walk the walk

私の韓国語の楽しみ方

6月に読んだ本


タイトル通り、富山県警察山岳警備隊について書かれた本。
2022年の夏から1年間救助現場や山岳警備隊の活動を取材。
何年か前立山に登山に行ったことがあったので、
室堂ターミナルや山小屋の様子を思い出し、とてもなつかしかった。
もちろん間近でみた剱岳もいまだ鮮明だ。

日本屈指の山岳レスキューチームと言われている富山県警察山岳警備隊をはじめ、
山小屋の方々や登山ガイドの方々など、陰日向、時には命がけで安全な山登りに尽力されていて、
時折目頭があつくなった。

隊長の飛騨さんのお話が印象的だった。
命は一つしかないし、失ったら決して戻ってこない。そして、命は一人のものではないですよね。家族や友人をはじめ、人生で出会った多くの人、未来に出会うはずの人、たくさんの人々に関わっています。警備隊はその命を救ってくるのが仕事です。命を救えるのは大きな喜びであり、次につながるモチベーション、やりがいとなっています。僕は最初から人命救助をしたいと思ってこの道に入りましたから、実際に命との関わりを実感できる現場で働けるのは幸せなことです。

山の救助活動は生き物。そのときによって場所も天候も違えば、傷病者の状態も違う。救助が一段落して冷静に振り返ると、こうすればもう少しスムーズに救助ができたのではないか、ああすればもっと安全に動けた、と反省することが多々あるという。25年近くのキャリアがあっても、「自分はいつも足りない」と飛騨が思うほど、山岳救助は対応が難しく、力が問われる仕事なのだ。



2024年本屋大賞。本屋さんが選んだ今年一番売りたい本なんですよね。
大きく誤解していた。本屋さんが一番感動した本だと思っていた。

本屋大賞受賞よりずっと前に図書館で予約し、やっと順番が回ってきた。
地元愛あふれる作品で、滋賀を訪れる人が増えるのかな???

昨年紅葉の季節に念願の比叡山に行ってきた。本当はケーブルに乗らず下から山頂まで歩きたかったんだけど、遠路はるばるおつきあいいただい娘にそんなお伺いをたてるのは滅相もなく。。。

立派な木々に囲まれた境内やお堂も素晴らしく、こんなところを焼き討ちするなんて本当に罰当たりだと思ったり。。。 山頂からの琵琶湖の眺めに心が和んだり、横川中堂の中にいらした聖観音像に目を奪われたり。。。

京都の隣なのに、滋賀にいく機会はほとんどなく、また訪れることがあるかな。。。ミシガンに乗って見たい気もするけど。。。


何冊か読んでいてお気に入りだったので、一度英語で読んだみたいと思っていたが、日本語で読んだ印象と全く違っていて。。。作品を理解できる英語力が足りなかったのか。。。でも知らない単語につまずくことなく、文脈を追ってはいけてたんだけど。。。完読したということでよしとしよう!


今日は七夕で、昨日の茶道教室ででたご銘は、天の川、笹舟、織姫、彦星などなど。私は星祭に。
茶花は銀梅草という白くて可愛い花一輪。
流れるような所作にはほど遠いけど、少し落ち着きがでてきたかな???
目指すところはなく、水の音、抹茶の香り、花の可憐さ、道具の姿、そのときそのとき楽しいと思えればゆーことなし!!!



モームの世界十大小説 六作目

六作目は、バルザックの「ゴリオ爺さん」

モームのリストに入っていなかったら、絶対に手にとってなかっただろう。
なぜ?かと理由を探してみると、小説家の名前が仰々しく、暑苦しいし、小説のタイトルからなんの興味も沸いてこない。

バルザックといえば『人間喜劇』。高校の文学史のテキストにあったかな。

『人間喜劇』は全91篇もあり、それらは風俗研究・哲学的研究・分析的研究と体系的分類され、人物再登場手法(同一人物を繰り返し他の作品に登場させる)が用いられている。この手法が実際に適用されたのは『ゴリオ爺さん』からで、モームは、「バルザックをもっともよく代表していて、この作家が与えてくれるものをただの1冊でほぼ完全に自分のものにすることができる作品をあげてほしいと言われたならば、躊躇なく『ゴリオ爺さん』をおすすめする」と書いている。

またモームは冒頭で「その作品によってこの世の精神的な富をさらに一層豊かなものにしてくれたあらゆる偉大な小説家のなかで、もっとも偉大なのがバルザックであると考える。バルザックこそ、私が躊躇なく天才と呼びたいただ一人の小説家である」と言っている。

上巻300ページ、下巻239ページで一気に読めた。

報われない父性愛は身につまされ、親と子について見つめ直すいい時間になったし、登場人物のその後が気になる。だって、「さあ、こんどはおれとおまえの勝負だぞ」でお話が終わるんですから。

