walk the walk

私の韓国語の楽しみ方

西国三十三か所巡り

2月末に会った学生時代の友人が勧めてくれた。
観音菩薩は現世利益をもたらすとされているから、参拝するとすぐにご利益があると。。。

何もない休日にふらっとでかけるにはいいかな〜と、今日23日だから23番目の勝尾寺に行ってきた。
(順番通りに行かなくてもいいそうなので)

駅から途中の滝までの道はゆるやかな登り坂で、桜の木がつぼみをつけたところでピンクがかったグレーがぼんやりした早春の感じを出していて、「桜が咲いたらきれいやろな〜〜〜」と桜の咲く頃にもう一度来てみたいことをほのめかすと、娘が「人多いで」とにべもなく。。。

滝から勝尾寺まではバスに乗り、勝尾寺に入ってみると。。。至る所に達磨が置かれていて、至る所で写真が撮られ、至る所から外国語が聞こえてくる。。。 お寺というよりにぎやかな観光スポットだった。

早々に引き上げ駅に戻った。
初めて降りた駅だったけど、検索して、遅い時間ならいいということでイタリアンレストランに。

お料理もおいしく一人で切り盛りしているシェフも面白い人だった。
いいお天気でのどがかわいていたからビールを注文すると、どうしてビール?とシャンパンを勧められ、二杯目は赤ワインを勧められ、私は濃い赤ワイン、娘は軽いのにすると、濃ゆいワインは下品だと。。。 でも。。。濃ゆいワインがとてもおいしかったのです。。。ナパバレーので、初めて飲んだような。。。

お店を後にしてお会計が間違っていたことに気づき、娘に頼んで引き返してもらったけど、受け取ってもらえず、「また来てください」と言われたそう。

ちゃんとした参拝もしなかったからご利益を期待したら逆にバチが当たりそうだけど、気持ちのいい、楽しい春の一日を過ごせて、また今度行ってみたい場所やお店と出会えたから、ご利益があったと友人に報告しよう〜


今週読んだ本

われら闇より天を見る
クリス ウィタカー
早川書房
2022-08-17


2023年本屋大賞 翻訳小説部門1位 『われら闇より天を見る』
面白かった〜〜〜

何度かじ〜んと目がうるうるし、最後は電車で本で顔を隠して落涙。

著者はイギリス人だけど小説の舞台はアメリカ。理由はアメリカは犯罪小説を書くのに理想的な舞台だからだそう。犯罪そのものよりも、銃器問題や小さな町の保安官、FBIといった法律や警察機構など、犯罪絡みの周辺・余波に強い関心を抱くからだそう。

この小説の舞台は太平洋の絶景を望むカリフォルニア州の小さくてのどかな海辺の町。海蝕の進行による崖の崩壊の深刻化が背景にある。もう一つの舞台は広大なモンタナ州の大地。地平線を山々が縁取る美しくも厳しい大自然と一体となった場所。モンタナ州は「宝の州」といわれているそう。山々がどんなふうに目に映るんだろう。。。

自然のなかで人が蘇生していく過程だけでも十分読みごたえがあるのに、ミステリ、リーガル・スリラー、ロードノベル、罪と罰、家族愛と、いろんな要素が一体となっていて、これだから小説はやめられないっ

原題は"We begin at the end"。凝らずに原題のまま「終わりから始める」にすればよかったのに。。。


お次は『彼らは世界にはなればなれに立っている』
タイトルの長い本を手にとることはないのだけど。。。
何年か前に久米宏さんのラジオで紹介されていた本を読んだことがあり↓




著者は元脚本家で、手がけた作品はウルトラマンや相棒。
こちらもすご〜く面白くてずんずん読んでいたんだけど、半分過ぎたあたりから、きっと登場人物はみんな殺されるんだろうなと。。。没入感にストップがかかった。

仮想の町の終焉を描き、現代人への警告、警告なんて手ぬるい?になっていて、見たくないものは見ないことにした私には砂をかんだような読後感が残った。





本に登場するということは立ち上げたビジネスがうまくいっている人達ということで、この後ろにはどれくらいのうまくいかなかった人達がいるのだろうと否定的に考えてしまう。

懐疑的になってしまうのは、何十年も人口が変わらない小さな町で、かつてはにぎわっていたが、今はまったく人気のないシャッター商店街を通って駅に向かい、商売の難しさ・残酷さを毎朝ひしひし感じているからだろうか。。。

でも。。。好きを仕事にできたらいいなぁ〜と、あきらめてはいないのデス!



1937年2月10日誕生、2025年2月24日永眠

3月が去ってしまわないように

この間あれこれ読み始め、読了できたのはこの本だけ。
朝の通勤時間に読んで元気をもらった。残業が続き帰路は頭と目がぼーっとしているので本が読めない。
14人の一流の経営者の好き嫌いが対話形式で書かれていて、それぞれいいお話だな〜と思ったことを書いておこう。



□永守重信

僕の軸足というのは会社をつくってから40年間、ちっともブレていないのですよ。世の中は変わるから、上は葉っぱを変えたり、色を変えたり、若干接ぎ木をしたりしていますけれど、言っていることは何も変わっていませんね。結果よりもがんばっている途中のほうが好きだから、自分もまだ道半ばなのかもしれません。たとえば、僕は、東京の仕事のときは帝国ホテルに泊まっていますが、この段階に至るまでは17のホテルをグルっと階段を上るように上がっていきました。40年前に事業を始めて、最初の定宿は上野の木賃宿。今では考えられないけれど、知らない者同士が10人、布団を並べて寝るみたいな所。東北の出稼ぎの方などがいつも泊まっている旅館があったのです。そのとき知り合った人が山形のサクランボ農園の経営者になって、いまだに毎年ずっと、サクランボを送ってくれますよ。その次に定宿がホテルうらしまとかになり、だんだんビジネスホテルになり。。。

10年くらい前の取材だから、今は、18ランクある帝国ホテルの何ランクの部屋に泊まっていらっしゃるんでしょう???

□柳井正
楠木:いつだったか、柳井さんが「商売人の何がいいのかといえば、自由だ」ということをおっしゃったのが記憶に残っています。
柳井:そうですね。自由主義、資本主義の信奉者が起業家やビジネスパーソンにならないといけないと思います。管理が好きな人がビジネスパーソンになると最悪ですよ。

言葉は意思です。

いつも頭や心の中でいろんな考えや思いが巡り巡っているけど、何を言葉にしてどんなふうに発するのかとても大事だと思うこの頃。。。

□原田泳幸
私の父親が93歳でまだ現役で、車も運転しています。親父は養鶏場をやっていますが、まだ事業拡大するつもりのようです。私が「なんでだよ?」と聞いたら、まじめな顔で「老後のため」と答えました。(笑)性格的には親父のほうがお人よしですが、仕事熱心なところは似ていますね。

私が老後の心配をするのはまだ早いのかしら(笑)

□新浪剛史
腹がない人とウダウダしたやり取りが続くのがイヤです。バサッとやったほうがいいですよ。「私はあなたのことをバカだと思っている」とはっきり言ったほうがいい。

バカだと言って腹がない人を切れるなら簡単でいいのですが。。。

□佐山展生
楠本:第一印象が大切というのは、優れた経営者の方がよくおっしゃっていることですね。
新浪:意識しているかどうかは別として、普通だと思います。たとえばある会社の社長は、採用するかどうかは、相手が部屋に入ってきて椅子に座るまででほとんど決められるそうです。子供ならともかく、ある程度の年齢以上になると、顔の表情や態度にいろんな経験が集約されているものです。ですから、第一印象は大事ですね。

ごもっともです

□松本大
ずるい人が嫌いです。賢くなければ商売はできないと思いますが、僕の好みは直球勝負。相手が誰だろうと直球。ブログを創業間もない1999年から、1営業日も休まずに書いていますが。。。

ブログ、今も更新されていてびっくり〜

□藤田晋
自分の実力を一番発揮できるのはバーカウンターで、差しで飲んでいるときだと思っています。頭の回転が良くなって、キレのいいことを言ったりできる。口説いているとかじゃないですよ(笑)。相手が友達でも、社員をモチベートするときでも、取引先といい関係を築くときでも、バーが得意な舞台です。人がいっぱいいるところよりも、閉鎖されたところで一対一、しかも、向かい合うのではなく横に並んでいるときに、「僕はなんて面白いことがいえるんだろう!」という感じになります。

へ〜〜〜 バーでは構えてしまって話が上滑りになってしまうし、話題はどうしてもお酒のことになるのですが。。。

□重松理
周囲を威圧するような男性ホルモンが強い人というのは、ビジネスでもわりと成功するタイプ。男の「威張り」に対応した女性の本性が「媚び」だというのが僕の持論で、僕は個人的には男性に媚びる女性、俗にいう「癒し系」もこれに含まれますが、そういうのは大嫌い。戦争が起きたりするのも、根源のところで「男の威張り」とそれを煽る「女の媚び」が作用している気がします。ところが、威張る男性と媚びる女性というのは、非常に相性がいいんですね。これが、このフィットが抜群なので、世の中がわりとうまく回る(笑)

え〜〜〜 戦争は男の征服欲、権利欲、名誉欲、独占欲、金銭欲、物欲、その他もろもろが引き起こすんだと思っていたんだけど。。。女の媚び?????

