生活での詩を書くことが、老いや無意識における目覚めの状態に効果があるかもしれないと感じている。
宗教文や自作の詩を自身の生活行動のアルゴリズムやプログラムにするのである。
例えば『コーラン』は開扉の章から始まるが、扉を開けるときや土地に入るときの、思考の正常化に役立てる。
宗教文や詩の、音等に視線や歩調、持ち物の取り決めをしておけば、思考や行動のルーチンの援助になる。
これは生活の讚美にもなると思う。
変化するものを要素に還元し、要素に音素を割り当て、意味を付加しておくことで、単純な変化から文章や文字、意味を取り出せると思う。
これはモールス符号や手信号の一種でもあり、例えば手足の配置や揃え方から文字や意味を取り出すことができる。
これに詩を割り当てるのである。
朝起きて、トイレに向かう時、何も考えずにできるように感じるが、この無意識からの目覚めに役立つのではないかと見ている。
トイレのような無意識にまで習慣化されれば、老いや低意識状態にも効くかもしれない。
それは夢や死の間際のせん妄状態や傾眠状態でも役立つかもしれない。
最期を考えた時に、宗教や自作の詩だと、やる気がでるという話なだけで、思考ルーチン等のメッセージが内包された芸術であれば、自分の趣味で色々できる。
それらが、死の恐怖や世界没落体験などに効き目があるかもしれない。
修業の言語化、定式化は必要と思う。