わしの生活ってものは娘たちのなかにあるのですよ。娘たちさえ楽しんでくれて、幸せで、きれいな衣装を身に着けて、絨毯の上を歩いているんなら、わしがどんな服を着ようと、どこに寝泊まりしようと、どうでもいいじゃありませんか。娘たちさえ暖かい思いをしているんなら、わしは寒くもなんともありゃしません。あれたちが笑っているんなら、わしはいっこうに退屈しないのです。わしの苦労といえば、それは娘たちの苦労だけですよ。あなたも将来父親になって、子供たちが片言でしゃべるのをお聞きになれば、「これらは自分から生まれでたのだ」と、つくづくお思いになり、幼いものたちがあなたの血の一滴一滴に結びついているとお感じになるでしょう。そうですとも、まったく子供というものはわしたちの血の精華なんですからね。そしてあなたは、自分が子供たちの肌にしっかと結びつけられているのを感じ、彼らが歩けば、あなた自身その動きを身に感ずるようになるのですよ。いたるところで、子供たちの声がわたしに応えてくれます。娘の悲しそうな目つきはわたしを凍らせるのです。いつかあなたもきっと、自分自身の幸福なんてものより、子供たちの幸福のほうがずっと楽しいということがおわかりになるでしょう。どうもうまく説明できませんがね。なにかこう胸のなかがほのぼのとしてきて、いたるところに喜びがあふれるようなそんな気持ちですねえ。つまり、わしは三人分の生活をしているのですよ。妙なことをいうようですがね、わしは父親になってはじめて神様というものがわかりましたよ。神様はいたるところにおられるのです。なにしろ万物は神様からうまれでたものなんですから。。。

幸福になりたいと思ったことはないけど(諦念ではなく、こうして生きているだけで十分幸福を享受していると思っている)、私の幸福は子供たちの幸福に包摂されていると思う。こんなこと、子供たちには押しつけの何物でもないんだけど。

さて、急遽今年の目標になった十大小説もあと4作品。大作が控えていて目標達成できるかどうかわからないけど、これまで読んだ作品に負けず劣らず面白かったらいいなぁ〜




モームの十大小説 五作目 

岩波文庫で上・中・下の3巻

◇まずは上巻。。。
宗教がかって難解だという書評をどこかで目にし、冒頭の鯨の語源と引用に粘着性を感じたので、手ごわそうだなと用心しながら読み始めたけど、ロックウェル・ケントの挿絵も面白く、次々と場面変わり、入れ替わり立ち代わり個性的な人物が登場し、子育て中に夢中になって読んだ児童文学のように、ワクワクしながらあっという間に読んでしまった。

今まで読み物に訳注がついていると、ページを変えるのが面倒だし、それがどうしたの?と、わざわざ手と目と頭を切り替えて読むほどの内容でもないのがほとんどで、興が削がれるものだったんだけど、この本に限っては訳注が面白かった。

第一章は「わたしを『イシュメール』と呼んでもらおう。」で始まる。(とても有名な書き出しだそう)で、イシュメールに(4)がついている。「も〜」と心の中で漏らし、この本も訳注が多いんだとそのページに指を挟んで読んでみると、「ほ〜」と感心。

(101)番は一等航海士のスターバックの訳注 
最近ではスターバックス・コーヒー・チェーンによって日本でも知られるようになった。このチェーンのホームページには、「スターバックスの名前はハーマン・メルビルの小説、『白鯨』に登場するコーヒー好きの一等航海士に由来しています」とある。ただし、スターバックが「コーヒー好き」であったかどうかは保証のかぎりではない。

そうなんですよね。スターバックはコーヒーなんか飲んでなかったような???

◇中巻なんですが。。。
実は『戦争と平和』はいろんな出版社のいろんな翻訳者の文庫を読んでしまい、翻訳者の作品への影響に愕然としたので、その苦い経験を踏まえ、これからは同じ翻訳者で読み通すことに決めたんだけど。。。手違いで違う翻訳者のものが届いた。上・下巻は11番目、中巻は1番目の翻訳者になってしまい、またまたその違いに愕然。。。訳注も面白くない。。。ページ数は少なかったけど。

鯨の生態や習性を熟知したうえで、捕鯨ボート・銛・索具で鯨を仕留め、捕獲した鯨を船尾に縛り付け、船中で切り刻み、人の便宜と利益のために加工しつくす。人の強欲さ、残忍さ、執念深さも自然の摂理に組み込まれたものなんだろうか。。。

下巻はモームの引用で。

すべての偉大な小説を真に理解するには、作者がどのような人物であるか、分る限りのことを知らなければならない、と私はこれまでに何度か言ってきた。ところが、メルヴィルの場合は、ほとんど反対のことが言えるようである。『白鯨』を繰り返し繰り返し読んでみると、メルヴィルなる人物について、他の資料から彼の生活および環境のことを知る以上に、納得の行く、また明確な印象が得られるように私は思える。すぐれた天賦の才に恵まれながら、そのせっかくの才能も悪霊の冒すところとなり、ためにちょうど竜舌蘭のように、すばらしい花を咲かせたかと思うと、たちまちその才能を枯らしてしまった男、嫌悪の念からつねに近づくまいとしていて、かえって本能に苦しめられた、陰鬱で不幸な男、男としての気力がすでに失われてしまったことをみずから意識し、失敗と貧困のために世の中を白眼視するにいたった男、友情を切に求めながら、結局友情もまた空なるものであることを知った心やさしい男という印象が、である。私の見るところでは、ハーマン・メルヴィルとはこのような人であった。深い憐れみの気持ちをもっての見ることのできる人なのであった。


白鯨 上 (岩波文庫)
八木 敏雄
岩波書店
2015-01-01





週末の韓国語教室では最新見ているドラマの情報交換がお決まりで、今私が面白くみているドラマをご紹介↓



面白いドラマがないとこぼしていた方に、未見とのことだったので、私のベスト3ドラマとして紹介



お待ちかねの映画がnetflixに。さっそく週末に見た。
小説は読んでいたので、1度目は字幕なしで、2度目は英語字幕で

5月に読んだ本

英語を話す機会がほとんどなくなり、オンラインレッスンも味気なくなり、国際交流協会が開催している英会話教室に申し込んだ。4月スタートだったんだけどいろいろあって、今週初めて参加してみた。”New face!"と歓待いただき、楽しくおしゃべりできた。先生が軽い質問をして答えたい人が答える、という進行で、最後の質問が、「今年ももう半分が過ぎ、上半期にやったこと、下半期にやりたいことは何?」

