世界 状況 けものみち

映画監督 高橋明大 の日々の記録 。

たましいのゆくえ

▶ Information
 
CO2 in TOKYO'09 7日目レポート at HOGAHOLIC
インタビュー at 映画芸術
インタビュー at webDICE
『 ある光 』評 at web-conte.com
『 最後の怪獣 』評 at web-conte.com
『 最後の怪獣 』評 at DOOM!
 
『 ある光 』
 


『 最後の怪獣 』
 

 

▶ 某日、木村文洋監督&桑原広孝Pにちょっとした相談事。とはいえ、酒席を囲みつつ
ラフにということで、途中から吉岡睦雄さんも交えて。
吉岡さんからの容赦ないツッコミに、甲高い声でヒィヒィたじろいでいる木村君を笑って
(失礼)見ていてしまったけど、いや、木村君は愛されているなあ。
team JUDAS(チーム・ユダ)の皆さん、ありがとうございました。
マンモス勉強になりました(しかし…もろもろ大変だ!)。
そんなきむやんの開設したblog『 A Pluralistic Universe 』はこちら
 
また某日、松永大輔のさそいでお邪魔した戸田昌宏さん主催の宴席においては、ロサでは
諸事情により御挨拶に伺えずじまいだった(楽屋に次々と缶ビールが運び込まれていくの
を見て恐れをなしたのであった)斉藤陽一郎さんと、朝までマンモス語り合うことが出来
たのであった(学生時代からずっと "スクリーンの中のあのひと" なのであった)。
そもそも先日のオールナイト企画のテーマというのは、青山真治監督作品における斉藤陽
一郎さんをジャン=ピエール・レオになぞらえて、というものだったわけで、そうなると
こちらとしては、奇しくも(というか、さそってくれたわけだが)その場にいた松永大輔
と、足立智充のことについて、特に思いをはせざるを得ないのであった。
先の拙作の撮影現場では役者兼車両部として、さらにはロケ地の手配から子役のおもり、
上映にあたっての集客にいたるまで、八面六臂の活躍をしてくれた松永大輔と、先日酒席
を囲んだ折には「高橋、気をつけろ、三十過ぎたら人は(割と)死ぬぞ」と言いながら、
他人の煙草一本一本に延々爪楊枝を差し込んでいた(その直前、彼のはいていたハーパン
の柄を茶化したことへのリベンジだったのか…)足立智充とは、いつのまにやら10年来
のつき合いなのであった。
きっとお互いに胸をはれているということが一番の幸福で、そのためにこそお互い頑張ろ
うと、もう10年後に実現させるべきはきっとそういう光景だろうと、心からそう思うの
であった。
 
 
▶ ふと通りがかった杉並区役所前にて、「つくる会」教科書採択阻止 vs「愛国心」をも
う一度、のシュプレヒコール合戦。
 
以下はどうしようもない大雑把な雑感にすぎないけど、反体制/反権力なだけで国家解体
後の対案(この/今の日本における革命後の具体的ビジョン)の無い左にもただ単にもっ
かい国家を刷り込みなおしましょうという右にもノれない(まあ右とか左ってのも…)。
 
大いなる反省から「脱国家(主義)」が志向される過程で一応の物語としてすえられたの
が「富」の追求だったとして、でもその「富」が落ち込んでみたらなんでもないただのレ
ジャーランド化した国土だけが残りました、代わりになにか文化的な豊穣さみたいなもの
を一時的にとはいえ手にした「富」の恩恵から作り出せてりゃまだよかったんですけど、
次世代のためのインフラ整備というよりは豪遊することに「富」を使っちゃったんで結局
シーンもなにも残ってません、要するに空っぽになってしまいました、どうしましょう、
次は何を目指しましょう?「もともと」強靱な一神教に裏打ちされた社会ではなく、そこ
はかとない伝聞だけで奇跡的に回っていたにすぎないわたしたちにとっての、じゃあサク
セスって一体なんなんでしょうかね?
…ってのがとあるマクロな空虚さの一例としてあるとして(もちろん世界や/細部はその
ような空虚さとは無縁の輝きで溢れている)きっとあまり前例がないんだろう。そういう
意味では人類史上初/世界最先端の空虚さに向き合ってしまっていると言えるのか。
 
まあ、いい加減馬鹿をさらしているだけのような気がしてきたので、もうよす。
…ただ、そういうときこそ身近な細部のことをじっくり考えることが大事だ、と思う。
全体を俯瞰してみても(出来ているかどうかはともかく)引き裂かれて疲弊するだけだ。
(故に「趣味の世界」化はすすむのだけど)。
自分の手の届く範囲、自前の小さな共同体、そこからはじめるしかないのだ。
 

(関係ないけど)椎名嬢『ありあまる富』のアントニオー二『砂丘』的PV↓
 
 

 
  
▶ 当時リアルタイム(高校生?)で目の当たりにし、ガツーンときたまま再び観る機会
を得なかった映像を、何故かここにきて

みつけたっ!!!

