明死帖より抜粋

一:恐怖の原体験
……(そんなっ!神様!) ……「あとぅい!あとぅい!」 それが、藤𠩤研介の恐怖体験での言葉だった 舌を強く噛んでおり、大腿部は挫滅していた 記憶も、恐怖の頂点に達した時のものは消えている。恐怖のあまりなのか、記憶が飛んでいるのだ。自然的な死の恐怖とは違うが、死 の恐怖に似た、本当にすさまじい恐怖だった。自然的な人間の肉体から引き出せる、恐怖の限界であるかのようだ。世界の底が抜けたよ うで、圧倒的な物量に飲み込まれ、行きつく先は、絶大な苦痛であるという、誤った確信から来る『そんなっ!』という恐怖であった。
 過大な恐怖を伴う、死の妄想を抱く過程は憶えている限りでは、以下のようだと思う。 まず、漠然と死の恐怖を抱く。現に肉体的苦痛を感じているために、死んだら無になるのかな、とか埋葬時や死後も苦痛があったら どうしよう等の、普段は考えないような、アタマでは大丈夫、と理解していても、拭えな い不安を考える。死んだら無になるとか、死は眠りのようなものと、漠然と考えていたが人生を努めてきた、この自分というものが、 肉体的苦痛を伴いながら、全く永遠に消えてしまうかもしれない、ということに恐怖を感 じる。眠るように死ぬことはあっても、実際 の自分の恐怖と、照らし合わせてみると、死 と眠りが、全く違うことに気づき、恐怖する。


漠然とした恐怖についての記述です。私が経験したものを簡単に記述したものです。
漠然とした恐怖につかまると厄介で、生活での思考の健全さが保てません。
そこを作為体験が狙いすました様に、状況を悪化させられました。

温香息タン念本味指楽和、
という様に、精神の恐怖を逸らす技術が必要です。
生活時の思考の時に訓練したいと思っています。
念仏の一種です。

また明死帖の一部の続きを抜粋したいと思っています。
お読みいただき、ありがとうございます。