2011年07月09日

大学と私塾の連携を模索する

若手教員の教務力向上のために、私塾のプロ講師を活用すべし。

持論ですが、本心からそう思っています。
しかし、制度としての導入が難しいのであれば、まずは釧路教育大学との連携を模索すべきでしょう。教員志望の学生を早くから集め、段階的に私塾のプロが「授業のノウハウ」を仕込んで行く。1年程度のカリキュラムであっても十二分の効果が期待できるはずです。そう断言できるのには、こういった経緯があります。

教員志望の学生を、今までに何人も指導してきました。私の担当教科は社会科なので、おもに「中学社会科教員の卵たち」をです。特に北海道の中学社会科採用試験は難しいと言われますが、私に言わせたならあんなものは「難しくも何ともないレベル」のもの(宅建試験やマンション管理業務主任者試験の方がよっぽど難しいと思う)です。60点満点の中3の学力試験で、8.5割程度を得点できる力があれば、合格する可能性が極めて高い。はっきり言って、私塾で2年なり3年なりみっちりと経験を積んだならば、一度くらいは運悪く落ちたとしても何とでもなるというレベルのものだと思っています。

また、こういったことも。我々から見たならば、まだまだ「甘い」部類に入るそうした若い講師ですら、採用試験を突破して公教育の現場で教壇に立ったなら、十中八九は「まだ若いのに、とても授業が上手な先生!」との評価が与えられることになります。思わず苦笑してしまいますが…。実際のところ、「授業が上手」と高評価の教員の中には、学生時代に私塾での講師経験がある方も多いものです。さて、私自身はその最前線に立つつもりはありませんが、大学と私塾のプロ講師をつなぐパイプ役程度の仕事ならいつでもお受けする気でいます。

裏話を披露しましょう。手塩にかけて仕込んできた弟子の学生が、教育実習へと出て行きます。程なくして戻ってくるわけですが、大体は浮かない顔をしています。「当ててやる。自分よりも指導力の劣る人間に《指導》をされて、釈然としないという心境だろ?」などと言ってみると、我が意を得たりと笑顔で大きく頷いて、「はい!」と答える。失礼ながら、大半はその程度のものです。加えて、彼ら「教員の卵たち」が授業に関しての《指導》を受けるのは、後にも先にもその機会ただ一度のみ。それじゃ、教務力が身につくはずもありません。

すぐにでも実現可能と思われる話ですが、ところがどうして《抵抗勢力》が存在するのです。他ならぬ大学そのものです。より正しく言うならば、教員方は賛成ということになるでしょうけれど、事務方を介したならば話を握り潰されてしまうということです。実際、同校では「学習塾講師募集」の依頼は断られます。理由を尋ねたなら、「学業が疎かになるから」との訳の分からない返答。私に言わせれば、「だから採用試験(特に中学校)に受かんないんだろうが!」となります。なので、本気でやろうと思ったなら、事務方をすっ飛ばして話を持ち込まなければなりませんね。私塾がそんなにお嫌いならば、退職教員を活用するという方法もありますよ。アハハ。

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jounetsu_kuukan at 14:26│Comments(2)TrackBack(0) 教育問題 

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この記事へのコメント

2. Posted by ZAPPER   2011年07月10日 20:52
hand0157さん
私は、柔術の源流がブラジルの地に生きていた、あのグレーシー柔術を思い出してしまいます。「昔の学校の授業」は悲しいかな私塾にこそ生きているのではないかと。一方で「たかが学習塾講師、されど学習塾講師」と思っています。「たかが」という謙虚さと、「されど」という自意識過剰なまでの超絶のプライドをですね(笑)!「たかが学習塾講師ごときに、何ができるのか」って?じゃぁ、徹底してやってやろうじゃねーの!と。

信念の実験場は続きます。信念の勝負は、年齢を問わずに「あえて青臭いこと」での勝負であります。プロの私塾講師をなめんなよ!心の叫びですね。(^^)
1. Posted by hand0157   2011年07月10日 01:33
これまでに学習塾という「非公式」のセクターが日本の教育に果たしてきた役割の大きさが、世間からあまりにも過小評価されていると思います。学校の定期テストや高校の入学試験が何とか形なって実施できるのは学習塾のおかげです。親が教えていない挨拶や礼儀をも私たちが教えている…などとほざくと石をぶつけられそうですが、この国の教育をまともな状態に戻すには、学習塾の力が必要不可欠であることを公的に認める必要があるでしょう。

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