明死帖より抜粋。前回の続き。

 今まで、死後の生を信じてこなかったし、 死んだら無という、考えであったから、今更 手放しの救済を、信じることも難しい。そこ で、自然法則のようなもので、死後の生を信 じた度合によって、死後の体も決まってくる のか等と、即席の妄想を作り出す。私の精神 が、自然法則のように、死後も存続しても、 信じてこなかった私は、新しい体の方が手に 入らず、呼吸を止めた苦しみのまま、今の肉 体が消滅するのでは等の妄想を抱く。無慈悲 な法則のように苦しみが迫り、地獄の口が開 いているかのように感じる。さらに走馬灯の ように、頭の中を映像が、駆け巡ってくる。 自分が昔に考えた、残酷なことや暴力表現等 の映像表象であり、それらで頭が一杯になる。
 そこから助かるには、罰を受けなければな らないんだ、と思うようになり、自罰的にも なって、身体に圧力を加えた。一度憑りつか れた妄想が強固になっていき、もう二度と肉 体が戻らないことと、消滅して苦痛を受け続 けるとの思い、それが永遠、という時の重さ が巨大な壁のように、のしかかってきた。直 近の芸術作品等の脳内映像が、頭の中に流れ つつ、どうしてこのような、永遠的苦しみを 受けなくてはならないのかと恐怖する。そこ で、私一人を血祭りに上げるための、壮大な いじめだと感じるようになる。神様を信じて こなかったり、馬鹿な行いをしてきた人を、 祭り上げて、いじめのように追い込んで、苦 しみを受けさせようとしている、と感じる。
  そして、後悔などが押し寄せると同時に、 取り返しのつかない、地獄に連れていかれる という考えが止まらなくなってくる。罰を受 ければ、許されると思ってか、さらに自罰的 になる。このあたりで体が、高熱を発しなが らオーバーヒートし、サードマン現象のよう に、体の外から、自分を眺めている脳内映像 が流れ、「あとぅい!あとぅい!」と叫び、 意識が飛んだ。記憶が曖昧な部分や、記憶が 飛んでいる部分も多いのだが、これらがおお まかな恐怖体験時の思考であった。死の未知 性から恐怖が始まり、死の恐怖の具体化と、 脳内映像によって、妄想が強化されていき、 宗教的、死生観的脆弱さから、妄想が確信さ れ、絶大な恐怖を体験したものと思われる。










地獄の話は普段は物語だと感じていても、いざ死の床につくと、あまり馬鹿にできないものだと感じます。地獄等あるものか、という考え方をするよりも、天国の様に過ごしやすい地獄もあることを考えたり、
神様への信頼から、地獄であっても救済があるものだ、と考えるのがよいのかなぁ、とぼんやり考えています。
私はもう、作為体験や思考吹入で、深く考えることが難しいし、死の苦しみであっても、おそらくその人の為に起こるであろう、という考えに至っているので、私は誰かに発信する必要はないのかな、と考えています。その人の苦しみが、その人の中で尊いものとなる為には、相当な知恵が必要で、私が苦しいから思い付きで書いた内容であったり、六神通の様に、信頼できる超越的能力や知性のないものの作品に触れても、その人の為にならないと感じているからです。私が、これらの考察を続けるには、自他共に確実に貢献できる確信が必要でしょう。
私は未熟すぎますし、私の上位の方々では、もう解決しているらしいことから、私はこれらの解決を、秘密にすることの方が重要だと感じています。

ありがとうございます。
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