女性医師就労支援小委員会

現在20~30歳代の産婦人科医師の約半数を占める女性医師の就労支援を目的とし、愛知県産婦人科医会内にこの委員会が発足しました。このブログでは愛知県内産婦人科女性医師の現状などの情報を提供していきます。

お知らせ 女性医師就労支援小委員会より

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これまでの活動をまとめた活動報告書を平成22年6月に発行しました。ご希望の方は愛知県産婦人科医会にお問い合わせください。

愛知県産婦人科医会女性会員に対するアンケート結果を会員限定ページでご覧いただけます。

今年度は女性医師交流の場の提供を企画中です。決定次第お知らせします。

ご意見、ご相談は
ando-tm@nagoya-1st.jrc.or.jpまでお願いします。

子育て体験談その4~昭和52年卒の先生の経験~

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≪結婚は‥・≫

27歳、卒後3年目の時。1年研修後産婦人科医になって2年目の時です。

仕事においては結婚を機にかわったとこは特にありません。

結婚して3ヵ月後に妊娠しました。

≪出産は…≫

第1子を28歳(卒後4年目)、第2子を31歳(卒後6年目)で出産しました。

出産時は総合病院産婦人科勤務医でした。産婦人科医は3人で、分娩は月50~60件、手術は週3日、外来は一人週3~4日、病院当直月2回、産直(自宅待機)週1回及び土日祝日月1~2回といった感じの勤務状況でした。妊娠中と産後1年間は産直と病院当直を免除して頂きました。これは、病院の就業規則にそったものでしたが、医師の当直に関しては認められていませんでした。当時、病院全体では妊娠中の女性医師が3人いて、医局会に諮って認めて頂きました。産直は代務医師をお願いしましたが、私の産休中は通常勤務の代務医師の補充はなく、部長や同僚の先生はとても御苦労をなさったと思います。そのおかげで、私自身はつわりも切迫流早産もなく34週まで勤務しました。

≪産後の復帰は…≫

hiyoko2回とも産後6週で復帰しました。前述したとおり1年間は当直免除でした。

妊娠中に子供を預かっていただく方を探しました。名古屋市の「保育ママさん」の制度でひとり決まりかけましたが、自宅からも職場からも遠く迷っていたところ、知人の紹介で自宅と職場の中間くらいの所に住んでいる方が引き受けてくださいました。自宅から車で5分の距離でした。子供さんのいない40代のご夫婦で、時間無制限、病気の時も可、食事も洗濯も全部やって、家族のように子供を育ててくださいました。子供たちもそこが自分の家だと思っていたかもしれません。このご夫婦のことを書き始めたら何ページ書いても足りません。仕事を続けてこられたのは、この方たちとの出会いがすべてといっても過言ではありません。長男は次男が生まれた時(2歳)から、次男は1歳から保育園に入園しました。二重保育でした。1回目の産休明け、最初の緊急帝王切開で胎盤剥離面から大出血して大変な思いをしました。6週間のブランクでも復帰時は慣れるまで怖さを感じました。ブランクはできるだけ短いほうがよいと感じました。

≪妊娠・出産を通して感じたこと…≫

妊娠中は特に感動も苦労もありませんでした。これは仕事柄仕方ないと思います。

産婦人科医として分娩に立ち会う時は胎児の状態を心配しますが、自分の分娩中は子供のことは全く考えませんでした。初産はかなりの難産でしたから、痛みに耐えることで精一杯で、他のことは頭にうかびませんでした。精神的には、産むより産ませるほうがしんどいという感想をもちました。他人に任せる分娩は気が楽と感じました。

≪育児と仕事の両立…≫

保育園入園までは朝子供を連れて出かけて、途中で前述のお宅(その方をマミーと呼んでいました)に預けて、仕事が終わって帰りに連れてきました。6週間だけ母乳で、自然断乳となり、ミルクと離乳食にすすみましたが、ほんとマミーにお任せで休日はそれに合わせて自宅で食べさせていました。私の帰宅が遅い時や朝早い時、当直の時は夫がこれらのことをやりました。二人とも無理な時は、そのままマミーの家に泊めてもらいました。眠っている子を夜中に連れて帰ったり、一度帰ってからまたマミーの家に連れていったり、子供にとっては落ち着かない状況でした。それでもなんとか受け入れて頂けたのは本当にありがたいことでした。

夫は大学の教員で、私よりは時間の余裕がありましたから、急な状況にもよく対応してくれました。長期出張で夫が家を空けるときは、田舎の親たちに来てもらいました。予定が分かっている場合は可能な限りの安全網を張り巡らしましたが、それでも誰もいなくなる状況はよく生じました。最悪は当直室に子供を寝かせておいて仕事をしました。