アーカイヴ社会、おそるべし。どんととあともう一人誰だったっけなーと思ったら友部正
人だった。《イージー・ア・ゴーゴー》な。当時のこの手の音楽番組はホント面白かった
気がする、《モグラネグラ》とか。

しかしまああれだ、どんとももうこの世にはいないのだな…。

…いやあダメだダメだ、死んだひとのことばっかり考えてちゃ!
 
「死んだひとのことは忘れましょう」って、あのひとも言っていたじゃないか。
「我々はロメロをこそ目指すべきなのだ」って。
「よみがえり歩き出す死者か、(生きている)人間を描こう」って。
 
 

 

耳をすまして、つきとめよう

 
▶ 更新の滞りに度々お叱りを受けたこの一ヶ月、刺激的な作品を多々目の当たりにして
頭クラクラ/玉の汗なのだった。
 
特に直近の或る夜のならず者たち@池袋シネマ・ロサでは、件のスニークプレビューは勿
論のこと、数年振りの『軒下のならずものたち』、眼からウロコの『麻薬3号』、初スク
リーンの『出発』に陶酔し、さらに明けて翌日、渋谷アップリンクでの生演奏付き『ホッ
テントットエプロン〜スケッチ〜』に深く、深く思い至ってからユーロスペースでの映画
美学校セレクションを経て、七里圭監督・水藤友基監督・映画芸術平澤氏・紅一点Mさん
と囲んだ酒席では、大変有意義な時間を過ごさせていただいた。
また、さとやん(佐藤央氏)の美学校時代の修了作品『女たち』には、まったくもってそ
のとおりだと赤くなるまで膝を連打してしまった某誌における濱口竜介氏との対談も併せ
て、その孤高の志にこちらの身も引き締まる思いだった。
 
そんな中、先月30日には、吉祥寺スターパインズカフェにて奇跡のようなライヴを目撃
したのだった。
 
 
▶ 以前、自分の映画のエンディングにかかる曲を、とある友人の歌手に作ってほしいと
お願いしたことがあった。当時自分が住んでいた吉祥寺の家で簡単な(まだ完成一歩手前
の映画の)試写をやり、さてどうしようかとなったところで、たまたまCDを持ってきて
くれていた彼女の新曲というのがあまりにもよかったので、すぐにお願いして、その曲を
映画につかわせてもらうことになった。
『雲』というタイトルだった。
帰りしな、「とりあえず100万円なんだ」と彼女はいった。
「自分はおそくに出来た子供で、両親ともにいい年だから、だから売れたい。
 はやく売れて、それで、100万円ほしいんだ」。
妙に清々しくて、笑ってしまった。
そんな彼女が、吉祥寺でワンマンライブをやるというので、観にいった。
彼女は、多くの機材で手狭になったステージの真ん中で、クルクルと回っていた。
「いけ、もうすぐだ、もうすぐ100万円だ」。
そう思いながら、ステージの真ん中でところ狭しと舞う/歌う彼女を観ていた。
 
 
▶ 女たち/二人目。
うだるような暑さに炭酸飲料を買って帰宅したところ、母親に見つかってねだられた。
ロング缶の半分をゲットした彼女は、注いだグラスに少しの焼酎と氷を混ぜて、チビチビ
やりつつ自分の手のひらをまじまじと見はじめた。
障害をもったお子さんたちと接する仕事を彼女はしていて、その業務のせいか指の関節が
少しいたんで、最近太くなってきたのだという。しかし、そうやって子供と接する仕事に
就くのが長年の彼女の夢で、もう指輪の似合うような手ではなくなったけども、
「 我ながら綺麗な手だ 」と、酔っ払った彼女はいった。
「 これは、夢の叶った手だ 」と。
そっぽを向いてTVを観ながら、その手を引いて、今すぐ出かけて、大勢の人間に見せに
いきたい、と思った。
「 見てくださいこの手を。夢は叶ったんです 」。
この手を見せたい、ということと、映画をつくって観てもらいたい、ということは、よく
似ているような気がした。
 
 
▶ 批評家の東浩紀は、かつてこう語った。
 
 僕としてはもう撤退戦に撤退戦を重ねて、目標としては、思想みたいなものが存在
  するってことを世の中にどういう風にプレゼンテーションするか、ってところまで
  撤退してしまっているので、思想によってなにをやるっていうレベルにいってない
  わけです。
  人文系の本屋の棚にしても、昔の海外思想家の名前ってのは十年間ほとんど変わっ
  てないわけだし、そこには(シーンも)なにもないの、ほんとに。だから、思想と
  いうシーンがあるということ、そのものを立ち上げるってことが今は大事なので、
  もはや思想によってなにをするってのは二番目の目標ですよ。そういうリアリティ
  の中で僕は仕事をしているのであって、そこには理念もなにもないんですよ。
  そう(シーン云々)じゃなくても(思想書が)出ると思ってるのは、良心のある出
  版社の良心のある編集者が思想書とか出してくれるとか思ってるわけですよ、皆。
  それは結構ですけど、じゃあその良心のある編集者はどうやって育ったんですか?
  これから十年後に思想に興味のある編集者っていうのは、誰が育てるんですか?
  今、思想書がなきゃ、そいつらも育たないでしょ?
  シーンをつくるってことだけが、今、すごく重要なんですよ。
 」
 
