母カラスはストーブのそばで一日中テレビを見ながらうたた寝しています。自分でこっくりしてビクッと目を覚ますと、「おなかすいた」と菓子パンを食べる。もうすぐ晩ご飯だからよせばと言っても、「ふふん」と笑って食べ続けます。この歳でこの食欲は一体何?

■菓子パン vs 天然の甘み
 本人に「甘い物をやめなければ」という意思がそもそもないので、母カラスのサトチューは全然好転する気配がありません。少しでも空腹感を覚えると、いや、空腹であるはずもない時間にも気分転換的に甘い物を求めているようなのです。これ、マジに麻薬中毒。

 先日スーパーに行っ甘栗・せんべいたとき、母は珍しく菓子パンコーナーを素通りしました。ヤマザキ牛乳パンシュガーを買うのを忘れたのです。
 これは絶好のチャンスと、母のおやつ戸棚に写真のような透明容器で甘栗と南部せんべいを「仕掛け」ました。中身を見せて食い付かせる無添加おやつの甘い罠。

 案の定、敵はうたた寝から目覚めるとふらふらと戸棚へ行き、両方を食べていました。ただ、菓子パンに比べると甘さがマイルドだからでしょうか、満足度はいまいちみたいな顔。横に菓子パンがある日には、この仕掛けでは通じそうもありません。

 より強力な甘さで敵を惹きつけるという意味では、蒸しリンゴとドライプルーンの2アイテムが効果を検証済みなのですが、これらは冷蔵庫保管になるため、常温の餌場に並べられないのがつらいところ。保存料入りのプルーンなら常温保管できますが、それでは意味がありませんし。

 冷蔵庫への誘導プランを練るべきか。しかし、新しいことを覚えさせて習慣付けるのは認知症ではほぼ不可能なのでペンディング中。干し柿や干しイモで娘時代の郷愁を誘う作戦も試しましたが、「硬いね」とあっさり拒絶され、こちらも手詰まりです。

 一方で、ココナツミルクは毎日喜んで食べてくれるので、それに載せて甘栗など天然甘みシリーズを取っ替え引っ替え食べさせて慣らしつつ、牛乳パンシュガーを買い忘れる頻度がだんだん上がるのを待つことにします。でもこれって、認知症の進行に期待することになるのかしらん。大いなる矛盾かも。

 ケアマネさんは、今でも薬の使用をちらちらと勧めてきます。たぶん、ノバルティスの「イクセロンパッチ」だと思います。アルツハイマー型認知症の進行抑制効果があるといわれるものの副作用も強烈らしくて、カラスヒコとしては依然としてビビッています。

 徘徊して行方不明になったり、物をどこかに置き忘れたのに「誰かに盗まれた」と被害妄想や猜疑心に取りつかれて泣き叫んだりするようなことにならない限り、薬物の使用はなるべく避けたいと思うからです。

 今は、物をなくしても「ないねえ、困ったねえ」くらいのおおらかなボケで、気持ちの安定が保てている幸運な状態。サトチューのままいつか血管が詰まってコロッと逝ったとしても、本人が幸福感いっぱいならそれでもいいのか。明解な答は出そうにありません。

■「明日はわが身」の嘘
 さて、そのボケ母に古い日本映画を見せたら、食い入るように見るのが偶然分かって驚きました。テレビの俗悪なバラエティー番組などをぼけっと見ているときの表情とは明らかに違い、ちゃんと作品世界に引き込まれる見方のようです。

 『青い山脈』で青い山脈は、冒頭の主題歌を一緒になって歌い、しかも歌詞が画面に出ないにもかかわらず3番まで一言一句正確に覚えていたのには驚愕しました。

 『青春の夢いまいづこ』、これは戦前のサイレント映画ですから、しーんとして、ときどきセリフ画面が出るのですが、その文字を目で真剣に追っている。明らかに楽しんで、能動的に見ている姿勢です。

 『東京物語』では、香川京子のセリフ、「魔法瓶にお茶を入れておきました」を聞いて、母は「魔法瓶、なつかしい!」と言い、その日一日中、魔法瓶、魔法瓶とつぶやいていました。

 『トラ!トラ!トラ!』では、水兵の敬礼ポーズや、「○○であります!」という報告口調をやたらに懐かしがっていました。尋常小学校時代に軍事教練でさんざんやらされたのを思い出したらしい。

 認知症では過去の暮らしの記憶はしっかり残っているといわれますが、その事実を目の当たりにした感じです。患者にとっては、訪問ヘルパーさんやデイサービスの職員から、「はい、これをしましょうね」などと幼児的に、あるいはお客さま的に扱われる今の境遇は、拒否できないけれども本心では相当つらいのかもしれないと、ふと感じました。

 『東京物語』の老夫婦(笠智衆、東山千栄子)が、子世代から疎まれて寂寥感を覚えるのと同じかもしれません。ただ、この二人の場合は記憶がしっかりしており、「そういうもんだよ」「そうかもしれませんねえ」と、健全な諦めの境地に立てていた。この違いがかなり大きいはずです。

 だとすれば、将来老いる私たちにとっての目標は自分の記憶装置を劣化させないこと。認知症を発症して自律した生活ができなくなり、次世代の税金で賄われる介護保険にぶら下がって「シルバーマーケット」のターゲットにされる、そんな無念さを受け入れるのか否かの問題でしょう。

 若い人は今のうちに年寄たちの生活を真剣に観察すべきです。認知症は確かに激増していますが、認知症にならずにシャキッとしている年寄のほうが多いという事実。彼らの食パターンや運動習慣を分析して学ぶのが正解だと思います。

 マスコミが認知症を「明日はわが身」などと、あたかも宿命的に語り、原因究明や予防策より、包括ケアや治療薬開発ばかりにスポットを当てる背後には、メディカル市場拡大で利益を挙げるスポンサー資本の影がちらつきます。

 古い日本映画の世界を楽しんでいる母は柔和ないい表情をしています。それは息子にとっては喜ばしいのですが、過去にしか生きられない老後は哀れ。自分はこうはなりたくないと切実に思うばかりです。

 ではまた。

※『青い山脈』 1949年/日本/モノクローム/183分/今井正監督
※『青春の夢いまいづこ』 1932年/日本/サイレント/モノクローム/85分/小津安二郎監督
※『東京物語』 1953年/日本/モノクローム/136分/小津安二郎監督
※『トラ!トラ!トラ!』 1970年/日米合作/カラー/145分/リチャード・フライシャー、舛田利雄、深作欣二監督