保育園入園後は、朝保育園に送ってから出勤、延長保育いっぱいまで預けてお迎えに行き、多くの場合マミーの家において病院に戻りました。迎えに行く予定が無理になり、オペ室のナースにマミーに連絡をとってもらい迎えを頼んだことも何回かあります。保育園では歩いて登園させろといわれ、時間をかけて送って、走って帰って自分は車で出勤で、私は遅刻の常習犯でした。図々しく過ごしましたが、今考えると恥ずかしい限りです。

自宅から車で15分の距離の病院に勤務していましたので(というより私の勤務先の近くに住んでいましたので)こんな生活ができましたが、大学に帰局してからは、さすがに途中で抜けて子供を迎えにはいけず、マミーに全面的にお願いしました。大学の2年間は帰宅時間は遅くなりましたが、帰ってからの呼び出しはなく、安心して過ごせました。

小学校入学後は学童保育に行き、終わってからはマミーの家に帰って食事をして私が帰りに連れて家に帰りました。二人とも小学生になってからは、迎えがなくても自分たちで自転車で行き来するようになっていきました。学童保育の行事や役員、PTAの役員などは夫が頑張ってやってくれましたので助かりました。学校行事は入学式は夫、卒業式は私、授業参観はマミーが参加しました。

≪仕事と育児の両立のコツ…≫

遅刻の常習犯でしたので大きいことは言えませんが、産前産後休暇以外は子供のことで仕事を休んだことはありません。仕事の途中で同僚の先生にお願いして抜け出して、保育園や学校の行事をこなしました。子供の病気も突然の呼び出しは同様に対処し、マミーに預けてまた仕事に戻りました。子供が入院した時も仕事中は親やマミーに付き添ってもらいました。緊急時の1時間を同僚の先生に助けてもらえば、何とか切り抜けられるものです。そのためには、普段自分が働ける時にはできるだけ多く仕事をして、急なときにお世話になる先生に自分の時間を作ってもらうよう心がけることと、子供の面倒をみてもらえる体制を何重にも作っておくことが必要です。

≪子育て中の苦労‥・≫

子供が病気をすることはあたり前で、仕事をしていてもしていなくてもー緒です。誰もが、「うちの子ばかりどうしてこんなに病気をするのか」と思うものです。ただ、どうしても職業柄自分で判断して主治医と母親の二役をやってしまうので、しんどくなります。こじらせてから小児科の先生にお世話になることになります。

学会の前や、受け持ち患者さんの状態が悪い時に限って子供は具合がわるくなるもので、泣きたくなることが何回もありました。それは偶然ではなくて、自分の気持ちが仕事のことでいっぱいになると子供に無理をさせ、子供に注意を払わなくなるからなのでしょう。私は怠惰な人間で、すべて泥縄式なのですが、上記の経験より、その頃は学会の準備は早めに終えることを心がけました。緊急呼び出しは常でしたから、子供と私だけでいる時は呼び出されたらどうするかをいつも考えていました。映画館や遠足と途中で子供を犠牲にしたこともあります。

≪仕事と子育ての両立にあたって心がけたこと‥・≫

子育ての時期は、自分のキャリアアップのための時期と重なりますから、自分の収入は全部育児のために費やしてよいというくらいの気持ちで、お金で解決できることは解決して自分の時間を作りました。給料の安い病院に勤務していましたから、マミーに十分なお礼ができたわけではありませんが、二重保育はそれなりの出費を覚悟しないとできません。保育園、学校、学童保育と年齢があがると、お金では解決できない人間関係が多くなります。子供を通して広がった人間関係が自分の世界を広くしてくました。本当に多<の人たちが助けてくれました。可能な限り、仕事以外の世界に参加することは大切だと思います。夫が家のことも地域のことも積極的に関わってくれたことは何よりの力でした。

2回の産休の間に、1年若い同僚の先生は着実に腕をあげ、手術もうまくなりました。勿論天性の才能もあり、産休によるブランクだけの問題ではありませんが少し焦りました。私は大学への帰局をその時点では断ったので当然その先生が先に帰局されました。何事もそうですが、他人と比較する生き方は賢明ではありません。自分がその時できることを精―杯やることが大切だと思います。仕事と育児をしていると、不足感がついてまわります。どちらも足りないことばかり、どちらでも謝ってばかりという事態になります。完璧を期そうとしないで、中途半端に慣れること、鈍感になることが必要です。50%ずつできたら足して100%と考えています。

≪仕事と家庭のバランス‥≫

仕事に合わせて家庭を作ってきました。家では夫も私も仕事優先です。子供がいた時も家を離れてからも変わっていません。仕事をするためには何が必要かと考えて必要なものを

探しました。

≪休日の過ごし方‥≫

時間があれば寝て過ごしました。子供にはぐうたらな母親だったと思います。夏期休暇や年末年始で休みの取れるときは家族旅行に出かけました。名古屋を離れれば呼び出しはなく、安心して子供と向き合えました。テレビドラマが好きで、子供が思春期の頃はドラマの話題で何とか会話が成り立っていました。

