誰もレイカーズブログとは言ってないので映画のこと書いてもいいでしょ(適当)
映画『蜜蜂と遠雷』を見てきたのですが、モデルになったコンクールや劇中で使用された曲、あるいは劇中でピアノを実際に弾いたピアニストたちについて何となく書きたくなったので久しぶりにブログに書くことに。
劇中の芳ヶ江国際ピアノコンクールのモデルとなっているのは、3年に1度浜松で開かれる「浜松国際ピアノコンクール」。去年の11月に第10回目の節目となるコンクールが開催されたばかりです。
この浜松国際ピアノコンクール、通称浜コンですが、世界3大コンクールと呼ばれる
ショパン国際ピアノコンクール
チャイコフスキー国際コンクール
エリザベート王妃国際音楽コンクール
と比べると歴史は浅いです。しかし10年前の第7回コンクールで優勝した韓国出身のチョ・ソンジンさんが、その後チャイコフスキー国際コンクールで第3位、ショパン国際ピアノコンクールで優勝と華々しい活躍をしたこともあり国際的な権威を高めることになりました。
作中設定の「芳ヶ江で優勝すればS国際コンクールで優勝できる(だったっけ)」というジンクスは彼から来ているものでしょう。(劇中でも写真が少し映ってました)
そう言えば劇中の2次予選で敗退してしまった福島リラ演じるジェニファ・チャンですが、「次のエリザベートに集中する」と話していたのは、上のエリザベート王妃国際ピアノコンクールのことなんでしょうね。
実はこの浜コンですが、日本人の優勝者はこれまでゼロ。しかし昨年の第10回コンクールでは初の日本人ピアニスト優勝が期待されていた人がいました。
名前は、牛田智大。幼い頃から天才少年として活躍しテレビ番組にも多く出演。世界的ピアニストであり、かつて浜コンの審査委員長も務めていた中村紘子さんを師と仰いでおり、その縁もあって浜コンには特別な思いを持っていました。
特に幼い頃に中村さんと交わした「いつかあなた(牛田くん)のラフマニノフのピアノ協奏曲2番を聞かせて欲しい」という約束を守るべく、ピアニストとして活動を続けていたといいます。
しかしかつて中村さんが体調不良をおしてまで自分の演奏会に来てくれた際、なんと牛田さんが演奏中に体調不良に。その演奏会は結局そこで中断されてしまいました。
結局、中村さんは2016年に亡くなり、2度と中村さんの前で演奏することは叶わなくなってしまった上、約束も果たせぬまま。今回のコンクールでは1次予選から中村さんにゆかりのある曲を集め、ファイナル(本選)では約束通りラフマニノフの2番を演奏。結果は惜しくも2位でしたが、観客の心をバッチリと掴むロマンチックな演奏で聴衆賞を獲得しました。
劇中の栄伝亜夜(松岡茉優)も幼い頃から天才少女として活躍し、実際に2位入賞という形でしたね。2人の歩んできた経歴も似ています。しかも牛田くんが体調不良で弾けなかった演目は、やはり栄伝も弾けなかったプロコフィエフ。
優勝したマサル・アナトール(森崎ウィン)がアメリカ国籍というのも、日本人優勝者がいないコンクールという点で同じですね。
コンクールの背景についてはここまでにして、次は曲について。
2次予選で課題曲とされていた、宮澤賢治の作品を題材に書かれた『春と修羅』。これを作曲したのは現代音楽作曲家である藤倉大。イギリスを中心に活動する、現在の日本を代表する作曲家の1人です。
ピアノコンクールでは課題曲として、現代音楽の作曲家に新曲の作曲を依頼する事がよくあります。実際の浜コンでもそうです。そして大抵、演奏者の力量を測るために難易度の高いものが与えられます。
(↓実際の課題曲。新曲をマスターしなければならない上に40分という長丁場。ショパンコンクールはもっと長かったはず。)
今回の『春と修羅』は序盤の静かな始まり、中盤のスキルが求められる場面、終盤のスキルと独創性が求められる場面と、それぞれの場面でピアニストの力量や才能がありありと表現されていたと思います。審査員の人が退屈のあまりパンを食べたり、居眠りをしていたのもこの曲でしたね笑。つまり、それだけ演奏者によって力の差がはっきりと表れてしまう残酷な課題曲とも言えます。
(実際には2次予選が1曲ということはなく、これに数曲を加えて規定時間内に弾く、という形になっています。)
2次予選で弾かれたこの『春と修羅』ですが、この曲にも浜コン同様に賞が設けられており、「日本人作品最優秀演奏賞」というものです。劇中でこれを受賞したのは松坂桃李演じる高島明石。
「地に足の付いた、日常の中に溶け込むピアノ」という彼の理想が、どこか牧歌的な印象を曲に与えます。宮澤賢治の原作に忠実であろうとする姿勢も高島の魅力でした。それがマサルや塵、亜夜のスキルフルな演奏に対し、曲を聴いて情景が浮かぶような穏やかで美しい演奏に繋がったのではないかと思います。納得の選出。
(↓『春と修羅』について作曲した藤倉大さんのインタビュー。)
さて、2次予選を通過するといよいよ本選。オーケストラとの協奏曲が待っています。
本選はそれまでとは全く違う雰囲気があります。既にオーケストラとの経験が豊かなピアニスト(例えばマサル)もいれば、全くそうではないピアニスト(例えば塵)もおり、あるいは本選に残る事を想定していなかったために練習をしておらず、2次までは完璧な演奏をしていた演奏者が突如崩れることも。
しかも2次予選が終わって1日を空けてすぐに本選が行われるため、オケと実際に音を合わせられる機会はほぼ1度きり。その中で自分のしたい演奏を指揮者やオケに伝え、40分近い曲を作り上げなければなりません。
風間塵のような天才肌はともかく、精神的にも肉体的にもタフなのがコンクール。その中で本選に残った3人のプログラムが以下。
栄伝亜夜 : プロコフィエフ ピアノ協奏曲第2番
マサル : プロコフィエフ ピアノ協奏曲第3番
風間塵 : バルトーク ピアノ協奏曲第3番
日本人にも有名なショパンやラフマニノフ、チャイコフスキーといったメジャーな楽曲ではなく、プロコフィエフやバルトークを選んでくるあたり、原作者の恩田陸さんがどれだけ深くコンクールを聞いていたかが分かると思います。やけにリアル。
特に塵のバルトークはかなりレアな選曲という印象。基本的に優勝を狙いたいのであればラフマニノフ、ショパン、プロコフィエフが鉄板ではありますが、そういったものに縛られないのも塵らしいと言えばそうなんでしょうか。
プロコフィエフは20世紀前半に活躍した作曲家、ピアニスト。幅広い楽曲を残していますが、特にピアノ曲は本格的なピアノソナタから子供でも弾ける簡単な曲まで多くの名作を残しています。特にピアノ協奏曲は音楽性とスキルがどちらも非常に高いレベルで求められる楽曲で、コンクールでは好んで弾かれます。
ちなみに彼のピアノ協奏曲第3番の元となった曲は、彼が日本滞在中に構想したものだそうです。
劇中での演奏はほとんどが編集されてしまい、実際にどんな演奏だったのかは分かりません。サントラに付いてるのかな?
