明死帖より抜粋

 この体験前の私は、科学信者であって、死 後は無になり、神様も存在するかもしれない が、偶然を支配する位のものだ、と思ってい た。いわゆる日本的な無宗教という感じで、 家の宗教も葬式仏教と言われるような、葬式 や行事の時だけしか、宗教と関わることはな かった。今回の体験は、技術的な、作為的な ものであると思う。だから、自然的な死の恐 怖と似たところもあって、学べる所もあると 思うが、ここまでの恐怖を感じることは、自 然的な死では起こらないから、過度に不安に 思う必要はない。しかし、この体験について 対策し、設計された、死生観を持っておくこ とは、きっとあなた方の死や例のような困難 において、役立つと思う。死生観が大事だ。

 私は、この体験を経てから、宗教や学問、 教育等に大きな関心を寄せるようになったし 安易な自殺を考えないようにもなった。畏れ る気持ちも、持とうとするようになったから 人格としては善くなったと思う。これは、死 の恐怖にも言えることだと思う。死の恐怖に よって、私たちは改善すべきことを見つけて いくべきだし、死の間際であっても、死後の よい生を善くするためにも、恐怖が起こって いるのだと、ポジティブに考えるべきだ。こ の体験から得られる要点は下記のようになる
神如方、よい死後生も、信ず事
自分でも、よく考えて、対策を
考えた、解決法を、やってみる









私は、自身を未熟なものであると、感じますが、それでもこうして記述することが、苦しみの和らぎになってしまうので、続けてしまいます。何故あのような激烈な体験が起こったのか、そして、今も怯える様に、作為体験が続いているのか、それはわかりません。しかし、時折和らぎがあることで、この世界は信頼すべきものである、とも感じています。それは、世界没落体験や、それとは別に、倫理的破局感と、私が呼ぶ、体験等を経ても、いまだ感じることができます。それは恵みをたくさんいただいているからでもあり、不思議なことです。その恵みの豊かさは、後生の快生を信じてもよいのではないか、とも思われます。私より能力や知性のある方々も、後生があるようだ、と仰るので、まあ信じていてもよいかなぁ、とぼんやり受け入れています。それが、死の床においても効果があるか、わかりませんが、それでも、豊かな毎日を過ごすことができ、感謝しています。

ありがとうございます。