2014年08月

2014年08月29日

待てど暮らせど勉強をしない(そりゃそうだ)

本人が自発的に勉強するよう、その時をずっと待ち続けてきました。
このままではまずい。
そう思って自分から勉強するようになることを、ずっと。

入会前の保護者(三者)面談で、お母さんからそうお聞きすることがあります。その場合、正直、苦笑あるのみですけれど。

それで、そのようになりましたか?
いいえ、いつまで待ってもそうならないので、今日はこうして子どもを連れてきました。

そうでしょう。子どもなんて、そんなものです。「自発的に…」「自ら問題を探し、自らそれを解決し…」教育現場に広く蔓延するところの美辞麗句ですが、普通、そうはならないんですよ。大人が、その方向へ向かうように、投げかけをしなければならないんです。

早寝・早起きが習慣なれば、遅寝・遅起きが習慣ならば、家庭学習をするしないもまた習慣なんですよ。そしてその習慣とは、仏教で言うところのカルマよろしく、すごい力で自己を縛り付けているものなんです。「分かっちゃいるけど、それができない…」という部分です。私なんか、たくさんありますよ。酒にタバコに、あれにこれに…。

待てど暮らせど、勉強をしない。その気配もない。そりゃそうです。大人も子どもも、普通はそんなものです。ある日、ある時、一念発起して何かに徹底的に打ち込み始めるって、人生を振り返ってみて、そうしたことって、そうそうあるものではないですよね?(私なんかも、ほとんどないなぁ…)

車は急に止まらない。慣性の法則が強く働いているからですね。待てど暮らせど勉強をしないって、それもまた同じことです。とは言え、そうして連れられてきた子(笑)を勉強する子に変えるのが、それが我々の仕事ではあります。正直、確率半分といったところでしょうか。さて、頑張んなきゃ。

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jounetsu_kuukan at 13:04|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 教育問題 | 雑感

急がば回れ(外国語<母国語)

外国語は、母国語を超えることはできない。

幼児期からの英語教育。否定はしません。ただ、そのことだけは忘れないでいていただきたいと思うのです。ちなみに我が家では、英語教育などは二の次・三の次です。日本語を鍛えることこそが最優先。そこの部分を見誤ると、「お金をかけるも、それに見合っただけの効果はなかった」つまり、大切なお金を失ってしまうことになりますよ(笑)。

事実、相当に早い時期から英語に取り組んでも、英検3級あたりまでが関の山で、チャレンジするもそこから先に進めないというケースを、何度も目の当たりにしてきました。繰り返します。母国語優先です。国語の土台がきちんとできたならば、あとはやるかやらないかの勝負と、それだけのことですから。

●「英語の誤訳」と「国語力」
http://www002.upp.so-net.ne.jp/singakukouza/jijimonndai.html#Anchor-10506

《引用開始》
適当に単語をつなげて訳してしまう子の感覚

 英語の長文の勉強をやっていると、途中でわからなくなったときに「適当に単語をつなげて意味の通るようにしよう」としてしまい、結果、文章全体の流れとか、その部分で何が起きているか、という事を全く掴めなくなってしまう子がいます。
 基本的に、中学生レベルであれば、英語の文法の規則に則った訳をしておけば、ほとんど間違いないのですが、それがきちんと出来ないんですね。その原因は次の3点。

1 英語の訳の手順が分かっていない。
2 手順は分かっていても、国語力が低く、結局、何を言おうとしているのかが分からない。
3 単語の意味を取り違えて、全体の意味が分からなくなっている。

 1であれば、単純に「主部」と「述部」でざっくり分けて意味を捉えても、大まかな事くらいは分かるのですが、それが出来ないんですね。ですから、修飾する部分を少し細かくしていくと、途端に意味が分からなくなる、そういう現象が起きていると思ってください。
 2は、日頃の読書力が物を言うわけで、全体の流れを考えて訳を進めると、おそらく想像がつくだろう、と思われる所がダメなんですね。こうなると、高校の勉強で言われる「分からない単語が出てきたら、それまでの文章の流れから、意味をくみ取りなさい」というのが出来ません。この辺が「国語力に勝る英語力無し」のゆえんです。会話での例で分かりやすく言うと、日頃、「うざい」「きもい」レベルの話しか出来ないやつは、海外に留学して英語が話せるようになったところで、英語でも「うざい」「きもい」レベルの話しか出来ないということです。今、英語を導入している企業で問題になっているのが、この「英語は話せるけど、内容が無い」という部分なんですね。
 3については、単語の例で示すとaboutという単語には「およそ」と「~について」という複数の意味があるのですが、これを片方しか覚えていないため、それに合うように無理矢理訳をこじつける、というもの。aboutの元々のイメージは「中心になる範囲があって、その範囲とその範囲より一回り広い周辺部分を含む」ということなんです。だから「正しい数字があって、その近くの数字も含めて考えよう~およそ」という発想と「何か物事があって、その周辺部分まで含めてお話しよう~について」という訳ができあがるわけですが、このイメージを無視して、単に「覚えろ」式の勉強をしてしまうと、多少手間がかかってもひとつずつ覚えるしかないので、それが負担となり、訳語が出てこない事になる、と思われます。

 いずれにせよ、この3点がクリア出来ないと、きちんとした訳が掴めません。比較的、他の科目では点数が取れるのに、英語が不得意という人は、この3点のうち、どれに該当するのかな、と考えてみるといいと思います。
《引用終了》

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jounetsu_kuukan at 12:38|PermalinkComments(4)TrackBack(0) 教育問題 | 雑感

朝読書には音読を組み入れよう!

