2017年02月23日

要するに練習不足ってこと

結局は、解いた量の問題。つまりは、慣れの問題ですね。

ここのところ、数学のセンスについて語っておりますが、どうしてこれほど算数・数学が苦手な子が多いのかというと、とどのつまり、演習の絶対量が少なすぎると、そうしたことになるはずです。しかしそこの部分、ボタンの掛け違いの最たるものかも知れません。こういうことです。

教科書に書かれていることは、漏れなくちゃんと指導した。それをもって指導完了。ばっちりOK。でもそれ、我々に言わせたならOKなどと言えた代物なんかじゃない…。一通りやった。とりあえずできている。それ、定着とは無関係ですよ。この部分、換言するならば再現性の問題です。いつでもどこでも正しく再現できること。そこに至って、指導完了のはずです。

例えば、3桁わる2桁の割り算。やり方は理解した。とりあえずできていそう。「はい、4桁わる3桁や2桁、5桁わる4桁や3桁のわり算も、同じようにやればいいんですね」でお終い。あのー、そんなの、ちゃんとできる方が不思議だってば!

ただこの部分、現行カリキュラムに問題があることも否めません。ゆとり時代より教科書がまだまともなったものの、以前習ったことが再び出てきて学ぶ、という配慮に未だに欠けているからです。で、その教科書に頼りっきりになって教えていると、思ったように定着しない。そりゃそうでしょう。それで、「きちんと教科書に従って教えたはずなのに、狙い通りになぜ定着しないのだろうか…」と悩むことになってしまう…。

が、根は深い(苦笑)。量を消化する学習は否定されるんです。「詰め込み」とか言って忌み嫌われちゃうんです。やり方を教え(理解させ)、同じようにやってみることを奨励されて、ジ・エンド。問題解決学習というやつがそれを後押しし、「結局、分かったような気になった子」を作り出しただけで終了。とまぁ、そんな状況になっています。

合格先生が、分かりやすい例を引き合いにしています。最大公約数GCMと最小公倍数LCM。我々の頃は小学校で習いました。ところが現在では、中学校3年生あたりでも、この概念がなかなか理解できないし、使うことができません。結局は量の問題。要するに練習不足っていうことです。

●「数字のセンス」5
http://www002.upp.so-net.ne.jp/singakukouza/jijimonndai.html#Anchor-10746

《引用開始》
「約分」・「通分」を見逃さないために

 約分・通分は、当然、「最大公約数」「最小公倍数」の「センス」が抜けていることが原因です。

 今、40代後半くらいの人から上の世代だと、GCM・LCMという言葉を知っているはず。これ、「最大公約数」「最小公倍数」ですよね。実は、この年代の人たちは、最大公約数や最小公倍数について、かなり練習をこなしてきているんです。だから、約分や通分でもミスが少ない。「数字のセンス」が訓練によって磨かれてきているんです。

 ところが、今の子供達は、と言うと、この辺の練習が行われていないんですね。教科書で一通りやったらお終い。小学校5年生・6年生の頃にしっかり鍛えられてきた人から今の子供達を見ると「なんで、こんなことも出来ないの?」となるんですが、それは「ちゃんと訓練されていないから」というのが原因。

 ということは、子供さんの「約分」「通分」の感覚を上げようと思った場合、GCM・LCMを習っていたときと同様に、計算式を使って、共通に割れる数字を探す、という練習が必要なんですね。だから、教科書に載っていようと載っていまいと、個人でしっかり練習をすすめて行きましょう。
 ちなみに、お父さん・お母さんの世代で扱った、最大公約数・最小公倍数の問題では、例えばこんな問題
「5で割っても、7で割っても3余る整数のうち、最も小さい整数を求めなさい」
なんていうのは、小学生でもある程度対応でき、中学校1年生では必修という扱い。それが、今は中学受験問題として取り扱われているレベルなんです。どれだけ全体の学力が下がっているか、これだけを見ても分かりそうなものですね。

