りるようになっていた。竹とんぼのように右に左に回って止まりながら斜面をずり落ちることが連続ターンと言うのであればだが。
レッスンが終わる頃には足ががくがくであった。「午後からも滑られるのでしたら、ぜひ記念にゴンドラに乗ってみてくださいね。山頂からすべり降りると気持ちいいですよ。」と笑顔の鬼コーチ・・・・じゃなかった可愛いインストラクターは言った。

リフトが座席にボードをつけたまま乗る人体剥き出しのバイクのようなものであるのに対して、ゴンドラはスキーやボードをいったん外して完全な室内に入り込んで移動する車のようなものだ。仲間と合流した如空はインストラクターの助言とおりゴンドラに乗って山頂に向かった。如空が今まで山頂と思っていたところはまだスキー場の中腹で、このスキー場の山頂はもっと高い位置にあった。初級コースをずるずると連続ターンもどきで降りていく。それでも初級コースとはいえ、たった二日で普通の人に混じって斜面を滑れるようになたのだから、予想以上の出来だ。スクールレッスンを取って正解だった。インストラクター達はみなたいしたものだと関心しながら初めて通るコースを風景を楽しみながら降りる。雪が深々と降っており、林間コースはとても静かだ。広い斜面のコースと違って、人々の滑り降りる音だけが耳に聞こえる。「静けさや、雪に染み入る板の音  如空」なんて一句詠んでいる間に下までたどり着いた。

今日は土曜日で人がいっぱいだ。レッスン終了時点で昼食を取ろうとしたがいっぱいで、時間をずらそうと一本滑ってから食堂に入った。ここには3つの食堂がある。そのうち、カレーが充実している食堂に入った。北海道名物スープカレーを食べたかったからである。いやあ、スープカレーのおいしいこと。こんな風にジャガイモやにんじんや鶏肉をごろごろと大きい塊で煮た料理というのは如空がとても好むところである。

午後から再び熱血野郎になった。ただひたすらにドリフト・ターンの技術を磨く。ただそれだけを黙々とやりつづけた。途中、直滑降コースで調子に乗ってスピードを出してしまい、転倒して後頭部を強く打った。パウダースノーでなければ大怪我していたかもしれない。脳震盪はなかったが、首が軽い鞭打ちになった。それに懲りて、スピードはその後出すことなく、ただひたすらにターンの技術を磨くことに専念した。ただひたすらに。そしてあっという間に日が暮れた。

レンタルしていたボードとウェアを返却するとすぐにバスに飛び乗った。ホテルに戻ると眠りたかったが、晩飯の方が先だと札幌の街に繰り出した。キリンビール直営のビアホールの新館が出来て評判がいいらしいとホテルの人に聞いてそこに行った。いやあ、ビールがうまい、刺身がうまい、ジャガイモがうまい、ジンギスカンがうまい。昨日食べた料理とほとんど同じなのだが、ぜんぜん飽きない。いくらでも食べられる。いや、北海道っていいところだねぇとひたすら食べて飲んだ。

翌日、札幌は一面銀世界だった。今日の便で大阪に帰らなければならない。飛行機までの時間を札幌市内を観光して過ごそうと考えて、ホテルを出た。市内のあちこちに砂をペットボトルなどに入れて保管してあるボックスがある。除雪が間に合わない場合、そこを通る人が各自で砂を撒いて雪を歩道の上から溶かすのだそうだ。だが時計台に行ったところで、そんな砂の威力など効かないほどの吹雪になって、これ以上雪に不慣れな関西人では自由に歩行できないと感じ、観光は断念して札幌駅に向かった。昼食に回転寿司を食べる。回転寿司といって侮るなかれ。ネタが命の寿司である。いやうまいこと。北海道で食べれる料理は大阪でも食べられるのもばかりだが、やはり素材が違う。料理は素材だ。それをいやというほど思い知られた。

駅のホームで空港直通の快速列車を待っていると後ろで「ポー」と蒸気機関車の汽笛のような音が甲高く鳴り響いた。「何だ何だ」と振り返ると、そこには「ような」でなく、蒸気機関車そのものがホームに入ってくるところだった。知らなかった、北海道ってSLを何本も現役で走らせているんだ。現役とはいっても、もちろん観光資源としてだが、それでも如空は蒸気機関車が走っている姿を生で見てのはこれが初めてで、なぜだかとても興奮した。

新千歳空港についてお土産に「白い恋人達」を購入して、滑走路が見える喫茶店でお茶をする。関西空港にはこのような滑走路が見える飲食設備がチェックインの外側にない。これがあの空港をつまらなくしている原因の一つだと常々思っている。さっきのSLもそうだが、SLやら飛行機やら動いているを見るだけで楽しくなる、そんな人々が世の中にはいっぱいいるのだ。如空もその一人である。

滑走路を移動する飛行機を見ながら考えた。

ただただ、ひたすらにスノーボードを滑れるようになるように、黙々と、ただひたすら斜面をすべり続けた。とても楽しかった。「出来なかったことが出来るようになる」という過程を体験することはとても楽しい。そして技をひたすら磨くという行為自体が楽しいものだ。夢中になる。スノーボード初体験はとても充実していた。また、やってみたいと思う。多くの人がとりこになるのがよくわかる。
一方でテニスはそうはいかないところがある。あれは対戦スポーツだ。相手がいる。勝負して勝ち負けを競わなくてはならない。だから技を磨くだけでは勝てない。相手を観察し、弱点をつき、相手の嫌がることをする。自分の打ちたい、納得するショットを打つことより、一本でも多く、相手コートに納得できないボールでも返球した方に勝利が訪れる。そのあたりがテニスをとっつきにくくしているのではないだろうか。最近如空の通うスクールではラリークラスといって「コーチとただひたすらストロークラリーをしましょう」というクラスが出来た。何回ラリーを続けられるのかを競うのだそうだ。「それでは試合に勝つためにテニスとはずれていくではないか」とも思うのだが、このクラスはおおむね好評であるそうだ。スクールの中には「試合には出たくない。勝負事は嫌い。ただボールを打つことだけがしたい。ラリーをすることが楽しい。」といってテニスをしていながら試合に出ない人々がいる。そういう人々はテニスの本質に半分しか触れていないといえる。だが、その人々が、それゆえに不幸であるかというとそうではあるまい。ただひたすらに「出来なかったことが出来るようになる」その過程を追及し技を磨いていくところにも楽しみはあるのだ。むしろスキーやスノーボードなどはそれが本質なのである。そしてそれは十分楽しい。如空もまた楽しかった。

出来なかったことが出来るようになる」その過程に楽しみを見出しながら、かつ試合にもかつテニスを目指す。それは時に矛盾する課題を解決しなければならない、とても困難な、趣味としては楽しみだけでない、ストレスを感じる行為である。でも、そのテニスに取り付かれた。二つの矛盾する課題を如空なりに折り合いをつけて、更なる上達を目指してみよう。

初めて来た北海道で、初めてスノーボードを体験したのに、最後に頭に浮かぶのはテニスのことだった。これも如空の性分か。

そして飛行機は飛び立ち、旅は終わった




初めての北海道 中篇

初めて北海道 前編」よりの続きです。

バスの窓の外に見える景色はやはり如空の住む関西圏と違う。子供頃住んでいた関東や北陸とも大分違う。当然のことながら両親の実家のある四国や九州とも。

住宅もビルも窓が狭い。小さなポツ窓の建物がほとんどだ。大きな開口部を持った建物がない。たぶん断熱のためだろう。住宅は勾配屋根のない家がほとんどだ。平らな陸屋根で雪を下に落とさず、屋上に載せたままにしてある。屋根の雪を落とすと地上が雪の山になってしまうからだろうか。色も派手だ。赤色や黄色の外壁色の家がいっぱいある。本州ではあまり見られない。近代になってから都市計画が行われたためか、どこもかしこも道路が広い。車で移動するには便利な土地だ。
街中を抜けて山に入る。山も景色が違う。常緑の針葉樹がほとんどない。落葉する広葉樹の木ばかりだ。冬なので当然枯れ木ばかりで葉がない。だから細い木の枝にはほとんど雪が積もっていない。白い雪の山に茶色い木の棒を何本も突き刺したような不思議な光景が広がっていた。その不思議な光景の先に真っ赤な建物が現れた。札幌国際スキー場に到着したのだった。

札幌国際スキー場は札幌オリンピックが開催されたときにスキー競技の会場として計画された。ここは札幌付近のスキー場でもっとも積雪が安定している。安定しているからこそオリンピック会場として選定されたのだ。この日も、北海道の他のスキー場は暖冬による雪不足に悩まされていたが、ここ札幌国際だけは十分な雪があった。レンタルしたスノボーウェアをつけてたどたどしい足取りでゲレンデに一人出て行く。連れは勝手にすべりに行っている。スノボーをしたことのない如空は一人、スクールに参加するべく別行動することになっていた。

時間ぎりぎりにバスが到着したので、レッスンに少し遅刻した。レッスン生は二人だけだった。もう一人は既に滑り始めていた。若い男性のインストラクターが自己紹介をした後、まずはじめたことは如空のスノボー・ブーツの正しい装着の仕方を教えることだった。インストラクターのお兄さんの予想通り、如空のブーツの装着の仕方は思いっきり間違っていた。正しい装着の仕方を教わり、やり直す。準備運動をしてようやくスノーボードの説明が始まった。

