映画『完全なるチェックメイト』は、世界が動くには、つまり新たなステージに突き抜けるには「神の一手」が必要で、それを打てるのはアスペルガー的超変人の天才だけと言っているようです。私たち凡人の合議や利害調整とは別次元の「狂気」がいるのだと。
■天才に「資本」を集める
1972年、アイスランドで開催されたチェス世界王座決定戦で、アメリカのボビー・フィッシャー(トビー・マグワイア)はソ連の王者、ボリス・スパスキー(リーブ・シュレイバー)を「信じられない神の一手」で破って歴史を変えました。
この映画は、表面的には変人でチェス狂いの、わがままで被害妄想な天才少年が栄光をつかむサクセス物語。そこに当時の米ソ代理戦争を引っ掛けて描いています。
しかしもう一歩踏み込んで見れば、天才ボビーにダブってアメリカの金融資本主義の姿が浮き出てきます。
病的に神経質なボビーは、自分が不安を覚える環境、つまり雑音を発する観客やカメラなどを「不公正」と拒絶し、自分が集中できる快適さを「公正」として周囲にも要求します。社会は天才のルールに従うべきと。
普通は、世の中のほとんどの天才少年は単なる「変人」で一生を終えます。天賦の才能も社会に埋もれる、あるいはつぶされる。けれども、天才に「資本」が集まれば、彼は化けるのです。映画の中の言葉を借りれば、「ボビーは決してつぶれない、爆発するんだ」
そのセリフを吐くのは弁護士ポール(マイケル・スタールバーグ)という、ちょっと怪しげな男。彼は腕利きのプロデューサー兼マネジャーとしてボビーを売り込み、ボビーという「銘柄」に投資家を集め、キッシンジャーやニクソンなど国家の政治中枢にまでコネクションをつけていきます。
ボビーは勝ち進み、力(=カネと名声)があれば世界は自分に従うことを知り、成功をテコに要求をエスカレートさせて帝国を築き上げます。この仕組みがたぶん、1972年以降のアメリカの「新経済モデル」のコア・スキーム。
例えば、ルールを変えてレバレッジを効かせた金融商品を流通させたり、自国のルールがフェアで、関税などの規制は不公正だとして市場開放を周囲に迫るような。
つまり、天才が強大な力を得て自らに快適な世界に作り変えるダイナミズムを肯定するのがアメリカの強さです。その実態が「弱肉強食」だとしても。
確かに、日本のように多数の利害を調整しながら「先例と合意」でまとめる社会では、神の一手、すなわちイノベーションは生まれにくい。だから、中曽根→橋本→小泉→安倍ら歴代の親米派首相らが経済構造をアメリカモデルに作り変えようとしてきたのだとカラスヒコはみています。
逆に、先日すったもんだした(ように見えた)セブン&アイの跡目問題は、天才型指導者をスポイルする「帝国への逆襲」だったのかも。糸を引いたのがアメリカの投資ファンドで、イトーヨーカドーなどを切り捨ててセブンイレブン銘柄の収益率を高める目的だったとしたら、この映画のストーリーとよく似ているのが分かります。
■天才の大量輩出態勢
さて、ボビーはIQ187の大天才なのですが、外見は単なるチェス依存症の変人です。他人の気持ちが理解できず、自分の意思も伝えられずに日々キレっ放し。たまたま、親身に世話を焼いてくれるロンバーディ神父(ピーター・サースガード)や、下心のあるポール弁護士にめぐり会えたから成功できたようなものです。
ところで、私たちの周りにもボビーほど極端ではなくても、他人とのコミュニケを嫌う、あるいは面倒くさがる人が最近増えてきた気がしませんか、老若男女を問わずにです。
例えば左は、セブンイレブンのカウンター横で販売するドーナツの販促に関する記事ですが、「口頭で注文するのが煩わしいとの声があるため、カードでも注文できるようにした」との記述があります(北海道新聞1月19日)。
次の記事は「ミアリティ」という、洋服のサイズを試着せずに合わせられる3D測定装置。着替える客の手間を省き、サイズ違いによる返品も減らすのが導入目的とのこと。