はて、さて、まて。。。何もでてこない

帰途いろいろ考えて、
上半期の成果は、やっぱりこれ!車を手放したこと
電車通勤を始めて4か月。通勤だけでなく休日の移動ももちろん公共交通機関。悲しいかな体重は変わっていないけど、歩く身体になってきてる感じ。元々歩くのは好きで、どこまでもいつまでも歩ける自信はあったんだけど。。。

下半期にやりたいことは、何といっても「世界十大小説」制覇!

地味な1年になりそうだけど、それなりに充実してるかな。

6月の初めに久しぶりに京都におでかけした。目的は蛍。
蛍を見ることは残りの人生でやりたいことの一つだった。
いわゆるバケットリスト。私のバケットリストはとてもシンプルでこれもまた地味。例えば晩秋のたき火とか。

さて、蛍だけど、京都なので川床料理をいただいたあと、明かりを消して真っ暗闇のなか自席で蛍の登場を待った。しばらくして川上からひゅ〜っと滑るように一匹二匹と飛んできて、ここそこあそこでちらほら蛍光色の明滅。はかないというより、生命感があって美しい。。。感激でした

天気予報は雨であきらめていたんだけど、はずれることがあるんだぁ〜

5月に読んだ本



数学者のエッセイ。「人の中心は情緒である」で始まる。

親友との出会いと別れが心に残った。

可能性の可能性は希望
今数え年で62才だからあと12年はやれる
数学に最も近いのは百姓だといえる 理論物理学者は指物師に似ている
芥川龍之介『きりしとほろ上人伝』
夢想剣 山岡鉄舟
感覚・知性・情趣の順で上ほどよく射し込み、下には射しにくい
一番下のこころの部分は智力が最も射しにくく、日光に対する深海の底のよう
二つの垢 邪智(世間智)外側 妄智(分別智)内側
大観 「無我」 東京国立博物館
ドフトエフスキー カラマーゾフの兄弟 1ページをめくると次に何が書いてあるのかが全く予測できない、さながら深淵をのぞくようだった
好きな画家 大観 久隅守景 ゴッホ ラプラード

4月に読んだ本

もう6月なんですが、4月に読んだ本です。。。


3月に読んだ『6度目の大絶滅』と同じ著者の最新作(たぶん)。
テレビも見ない、新聞も読まなくなって、世の中でどんなことが起こっているのかわかっていない日々を送っているので、SF小説みたいなことが起こっている現実にびっくり。

・イリノイ州の川
外来種のアジアン・カープのミシガン湖侵入を防止するためにイリノイ川とつながる運河に、数十億ドルをかけて電気バリアを設置 (世界最強の外来種は人間という言葉に絶句)

もともとミシガン湖へ流れていたシカゴ川は、都市の発展とともに公衆衛生の悪化が大問題となり、真逆のミシシッピ川経由でメキシコ湾に流れるように。この逆流工事はAmerican Society of Civil Engineeringの選ぶ「20世紀の十大公共工事」のひとつに数えられているそう。

20世紀の十大公共工事
ゞ港の設計・開発:関西国際空港
▲瀬燹Д奸璽弌璽瀬燹淵▲螢哨福
F始:米国州間高速道路
ざ供Д粥璽襯妊鵐押璽肇屮螢奪
ヅ監察П冓海峡トンネル
η儡物処理:衛生的な廃棄物処理全般の進歩
Ч眤ビル:エンパイアステートビル┣漆綟察Д轡ゴ下水道
上水道:カリフォルニア上水プロジェクト 水路交通:パナマ運河

・CRISPR: クリスパー: Clustered regularly interspaced short palindromic repeat
ゲノム編集技術の一つ amazing と言われても、terrifying という言葉しかでてこない。。。



・ソーラージオエンジニアリング
成層圏に微粒子をまいて太陽光の入射を減らす技術で、かのビル・ゲイツも資金援助をしているそう。
この本のタイトルは、地球が粒子で覆われたら青空はもう見れなくなるということなんだけど、私はこのエンジニアリングやエンジニアという言葉がよくわかっていない。。。正体がつかめてない。

なにかの雑誌に紹介されていたので手に取った。(だれが紹介したのかは覚えていない)
話すことができない追放された王子がどうやって王になったのかに興味があったのだけど、そこは以心伝心できる部下を得たことによって解決ということで、期待外れだったんだけど、久しぶりの中国の古代のお話は面白かった。
『戦争と平和』を並行して読んでいて、読めない・意味のわからない漢字に苦戦していたけど、この本も同じでそこも面白かった。また別の小説も読んでみたい。


ためになることがたくさん書かれてあった。

昔から言われていることだが、成功者が必ず持っているもの、運・根・鈍

「新語」は劉邦のための書物であった。12篇あるのだが、一篇ができるたびに献上され、劉邦はかならず陸賈をほめたたえた。すると側近たちは万歳をさけんだという。めでたい書物である。