まず、前足(通常は左足)を固定して、後ろ足はフリーのまま滑ったり歩いたりする練習をする。これができないとリフトに乗って斜面のうえに移動することができない。アイススケートと同じでボードに乗ってもボードを進行方向に真横にしてボードを止める。これがうまくいかずに何度もひっくり返る。それでも何とか転びながらでも止まれるようになると「では上に行きましょう」と言って、インストラクターのお兄さんは哀れなスノボー初体験者を強引にリフトに乗せた。リフトは吹きさらしのシートのみのタイプでなく防風カバー付の4人乗りタイプだった。なれない足取りでどたどたとリフトの搭乗位置までたどり着くと無様にドシンと「乗る」というより「落とし込まれる」感じでリフトに乗り込んだ。
いい天気だ、空が澄み切っている。リフトの防風スクリーン越しに見る冬の青空は美しい。「いやあ、お二人ともラッキーですよ。ここは年中雪が降っている土地なんです。札幌が晴天でも、ここ札幌国際は吹雪いていることが常なんですよ。こんなに晴れ渡っている日なんてめったにないですよ。」とコーチ・・・・じゃなかったインストラクターのお兄さんはリフトの上で話していた。

リフトが山頂に近づいた。「腰を横に向けて、ボードを進行方向に向けてください。」とインストラクターが言う。言われるがままに横を向く如空。着地した。「右足で蹴って!漕いで、漕いで。」とインストラクターが叫ぶ。自分達が乗っていたリフトが追ってくる。必死に逃げる如空たち。緩い斜面に出た。
「さあ、そのまま右足を乗せて、進んで・・・・・・・横を向いてぇ・・・・・止まる!」
とインストラクターが実演しながら言う。
同じように、そのまま右足をボードに乗せて、進んで・・・・・横を向こうとしたらこけた。
とにかく山頂についた。

「右が初心者コース、左が中級者コースです。本来なら初心者コースに行くべきと思われるかもしれませんが、それは逆。初心者コースは斜面の勾配が緩すぎて、始めてスノボーをする方が滑ると逆エッジを何度も引っ掛けて転倒しやすいのです。スノーボードは勾配がある程度あったほうが転倒しにくい、つまり滑りやすいのです。というわけで勾配が適度にある中級者コースに行きます。」と簡単に言うインストラクター。いきなりかい。めちゃくちゃ勾配がきついぞ。下まで無事降りれるのか。いやその前に止まれるのか、この斜面で。

左にターンしてエッジを効かせて止まる練習を繰り返す。右足はまだボードに固定しない。左足だけ固定して止まる練習をする。「これができないとどこにもいけませんから」とインストラクターは言う。
だが如空はうまくできない。止まれずに転んでから体を強引に止めている。顔に雪がまとわりつく。パウダースノーとは良くぞ言ったものだ。粉のような雪が体についても溶けずに粉のまま付着している。このパウダースノーがショックアブソーバーになって転倒しても痛みを感じない。「初心者こそ、近場でなく北海道に行って練習しろ。」と関西のスノーボーダーたちが言うそうだが、その意味がようやくわかった。

時間が過ぎていく。如空は止まることをマスターできない。情けない。だがインストラクターは無情にもレッスンを進めていく。いよいよ右足固定である。広い斜面のど真ん中で座り込んで、両足をボードに固定した。
「まず、ボードを滑り降りる斜面と垂直に横にしてください。そして立ち上ったら、前のエッジを浮かせて、後ろのエッジを効かせて、ブレーキをかけながら斜面を降りてください。」
言われた通りに立ち上ろうとした。こけた。こけずに立ち上ろうとした。そしたら今度は立てない。
「立ち上るときは前に体重を乗せて、両膝をいったんぐっと斜面方向に乗り出さないと立てませんよ。」
「そうすると滑り出してしまいますよ、コーチ。」
「コーチじゃありません、インストラクターです。勇気をもって前に乗り出してください。立ち上ったらすぐに前のエッジを浮かして後ろのエッジでボードを止めるんです。」
勇気を出してひざを前に押し出して立ち上った。そのまま前転した。
「さ、もう一度。」
なかなかスパルタなコーチ・・・でなくてインストラクターである。
もう一度立ち上った、すぐにエッジを立てた。滑り落ちるボードが止まった。
「はい、そのままエッジを緩めて・・・・ずるずると滑り降りてみてください・・・・斜面を削るように・・・・ずるずると・・・・」
おお、進む。斜面を降りている。滑っているのではなくてずり落ちているのだが、とにかく斜面を降りている。
「ひざを曲げて、ひざと足首をやわらかく使ってエッジを調整して、スピードをコントロールするんです。」
周りのスキーヤーやボーダーがすいすいすべり降りていく中、二人の初心者はずるずると斜面をずり落ちていく。時に転びながらも降りていく。ここでようやく回りを見渡す余裕ができた。雪の山に枯れ木が何本も突き刺さったような景色が一面に広がっている。美しい。気持ちのいい光景だ。

「今度は進行方向にお尻を向けて後ろ向きに斜面を下って行きましょう。」とインストラクターは言う。
斜面に座りこんで体を回転させ、今度は斜面を見上げながら後ろにずり落ちていく。立ち上ることは斜面を見下ろすときより楽だ。だがずり落ちていくことが難しい。ちょっとでもかかとをつけてしまうと進行方向側のエッジが斜面に食い込んで転倒してしまう。これが逆エッジだ。後ろ向きだと後頭部から倒れるのでとても怖い。
「必ず腰を曲げてしりもちをついて転んでください。そうしないと首の骨折りますよ。」
恐ろしいことを簡単にいってくれる。
つま先に神経を集中させてずるずるとずり落ちていく。ふくらはぎが痛い。かかとを浮かしつづけることがこんなにつらいことだとは。

それでもずり落ちることを学んだ如空達はずるずると斜面を降りていった。

二時間のレッスンが終わりに近づいた。
「最後にターンを少しだけやってみましょう。」
とインストラクターが言う。
「今、ずるずると斜面をずり落ちていますよね、そしてその体制で止まることもできるようになりました。実はターンというのはこの斜面に背を向けて止まる、次に斜面に臍を向けて止まる。この過程がターンになるんです。」
とい言って自らが実演する。
「両手を広げて・・・・左足に体重を乗せて行きます・・・・するとボードの先端(つまり左側)が落ちていきます・・・・・・左肩をさらに左にまわします・・・・・肩を先に回して腰がその回転に遅れてついてきます・・・・・・腰が回ると足も回ってボードが再び斜面と平行になります・・・・・ここで止まります。斜面を見上げてぎゅーと体を小さくすると止まってくれます。さあやってみてください。」
「なるほど、ステップインしてフォアハンドを打つときの原理を逆に応用するわけですね。腰を先に回して、ねじりを作って、ねじりを戻す勢いで肩を回してボールを打つ。その逆で、肩を先に回して上体をねじり、ねじり戻しを使って腰を回してボードを回してしまおうと言うことですか、コーチ。」
「だからコーチじゃありませんって、インストラクターですから・・・・・とにかくそういうことです。やってみればわかります。」
やってみた。現実はそう甘くなく、最初は何度も転んだ。だが何度も転んでいくうちに度胸が出てきて体重移動や上体のねじり戻しが大胆に行えるようになってきた。すると突然「クルン」と回れた。
「それがドリフトターンの左回転なんですよ。」
とコーチが・・・じゃなかったインストラクターがうれしそうに言う。
「その逆が右回転です。それを交互にしていけば連続ターンになるのです。いい感じですね。このあと、それを復習し続けてください。すぐに連続ターンができるようになりますよ。」
「はい、わかりましたコーチ!」
「だからコーチじゃな・・・・・もういいです。今日はありがとうございました。」
こうして初日のレッスンは終了した。

そのあと連れと合流して初心者コースを今度は降りてみる。斜面が緩いので止まるとなかなか前に進めない。コーチの言っていたことはこのことかと納得した。疲れてくると逆エッジも頻繁に起こって何度も派手な転倒をした。パウダースノーでなければ怪我していたな。進まずに緩い斜面で何度も立ち往生しながら、それでもずるずる進む。キッズのスキー教室が如空を追い越していく。世間はスノボー一色かと思っていたが、ここはスキーヤーの方が多い。初心者コースを滑り降りた頃には日がとっぷりと暮れていた。

帰りのバスが待ている。急いでスノーボードをはずしてこびりついた雪を取り払うと、ボードを抱えて更衣室に走る。ボードは二日間レンタルなので今日はホテルにもって帰らなければならない。どたばたと着替えてバスに乗り込むと、バスはすぐに出発した。バスの窓の外では照明が灯ってナイターが開始されていた。だがバスはこのあとの便はない。道路が夜になると凍結して積雪とあいまって変えられなくなるからだ。札幌国際にはゲレンデ併設のホテルはない。ならばナイターを滑っている人たちはどうやって車で帰るのだろうかと、他愛もないことを考えているといつのまにか眠ってしまった。さすがに疲れ果てていた。

ホテルにチェックインして荷物を置くと、すぐに札幌の街に繰り出した。粉雪が降って、路面は凍結している。なのに車はビュンビュン飛ばして走っている。恐ろしいったらありゃしない。地元の人にはこれが日常だからあたりまえのはよくわかるが、歩道を歩いていてもつるんつるんと何度も滑って転びかけるのである。別段、車道が除雪されているわけでもない。何であのスピードで車が走って普通に止まれるのか不思議である。

歩いてサッポロファクトリーのレンガ館に入った。ここに有名なビアホールがある。ここでようやく今日食事らしい食事にありついた。
うまい!地ビールがうまい!刺身がうまい!ジャガイモがうまい!ジンギスカンがうまい!腹が減っていることを差し引いてもとてもうまい。特別な調理をしているわけではない。素材がよいのだ。おいしくてかつ量がある。食べ応えがある。たらふく食って、満腹になった。ホテルに戻ると幸せな心地でベッドに入った。すぐに泥のように眠った。