読書こそは学力向上の礎である。論を俟たないとは、まさにこのことでしょう。しかしながら、「分かっちゃいるけど、そう仕向けるのは簡単そうで難しい」ものかと思います。

朝読書は有効な手法でしょう。しかし、その効果のほどを検証していないそれって、私にはさほど意味のあるものとは思えません。小学女児が、大人が読んでも顔が真っ赤になりそうな、携帯恋愛小説(笑)なんかを持ち込んで朝っぱらから読んでいるとか、そりゃ読書も結構でしょうが、いくらんなんでも野放しはいけないでしょーが。

実際、「朝読書」ならぬ「朝字面追い」になっている子も少なからずいるわけなんですね。つまり、読めているようで実は読めていないということです。《黙読》ではそれが分かりません。《音読》をさせてみなくては。せっかくの時間がもったいない。なぜ《音読》をさせないのかが、私には理解不能です。さて、今日(2014.08.29)の読売新聞、学力危機です。例によってすばらしい記事、その《音読》の重要性について言及なさっています。

音読は読めない漢字に出会い、調べることで語彙力も自然と身につく。語彙が増えれば文章を書く力も高まる。

まさにおっしゃる通りです。《音読》をさせ、語彙力が高まる方向へと導く。例えば、傍らに辞書を置き、調べたことばの箇所に付箋を貼らせたり、調べたことばをノートに書き出させるとか、工夫できることはまだまだたくさんあるはずです。記事のように児童本人に紹介文を書いてもらうとか、工夫ってものが足りていないんだな、工夫ってものがさ。

最近、どうにも鼻について仕方ないのが、例の《言語活動》というヤツです。もちろん、とても重要なことであるのは理解できますが、それが「話し言葉」へと曲解されているような気がしてならないのです。事実、《作文》指導が驚くほど疎かになっているようですね。まず、《音読》指導と《作文》指導がありき。その上での《読書》だろうって、そう思います。ええ、かつて学校の先生がそうして下さったように。

小学校入学前の小さな子ども。「××って、どういう意味?」とさかんに尋ねてきますよね。あれとまったく同じ状況が、しばらくの間、続いているってことですよ。大人は、それを自発的に調べるよう、また知っているか知らないか、合いの手を入れて、見守り、そして導いてあげるということでしょう。

《追記》
元小学校教員、科学者のSさんからお寄せいただいたコメントです。さ・す・が!

順番が違うんです。小学校ではまず読み書きなのです。それから読書。読み書きが不十分なまま読書させても、広がらない。

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jounetsu_kuukan at 11:46|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 教育問題 | 雑感

2014年08月28日

適正進度厳守がなぜ重要なのか?

この期に及んで、まだこうなんだ…。

先日行われた某中学校の定期試験出題範囲表を見て、ため息が出ました。ずばり、進度が大幅に遅れまくり。もしかしてもしかして、進度が遅れること自体、それ自体がいけないことだって、そうした自覚がないのでしょうか?いや、きっとそうなのでしょう。では、そのことについて綴ってみようと思います。

ある単元があります。どの教科のどの単元でもいいですが、仮にそれを戦後史(歴史)としましょう。戦後の焼け野原から高度経済成長を成し遂げ、バブル崩壊を経て現在に至るわけですが、濃密な69年の歴史を学ぶのですから、当然ながら「かけるべき時間」というものがあるわけですね。例えば、その標準時間数を10コマとします。それこそ、ていねいに教えるべきを教え、考えさせるを考えさせ、10コマを費やして授業を行うべき。いや行わなければならないんですね、学校は。

塾の場合、その10コマが2コマとか3コマしかないんですね。それしか時間が与えられていないんです。なので、単純に学校の3倍ペースとかで授業を進めなければ、到底間に合いません。さて、本来はそうして10コマを費やして時間をかけて指導すべき単元をですね、まるで塾さながらに、2コマとか3コマで強制的にやり過ごしてしまったなら、何が、どうしたことが起こるのか?ええ、知識・技能が定着しないで終了、ということになってしまうわけです。

塾の場合、それでも一定程度は知識が定着するのは、その時間の多くを《演習》に充てているからです。ところが学校が同じペースで授業を消化しようとすると、それは《授業》ではなく、単に《説明・解説》の時間になってしまいますね。《授業》ではなく《説明・解説》であるならば、それは知識・技能が定着する方が不思議というものです。

ですから、各教科書会社は、費やすべき授業コマ数の目安を明示しているんです。この単元は何コマを割り当て、次の単元は何コマを割り当てるべき、と。ところがこの地では、昔からそれがしっちゃかめっちゃか(失礼)だったりするわけなんです。戦後史なんか、プリントで端折って2・3コマで強制終了とか、最悪は「教科書を読んでおきなさい」などと完全にすっ飛ばすパターンを、それこそ嫌と言うほど目の当たりにしてきました。

数学なども顕著ですね。文字式・方程式・連立方程式・二次方程式・平方根と、計算部分にやたらめったらに時間を費やし、その後に続く文章題や利用は、脱兎のごとく「巻いて」終了。そしていずれの学年も、教科書最後の単元が本当に驚くほどに弱いんですね。しかしそれは必然。なぜなら、そうして適正に費やすべき授業コマ数を、簡単な部分にやたらに多く振り分けてしまっているから。もう、お分かりかと思います。教科書会社が定める、その単元に費やすべき適正な授業コマ数、その単元を指導すべき適正な時期、それが大きくずれてしまっているということです。

簡単な単元に必要以上に授業コマ数を費やし、そうではない単元では授業コマ数を大きく減らす。
常に進度が遅く、その結果、教科書の後半部分の学習指導が毎度疎かになる。

はい、だから適正進度遵守は、ものすごく重要なことなんです。そして、そこにメスを入れたならば、学力向上など達成したも同然ってことなんです。でもしかし、いくら指摘してもそこに踏み込もうとしないんですね。なぜなら、教師を指導する側の教師もまた、そうしてきたから。再度、繰り返します。適正進度を厳守すること。適正な授業コマ数から逸脱しないこと。そこを徹底させればいい。それだけのことです。

《追記》
元小学校教員、科学者のSさんからお寄せいただいたコメントです。

「だって、生徒たちに一生懸命教えてるんですから」ということなんでしょうね。本心は(生徒たち、いくら丁寧に教えても理解しないんですから)なんでしょうが。

教科書の指導書による進度は、年間授業時数を40週として計画されていると思います。実際に登校するのは44週。すなわち4週=1ヶ月も余裕がある計画になっているんです。

生徒たちに十分理解させ、習熟させ、定着させるには、ゆっくり丁寧に教えるより、計画よりも早めに教えていって、途中途中に復習時間を設けることがよいのです。それは実践的に明らかなことです。

35週くらいで教えきるつもりで、授業を進め、重要単元は繰り返し復習時間を取る。44-35=9週も年間に復習時間として使えれば、みんなできるようになりますよー。

もともと学習指導要領の内容は、35週で教えることを前提に組まれています。その程度の量と内容になっているんです。

もしかすると古い知識かもしれませんが、たぶん変わっていないと思います。


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jounetsu_kuukan at 13:31|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 教育問題 | 雑感

情けないぞ、釧路市教委!

