Journey Log 放浪旅日記

【放浪写真家・齋藤美津明の旅のエピソードをつれづれなるままに】


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006 二代目ライフ納車

昨日、ホンダ・ライフを納車した。

昨年8月に初代ライフを19年かけて乗り潰し
手放してから9ヶ月ぶりのことだ。

当初はスマート・フォー・ツーの導入を目論んでいたが、
東日本大震災の年の2011年に持病の発作で倒れてから
震災による旅行の謹慎よりも、リハビリが長引き、
そこへ、元々の資金不足を思い知らされて
スマートへの執着が薄れていった。

もう財政難のため新車は買えない。

そこで後継車もお気に入りのライフの中古と決めた。

今は中古車でも正規ディーラーであれば
充分にメンテナンスされている。

お気に入りの年式やボディ・カラーを探し出すのに精を出し
この5月、ピッタリのを見つけた。

2010年式のライフ・パステル。カラーはブラック。

岩手県のオートテラス一関で受領し、自宅まで自動車道で駆けたが
乗り心地、走り心地は初代ライフよりも増していた。

少なくとも、この先10年は頼れる愛車となるだろう。


去る4月4日、認知症を患っていた父が79歳で他界し
母と二人暮らしになったばかり。

もう震災以前のような長期旅程は組めないだろう。

それ以前に、
持病の精神発作がもう少し落ち着かないと長距離旅程は組めないし、
便秘が酷く、便秘薬で排便するため
午前中はトイレを確保できる環境でないと活動できない。

愛車は手にしたが、その性能をフルに発揮する日までには
もう暫く時間がかかりそうだ。

体調も生活環境も刻々と変化している。

それが良い方向へと向かっていることを願うばかりだ。

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005 50年と2才

昨日は52回目の誕生日だった。

48歳の誕生日目前の2011年9月15日に発作で倒れ、持病の変調期に突入、あれから丸4年の歳月が流れた。

変調期そのものは1年程度で脱したが、その後も残存症状に悩まされた。

1年で消え失せたと思っていた発作も、まだしつこく出没し、気力の萎える日も多かった。

また、精神状態が安定せず、何も手につかない日々が続くことも多かった。

それでも、変調期の苦悶の激しさに比べれば、随分回復してきていたし、気持ちの余裕も産まれていた。

「マイペースを崩すことなく、焦らずゆっくりとした歩みで、自分の信じる道を行く。」

これが、これからの人生の信念。

以前のように、若さに任せた活発さはもうない。

私の人生、50年で一区切り。

また原点に戻って、ちょうど今が青二才。

老後の初心は赤ん坊のような無垢な心で。

運命を受け入れ、人生は夢一途に、、、

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004 あれから1年、老後の初心

やっと、
やっとのことで
このブログも投稿再開まで辿り着いた。

持病の変調期に突入して
丸1年が経過してのことだ。

やっと変調期の終焉が見えてきた。

精神症状に身体症状、
実に様々な症状が関連づいているのに気付かされながら
三寒四温のように少しずつ少しずつ回復していき、
丁度1年で発作症状も消え失せた。

実に丸々1年間の闘病となった。

闘病最中は常にリラックスして
気分を明るく保つことだけに気を配ったが
不調が続けば
ネガティブなことばかり考えてしまうことも多々あった。

「何もできない精神状態がずっと続き、
 このまま年老いていくのではないか」

この夏の暑い盛りには
ついついこんな奈落に落ちていくような気概に苛まれた。

しかし同時に
「こんな苦闘は以前にもあった、今のもきっと乗り越えられる」
そんな心の声の囁きも聞こえていた。

その囁きを頼りに迎えた1年、
信じた甲斐あり
どうにか旅の気構えに適うまでに心身の状態は回復してくれた。

まだ不安定感の兆候に見舞われることもあるが
この程度であれば
体を動かしていたほうがリハビリにもなる。

一昨日、昨日と電車での移動旅程中も心身共に概ね良好だ。


今回の変調期が今後にどんな影響を与えていくのか
現段階では何とも言えない。

病状が進行したのか改善したのかも定かではない。

ただひとつだけ確かなのは
「もう若くはない」ということだ。

「老後の初心、忘るべからず」

この一年間はこの教訓を諭された一年なのだろう。


これを機に新たな指針で新たな人生の旅路へ。

この闘病生活の教え、
忘れようとしても
生涯忘れることはないだろう。

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003 言わずもがなのドクター・ストップ

10/25から再開したプロジェクト旅程の#22は
やはりメンタルが万全ではなく、
というよりは
ちょっとしたストレスでも過敏に反応してしまうほどの脆弱さで、
3日目までは何とか持ちこたえたものの
4日目の午後には
「このまま行けば発作が慢性化する」と判断し
急遽、旅程を打ち切り、
その日のうちに帰宅した。