□出口治朗

まだ9人目ですが、一番面白かったので出口さんでおしまいにします。

歴史の事実を見ると、人間の望んだことは99%失敗して実現しない。でも、やらなければ新しいことは100%起こらない。その1%に懸けてチャレンジした人が社会を良くし、世界の歴史を動かしてきた。そういう淡々とした事実がわかったら、安心してチャレンジができる。みんな失敗するんだから、失敗しても何も怖くない。成功したら儲けもの、という認識がわかったら、気軽にチャレンジできるようになります。

僕自身は仕事なんかどうでもいいと思っているんですよ。人生80年として、平均的な時間を計算してみたら、寝て食べて遊んでいる時間が3分の2以上占めていて、仕事に費やす時間なんて3分の1くらいです。3割くらいのものなんていうのは、全体を10としたらどうでもいいことなんです。人間にとって大事なのは、良いパートナーを見つけて楽しい生活を送ることで、仕事なんて価値がない。価値がないものだったら、何でそんなもののために上司にごまをするとか、人からどう思われるとか、そんなしょうもないことを考えるんだと。どうでもいいことだったら好きにやればいいじゃないか。思うとおりやって、チャレンジして、イヤだったらチェンジすればいい。

シャネルの晩年の言葉にこんなものがありました。「私みたいな馬鹿な女でも、1日に花の名前とか植物の名前一つくらいは覚えることができる。そして一つを覚えれば、その分世界は単純にわかりやすくなっていく。だから私は世界は素晴らしいと思う。人生は楽しいと思う」。こういう精神のあり方は大好きですね。


逃げない2月

相変わらず家と会社の往復で、大目にみてもらっていた残業もとうとう逃げられない状況になり、この頃は帰路放心しているのか、降りる駅を乗り過ごすことも。。。(1時間に1本のダイヤなので、乗り過ごすと、逆方向の電車が来るまで人気のない暗い駅で寒風にさらされながら1時間近く待つことになる。。。自動販売機も待合室もなく、一度はじっとしていると風邪を引きそうなので4キロの寂しい道を歩いたことも。。。

そもそも車を手放したからこういうことになるんだよな、と思わなくもないけど、車のない生活も1年が過ぎた。あと1年なんとか持ちこたえたい

昨日の茶道教室で台子平点前というものを習った。普段正座をすることがないのと体が硬くて重いので、お点前をやっている途中で必ず足がしびれて立てなくなる。。 で。。。今回は。。。立とうとして、思わず台子に手をかけてしまい。。。先生が「これこれ、それはだめよ!」と。。。

今年の叶えることのリストの一つは「茶道にきちんと向き合う」。教室で先生が注意されたことをメモし、次の教室の前にそのメモを見直し、同じ注意を受けないようにしようと。当たり前のことなんだけど、今まではお点前をするだけで精一杯で、先生が何をおっしゃっていたのか思い出せなかったので。。。

さて、この間読んだ本は、



図書館で本棚を順々に眺めていて手に取った本。

事務所を引っ越してから隣の席になった聴覚障害のある女性と社員食堂で昼食を一緒に食べることになった。目の前にいる人が耳が聞こえないということを理解しているつもりでも、毎日の会話で無神経な話をしてしまうことがある。はっとする。市の手話教室の講師をしたり、活動的な人で(仕事中は居眠りしているときもあるけど)、私の偽善的な自責の狼狽も一笑に付す。

齋藤陽道さんというろうの写真家が紹介した詩。
詩を読んだのは久しぶり

生命は      吉野 弘

生命は
自分自身だけでは完結できないように
つくられているらしい
花も
めしべとおしべが揃っているだけでは
不充分で
虫や風が訪れて
めしべとおしべを仲立ちする
生命は
その中に欠如を抱き
それを他者から満たしてもらうのだ

世界は多分
他者の総和
しかし
互いに
欠如を満たすなどとは
知りもせず
知らされもせず
ばらまかれている者同士
無関心でいられる間柄
ときに
うとましく思うことさえも許されている間柄
そのように
世界がゆるやかに構成されているのは
なぜ?

花が咲いている
すぐ近くまで
虻の姿をした他者が
光をまとって飛んできている

わたしも あるとき
誰かのための虻だったろう

あなたも あるとき
私のための風だったかもしれない



3週間に1度の頻度で「てあて」をしてもらいにいっている。先生が身体のしくみを説明するときは人体解剖図が詳細に書かれている図鑑のようなものを持ってくるのだが、時にその説明が微に入り細を穿つので、「面白いですか?」と思わず。。。間髪入れずうれしそうに「面白いですね〜 尽きない!」 へ〜〜〜。 男と女は全く違うという話にもなり。。。養老さんはどう考えているのかと手に取った本。

へ〜〜〜と思ったところ
・ペニスが変わると種が変わり独立種になる
・人間が識別するのは三原色、カラスは四原色 カラスが世界をどんな色で見ているのかはわからない。。。あの黒い濡れ羽色もカラスが見ると、ひょっとして非常に見事な色に見えるのかも。
・人間というのは頭の中で考えていたものを絶えず実現してきた動物。カメラを考えればカメラをつくる。カメラは実際にできる250年前に小説にでてきてる。とにかく先に先に考えている。だからこそ実現できる。そうすると、人間が最初に考えてつくり出したものの一つが神。だからそれもいずれ実現する。

読んでいて一番へ〜〜〜と思ったのは、養老さんはきっと奥様を崇拝?尊敬?愛おしまれているんだろうなと。



必要があって手に取ったけど、最後まで読めるのかなと。。。ところが、面白かったデス
会社を会計というレンズで見ることを教わった感じ。

・会計がやりたいことは会社が儲かったかどうかを知ること
・東インド会社は株式会社の原型であり、財務会計の始まり
・資本金には重要な意味はほとんどない
・利益は株主のもの
・子会社と関連会社
・グーグルの「創業者からの手紙」
・「収益」の会計上の本来の意味
・過剰在庫はキャッシュフローを悪化させる
・黒字倒産
・ポスト資本主義社会において最も重要なステークホルダーは株主ではなく従業員

仕事で数字や数式が出てくるとシャッターが下りて思考が停止するんだけど、そろばんや簿記の下地があるからか会計の数字は大丈夫みたいで、最後の練習問題も飛ばし読みすることなく取り組めた。

初めての分野の第1目に良書に巡りあえたのはとても幸運。同じ著者の本を何冊か読んでみよう

会計を教養として学ぶうえでもう一つ重要なことは、言葉の正しい意味を学ぶことです。言葉は概念そのものです。教養のある人は言葉遣いが美しいものです。 金子智朗
   

いよいよ2月

翻訳業務で入社したけど、翻訳しなければいけない文書が増えて追いつかなくなったのと、google翻訳やchatgptの翻訳精度がぐんとよくなり、文学作品や学術論文を扱っているわけではなく、顧客からの要求事項に対応できているのか大意がわかればいいレベルなので、ほとんどの文書翻訳は機械翻訳にまかせるようになり、今の私の業務は、毎月の二つの定例会議を含め、年間で決まっている会議や監査の招集、資料の準備、それから議事録が大きな割合を占めている。海外拠点からも参加するので英語から離れているわけではないけど、話す機会は皆無。。。

で。。。誕生月が退職月だから今月からはこれが最後というものが出てくる。今までは監査なんか形骸化の化身の何物でもないと白けていたけど、有終の美を飾る、ではないが、終わりよければすべてよしなのできちんと終わらせていこうと思っている。

さて、この間読んだ本です。


6編の短編が入っている。それぞれ読みやすかったけど、だからかもうすでにどんなお話だったのかほとんど忘れている タイトルと6つの短編のつながりがわからない。。。


面白かったデス!
東京に行くことがあったら、お店をのぞいてみたい〜〜〜 
伊東屋ブランドの名刺入れや眼鏡ケースがきれい
シャープペンシルのシャープやコクヨなど、創業時の文具メーカの活気が伝わってきたし、文房具の小売業に創意工夫を凝らしている伊東屋の奮闘もいい刺激になった。




校正をめぐるノンフィクションだそう。

文字の間違いをどうやってみつけるのか、校正の方法がわかって面白かった。でもその方法を使えば誤字脱字が減らせるかも、とは思えなかった。誤字脱字がないに越したことはないけど、誰かにちゃんと校正してもらわない限り、ゼロ・ディフェクトは不可能ではないかと。。。

日本語には標準表記、正書法がない、というのは目から鱗だった。
韓国語を勉強していたときに正書法がでてきて戸惑ったのを思い出した。そうだったのか。。。

石川啄木は東京朝日新聞社の校正係だったそうだ。「ぢっと手を見る」の手は校正をしていた手だったのです。。。

言葉の意味はその使用法である。 ヴィトゲンシュタイン
言葉の意味がわかるとは、使用法がわかるということ。例えば「長さとは何か?」と「長さ」の意味を問われると絶句してしまうが、「長さを比べる」という使い方はわかるし、実際に長さを比べることもできるのである。かつてアウグスティヌスが時間について語るときは、「時間」を理解しているが、誰かに「時間とはなんであるか」と問われると、「わたしは知らないのである」と指摘したように、私たちは意味を理解して言葉を使うのではなく、使う中で意味を承知していく。


こちらも面白かったです。イタリア人と韓国人は類似点多数。韓国は東洋のイタリアと言っていた頃もあったような。。。

イタリアは公私の区別がきわめて曖昧で、仕事の時間と私の時間が簡単に行き来し、幸せに溶けあっているように人々が働いている国だそう。よさげです。

食卓は人間を裸にする。私は仕事でたくさんインタビューをしてきたが、相手の本質に迫るなら、事務所における100時間のインタビューよりも、2時間の食卓の共有のほうがはるかに役立つと確信している。そこでしか得られない本音を聞くことができる。