まずは、今日(2014.08.28)の読売新聞から。

岩見沢市も、苫小牧市も、帯広市も、学力テストの市の平均正答率を公表するとのことです。昨日の北海道新聞によると、道内では45%強、81教委が市町村平均正答率を公表するとのことで、検討中の自治体を含めたならば過半数を超えそうな勢いでありますが…。

いずれの市も、教育行政トップの腹が据わっているのでしょうね。

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お次は、同じく今日の北海道新聞朝刊から。まぁ、学校別非公開ってのは予想通りなので、やっぱりねーとの感情程度しかないのですけれど、あらあらあら、釧根管内は軒並み非公開、我が釧路市も例によっての星印標記だそうで…。全国初の基礎学力保障条例を有する街なのに、釧路市教育推進基本計画を策定したばかりの街なのに、独自の学力試験を実施している街なのに、やっぱりそうなんですねぇ。

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全国平均を優にクリアしている鶴居村、児童・生徒の学力が高い別海町は、そりゃ公表しなくたっていいでしょうさ。だって、勝ち組なんだもん(苦笑)。そんな中、根室市と羅臼町は前向きですね。ビビリ屋の、一番大きいヘタレ教委など見限ってですね、ぜひ、数値そのものを公表なさってくださいね!

でもしかし、市の平均点を出すってただそれだけのことに、どうしてここまでビビリまくるのでしょうかね、我が市教委は?民主党市政下の、あの、札幌市教委ですら検討中なのに…。蝦ちゃん 市長の方針なのか、それとも教育長の方針なのか、はたまた前教育長からの申し送りなのか、どうでもいいですけれど、こうしてどんどんどんどん他の自治体に抜き去られて行くのでしょうか。

情けないですね。実に情けないって思います。決断のできない教育行政。どうして、毎度毎度、重要な判断を見誤ってしまうのかなぁ…。これだもん、何年経っても子どもの学力を回復できないわけだ。情けないったら、ありゃしない。

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jounetsu_kuukan at 12:34|PermalinkComments(2)TrackBack(0) 教育問題 | 雑感

量が足りていない

プラス思考。頑張る現場の応援団。今日(2014.08.28)の読売新聞、北海道版記事(学力危機)です。こんなすばらしい記事を書いてくれているのに、道内での購読部数が伸び悩んでいるとは、道民として申し訳なく思います。(一方、道内版・道内地方版をもっともっと充実させたなら、まだまだ伸びるでしょ!って言いたい部分もありますけど。アハハ)

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他の都府県と比べて学習量が少ないのではないか。全国平均を目指すには、もっと量をこなすしかない。

との鈴木重雄さん(北海道師範塾・副塾頭)のご指摘、まったくもってその通りと思います。ある小学校の補習授業の見学の際において、同行した合格先生と、その学校長の会話。話題は、掛け算・割り算の筆算の演習量について。「500問程度を解けば、どの子もちゃんと身につくようになるでしょう」と合格先生。同業として、私も同感です。ところが、校長は「えっ、そんなに!」と、とても驚いていた様子でした。

漢字の書き取り、計算、英単語の習得。そんなもの(失礼)、ちゃんと書かせて量をこなしたならば、どの子だってできるようになるものなんです。ところが、我々に言わせたなら、それがまるで足りていないケースが多いこと多いこと。その場で見ている限りにおいては、どうやらできているっぽい。でもそれって、危険なんですよね。なぜなら、再現性の確認ができていないから。いわゆる「読み・書き・計算」の基礎基本の部分は、いつでもどこでも確実に再現可能であるようにトレーニングしなけりゃならないもの。でも、そこがまだまだまだまだ甘いって、同じく学習指導を生業とする者として思うわけなんです。

計算だって、手順が合っていりゃ、答えが合っていりゃそれでいいとか、そうしたものではなく、「速く・正確に」という部分を鍛えていかなきゃならないはずが、そこには踏み込んでいない場合が多いのでしょう。そしてこの部分、突き詰めて考えると、教える側個々人の《基準》の問題ということになるんですよね。Aさんにとっては「子ども達の理解度は良好」でも、Bさんにとっては「まだまだ練習不足」で、Cさんに言わせたなら「お話にならない」って、そんなものなんです。これでよし。その《基準》が実に曖昧だということです。

北海道の場合、演習問題を解かせて量をこなす学習に対して、まだまだ《詰め込み》とのネガティブな認識が強くあって、それもまた演習不足に寄与してしまっていることは否定できないものかと思います。なので、「ちゃんとできるようにさせること」よりも、「いかに分かりやすく教えるか」へと関心が向いてしまう。しかし、どんなに分かりやすい授業に徹したとて、思うように知識・技能が定着しないとうジレンマを抱え込んでしまっているのではないでしょうか。でもそれって、単にこういうことです。演習量が足りていないから。

量をこなすことを、もっと大切にして欲しいと思います。量より質って、それは違いますよ。量をこなして、そうしてはじめて質を語れるようになるんですからね。

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jounetsu_kuukan at 12:03|PermalinkComments(2)TrackBack(0) 教育問題 | 雑感

2014年08月27日

文章を読ませ、文章を書かせる(記述式対策)

答案とは作るもの。

実は、本道の子ども達には、そうした認識が薄いんです。学力試験や模擬試験・入試において、記述式の空欄の多いこと多いこと。解答欄が埋まっているのは、せいぜい記号問題のみ。否、その記号すら埋めていない子もやたらに多いわけなんです。嘘みたいな話ですが、事実なんです。記号問題すら埋めないことが…。

