認知症の母が最近調理をほとんどしなくなり、担当のケアマネが「配食サービス」導入を提案してきました。カラスヒコは悩んでいます。自分で餌を取るという生き物の尊厳にかかわることだと思うからです。母は甘えているだけなのか、それとも認知症が尊厳を奪う病気なのかの判断が付かないのです。

■「在宅入院」と同じ状態
 カラスヒコの母の面倒を見てくれているケアマネジャーが、「配食サービスの導入を検討されてはいかがでしょう」と最近盛んに提案してくるので、ちょっと悩んでいます。

 母は認知症の要介護1で日常生活に支障はありませんが、物忘れが激しく、5分前のことを全然覚えていない状態です。
 連れ合いに先立たれた後、苫小牧の自宅で一人暮らし。週3回ヘルパーさんが来て一緒に食事を作ってくれたり、買い物に連れ立ってくれたりしています。

 カラスヒコは、母を仙台に連れてきて一緒に住もうと言ったのですが、本人は「一人で大丈夫。私の家はここだから」と、動く気はまったくなし。心配ではありますが、取りあえず元気だからいいやと思って、3カ月に1度ぐらい帰省して様子を見ている状況なのです。

 ケアマネが配食を勧めるのは、母は最近ヘルパーさんが来ると調理をほとんどヘルパーさん任せにして、来ない日はなにもせず、菓子パンなどを食べているらしいという理由からです。
 ヘルパーさんの仕事はあくまで「調理補助」であり、食事の供給なら「配食サービス」という別の介護メニューを追加しましょうということです。至極まっとうな提案だと思います。

 にもかかわらず、カラスヒコが配食サービスの導入をためらっている理由はたった一つ。配食は「在宅入院」と同じ状態になると思うからです。

■配食は尊厳を放棄させる
 時間がない有職主婦や寝たきりのお年寄りが配食を利用するのはやむを得ないと思います。
 しかし、母のように時間があり、自分で調理できる人が配食サービスに頼ると、買い物で外出する機会も減り、毎日がテレビと食事だけの繰り返しになってしまいます。
 極端な言い方をすれば、餌を取って食べるという生き物として最低限の条件というか、尊厳のようなものを放棄してしまう気がするのです。

 判断に迷うのは、調理を人任せにするのは母の怠惰なのかどうかです。父が生きていれば、母は父のためにせっせと料理し続けたはずですが、うるさい人がいなくなって突然だらけたのかもしれません。
 カラスヒコが帰省したときも、母を当てにしていると食事が出てこないので、結局買い物から調理までカラスヒコ主導で仕切ってしまいます。母は、誰かがやってくれると甘えているのでしょうか。

 それとも、認知症という病気は調理作業に必要な計画性や段取り能力を奪ってしまうものなのか。母を責めても仕方がなく、早々に配食サービスを導入すべきなのか。
 来月あたりまた帰省するので、その点をケアマネとじっくり相談してから判断しようと考えています。

 それにしても、母はプライドだけは高いのか、「料理はヘルパーさんに作ってもらうの?」と聞くと、必ず「手伝ってくれるけど、ほとんど私がやっている」と答えます。恥ずかしいという意識があって見えを張っているのか、そういう幻想の中で生きているのか判別が付きません。それが一番悲しいですね。

 ではまた。