すべてが完璧に作動しているということは、それを作動させている人がいるということだ。完璧なサービスを実現するということは、それを支える犠牲が必要ということになる。1分も遅れない新幹線、完全にクリーンな車両の背景には、マニアックなまでの仕事をする人たちがいる。日本はサービスを受けるほうには最高だが、それを提供するほうにはかなりの緊張感を強いる。過酷な労働を課するシステムなのではないだろうか。イタリア人は日本とは正反対の考え方をしているようだ。。。上を目指しすぎて摩耗していまうよりも、寛いで、ゆったりとした人生を過ごそうというスタンスである。だからイタリアは何もうまくいっていないのに、なぜか人々は精神的余裕がって幸せそうだ。



最長で20数年にわたる取材もあり、読みごたえがあった。2023年版高齢社会白書で、現在収入のある仕事をしている60歳以上の人に、「何歳ごろまで収入を伴う仕事をしたいか」と尋ねたところ、「働けるうちはいつまでも」が約4割を占めたそう。私も働けるうちはいつまでも働きたいと思っている。状況がそうさせる、というのもあるけど、元気なうちは毎日行くべき場所やするべき事があり、何かの、誰かの役に立ててる、という生活をしたい。

第5章の「均等法第一世代」女性の光と影  で勇気づけられた。

本書で紹介しきれなかった取材協力者の女性たちも含め、道なき道を自ら切り開こうと、時に立ち止まり試行錯誤を重ねながら、果敢に挑む彼女たちの姿は実に凛々しかった。

凛々しく、ありたいですね〜



1月はゆっくり

1日 弟が送ってくれた大量のおせちを堪能
2日 娘とおでかけ。年末に大衆演劇を観劇したとき、観客席に中国の獅子舞が登場し、ぱくっと頭を噛んでくれたが、お正月に神社で噛んでもらわないとちゃんとした厄払いにならないとか。神社の獅子舞はなかなか探せず、ちょうど百貨店で子供向けの獅子舞のイベントがあり、そこで家族連れに混じって列に並んで噛んでもらった。それから、年末みたドラマ「グランメゾン東京」が面白かったので、映画鑑賞。ドラマのほうが断然面白かったな。。。
3日 母が頼んでくれた冷凍のカニでカニすき。
4日 娘、帰る。
5日 3回目の初釜 着物だったのは先生だけで残念だったけど、花びら餅のおいしさがわかりかけてきた感じ。ごぼうとみそ餡の組み合わせはクエスチョンでしょ???

地味なお正月休みでしたが、ゆっくりできました〜

さてさて、この間読んだ本。

↓こちらは機嫌よく日々を過ごすヒントをもらうために読んだ本



 
↓仕事や働き方のヒントがあるかなぁと読んだ、収穫なし。というよりタイトルが過剰表現〜


世界の一流は「雑談」で何を話しているのか
世界の一流は「雑談」で何を話しているのか

↓断然面白かった本 


USスチール買収計画への政治介入が話題になっていますが、
こういう本が出版されることからだけでも、どれだけ日本製鉄が変わったのかがわかるような。。。

生産能力、売上収益、工場面積、従業員数、組織構造、競合他社などなど、スケールの大きさに胸が躍った。
事上磨錬、橋本英二会長の座右の銘だそう。王陽明が残した格言で「行動や実践を通してしか知識や技能は磨かれず、人間の実力は身につかない」という意味。こだわったKPIは、「社員に支払っていた給与をどれだけ増やせたか」 これこそが社長の使命ですよね???

2025年をどんな年にするのか、「計画一流、実行二流、言い訳超一流」という自虐めいた言葉が日本製鉄にはあるそうですが、初めが肝心なので、1月中に「叶えたいことリスト」を仕上なくっちゃ


2024年一番の日

足の裏にカイロを貼って、娘が編んでくれたマフラーをぐるぐる巻いて、腰まですっぽりのダウンコートを着て、防寒対策万全で通勤し、午前・午後2回ずつ必ず席を立ち、定時で帰宅(といっても20時前)し、夕食・入浴後を済ませて、10時前に就寝、と、きっちり5日間を過ごし、無事に仕事納めができた。やれやれ〜〜〜

どこかにでかけたりしないので、洗濯や掃除をして、お墓参りに行って、父の命日に集まることにした町中華料理やさんで試食して、年賀状やお年玉の用意をして。。。とのんびりしていたら。。。

大晦日に「今から行くわ〜」と末っ子からラインが〜
何年ぶりなんだろう。。。子供たち3人がそろうなんて。。。
末っ子の「おもたせ」のふぐでてっちり鍋を囲んだ。

お鍋の野菜を切りながら、3人がそろった情景を思い浮かべてうるうるしてきだし、末っ子が到着したら泣きだしてしまうのでは。。。と。。。杞憂だった。

お鍋は忙しい。。。火加減みて、材料を補充して、雑炊の用意をして。。。
いただきものの「魔王」のお湯割りは娘が作ってくれたけど

末っ子の滞在時間は2時間余りでしたが、2024年一番の日になりました〜

今年もあと。

今年もあと数日で、昨日は冬至。
韓国では邪気払いも兼ねて小豆粥を食べる。甘くなく塩だけで味付けされるので、初めて口にしたときの落胆さは今も鮮明。今週は母が小豆粥ではなくぜんざいを作ってくれ、邪気が抜ければいいけど。。。

先週の木曜日に会社で脚がしびれて歩けなくなり、早退。お迎えを頼める人もなく、タクシーで帰宅。金曜日にてあてをしてもらい、月曜日から金曜日まで在宅勤務。昨日てあての先生から大丈夫だろう、ということで明日から出社。不安と言えば不安だけど、あと5日なので乗り切らないと。。。

本も読む気にならず。。。


何年か前に購入し、なかなか読了できず。
当然だけどなじみのある地域は読みやすく、でも物足りなく、なじみのない地域は読み難く、でも興味深く。。。ラテンアメリカ、インドとパキスタン、中東、北極は面白かった

三部作になってるそうで、残りの二作も読んでみたい。

地図のある本を読みたがるのは、以前は行ってみたい国々があり、いつかは行けるかも!とぼんやり捉えていたのに、今となっては、それらが行くことのない国々になってしまい、ぼんやりさせておけなくなったから、その国の地図をたどり、間接的に知るしかないと思うようになったから、だと思う。



名文だとそこかしこで紹介されていて、神戸元町の古本屋さんで5巻セットを見つけ購入。
1巻目を読了。
日常の何気ない出来事からはっとするような気づきが書かれているのがエッセイだと思うけど、そのはっとが深い。物理学者なんだから深くて当たり前なのかな。。。1篇1篇をじっくり味わいながら読んでいこう


いまだかつてないほどたっぷり寝た一週間で、ふとんのなかで聞いたのは、こちら↓



本と同じでまだ見ていない映画が限りなし。(馬場監督作品も未見
晴耕雨読な老後に、ホームシアターな部屋で映画鑑賞、を付け加えないと〜

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三宮駅スタート、神戸空港ゴールのライナーウオークに娘と参加。
歩くスピードで景色を眺めるのは本当に素敵

ということで、今年の学びは、いつまでも、どこまでも歩きたいなら、体調管理を第一優先に、でしょうか???

秋の三連休

今日は休みを取ったので、三連休でした。

土曜日は、最近娘と月一ペースで参加している鉄道会社主催のハイキング。今月は六甲山系の一部を歩いて、神戸の市街地に降りていくコース。10kmで、9時30分スタート、途中おにぎりを食べて、12時前にゴールの三宮駅に到着。

いいお天気で紅葉も残っていて、木の葉が風にそよぐ音がいつのまにか川や滝の水が流れる音に変わり、ある地点で突然緑の視界がビル群と遠い海の景色に変わって、なかなか面白かったです

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日曜日は叔母のところへ。こちらも月一ペースで食べたいものを調達。電話越しのリクエストが無邪気で笑ってしまう。「ロッテのやみつきのサクサクしたの」「???」
チョコレートをほとんど食べないので商品名が浮かんでこない。。。

帰りに久ぶりに映画館へ。



観客が私と2列前の男性だけだったので、くつろいで鑑賞できた。
ひっかかるところもなく、読んだ小説をなぞる感じで、可もなく不可もなし(えらそーに〜)
タイトルの”us”が誰を指すのか解釈を間違っていたようで、やっぱり原書の読解力はまだまだなんだと。。。 続編がでているので、読んでみようかな

先週も残業続きで帰りの電車の中では疲れて本が読めない。朝1章ずつ読んで読了した本。
知的生産のための手法を紹介した本。
悲しいかなアウトプットする機会がないけど、周りであふれているアウトプットを眺める角度がちょっと高くなりそう。

へ〜とうなったところ

「悩む」というのは「答えが出ない」という前提に立っており、いくらやっても徒労感しか残らない行為だ。僕はパーソナルな問題、つまり恋人や家族や友人といった「もはや答えが出る・出ないというよりも、向かい合い続けること自体に価値がある」という類いの問題を別にすれば、悩むことには一切意味がないと思っている。
特に仕事(研究も含む)において悩むというのはバカげたことだ。
→バカげたことに、職場の人間関係に悩む、も入っているのだろうか??? 別の範疇???