≪その他‥・≫

自分ができることをやろうとするのではなく、自分がやりたいことをするにはどうしたらよいかを考えて手に入れていくことが大切だと思います。子供や家庭のために自分が犠牲になったと感じることは不幸であり、子供にも迷惑な話です。

仕事と家庭の両立で一番大切なことは、良好な人間関係です。夫婦、親子、友人、地域、職場の上司や同僚。自分がやれることは精一杯やって、できないことはお願いするしかありません。子供を育てる中で自分も成長し、子供がいたから仕事も頑張れたと思っています。家庭をもつこと、子供を育てることと仕事をすることは二者択一ではな<、どちらもできて自然な状態です。

私は今も家庭でも仕事でも多<の問題を抱えていますが、自分がその時々を精一杯過ごしてきたことを後悔はしていません。もう一回やりなおせても同じ道を歩むと思います。

子育て体験談その3~平成2年卒の先生~

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≪結婚は…≫

27歳、卒後3年目の時でした。結婚して特に変わったことはありませんでした。家事を分担するよう、夫の初期教育が大切です。

≪出産は‥・≫

1子は31歳、卒後7年目で、大学院4年に在籍中でした。博士論文を仕上げたあとの学生だったので気楽でした。第2子は33歳、卒後9年目で、大学院卒業後、総合病院勤務2年目でした。上司1人と私だけだったので、二人目を作る前に一応上司に相談しました。

≪産後の復帰は‥・≫

法律通り、産後8週間のお休みをもらいましたが、第1子の後は復活が大変でした(体調の問題です)。第2子のあとは体が楽でしたが、8週間はしっかり体みました。二人とも産休明けから入れる保育園に入れました。第1子妊娠中から保育園などをしっかり探しておくことが重要です。

≪妊娠、出産を通して感じたこと‥・≫

私の場合は問題ありませんでしたが、妊娠・出産ともに、してみないと分からないことが多いです(切迫になるなど)。そのつもりで計画妊娠をすべきです。また、一人目の産休明けの仕事は、かなり体力がいります。

≪育児と仕事の両立‥・≫

保育園、夫、自分の母、ペビーシッターを利用しました。両立にあたっては、体力と「自分のやる気と夫の協力」が肝心です。当時は時間短縮などなかったので、保育園十ベビーシッターの2本立てでした。当直については勤務先の状況次第でいろいろでした。

≪子育て中の苦労‥・≫

緊急オペや夜間の呼び出し時に夫が不在の時が大変困りました。午後3時過ぎの保育園からの「お熱」呼び出しも困りました。また予防注射などでかなり有給を要しました。学校に入ってからの方が大変で、早く帰ってくるので、トワイライトを利用しました。

≪心がけ‥・≫

とにかく短時間でなんでもこなし、要領よくやるように心がけました。子供がいるから、というのを言い訳にしすぎないようにしました。

≪休日は‥・≫

とにかく子供と一緒にいる時間を大切にしました。

≪その他‥・≫

女性医師の気持ちが大切です。両立は大変なこと、これは当たり前です。女性医師が増加して、医療崩壊の一端を担わないよう、努力して下さい。健康な男女であれば計画妊娠を!できちやった婚は論外です。

育児情報

子育て体験談

活動報告

小委員会からのお知らせ

女性医師支援小委員会発足のご挨拶

担当理事 石川薫
(愛知県産婦人科医会理事)

過重労働と医療訴訟のリスクから産婦人科医師数は減少の一途です。 厚労省の最新の統計によれば、日本の産婦人科医師数はH6年を100としてH18年には87まで減少しています。その中でも憂慮すべき問題は

  • 産婦人科を選択する若手医師の減少及びその少ない中での女性医師の占める割合の増加。例えばH19/9時点で愛知県の20代の産婦人科女性/男性医師数は36/18人、30代97/74人、40代53/130人です。
  • 中規模病院からの産婦人科勤務医の「立ち去り型サボタージュ」による撤退事態を放置すれば産婦人科医療の瓦解は必然です。

瓦解を食い止めるためのキ—は、今産婦人科医療を最前線で何とか支えている20代、30代の女性産婦人科勤務医師が、将来的な結婚・妊娠・出産・育児の中でも就労を継続できる支援システムの整備です。多くの女性産婦人科医師は仕事と家庭の両立を模索しています。医会ではH19年8月に愛知県産婦人科医会の全女性会員へのアンケート調査を実施し、それを基にH20年1月には「産婦人科医療を救う女性医師の就労を支援する委員会」を立ち上げ現在は「女性医師支援小員会」として活動しています。

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