一言一句正確な引用ではないという点はご容赦いただきたいが、ここで語られている思想
/思想書/編集者というフレーズには、おそらくさまざまな語句が代入可能だろう。
 
意図してシーン(状況/転じて、活況)をつくる、ということは、全体性/公共性を意識
する、ということで、ここでいう全体性/公共性とは、とある内向した世界=趣味の世界
を、より大きな世界(まさに全体)に向けてひらく志向、ということだと思うが、ひとつ
現在的な困難としてあるのは、そもそもその【全体】なるものが今や存在するのかどうか
あやふやだということで、ことによるとその【全体】を形成しているのは結局はいくつも
の相互不干渉な趣味の世界の束でしかなく、【全体】というよりはむしろ【群体】でしか
ないその【あらゆる趣味の世界】もしくは【別の趣味の世界】に向けて、こちらの趣味の
世界を開示するというそのささやかな【紹介】は、果たして全体性を志向する行為だと呼
べるのかどうか(果たして全体性など意識しようがあるのか)。
しかし、より大きな世界に向けてひらくという、その志向の結果が【美男/美女】だけで
は目の保養にしかならないし、【解りやすい】ものとだけ寄り添うには人生は長すぎる。
 
だから、戦略が必要だ。
戦略を実行にうつすノウハウと、行動をいとわない仲間が必要だ。
 
  
▶ 俳優の山田辰夫さんがお亡くなりになりました。
昨年、助監督としてついた現場で、大変お世話になりました。
お芝居を傍で見させていただいて、多くのことを学ばせていただきました。
 
心よりご冥福をお祈り申し上げます。
 

 

はたらくひとになりたくて

 
▶ こちらでもお気遣いいただいておりますとおり、CO2につづいて池袋シネマ・ロサ
にて開催されておりました水戸短編映像祭セレクションも無事閉幕ということで、楽日の
宴席に参加したまでは良かったのですが、高揚していたメンタルとは裏腹にフィジカルは
やはりへとへとになっていたらしく、散々悪酔いした末に翌日は丸一日かけて吐き倒すと
いう体たらくで、しかも断片的にしか記憶がないものですから、調子に乗って関係諸氏に
小生意気な口をききやしなかったかと、布団にくるまって脅えて暮らす毎日です。
 
ただ、ささやかな収穫があったとすれば、『シャーリーの好色人生』監督の佐藤央さんと
三沢光晴への追悼の盃を酌み交わせたということで、「ただ、実は俺は新日派なんだ」と
いう佐藤さんに、いや勿論これは《親日家》とか《知日家》とかそういうのではなくて、
《全日派=馬場派》と対をなすところの《新日派=猪木派》ということなんですが、「実
は俺もなんです」と、特にこちらも故人であるところの橋本真也への思いを語ったときの
佐藤さんの深いうなずきに、きっとなにやら通じ合うものがあったに違いない、という、
単にこちらの一方的なあれなんですが、ええ。
 
まあ、どう考えてもターニングポイントとなったのはCO2楽日の翌日、早朝のデニーズ
での大反省会から数時間を経て、ほぼ寝ずに臨んだインタビュー(インタビュアーの方に
失礼のないよう必死で喋りましたが)のあと、水戸短編映像祭セレクション初日の宴席で
同行することとなった深夜のバッティングでして、なにやら隣のテーブルで盛り上がって
いた『パンドラの匣』の冨永昌敬監督、『南極料理人』の沖田修一監督、『そっけないC
J』の田中羊一監督、『微温』の今泉力哉監督、SPOTTEDの直井卓俊さんらご一行
が、夜のバッティングにくり出そうと次々と席を立っていかれる一方で、自分が半ば強引
に宴席にお連れした、CO2の西尾孔志さんを残していくのもどうかと逡巡していました
ところに、「高橋は来ないのか」という先輩の鶴の一声があったものですから、あっさり
おいていくことにしまして、で肝心の結果はどうだったかといいますと、ご自身は130
キロのブースで見事な快音を響かせていた冨永さんが、ネット裏で腕を組んで「振りおく
れてる!…はい、今!」と厳しくもあたたかいご指導をしてくださったこともあってか、
かろうじてビリは免れたという次第でして、見事ビリに輝いた今泉がその後極端に無口に
なり、店に戻ったあとふて寝に入るというハプニングもありましたけども、おいていって
しまった西尾さんは、その日の朝方には助成監督らに「よ!西尾幹事!」「つくる会!」
などといじられていたとは思えない、はつらつとした笑顔で女性陣とのトークを楽しんで
らっしゃいましたので、こちらもホッと胸をなで下ろしたのでした。