一心不乱に大量の仕事をして、上に行き、時計回りで「バリューのある仕事」に到達しようとするアプローチを「犬の道」と呼んでいる。
→どうしてこれを「犬の道」というのだろう??? 犬にこんな習性があるのかな???

言葉で表現するときのポイント ▼主語と動詞を入れる ▼WHYよりWHERE/WHAT/HOW ▼比較表現を入れる

課題解決の2つの型 ▼ギャップフィル型(あるべき姿は明快であり、課題解決のポイント:第一に答えを出すべきイシューはそのあるべき姿とのギャップが何によって生まれたのかを適切に見極める) ▼ビジョン設定型(そもそもどういう姿が望ましいかを見極める必要がある場合の課題解決で、参考になる事例はほとんどない。さらに仮にそのような姿が見えたとしても、どのようにしたらそこにたどり着けるか自体も明確な答えが簡単に見つからない。このタイプの課題解決は、世の中の課題解決の1割もあるかどうかだと思うが、これこそがAI×データ時代に人間に求められる真の課題解決といえる)
→1割??? バーツラフさんの本を読んだ後なので、とても1割とは思えない。。。 母集団が違うのか? 

イシューを分解するときには、「ダブりもモレもなく」砕くこと、そして本質的に意味のある固まりで」砕くことが大切だ。MECE: Mutually exclusive  & collectively exhaustive
→ゆで卵をスライスしたの(無意味な分解)と黄身と白身に分けたの(意味のある分解)がわかりやすい〜

ストーリーラインの2つの型 ▼WHYの並び立て ▼空・雨・傘

(実験には)2つの結果がある。もし結果が仮設を確認したなら、君は何かを計測したことになる。もし結果が仮設に反していたら、君は何かを発見したことになる。 エンリコ・フェルミ

分析とは比較、すなわち比べること。

「理解することの本質は既知の2つ以上の情報がつながること」だと述べた。この結果、マイクロレベルの神経間のつなぎ、すなわちシナプスに由来する特性として、「つなぎを何度も使うとつながりが強くなる」ことが知られている。たとえてみれば、紙を何度も折ると、折れ線がどんどんはっきりしてくることに似ている。ヘップ則
→折り紙のたとえがわかりやすい〜

「60%の完成度の分析を70%にする」ためにはそれまでの倍の時間がかかる。80%にするためにはさらに倍の時間がかかる。一方で、60%の完成度の状態で再度はじめから見直し、もう一度サイクルを回すことで、「80%の完成度にする半分の時間」で「80%を超える完成度」に到達する。

ひとつ、聞き手は完全に無知だと思え
ひとつ、聞き手は高度の知性をもつと想定せよ デルブリュックの教え

どんな説明もこれ以上できないほど簡単にしろ。それでも人はわからないと言うものだ。そして自分が理解できなければ、それをつくった人間のことをバカだと思うものだ。人は決して自分の頭が悪いなんで思わない。

スタジオジブリの宮崎駿監督は電車に乗った際、隣に高校生が座って会話していると、時計を見て何秒で何文字の言葉を喋っているかを測っていたそうだ。1秒24コマという制作要件の中で、どう作ったらいいかを彼は現実の中で観察している。その生々しい現実把握があの異様な迫力のある映画を生み出しているのだろう。

読書は僕にとって生きることの一部だ。
睡眠時間を削ってまで本を読む最大の理由は、自分が関心のあるテーマについて深く語り合える人は、ほとんどの場合、本の中にしかいないからだ。
。。。最高の知性と対話することができる。しかも相手の時間にしばられることもない。これは、読書することでしか得られない唯一無二の価値だと思う。
。。。その分野の泰斗が書いた原典は、文章の光が全く違う。それらが放つ輝きを受け止め、思考を深める。すると、自分なりの考えが育っていく。現場で体験することと同様に、先達たちの本と向かい合うことで、ファクトと論理に基づいて生々しく考えるヒントが得られるはずだ。
折にふれて本を開いて、一行ずつ、少しずつわかるようになる。その喜びを噛みしめることこそが、読書の醍醐味なのではないだろうか。

→もし、何かを生み出すためにアウトプットが必要になったら、もう一度この本を読みなおそう!


  

今日から11月の最終週でいよいよ12月で冬の到来。
風邪を引かないように気をつけよ〜う〜 


秋の読書週間

もう11月も半ばで今年もあと1か月半。
定年まであと、とカウントダウンしてるけど、課長さんに定年後も続けてくれるのかと聞かれ、まだ先のことなのでわからないと。。。絶望的な人手不足で業務が回っていない範囲が広がる一方で、毎晩残業しても追いつがず。。。前をしっかり見て歩かなければ!!!

さてさて、読書にはもってこいの季節で、車窓の紅葉も目に楽しく


八月の御所グランド 万城目
八月の御所グラウンド (文春e-book)

2023年直木賞作品だそう。
1冊読んだだけでは「万城目ワールド」はわからない???
京都御所?御苑?のグランドはだれでも利用できるそう。

今日でかけたらちょうど神戸マラソンをやっていて、どこまでいっても道を渡れない。。。
地元のこじんまりしたマラソンを見ていて、市民マラソンは普段走れない道を走れて楽しいだろうな〜という印象でしたが。。。神戸マラソンは、出走者が2万名以上だそうで、怖かった〜 似たような服装の人たちがあんなに大勢でばたばた走っている光景は怖くないですか??? 私が変なのかな???


あなたがあの曲を好きなわけ  スーザン・ロジャース  オギ・オーガス

音楽の、オーセンティシティ・リアリズム・斬新さ・メロディー・歌詞・リズム・音色とは?をいろんな曲を紹介しながら解説し、その7つにおける自分のスウィートスポットを知ることによって、自分の音楽の好みがわかる、ということで、You tubeで紹介されて曲を聞きながら読んだんだけど、著者の音楽の好みと私のとは違っていて。。。

美的要素と音楽的要素のもう一つの重要な違いは、音楽的要素は美的要素とは異なり、個々に特化した脳内ネットワークによってそれぞれが処理されているという点で、各ネットワークは異なる心の報酬を生み出す。メロディーは聴き手の感情を効果的に刺激することから、レコードの心臓として役割を果たしていると言えるだろう。シンプルなメロディーでも、悲嘆、高慢、冒険心、報われぬ恋といった細やかな心情を喚起することができるのだから。曲の歌詞は脳の知識系を利用するため、レコードの頭部として機能している。リズムはレコードの腰にあたる。レコードのグルーヴによって脳の運動系が働き、身体を動かすことを求めるからだ。音色は、サックスの鋭い響き、アコースティックギターの深い共鳴音、木製の管弦楽ディジュリドゥーの低温など、それぞれの楽器のアイデンティティーを構成する楽音の本質そのものなので、レコードの顔として機能する。

背の高さや性的指向を自分では選ばないのと同様に、好みの音楽の「道(ストリート)」も自分では選ばない。心がさまようままに任せるのだ。私たちにできるのは、そのようにさまようことによって自分自身について教えてくれることに対して、心を閉ざさずに受け入れることである。音楽を愛する気持ちが、ビリー・アイリッシュ、ビリー・かリントン、ビリー・アイドル、ビリー・ホリデイの誰に対するものであれ、自分の本質は絶対に否定してはいけない。人間関係においても音楽関係においても、自分が本当に魅力を感じるものに対して自ら正直になることから、充実感を得られるチャンスは始まるのだから。

著者の経歴(17歳で高校中退、門限の厳しい男性と結婚するも、レッド・ツェッペリンのコンサートをきっかけに離婚、銀行口座残高100ドル以下でハリウッドに移り音響機器メーカーで技術者の見習いに、やがてプリンスのアルバム制作に関わり、プロデュースした曲が全米1位に。その印税で大学に入学し、現在はバークリー音楽大学の教授)が面白く、続けてこの↓本を。

Dark Horse  トッド・ローズ  オギ・オーガス

自分のなかの小さなモチベーションを掘り起こす

判定ゲーム
・自分が他者をジャッジしている瞬間を意識する(どんなときにジャッジしているか)
・他者を反射的に評価しながら、どういう気持ちが湧いてきたかを見極める
・他者に対してなぜそのような気持ちをいだいたのか自問する

こうした問いへの反応が、それぞれに極めて異なる小さなモチベーションの反映なのだ。他者に対する咄嗟の反応を(自分の動機を知るために)活用するコツがつかめたら、「判定ゲーム」をあなたの体験するすべてのことに応用できるようになる。
自分の感情的な反応に気づき、その意味を深く知るようになると、人生のあらゆる場面が自己究明のラボになり得る。

自分自身を欺いてはならない。 そして、自分以上に欺きやすい人間はいない。 ファインマン

充足感を得るためには、自分の心に火をつけるものに、それが何であれ、正直に向き合わなければならない

でも私が加わった業界はそうじゃなかったのだ。親指を突き出して道端に立つなんてこと、私は一度もしなかった。私はね、歩いたの。そして、第一線で活躍している人たちは皆、しばらくの間歩いていたのよ。やがて誰かが拾ってくれるまでね。私たちが助けてもらえるのは、歩いている姿が誰かの目に留まるから。そして、誰でも人が前に向かって進んでいるのを見るのは好きだから。だけど、親指を突き出して拾ってもらうのを待ってるだけの人をみるのは、誰も好きじゃないはずよ」