試着された商品の劣化や、それを畳み直すスタッフのアクティビティーを減らせる効果もあるでしょう(日本経済新聞10月24日)。
これらのサービスの利点は便利で早いことですが、それ以上に、こうした「ノータッチ型」の扱いを喜ぶボビー型人間が増えているようにカラスヒコは感じています。
会話や表情や生身のボディアクションを避け、記号や数値のやりとり、あるいは「YES or NO」のシンプル・リアクションだけで買い物をしたがる、デジタルでシステマチック志向な人の増殖。生身のヒトに対してよりも機械系と親和性が高いタイプかもです。
同様に、回転寿司や自動販売機の普及、さらに最近の居酒屋離れやネット通販の隆盛もそうでしょう。店員とのリアルな接触はもとより、即興性を伴うやりとりをパスして、自分が快適と感じる空間にひきこもって消費するスタイルが見えてきます。
たぶん、ボビー少年タイプがじわじわとメジャーになりつつある。今に始まったことではありません。カラスヒコは、電子メールが普及し始めた90年代中ごろから、電話すれば3分で片付く要件を10分もかけてメールを打つ人が増えてきて気になっていました。
翌日、現場からせっつかれると「申し入れてありますが、まだ先方から返答がありませんので」と、けろっと答えます。これってかなり「ボット的」対応です。相手が海外出張中だったり、病気で休んでいたら自社の現場担当が困るだろうとの察しや手回しがない。でも、そういう人がすごく仕事ができたりもします。
さて、ここからは勝手な予測ですが、周囲への察しや思いやりのないひきこもり型の人の中に、「神の一手」を打てる天才がいるのかもしれないということ。
ボビー型が急増しているとしたら、それは人類が新たなステージに飛躍するために、人工知能と相互補完的に歩んでいける天才を大量輩出する態勢にシフトしたのかもしれません。眠っていた進化のDNAにスイッチが入った?
もっとも、人類の大半には、悪食による退化スイッチが入っているみたいです。「悪玉DNA」みたいなものがあるのかしらん。
ではまた。
※『完全なるチェックメイト』 Pawn Sacrifice/2015年/アメリカ/カラー/115分/エドワード・ズウィック監督
■天才に「資本」を集める
1972年、アイスランドで開催されたチェス世界王座決定戦で、アメリカのボビー・フィッシャー(トビー・マグワイア)はソ連の王者、ボリス・スパスキー(リーブ・シュレイバー)を「信じられない神の一手」で破って歴史を変えました。
この映画は、表面的には変人でチェス狂いの、わがままで被害妄想な天才少年が栄光をつかむサクセス物語。そこに当時の米ソ代理戦争を引っ掛けて描いています。
しかしもう一歩踏み込んで見れば、天才ボビーにダブってアメリカの金融資本主義の姿が浮き出てきます。
病的に神経質なボビーは、自分が不安を覚える環境、つまり雑音を発する観客やカメラなどを「不公正」と拒絶し、自分が集中できる快適さを「公正」として周囲にも要求します。社会は天才のルールに従うべきと。
普通は、世の中のほとんどの天才少年は単なる「変人」で一生を終えます。天賦の才能も社会に埋もれる、あるいはつぶされる。けれども、天才に「資本」が集まれば、彼は化けるのです。映画の中の言葉を借りれば、「ボビーは決してつぶれない、爆発するんだ」
そのセリフを吐くのは弁護士ポール(マイケル・スタールバーグ)という、ちょっと怪しげな男。彼は腕利きのプロデューサー兼マネジャーとしてボビーを売り込み、ボビーという「銘柄」に投資家を集め、キッシンジャーやニクソンなど国家の政治中枢にまでコネクションをつけていきます。
ボビーは勝ち進み、力(=カネと名声)があれば世界は自分に従うことを知り、成功をテコに要求をエスカレートさせて帝国を築き上げます。この仕組みがたぶん、1972年以降のアメリカの「新経済モデル」のコア・スキーム。
例えば、ルールを変えてレバレッジを効かせた金融商品を流通させたり、自国のルールがフェアで、関税などの規制は不公正だとして市場開放を周囲に迫るような。