 
▶ と、そんなこともありつつ迎えた水戸短編映像祭セレクションの楽日でしたから、身
体のどこがどうなっていようとおかしくはなかったのですが、話しておかなくてはならな
いのは、その前日に観た田中羊一監督の『そっけないCJ』とその続編である『CJ2』
の素晴らしさについてで、『CJ』の方は拙作『最後の怪獣』が同じ年に水戸でかかって
いたというのもあり(初見時は感動のあまり、上映後田中君に声をかけに行ってしまった
ほどでした。そして、グランプリは『CJ』に/笑)その良さを再確認するような感じで
観ていたのですが、初めて観る『CJ2』にまたえらく感動してしまって、ジェイソン・
シュワルツマンそっくりの主人公を目の当たりにして遂に出たかとニヤニヤしていたのも
束の間、箱庭的な片田舎の田園風景の中、アレックス・コックスやカウリスマキをも思わ
せるようなでたらめな《冒険譚》が展開し、ファミコン=8ビット風の洒落た劇伴もまた
良くて、新たなサーガの誕生を予感させるのに充分な作品でした。

ただ、前作『CJ』が(きっと幼少期に感じていたであろう《名状しがたい何か》を観客
に思い起こさせるのに成功している作品であるが故のことだとは思いますが)子供の純粋
さや無邪気さといったものを賞揚しているように捉えられたきらいがあったために『CJ
2』のテイストにシフトしてみた…と田中君本人は語っていましたが、『CJ2』の中で
描かれるような《汚れ方》もまた、観客それぞれに《大人になるということ》を強く意識
させるものであるが故に、逆説的/事後的に例の《イノセンス》を観客に想起させてしま
う…という側面はあるような気がしていて、かろうじて間が抜けていることで笑いに繋が
るラストの教訓的なナレーションも含め、ここはもう一度自由になって、今度は何を気に
することもなく撮った次回作が観たい、とも思いました。
 
しかし、ここで当の自分が先述してしまっていることに気付いてなんともお恥ずかしい限
りなのですが、あらゆる《◎◎的である》という文脈に容易く回収されてしまわないだけ
の、軽妙な綱渡りをやってのけるセンス(としかいいようがありません)は本当に素晴ら
しいと思うし、それでいてあまりにも映画的な旨味に溢れた作品全体の魅力からすれば、
すべては些末なことでしかないので、同じく映画を創っている立場の自分からすると、要
は田中羊一おそるべし、ということに尽きるのでした。
 
さらに、楽日に観ることの出来た今泉力哉監督の『微温』『最低』の二作品に関してです
が、大阪以来二度目となる『微温』に比べ、今回初見だった『最低』は人間関係や個々人
の思惑がより複雑/多層的になっていて、特に幾度かのエモーショナルな視線の交錯には
ハッとさせられましたし、あとは、多々言われていることとは思いますが、登場する女性
たちが皆きれい/かわいい(役者としても「いい」)というのはとても重要なことだと。
構図主義的な拙作への反省をふまえつつも、もう少し人間だけじゃない、何か別のものを
フレームの中に映してほしい、と思うこともありましたが、今泉のメールアドレスの一部
にその名が引用されている《 cassavetes 》には『フェイシズ』という作品があることを
思い起こすと、(宴席で語ってくれた次回作の構想から想像するに)今後いっそう複雑/
多層的になっていくであろう物語が、その徹底的に人間たちに注がれる眼差しを以てどう
ドライブするのか、次回作がとても興味深いです。
 
また、上映前のトークショーで名前を出してくれたことは光栄に思いつつ、しかし確実に
今泉の作品を楽しみに観に来て、かつ実際に楽しんで帰ったであろう観客の多くが、その
後の宴席にも山のように残って彼を囲んでいた、という事実(今泉の人徳)に、軽い嫉妬
を覚えたことも、ここに書き添えておきます。

 
▶ まあ、書いたな。長く書いたな。しかしまだ疲れてるな。文体おかしいしな(笑)。
ちなみに盟友・水藤友基から(正確には彼のお母上から)のメールで、朝日新聞の関西版
(20日付の夕刊)にCO2の紹介記事が載っていたとのことで、これは先日西尾さんと
いっしょに取材していただいたものなのだけど、関西在住の方、そうなんですよ(笑)。
顔写真の人相の悪さにビックリせずに、ひとつ、読んでいただきたいものです。
 
あとは、先日の上映前ライブでもお世話になりました、渡辺勝さんの『花蓙』という曲の
PVを(編集だけなのですが)担当させていただきました。
ディスクユニオンから6月24日発売のニューアルバム『渡辺勝』に、初回特典のDVD
として付いてきますので、皆さま、ゼヒお買い求め下さいませ。
 
少し休んで、来月からは渾身の企画書/シナリオ書きと、さらなる上映の為
の営業活動ですよ!