世界の本当の仕組み バーツラフ・シュミル


エネルギー、食料、素材、グローバル化、リスク、環境の現状を説明。

翻訳本だからか否定疑問や反語が多く、そもそも理解が及んでいないからなんだろうけど、どう解釈すればいいのかわからない文章があり読みづらかった。。。だけど面白かった。

自分が生きている世界がどんな仕組みで成り立っているのか、定年後の雇用条件よりも断然興味が湧き、好奇心がそそられる。私もというと不遜だけど、バーツラフさんと同じで、遠く広く見渡すのが性に合ってる 足元に目を向けていないから、足をすくわれて転んでけがをするんだけど。。。

さいごは洋書。


ゲームクリエーターの話で、ゲームのことは何も知らないから面白さ半減だったと思う。
が、面白かったかといえば、どうだろう。。。完読できたんだから、面白かったんだろう。。。

タイトルはシェイクスピアのマクベスから

Tomorrow, and tomorrow, and tomorrow,
Creeps in this petty pace from day to day,
To the last syllable of recorded time;
And all our yesterdays have lighted fools
The way to dusty death. Out, out, brief candle!
Life's but a walking shadow, a poor player
That struts and frets his hour upon the stage
And then is heard no more. It is a tale
Told by an idiot, full of sound and fury
Signifying nothing.
— Macbeth (Act 5, Scene 5, lines 17–28)

明日、また明日、そしてまた明日、
忍び足はちいさな歩幅で一日一日と、
記録された時の最後の音節へたどりつく;
すべての昨日は愚か者どもが塵のように死んでいく
道を照らし続けている。消えろ、消えろ、つかの間の灯火、
人の命などただの歩いている影に過ぎない、
舞台の上で気取って歩いても、思い悩んでも、かわいそうな俳優たちは、
いつの間にか誰にも相手にされなくなる。
これは、そんな馬鹿が話す物語だ、
たくさんの音と激しい怒りでいっぱいなのに、
そこには何もない。

↓ 音楽の本の最後に、何人かの「一耳惚れ」した曲が紹介されていて、その中の一曲



↓できるだけ軽い気持ちで仕事を始められるよう、朝、会社のバスの中で聞いている。

秋の大茶会

昨日の天気から一転し、肌寒い秋の一日でした。
会場は楽しみにしていた茶室ではなく、音楽ホールでしたが、舞台側の一面がガラス張りで緑の木々を背景にした素敵な茶会でした。

隣のホールは茶道教室の先生が準備した茶席で、掛け軸は、「松風隔世塵」。松風とは茶を沸かすときの釜のシュンシュンと鳴く音のことで、釜の鳴く音が(一椀の茶が)、世の中の煩わしいことと隔てさせてくれるという意味だそうで、お花はこの日のために畑で育ててらした冬瓜の黄色い花、茶碗は先生のお好きな緑の織部、茶杓のご銘は里の秋でした。

お道具の絵付けや名前に紅葉、雁、鹿、萩、ススキなどがあり、たくさん秋が込められていました。

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この間読んだ本たちです。

古代東アジアの女帝 (岩波新書)
入江 曜子
岩波書店
2016-03-19


古代東アジアの女帝 入江曜子 
3連休に奈良にハイキングに行く計画があり、読んでみた。中大兄皇子が兄で大海人皇子が弟ではなく、大海人皇子は斉明天皇が舒明天皇と結婚する前の夫との間にもうけた皇子で、中大兄皇子より年上だという説があるそう。びっくりだけど、だから万葉集のあの有名な大胆な歌が詠めたんだと妙に納得してしまった。。。

成瀬は信じた道をいく 「成瀬」シリーズ
成瀬は信じた道をいく 「成瀬」シリーズ

成瀬は信じた道をいく 宮島未奈
2作目が1作目を超えた作品といえば何があるんだろう???
こじんまりまとめたのかな??? 
漫画をほとんど読まないからなんの説得力もないけど、漫画を文字で読んでるみたいな感じがするんだけど。。。どうでしょうか?


世界でいちばん透きとおった物語 杉井光
You tubeでお薦めされてたので読んだ。そうじゃなかったら絶対に手に取らないタイトルと表紙。
だーっと読んで、ひっかかった一文があったのに、印をつけてなかったから探せない。。。こういう時、紙の本に検索機能がついていたらどんなにいいだろうと思ってしまう。そんな時ないですか?


ある行旅死亡人の物語 武田惇志 伊藤亜衣
いろんなところで面白いと聞いたから期待していたんだけど、図書館で本を渡された時、「あれ?こんなにコンパクトなの?」と肩透かしに合ったようで、半分くらい読んだあたりから「もしかしてこれで終わっちゃうの?」と。。。肩透かしに終わりました。。。


フィフティ・ピープル チョン・セラン
と〜っても面白かったです 
私も、私のまわりにいる人たちをこんなふうに文字で表現できたらいいな。。。そうすれば少しは近づけるかも。。。どうにもできずただ時間に流されているのではなく。。。できることが何もなくても。。。



てあて

事務所の引越しのときに重たい机を持ったからか、残業が多く長い時間椅子に座っていたからか、暑い夏だったからシャワーで済ませて湯舟につからなかったからか、車を手放して月に2回の温泉+岩盤浴をやめてしまったからか、週一のヨガをお休みしていたからか。。。

腰回りが鈍く痛重たくなり、太ももからお尻、ふくらはぎを痺れだし、歩けるのは歩けるけど、走れない。。。

なかなか予約が取れず、今日休みを取って診てもらった。こういうのを施術というのだろうか。。。肝臓と腎臓のところが硬くなっていて、まさしく手を当ててもらった。坐骨神経痛になりかけのところは「さあ、直しますよ!」と言われ身構えたけど、これも手を当ててもらっただけだった。

「体中がガチガチやな。今までよう頑張ってきたな。」と帰り際に声をかけられ、体がほぐれ、心もほぐれたからか、帰り道涙が止まらなかった。


新しい事務所への通勤もペースが掴めてきて、何より爽やかな秋真っ只中で、空も日差しも風も気持ちがいい そろそろ読書の秋を始められそうです。



座右の名文 高島俊男

森鴎外の話が印象に残った。

鴎外という人は、終身の教科書に出てくるような人だった。
一家の光であり誇りであり、家族の希望が全部、それも赤ん坊のころから双肩にかかっている。物心ついてみたらもう一家の希望になっちゃっている自分を知った。えらくなってもらいたい。やさしい、いい兄であってもらいたい。いい親であってもらいたい。 自分をとりまく人々のそんな期待に、生涯をかけてすべてこたえた。

鴎外自身は自分は演技をしているという意識を持っていたようだ。『妄想』という作品がある。

<生まれてから今日まで、自分は何をしているか。始終何物かにムチ打たれ駆られているように学問ということに齷齪している。これは自分に或る働きができるように、自分を仕上げているのだと思っている。その目的は幾分か達せられるかもしれない。しかし自分のしている事は、役者が舞台へ出て或る役を勤めているに過ぎないよう感ぜられる。その勤めている役の背後に、別に何物かが覚醒する暇がないように感ぜられる。勉強する学校生徒、勉強する官吏、勉強する留学生というのが、皆その役である。赤く黒く塗られている顔をいつか洗って、一寸舞台から降りて、静かに自分というものを考えてみたい。背後の何物かの面目を覗いてみたいと思い思いしながら、舞台監督のムチを背中に受けて、役から役を勤め続けている>

私はいい母でも、いい娘でも、いい人間でもなく、いい仕事をしているわけでもない。舞台に上がることもないだろう。でも大切な人や大事なことを守りながら、自分の顔で生きていたい。

大事なことのなかにはもちろんこのブログも入っている

こんなに間遠い更新でなにを言っているのか?という声がどこかから聞こえてくる。。。いやいやもう顧みられることもない場所なのかもしれないけど、私にとっては人生の伴走者。

「老いでしょうか?」とつまらない質問をすると、
「あと40年くらいはもつよ〜もたせないと!」と







9月半ば

とうとう9月半ば。

仕事が途切れず、どれも完了せず、残業続きでバテ気味。4月から新しく入ってきた人の歓迎会がのびのびになっていて、課長さんが来週の金曜日に決行しましょうと。。。「そんな体力ありません」と拒否してしまった。体力を削がれているのは紙面上だけの中身のない仕事の多さのせいではなく、厳しい残暑と電車通勤のせいなんだけど。。。

9月末から事務所が移転し、通勤時間が2時間近くになり、退勤時間も遅くなる。今の仕事を続けられているのは、いつでも休めることと、すぐ近くに図書館があることと、帰りに映画が見れることだった。車通勤をやめたので映画館が遠くなり、今度は図書館が去ってしまう。。。あと少しなんだから、休み休みやり過ごそうと思うけど。。。休めなくなったら???

