映画『Peace』をしっかり見ると、共生や思いやりなどを語る穏やかな作品ではないことが分かります。市場システムでは駄目、富が上へ上へと吸い出される社会では駄目だとかなり明確に語っている、のではなく見えてしまうのです。「観察映画」は過激です。自分の頭で考えろと強要してきます。

■化学調味料不使用の映画
Peace 想田和弘監督の映画の撮り方を、変な話ですが料理に例えれば、生の大根1本をまな板の上に載せたまま、どうやって食べてやろうかとじーっと考え抜くようなものだと思います。カラスヒコはそういうスタンスが好きなのです。

 いろんな調理法を教えてくれる情報満載のマニュアルなど捨て去って、自分がひたすら大根と渡り合い、恐る恐る刻んだり、おろしたり、塩を振ったり、煮込んでみたりしておいしさを発見していくようなアプローチ。

 BGMやナレーション、説明テロップを一切付けない「観察映画」は、単なる映画手法の一つではなく、観客一人一人が自分の知力やそれまでの人生経験を総動員して個々に感じ、考えることを強要してきます。

 NHKの大河ドラマのように、登場人物の出自や主人公との関係がいちいちテロップされ、丁寧なナレーションで2、3週見逃した人にも???が起きないように親切にアレンジされた番組に慣れ切っている人は、はっきり言って完全に置いていかれると思います。

 わかりやすい映像が安く手軽に見られるのは便利なことかもしれませんが、それは化学調味料の簡単な味付けに慣れて染まっていくのと同じで、頭や神経が徐々に侵されていくのとよく似ています。この映画にはその点で、頭に効く栄養がいっぱい詰まっていますね。

 実際、映画を撮っている監督本人でさえ、その人物が次に何を言い出すのか知らないわけですから、この緊張感やライブ感覚は観客にとってもナマの人間関係そのものです。味見をしながら酢やしょうゆを注ぎ足すように、まさに自分対その人物、自分対その野菜の関係です。

■誰も排除しない共同体
 もう一つ、カラスヒコが考えたのは、『Peace』は結果的にかなり過激な映画になっているということです。無報酬に近い状態の介護現場が浮き彫りになり、国のやり方、特に最近では官から民への無理な移行で貧富の差が拡大していく様子や、年金や社会保障制度、医療保険制度が壊れていく様子が、新聞やテレビのニュースなどよりはっきり見えてしまっていますから。

 そして、ネコたちに餌をやっているおやじさんのスタンスが素晴らしいと思いました。少ない手取りの中からネコの餌代を工面し、急に割り込んできた図々しくてかわいげのないブチ猫にも、「困ったやつだ」と言いながら、特に排除もせずに養っていくのです。

 こういう社会は、封建時代を描いた映画『赤ひげ』や、昭和の戦前が舞台の『足摺岬』などのなつかしい人間関係に似ているようなのです。金を払えない病人でも医者は診ていましたし、家賃や食費を滞納する学生を宿から追い出したり食事を止めたりもしない共同体でした。

 そんな昔の劇映画と同じことが今はドキュメンタリーで、経済学者やコメンテイターのご丁寧な解説なしでも全部分かってしまうのですから、『Peace』は半端じゃないほどラディカルな作品なのです。介護のような社会活動をビジネス化して利益を吸い上げてしまうような株主資本主義という仕組みが駄目なことまで、きれいに透けて見えていましたね。

 ま、しかし、この映画で唯一伸び伸びと幸せそうに見えるネコたちも、安い缶詰ばかり食べていますから、そのうち体を壊すのではないかと心配しているカラスヒコです。おやじさんに悪意などは全然ないはずなのですが。

 ではまた。

※『Peace』 2010年/日本/カラー/75分/想田和弘監督
※『赤ひげ』 1965年/日本/モノクローム/185分/黒澤明監督
※『足摺岬』 1954年/日本/モノクローム/108分/吉村公三郎監督