もうこの判断を下す時点で
体調は充分に辛かった。

帰路の新幹線では
発作が起きないよう願うばかりで
このまま帰宅できたときには
何とも無事で何よりと
ただひたすらに安堵、安堵の心境だった。

あれから約1ヶ月、
そのまま体調を整えて
今日からは
その4日で打ち切りとなった#22旅程の
リベンジ旅程となるはずだった。

少なくとも昨夕まではその腹づもりだった。

しかし、、、

土壇場になっても症状が治まらない。

不定愁訴と言われるこの症状は
1ヶ月前に比べたら
その容態改善具合は比ではないが
未だに、発作に近い症状にまで達することがある。

この状態では
出掛けてもまたすぐ引き返す羽目になる。

昨晩8時、旅程取り止めの腹を決めた。


「今年いっぱいは用心するように」という主治医の忠告。

正面切って「旅行へは行くな」とは言わないが
それは自分のコンディションに訊けば
自ずと解るだろうという計らいだったのだろう。

今日、旅程を取り止めた日の翌朝は
目覚めはよく気分も概ね良好。

昨晩までの不定愁訴も全く気にならない。

「何かをしなければならない」という気概だけで
症状発症のトリガーになってくることも
今回の一連の発作で認識できた。

この変調期を乗り切るには
気楽さあるのみ。

このまま処方通りに薬を服用して経過観察しながら
気楽に気楽にのんびりと過ごすことだ。

お陰で今年の年越しは大いにのんびりできそうだ。

大震災で被災した方々の心中を察すれば
私の心のコップの中の嵐など、全く取るに足らないが
私も今年は
この一連の発作で死に目を味わい
随分と辛い思いをした年となった。

今年の残りの1ヶ月、
自宅入院、外出自由のお咎めなしだ。

ただし、お酒は飲めない。

これは文書で咎められている。

ゆっくり療養しながら
また春がやってくるのを待つとしよう、、、

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002 好調の時の用心、不調の時の辛抱

先月の9/15、
それは何の前触れもなく始まった。

この日は朝から不調だったが、
これはまたいつもの神経症の症状
翌日には回復するものと、高をくくっていた。

しかし昼食後、容態は急変
毒でも盛られたかと疑うほどの精神不穏に陥る。

その後、徐々に体力をも蝕み始め
心身共に危篤寸前となり
遂には救急車を呼んで
かかりつけのクリニックに搬送される羽目になる。

この日から丸々1ヶ月、
頻発する発作との闘いが続いた。

途中、
夜の発作が治まらず
病院で1泊入院し経過観察した程だ。

この持病の発作は
日頃から「ああ、またか」という程度で発症しているが
こんな大病扱いの発作は11年ぶり。

かかりつけ医には
11年前とは因果はないといわれたが
私にとっては10年に一度の大事となった。

この最中の10/10、
毎年の楽しみの公演鑑賞のため東京まで出掛けたが
移動中の体力消耗で
公演鑑賞中は発作との闘いだった。

無事に公演終了まで生きていられるかと
必死にステージに食い入っていたが
何とも終了時には全くの健康体を取り戻していた。

元気を貰うとはこんなことを言うのだろう。

しかし、翌日の帰路では
少しでも体力を消耗すると
発作に陥りそうな精神不安になるため
1枚も写真を撮らず、ただ帰るだけの鉄道路となった。

この翌日からは
体力消耗度を加減しながら
精神安定を保つようなリハビリ状態に入る。

そして10/18の発作が締めくくりとなるように
翌日からは何の症状も消え失せていた。

10/20には
メンタル・コンディション・チェックを兼ねて秋田空港に撮影に出掛けたが
もはや心身共に万全。

1ヵ月ぶりに
健康状態はアクティブに復活した。

しかし医師には
今年いっぱいは用心するようにと言われている。

この間は禁酒だ。

運動量も日頃の7割を常とする。

「病んで知る健康の有難さ」、
大事になる度に、つくづくと実感する。

10/25からは2週間の予定で
震災から7ヶ月半ぶりに#22旅程を敢行するが
これは全日計画宿泊となる。

気分転換を兼ねながら
気楽な旅を楽しむことにしよう。

#21から約9ヶ月ぶりの旅程復活。

まだ震災の痛手も大きいけれど
また一歩一歩、歩み出そう。

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