北海道旅行記 後編に続く

初めての北海道 前編

先週末はテニスをしなかった。できなかった。仕事が忙しかったからではない。珍しく旅行に行っていたからだ。ここ数年、仕事・帰省・テニス合宿以外での長距離旅行はしたことがなかった。海外旅行などこの9年間したことがない。一週間近い長期の休暇が取れても旅行などしなかった。普段忙しくて旅行のための事前の準備ができなかったし、普段忙しくてできない家の中の用事が山積みになっているので、それを片付けるので休日を使い切ってしまう。せめてもの楽しみは平日にテニススクールのレッスンを取ることぐらいだろうか。
今の職場ではなかなか理解のある上司に恵まれている。仕事の合間に入るので、一週間ぐらい休暇を取って旅行でも行って来いといって休みをくれたのである。11月に一週間休みをとった。取る予定だった。だが休みを取ると突然忙しくなるのはマーフィーの法則の通り。上司の肉親に不幸があり、上司が忌引きで休んだ。そこに来て私の数少ない部下が今度は急性扁桃腺炎で緊急入院した。私の同僚はそんな状況を知らずにのんきに私より一週間早く休みを取って南の島に行っている。終わったはずの前の現場ではトラブルが続出し、その対応に追われ、新しく始まる仕事はいきなり全開モードで11月に計画、12月に基本設計を上げなければならない。休みなど取れる状況ではなかった。たった一人で4人分の仕事をこなさなくてはならなくなった。やむ得ず、休みを半分にしてエンジン全開で仕事した。仕事の合間で少し暇なはずが、とてつもなく忙しかった。
取れなかった休みを12月に取らせてもらうことにした。たまたまそこに「北海道でスノーボードをしに行こう」と誘ってくれる人がいたので、その誘いに乗ることにした。旅行の予定を入れればいやでも自分は休むだろうと自分で追い詰めて無理やり休みにしたのだった。

実は仕事だけでなく、家に帰ってからも色々と忙しかった。母親がいきなり緊急入院して心配させてくれた。忙しい合間を縫って見舞いにいくとすこぶる元気であった。検査入院らしい。安心すると今度は大事なことを思い出した。今年は喪中であることを忘れていて喪中の案内状を出すことを12月に入るまですっかり忘れていたのだ。突然思い出し、慌てて業者に発注した。宛名書きに膨大な時間がかかる。かつてマイクロソフトのワードで差込印刷をしてえらく手間取って、それ以来面倒くさくて手書きで宛名書きを書いている。だがもう時間がない。何か早い方法はないかとネットで色々調べていいると、フリーソフトで宛名書き印刷ソフトがあることに気がついて、それをダウンロードして使ってみた。感動した。いあや、簡単に住所が入る。郵便番号を打ち込めば町名まですぐに表示してくれる。だから相手名と郵便番号と番地だけ入力すればよいだけだ。はがきへの印刷もろくな設定などほとんどなく、簡単に印刷できる。とりあえず急ぎの50枚を速攻で書き上げてポストに放り込んだ。この「はがき作家あてな」は優れものだわ。ワードの差込印刷など使えたものではない。

直前の一週間は終電を何度も逃すほどに仕事に没頭し、ようやく金曜日を休みにすることに成功した。旅行用のかばんなど持っていないので、いつものJIBのラケットバックからラケットを放り出して、スノボーウェアの下に着込む衣類を放り込んで伊丹空港に向かった。

現在関西圏は3空港体制にある。国際線とその乗り継ぎ国際線は二十四時間運用の海上空港である関西国際空港(通称「関空」)、国内線を運行させる伊丹空港、そして地方ローカル線を運用するできたばかりの神戸空港である。伊丹空港は正式名称を「大阪国際空港」という。関空ができるまでは近畿圏唯一の国際空港であったが関空が開港してからは「国際」なのは数便で基本的には国内線専用空港になっている。

高速バスで伊丹に向かうが事故渋滞で30分遅れるとアナウンスがあった。早めに出ていて良かった。それでも迂回ルートでそれほど遅れずに空港についた。伊丹空港は古い空港だ、そして安普請だ。「何だこの作りは」と思わず声に出してしまう安い作りだった。手荷物が大きかったので預けてくださいといわれるかと思っていたのだが意外とすんなり機内に持ち込めた。
JALのボーイング777-200に乗り込む。エンジンが両翼に一つづつの計二箇所の奴だ。飛行機に乗るのは9年ぶりなので子供のようにわくわくする。真ん中の席なのに窓の外の景色をきょろきょろと見まわし、離陸の際には顔がにやけるのがわかった。だが雲の上に出ると一気に眠気に襲われて深い眠りについた。たったの二時間弱で新千歳空港についた。雪原の中に二本の黒い滑走路が浮かび上がっている。そこにアプローチした。

旅行を手配してくれた者が行きの便では「空のグリーン席」と呼ばれるクラスJを取ってくれていた。プラス1000円で広い席に座れる。だけでなく前の座席に座れる。前の座席に座れれば、早く飛行機を降りることができる。早く飛行機を降りられたら、その後の空港でのトイレやカウンター等での並ぶことなく利用できる。その差は30分以上の時間差となってあとあと効いてくる、とクラスJを取ってくれた企画者は力説していた。事実、降りた後、あらゆることが行列に並ぶことなくスムーズに進んだ。旅行慣れしている人の知恵はありがたいものだ。

伊丹に比べれば新千歳はとてもきれいで機能的な空港だ。三日月状のウィングがメインで1階が到着ロビー、二階が搭乗ロビーである。三日月状のウイングの中心に半円状のターミナルビルがあり、ショッピングセンターやレンタカー・飲食店街が隣接している。ターミナルビルの地下にはJRの駅が乗り込んできており、ターミナルビルとウィングとの間はガラスの屋根で覆われており、中央にあるホールは日光を取り入れ大きいく明るい大空間だ。ターミナルビルとウィングの間の一階はウィングに沿って道路が乗り込んできており、バスが到着ロビーのすぐ横に着くようになっている。よく動線の考えられた。機能的に見事な設計だ。しかも快適な空間デザインである。関西の3空港も見習って欲しいものである。

スキー・スノボーのツアーに参加している人たちが一同に集められる。行き先を書かれたプラカードの前にそれぞれ集まる。スキー用ツアーバスがわんさかと空港のバス停留所に一時に押し寄せる。ここから北海道の各スキー場にバスで散らばっていくのだ。「札幌国際」行きに乗る。バスの中で空港で買った弁当を食べる。鮭とイクラと蟹の三色が乗る押し寿司である。如空の北海道のイメージは広大な大地を使った大規模な農業と酪農の国というイメージが強いのだが、実際食物に関しては海産物の方が有力なようだ。空港のお土産コーナーでも町のショッピングセンターでも飲食店でもとにかく、カニ、サケ、イクラのオンパレードである。北海道は海の国なんだなあ。

如空は初めて北海道の土を踏んだのだった。

北海道旅行記、中編に続く。

舞い戻る記憶

GAORAとWOWOWを視聴するためにCATVに加入したのは二年前。テニス中継を見るためだった。CATVに加入して驚いた。チャンネルがなんと多種多様なことか。テニスだけでなく、色々な番組を見るようになった。地上波などほとんど見なくなった。如空が加入しているCATVには音楽専用チャンネルが3チャンネルあって朝から晩までビデオクリップを流している。如空のお気に入りはJPOPの50位までを歌詞付きで放送している番組で、二週間に一度、録画してテニスを見ているとき以外はその番組を再生してだらだらと音楽を流している。おかげで最近ではたまに若い連中とカラオケに行っても「この曲何?」「これ誰の歌?」「それ誰?」とオヤジチックな反応をしなくてすむようになった。
CD売上ランキングのトップ50となると新曲ばかりかと思うがそうではない、古い曲でも結構入っているし、山下達郎の「クリスマスイブ」などは毎年年末になると夏のお化けのように復活してくる。去年の春先に、「お、これは」と思った曲がある。発売日にラジオから偶然流れてきたのを耳にした。その旋律が耳から離れなかった。言葉が胸に残った。一年経って、その曲が再びトップ50に入ってきている。山下達郎の「クリスマスイブ」のようにこの曲もそのシーズンがくれば思い出されるようになるのだろか。桜舞い散る季節になると毎年思い出されるように。その曲とはケツメイシの「さくら」である。曲も素晴らしいが、詩も良い。実に奥深い。30男の心のひだに触れる言葉がその中にある。

「花びら舞い散る 記憶舞い戻る」

建築の設計者としての如空のキャリアの中で最大規模の建物が今、その姿を徐々にあらわしつつある。その建物が立地しているのは偶然にも如空の生まれ育った街である。高校時代はこの街から大阪市内の母校に通っていた。今、まったく逆の方向で現場に毎日通っている。大学に進学したとき、地方の大学に入学することになり、そのときにこの街を出た。それからこの街には戻ってきていない。あれから18年近く経つ。なのにこの街は何も変わらない。如空の記憶の中にある18年前の街の姿がそのまま保存されている。如空はこの街が好きではなかった。いつか出て行ってやる、とそうずっと思っていた。そして希望の通り出て行くことができた。その間、街はなにも変わらない、何も。バブル狂乱のあの時代を経ても斜陽の街大阪のその衛星都市では資本の投下などあるわけもなく、東京も地方も、日本中が変わっていったのに、この街だけは変わらなかった。変わることがよいことだとは限らないし、変わらないことが悪いことだとも限らない。しかし、いたるところで街の風景を変える仕事をしていると、18年もの間、ほとんど変化しないこの街が驚異に思えてくる。この街の風景に触れる度に、そして幼い頃からの知り合いに偶然に顔を会わせる度に、心の奥底に眠っている様々な記憶が甦る。そして気づく。あの頃、この街をきらっていたのは、この街に原因があるのではなく、自分自身を嫌っていたのだと。子供の頃、うまくいかない様々なことを、全て周囲のせいにして自分に問題があることを認めようとしなかったのだ。責任転換していたのだ。遠くの知らない街に行き、自分のことを知っている人間が一人もいない環境で、人間関係も生活環境も日常の過ごし方も何もかも、まったく新しくなり、完全にリセットされた状態で、まったく未知の状況で、新しい生活の中で、ようやく気づく、そこにいるのはまったく変わらない自分自身だということに。環境を変えても自分は変わらない。人間の資質を決めるのは環境ではなく、もって生まれた性格なのだ。環境はそれに反応を起こして性格に変化をもたらすかも知れないが、本質を変えはしない。自分自身が変わろうとしない限り、何も変わらない、周囲は何も変えてくれない。過去と他人は変えられない、変えることのできるのは自分自身と未来だけだ。
そんなあたりまえのことに気づくのに何年もかかった。生まれ育ったこの街で仕事をするようになっていろいろな記憶が呼び起こされて、そのことにようやく気が付いた。この街もようやく変わる。如空のチームが設計を手がけたこの巨大な施設が街を変えるだろう。果たして如空は変わったのだろうか。