 
あとは労働と、ひたすら、勉強。
 
  
El Espiritu de la colmena
 












私には今日、夢がある。

Martin Luther King jr
 
















▶ 《高橋明大2DAYS》と銘打った6月12日と14日の拙作上映、無事、終了いた
しました。二日間を通して本当に沢山の観客の方々に御来場いただき、また、数年振りの
再会や、新たな/幸福な出会いなども多々ありました。
あらためまして、御来場、本当にありがとうございました。
 
CO2企画ディレクターの西尾孔志さん、シネマパンチの大内立子さん、アフタートーク
とアコースティックライブに参加していただいた冨永昌敬監督、松倉如子、渡辺勝さん、
そして池袋シネマ・ロサの皆さんをはじめとする関係各位に、厚く御礼申し上げます。
 
 
▶ 大学の先輩でもある冨永さんとは、アフタートークの壇上のみならずその後の酒宴で
も色々とお話出来て、しかし特に壇上で俎上に上った「映画で文学をやるということ」の
(大塚英志的な文学論を参考にしつつ)延長で、では《文学性》というものをどう考える
のか、あとは《(台詞を含む)音》をどう位置付けるか、キャスティングの決め手となる
ものは何か…などなど(あ、あと秋田明大さんの話も)個人的な興味も含めてもっと伺い
たかったことは多々あったのだけど、『コンナオトナノオンナノコ』や『パンドラの匣』
に関するエピソードを話されるその口ぶりから、おそらくは(今までの自分の)想像以上
に情の深い方だと思われるこの先輩が、しかしその情を決して方法論の中には持ち込まな
い(のだと思う)かっこよさ/潔さに触れ、はたして自分はこの人ほど映画そのものを信
じられているだろうか、と思ってしまったのもまた事実で、いや、本当にこの先輩の背中
はうんと先にある。
大体ほら、こんな後輩とのアフタートークに関して「我々は顔が似ている、ということを
宣言するところからはじめてはどうか。その為に俺は坊主にする!」と仰ってくださるよ
うな先輩ですよ(もちろん止めましたが)。情が深いに決まってる。まあ「おまえ、キン
グ牧師に似てない?」はもう五回くらい言われましたし、「おまえの先祖は絶対に愛媛を
かすってる」という先輩の推理を検証する術もないのですが。
 
小出豊監督の『こんなに暗い夜』は大阪から二度目だったが(撮影の月永さんの力も勿論
あるに違いないのだけど)、どうやったらこんなに力強いカットの数々が撮れるのか。
硬質な音の響きが、《欠伸の伝染》などの関係性にまつわるこまかい描写の数々が、静か
に物語をドライブさせていくその手法に、とにかく敬服しっ放し。
主に助成監督らによる(憧れの斉藤陽一郎さんや、泥酔し声のトーンが更に1オクターブ
上昇した木村文洋監督なども交えて)大反省会が催された早朝のデニーズ、この一週間で
日に日にはっちゃけて(?)いったようにお見受けしていた小出さんから、例えばドリー
のヨコ移動を選択する決め手等についていろいろと質問を受けたのだけど、いやいや、俺
の方こそあなたに訊きたいことは山のようにありますよ、と。
帰り際、グーニーズのTシャツに身を包み、オーバーオールの上半分を腰でむすんだ小出
さんが、唐突に「俺、ファッションリーダーだったんだよね」と仰った、その姿がいかに
チャーミングだったかを、皆さんにお伝え出来ないのがなんとも残念だ。
 
《恐るべき子供》かつ《気持ちのいいあんちゃん》だった三宅唱監督の諸作には心底おど
ろいたし、その二文字による形容の安易さを重々承知しつつも、【才能】溢れるとはこう
いうことか、と唸らざるを得なかった。
来年の企画制作部門もとんでもないことになるのではないか。
特に、ひきしまった黒を基調とする画面の意匠性、被写体の肉体をじっと見つめることで
文字通り作業的な《ワーク》から自由になったカメラによる画づくり、ふとした挿話の妙
とコミュニケーションへの批評性が、その短い時間の中に凝縮された『マイムレッスン』
には本当に瞠目した。
 
そして、後輩とはいってもお世話になった記憶(先日のBBQは本当に楽しかった)しか
なく、むしろ自分の方が在学中からの一ファンに過ぎない水藤友基監督の『そうなんだ』
は、自分の中にあった《作劇なるもの》の辺境をガシガシと押し広げてくれたばかりか、
今後自分が問い直すことになるであろう俳優との関係性についても、大いなる示唆を与え
てくれた。当然の如くファンを継続することを、あらためて(そして勝手に)ここに宣言
しようと思う(ただ、水藤友基があまりにも自覚的に/あるいは無自覚の極致に到って、
ひとつの禍々しい装置としてガシガシ映画を撮りはじめるとき、最早自分の出る幕は無く
なってしまうので、それは怖い)。
 
いやあ本当に楽しかったなあ…と遠い目をしている場合では全くないのだ。いかに自分が
不勉強かつ無教養なことか。
考え抜けていないから、どこかとっ散らかってしまう。
深く信じていないから、意図に甘えてしまう。
要は自意識との戦いであり、チンコを出せるかどうか、ということだ。
インドアでチマチマ怪物を創造しているのではなく、現実に怪物を現出せしめなくては。
「シンプルなひとつのものが複雑さを連れてくる」とは大阪での佐々木昭一郎さんの言葉
だが、整理して、腹をくくって、もう一度はじめよう。
俺にだって、夢はあるのだ。
 
 
 二日間に渡って観に来てくださった相馬弥さんによる、ある光最後の怪獣 評。
自分の作品をかくも鋭く読んでくださり、また言葉にしてくださる方がいる。
本当に励みになる。
 