「止まるを知る」で思い出されるのは井上貞治郎の半生記である。大正のはじめに、段ボールで大成功した人である。

ノーベル物理賞を受けた湯川秀樹博士は、物理学教室の学生に、そのことばかり考えているといきづまってしまう。『荘子』なんかを読んでくれるといいんだが。。。と言ったようだ。

三国時代の英雄である曹操は読書家であり、兵法好きであり、『孫子』をことのほか気にいっていたようで、本文に注釈までつけた。 曹操の注では、「その疾きこと風のごとく」は、「敵の空虚を撃つことである」となる。

唐の太宗という皇帝は、神話と伝説時代の帝王をのぞけば、中国史上五指に入る名君だろう。なによりすばらしいのは、創業の功臣を一人も殺さなかったことである。。。太宗が「書聖」と呼ばれる王義之の書をひどく好んだことからわかるように、太宗の書もすぐれたもので、「温泉銘」という拓本の図版をみると、私なんぞは、やはりこれは雲の上の人が書いた字だ、と。。。

「赤心」とはまごころのことである。血が赤く、その血をからだじゅうに送り出す心臓も、やはり赤いと思われていたから、赤心は、むきだしの心、といってもよい。「推す」は、「押す」という字がいまでは当てられるが、「推」は、手でおしのけることで、「押」は手でおさえつけることである。「推」は、鳥占いをすることで、「押」は、オリに閉じ込めることのようだ。そうであれば、「推」の字は、推理や推量などのように使われ、未来へ向かって問う意味がいまだにある。
赤心を推して、人の腹中に置く。人に絶対の信頼を置くことをいう。

「左・国・史・漢」という言い方がある。中国の歴史書で面白いものは何かといえば、『左伝』『国語』『史記』『漢書』だということである。「左」、つまり『左伝』がはじめにきているということは、中国のすべての歴史書のなかで、『左伝』がもっともおもしろいということである。

志は満たすべからず
楽しみは極むべからず

すべての根元はまず自分を治めることにある。自愛することである。新しい気を用いて、古い気は捨てる。皮膚の間から邪気と精気とを代謝させる。精気は日ごとに新しく、邪気はすべて排出される。これで天寿はまっとうされる。

犬山(愛知県)にある、国宝の如庵 

人その一を知りて
その他を知るなし

小林一三の随筆集から
百歩先の見えるものは狂人あつかいにされる
五十歩先の見えるものは多くは犠牲者となる
十歩先の見えるものが成功者である
現在が見えぬものは落伍者である

手習や天地玄黄梅の花 夏目漱石

書を読めば万倍の利あり
道理を明らかにしようと無理に考えすぎてはならない。考えすぎると道理にやどっている微妙な真理を枯らしてしまう。ゆったりした心で、いろいろな角度から考えていけば、自然の道理はゆがめられることなく、じゅうぶんに納得できるし、明らかになってくる

モームの十大小説 四作目 その三

あっという間に5月下旬で、あっという間にゴールデンウィークも過ぎてしまいました。10連休でしたが、娘のところに行ったり来たりで終わってしまいました。

人って本当にないものねだりで、隣りに誰かがいたときは無性に一人になりたくて、何かに追い立てられるように、一人でこんなところにも行けるし、こんなこともできるんだと、これ見よがしに外に飛び出していたけど、いざ一人になると、一人ででかけるのが心もとなく面白くなく、どこかに出かけようという気にすらならない。。。

さて、行ったり来たりしながらでも時間を過ごしたのは図書館で、とうとう読了しました〜
面白かったデス!!!

戦争と平和(三) (新潮文庫)
トルストイ
新潮社
2005-12T



戦争と平和(四)(新潮文庫)
戦争と平和(四)(新潮文庫)


モームの評

『戦争と平和』は、たしかにあらゆる小説の中でもっとも偉大な作品である。このような小説は、高度の知性と力強い想像力とに恵まれた人、この世の中についての豊かな経験と人間性を見抜く鋭い洞察力とを持った人でもなければ、とうてい書けるものではない。これほど堂々として広がりを持ち、これほど重要な歴史上の一時期を扱い、これほど限りない数の人物を登場させた小説は、この作品以前には、一度として書かれたことがなかったし、今後とても、二度と再びかかれることは、おそらくあるまい。もっとも、『戦争と平和』に劣らない偉大な作品というのであれば、あるいは書かれもするだろう。だが、完全に規模が同じな作品は、まず書かれることはあるまい。。。

きっとこういう世界的な名作は若い時に読んでおかないといけないんだろうけど、若い時に手にして最後まで読み切れていただろうか。。。トルストイの歴史哲学や戦争観、権力論、宗教や神、生きる意味が延々と述べられているあたりで挫折していたかも。。。

長編小説を読む良さは、時間をかけて読んだ分、それだけ長く描かれた出来事や登場人物が自分のなかに留まることになり、確実に自分の人生の一部になりえるからだと思う。

いつかまたたくさん角を折ったページを読み返してみたい。。。

「人間の幸福は、その人自身の中にのみあること、人間に自然な単純な欲求を充たすことから初めて生まれること、不幸は不足からでなく、過剰から生じるものであること、さらにこの世には、困難で直面できないものなど一つもない」

モームの十大小説 四作目 その二


戦争と平和(二) (新潮文庫)
トルストイ
新潮社
2005-12T



『戦争と平和』の第二部を読了。
第二部は、休戦時に食料の供給が滞り兵士たちが飢えや病気で苦しめられている場面や、兵士病棟で治療もされず捨ておかれている傷病兵の悲惨さを除けば、ナポレオンのロシア遠征前の間隙を縫った平時の貴族の豪奢な生活が描かれていた。印象に残ったシーンは。。。