「花びら舞い散る 記憶舞い戻る」

サラリーマンにとって春は人事異動の季節である。3月には送別会が、4月には歓迎会がいたるところで開かれ年末年始と同じくらい、飲み会の誘いが多くなる。高校時代の友人が一人、転勤で地方より大阪に戻って来ることになった。仲の良かった友人8名ほどで彼の帰阪を祝う会をした。彼の結婚式以来会っていない仲間たちである。8年ぶりに見る顔であった。老けたやつもいれば変わらぬやつもいる。子供が3人もいて上は小学生になっている男もいれば「来年出産する計画で今結婚相手を探しているの」という女もいる。しかし、性格だけは変わらない。昔話に花が咲く。寿司屋の二階の座敷で閉店まで騒いだ。「みんな出世したのう。20台の頃は懐具合が気になって寿司屋に足を踏み入れることすらできなかったのに。」と一人が言う。大学時代の友人達は皆同じ業界に就職したので、久しぶりに会っても仕事の話になってしまう。その点、高校時代の友人達は、共通の話題が高校時代を過ごした3年間の記憶しかないので、自然と昔話に話題は落ち着いていく。それぞれが覚えていることを断片的に語り、それが忘れていた記憶を呼び戻す。自意識過剰だったあの頃、今思い起こせば恥ずかしい話ばかりだが、それを笑って話せるところに「大人になったのだなあ」としみじみ感じさせられる。そして「俺の青春もまんざら悪いものではなかったのだなあ」と思わせてくれる。思い出は美化されていくものだ。若い頃、飲み屋で美化された思い出を酔っぱらって語っている大人たちを「醜い」と感じていたが、今では完全にその醜い大人になってしまった。それはしかし、必要にして大事な糧なのだ、大人にとって。それは若い頃には気づかない。今ようやく理解できることなのであろう。
「花見だ、花見!来週皆でサクラ見に行くぞお!」「おおおう!」
はたされるはずのない約束を大声で交わしながら、それぞれに待つ家族のもとに帰っていく。古い記憶を呼び起こしてくれる友がいる。とても幸せなことだ。

「花びら舞い散る 記憶舞い戻る」

高校3年の時のクラスメートと会うと必ず上る話題が二つある。一つは3年の時のクラス担任だった先生の話。彼はなんと如空たちと同学年の女子と卒業後に結婚してしまった。これはもう格好の酒の肴である。もう一つが高校3年の体育祭の「四段やぐら」の話題である。実はこの「四段やぐら」はつい最近、あるドラマを見て強烈な印象と共に記憶が甦ってきた。そのドラマとは「ウォーターボーイズ」である。この「ウォーターボーイズ」、まずレンタルDVDで映画版を見た。映画はそれほど面白くなかった。その事を同じ職場のドラマおたくにして映画おたくのCADオペさんに言うと「TVドラマの方が絶対に面白いから、必ず見て!」と強く勧めるので今度はTVドラマ版のDVDをレンタルして見た。
そして泣いたのである。
「ウォーターボーイズ」は高校の文化祭で水泳部が出し物として「男のシンクロナイズ・スイミング」を学校のプールで上演する、その文化祭までの過程を描いたドラマである。映画はその発端となった話で、TVドラマはその3年後を描いている。ストーリーはいたってベタである。「男のシンクロ」を実現させようと次から次へと降りかかる難題を克服していく話である。でも泣けてしまう。音楽も効果的だったし、高校生役の役者たちも素晴らしかった。このドラマは今時の高校生を主人公にしているにもかかわらず携帯電話が出てこない。舞台も東京ではなく、田園風景と山並みが迫るのどかな田舎の街である。主人公達は田んぼのど真ん中にある高校まで自転車で田んぼの中の道を通って通学しているのである。このあたりが如空のノスタルジアな感覚を刺激する。
さて、このドラマのクライマックスは最終話のシンクロ公演のシーンである。25分間CMカットなし、編集なし、スタントなしで32人のドラマの役者たちが直接シンクロ公演を行う。そのシンクロ公演のラストを飾るのが四段やぐら、人間の塔である。第一段12人、第二段6人、第三段3人で最上段の一人を持ち上げる。輪になって肩を組み、肩に人を乗せて、下の段から順番に立ち上がるのである。全段が立ち上がれば最上段の目線の高さは6m近くになる。彼らはこれを水中から組んでやり遂げたのである。これはすごい。更にすごいのはその翌年放送された続編「ウォーターボーイズ2」で五段やぐらに挑戦して成功させたことだろう。このラストのシンクロシーンは編集されていたが、公演は撮りなおしのぶっつけ本番で収録され、5段やぐらは観客の前で一度は崩れて失敗するが、二度目の挑戦で成功、これには素直に泣いてしまった。胸の奥底に眠っていたあの懐かしい思いが甦ってきたから。
如空の高校の体育祭は学年対抗で競技を競うという世にも不思議な伝統をもつ学校だった。3年生が勝つことはわかりきったことなのだが、それだけに毎年3年生は「必ず勝たなければならない」というプレッシャーと、高校生活の最後の思い出作りのためにとてつもなく張り切るようになる。応援合戦のクライマックスは学年全員参加のマスゲームである。如空のクラスの男子は、なぜかそのマスゲームのフィニッシュで陣形の中央にて人間の塔、四段やぐらを組むことになった。練習をはじめてみてそりゃもう大騒ぎ。まずみんなしゃがんで下から組んでいくのだが、乗っかる作業に上の段の連中がてこずって時間がかかって,その間至る所から「痛い!痛い!痛い!」と叫び声が上がる。下の段の連中が耐え切れずに崩れてしまうのだ。全員が乗ることに成功しても、今度は土台が立ち上がれない。足腰の力に個人差があり、力あるものは早く立ち上がり、力のないものは立ち上がれない。土台の水平を保つことが出来ずにすぐに崩れてしまう。体育会系のクラブで体を鍛えてなかった者にとってはあれは酷な練習だった。放課後の練習だけでは進まないので、昼休みにも練習するようになり、やがて朝練もするようになるが塔は立たない。逆に疲労が蓄積してドンドン駄目になっていくようだった。受験を控えて勉強に時間を割きたい者もいる。そこにこのハードな練習を強要すると色々と不満もくすぶり、そこにきて練習していることが上手くいかないものだから、クラスの雰囲気はドンドン悪くなっていった。学年全体の練習が始まっても塔は立たない。応援合戦のクライマックスでの見せ場のメインがなかなか成功しないので、他クラスや学年のリーダーたちから心配の声が上がる。一度全体練習で強引に立ち上げてみんなの見ている前で大崩壊した。それを見ていた教師たちがさすがに顔を青くして心配しだした。「四段やぐらは危険だ、けが人が出るぞ、三段やぐらに変更しろ」と指導を入れた。学年のリーダー達も同様の意見を持つものがいた。だがそれを聞いてクラスの男子は一斉に反発した。「ここまできてやめられるか!」と。全員の目の色が変った。何かに取り付かれたように朝も昼も夜もひたすら練習した。しかし、塔は立たなかった。それでも体育祭当日、決行することになった。今思えば若かった。一度も成功していない技を一発勝負の本番で使う馬鹿はいない。仕事では許されないことだ。しかし、前しか見えない、進むことしか考えずに退くことを知らない若さが、その無謀な挑戦を後押しした。体育祭当日、クライマックスの学年対抗応援合戦が始まった。メインの出し物、学年全員参加のマスゲームがスタートする。行進、ダンス、人間ウェーブ、ダンス、人間ドミノ、ダンス、人間ピラミッド、ダンス、人間ロケットと進行し、最後のフィニッシュに向けて陣形が移動する。そのど真ん中で、如空たちは円陣を組んで黙々と四段やぐらの準備にかかる。「一段目!」「二段目!」「三段目!」「四段目!乗った!」いつになく真剣な声が外からかかる。やぐらの中に入らない残りの男子が外部で、状況が解らないやぐらの土台の面々に、合図を出しているのだ。彼らは最悪の事態が起こったとき、つまり塔が倒壊したときは上から落ちてくるクラスメートの下に飛び込んで、彼らが地面に叩きつけられるのを身をもって阻止するという壮絶な役割を与えられていた。「せーのーせ!」如空たち一段目が立ち上がる。「せーのーせ!」「せーのーせ!」と掛け声が徐々に上に上がっていき、遠くなる。BGMなど聞こえない。上に乗っている奴の足の震えが背中に伝わる。塔が少し揺れた。観客席にいる親兄弟、そして先生たちの悲鳴が聞こえた。土台の男たちは歯を食いしばって、静かに黙って傾きを押し戻す。やがて上からまた「せーのーせ!」と掛け声が降りて来た。気がつけばいつの間にかBGMが終っている。「何?何だ、終ったのか?」「立ったのか?」「成功したのか?」状況のわからない最下段の男たちが騒ぎ出す。「まだやぁ!終ってないぞ!気ぃ抜くな!」二段目から叱責が飛ぶ。その二段目も降りて来た。一段目が膝を落としてしゃがんだ瞬間、皆グランドに転がり落ちた。「おい!立ったのか?」「立った、立った!」「やったのか!」「やった、やった、成功や!」「うおおおおおおおお!」歓喜の雄たけびが上がる。そこに「早く退場しろ!」と声がかかる。いつの間にか3年生は退場しており、如空たちだけがグランドの真ん中で取り残されていた。急いで退場門に走り去る如空たち、出迎えてくれたクラスの女子たちの目は赤くなって半分泣いていた。満場の拍手の中、拳を突き上げながら退場する如空達は英雄だった。
前出の「ウォーターボーイズ」を借りたレンタルビデオ屋にはDVDのカバーに手書きのコメントが書かれてあった。「・・・・・・たかが文化祭の出し物にこんなに一生懸命になるなんて・・・・・」とあった。わかってないな、こいつは、と思う。野球をするなら甲子園を目指す、勉強するなら東大を目指す、テニスをするならウィンブルドンを目指す。それだけがドラマか。万人から評価されるものを目指さないと、それは意味のないことなのか。他人から「たかが」と言われ「それが何の役に立つ」「何の意味がある」と馬鹿にされるような様々なこと。その目指していることそのものには価値がないかもしれないが、目指している過程には意味がある。何かを目指して、それを手に入れるには何かが欠けていて、欠けているものを埋めるために、今まで出来なかったことが出来るようになるために、自分を変えようとする。そして自分を変えて、今まで出来なかったことが出来るようになって、目指していたものを手に入れる。その過程を経験すること自体に価値があるのだ、意味があるのだ。ただ、その価値に気づくのはそれからかなり時間がたってからである。