『 最後の怪獣 』舞台挨拶のスタンバイ直前に劇場内から出て来て「ヤベー、この映画
クソ面白ぇじゃん!」とハシャいでいた足立智充よ、その達成感、何年越し(笑)?
いや、その気持ちはすごくよく解るけども。
 
 
『 ある光 』
 


『 最後の怪獣 』
 

 
 
▶ 代え難いものの《代え難さ》を、人は《ヒーロー》という言葉に込める。
 
世界の色彩は白と黒だけでは彩れない、それが《プロレス》という世界観であり哲学だ。
だから彼らは生命をかけて技を受ける。それのどこが《やらせ》だというのだ。
 
三銃士と四天王、平成プロレスのひとつの臨界点。
異なるイデオロギーの邂逅と化学反応が新たな神話を紡ぎはじめると、誰もが信じて疑わ
なかった。
 
2001年3月2日両国国技館、橋本真也&永田裕志 VS 三沢光晴&秋山準。
 

 

高橋明大2DAYS


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* インタビュー at 映画芸術
* インタビュー at webDICE
 

『 ある光 』×『 最後の怪獣 』2DAYS !!
 

2DAYS(大)















 
第5回シネアスト・オーガニゼーション・大阪エキシビション(CO2)にてシネアスト大阪市長賞を受賞した新作『ある光』が、 CO2 in TOKYO にて上映されます。

ある光
 
日時:6月12日(金) 21:00 〜
 
場所:池袋シネマ・ロサ
 
トークゲスト:冨永昌敬 監督(『シャーリーの転落人生』『パンドラの匣』)
 
 

 
 
また、昨年の第4回CO2オープン・コンペ部門にて最優秀賞を受賞、今回の助成のきっ
かけにもなった『最後の怪獣』が、それに先んじて準グランプリを受賞することの出来た
水戸短編映像祭の特集上映というかたちで、奇しくも二日後、同じ場所で上映されます。
 
最後の怪獣
 
日時:6月14日(日) 21:00 〜
 
場所:池袋シネマ・ロサ
 
上映前 アコースティックライブ:松倉如子 with 渡辺勝(本作の主題歌を担当)

  

 
 
日大芸術学部の先輩である冨永昌敬監督をお迎えしてのトークショーや、レーベル P-
VINE からの新譜発売を控える松倉如子と渡辺勝さんによる生ライブなど、上映前/後
にも内容盛り沢山の二日間、皆さまの御来場、心よりお待ちしています!

↓ そして、彼女の歌を是非ライブで聴いて欲しい。
 
 

 
 
* 2006/5/8 at 吉祥寺曼荼羅 撮影:熊倉良徳
 

敬虔さ

▶ 明日12日の『 ある光 』と14日の『 最後の怪獣 』上映時、各作品に主題歌を提供し
て下さった THE YOUNG GROUP と松倉如子のCDを、会場にて販売いたします。


6月12日
 
14 / THE YONG GROUP 《『 ある光 』挿入歌「 マーガレット 」収録 》
 
14



 RONDADE
 発売中
 ROND-3
 \ 2.100






6月14日

パンパラハラッパ / 松倉如子 NEW ALBUM
 
パンパラハラッパ



 ピーヴァインレコード
 2009年6月17日発売
 PCD-18569
 \ 2.500







星 / 松倉如子 《『 最後の怪獣 』主題歌「 雲 」収録 》
 
星


 マRECORDS
 発売中
 \ 1.500






特に、松倉如子の『 パンパラハラッパ 』は、6月17日の発売に先がけての先行販売です
ので、この機会にぜひお求めいただけたらと思います。
 
宜しくお願い致します。
 
 
▶ いよいよ、明日。
 
 
 
 

脱出 発 / こおろぎ 着

 
▶ 先週末、横浜日ノ出町のニブロールスタジオにてラストソングスの初ワンマンライブ
『脱出』を観る。さまざまな【聞き覚えのある】台詞について、
 
1.そもそもどうしてまたその台詞を選んだのか/いやよくぞ選んだ、という可笑しさ
2.演じる人間が【代替可能】である、その元ネタと比べての【代替】っぷりの面白さ
3.【代替】なのかと思ったら、いつの間にかその台詞のニュアンスが元ネタのときの
  ものから変化してしまっている、というおどろき
 
が混然となってやって来るのがラストソングスの魅力なのだと思っていたら、今回はその
果てにさらに【美しさ】までが立ち上がっていて、とても感動した。
 
途中、鈴木将一朗さんと上村聡くん(が演じる二人の男)が、自らに向けたビデオカメラ
を手に、延々ヒップホップ的な見得をきりつづける、というくだりがある。
疲れた鈴木将一朗は部屋を出て行き、残った上村聡はたったいま録画していたであろう映
像を巻き戻して見て(ここでふいに、おそらく巻き戻し過ぎたであろうカメラから聞こえ
てくるのは、ヒップホップのくだりよりもずっと前に目の当たりにした台詞のやり取りで
あり、「いつから回していたのか?」という疑問も生じるのだが)、自らのフリを確認し
ながら、おもむろにつぶやく。
 