モームのおすすめ小説にはまだ手がのびず、読みやすい本を読んで気分転換しました。



名探偵のままでいて 小西マサテル
第21回『このミステリーがすごい!』大賞だそう。
こういう表紙の本は好きじゃない。買い手に媚びを売っているようなんだけど。。。本も商品なんだから当然か。
美人だけど地味で内省的なミステリ好きな主人公を好きなように想像させてほしい。
といってもお話に引き込まれたわけではないですが。


雲を紡ぐ 伊吹有喜
著者のことも知らず、牧歌的な表紙なので、全く期待せずに読み始めたけど。。。
不登校の高校生の女の子、勤め先の中学校で問題を抱えた英語教師の母、電気メーカーの研究所で働き、会社の統廃合で先行き不透明な父、染織工房を営む父方の祖父母、母の祖母、とすべての登場人物の考え方や言動が気になり、あっという間に読んだしまった。舞台の岩手県盛岡市の様子や、そこの産業であるホームスパンという毛織物もとても興味深かった。


彼方の友へ 伊吹有喜
とても面白かったのに。。。私がこの小説の著者ならこの表紙は断固却下。。。
昭和12年から20年の少女雑誌「乙女の友」に関わった人たちのお話。主人公のハツのけなげさと雑誌主筆の有賀のかっこよさがなかなかでした。雑誌の方針は「友よ、最上のものを」。

「僕らの国の言葉はこよなく美しく、そして、魂が宿ると言われている」
「たましい? 生きてるということですか?」
「言霊というんだ。良きにせよ、悪しきにせよ、口に出した言葉には力があり、ものごとはそのとおりになるという考え方だ。だから縁起の悪い言葉は言わないほうがいいと僕らの先達は考えた」
「ナシをアリの実、スルメがアタリメみたいのこと、ですか?」
「魂が宿るという不思議な言葉を用いて僕らは互いの意思を確認し、心を通い合わせる。あいうえお、かきくけこ・・・・五十音というだろう。僕らの言葉は五十の音色を鳴らして作る歌だ」
「君は歌え。佐倉の目線は誰よりも低くて、あたたかい。その歌は同じような立場にいる小さき者、立場弱き者の心をあたため、勇気づけるだろう。君はここで腕を磨いて、そういう力を得たんだ。それこそが佐倉波津子、君の魅力だ。忘れないで」
「難しく構えるな。彼方の友たちはいつだって待っているよ。そして僕も」


誘拐 本田靖春
戦後のノンフィクションを代表する傑作ということで前から読みたかった本でした。読みごたえあり、これぞノンフィクション!、と読後満足感にひたっていたのですが。。。しばらくして。。。もしかして。。。いやきっとそう。。。確かに。。。そんなことが。。。
読んだことあるのです。。。大昔に。。。 
勧善懲悪や死刑制度を嫌う傾向はこの本を読んだ後からだったような。。。



辺境の怪書、歴史の驚異、ハードボイルド読書合戦 高野秀行 清水克行
長いタイトルの本も好きじゃない。おおげさなのも好きじゃない。
3か月に1回のペースで2年間にわたった課題図書の対談をまとめたもの。8冊の本が章になっている。読んでみたい本がちらほら。

「ここではない何処か」を時間(歴史)と空間(旅もしくは辺境)という二つの軸で追求していくことは、「ここが今どこなのか」を把握するために最も有力な手段なのだ。その体系的知識と方法論を人は教養と呼ぶのではなかろうか。
もちろん、日常のルーティンにおいて、そんなことはほぼどうでもいい。だから往々にして教養は「役に立たない空虚な知識」として退けられ、いまやその傾向はますます強まっている。でも、個人や集団や国家が何かを決断するとき、自分たちの現在位置を知らずしてどうやって方向性を見定めることができるだろう。
その最も頼りになる羅針盤(現代風にいえばGPS機能)が旅と歴史であり、すなわち「教養」なのだと初めて肌身で感じたのだ。同時に五十歳を過ぎてそんな初歩的なことに気づくようだから、私の人生は迷走の繰り返しだったのだと腑に落ちた。でも重要な決断は人生あるいはその集団や国家が終わるまで必要とされるのであり、教養を学ぶのに遅すぎることはないとも思うのである。

先週のお茶は、前回の洗い茶巾と葉蓋、水差しの蓋を里芋や蓮の葉にして、葉の上の水のしずくを建水に流れ落としたり、ぱきぱき音をたてて葉を折りたたんだり、といった涼しげな所作が入る。何をやっていたときなのか思い出せないけど、先生から「いい加減にしない。きちんとしなさい」とぴしゃり。手先を思い通りに動かすのは難しいデス。。。

9月の茶杓のご銘は松虫にした。
先生:松虫って鳴きますの?
私: え? 鳴くと思いますが。。。
男性:「♪あれ松虫が鳴いている」ってありますから、ちんちろちんちろ、ちがいます?

まだまだ暑くて秋の気配は感じられないけど、
今晩は観月茶会があり、中秋の名月の夜は月を愛でる茶会、来月は先生がお好きな茶室で大茶会が。。。

秋よ、はやくこい




8月に読んだ本

8月に読んだ本です。

モームの十大小説は、『デイヴィッド・コパフィールド』で躓いてしまい、ちょっと休憩中です。。。

先月読んだ三宅香帆さんの『人生を狂わす名著50』で、彼女の岩波文庫ベスト5と紹介されていたのと、タイトルに惹かれて読んでみました。


面白くて読みだしたら止まりませんでした。
こんな小説があったなんて今までどうして知らなかったんだろう。。。と思いましたが、私の読書歴なんてたかが知れているので知らなくて当たり前ですよね。

他のベスト5に入った岩波文庫がなんだったのかとても気になります。


現役のお医者さんが書かれ、終末期医療を扱っていたので、読みながら折に触れ父のことを思い出しました。最期の一年は一人で辛く寂しかっただろうなと。。。

舞台が京都で主人公が大の甘党で、和菓子を中心に京都の有名どころのスイーツが随所にでてきました。紹介されたお菓子を巡る一人旅もいいかなと思ったり。。。

LIFE SHIFT(ライフ・シフト)―100年時代の人生戦略 LIFE SHIFT
LIFE SHIFT(ライフ・シフト)―100年時代の人生戦略 LIFE SHIFT

遅きに失した感は否めないですが、定年までをカウントダウンできるようになったので、じっくり考えてみるだけ考えてみようかと。。。

過去200年間、平均寿命は10年に2年以上のペースで延びてきた。今の20歳の人は100歳以上、40歳の人は95歳以上、60歳の人は90歳以上生きる確率が半分以上ある、そうだ。

「人生が短く、人々が人生で多くの移行を経験しなかった頃は、とりたてて深く考えなくても『私は何者か?』という問いの答えはおのずと見えてきた。しかし、人生が長くなり、多くの移行を経験する時代には、人生全体を貫く要素がなにかを意識的に問わなくてはならない。さまざまな変化を重ねつつも、自分の本質であり続ける要素とは、なんなのか?
 

夏風邪

夏真っ盛りだけど職場では1人、また1人とコロナにかかり、マスクが手放せない。

7月半ばに、電車の冷気と乗り換えホームの熱気の落差に身体がついていけず、夏風邪をひいてしまい仕事を2日休んだ。快調だった電車通勤にまさかの落とし穴。暑さや寒さに対する耐性はあるほうだと思っていたのに。。。どうこの夏を乗り越えようかと考え、週中はアルコールを口にせず、できるだけ早く就寝し(10時までにおふとんの上)、たっぷり睡眠時間(8時間が理想)をとり、しっかりご飯(お米)を食べる!

有給休暇消化のため、1年に10日休暇を指定しないといけなくて、だいだいひと月に2回くらい3連休があり、7月の1回目の3連休は夏風邪でつぶれ、2回目は叔母のお見舞いに。

食事制限が厳しい施設で、3食のカロリー管理をし、毎日体重の増減をチェックするそうで、食べ物の差し入れは禁止。。。なんだけど、お饅頭が食べたい、チョコレートを買ってきてと小声で携帯にメッセージが入り。。。面会は見通しのいい面会ブースで30分間。車椅子を自分で回して登場。おもむろにビニール袋を取り出し、テーブルの下に隠してチョコを箱から出してこの中に入れてと。。。で、その袋をパーカーの脇に隠し。。。お饅頭も隠しながら、ほいほい2個平らげ、残りをもう一方のパーカーの脇に詰め込み。。。30分はあっという間で、見つからないかなと子供みたいに神妙な顔つきでブースから退場した。別れ際に次はお肉が食べたいと。。。冗談かと爆笑してやり過ごしたけど。。。できるだけのことはしてあげたい。。。どうやって???

せっかくなので見たかった映画を見に大阪まで足を延ばした。上映時間まで時間があったので。。。久しぶりにドキドキ・大笑いして喉が渇いていたのか、ふらふらとテラス席に座ってクラフトビールを飲みながら、道行く人(大半が海外からの人)を眺めながら、ちょっとした旅行気分を味わった。

ビールはあまり好きではなく、「まずはビール」というのは状況が許せば避ける。でも好きなビールはあって、そのビールがメニューにあってラッキ〜 いつも缶なのでタップから注いでもらって飲めておいしかった〜

見たかった映画はこちら ↓ 



ほろ酔い気分で見る映画ではなく、楽しかった1日の浮かれ気分もど〜んと沈み、エンドロールの音楽が気持ち悪く席を立った。残酷なシーンはひとつもないのに残酷で、解釈や想像は見る人に委ねる、素晴らしい映画だと思った。これからガス室送りになる人が着ていた毛皮のコートをひっかけ鏡の前でくるくる回る人、ユダヤ人というだけで収容所に連れてこられ、強制労働させられ、死が目の前にあっても、美しい音楽を作り残そうとする人。時代の波に飲み込まれるほか選択肢はないのに、個々人の善悪の判断基準や人間性が問われるのだろうか。。。正解なんてないし、正義なんてないんだろう。