・戦争での負傷、捕虜、妻の死と立て続けに不幸に見舞われ、田舎に引きこもり憂鬱な日々を送っていたアンドレイ公爵が、ナターシャに出会って生きる活力を取り戻すのだが、その変わりようを、森に立つ古木、楢の木を見て生まれる感情の違いで表していて面白かったし、生活の中に自然があるってやっぱりいいなと。。。

ナターシャを知る前
「絶望的なものではあるが、憂鬱な快感を伴う想念の一団が、この楢に関連してアンドレイ公爵の心中に湧き起った。この旅行中、彼はあたかも自分の全生涯を初めから考え直したような形であった。そして、やはり以前のとおり、自分はなにも始める必要がない、悪事をせず、心配せず、なにものをも望まずに余生を送ればいいのだーこういう絶望的な、とはいえ、心に落ち着きを与えるような結論に到着した。」

ナターシャを知った後
「『そうだ、これがあの楢の木なんだ。』とアンドレイ公爵は考えた。いわれのない春めいた歓喜と更新の感情が、とつぜん彼を襲ってきた。彼の生涯で価値あるすべての瞬間が、一時に心に浮かんできた。アウステルリッツの高い空、なじるような妻の死顔、渡し船の上のピエール、夜の美しさに興奮した少女、その夜、月、ーこれらすべてのものが、とつぜん彼の心に浮かんできたのである。
。。。アンドレイ公爵は、永久不易の断固たつ心持ちでこう断言した。『俺が有するいっさいのものを、自分一人で知っただけではまだたりない、みんながそれを知ってくれなくちゃならない。。。」

人生を変えるような出会いだったにもかかわらず、結局二人の結婚は破談になる。自分の心に従って行動するのは過ちを犯しやすくリスキーで時に命がけだけど、人間くさくて、結ばれなかったけど、結ばれなかったゆえに?二人は依然魅力的だ。

・狩猟の場面
親狼一匹を仕留めるために、130匹の猟犬と20人の勢子を率いて無益な狩りを楽しむなんて、全く理解不能。でも、なんとか逃げおおせてくれと全く没入して読まされてしまったので、さすがは文豪。。。

・降誕祭にトロイカに乗って月光を浴びながら雪の平原を馬が疾駆する場面 
想像だけで書けるものではなく、一面白銀の世界で、どこにいて、どこに向かっているのかわからないくらい橇で駆けたことがあるからこそ描けるんだろうなと。。。

残念だったのは、終盤のオペラの場面もきっと名場面なんだろうけど、初のオペラ鑑賞で熟睡してしまったこともあり、臨場感が湧いてこなかった。。。

一番印象的だった場面は。。。なんと。。。そこ?という声が聞こえてきそうだけど。。。

狩猟が終わって「おじさん」の館での一夜。素朴だけど、なにもかも食べてしまう料理とお酒、バラライカの弾き語り、おじさんのギターと猟師歌、ナターシャの生来の、純ロシア的な気合いを会得した踊りと歌。

「わしは、まあ、こうやって一生を送るんだ... 死んでしまったら、なに一つ残るものはありゃしないーいや、じつにすてきすてきーだによって、罪なことをしようとも思わんて!」
こう言ったときのおじさんの顔は意味ありげで、美しいといってもいいくらいであった。ニコライはふだん父をはじめ近所の人たちから聞いていた、この人に関するいい評判をふと思い出した。おじさんはこの近在で心の清い、無欲の変人という評判をとっていた。人々は家庭内のいざこざを裁いてもらうために彼を呼んだり、秘密を打ち明けたり、遺言の執行人にしたり、判事その他の官職に選び出したりした。しかし、彼は公共の職務は固く固辞した。春と秋は例の栗毛に乗って野にすごし、冬は家の中にひきこもり、夏は草ぼうぼうと生い茂った庭に臥て暮らすのであった」

本当にすてきすてき〜 

老後の楽しみはピアノレッスンで、またギターを弾きたくなんてならないと思っていたけど、ギターの弦をポロンとはじいてみたくなった。


さくら茶会

お茶の先生がけがをされ、リハビリが長引き、初釜以降茶道教室はお休み。2ヶ月もブランクがあり、今日久しぶりに茶会でお点前を見てほどんど忘れていることに愕然 
4月から茶室をお借りして、生徒だけで自主練習?をすることになったけど、自主練習のための自主特訓が必要。。。

ちょうど桜は見ごろで、屋外は日差しが強く暑いくらいだったけど、淡い色のお着物姿の方々もいらして、春を楽しめた


以前読んだ「アーモンド」と同じ作家。2023年本屋大賞、翻訳小説部門第2位ということで読んでみたけど、これも、同じ年の本屋大賞だった「汝、星のごとく」と同じで良さがわからなかった。小説は自分が面白いと思ったものを読めばいいので、どうして面白いと思えないのかなんで考えなくていいのかな。。何を面白いと感じるのかに理屈はいりませんものね。どんな人に惹かれるのかと同じように。。。

読み終えて、作家名と登場人物の名前を日本人名に変えても、辻褄のあわないところはなにも出てこないのではないかと思えるくらい、いい意味でも悪い意味でも韓国的なものがなかったことに驚いた。