いいかい、空欄は作らないこと。記号問題は、何があろうと絶対に埋めること。記述式も、何でもいいから書くこと!中間点ってものがあるんだよ。配点が4点だったなら、かすっていたなら、1点・2点はもらえるんだよ。

そんなことを子ども達に言うわけですが、まぁ、それでも埋まりませんね。本当に、驚くほど空欄が多いんです。記号問題のみを埋めただけでも、確率上90点(300点満点)得点ってところでしょうか。そこから先、記述式を少しでも消化できたならば、120点・140点とかにすぐに届くものなんですね。でも、埋まらない。

そもそも設問を読めて(読んで)いない。
完全に戦意喪失状態にある。


記号問題を埋められない子は、そうした状況下にあるわけなんですね。ものすごくあたり前のこと。しかし見落とされていて軽視されていること。ここだって思いますね。まず、記号問題は何があろうと絶対に埋めるように指導を徹底すること。学力総合ABC試験で合計点が50点とか60点とかの子は、まずもって記号問題すらすべてを埋めていないんですよ。実はそういうことなんです。

今日(2014.08.27)の読売新聞記事です。何も書けなかった児童がしっかりした文章を書けるようになる。こつこつ指導する大切さ。どこぞの新聞とは大違い、プラス思考の前向きな記事に感謝申し上げます。

答案とは作るもの。

日々の学習指導を通じ、子ども達にそれを伝えていかなければならないものでしょう。文章を読ませること。そして文章を書かせること。記述対策とは結局、そこに帰着するものだろうと思います。

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jounetsu_kuukan at 16:11|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 教育問題 | 雑感

札幌市はどう出るか?(全国学テ結果公表)

教条的な社説の後は、沈着冷静、事実を淡々と報じる記事。今日(2014.08.27)の北海道新聞から。

なるほど、市町村全体の結果を公表するのは81教委だそうです。社説では「同調を得られなかった」としながら、初年度で45%強の同調を得られた(笑)ってことなんですね。予想以上に高い数字で、十分に同調を得られたって、そう思いますけれどね。

意外や意外、札幌市は検討中だそうです。元北教組顧問弁護団出身の方による市政にあって、道教委の学力向上策には問答無用に反対!もはや北教組天国!の札幌市が。どのような形であれ、公表を強く強く望みます。学力の二極化が著しいのは、実は札幌市に他ならないからです。(驚愕の結果が出ることになるでしょう)

さて、おもしろくなってきました。

ところで、我が釧路市はどうするのかな?そりゃ、もちろん、行くでしょうね!全国初の基礎学力保障条例を有する街なんですからね。ご期待申し上げております。

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jounetsu_kuukan at 12:46|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 教育問題 | 雑感

北教組御用新聞の社説から

案の定、出ましたね。北教組の主張をまんまトレースした社説が。冷静に構えたい」ってさ、社説と卓上四季での連日のヒステリックな安倍政権バッシングをやめて、それこそ「冷静に構えてもらいたい」って思うんですけどねぇ。とういわけで、道民新聞、今日(2014.08.27)の社説から。

全国学力テストの学校別公表ですが、そりゃ賛否両論あって然るべきだって思いますよ。この私も、小規模校が特定されるような公表の仕方は慎むべきだって、そう思いますからね。公表の是非判断を丸投げしながら、ほとんど同調を得られなかった文科省」って、そりゃ違うべさ。なにせはじめてのことだから、どの自治体も動向を静観している段階って、単にそういうことことでしょ?

「道内も含めて全体に学力の底上げが進んだことで、地域間の差異をことさら強調する意味合いもまた薄れた」って、では道内における地域間格差はどうなるわけ?ボロボロの日高とかは、ボロボロのままで構わないって、そういうこと?近年は児童生徒の間で成績上位・下位の二極化が進み、家庭の経済格差との連関が深刻な問題として浮上している」って、あらあらあら、分かっているんですね。で、その格差を是正すべきだとは思わないわけ?で、小学校の算数Aが45位、算数Bは最下位の47位で、それで満足。学力の底上げ完了!とかって思っているのかな?

「抽出方式で予算を浮かし、教員配置や奨学金制度の拡充に向けるべきだ」うーん、まんま北教組の主張ですね。さすがは北教組御用新聞でらっしゃる。家庭環境や経済状況に地域差もある」って、このおっさん(失礼)、どうにもこうにも、それと学力をセットで考えなきゃ気が済まないんでしょうね。家庭環境が良くないから、だから学力が低い。経済状況が良くないから、だから学力が低い。だったらそれをひっくり返してやろう!って、そうはまるで思えないのでしょうか。

総合的な学習の時間って、あれって教師の力量がもろに出るんでしょうね。何でもありありなわけだから、そりゃそうなってしまいますよ。で、文科省は、その総合的な学習の時間を用いて「探究活動をしっかりやった学校」、そうした学校では、「教科の正答率が高い傾向にある」って、そう言っているんですよ。でも一方で、学力低下論が叫ばれ、その時間がもったいないってことになり縮小される方向になったわけで、脱ゆとり教育の一環で総合学習は縮小されたが、見直されるべきではないのか」って、これまた北教組の主張そのものってことなんですね。

最後に。学校へのレッテル貼り」ってさ、文科省や道教委へのレッテル貼り。保守政党へのレッテル貼り。そうしたことを延々と繰り返している新聞って、どうなんでしょうね?地方版には時にすばらしい記事が出る。でもしかし、社説や卓上四季は、毎度こう。何なんだろう、この新聞って?いつもそう思っちゃう次第です。

金美齢さん曰く。北海道をダメにしている最大のもの、それは北海道新聞。悲しいかな、まったくもって同感であります…。社説や卓上四季を教材に用いてNIE(教育に新聞を)などをやられた日にゃ、北海道の子どもが壊されちゃう!って、そう思います。学校の先生方、お願いですから、それだけは絶対にやめて下さいね。

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jounetsu_kuukan at 12:00|PermalinkComments(2)TrackBack(0) 教育問題 | 雑感

2014年08月26日

お次は「宿題」に踏み込みましょう!