つまり、天才が強大な力を得て自らに快適な世界に作り変えるダイナミズムを肯定するのがアメリカの強さです。その実態が「弱肉強食」だとしても。
確かに、日本のように多数の利害を調整しながら「先例と合意」でまとめる社会では、神の一手、すなわちイノベーションは生まれにくい。だから、中曽根→橋本→小泉→安倍ら歴代の親米派首相らが経済構造をアメリカモデルに作り変えようとしてきたのだとカラスヒコはみています。
逆に、先日すったもんだした(ように見えた)セブン&アイの跡目問題は、天才型指導者をスポイルする「帝国への逆襲」だったのかも。糸を引いたのがアメリカの投資ファンドで、イトーヨーカドーなどを切り捨ててセブンイレブン銘柄の収益率を高める目的だったとしたら、この映画のストーリーとよく似ているのが分かります。
■天才の大量輩出態勢
さて、ボビーはIQ187の大天才なのですが、外見は単なるチェス依存症の変人です。他人の気持ちが理解できず、自分の意思も伝えられずに日々キレっ放し。たまたま、親身に世話を焼いてくれるロンバーディ神父(ピーター・サースガード)や、下心のあるポール弁護士にめぐり会えたから成功できたようなものです。
ところで、私たちの周りにもボビーほど極端ではなくても、他人とのコミュニケを嫌う、あるいは面倒くさがる人が最近増えてきた気がしませんか、老若男女を問わずにです。
例えば左は、セブンイレブンのカウンター横で販売するドーナツの販促に関する記事ですが、「口頭で注文するのが煩わしいとの声があるため、カードでも注文できるようにした」との記述があります(北海道新聞1月19日)。
次の記事は「ミアリティ」という、洋服のサイズを試着せずに合わせられる3D測定装置。着替える客の手間を省き、サイズ違いによる返品も減らすのが導入目的とのこと。
試着された商品の劣化や、それを畳み直すスタッフのアクティビティーを減らせる効果もあるでしょう(日本経済新聞10月24日)。
これらのサービスの利点は便利で早いことですが、それ以上に、こうした「ノータッチ型」の扱いを喜ぶボビー型人間が増えているようにカラスヒコは感じています。
会話や表情や生身のボディアクションを避け、記号や数値のやりとり、あるいは「YES or NO」のシンプル・リアクションだけで買い物をしたがる、デジタルでシステマチック志向な人の増殖。生身のヒトに対してよりも機械系と親和性が高いタイプかもです。
同様に、回転寿司や自動販売機の普及、さらに最近の居酒屋離れやネット通販の隆盛もそうでしょう。店員とのリアルな接触はもとより、即興性を伴うやりとりをパスして、自分が快適と感じる空間にひきこもって消費するスタイルが見えてきます。
たぶん、ボビー少年タイプがじわじわとメジャーになりつつある。今に始まったことではありません。カラスヒコは、電子メールが普及し始めた90年代中ごろから、電話すれば3分で片付く要件を10分もかけてメールを打つ人が増えてきて気になっていました。
翌日、現場からせっつかれると「申し入れてありますが、まだ先方から返答がありませんので」と、けろっと答えます。これってかなり「ボット的」対応です。相手が海外出張中だったり、病気で休んでいたら自社の現場担当が困るだろうとの察しや手回しがない。でも、そういう人がすごく仕事ができたりもします。
さて、ここからは勝手な予測ですが、周囲への察しや思いやりのないひきこもり型の人の中に、「神の一手」を打てる天才がいるのかもしれないということ。
ボビー型が急増しているとしたら、それは人類が新たなステージに飛躍するために、人工知能と相互補完的に歩んでいける天才を大量輩出する態勢にシフトしたのかもしれません。眠っていた進化のDNAにスイッチが入った?
もっとも、人類の大半には、悪食による退化スイッチが入っているみたいです。「悪玉DNA」みたいなものがあるのかしらん。
ではまた。
※『完全なるチェックメイト』 Pawn Sacrifice/2015年/アメリカ/カラー/115分/エドワード・ズウィック監督