東日本大震災発生から半年。
この震災後、初めて秋田県外に出た。
向かった先は仙台空港。
高速道路を使い
朝出て、夕前には帰る、いわゆるトンボ帰りだ。
被災見舞いということで、カメラは持たずに出た。
これが
このブログの初稿となることに
ブログ・タイトルとは少しかけ離れている感はあるが、
ここからまた、私の新たな旅が始まった。
被災見舞いとは言っても
傍から見れば、
ただ空港に行って展望デッキで牛タン弁当を食べて来ただけ。
何をしに行ったわけでもない。
ただ、空港関係者から聞くには
震災当日の大津波から、
空港ビルに避難できて助かった大多数の人たちの影に
助けようとしても助からなかった命がかなりあったという。
牛タン弁当は美味しかったが
食べながら空港周辺の景色を見渡し
そんな話を思い返せば
とても笑顔にはなれなかった。
こんな地獄絵の状況下で
自らも被災者でありながら
黙々と己の使命を全うしている名もない救世者には
本当に頭が下がる。
テレビで観ているばかりで
何もできない自分を
気恥ずかしく思うばかりだ。
いざという時の機能さえ失い
失速しながら補助エンジンだけで浮き上がっているこの国に
また自動制御機能が回復する日を待つばかり、、、
私の救いはただひとつ
「自分は無力」ということを知っていることだけだろう。
今日の県外旅程を皮切りに
また来月からは遠出の旅が始まる。
しかしまだ「旅行」であって、放浪ではない。
本来の放浪スタイルに戻るまでには
もう少し時間がかかりそうだ。
心情的にも世間的にも、、、
今日という日は特別な日ではない。
しかし、私にとっては
これが新たなスタート・ライン。
年中あちこち彷徨っているばかりの浪費者の
「生かされた命」にも、きっと訳があるはず。
ただ、今は何も知らなくていい、
知らないことで救われたのかもしれないから、、、
また、風に吹かれるように
旅の空気が蘇りつつある。
この震災後、初めて秋田県外に出た。
向かった先は仙台空港。
高速道路を使い
朝出て、夕前には帰る、いわゆるトンボ帰りだ。
被災見舞いということで、カメラは持たずに出た。
これが
このブログの初稿となることに
ブログ・タイトルとは少しかけ離れている感はあるが、
ここからまた、私の新たな旅が始まった。
被災見舞いとは言っても
傍から見れば、
ただ空港に行って展望デッキで牛タン弁当を食べて来ただけ。
何をしに行ったわけでもない。
ただ、空港関係者から聞くには
震災当日の大津波から、
空港ビルに避難できて助かった大多数の人たちの影に
助けようとしても助からなかった命がかなりあったという。
牛タン弁当は美味しかったが
食べながら空港周辺の景色を見渡し
そんな話を思い返せば
とても笑顔にはなれなかった。
こんな地獄絵の状況下で
自らも被災者でありながら
黙々と己の使命を全うしている名もない救世者には
本当に頭が下がる。
テレビで観ているばかりで
何もできない自分を
気恥ずかしく思うばかりだ。
いざという時の機能さえ失い
失速しながら補助エンジンだけで浮き上がっているこの国に
また自動制御機能が回復する日を待つばかり、、、
私の救いはただひとつ
「自分は無力」ということを知っていることだけだろう。
今日の県外旅程を皮切りに
また来月からは遠出の旅が始まる。
しかしまだ「旅行」であって、放浪ではない。
本来の放浪スタイルに戻るまでには
もう少し時間がかかりそうだ。
心情的にも世間的にも、、、
今日という日は特別な日ではない。
しかし、私にとっては
これが新たなスタート・ライン。
年中あちこち彷徨っているばかりの浪費者の
「生かされた命」にも、きっと訳があるはず。
ただ、今は何も知らなくていい、
知らないことで救われたのかもしれないから、、、
また、風に吹かれるように
旅の空気が蘇りつつある。