朝の通勤時間に読んだ。きっと読んでるとき眉間にしわが寄っていただろうなと思う。

「心配はいらない」とその著者は述べる。「探究心を忘れないかぎり人類は存続できる」
どうやら、人類の運命を案じるにも個人差があるのは明らかなようだ。しかし、非人間的との誹りを覚悟の上で(私の親友の何人かは人間だ)私は言っておこう。いちばん大切なのは人類の存続ではない、と。この驚嘆すべき現在という瞬間に、私たちはこれから進化がたどる道、あるいは、たどらない道をまったく自覚することなく選びとっている。そのような力をもった生物がかつていたためしはなく、残念なことに、それが人類のもっとも永続的な遺産となるだろう。人類が書き、描き、つくり上げたすべてが塵となり、ジャイアント・ラットが地球を受け継いだーあるいは受け継がなかったー遠い未来の生命史は、「六度目の大絶滅」によって定められた道をたどりつづけていくだろう。

ユヴァル・ノア・ハラリさんの本を読んで世界観や人間観が変わったが、この本を読んでそれらがより固まったように思う。2014年上梓、10年後の2024年現在、大絶滅の道を行進中だということを頭の片隅に置いておきながら、一日一日を大切に。。。

3月に読んだ本

15分ごとに違った分野の本を読む、というのは習慣化できなかった。防水タイマーを購入してお風呂でも試してみたけど、アラーム音で中断させられるのが。。。アラームを聞くのは起床時だけで充分なので、章や項目を区切りに切り替えることにした。

この本は朝の電車のなかで、頭がまだスッキリしているときに1日3タイトルずつ読んだ。


2010年から2020年まで新聞に掲載された物理学者のコラム集。テーマは、科学に関することばかりではなく、旅行記や時事、宗教、政治、歴史と多岐にわたり、いろんな世界を垣間見れた。「アフリカでの一日」というエッセイは、ほんもののアフリカを見に行きたいと、セネガルのンブールからタクシーやバスを乗り継いで、内陸の村へ。そして、タイトルでもある「この世の中には、規則より思いやりが重んじられる場所がある」という思いに至ったモスクで一日を終える。こんな旅行はできないけど、どこかの国のモスクに行って、穏やかな気持ちで時間を過ごしてみたいと思った。


あの吉村昭の小説と同じタイトルなんていただけない、と思いながら読んでいたけど、最後には納得。

”漂流もの”の本を読んで私が感じていたのは、漂流ほど自然と人間との間に厳然とよこたわる、この不条理な関係を極端にしめす状況はないということだった。漂流とは船の故障や沈没により、自力で航行する能力をうしなった状態のことである。したがって漂流者はほとんど自然にたいしてなす術をもたず、気まぐれな風や潮の動きに翻弄されるまま、ゆらゆら自分の運命を自然にゆだねるしかない。
漂流が長期化すると、用意した食糧や飲料水は底をつき、耐えがたい飢餓やのどの渇きに襲われることになる。サメやシイラにしつこく追い回されたり、気まぐれなクジラに転覆させられたりする危険もつきまとう。また、状況の苛酷さに生きる望みを見出すことができず、漂流がはじまってからまもなく気力をうしない、あっけなく死亡してしまうケースも少なくない。そうした話を読むたびに、海の漂流者の経験はわれわれ陸の冒険者の比ではないのではないかと考えるようになった。

サードマン現象というのを初めて知った。


読んだけど、何も残っていない
『エチカ』とは倫理学を意味するラテン語の"ethica"で、倫理学とは簡単に言えば、どのように生きるかを考える学問だそう。エチカの語源はギリシア語のエートス(ethos)。へぇ〜〜〜

以前「二コマコス倫理学」のガイドブックを読んだとき、「エトス」は習慣という意味のギリシア語で、「エートス」と伸ばすと性格や人柄という意味になる、というのが面白く、アリストテレスは、エトスがエートスに似ていることは偶然ではなく、深いつながりがあり、人間の性格や人柄は習慣の積み重ねによって形成されると考えたそう。

スピノザという人はもっと知りたいと思ったので、それでよしとするか。。。

明日から4月デス
気持ちも新たに、一日一日を大切に、読書に励みます!


モームの十大小説 四作目 その一

電車通勤を始めて1か月半。
毎日1時間半くらい本を読む時間が確保できるのは、精神衛生上このうえなく良く、乗り換えが3回、ダイヤが1時間に1本、車通勤に比べ30分早い起床(課長さんのご配慮で朝はギリギリの時間でいいことに)、1時間30分遅い帰宅でも、何とか続けられそうで。。。

1か月続いたご褒美に、定期券が2枚なので定期券入れとリール付きのストラップ、雨に濡れない靴を購入 3か月のご褒美を考えるのもなんだか楽しい〜

懸念点は、これからの夏の暑さと。。。手荷物がまとまらない。。。お弁当、水筒、本2冊、手帳、ペンケース、傘とカッパ、眼鏡。。。スーツ姿に薄いコンパクトなリュックだけの人を見ると、どうしてあれだけで済むのだろうかと。。。車だと何も考えずにカバンに詰め込んでたのに。。。工夫の余地大デス。

家と駅、駅と会社は片道15分くらい歩くので、その時間はNHKのラジオ講座を聴くことに。車でも聴いていたのですが、運転中はなかなか集中できず。。。家と駅の道はほとんど人が歩いていないので、声も出せるしで、歩きながら英語のお勉強に集中できるという利点が一つ増えました