「・・・似てるな」。
 
そうなのだ、彼らはふざけていたのではない、「似せていた」のだ。
その刹那立ち上がるのは「誰に?」という疑問であり(この疑問には可笑しさが伴う)、
と同時に、より深いところで沸き起こるのは「何故?」という疑問だ。

「何故、彼らはかくも似せよう/似ようとするのか?」

答えは明かされない。しかし、明かされないその答えには心当たりがある。
 
何故なら【それが表現だから】である。
 
気取らず/クサらず/明らかに聡明に、彼らは「似せ」つづける。
オリジナリティもアイデンティティもはるか後方に置き去って、そのあとに待っていたの
は夜の日ノ出町を背にした(シルエットの)上村聡の【輪郭】だけだったというのが、な
んとも美しいじゃないか。
 
鈴木将一朗さん/上村聡くん/鈴木謙一さん、お疲れさまでした!

 
▶ いち早くある光/最後の怪獣のチケットを買ってくださっていた相馬さんのサイトに
て、告知をしていただいた上にバナーまで作っていただいています(感涙)!
 
バナー



 
そうなのだ、僕も名前は勿論存じ上げていたし、余所でお見かけする度にうすうすこの方
では…と思っていたのだが『脱出』の会場ではじめてお話しさせていただいたのだった。
しかも誕生日が同じだったとは、なんたる奇遇…。
ただ相馬さん、観たも同然と申し上げたいところですが、そんなことはないです(笑)。
6月12日と6月14日、楽しんでいただければいいのですが(ご期待下さい!)。
ちなみに僕と相馬さんイチオシの11月18日にはこんな先輩/後輩がいる。
ただ他と比べて豪華なのかどうなのかが全く解らない・・・。

 
▶ 爆音映画祭にて「音をめぐる映画史 青山真治 × 黒沢清」。
ただ、主催者発表による「のっぴきならない理由により身動きが取れない」との事情で、
青山真治監督は来場せず(エリエリの話など聞きたかったが、まあ義の為というか…)。
 
急遽代打に立った樋口泰人さんと黒沢清監督のクロストーク、黒沢監督の仰っていた「生
音ありき」という感覚に何故か自分がとても納得するのは、世代/出自的に最初がかろう
じて8ミリだったということに関係があるのか、どうか。ただ、つまるところ前提として
大体の場合【音込み】でロケハンはするものだし、確かにセオリーとして【良くない】音
=飛行機/工事/どこぞの誰かの会話などなど…には困ることもあるけど、生音にはやは
り意図しない/面白い音が入っていることは往々にしてあるもので、面白みを足したいと
いう理由であとから何らかの音を足すことの【意図しっぷり】を考えると(それでも面白
くするためには足すんだけど、そのとき根拠は別のものになる)「起こったことを撮る」
黒沢監督が生音をそう位置付けているというのは、とても良く解る。

 
▶ その後はストローブ=ユイレの「放蕩息子の帰還/辱められた人々」。
爆音上映で観て本当に良かったと思うが、しかしこの映画っぷりはなんたることか。

つづけて、遂に観ることの出来た「こおろぎ」爆音上映。
 
尋常ならざるものを観た、としか言えない。語る言葉など僕にはまだ無い(岩松了さんの
ホンがまたすさまじかった)。
 
とにかく、すごかった。公開を切に望む。
 
しかし、やはり意味内容よりも内容、全体よりディテール、なによりカッティング(【編
集】)ということなのか。
俄然興味が【カット内<カット間】に傾く。
 

▶ 6月6日(CO2 in Tokyo 初日)、水藤友基監督『そうなんだ』のアフタートークに
登壇します。七里圭監督、小出豊監督とご一緒します。

『ある光』に出ていただいた宇野祥平さんも180°(?)ちがう役で出演している『そうな
んだ』。なにもないところにちゃっかり【映画】を出現させる、水藤友基の傑作です↓
 
 

 

Ghosts

 
CO2の方のチラシがハけてしまったので手製のチラシ(ビラ?)を急遽作成。
あとはもうシェイクスピアよろしくマクベスじゃなかった撒くべし…ということで、上映
までもうあと2週間あまり。
 
 * 印刷/メールに添付等、ご自由にお使い下さい ↓
 
2DAYS(大)  2DAYS(小)















      (大)            (小)
 
 
そしてこの週末は、
 
liveLastSongs #001 ラストソングスの 脱 出
 
ラストソングスの鈴木将一朗さんと上村聡君には、《ある光》と《最後の怪獣》の両方に
出演してもらっています。さらに演出の鈴木謙一さんを加えた三人=ラストソングスの初
ワンマン、もうチケットが残り少ないようですが、この機会にぜひ!
 