「花びら舞い散る 記憶舞い戻る」

知人の娘さんが大学受験を控えて工学部建築学科を目指しているという。先に建築の道を進んでいる如空にその知人から建築の大学について知っていることを教えてくれといわれて、知っていることをメールで伝えた。ただ、如空の学生時代より状況が変っていることもあろう。色々インターネットで検索して昨今の大学事情を調べた。そして驚いた。なんと如空の大学時代の恩師が、定年退官後とある私立大学に移り、今まで建築学科のなかった大学に建築学部を作り、その長におさまっているではないか。色々とその経緯は人づてに聞いてはいたが本当に実現するとは。「日本にバウハウス(史上有名なドイツのデザイン学校)みたいな学校を作りたいんやあ」と彼は言っていたが、還暦を過ぎてからその夢を実現するとは。老いてなお盛ん。その歳になっても自分の夢の実現に執着するその熱意には尊敬の念すら覚える。
もっと驚いたのは、その新設学部の助教授に如空の研究室時代の先輩が、そして講師に如空の研究室時代の後輩がそれぞれ就任していることだった。講師になった後輩は長らくオーバードクター(博士号を取ったにもかかわらず、大学に教授・助教授・講師等のポストの空きがなく、教職・研究職に就けずに肩書きのない学生の身分のままでいること)の時期を過ごしていた。もちろん如空の恩師が自分のコネを使って彼を引っ張ってきたわけだが、長らく不遇の時期を過ごした彼にようやく日の目が当たる。経緯など関係ない。運の良し悪しは順番で持ち回りだ。ようやく彼の番が回ってきたのだ。このチャンスを生かして欲しいと強く願う。
しかし、最大のサプライズはやはり研究室の先輩の助教授就任だった。彼女の成績は学年トップ、卒業設計でも学年の代表に選ばれる、まさに学年のトッププレーヤーだった。でも大学院修士課程を経て設計事務所に就職しようとするところで壁にぶつかった。どこを受けても落ちる、どこも彼女を取ってくれない。バブル崩壊直後の就職難に加えて女性が建築業界に就職する際の古臭い考えから来るハンディが彼女を仕事から遠ざけた。他にも就職に苦労している先輩は多々いたが、如空たちの研究室の担当教授は「卒業後の自分の道は自分で探せ」とあまり就職活動には手をかさなかった。しかし、さすがに彼女に関しては心配だったらしく方々手を尽くして、彼女に就職先を色々斡旋しようと努力した。しかし、彼女はなかなかとってもらえなかった。教授の大学時代の同期生に世界的に有名な建築家の事務所でNo2として働いている友人がいた。彼の計らいで、彼女は希望するならその事務所に就職できるようになった。しかし、彼女は悩んだ。なぜなら彼女はその建築家の作風をけして好きではなかったからだ。そんなある日、如空と如空と同じ研究室の同僚とその先輩とで学食でお昼ご飯を食べていた。先輩が突然如空に聞いてきた「如空君なら行く?あの事務所に。如空君なら受ける?この話。」と。如空は答えた。「持っている選択肢によるのじゃないですか。他に選べる就職先があるなら別ですけど、他には今ないわけでしょう。その事務所、入りたくても入れない人がいっぱいいるところですよ。そんな悪い選択肢じゃないとおもんですけど。」と如空は言った。如空の同僚も同じ意見を彼女にしていた。今思えばなんと無責任で無神経な発言をしてしまったことだろうか。工学部にあるとはいえ、その気質は技術者というより芸術家に近いのが建築学科計画系の面々である。自分が気に入らない作風の建築家に師事する事など耐え難い苦痛であったろうに、それを安易に薦めるなんて、なんとも彼女の気持ちを無視した無神経な言い様だったことか。「この不景気で皆苦労しているだから、贅沢言うなよ先輩。」とも言わんばかりのこの言いよう。一年後に自分が同じような苦しみを味わうときになって初めて、如空は先輩に対してとても失礼なことを言ってしまったことに気づいたが、気づいたときにはもう遅い。その後、それを詫びる機会もなく、今日に至っている。自責の念だけが未だに残っている。彼女はその後、悩んだ末、結局その高名な建築家の事務所に行き、それなりに仕事を担当させてもらい、雑誌に紹介されるような知名度の高い建築もスタッフとして手がけて結構活躍していた。先輩とは年に一度の年賀状のやり取りしかしなくなっていたが、今年の念頭にもらった年賀状に「この春に今の事務所をやめます。新しい環境で今までとは違う視点で建築にかかわってゆきたいと思います。」とあったので「ああ、先輩は大学に戻る気だな。」という予感がしたのだが、いきなり助教授就任とは驚いた。あの日の決断がけして間違いでなかったように、運に身を任せながらも、その運を自分の糧になるように、そういう人生であって欲しいと、先輩のために思う。
恩師も、先輩も、後輩も、初心を忘れずに自分の道を着実に進んでいる。その途中には人知れず困難が多々あったことだろう。それでも進んでいる。如空は前に進んでいるだろうか。

「花びら舞い散る 記憶舞い戻る」

3年前に六甲山の山腹にある土地に大規模なマンションを設計した。その現場監理をして一年間神戸に通った。現場の最寄り駅の近くに小さな喫茶店がある。その喫茶店でコーヒーを飲んでからその現場に行くのが如空の日課だった。そこにはとてもきれいなお嬢さんとその母親が経営している小さなカウンターだけのお店だった。お嬢さんがとても美人でその顔を見たかったことも通っていた理由だが、それ以上に如空の足をその店に向かわせたのはそのお嬢さんの話の内容だった。彼女は三人姉妹の真ん中、服飾関係の仕事について就職したが、あまりにハードな仕事に疲れて実家に帰ってきた。そして母親と二人で喫茶店を始めた。こったメニューは出さない。コーヒーとケーキとサンドイッチだけである。でも職人気質なのか、もともと料理が好きだったのか、コーヒーとケーキはやたらと色々勉強して玄人もうなるものを出す。両親とおじいちゃんと犬と姉と妹、それが家族。毎日毎日、何気ない日常が今の彼女の全て。でもそれがとても幸せそうだ。なにげない家族の日常をとても幸せそうに語る。それを聞いているのがとても心地よかった。あの当時唯一心が穏やかになる時間だった。あの当時、仕事では人生最悪の時期だった。体面ばかり気にして無茶な建築主の要求をそのまま飲んで部下に押し付けるとんでもない会社。プライドは高いが小心者で文句ばかりで問題を解決できない上司。お金が合わない状況と工期のない状況で設計事務所に救いを求めてくる施工業者。わがままなお客の無茶な要求をこちらに振り替えてくる営業。出来もしない要求を「やれ」とプレッシャーをかけてくる不動産業界。例の姉歯元建築士もこんな状況で押しつぶされそうになって犯罪に手を染めたのだろう。如空もまたプレッシャーに押しつぶされていた。犯罪にこそ手を染めなかったが、工期・性能・申請・値段とあらゆる面で解決不能と思われる問題を多々抱えた物件を前に完全にパンクしてパニックになっていた。血便が出て「痔になった」と思ったら血尿が出て心労が体を蝕み始めていることに気づいた。この設計事務所には健康診断が年二回ある、通常年一回の健康診断を年二回にしているのは過労死が続けて社員に起こったからだという。「このままここにいるとこの事務所の仕事に殺される」と思った。やめさせてくれと何度も嘆願したが「一度引き受けた仕事は最後までやれ」とやめさせてくれなかった。責任感も感じた。自分の設計した建物は設計者にとって自分の子供のようなものだ。色々な理由で様々問題を抱えてしまったそのマンション。このままでは問題を抱えたまま竣工してしまう。この建物だけ完成させて、そしてやめようと思った。解決できそうにない問題を一つ一つ解き解きながら一年後に竣工させた。死にそうで、逃げ出してしまいたい毎日だった。忙しくてテニスも殆ど出来ない一年間だった。そんな日常の中で唯一の救いがその喫茶店の親子の会話だったのだ。何気ない日常の風景がどれほど心の健康に大事であるかを思い知らされた。幸せな日常を過ごしている人のそばにいると自分まで幸せな気分になる。大きな目標を達成しようと努力していく過程だけでなく、小さな幸せを積み重ねて繰り返される日常も大切のものなのだと、やっとこの歳になって理解できたような気がする。
先日、神戸でテニスする機会があったので、その帰りにその喫茶店によった。色々とまた世間話をしていると彼女はテニスを始めようとしているという。聞いてみると中学時代、部活で軟式テニスをしていたらしい。「このスクールに通おうと思うのです。」と見せてくれたパンフレットはさっきまで如空がテニスをしていたコートだった。その後、テニスの魅力を懇々と如空が語ったのは言うまでもない。彼女の幸せな日常の中にテニスが加わってくれればこれほどうれしいことはない。