興味深いデータです。

次のデータから、本道の子ども達は、家で学校の授業の復習をしている。そう読み取ることができそうですね。全国平均よりもずっと高くなっていますから。

fukushuu



















しかし、家庭学習の時間はこういった感じで、全国平均を大きく下回るんですね。

bennkyou





















データに整合性が見られません。一方、教師の側はこうしたもの。

koku



















sann



















全国平均を下回っています。増えてはいるものの、やはり宿題の量が少ないことが読み取れます。以上を総合すると、こうした判断になります。

北海道の小中学校は、宿題の量が少ない。また、子どもの家庭学習時間も少ない。しかし、子ども達は学校の授業を家で復習していると思っている。

これ、つまりはこういったことですね。

ちょっと勉強したら、すごく勉強した気になる。
しかし、まだ量が足りていない。


実際、夏冬休みの課題(宿題)をまとめたプリントなどを見てみると、「宿題なし」とか「ワークP○~P×まで。提出の必要はなし」といったケースがとても多いんですね。中学校ですらそうなので、小学校は推して知るべし。私自身は、宿題を出す・出さない派で言ったならば、実は出さない派です。でも、その私から言わせても、やはり少なすぎると感じています。

もったいない。いかにももったいない。受験指導を生業とする塾の側から言わせたなら、実に実にもったいないことだって思います。夏を制する者は受験を制する。などと言われますが、その大切な期間がみすみす放置されてしまっているわけなんですね。「その時間、俺らにくれ!」って叫びたくなっちゃいます。

お次の攻めのポイントは、ここだって思います。宿題は、どの程度の量をもって、どういったレベルのものをもって、どういった形式のものをもって、《標準》とするのか、その《基準》を道教委が示すことだって思います。平常時のもの、長期休業中のものに分けて。ここ、本当に驚くほどに、指導する側個々人に温度差がある部分なんですよね。

宿題とは、子ども達を家庭学習へと誘い、学んだ知識の確実な定着を図ることを目的にしたツールである。故に、授業で未消化の部分を出すことは厳禁とする。配りっぱなしのもの、教師が正誤を確認しないものもまた宿題ではない。

そこの意思統一ができたならば、全国平均などクリアしたも同然だって思いますよ。道教委さん、よろしくお願いします!

●北海道教育委員会 義務教育課
平成26年度 全国学力・学習状況調査 調査結果のポイントについて
http://www.dokyoi.pref.hokkaido.lg.jp/hk/gky/gks/h2608tkp.htm

《追記》
宿題に関する調査項目もありますが、これだけだと、そもそも《量》が足りているのかいないのかが読み取れませんね。

shukudai



















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jounetsu_kuukan at 14:12|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 教育問題 | 雑感

わかるん&できるん

これ、いいですね、いい!

わかるん&できるん

だそうです。
好きだなぁ、こういうの。
誠意溢れる、若い女性が描いたってイメージ。
もしかして、道教委の職員さんの作品かな?
それとも、公募かな?
いいですね、ホノボノしていて。

全教育局に、カッティングとかで大きく貼って欲しいって思います。(^∀^)

無題
















《追記》
分かりました!
こういうこと(http://www.dokyoi.pref.hokkaido.lg.jp/hk/ksk/undou_page.htm)なんですね。
あぁ、スッキリ。\(^o^)/

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jounetsu_kuukan at 13:15|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 教育問題 | 雑感

支離滅裂な記事(北海道新聞)

お次は、恐怖新聞こと北海道新聞、今日の朝刊(2014.08.26)から。

 そもそも、全国学力テスト実施自体には疑問を感じる。例えば、北海道では塾が各地にあるわけではない。道内を見ても都市部とそれ以外の地域では、事情がかなり異なる。そうした状況を考慮せずに数値が発表され、全国平均と比較される。現在、その順位や比較が独り歩きし、関心の中心となっている。

 学力調査という点では、昨年までの傾向とさほど変わらないのだから、毎年行う必要があるのかも議論していい。数値だけを追うのではなく、弱点を見つけて今後の指導に生かすというのが本来の目的ではなかっただろうか。

21面記事にはこのようにあり、しかし1面にはこうあります。

 4科目平均正答率は文科省が公表していないため北海道新聞がデータを基に試算した。

バッカじゃねーの!いや、バカそのものだな。「文科省がデータを公表してないので試算して公表しました」ってそう言いながら、「数値が発表されて、それが独り歩きしている」って、何言ってんだべか?気は確かかい?自分が散々煽っておきながら、何こそ言ってんだべか?

塾がないから点数が低い。
都市部は学力が高い。


何言ってんの、この人は?実は秋田県って、通塾率がとても低いんですよ!おまけに、都市部よりも郡部の方が学力が高いんですよ!そう、学校が塾の機能をも請け負っているって、そういうことなんですよ。そうした事実を知らないのでしょうね。お気の毒な方です。

実に4面を割いて、出題までをも大々的に掲載しておきながら、まさしく自身が派手に煽っておきながら、しかしこんなテストは不要だって、もはや支離滅裂ですな。

はい、道民はこうして洗脳されていくんですね。第一通報者の放火犯が、燃え盛る火事の現場を見て不敵な笑みを浮かべている様子。思わずそれを連想してしまいますね。こんな新聞が、NIE(教育に新聞を)だなんて、笑わせるな!って、声を大にしてそう言いたくなりますね。ふざけるな、北海道新聞よ。

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jounetsu_kuukan at 11:48|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 教育問題 | 雑感

目標設定 意義あった(読売新聞)

同じく今日(2014.08.26)の読売新聞から。立川北海道教育長へのインタビュー記事です。

(応用力以前の)基礎基本が身に付いていない子供の割合が全国より高いことが原因だ。
義務教育の目的を踏まえ、正答率の少ない子供を減らし、なくしていくのが私たちの責務だ。

嬉しいですね、本当に嬉しい。この気概、本道の義務教育現場の隅々にまで広がることを、心より願ってやみません。いわゆる、できない子の救済。自己肯定感とやらを、たかが子どもの勉強ができないことで持てないなどとは、そんなことはけっして容認できるものではありませんから。

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国立教育政策研究所総括研究官、藤原文雄さんのコメントもまたすばらしい。

苦手分野を分析し、改善を図るという方法が学校レベルで進んでいる。
学習規律の徹底や学習習慣作りに学校ぐるみで力を入れた点が、特に有効だった。


「宿題を出すのは学校の敗北だ」という一部教師の認識。これ、たしかにそういった風潮が根強く残っていますね。宿題の真の目的は、学習習慣の確立にある。まったくもって、ご指摘の通りですね。授業のオープニングとクロージングに課題あり。これもまた、ご指摘の通り。一つ一つの授業に入魂。それを大切にしたならば、その部分は改善されるはずです。

お次は、2017年度調査において、全教育局管内の全教科が全国平均をクリア。というのが目標です。ハードルは、より高いものです。

やってやれないことはない。
やらずにできるわけがない。

頑張れ!すばらしい記事に、感謝・感謝であります。読売さん、ありがとう!

