明死帖より抜粋

 そしてここから、恐怖のあまりか、体感時 間が長くなる。死ぬのが怖い、死んだら無、 私が消えるかもしれないとの思いから、時が 止まってでも、自分を保ち、生が存続すれば よい等と考える。しかし、時間は進むので、 いつかは死にたどり着くこと、時が進むこと 自体に恐怖を抱くようになる。さらに、体感 時間が長くなり、肉体的苦痛を感じたまま、 時が長くなるのでは、と不安が増す。そこか ら、死の兆候である、呼吸停止や心臓停止に なったらどうなるのか等を考える。私の死に おいて、苦しみを味わったまま、時が止まる のでは、とも考える。呼吸が止まり、心臓が 止まると、苦しみを味わい、埋葬後の長い時 でも続くのかと、妄想が膨らみ、不安になる
 ここで、精神の死の恐怖と合わさって、肉 体の死と苦痛の継続の恐怖に捕えられる。そ して、死んだら無になる等の、漠然とした考 えでは、対抗できないことを思う。死んだら 無になって、苦痛などない、と強く思いたい 気持ちと、精神の死が怖くて、肉体的に死ん だとしても何らかの形で、生が存続する、し てほしい、という強い思いが、矛盾し、対立 した考えの中で、激しくぶつかりあう。肉体 的苦痛から逃れたいあまり、死んだら無、死 んだら無、と自分に言い聞かせるが、眠りと は異なる死、自分の永遠的消失ということが 頭から離れず、死んだら無という考えでは、 乗り越えられない恐怖を味わう。そこから、 霊や霊体といったものがあればいいと考える
 さらに、新しい別の体なら、肉体的苦痛も ないだろうと、何らかの形で、健全な生が存 続することを、強く望むようになる。健全な 生の存続、という考えが優勢になるも、死ん だら無という考えが、恐怖となって続く。現 世の生活で、死んだら無等と、考えていたに も関わらず、霊や霊体があるのではと、急激 に考えを変えることになり、信じることも難 しいために、恐怖の中で、死後の生はある、 と言い聞かせることになる。そして、精神の 存続が存在することを信じることに、思考が 切り替わることになる。しかし、宗教的な事 柄を深く信じていなかったために、罰が与え られるのではと、恐れるようになる。つまり は、地獄へ行くのではと、非常に恐怖する。


死ぬ時に、心臓停止や呼吸停止が怖くなりましたが、今考えて、この妄想に対抗するには、死んだら無、というので対抗するのではなく、臨死体験の研究によれば、臨死体験中は、心臓停止や呼吸停止に関わらず、苦しくない例がほとんどであることで論理を進めればよいのでは、と思います。死んだら無、でも、怖くなさそうですが、上記の記述の様に、自我の消失の恐怖がありますから、臨死体験の研究を肯定的な見方をすることで押していくのがよいと思います。
その他詳細は、公開している、明死帖を読んでいただくのがよいと思います。
全ての存在が、後生の快生へたどり着けます様に。