「花びら舞い散る 記憶舞い戻る」

彼が帰ってきた。如空に初めてシングルスに特化したレッスンをしてくれた如空と同じ歳のコーチが再び如空たちのシングルスの練習を担当することになった。予想通りのハードな練習が始まった。ベースラインからサイドステップで前に出る。ショートボールを打ち込み、続けて深いボールをサイドステップで下がって打ち、再び短いボールを打ち込み、また深いボールを打つために戻る。俗にスパニシッシュドリルと呼ばれる打ち込みの練習を6回1セットで延々と続ける。次に短いボールをまたサイドステップで回り込んで打ち込む3連打。これも延々と続く。それが終ると今度はサービスラインに移動式のネットを立てて、そのネットを越すように深いボールをクロスで打つ練習。足をしっかり踏ん張って構えてボールに体重を乗せて打たないとボールは二つのネットを越えてくれない。ボールの軌道を高くするだけではネットを越えてもベースラインの中に納まってくれない。二つのネットを越えてさらにベースラインの中に収めるためには「エッグボール」と呼ばれる勢いがあってなおかつライン際ですとんと落ちてくれるドライブショットが必要だ。手打ちでは二つのネットを越えてくれない。回転をかけなければラインにおさまってくれない。ただひたすらに深いボールをクロスに打つ、それがこんなに苦しいものだとは思わなかった。ただひたすら深いストロークを打つということが、こんなに体力を消耗することだとは気づかなかった。へとへとになって皆コートにへたり込み、順番待ちのわずかな時間で体力を回復しようとするが、回復しきれるはずもなく、心臓が歯をへし折って喉から飛び出てきそうになる、ボールを打ち返すだけの機械になった。
皆声が出なくなる。コーチの声だけが響く静けさのなか、突然如空の声が出始めた。打つときに「ヨイショおおお、ヨイショおおおお。」と叫びながら打つ。「如空さん元気ですねえ」と仲間が肩で息をしながら言う。元気なのではない。苦しいから声を無理やり出しているのだ。声を出さなければこんな苦しい練習耐えられるわけがない。そして思い出した。シングルスの練習を始めたころ、如空はストロークを打つときに声を出すタイプの選手だった。無意識に出ていた。苦しいハードヒットのラリーをするためにはそうしないとボールを続けて打てなかったのだ。喉が声で擦り切れるまで叫び続け、ボールを打ち続けた。それがいつの間にか声を出さなくなった。ハードヒットしなくなった。苦しくなる前にあきらめて苦しいラリーを続けようとしなくなっていたのだ。ボールに対する執着心、どんなボールでも走って、自分の打点に入って、しっかりと軸足の踵を踏んで、スイングをして、ボールをスイートスポットで捕らえて、威力のあるボールを相手コート深くに打つ。それがシングルスにおいて勝つための唯一の手段だ。であるのにそれをしなくなってしまっていた。小手先の技術に頼って、サボっていたのだ。声を出さなくてもついていける、楽なことをしているだけのテニスになっていたのだ。苦しいから声を出しながら打つ。この単純だが苦しい動作をひたすら繰り返すことで、昔の記憶が体感と共に蘇る。こういう練習をしなくなったから、こういうボールを打っていなかったから、いつの間にか勝てなくなっていたのだ。
最後はゲーム形式。サイドラインから反対側のサイドラインにめがけて球だしされたボールを追いかけ、それを打ち返してからのポイント取り合い。最初の球出しのボールに追いつくだけで皆精一杯である。練習が終った。「ありがとうございました」の掛け声と共にみなコートにへたり込んだ。
アキレス腱が痛い、ふくらはぎが痛い、太ももの内側が痛い、腹筋が痛い。汗でシャツがびしょびしょになって肌にへばりついて気持ち悪い。汗が目に入って見えにくい。巻いたばかりのラケットのオーバーグリップが今日一日でぼろぼろになった。オムニコートの砂が足にへばりついて、靴の中に山を感じるくらいに入り込んでいる。激しい呼吸をしたために喉の奥の肺の辺りが痛い。声を出しすぎて喉が擦り切れそうだ。
懐かしい痛みだ。こういう苦しい練習をしなくては深くて威力のあるボールを打てはしない。深くて威力のあるボールを打てなければシングルスでは勝てない。忘れていた大事なことが思い出せた。コーチが思い出させてくれたのだ。
「来週から人数減るかもしれない。」とロッカールームで古くからの仲間が言う。「体力的に厳しすぎるってクレームを付けているやつがいる。前のコーチと方針が違いすぎるって。新しいコーチのやり方だとついていけないって。同じ練習を続けるならやめるって言っている。」
「俺はついていくぜ」とすかさず如空は言う。
「言うまでもないことだ。」と仲間は当然のごとくその言葉を受けた。
週末にしかテニスをしないプレーヤーにとってここまでハードな練習をするべきかどうかは意見の分かれるところだろう。ハードヒットのストロークだけがテニスではない。歳を取れば体力も落ちるし、練習時間を取ること自体が難しい。少ない時間でなおかつ趣味とし楽しみながらプレーするなら、ダブルス主体の、もっと違うテニスを目指したほうが良い。しかし、如空はハードヒットのストロークをしたいからシングルスを優先してテニスしているのだ。そのためには、喉が擦り切れ足腰が立てなくなるような練習が必要だというなら、この体がもつ限りついていく。如空がやりたいと思うテニスを実現するための練習がある。如空がやりたいと思うテニスを教えてくれるコーチがいる。同じ方向を向いてテニスする仲間がいる。忘れかけていた感覚と忘れていた思いを思い出させてくれる人たちがいる。忘れていた記憶が蘇る。こんなに幸せなことはない。

4月が終わり5月が来る。ケツメイシの「サクラ」は再びランキング圏外に落ちていき、葉桜から花びらは完全に消えた。替わって常緑の植栽の濃い緑の上層に新芽の薄い黄緑色の層が出来始めた。思い出された記憶が如空にどう影響を与えていくのか、それは五月晴れの空だけが知っている。

「花びら舞い散る 記憶舞い戻る
花びら舞い散る」

テニスどころではないのだけど・・・

土曜日は大きな仕事がいきなり入ってテニスどころではなかった。夜にテニス仲間と忘年会の予定であったが、結局参加できなかった。
日曜日の朝は友人がマンションを購入し、いよいよ完成、来年引渡しで、日曜日に内覧会(客に購入したマンションを見せて完成検査をしてもらう会)があり、その内覧会の立会いを頼まれ、テニスどころではなかった。姉歯元建築士などが引き起こした「耐震構造偽装事件」のおかげで、マンション購入者の方々に必要以上の不信・心配が蔓延している。仕事中は「一級建築士」として建築の設計に携わっている如空の周りにもこの事件の余波が襲ってきている。如空は建物全体のプランニングとディテールの設計が担当で構造設計は専門ではない。で、直接には影響がないのだが、それでも昔如空が設計したマンションのオーナーが「うちは大丈夫か」といきなり電話をかけてきたりする。今日の内覧会も、マンションが完成してから耐震性や配筋量のチェックなど内覧会の会場では出来ないので、あまり力にはなれないのが、それでも如空がマンションを設計して完成検査をするときにする手順で一通りチェックしてあげるだけで友人は安心するらしい。世間相場ではマンションの内覧会で建築士や設計事務所の第三者チェックを受けると日当3万円ほど取られるらしいが、友人なのでお金を請求するわけにも行かず、昼飯をおごってもらうだけで手を打った。
日曜日の昼からは強風でテニスどころではなかった。今日のシングルスの試合、予選3-6 0-6で敗退。風でトスはそれるは、ボールは止まるではで、ばたばたして泥仕合になった。それでも先に如空がミスしているので負けるのである。条件は相手も同じはず、もっとつなぎのショットを安定させなければ。如空を団子(0-6)で負かしたのは高校三年生。気持ちのいいハードヒッターで、強風をものともせずに強打で如空からウィナーをもぎ取って6ゲームを取りきった。あんな強くて若い奴、こんな初中級レベルの大会に出すなよ、とぼやきながらコンソレーションに移った。
4ゲーム先取のコンソレーション初戦はシコラー、強風の中で粘られると勢いのないボールが左右にぶれるのでまあ、打ちにくいこと、それでもフォアの回り込みをいくつかウィナーで決めて、際どく4-3で勝った。
コンソレ二戦目はジュニアの強化チームにいるという中学生、そんな奴大人の初中級の試合に出すなよ、とまたぼやきながら15歳の少年のかませ犬となる。男子のジュニアに多い典型的なビックサーブとグリグリトップスピンのフォアが武器の男の子。ミスも多いがウィナーも多い。2-2まで粘ったがそこから一気にたたみかけられて2-4で敗退した。