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jounetsu_kuukan at 11:18|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 教育問題 | 雑感

全国平均あと一歩(読売新聞)

さすがは「教育の読売」、すばらしい記事(2014.08.26)です。

道教委が掲げた一大目標。2014年度調査までに全国平均クリア。残念ながらその目標には及ばなかったものの、全国平均との格差は確実に縮まってきています。高橋前教育長の英断に、今更ながら心よりの感謝を申し上げたいと思います。

国語は改善が続くも、算数・数学は基礎足踏み。まったくもってその通り。中学校は大きく改善されたものの、小学校は足踏み状態が続いています。中学3年生は、高校入試という目標が間近に迫っていることもあり、だから伸ばしやすい。しかし小学校6年生は、そうした目標がないので伸ばしにくい。そうした事情もあると思われますが、しかしそれにしても算数が弱すぎですね。

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北海道の子は、算数・数学が実に弱い。塾人としてずっとそれを痛感しておりますが、今回もまたそれがデータに如実に現れています。

2011年に発表された一大目標。その後、道教委は矢継ぎ早に数々の施策を打ち続けてきましたが、いかんせん北海道は広く、また読売新聞が言うところの「空気のようなもの」が蔓延している中、現場に道教委の本気度が浸透するには時間がかかってしまいました。北教組の傀儡の札幌市教委の抵抗。教職員組合の抵抗。そんな中、道教委は本当によい仕事をしてくれたものです。

残念ながら目標は達成できませんでしたが、しかし期は熟しましたね。あともう一歩。頑張れ道教委!頑張れ小中学校!頑張れ先生方!子ども達に、結果で示そうではありませんか。

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jounetsu_kuukan at 10:59|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 教育問題 | 雑感

2014年08月25日

習っていない漢字は、自分の名前でもひらがなで書かせる

内側の同志のみなさんから教えていただいた、にわかには信じられない学習指導の実態を。

習っていない漢字は、自分の名前でもひらがなで書かせる。
漢字(=戸籍上)の正しい名前を書かせない。


私の下の名前は「かつとし」(克敏)ですが、いずれも中学校で習うことになっている漢字です。となると、小学校のうちは漢字で書いちゃダメってことになっちゃうんですね。「まだ習っていない漢字だから、名前はひらがなで書くようにしましょう!」などと言われたなら、そりゃ怒り出す親もいることでしょう。願いを込めてつけた名前。我が子もそれを書けるのに、書いたらNGだなんて。(私なら、確実に怒っちゃうな。うん)

自分の子どもが自分の名前を漢字で書けるのに、親としてもそのことを嬉しく思っているのに、それなのに「ひらがなに直せ」などと言われりゃ、そりゃ大半の親はムッとくるでしょう。でもしかし、そうしたおかしな学習指導もまた、今では普通のことになっているそうなんですね。

で、このお話ですが、もはや全国的にそうした学習指導が蔓延してしまっているそうで、「習っていない漢字は、ひらがなで書かなきゃダメなんだって…」としょんぼりして学校から帰ってくる子も多いそうです。おかしい。絶対におかしい。あり得ない。そう思うのは私だけでしょうか?

この点について、学校や教師で、実は認識がまちまちなんですね。そこもまた、思いっきり、超絶におかしい!って思うわけですが、みなさんはどうお考えになるでしょうか?それってつまり、先取り学習の禁止ってことですよね?「学校の勉強は、先に進んではいけないものです」って、暗に先取り学習を禁止していることと同じだって、どうしてそこまで考えが及ばないのかな?

ならば、漢検も英検も、およそ検定ものはすべて当該学年より先へ進むことはNGで、当然のことながら中学受験もまたNG。「学校で習ったことだけを覚え、まだ習っていないことに関しては、覚えたりできるようになってはいけません!」などと言っているのと同じだって、なぜどうして気付かないのか?そうまでして、学力の抑制を行いたいのかい?それってもしかして愚民化政策で、あんたはその手先かい?

「実は、そこまでの考えはないんですよ」「単に、何も考えていないんです」とは、敬愛する内側の同志の某先生の弁ですが、(書けるのに)「まだ習っていない漢字だから…」として、顔色をうかがったり気を遣いながら、子どもが《自分の名前》をひらがなで書かなきゃならないって、誰がどう考えたっておかしい!それのどこが教育的配慮だってーの!って思います。教育委員会単位、最低でも学校単位で、ちゃんとルールを決めるべき重要事項だって思いますね。

しかしまぁ、信じられないお話でありました。ゆとり教育が残したところの《負の遺産》を、象徴的かつ強烈に物語るエピソードだって思いますけれどね。バカバカしいったら、ありゃしません。

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jounetsu_kuukan at 16:56|PermalinkComments(4)TrackBack(0) 教育問題 | 雑感

学校評議員導入率20.6%って?

こんなデータを、道教委発表資料(http://www.dokyoi.pref.hokkaido.lg.jp/hk/ksk/H24houkokusyo/06.pdf)の中から見つけました。

無題















平成23年度からの数値は文部科学省調査によるものとのことなので、赤枠内が正しい数値なのでしょうけれど、我が釧路管内がダントツで低いんですね。こりゃ、びっくりですな。ただ、よく分からないのが市内・市外の別。

学校評議員は、「置くことができる」ものであって、置くことが義務付けられているわけではないみたいですが、それにしてもブッチギリで低いんですね、釧路管内って。これ、いくらなんでも低すぎでしょーが。さて、その自治体別内訳はどういったものなのか、釧路教育局にでも質問してみようかな?