昨日は8月の1回目の茶道教室。前回は夏風邪でお休みしたので1か月ぶり。
何でも1ヶ月間が空くと遠くなる。。。

今回は酷暑に茶室に涼を呼ぶというお点前で、洗い茶巾というそう。茶碗に水を張って、水の音を楽しむ。茶菓は浜昼顔。茶花には桔梗。ご銘は花火あり、夕立あり、積乱雲あり。私は蝉時雨にしたんだけど。。。

またやってしまった。。。今回は。。。
一番最後に順番が回ってきて、先生からさあ今日のトリよ!と勢いづけられてお点前をしていたんだけど。。。
棗が手から滑り落ちて、抹茶を自分の膝と畳の上にぶちまいてしまった。。。
茫然自失。

先生が懐紙で畳に落ちた抹茶の上の方をすくってくれ、他の人たちが掃除機やタオルで片付けてくれ、私は庭に出て服についた抹茶をパンパンと払い落し。。。そのあとわりと落ち着いてお点前を再開し、いつもより早く終わらせることができたのは、先生があせらせてはいけないと指摘はせず、適時に穏やかに指示くださり次の動作を促してくれたから。

でも、言うことははっきりおっしゃる先生なので、お片付けが終わる頃、ひと言。
「あなた、そーいえば前もなんかやらかしたわよね」
「はい。(とても高価な)水差しの蓋を割りました」

次は何をやらかすのだろうか。。。

母が間違って炭酸水を注文してしまい、冷蔵庫にペットボトルがずらり。
ちょっといいスコッチウィスキーとラム酒を買ってきて、植木鉢からミントの葉をちぎって、モヒートやハイボールを作って飲んでる。週末のちょっとした楽しみ

ラム酒のアルコール度数が40度以上あるなんて知らなかった。

明日から5日間をやり過ごせば夏休み〜
予定は何もないけど、強がりや天邪鬼ではなく、予定が何もないのがいい。今のところ。


7月に読んだ本

7月に読んだ本です。


山ものの次は海ものです。

見るべきか見ないでおくべきか迷って、結局見そびれてしまったこの映画 ↓の原作者として著者を知って、最新作で話題になっていたので読んでみた。読みごたえズッシリだった。


1740年にポーツマスを出港した軍艦ウェイジャー号がパタゴニアのチリ側沖で遭難し、無人島に漂着、
数か月間の島でのサバイバルを経て、250人いた乗組員のうち、ほんの数名がイギリスに帰国。

日本でいうなら江戸時代の出来事を、航海日誌や日記、生存者による航海記、軍法会議の証言録、新聞等、残された記録からこういう本を一冊生み出すことができるなんて。。。

だけどいい意味の驚きはこの一点のみで、あとはなんともはや。そもそもウェイジャー号の使命は財宝を積んだスペインの船ガレオン船の拿捕で、遭難した原因も証拠隠滅した誰かがいて、無人島での共同生活も、船上と同じ軍の規律を持ち込もうとする船長や食料を盗む者、飢えと寒さに苛まれているのに3派に分かれ反目しあい、挙句の果ては殺人。帰国してからも軍法会議を巡って保身合戦。

目から鱗だったのは、船員として駆り出された人の多くが泳げなかったこと。荒れ狂う海に投げだされたら泳げようが泳げまいがたいした違いはないのかもれないけど、泳げないのに水の上で暮らすってどうなんだろう。。。飛べないのに飛行機に乗っているのと同じことなのかな。。。

それから当時の船は木造の世界だったこと。腐食あり、虫食いありで、見つけられなかったり、手入れされていなければ、洋上で船が崩れ藻屑と化すことも。。。メルヴィルの『白鯨』の世界もそうだったんだと。。。今更ながら。。。

パタゴニアという名前は、マゼラン一行が出会った先住民を巨人族(パタゴン族)として描き、先住民を人間以下の存在とし、自分たちの征服を正当化し、その地域を「前足」を意味するパタゴニアと呼んだそうだ。

海のものの次は山ものです。


こちらも読みごたえズッシリで、読後感は文句なしで、旅もの一押しデス!
西川一三さんというお名前はどこかで聞いたことがあって、中村天風さん関連の本だったのか、角幡雄介さんの本だったのかな。。。

内蒙古から、中国の奥地の寧夏省・青海省を経て、チベット、インドまで、8年間かけて、蒙古人のラマ僧になりすまして、旅したそう。ほぼ徒歩で。その間チベットとインドをエベレストを通って十数回往復もしたそう。

次はビルマを目指していたのに、インドで逮捕され日本に送還。旅を続けたかっただろうな。

帰国後は3年かけて「秘境西域8年の潜行」を書き上げ、その後は生きるために美容院や理容院に用具や消耗品を卸す店を経営し、元日以外の1年364日働き、89歳で逝去。

こんな風に旅をした人がいたんだ。
「秘境西域8年の潜行」も読んでみたい。

「自分を低いところに置くことができるなら、どのようにしても生きていけるものです」



ぱらぱらぱらっと読んで、面白そうな本を数冊ピックアップ。

こちらの本が話題ですが、電車通勤を始めて驚いたことの一つ、電車の中で本を読んでいる人が予想以上に多かったこと。本は読まなければいけないもの、ではなく、読みたい人が読みたいときに読めばいいもの、だと思う。



遅まきながら、今日知りました。HONZのサイトが閉じられることを。。。びっくり。これからどうしよう。。。自分でみつけていくんですよね。。。読みたい本を

モームの世界十大小説 七作目

モームの世界十大小説の七作目は、ジェーン・オースティンの『高慢と偏見』でした。
恋愛・家族・結婚・身分・道徳・財産など、18世紀という時代のギャップに影響されることなく、読んでいて理解できない難しい事柄もなく、ハッピーエンディングで終わることが疑うことなく予想されていて、安心して、面白く読めた。

面白かったところ

・一番最初の場面のベネット氏とその夫人の会話。結婚生活20年余りの夫婦の、まわりからは良好な関係だと思われている二人が、人間的には大きな隔たりがあるにも関わらず、家族という名のもとによりそわざるを得ない、平凡であり、当然であり、残念であり、長い時間が過ぎもう発酵する余地がどこにもない関係が、何気ない言葉のやりとりから読み取られ、とても面白いと思った。物語を通して私が共感できたのは、この厭世的で、本に囲まれて誰にも邪魔されることなく自分の部屋にいるときが至福というベネット氏なんだけど。。。

・大きな誤解を抱えたまま舞踏会で初めてペアになり、人に中断されて、話を続ける話題に困り、エリザベスからは「話なんかしていたような気がいたしませんわ。。。二つ三つ話題をかえてみてもうまく行かなかったんですもの、今度はなんの話をしたらいいのか、私にはとんと見当がつきませんわ」と言われてしまい、ダーシー「本のことはいかがですか?」。。。舞踏会で本の話とは、吹き出しそうになったけど、この一言でダーシーが好きになってしまった。

・何といっても双方全く見当違いの相互不理解のもとでの告白。収拾不可能だと思われる決裂がどう修復されていくのかが下巻で展開されるんだけど、これも「日常生活に普通の複雑な事態」の解決によって大団円。


モームの評は、『高慢と偏見』だけではなく、オースティンの作品を全般的に取り上げ、「どの作品にもこれといって大した事件は起こらない。それでいて、あるページを読み終ると、され次に何が起こるのだろうかと、急いでページを繰らずにはいられない。ところが、ページを繰ってみても、やはり何も大したことは起こらない。だが、それでいて、またもやページを繰らずにはいられないのだ。小説家で、これだけのことを読者にさせる力を持っているものは、小説家として持ち得るもっとも貴重な才能の持主なのである。」と結んでいる。

それから、「人生体験は狭い田園の社会に限られ、その狭い社会を扱うだけで満足していた。自分がよく知っていることについてだけ書いたのである。これはチャップマン博士が初めて指摘したことだが、男性が自分たちだけの時に行う会話を、一度として写しだそうとしなかった。そのような会話は、事の必然として、聞こうにも聞く機会がぜんぜんなかったからである」

??? そうだったっけ? 兄弟が6人もいたのに? 男性同士の会話に触手が伸びなかっただけじゃない??? 今度オースティンの作品を読むとき気にしてみよう。。。 

さて、残り3作品がたいへんです。。。





6月に読んだ本


タイトル通り、富山県警察山岳警備隊について書かれた本。
2022年の夏から1年間救助現場や山岳警備隊の活動を取材。
何年か前立山に登山に行ったことがあったので、
室堂ターミナルや山小屋の様子を思い出し、とてもなつかしかった。
もちろん間近でみた剱岳もいまだ鮮明だ。

日本屈指の山岳レスキューチームと言われている富山県警察山岳警備隊をはじめ、
山小屋の方々や登山ガイドの方々など、陰日向、時には命がけで安全な山登りに尽力されていて、
時折目頭があつくなった。

隊長の飛騨さんのお話が印象的だった。
命は一つしかないし、失ったら決して戻ってこない。そして、命は一人のものではないですよね。家族や友人をはじめ、人生で出会った多くの人、未来に出会うはずの人、たくさんの人々に関わっています。警備隊はその命を救ってくるのが仕事です。命を救えるのは大きな喜びであり、次につながるモチベーション、やりがいとなっています。僕は最初から人命救助をしたいと思ってこの道に入りましたから、実際に命との関わりを実感できる現場で働けるのは幸せなことです。

山の救助活動は生き物。そのときによって場所も天候も違えば、傷病者の状態も違う。救助が一段落して冷静に振り返ると、こうすればもう少しスムーズに救助ができたのではないか、ああすればもっと安全に動けた、と反省することが多々あるという。25年近くのキャリアがあっても、「自分はいつも足りない」と飛騨が思うほど、山岳救助は対応が難しく、力が問われる仕事なのだ。



2024年本屋大賞。本屋さんが選んだ今年一番売りたい本なんですよね。
大きく誤解していた。本屋さんが一番感動した本だと思っていた。

本屋大賞受賞よりずっと前に図書館で予約し、やっと順番が回ってきた。
地元愛あふれる作品で、滋賀を訪れる人が増えるのかな???

