Journey Log 放浪旅日記

【放浪写真家・齋藤美津明の旅のエピソードをつれづれなるままに】


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003 言わずもがなのドクター・ストップ

10/25から再開したプロジェクト旅程の#22は
やはりメンタルが万全ではなく、
というよりは
ちょっとしたストレスでも過敏に反応してしまうほどの脆弱さで、
3日目までは何とか持ちこたえたものの
4日目の午後には
「このまま行けば発作が慢性化する」と判断し
急遽、旅程を打ち切り、
その日のうちに帰宅した。

もうこの判断を下す時点で
体調は充分に辛かった。

帰路の新幹線では
発作が起きないよう願うばかりで
このまま帰宅できたときには
何とも無事で何よりと
ただひたすらに安堵、安堵の心境だった。

あれから約1ヶ月、
そのまま体調を整えて
今日からは
その4日で打ち切りとなった#22旅程の
リベンジ旅程となるはずだった。

少なくとも昨夕まではその腹づもりだった。

しかし、、、

土壇場になっても症状が治まらない。

不定愁訴と言われるこの症状は
1ヶ月前に比べたら
その容態改善具合は比ではないが
未だに、発作に近い症状にまで達することがある。

この状態では
出掛けてもまたすぐ引き返す羽目になる。

昨晩8時、旅程取り止めの腹を決めた。


「今年いっぱいは用心するように」という主治医の忠告。

正面切って「旅行へは行くな」とは言わないが
それは自分のコンディションに訊けば
自ずと解るだろうという計らいだったのだろう。

今日、旅程を取り止めた日の翌朝は
目覚めはよく気分も概ね良好。

昨晩までの不定愁訴も全く気にならない。

「何かをしなければならない」という気概だけで
症状発症のトリガーになってくることも
今回の一連の発作で認識できた。

この変調期を乗り切るには
気楽さあるのみ。

このまま処方通りに薬を服用して経過観察しながら
気楽に気楽にのんびりと過ごすことだ。

お陰で今年の年越しは大いにのんびりできそうだ。

大震災で被災した方々の心中を察すれば
私の心のコップの中の嵐など、全く取るに足らないが
私も今年は
この一連の発作で死に目を味わい
随分と辛い思いをした年となった。

今年の残りの1ヶ月、
自宅入院、外出自由のお咎めなしだ。

ただし、お酒は飲めない。

これは文書で咎められている。

ゆっくり療養しながら
また春がやってくるのを待つとしよう、、、

002 好調の時の用心、不調の時の辛抱

先月の9/15、
それは何の前触れもなく始まった。

この日は朝から不調だったが、
これはまたいつもの神経症の症状
翌日には回復するものと、高をくくっていた。

しかし昼食後、容態は急変
毒でも盛られたかと疑うほどの精神不穏に陥る。

その後、徐々に体力をも蝕み始め
心身共に危篤寸前となり
遂には救急車を呼んで
かかりつけのクリニックに搬送される羽目になる。

この日から丸々1ヶ月、
頻発する発作との闘いが続いた。

途中、
夜の発作が治まらず
病院で1泊入院し経過観察した程だ。

この持病の発作は
日頃から「ああ、またか」という程度で発症しているが
こんな大病扱いの発作は11年ぶり。

かかりつけ医には
11年前とは因果はないといわれたが
私にとっては10年に一度の大事となった。

この最中の10/10、
毎年の楽しみの公演鑑賞のため東京まで出掛けたが
移動中の体力消耗で
公演鑑賞中は発作との闘いだった。

無事に公演終了まで生きていられるかと
必死にステージに食い入っていたが
何とも終了時には全くの健康体を取り戻していた。

元気を貰うとはこんなことを言うのだろう。

しかし、翌日の帰路では
少しでも体力を消耗すると
発作に陥りそうな精神不安になるため
1枚も写真を撮らず、ただ帰るだけの鉄道路となった。

この翌日からは
体力消耗度を加減しながら
精神安定を保つようなリハビリ状態に入る。

そして10/18の発作が締めくくりとなるように
翌日からは何の症状も消え失せていた。

10/20には
メンタル・コンディション・チェックを兼ねて秋田空港に撮影に出掛けたが
もはや心身共に万全。

1ヵ月ぶりに
健康状態はアクティブに復活した。

しかし医師には
今年いっぱいは用心するようにと言われている。

この間は禁酒だ。

運動量も日頃の7割を常とする。

「病んで知る健康の有難さ」、
大事になる度に、つくづくと実感する。

10/25からは2週間の予定で
震災から7ヶ月半ぶりに#22旅程を敢行するが
これは全日計画宿泊となる。

気分転換を兼ねながら
気楽な旅を楽しむことにしよう。

#21から約9ヶ月ぶりの旅程復活。

まだ震災の痛手も大きいけれど
また一歩一歩、歩み出そう。

001 あれから半年

東日本大震災発生から半年。

この震災後、初めて秋田県外に出た。

向かった先は仙台空港。

高速道路を使い
朝出て、夕前には帰る、いわゆるトンボ帰りだ。

被災見舞いということで、カメラは持たずに出た。

これが
このブログの初稿となることに
ブログ・タイトルとは少しかけ離れている感はあるが、
ここからまた、私の新たな旅が始まった。


被災見舞いとは言っても
傍から見れば、
ただ空港に行って展望デッキで牛タン弁当を食べて来ただけ。

何をしに行ったわけでもない。

ただ、空港関係者から聞くには
震災当日の大津波から、
空港ビルに避難できて助かった大多数の人たちの影に
助けようとしても助からなかった命がかなりあったという。

牛タン弁当は美味しかったが
食べながら空港周辺の景色を見渡し
そんな話を思い返せば
とても笑顔にはなれなかった。

こんな地獄絵の状況下で
自らも被災者でありながら
黙々と己の使命を全うしている名もない救世者には
本当に頭が下がる。

テレビで観ているばかりで
何もできない自分を
気恥ずかしく思うばかりだ。

いざという時の機能さえ失い
失速しながら補助エンジンだけで浮き上がっているこの国に
また自動制御機能が回復する日を待つばかり、、、

私の救いはただひとつ
「自分は無力」ということを知っていることだけだろう。


今日の県外旅程を皮切りに
また来月からは遠出の旅が始まる。

しかしまだ「旅行」であって、放浪ではない。

本来の放浪スタイルに戻るまでには
もう少し時間がかかりそうだ。

心情的にも世間的にも、、、


今日という日は特別な日ではない。

しかし、私にとっては
これが新たなスタート・ライン。

年中あちこち彷徨っているばかりの浪費者の
「生かされた命」にも、きっと訳があるはず。

ただ、今は何も知らなくていい、
知らないことで救われたのかもしれないから、、、

また、風に吹かれるように
旅の空気が蘇りつつある。
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