こりゃ、ダメですよね。
でもしかし、何で釧路(管内)ってこうなんだべか?
もしかして、釧路(管内)では、学校運営に意見を述べるのはNGってことなんだべか?
(実際、学校長に意見を述べたところ、任命から外された方がいらっしゃいます)
でもって、釧路教育局はその辺をどう考えているんだべか?

地域と学校の結びつきがどうの。とかって言うのであれば、その前に、まずはここからちゃんとしましょうよって、私は思うけどねぇ。

学校評議員とは、学校運営に関して意見を述べる人員のことである。学校教育法施行規則(昭和22年文部省令第11号)の第49条に定められている。(Wikiより)

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jounetsu_kuukan at 15:45|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 教育問題 | 雑感

《児童・生徒編》に加えて《学校・教師編》もつくりましょう!

先ほどアップした、釧路市の学習規律(スタンダード)ですが、ぜひぜひブラッシュアップしていただきたく、例によって苦言を呈させていただきたいと思います(笑)。


無題































まずもって、教室の清掃美化と整理整頓から。夏冬の補習授業の際、いくつかの学校を見学させていただいて気付いたことです。あるクラスは、ビシッと片付いていて、日頃から担任の先生が、学習面のみならず、しっかり生活面の指導もなさっていることが伺えました(その後、尋ねてみたところ、公私に渡ってとてもキッチリした女性の先生とのことでした)。もちろん、掲示物もきちんと貼られていたし、当然のことながら、破れていたりめくれていたり曲がっていたり、掲示時期がはるか以前のものだったりとか、そうしたことはナシでしたね。

一方、教室はホコリまみれ。(お菓子の包装紙が落ちていた!)掲示物ははるか以前のものを貼りっぱなし、おまけに曲がっていたり破れていたりめくれていたり、アサガオなんかは鉢に枯れたまま。机はグニャグニャに曲がっていたり、「おっと、これは学習指導以前のお話だわなぁ…」と思ったことも何度か。

それと、教師の服装ですね、服装。毎度、ジャージ姿のサンダル履きって、ちょっとどうなんでしょうかね?スッピンのノーメイクの女性教師もさ、おいおいおいおい!って思っちゃう。まぁ、かといって茶髪だとかケバケバしいのは論外だけど、いくら子ども相手とは言え、常識的な服装、教師としてふさわしい服装ってものがあると思うんですけどねぇ。一般の会社では、常識以前のマナーってな部分ですね。ぜひ、そこにまで踏み込んでもらいたいって思いますよ。

お次は時間厳守、授業開始時間と授業終了時間について。毎度、時間に遅れて授業開始とか、これまた遅れて授業終了とか、反対に早すぎる終了とか、そうした部分にも学習規範を確立させるべきだって思いますよ。そんなことをしていたら、子ども達は「時間は、守らなくてもよいもの」と思っちゃうよ。それと、崩れた口調を慎み、基本は「です・ます調」にて授業を行いましょうとか、教える側、つまりは教師の側にも同様に、学習規律(スタンダード)を構築しましょうよ(指導規律の方がいいかな?)って、そういうことです。

教科書を用いましょう。ちゃんと板書して、プリントに逃げるのはやめましょう。子ども達にノートをとらせましょう。プリント学習に始終して、学習指導を端折るのはやめましょう。標準的な進度を厳守しましょう。定められた指導時間数もまた厳守しましょう。適正な量と内容の宿題、それを校内で共有しましょう。最低限の学力の担保、それに尽力しましょう。はっきり言っちゃいましょう。そこがしっかりしたならば、全道平均はおろか全国平均クリアも可能になりますよ。

まだまだありますよ。部活動・同好会活動、それに行事の精選と効率の追求。効率とは無縁、ただ闇雲にダラダラと費やされるむだな時間の多いこと多いこと。効率とは無縁でいられるから、だから非効率になっちゃうわけなんですよね。できない子、分からない子に対するフォローにもまたスタンダードな対応とか共通の見解が構築されていないし、家庭学習というものの認識についてもまた同様だったりしますね。そもそも、見解・認識からしてスタンダードなものがないって、まずもってそこが大問題ってことです。

学習規律(スタンダード)に、《児童・生徒編》に加えて、(指導規律?)《学校・教師編》をつくりましょうって、そうした提案です。それが本当の意味での《学校改善プラン》だろうって、そうしたならば学校はかつてのように光を取り戻すだろうって、そう私は思うわけです。そして釧路が聖地になるんです。

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jounetsu_kuukan at 14:21|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 教育問題 | 雑感

道民新聞に見る《洗脳》の手法

今朝の道民新聞の社説です。

教育問題を語る際は、こうして特定の政治的イデオロギーが随所に盛り込まれ、そしてそれを読んだ道民は知らず知らずの間に《洗脳》されてしまうわけなんですね…。

というわけで、本日の社説です。
見出しはいいんですけどねぇ…。

●どうしんウェブ 社説(2014.08.25)
不登校増加 兆候逃さず相談相手に
http://www.hokkaido-np.co.jp/news/editorial/558746.html