さてさて本のお話に。。。
四作目は、トルストイの『戦争と平和』。第一部を読了しました〜。戦争ものなので読めるかどうか心配だったのですが、面白いデス

軍隊ものといえば、学生の時に確か教育原論の授業で大西巨人の『神聖喜劇』を紹介され読んだことがあり、これも5巻まである長編なので読み通せたのは面白かったんだろうけど、今となってはほとんど覚えていない。。。ただ日本の軍隊というところは理不尽で、陰湿で、横暴で、いいとこなし、だという印象だけが残ってます。

トルストイの描く戦争や軍隊は、19世紀初めという大昔のことなのに、いえ大昔だからこそなのか、スケールが雄大で、登場人物が魅力的で、死生観・人生観が人間的で、かっこいいのです

それから、これは『赤と黒』や『ボヴァリー夫人』と同じなのですが、文学が芸術作品であるということを再認識させてくれます。

感動した場面を2,3書き留めておきます。

・ロシア皇帝とオーストリア皇帝による8万の軍隊の閲兵式

死のごとき静寂のなかに馬蹄の音のみ聞こえる。これは両皇帝の随員であった。皇帝が側面に近よると、出征信号を吹奏する最初の騎兵連隊のラッパが響き始めた。それはなんだかラッパ手などの吹奏ではなく軍隊自身が皇帝の接近を喜んで、自然に発した音のように思われた。この響きのなかに、アレクサンドル皇帝陛下の若々しい、優しい声がはっきり聞こえる。彼が軍隊に挨拶の言葉を述べると、第一の連隊は「ウラー!」と叫んだ。耳を聾するような長々とひきのばした悦びの声は、兵士ら自身すら、自分たちのつくりなしているこの大塊の数と力に、愕然とするほどであった。

・窮地に陥ったロシア軍の敵軍を阻止するするために派遣された、4000人の前衛部隊を指揮するバクラチオン伯爵が、自ら列の前に立って進み、最初の一発が響きわたると同時に突撃の喊声を上げ山を馳せ下る場面

有事の、錯綜とした状況下で指導者の取るべき言動はこういうものなんだな、と。。。

・出征する息子と老公の別れの場面

「じゃ、もうおさらばだ!」と彼は息子に自分の手を接吻させ、じっと抱きしめた。「ただな、一つ覚えていてもらいたいことがある、アンドレイ公爵、もしお前が殺されたら、この年寄りはつらいぞ・・・」彼は思いがけなく口をつぐんだが、ふいにわめくように語をついだ。「またもしお前がニコライ・ボルコンスキイの子として、あるまじきふるまいをしたことが知れたら、わしは恥ずかしく思うぞ!」とかんばしった声で叫んだ。
「そんなことはおっしゃるまでもなかったんですよ。お父さん。」とほほえみながら息子は言った。
老公爵は口をつぐんだ。。。

・戦場で倒れたアンドレイ公爵の達観

彼の頭上には高い空ー晴れ渡ってはいないが、それでも測り知ることのできないほど高い空と、その面をはってゆく灰色の雲のほか何もない。『なんという静かな、穏やかな、崇厳なことだろう。俺が走っていたのとはまるっきりべつだ』とアンドレイ公爵は考えた。『われわれが走ったり、わめいたり、争ったりしていたのとはまるっきりべつだ。。。この高い無限の空をはっている雲のたたずまいは、ぜんぜんべつのものだ。どうして俺は今までこの高い空を見なかったんだろう?今やっとこれに気がついたのは、じつになんという幸福だろう。そうだ!この無限の空以外のものは、みんな空(くう)だ、みんな偽りだ。その空以外になんにもない、なんにもない。しかし、それすらやはりありゃしない、静寂と平安のほかなにもない。それでけっこうなのだ!・・・

それにしても、1984年に現代の若い読者向けに読みやすく改訂したとはいえ、最初に翻訳されたのが1915年ということで、調べないとわからない漢語?が少なくなく、借り物ではないので、ドックイヤーをつけ、線を引き、書き込みしてと、そういうところも読みごたえがある、かな。。。

休日

今日は何もない日で、どこにも出かけないで、本も開かないで、Matt Damonの日にしました。

「STILLWATER」以外は前に見た映画。
一度見た映画をもう一度見るのは、ハラハラドキドキしなくて済むので、その分集中できるし、映画を味わう余裕ができてなかなかいいものです。Netflixのおかけでこれからは増えそうな。。。

  Matt Damonが出演した映画をすべて見ているわけではないけど、「好きなハリウッド俳優は?」と聞かれると、「Matt Damon」と答えてます。

映像から受け取る彼の印象は、強い意志、厚い信頼、深い愛情。。。
1970年生まれで干支は犬。
相性はぴったりですが、会うことも、話すこともない、違う世界に住む人ですね。







モームの十大小説 三作目

サマセット・モームの世界十大小説の三作目は。。。



『赤と黒』と同じ19世紀のフランスの作品だし、ポンパドゥール夫人のようなお話かと勘違いし、三作目に選んだんだけど。。。上巻192ページ、下巻337ページ。他の十大小説に比べると長くないので、とにかく読了できてよかった。

読了できたのは、不幸の巡り合わせの空しい物語であっても、これが文学作品で、後の作家に影響を及ぼしたといわれる名作だからだろう。フローベールの作品に払われた莫大な努力が、読んでいてぎょっとし興ざめした日本語訳をものともせず、小説から十分に伝わってきたからだろう。