強風でも相手はミスしない。如空は少しボールを待ちすぎるのだろうか。どうも風の日は人よりミスが多くなる。どんな状況でも淡々とテニスをしていけるようになりたいものだ。

修行は続く。

日焼け禁止令

昨日、シングルスの練習が終わり帰宅しようとしたところで同じサークルのおばちゃんたちにつかまってしまった。天気が悪いので、駅まで車で送れという。
今日はNHKの大河ドラマ「義経」が壇ノ浦の決戦の回なので早く帰ってTVを見たい。寄り道するのはやだ。といったのが、
「数時間後にBSで同じのやるやん。それ見れば。」
「このカーナビ、TV見られるやつやろぅ。車の中で見ぃや。」
「大河ドラマを見ているなんて如空さんジジくさいわぁ。」
といって、こちらの制止も聞かずに勝手に車に乗り込んできた。
大阪のおばちゃんたちはこれだからもう・・・・・
仕方なく、おばちゃんたちのアッシーとなり、自宅とは反対方向の駅に車を走らせる。
車中、同じサークルのメンバーで如空と同じ歳の女性の話になった。

彼女、最近コートに出てこないけどどうかしたの?
「知らへんの?彼女、結婚するんよ!」
へー、知らなかった、何時?
「お式は来年の一月やて。」
へー、で、結婚準備で忙しくて週末はテニスも出来ないというわけですか?
「それがちゃうねん。ナイターは出てきてんねん。太陽の当たるところにだけ出てこうへんねん。」
何で?
「日焼け禁止令が発令されてん。」
日焼け禁止令?
「そやねん。それがなぁ、この間ウエディングドレスを選びに行って、メイクの打ち合わせもしに行ったんやて。そこで『こんなに日に焼けていたらメイクできません。日に焼けないようにしてください。そして日焼けが引いてからきてください』って言われて帰されたんやって。」
な、なんじゃそれ。別に黒人だって白いウェディングドレスを着るだろうに、何で肌の色が関係するのさ。
「知らんがな。日本人は美白志向やからやろう。」
日に焼くのがいやなら、別にインドアでテニスできるじゃん。
「インドアのコートには仲間がおらへんやろぉ。みんなでテニスして、その後みんなでスーパー銭湯のお風呂に行って、みんなでご飯行って、そしてみんなでお茶してだべっているのが楽しいねやんか。」
俺は一人でサーブの練習しても楽しい。
「それは如空さんがおかしいねん。」
・・・・・・俺っておかしかったんだ・・・・・・
「でもな、みんなで言ってんねん。半年間も楽しい仲間達との集まりから離れてなあ、それがたった一度の結婚式のためにやてあほらしいなあって。だって、式の数日後には新婚旅行で南の島に行って、そこでまたガンガンに日に焼くわけやで。せっかく美白肌作っても意味ないやん。」
「子供ができたらいやでも一年近くテニス出来なくなるのになあ。」
「でも、それが結婚式ってもんちゃう。『一生でたった一度きりのことですから』って言われてあれもこれもぜんぶやらなあかんって気になってしまうねんて。」

女でなく男に生まれて本当に良かった。
ハンドルを握る自分の腕の焼けた肌を見てそう思った。

修行(?)は続く

OVER...

この冬、あだち充原作の野球漫画「H2」がTVドラマ化されていましたね。忙しくて見る時間はなかったのだけど、というより原作が好きで良く知っているだけに、ドラマを見て失望したくないのであえて見ませんでしたが・・・・あのドラマの主題歌だった「OVER...」という曲、いいですねぇ・・・。「K」という韓国人が歌っているらしいのですが、歌詞がなかせます。曲が切ないです。

「何もしない後悔より・・・・・・いっそ打たれていたい。」

これ恋愛を語っている詩なのですが、なぜかシングルスの試合で負けて終わった後、これを聞くと胸に染みます。大事なところで思い切れなかったプレーが脳裏をよぎります。守りに入って、だけど最後にはミスして終わるくらいなら、とてつもなく強い相手にぼこぼこにやっつけられたほうがまだいい。そんなことを思うとき、この詩が身にしみます。それは自分の未熟さをごまかして精神的に逃げているだけなのですが、それを克服できるほど、人は強くなれないものです。まして趣味でテニスをしている週末プレーヤーなら。

「明日は強くなれるかな、今日の僕よりも」

だんだんへたくそになって来ているのではないかと、負けるたびに思います。でも、それでもやめられない。次はもう少し上手くなっているはず、いつかは強くなるはずと信じてまたコートに向かいます。それがテニスにはまった人たちの宿命なのでしょう。

空の如く

とある人から私のHN(ハンドルネーム)である「河内房如空」の由来について聞かれた。よく考えたらプロフィールにもそのことには触れていなかった。別に大層な意味があるわけではない。

 

HPの名前を「テニスのお寺 電脳網庭球寺」としたことでやはり管理人の名前は坊さんのような名前がよいと勝手に考えたことが始まり。平家物語に出てくる「武蔵坊弁慶」や「常陸坊海尊」のような平安末期の天台宗系の僧の名前のスタイルにした。単にその方が格好良さそうだったからである。

「河内房」というのは私が大阪府の河内の国出身であることにちなんでつけた。

 

「如空」という名の僧は歴史上、有名なところで3人ほどいるらしい。一番有名なのは真言宗密教の開祖弘法大使空海で、空海は生涯何度か名を変えている。幼名は真魚、その後、無空、教海、如空と名を変遷し最後に空海となったと伝えられる。そのほか浄土宗鎮西歴代の如空、石山本願寺一向宗の中興の祖蓮如の第十一子如空、など日本の仏教史上、高名な僧の名として知られているらしい。

 

しかし、そんなことは「如空」の名をHNに使うようになるまで知らなかった。知らずに私が勝手につけた。意味は読んで字のごとく、「空の如き」という意味である。コートの上で、「無の境地」に至れるようにという願いが込められている。子供の頃見た時代劇TVドラマ「影の軍団」で千葉真一演じる主人公、伊賀の服部半蔵が各話の最後、相手のボスキャラと対決するとき、「わが身既に鉄なり、わが心既に空なり、天魔覆滅」という決め台詞を決めてから斬り合いに入る。それが子供心にとてつもなくカッコ良く、映像と台詞が鮮明に残っている。戦いに臨む直前は半蔵のごとくクールにクレバーに、冷静沈着にして大胆不敵、「無の境地」に心を至らせて戦いに臨むものだと信じていいた。余計な事は考えない、目の前の一ポイント、一プレイにのみ集中する。過去も未来も関係ない、今そこにある一プレイに集中する。まさにその心は「空の如くあれ」である。

いまだにそんな境地には遼に及ばない。完全に名前負けしている。「如空」でなく「遼空」の方が今は似合っている。如空になれる日はいつおとづれるのか。

 

修行は続く。

3日空けるなといわれても

仕事が超多忙モードに突入。先週昼食を取れたのは一日だけ。2日徹夜した。仮眠なしの完徹である。30過ぎたこの老体にはきつい。金曜日深夜にようやく仕事の目処が付き、この3連休は休める。しかし、この状況は多少の波こそあれ来年の秋まで一年間続くことだろう。このことにより如空が平日の夜にテニスをすることはほとんど絶望的な状況になった。

色々なコーチに師事したが皆共通して口にすることは「うまくなりたかったら週に2回はテニスをしろ」と言う事だった。週2回といっても週末の土日に2回という意味ではない。週末と週半ば、つまり「テニスの練習を3日以上あけるな、4日に一度はテニスをしろ」という意味である。週に一回では先週身につけたことが次の週には忘れてしまう。これでは上達は見込めない。前回の練習の内容を体が覚えている間に次の練習をしなければ積み重ねが出来ないのだ。週一の練習では貯金しては使い、貯金しては使いで全然お金がたまらない状況とよく似ている。成果を貯めこんでいくには週に2回はテニスをして3日以上空けてはならない。しかし、働き盛りの男に平日テニスをする時間を作ることは至難の業だ。世は不景気らしいが、仕事は相変わらず忙しい。毎日終電近くまで仕事をし、忙しいときは週末も仕事をしている。そんな状況で「上達したければ3日以上あけるな」といわれても困るのである。

一昨年の夏から去年の年末にかけて恐ろしくハードな時期が続き、大会にエントリーしても休日出勤で欠場したり、仕事のために寝不足になり合宿に行っても寝てしまい練習にならなかったりしてストレスのたまる日が続いていた。テニスをしていても仕事のことが頭の隅に引っかかって忘れなれないのだ。これではテニスに集中できない。
如空は今年に入ってから仕事を大幅にセーブして、テニス優先の生活スケジュールを組んできた。収入も減るが自由になる時間が増える。週末だけでなく平日の夜でもテニスが出来る。週に複数回テニスすることで、確かにテニスは安定した。前回の練習で身につけたことを体が覚えているので新しいことにチャレンジしていこうという気になる。上達した部分もある。試合にもいっぱい参加した。テニスのHPも作った。ケーブルTVも加入し、WOWWOWやGAORAでテニス中継も存分に見ることが出来た。JOP大会やジュニアの大会も生で観戦できた。テニスのことを最優先にして生活することが出来た。とても幸せな半年間だった。

しかし、テニスで食べていくことは出来ない。いつまでも楽しい休暇は続かない。モラトリアムにはいつか終わりが来る。9月に入って大きな仕事を入れた。またハードな日々が始まった。平日どころか週末もテニス出来ないときがあるかもしれない。しかし、この半年で充電は充分にした。精神的余裕を持って大きな仕事に立ち向かえる。
20台は仕事にのみ打ち込んだ。仕事に全ての時間をつぎ込んでいた。29歳の時にテニスに出会った。それからは仕事のほかに大事なものがもう一つ、テニスというものが出来た。今は大事なものが二つある。一つだけだとそれがうまくいかないと人生そのものが落ち込んでしまうが、二つあるとうまく切り替えられる。テニスをしているときの自分は仕事をしているときとは違う、もう一人の自分になれる。