《引用開始》
 減り続けてきた小中学生の不登校が6年ぶりに増加に転じた。

 文部科学省の学校基本調査(速報)で、2013年度は前年度より7千人増えて12万人になった。

 道内も4千人を超えた。夏休み明けは特に不登校になりやすいとされる。学校と保護者、教育委員会が連携して児童生徒の兆候を見逃さず、不安に寄り添う努力が欠かせない。

 「脱ゆとり教育」で学習負担が増している。影響はないのか。文科省には増加の背景を分析し、対応策の立案を急いでもらいたい。

 一時的に学校に通えなくても居場所や学習機会が確保され、進路に支障が出ない体制づくりも一層進めなくてはならない。

 不登校の原因は、いじめや学校・家庭での人間関係、学業不振など各人それぞれで異なる。

 何より大事なのは、友達や親、教師が行動や言動からサインを察知し、悩みに耳を傾けることだ。

 不登校経験者の追跡調査では、3人に1人が「生活リズムの乱れがあった」と振り返っている。

 特にゲームやスマートフォンに夜更けまで興じることのないよう学級内や家庭であらかじめルールを設けておくことが望ましい。

 教師の目配りが効く少人数学級化は、不登校の減少にも有効とされる。市町村にとって財源の捻出が大変なことは分かるが、実現に努力してほしい。

 子どもが不登校になった場合、登校を促すばかりが解決になると限らない。フリースクールや教育委員会の適応指導教室に通っても条件を満たせば出席扱いになる。

 保護者は選択肢が複数あることを念頭に置いて、子ども本位の環境づくりを心がけるべきだ。

 問題は経営難からフリースクールの閉鎖が相次いでいることだ。もともと、空白の地域もある。札幌市や福岡県などにならい、道や市町村には助成を求めたい。

 不登校経験者の進学率は1990年代から大幅に高まった。とはいえ、追跡調査では高校進学率の85%に対し、大学は19%とまだまだ低い。高校時代のサポートも手厚くしていくことが大事だ。

 文科省が過去に行ったアンケートでは、中学卒業時に不登校だった人の4割が「不登校の経験はマイナスではなかった」と答えた。

 つまずきをむしろバネに、前向きに生きようとする人が相当数いることを教育界も経済界も受け止め、支えていくべきだ。

 多少の回り道が将来の可能性を狭める社会であってはならない。
《引用終了》

脱ゆとり⇒子どもが勉強に駆り立てられ、不登校になる。
少人数学級⇒不登校解消に有効な特効薬。

ゆとり教育のままでいて、それでいて少人数学級とTT(チーム・ティーチング)が一番いい。
(北教組がTTに執拗にこだわるのは、人余り状態にしたならば「ヤミ組合専従」要員を期待できるからなんです。事実、1学級平均は小学校ではすでに20人台なんです。つまり、少人数学級はとっくの前に成立しているんです)
北教組の主張、そのまま。
ってな具合です。
「影響はないのか」「有効とされる」って、伝聞や憶測で書かれてもねぇ…。

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jounetsu_kuukan at 12:50|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 教育問題 | 日教組・北教組問題

いいね!~釧路市の学習規律(スタンダード)~

少し前に、例の釧路市標準学力試験に関してガツンと苦言を呈しましたが(ごめんなさいね、性分なものですから)、「学校改善プラン」自体は、ここにきてかなり「まとも」なものに近づいてきましたね。良いものは良い、良くなったものは良くなった、と、ここは素直に肯定させていただきたいと思います。

「はぁ?何、言ってんの?」と頭が痛くなった、ピントがズレまくりだった《講評》も、ここにきて確実にピントが合いつつありますし、学力向上のために学習規律にまで踏み込み始めたことは、これは称賛に値しますね。

●平成26年度 釧路市学校改善プラン
実践事例・まとめ(32-44)
http://www.city.kushiro.lg.jp/common/000056942.pdf

釧路市の学習規律(スタンダード)って、お世辞抜きですばらしいですね!特定の政治的イデオロギーをお持ちの方々に言わせたなら、「強要だ!」「思想弾圧だ!」「管理強化だ!」「え~い、人権蹂躙だ!」「北教組万歳!(?)」となりそうなところまで、よくぞ踏み込んでくれました。

ただ、欲を言うならば、学校側の《進度・進捗管理》もまた盛り込んで下さいね。すでにご承知のように、中学校では改善傾向にあるものの、いまだに小学校では顕著なのが、《学習進度の大幅な遅れ》ですからね。あるクラスでは九九を半年程度かけて繰り返し反復演習しながら全員に身につけさせようとしているのに、あるクラスでは何度かの授業ではい終了、あとは家で親と一緒に覚えましょう、って、そりゃいくらなんでもシッチャカメッチャですからね。

学習指導要領に準じた指導内容で、学習指導要領に準じた適正な時間を費やして、そうして授業を行っているのかどうか、その部分にも踏み込むことが不可欠ですよ。教師自身、算数・数学が苦手だから。算数指導が苦手だから。だからってクラスの子ども達が学力的に不利益を蒙るなんて、そんなことはあっちゃいけないことですからね!

無題































で、《進度・進捗管理》以前、まずもって釧路市標準学力試験の目標値ですが、あの意味不明、根拠不明な数値目標をですね、あれを即時改めましょうよ。客観性が担保されていてのデータですよ。その意味、もうそろそろ理解できてもよろしいかと思います。

価値観の共有。指導技術の共有。やっとそこに目が向いてきたことは、これまたお世辞抜きにグッドです。今後のブラッシュアップにご期待申し上げております。通知表の「1」が「3」になった。そんなところでしょうか。

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jounetsu_kuukan at 12:22|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 教育問題 | 雑感

学校は「考えさせる場」で塾は「反復練習の場」なのか?

1872年に学制が敷かれ、明治政府は小学校整備にあたって、既存の教育施設である寺子屋を活用したことは広く知られるところです。

さて、私塾のルーツは寺子屋に求めることができるでしょうから、その意味において塾と学校の出発点は元々同じところにあったのだろうというのが私の考えです。

しかし、アメリカナイズされた戦後教育を経て、例のゆとり教育を挟んだりする中、学校は教えないで「考えさせる場」になり、塾は教えて「反復練習させる場」になっているのではないか?

寺子屋は、手習所とか手習塾、手習指南所とも言われたそうですが、意外や意外、かつての義務教育現場における指導法に関して、学校よりも塾の方に色濃く残っている部分があるのではないだろうか?
そんな風に思っています。

というわけで、エフエムくしろ、ストップ・ザ・学力低下、第54回放送分、私の回です。
塾経営者でありながら、《通塾不要論》も唱えております(笑)。
そりゃそうです、出発点は元々は同じだったわけですから。

●ストップ・ザ・学力低下
第54回(2014.04.15放送、塾の実際と塾から見た学校、三木)
http://www002.upp.so-net.ne.jp/singakukouza/stopgakuryoku54.html

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jounetsu_kuukan at 11:23|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 教育問題 | 雑感