告知と平行して新しいホンにとりかかろうと日々是勉強。
せっかくのいい機会なので企画書等含めて量産状態に入りたいのは山々なんだけど、いか
んせん頭がボケていてまとまらない。
いまさら不勉強と無教養を悔いてもはじまらないが、参考資料にと集めた古本の山を前に
読み倒す時間も無く途方にくれるばかり…。
ガツーン!というものがひとつあればこと足りるのになあ。
『 グラントリノ 』でつかみかけた波を逃し『 チェイサー 』で感服しつつも波に乗れず、
あと今なんかやってましたっけ…?
まあ逆に6月はとんでもないことになっている(ヴェーラ神代レトロスペクティブ含む)
からまだチャンスはあるが、もう、こわいわ(笑)。
 
まあとにもかくにも正気を保つことだ。じっと考えイメージし面白いことを呟き書き留め
大勢に伝え出向き帰り繋いで足して人に見せるのが俺にやれることだしそれだけだ。
 
こんな ↓ 大人(6min11sec 〜 登場する人たち)になりたい(笑)。
もう大人だけど。
 

 

帰れない大勢

ユニコーーーン
 










 
某音楽番組で「 GreeeN 」みたいなバンド名に変更しようかとも考えた、と語っていた彼
ら。にしても伸ばしすぎ(笑)。
 
高校以来の友人としかもユニコーンってことで時間の感覚がおかしなことになって、もし
かしてなにもかも夢なんじゃないか、というくらい「キて」しまった…。
特に「 PTA〜光のネットワーク〜 」(民生が意味無いインカムつけて、ドラム叩きながら
カメラ目線で熱唱!)→「 ヒゲとボイン 」→「 車も電話もないけれど 」の並びには、往
年のファンなら誰もが涙したに違いない…。
 
客入れBGMのトリは大音量の「どかどかうるさいR&Rバンド」で、さらに終演後の客出し
BGMは同じく大音量の「スローバラード」。
「席を立てるものか」という帰れない大勢が、残って耳を傾けて、最後には静かな追悼の
拍手が武道館を包んだのでした。
 
明けて、本日は岡田利規さん演出の「タトゥー」@新国立劇場小ホール。
終演後のアフタートークで、岡田さん御本人が、この企画に自分が携わる/自分の方法論
がこの企画を扱うということについて「場違いである」(ある意味「アウェィである」と
いったニュアンス)という言い方をしていたけれど、しかしトータルで僕はとても面白く
観ることが出来た…その一方で、件のアフタートークが、司会の方の手によって必要以上
に「このやっかいな演劇と演出家」という意味合いのもと進んだことについては、正直ど
うかと思った。
 
勿論、岡田演出による芝居を初見の方のために/あるいは主催者側で事前にそのように打
ち合わせて「あえて」そのような体裁をとったという可能性について、僕にはうかがい知
る余地もないけれど、アフタートークを通して岡田さんが仰っていた「解らない」「心地
よくない」ものに触れることの意義、を考えるならば、どうであれ過度にかみ砕いて「お
客さまに理解/納得して帰っていただく」ことは本末転倒なのであり、仮に司会の方の判
断のみでああいうことになってしまったのだとしたら、「解らない」ことに対しては、上
にも下にも置かずにただ適度な「敬意」を払えばいいのであり、その「敬意」の欠如こそ
がいまの現状をひょっとしたら「つまらない」ものにしているのに…ということを考えた
のだが、どうなんだろうか、まあよく解りません/解りたくありません。
 
ひきつづき、夜には今回のCO2の東京上映のPRを兼ねた取材で八丁堀へ。
 
ううむ…結局たいしたことは喋れなかったような気が…上で威勢のいいことを書いている
割には、こちらは編集者の方にお任せするのみ。
 

once upon a time in 宮前四丁目

柚原卓人 × 田伏悠
 












東京上映に向けての再編集もようやくフィニッシュ、いよいよ宣伝に走り回らなくては!
・・・と意気込みつつ、ぶらり鑑賞した『 ワンダーラスト 』(監督:マドンナ)。
 
す、素晴らしい!
 
「旦那より才能ある」とは某先輩のお言葉だが、いやあ、良かった。
もう少し早く観たかったが・・・。
 
一方、やはり気になるのは爆音映画祭'09で、『 ある光 』にも出演してもらっている南波
典子さん出演の青山真治監督『 こおろぎ 』、ジム・オルーク × 牧野貴は必須だとしても
なんたるラインナップ・・・。

繰り返しますが、
6月12日(金)&14日(日)は『 ある光 』と『 最後の怪獣 』の
怒濤の2DAYSですよ!


前売り券(12日 1000円/14日 800円)もありますのでご希望の方はこちらまでメール
をいただければ、早急に郵送でお送りいたします

お世話になった方々も山ほどいるわけで、関係各位への連絡もコツコツ進めつつ、あらた
めて映画が一応の完成をみたことへの感慨や、再び沸きだしたキャスト/スタッフへの感
謝や、出来るだけ多くの人に観て欲しいという率直な欲望や、そんなこんなにドップリと
浸りもしつつ、なんだか人の一生というか巡り合わせについて少し考えてしまうようなこ
ともあったりして、しかしカサヴェテスの『ハズバンズ』のようには勿論いかずに阿佐ヶ
谷のフレッシュネスでお茶をするに留まったわけだけど、まあ真摯に本気でやるしかない
ですよ。「道が無くなりゃ自分で造ればいいじゃん」だったり「プロレスラーは強いんで
す」だったり「でも、やるんだよ!」だったりでいまに至ってるわけで。
 
明日は高校以来の友人と15年越しのユニコーン。