当初オーケストラとの合わせに苦労しながらも栄伝との連弾によって調子を取り戻し、最終的に優勝と聴衆賞を獲得したマサル。音楽のエリート街道を歩む彼が1位という結果に物語的には不満な人もいそうですが、一方でコンクールってまぁそういうもんだよなと思ってしまったり。でもその背景にある彼の「完璧な演奏」に対する苦悩であったり、エリート故の重圧を考えると、そのまま真っ直ぐにスター街道を突っ走って欲しいとも思います。
それにプロコフィエフの2番という解釈が難解な曲を弾いて聴衆賞を獲得しているというのも、彼が「受ける」演奏をした事の証拠。正直ピアニストにとっては「受ける」かどうか、ファンが付くかどうかが全てと言って過言ではないので、もうそのままショパンコンクールで優勝してくれって感じ。
塵はオーケストラの配置、特にコントラバスをティンパニーの横に置くという「風間シフト」!コントラバスが本来置かれている床が軋むため、しっかり音が出ない事を塵は見抜いていたという事でした。
一見風変わりなようですが、ホールの響きを考えてオケの配置まで変えてしまう姿勢は、実は3人の中で音楽に対して最も真摯な姿勢であるとも言えます。ただ、良くも悪くも伝統と格式を重んじるコンクールには受けなさそう。コンサートピアニストとしてであれば受けるでしょうから、今後どんなピアニストになるのかが楽しみな素材型。
そういえば明石が塵の本選を聞いている最中に「鳴ってるなぁ…」と呟いたシーン。これは「風間シフト」によって音がよりしっかりとホールに響くようになった事を受けてのことなんでしょうかね。個人的な印象ですが、この「鳴らす」「響かせる」というのは抽象的で曖昧なものである一方、ここをクリアしないとコンサートピアニストとしては大成できない、そんな技術かなと思ってます。でも先天的にそういうのが上手い人もいて、塵は多分そのタイプ。
栄伝は「天才少女、復活なるか!?」というストーリーが先行して、そこに自身の演奏を追いつかせられない状態が続いていました。本選のリハでもオケの音にピアノが呑まれてしまい、指揮者からダメ出しされる始末。
1度は帰ろうと荷物をまとめ駐車場を歩いていた栄伝ですが、塵の演奏の影響もあり、母とピアノを弾いていた頃を思い出します。本選では覚悟を決めた様子で堂々たる演奏を披露、見事2位入賞を果たします。
エリートとして着実にキャリアを重ねているマサル、経験は無いけれど天才肌として観客を魅了する塵。そんな彼らに対して、栄伝は完璧ではないものの、演奏を重ねるごとに自らの音楽を進化させ成長させていったピアニストとして描かれています。
「過去の失敗やトラウマの克服」という、極めて人間的な一面を見せてくれた栄伝。ピアニストという非日常的な世界の中に身を置きながらも、世界の誰もに起こり得る側面を観客の前で披露したことにより演奏がドラマチックなものに聴こえてきます。
別世界の中にもある極めて日常的な部分を表現できる彼女だからこそ、「あなたが世界を鳴らすのよ」という母の言葉を体現できるのではないかなと思います。そしてそれは、ある種ピアニストの誰もが理想とするところでもあるわけです。
何となく書いてるうちに長くなりました。
浜コンの話から劇中の演奏の話まで、思い付くままに書いてしまいましたが、スッキリしたので良かった。自己満足。
そうだ、あの「ピアノの神様」として塵を紹介していたホフマン先生ですが、彼のモデルはおそらくピアニストのヨーゼフ・ホフマンではないでしょうか。あのラフマニノフと同じ時代を生きた現代における大ピアニストの1人です。なぜホフマンなのかは分かりませんが。
そういえば最初の方に触れた牛田くんですが、来年のショパンコンクールに出場するみたいです。日本の貴公子がどれくらいやってくれるか注目ですね。
多分映画を見て思った事はこれくらいで終わりだと思うので終わります。なんか思い出したら追加しとこ。