子は母に愛され、守られるだけでは駄目で、厳しく社会の仕組みを教え込む父性が必要だと、映画『光のほうへ』は主張します。母に捨てられ、荒んだ人生を送る兄弟が男手で必死に子を育て、不器用に貧困社会に生きる、あるいは死ぬ。格好悪いけれども、私たちが覚えたいのはまさにこういう生き方。

■愛や絆は見当違い
 ラストシーンで分かる重要なネタバレも書いてしまいましたので、以下は、この映画を見た人か見る予定のない人だけ読んでください。

 2人の兄弟が赤ん坊をいとおしむほほえましい構図のポスター。赤ん坊は歳の離れた3人目の弟マーティンなのですが、このシーンの翌日に病死し、兄2人は絶望に暮れます。やがて家族離散。アル中廃人の母が孤独死した葬儀で成人後の兄弟が光のほうへ再会したとき、弟がマーティンという名の息子を連れていました。

 幼稚園児のマーティンは素直ないい子で、父(弟)は溺愛しています。けれども父自身は麻薬中毒で、そこから抜け出す気概もなく、母の遺産を元手に「息子ために」と、趣味と実益を兼ねた麻薬の売人を始め、当然のようにパクられて刑務所へ。やさしくて愛情深いけれど判断力が駄目な人。

 その刑務所で、またもや兄と再会。兄は無口で孤独で、不器用で粗暴な一匹やくざになっていました。女は欲望のはけ口としか見ていなくて、愛情は全く示しません。
 ただ、昔の恋人を離れて見つめているようなところがあり、彼女のどうしようもなくイカレた兄の罪をかばって、代わりに刑務所にいたのでした。 

 弟は刑務所内で自殺し、残されたマーティンは兄が引き取って育てるのかなと予感させて映画は終わります。全編が高露出気味の白くて清潔感あふれる画面というか、寒々と冷え切った救いのない世界。透明度が高く、緊張感に満ちたビジュアルです。 

 この映画には、「家族の愛や絆の深さ」といったぬるいオマージュが多く寄せられているようです。しかし、カラスヒコはむしろ、愛を知らずに殺伐と育った兄弟でも子育てができるというか、そうしなければ私たちの社会は立て直せないのだと言い切る、これは政治メッセージを込めた映画なのだと思います。

■暴力を収めた父性
 現実には不可能に近いほど困難であるはず。弟は息子をまるで母親のように溺愛しましたが、それは自身の弱さへの言い訳のような愛し方で、結局は失敗しました。

 引き継ぐ兄は粗暴でぶきっちょな男ですから、おそらく、これからも愛することなどできるわけもないでしょう。ときには自身もキレながら、殴る蹴るといった虐待的な行為も含めて、勝手に背中を見て学べ的な鍛え方になるのかもしれません。

 経済が壊れて社会が駄目になっているときに必要なのは、未来を担う子どもたちの一人一人が強くなることで、それは愛やハグを礼賛する麻薬中毒のような育児環境からは生まれてはこない。そうはっきり主張している映画だと思うのです。

 コペンハーゲンを舞台にしたこの映画は、直接的にはEUの財政破綻や少子化による社会保障制度の危機、麻薬のまん延などを描いています。けれども、 前世代のサトチューのツケを背負わされた日本の罪のない子どもたちが、愛されているうちに若年糖尿病にさせられたりするわけですから、まさしく私たち自身の問題とも重なってくるのが分かります。

 マーティンは兄に引き取られるのでしょうが、兄はやくざです。でも、自身の軽率な行いによって傷めた右手首を切断してしまったことで、これからは暴力に頼らずに人生を切り開いていかざるを得ません。溺愛するだけの母役よりも、暴力を捨てた父役がマーティンの未来を約束するはずです。 

 この種の厳しさも含めた社会変革を公約に盛り込む政治家が現われてくれるといいのですが、まだ無理なのでしょうか。日本の社会はヨーロッパに比べて成熟度が低いのかなとあらためて思い知ったような映画でした。

 ではまた。

※『光のほうへ』 Submarino/2010年/デンマーク/カラー/114分/トマス・ヴィンターベア監督