認知症のグループホームから「空きが出ました、いつでも入居可能」との連絡あり。でも熟考の末、今回は母の入居を辞退することに。ケアマネさんからは「もったいない、何かあったらどうするんですか」と怒られましたが、今しばらくは自宅で平穏に暮らさせようと決めました。

■「お母様に楽をさせて」
 ケアマネさんのおっしゃる通り、入居したほうが安心に違いありません。賄い付きのグループホームに入れてしまえば24時間見守ってもらえますから。自宅の独居老人は買い物に出掛けて転んで骨折したり、交通事故に遭うかもしれません。不注意で火事を出す恐れもなくはない。「安心」という意味では確かにそうなのです。

 母は要介護3で、短期記憶ばかりか皮膚感覚も相当ぼけてきました。最近では石油ストーブにあたったまま居眠りするらしく、足のすねに低温やけどを負って、ヘルパーさんがあわてて病院に連れて行ってくれるなど、いろいろご厄介をかけています。息子としても心配の種は尽きません。

 ただ、今回辞退を決めたのは、当面は母の心の平安を優先したいと考えたからです。認知症がさらに悪化して町を徘徊して家に帰れなくなったり、泣いたり叫んだり、周囲の人を泥棒呼ばわりするような症状が出てくれば話は別なのですが、今の穏やかなぼけ状態を保っている限り、もう少し慣れ親しんだ自宅暮らしを続けさせてやりたいと。

 グループホームにかかる費用は、詳しく計算してみると現在の母の生活費とほぼ同じでした。本来は、施設に入居したほうが高くつくはずですが、母は電気や灯油を無神経に使い、買ってきた肉や野菜や牛乳を放置して腐らせて、ヘルパーさんに捨ててもらうことが多いからでしょう。ぼけによる浪費。金銭的に無駄であるばかりか、とても罪深いことをしています。

 でも、そうした危険や浪費を避けるためにグループホームへ入れるのが本当にいい選択なのかを、今回は2晩ほどみっちり考え抜きました。そのホームには、テレビとベッドと簡単な家具のある個室のほかに共同の社交空間があり、入浴は職員が介助してくれるし、洗濯や部屋の掃除も職員がやってくれます。食事はもちろん完全賄い。つまり、入居者本人にはすることがないのです。


 「お母様に楽をさせてあげてはいかがですか」とケアマネジャーには勧められました。それが親孝行で、皆さん、そうなさってますよと、おそらく本心から親切に勧めてくれているのです。
 配食を勧められたときもそうでしたが、買い物にも行かなくていい、調理もしなくていい、そういう雑用を全て賄ってあげることが高齢者に対する思いやりで、家族やヘルパーの共通の義務ですみたいなことを真剣に言うのです。それは違うと思いました。

■救命ボートが転覆する
 「介護保険制度が本来の役目を果たしていない」という記事がありました(日本経済新聞1月23日)。つまり、本来の目的は「高齢者の自立支援」であったはずの制度が、ただのお世話、家事代行業になってきて、効率的な「給食」と、見守りという名の監視を強めているという意味のようです。

 カラスヒコも実はそう感じています。制度の利用者がどんどん増えているのに予算が限られているからでしょう。母の世話をしてくれるヘルパーさんたちも、かつては「一緒に食事を作りましょう」というスタンスでしたが今は、できれば外注の配食業者に弁当を届けさせて、掃除と幾つかのチェック業務を済ませたらすぐ次の家へ行きたがる。そうしないと回りきれなくなるからです。

 とにかく死んだり、けがをしたり、行方不明になったりしなければよい。できることは自分でさせる「自立支援」ではなく、何もさせない過保護な安全保障。そのほうが効率的、合理的。言葉は非常に悪いのですが、誤解を恐れずにあえて言うなら「軟禁」に近い。

 いや、これはヘルパーさんの悪口ではありません。彼女らは本当によくやってくれています。悪いのは制度。いやいや、制度が本来の良さを発揮できないのが悪いのです。あまりにも患者が爆発的に増え続けるものだから。救命ボートは頑張っているのに、100人も乗るものだからボートごと皆沈んでしまうような。

 じゃあ、どうすればいいのと言われても、即効的な解決手段はないはずです。私たち自身が要介護老人にならないよう努めて、一人でも多くが支える側に回ることです。ごく少数の患者が手厚い「自立支援」を受けられるような社会に徐々に持っていかなければ。

 母には、ヘルパーさんにあおられて嫌々でも自分の食事を作るような、多少のストレスがあったほうがいいと、カラスヒコは勝手に親不孝な判断をしました。突発事故は怖いのですが、することがなく閉じ込められ、決まった時間に餌が出てくる環境のほうが母をむしばむに違いないと考えたからです。全く悩ましいことです。

 ではまた。