これからも出来る限り時間を有効に使ってテニスをしていこう。週末に一時間しかテニスが出来なくなったっていいじゃないか。ほとんどの社会人がそんな状況でテニスをしているのだ。それを上達できない言い訳にしてはいけない。この半年間の経験も無駄にはならないだろう。
更なる上達を目指してみよう。

小さな奇跡

中学でも高校でも、1500m走で早い連中はバスケ部かテニス部だった。野球部でもサッカー部でもラグビー部でもなくバスケとテニスだった。如空の学校だけのことかと思ったが、周囲に聞いてみると他でもそういう学校が結構あった。この前パンクを修理してもらったバイク屋のオヤジもそういっていた。テニスはそれだけしんどいスポーツだということだ。とにかくコート中を走り回らなければならない。

テニスでは、ボールがネットを越してコート内に入れなければならない。このことがテニスをとても難しくしている。真っ直ぐに飛ばせない、遠くに飛ばせない、思いっ切り打てない。回転をかけてボールをコントロールしなければならない。ゴルフの打ち放しや野球のバッティングのようなカルタシスを感じることはない。

テニスは、試合が出来るようになるまでに時間のかかるスポーツだ。サーブ・リターン・ストローク・ボレーを一通り出来ないと試合にならない。フォアハンドだけでラリーが出来るようになるのにも一回や二回テニスをしただけではうまくいかない。ましてやサーブやスマッシュなどのオーベーヘッドスイングショットは習得がとても難しい。スクールに数年通っても打てない人もいる。

ゲームとセットを取るためにはポイントを積み重ねなければならない。相手と2ポイント以上離して4ポイント以上獲得なければゲームが取れないし、2ゲーム以上離して6ないし7ゲーム取らなければならない。タイブレークになっても2ポイント以上離して7ゲーム以上を取らなければならない。そして、テニスはミスが即失点になるスポーツだ。リードしてから逃げ切ることは出来ない。ポイントを守るだけでも駄目だし、タイムアップもない。勝利に必要なポイントをとりきることが必要だ。それだけに、テニスは自滅が起こりやすいスポーツだ。

70年代〜80年代に青春を過した人たちは、テニスをしているというと「女の子がいっぱいいるでしょう」という。しかし現代、コートに若い女の子とはほとんどいない。今時日の当たるところに女の子は出てこないのだ。ならインドアコートにいるかというとそうではない。テニスは流行じゃないし、何せしんどいしストレスがたまる。女の子がいないので、出会いを求める若い男の子もいない。コートはゴルフやカラオケボックスのような社交場でなく、男女ともテニスオタクたちの修行の場になっている。

テニスは対戦スポーツだ。相手を必要とする。そして一球ごとに相手とボールを打ち合うスポーツだ。それだけに、テニスを楽しむためには相手側にもある程度の技量を必要とする。技量に差がありすぎるとテニスにならない。そして男と女、若者と老人ではプレイスタイルがかなり違う。違うタイプの相手とのテニスはなかなかかみ合わない。テニスは老若男女誰でも楽しめるスポーツだが、老若男女誰でも楽しめるスポーツではない。

テニスは孤独なスポーツだ。一人で黙々とプレイする。だから常に自分の気持ちを言葉に出さないと気がすまない人、常に人とコミュニケーションをとっていたい人には不向きなスポーツだ。ダブルスはコンビプレーだがペアとプレイ中目を合わせる事はないし、試合中の会話も作戦意図の確認であったりして所謂コミュニケーションというわけでない。一度自信を失い、落ち込んだ人を救うことは難しく、ペアは無力だ。落ち込んだ人は自力で復活するしかないのだ。テニスは厳しい。

草野球・草ラグビー・草サッカー・ママさんバレー、どれも試合では審判が付くのに草テニスではほとんどがセルフジャッジで行う。テニスをしている人で、生涯一度も審判付きの試合をしたことがないという人がほとんどではないだろうか。プレイだけでなく審判もしなくてはならない。このことが初心者には試合を憂鬱にさせる。

大人になってからテニスを始めた人が、テニスを好きになり、テニスを面白さに目覚め、テニスを続けるようになるのは非常に難しいことだ。ほとんど奇跡に近い。
如空はそんな奇跡の一つだ。とても小さな奇跡だが、そんな小さな奇跡をもっと増やすべく、この奇跡を伝えていこう。

事業としての草トーナメント運営

如空はいくつかのテニスサークルに入っているが、その内、試合主体のサークルの幹事を今年と来年の2年間務めなければならない。これは順番だ。
そのサークルが所属しているテニス大会を運営している連盟組織の幹事会に先日出席した。
その連盟は40チームほどが加盟しており、加盟者主体にテニス大会を自主運営している。
そこで議論されていたのはやはりというべきか、財政問題である。

連盟に参加するときには入会費、連盟構成員は年会費をそれぞれ支払う。そして試合に参加するときは試合参加費をまた支払う。試合は一試合4000円、ダブルスなら一人2000円だ。これが主な収入源。
一大会かかる経費はコート代とボール代。このコート代がべらぼうに高い。結果、各大会では試合参加費×参加者の収入だけでは支出に足らず、年間を通して会員の年会費と新規会員の入会費を入れてようやく、収支が0になるらしい。

しかも、ここ数年、試合参加者が減り、数年前まで数十万円の黒字(翌年に繰り越す)だったのが、ほとんど数万円の黒字まで落ち込んでいる。しかもそれは有力者の寄付もあっての話で、実質は赤字になっているらしい。

赤字脱却の策として主婦を対象とした平日の女子ダブルス大会を開催が検討されていた。平日は日曜日のコート代の半額なので、利益が見込まれる、それを日曜日の大会の赤字補填に当てようという案である。参加費を3000円くらいにして日曜日の大会より安くすれば、参加者にもメリットがある。しかし、男性の大会に比べて女性の大会が多くなり、アンバランスにならないか、等々、議論は果てしなく続いた。

如空なりに思うのはテニスを始める人の人口が減っていることを憂う。「テニスの王子様」や「エースをねらえ」のおかげでジュニア層には一定の人口増加が見込まれているが、社会人層は逆に減少している。テニスをしている人は10年選手、20年選手ばかりで、大人になってからテニスを始める人がほとんどいない。一方で、体力の限界、あるいは仕事上の都合、家庭上の都合でテニスを止めていく人は常にいる。結果、社会人テニスの人口は減っていく。

どうすれば大人たちにテニスを始めてもらうことが出来るのだろう。ここが大きなポイントだが、決定的な解決策などあろうはずもない。苦しい中、ほとんどボランティアに近い状況で大会を運営してくださる方々には本当に頭が下がる思いだ。

青が散る

「光と影のなかでぇ〜、腕を組んでいるぅ〜」と松田聖子の「蒼いフォトグラフ」を聞いてTVドラマの「青が散る」を思い出す人は多いだろう。ドラマのファンサイトがあるくらい根強い人気がある。1983年の秋にTBS系列でこのドラマが放送されたとき如空は中学生だった。ドラマを見て、さらに図書館で原作を借りて読んで感動した覚えがある。
原作を読むかドラマを見た人は知っているだろが、物語は新設大学で主人公椎名燎平(ドラマでは石黒賢が演じた)がテニス部設立に引き込まれ、キャプテン金子と共にコート作りからはじめる青春ドラマで、ドラマはどちらかというと恋愛模様と友人関係に重点がおかれていたが、原作の小説は濃厚なテニスドラマである。原作者宮本輝氏が大学時代現役のテニス選手だった経験がとてもリアルにテニスを描写している。子供心に「テニスって精神力が問われるスポーツなんだな」と感じたものだが、まさかその15年後に自らがテニスを始めるとは思っていなかった。

テニスをするようになってから読んでみると共感すると共に大変勉強に部分が多々あり、改めて感動してしまう。未読の方はぜひご一読あれ。
なお、小説「青が散る」のテニス場面を如空が研究した「青が散る テニス名場面集」を庭球寺の経蔵にアップしたのでこちらもぜひご覧ください。

個性

「ダブルスというのはセオリーに支配されていますから、どちらかというと個性が出にくいものです。それに対してシングルスはプレーヤーの個性がモロに出ます。武器・プレースタイル・戦術・性格・メンタル、全て人によって違います。自分の個性をよく知り、それを生かす方法を考えて、実践してください。」
シングルスを指導してくれていたコーチの最後の言葉である。

如空の個性は何だろう。サーブが強いわけでもない。ネットプレイが上手なわけでもない。消去法でベースライン上のストローカーになっている。上達してくればフォアよりバックハンドのほうが安定すると言われるが、テニスを始めて5年たってもバックは安定しない。いまだにフォアハンド頼みのストローカー。個性のかけらもありゃしない。シングルスで中々勝てないわけだ。なにか武器が欲しい。苦しいときでも頼みなる武器が。これこそが今の私の課題かもしれない。

日曜日はシングルスのコーチの最後のレッスンだった。彼は私と同い年。他所のスクールで今度はヘッドコーチとして赴任する。栄転だ。これで、テニスを始めた5年前から続けて習ったコーチは一人もいなくなった。皆、変わっていく。如空だけが変わらない、相変わらずのテニスだ。少し取り残された気がする。

来月から如空の職場環境が変わる。8月からは今までのように平日の夜にテニスをすることは難しくなりそうだ。私も変わらなければならない。色々と考えさせられる6月の夜である。

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