 現実的な問題としては、こういう練習が行われていない学生が進学していったときに話題になったのが「分数が出来ない東大生」という話。いくら学力が高かろうが、きちんと練習しなければ、この程度の基本も満足に出来なくなる、といういい見本です。
 だから、「おれは出来るんだ」と思い上がったら絶対ダメ。基本はしっかり練習しないとね。
《引用終了》

jounetsu_kuukan at 10:56│Comments(9)TrackBack(0) 教育問題 

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この記事へのコメント

9. Posted by ZAPPER   2017年02月23日 15:58
ebisuさん
とんでもございません!ブログ・ニムオロ塾さんにどれだけ教えていただいたことか。ただただ、感謝・感謝であります。

あれ、おかしいぞ?という違和感については、私もまったく同じことを綴ろうと考えていたところです(笑)。0.8倍したなら。1.2倍したなら。「あれれ、0.8倍なのに大きくなるってヘンだぞ」「1.2倍なのに小さくなるって、あれあれ?」この感覚の欠落は致命的だと思うんです。

地形図の距離の問題もまたそうで、おいおいおい!100mとか100kmとか「感覚的」におかしいだろ!気づけよ!とまぁ、毎度そんな風に思うのです。そしてそのことはまた、仕事にも通じるはず…。

あれ、この数字は絶対になにかおかしいぞ…。許認可の仕事なんかをやっていますと、重箱の隅を突くかのミス(ミスというか、細部の数字の整合性の欠如)を指摘されたりもしますが、それを見抜く力は、上記「感覚的」なもの由来だと思うのです。
8. Posted by ebisu   2017年02月23日 15:15
わいわいがやがや、別の考え方と自分の意見をぶつけて検証しながら複眼的にものごとを眺め、独善に陥らぬこと。

投稿欄でのオープンな議論は楽しい。
人の意見に耳を傾けることで、自分の独善性のチェックやものの見方の深化に役立っています。

ブログ「情熱空間」投稿欄に感謝。m(_ _)m
7. Posted by ebisu   2017年02月23日 15:06
興味深いことを書いてます。

>あれー、ちょっとおかしいなー。
という違和感は、慣れによるもの以外のなにものでもないと思います。
>数量関係なんかは、その最たるものだって思います。

わたしもその通りだと思います。
上級者は答えを予想して問題を解きますから、想定の範囲からずれると黄色信号がともるんです。それが違和感の正体。

「なんだかヘン」

これがないのがセンスの悪い人。どんな答えを出しても気がつかない。廊下の幅に関する問題の答えが2cmでも単位の間違いに気がつかないのは違和感が沸かないからでしょう。

1をかけても1で割っても元のまま、1より大きい数(たとえば2)を書けたらもとより大きくなり、1より大きい数(たとえば2)で割ったら、答えは小さくなる(2で割ると半分になる)。
1より小さい数を書けたら、元の数よりも小さくなり、(0.5や1/2で)割ったら元の数よりも大きく(2倍に)なる。

これだけでも、小数や分数の計算間違いをずいぶん減らせます。
1より小さい数で割ったのに、
「あれ、元の数より小さくなっちゃった」
となるのでしょう。
昨日中3の空間図形の問題(難易度Bクラス)の質問に答えていて、答えを狭い範囲に絞って予想して、計算結果が出たらそれとぶつけてチェックしていました。
「そんな答えになるわけないだろう、計算結果が出たら図形をみてありうる範囲かどうかチェックしろ」
生徒にそう言ってました。答えが整数なら、図形が描いてあれば数秒でおおよそ見当がつくし、当たります。それから計算したらいい。分数で出ても予想した整数に近ければ正解です。離れていたら立式と計算過程を再チェックです。これが標準手順になっているのがセンスのよい者。

>習うより慣れろ

そうですね。

6. Posted by ZAPPE   2017年02月23日 13:14
> これははっきりしています。秋田よりも北海道の方が平均的には先生たちの授業技倆が低いということでしょう。
> もちろん、M野先生のように授業技倆の高い人は北海道にもいます。
>
> 授業時間数が多ければ、授業技倆が低くてもなんとかなるということ。

少なくなった授業時間。
ならば演習量を増やすべきが、「考え方」ばかりをああだこうだやる問題解決学習が主流だそうですから、そりゃ演習不足に拍車がかかってしまいます。

ちなみに秋田では問題解決授業なるものは「よそ行きの授業」で、(演習に重きを置いた)従来型の授業が踏襲されているそうです。(TOSSの勉強会にて秋田の先生が言っていました)
5. Posted by ZAPPER   2017年02月23日 13:08
ebisuさん
私は、「習うよりも慣れ」のスタンスです(笑)。