昨年紅葉の季節に念願の比叡山に行ってきた。本当はケーブルに乗らず下から山頂まで歩きたかったんだけど、遠路はるばるおつきあいいただい娘にそんなお伺いをたてるのは滅相もなく。。。

立派な木々に囲まれた境内やお堂も素晴らしく、こんなところを焼き討ちするなんて本当に罰当たりだと思ったり。。。 山頂からの琵琶湖の眺めに心が和んだり、横川中堂の中にいらした聖観音像に目を奪われたり。。。

京都の隣なのに、滋賀にいく機会はほとんどなく、また訪れることがあるかな。。。ミシガンに乗って見たい気もするけど。。。


何冊か読んでいてお気に入りだったので、一度英語で読んだみたいと思っていたが、日本語で読んだ印象と全く違っていて。。。作品を理解できる英語力が足りなかったのか。。。でも知らない単語につまずくことなく、文脈を追ってはいけてたんだけど。。。完読したということでよしとしよう!


今日は七夕で、昨日の茶道教室ででたご銘は、天の川、笹舟、織姫、彦星などなど。私は星祭に。
茶花は銀梅草という白くて可愛い花一輪。
流れるような所作にはほど遠いけど、少し落ち着きがでてきたかな???
目指すところはなく、水の音、抹茶の香り、花の可憐さ、道具の姿、そのときそのとき楽しいと思えればゆーことなし!!!



モームの世界十大小説 六作目

六作目は、バルザックの「ゴリオ爺さん」

モームのリストに入っていなかったら、絶対に手にとってなかっただろう。
なぜ?かと理由を探してみると、小説家の名前が仰々しく、暑苦しいし、小説のタイトルからなんの興味も沸いてこない。

バルザックといえば『人間喜劇』。高校の文学史のテキストにあったかな。

『人間喜劇』は全91篇もあり、それらは風俗研究・哲学的研究・分析的研究と体系的分類され、人物再登場手法(同一人物を繰り返し他の作品に登場させる)が用いられている。この手法が実際に適用されたのは『ゴリオ爺さん』からで、モームは、「バルザックをもっともよく代表していて、この作家が与えてくれるものをただの1冊でほぼ完全に自分のものにすることができる作品をあげてほしいと言われたならば、躊躇なく『ゴリオ爺さん』をおすすめする」と書いている。

またモームは冒頭で「その作品によってこの世の精神的な富をさらに一層豊かなものにしてくれたあらゆる偉大な小説家のなかで、もっとも偉大なのがバルザックであると考える。バルザックこそ、私が躊躇なく天才と呼びたいただ一人の小説家である」と言っている。

上巻300ページ、下巻239ページで一気に読めた。

報われない父性愛は身につまされ、親と子について見つめ直すいい時間になったし、登場人物のその後が気になる。だって、「さあ、こんどはおれとおまえの勝負だぞ」でお話が終わるんですから。

わしの生活ってものは娘たちのなかにあるのですよ。娘たちさえ楽しんでくれて、幸せで、きれいな衣装を身に着けて、絨毯の上を歩いているんなら、わしがどんな服を着ようと、どこに寝泊まりしようと、どうでもいいじゃありませんか。娘たちさえ暖かい思いをしているんなら、わしは寒くもなんともありゃしません。あれたちが笑っているんなら、わしはいっこうに退屈しないのです。わしの苦労といえば、それは娘たちの苦労だけですよ。あなたも将来父親になって、子供たちが片言でしゃべるのをお聞きになれば、「これらは自分から生まれでたのだ」と、つくづくお思いになり、幼いものたちがあなたの血の一滴一滴に結びついているとお感じになるでしょう。そうですとも、まったく子供というものはわしたちの血の精華なんですからね。そしてあなたは、自分が子供たちの肌にしっかと結びつけられているのを感じ、彼らが歩けば、あなた自身その動きを身に感ずるようになるのですよ。いたるところで、子供たちの声がわたしに応えてくれます。娘の悲しそうな目つきはわたしを凍らせるのです。いつかあなたもきっと、自分自身の幸福なんてものより、子供たちの幸福のほうがずっと楽しいということがおわかりになるでしょう。どうもうまく説明できませんがね。なにかこう胸のなかがほのぼのとしてきて、いたるところに喜びがあふれるようなそんな気持ちですねえ。つまり、わしは三人分の生活をしているのですよ。妙なことをいうようですがね、わしは父親になってはじめて神様というものがわかりましたよ。神様はいたるところにおられるのです。なにしろ万物は神様からうまれでたものなんですから。。。

幸福になりたいと思ったことはないけど(諦念ではなく、こうして生きているだけで十分幸福を享受していると思っている)、私の幸福は子供たちの幸福に包摂されていると思う。こんなこと、子供たちには押しつけの何物でもないんだけど。

さて、急遽今年の目標になった十大小説もあと4作品。大作が控えていて目標達成できるかどうかわからないけど、これまで読んだ作品に負けず劣らず面白かったらいいなぁ〜




モームの十大小説 五作目 

岩波文庫で上・中・下の3巻

◇まずは上巻。。。
宗教がかって難解だという書評をどこかで目にし、冒頭の鯨の語源と引用に粘着性を感じたので、手ごわそうだなと用心しながら読み始めたけど、ロックウェル・ケントの挿絵も面白く、次々と場面変わり、入れ替わり立ち代わり個性的な人物が登場し、子育て中に夢中になって読んだ児童文学のように、ワクワクしながらあっという間に読んでしまった。

今まで読み物に訳注がついていると、ページを変えるのが面倒だし、それがどうしたの?と、わざわざ手と目と頭を切り替えて読むほどの内容でもないのがほとんどで、興が削がれるものだったんだけど、この本に限っては訳注が面白かった。

第一章は「わたしを『イシュメール』と呼んでもらおう。」で始まる。(とても有名な書き出しだそう)で、イシュメールに(4)がついている。「も〜」と心の中で漏らし、この本も訳注が多いんだとそのページに指を挟んで読んでみると、「ほ〜」と感心。

(101)番は一等航海士のスターバックの訳注 
最近ではスターバックス・コーヒー・チェーンによって日本でも知られるようになった。このチェーンのホームページには、「スターバックスの名前はハーマン・メルビルの小説、『白鯨』に登場するコーヒー好きの一等航海士に由来しています」とある。ただし、スターバックが「コーヒー好き」であったかどうかは保証のかぎりではない。

そうなんですよね。スターバックはコーヒーなんか飲んでなかったような???

◇中巻なんですが。。。
実は『戦争と平和』はいろんな出版社のいろんな翻訳者の文庫を読んでしまい、翻訳者の作品への影響に愕然としたので、その苦い経験を踏まえ、これからは同じ翻訳者で読み通すことに決めたんだけど。。。手違いで違う翻訳者のものが届いた。上・下巻は11番目、中巻は1番目の翻訳者になってしまい、またまたその違いに愕然。。。訳注も面白くない。。。ページ数は少なかったけど。

鯨の生態や習性を熟知したうえで、捕鯨ボート・銛・索具で鯨を仕留め、捕獲した鯨を船尾に縛り付け、船中で切り刻み、人の便宜と利益のために加工しつくす。人の強欲さ、残忍さ、執念深さも自然の摂理に組み込まれたものなんだろうか。。。

下巻はモームの引用で。

すべての偉大な小説を真に理解するには、作者がどのような人物であるか、分る限りのことを知らなければならない、と私はこれまでに何度か言ってきた。ところが、メルヴィルの場合は、ほとんど反対のことが言えるようである。『白鯨』を繰り返し繰り返し読んでみると、メルヴィルなる人物について、他の資料から彼の生活および環境のことを知る以上に、納得の行く、また明確な印象が得られるように私は思える。すぐれた天賦の才に恵まれながら、そのせっかくの才能も悪霊の冒すところとなり、ためにちょうど竜舌蘭のように、すばらしい花を咲かせたかと思うと、たちまちその才能を枯らしてしまった男、嫌悪の念からつねに近づくまいとしていて、かえって本能に苦しめられた、陰鬱で不幸な男、男としての気力がすでに失われてしまったことをみずから意識し、失敗と貧困のために世の中を白眼視するにいたった男、友情を切に求めながら、結局友情もまた空なるものであることを知った心やさしい男という印象が、である。私の見るところでは、ハーマン・メルヴィルとはこのような人であった。深い憐れみの気持ちをもっての見ることのできる人なのであった。


白鯨 上 (岩波文庫)
八木 敏雄
岩波書店
2015-01-01





週末の韓国語教室では最新見ているドラマの情報交換がお決まりで、今私が面白くみているドラマをご紹介↓



面白いドラマがないとこぼしていた方に、未見とのことだったので、私のベスト3ドラマとして紹介



お待ちかねの映画がnetflixに。さっそく週末に見た。
小説は読んでいたので、1度目は字幕なしで、2度目は英語字幕で

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