あれー、ちょっとおかしいなー。
という違和感は、慣れによるもの以外のなにものでもないと思います。
数量関係なんかは、その最たるものだって思います。

というわけで、意見は合いませんです(笑)。
4. Posted by ebisu   2017年02月23日 13:02
>ただ、秋田や富山では規定時間内でできていることであって、それがなぜ北海道でできないのかが不思議でなりません。

これははっきりしています。秋田よりも北海道の方が平均的には先生たちの授業技倆が低いということでしょう。
もちろん、M野先生のように授業技倆の高い人は北海道にもいます。

授業時間数が多ければ、授業技倆が低くてもなんとかなるということ。

団塊世代のわたしが小学校5・6年生のときの担任の弦木俊輔先生は、「計算のわからないもの放課後のこれ!」と宣言して、しょっちゅう教えてくれましたから、計算で落ちこぼれた生徒は60人のクラスで2-3人程度です。「物量(放課後補習時間)」にモノを言わせた。(笑)
よく教え、スケートやスキーをして生徒とよく遊んでくれました。いい先生です。
3. Posted by ebisu   2017年02月23日 12:54
合格先生の「数字のセンス(4)」の次の意見は無理があります。
---------------------------
この「0のセンス」が無い子は、実際の単位の問題になると、例えば「1km2mは何kmですか?」という問題では「1.2km」と答えるんです。「1.002km」の0が飛んでしまうんですよ。要するに「0」の部分が隠れてしまうような問題に対応できないんです。「0のセンス」が無いから、頭の中で「0」がどういうふうに入ってくるかが組み立てられないんです。
---------------------------

この問題は、次のように「頭の中で」考えるのが「普通」です。

1km=1000m
1km2m=1000m+2m=1002m

こうやるのが「普通」です。
「ゼロのセンス」を駆使したやりかただとkmに単位をそろえることになるのでしょう。

1km2m=1km+0.002km=1.002km

1m=0.001kmを知っていなければできませんから、これは「上級者コース」です。「普通」の生徒はこうはしないでしょう。

kmのkとはキロのこと、千倍という意味です。kg、kL、ktを一緒に教えたらいい。記号の意味を教えないとヘンな操作をする子が増えます。デシは1/10を表す単位記号です。21C(21世紀)のCはセンチュリーで百倍を表す単位記号。ついでにこういうことを説明してしまえばいい。
MやGを見ただけで、メガやギガという記憶容量の単位だと気がつく子どもが増えています。意味がわかっていれば問題なし。

この問題は「普通」に単位をmに統一してやればいいだけ。

この例で「ゼロのセンス」をもってくるのは牽強付会の説というのがわたしの意見。

教育論や指導論については十人十色というのが実情です。
Aという意見があればNonAを対置して楽しめばいい。(笑)
2. Posted by ZAPPER   2017年02月23日 12:44
ebisuさん
M野先生のように、授業をパッパと進め、復習の時間を確保してを繰り返す。
そうしたことができなければ、解決されない問題なのかもしれません。
ただ、秋田や富山では規定時間内でできていることであって、それがなぜ北海道でできないのかが不思議でなりません。
1. Posted by ebisu   2017年02月23日 12:14
異論を一つ書きます。

授業で問題演習に割ける時間が足りなくなっているんです。数字の根拠を書きます。
40代後半の世代が小中学校のときは土曜日も4時間授業をしていました。

国語と算数(数学)がそれぞれ週1時間多かったのです。時間数が減ったことで「読み・書き・そろばん(計算)」の3つの技能がそろって落ちています。

第2土曜日休みの始まったのが1992年から、ついで第4土曜日の休みが1993年からです。
学校完全週休2日制(土曜日休み)の実施は2002年4月からです。
減った時間をカバーするには学習指導要領記載事項を教えることに注力して問題演習を減らすことしかなかったのでしょう。
それが無理だったということです。
どんなに上手な授業をしても、学校の授業では十分な問題演習時間がとれない、それが実態です。

昔もいまも、家庭学習でしっかり計算トレーニングを積んでいる子は20%くらいはいるのでしょう。そういう子たちは「数字のセンス」がいい、し計算も速い。たくさんやるから工夫をする機会も多くなります。
そろばん塾がはやらなくなったことも基礎的計算力の育成にはダメージでしょう。

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