モーム曰く。。。
「わずか27ページしかないこの一章を書くのに、フローベールはまるまる2ヶ月もかかったのである。これがバルザックであったならば、同様に見事な場面を、彼一流の書き方で1週間とはかからずに書き上げたことだろう。偉大な作家、たとえば、バルザックやディケンズやトルストイは、執筆するに当たり、私たちが普通インスピレーションと呼び慣れているものを感じたものである。ところが、フローベールがインスピレーションを感じて筆をとったと思える場面は、ほんの時たま見当たるにすぎない。あとの箇所は、全くの努力と、ブイエの忠告と示唆と、生まれ持った鋭い観察力とを頼りにして書き上げたようである。ただし、このようなことを言ったからとて、別に『ボヴァリー婦人』の価値を低く見ようと言うのではない。そうではなくて、『ゴリオ爺さん』なり『デイヴィッド・コパーフィールド』なりが、あるれるばかりに豊かな想像力の赴くままに書かれたと思えるのに対し、『ボヴァリー夫人』のようなすぐれた作品が、ほとんど推理一つで書かれたのが不思議だというのである」

単行本として出版されると直ちにベストセラーになったそう。小説を読むのに同時代性って重要だと思う。苦心して書かれた服や建物や馬車や部屋の様子がよくわからない。スマホで検索するにはキリがなく。。。

それからやっぱり言葉。これはどうしようもないけど。。。

ハードルも高く、内容理解も甚だ怪しいけど、モームお薦めの本を読んで、読み終わったあとモームの書評を読む、というのが、面白い。。。今のところ。。。なので、四作目に着手。『戦争と平和』。これも19世紀のお話で、舞台はご存知ロシア。長期戦になりそう。。。



(備忘録)フローベールが最後に公にした作品で、三篇のうち『まごころ』というのがまれにみるすぐれた作品だそう。

2月に読んだ本

何冊かの本を平行して読んでいて、2月に完読したのは、

\こκ験悛赤と黒

日本文学→読みたい本がなかったので、夏目漱石の「それから」の朗読を枕元で聞いている。始まって10分くらいで寝落ちするけど、翻訳ではないから言葉の選択に違和感を感じることなく、明快で的を得た日本語が耳にも脳にも心地よく、さながら副作用のない睡眠導入剤になっている。

社会・自然科学↓

零の発見改版 数学の生い立ち (岩波新書) [ 吉田 洋一 ]
零の発見改版 数学の生い立ち (岩波新書) [ 吉田 洋一 ]

インドで零が発見され、筆算ができるようになってソロバンが廃れたそうだ。
インドで零の概念が発達したのは、「空」というインドの哲学思想と結びつけて考えるのではなく、インドの名数法が、一桁上がるごとにあらたな数名詞を用いる、より十進法に忠実であったからだと考えるほうが実際的だそうだ。

西洋の数学はギリシャで起こったといわれているが、紀元前9世紀頃に文字が輸入され、その後幾百年、文字はもっぱら商業用の記録に用いられるだけで、思想や知識を伝達する手段としては、「語られる言葉」のような力をもたないものと考えられていたそうだ。

。。。「書かれた言葉は生きた命ある言葉の単なる模造像、単なる影法師に過ぎない」、生き生きした真の知識は、たがいに質問に答え、反駁にあい、誤解を正し、脱漏をおぎなうというふうに、口で語られる言葉をもってする談論の方法によって始めてこれを伝えることができる。。。

いくら本を読んでもたかが知れるということで。。。ごもっとも。

せ躄裏

 
歌の素晴らしさは、何度も繰り返し声に出して読み上げてこそわかるそうだ。なので、一度読んだからといって、万葉集の歌のよさはわからない、ということかな。
4000以上ある短歌のなかから、斎藤茂吉がどうしてこの歌を選んだのかが説明されていて、歌の鑑賞の仕方がちょっとわかった。繰り返し、固有名詞、枕詞、助動詞、助詞、区切り、体言止め。古典の授業が懐かしい〜

ケ儻譴遼  一度読むのをやめて、もう一度挑戦したけどやっぱりだめ。面白くない。。。また手に取ることがあるかな???



車のない生活

朝、通勤途中でガードレールの始まりのコンクリートの台にぶつかり、左の前輪とバンパーがぐにゃぐにゃになり、廃車になったのが3週間前。新しい習慣が身につくのに21日というメルクマールがあるけど、まだまだ慣れない電車通勤。

昨年の秋、車の修理で10日間くらい電車通勤したのがよかったからなのか、大切な存在だった車の無残な姿が忘れられないからか、運転に自信がなくなったからなのか、計画外の出費をやりくりできる余裕がないからなのか、次の車、にはいけず、当分、というかできればこれからずっと車のない生活をでもいいかなと。。。弱気です。

交通網が発達している都心部に住んでいるわけではないので不便極まりなく、移動に時間がかかるのですが、この不便や時間を引き換えにしてもいいくらいの利点があると、今のところ、思っています。強がってます。

利点(發韻襦―気糧省は1日1万歩以上歩いてます
利点△竿咾おいしい 実は。。。一人だと、だんだんご飯がおいしいと思えなくなっていたので。。。
利点K椶読める これは言わずもがなですね。
利点い天気や気温がすごく気になる 雪や台風以外のお天気を気にしていなかったような。
利点イい蹐鵑平佑鮓る 

・朝、駅までの道で犬の散歩をされている方々に「おはようございます〜」と挨拶するようになりました。
・2、3両編成のローカル線ですが、座れるし、意外に本を読んでいる人がちらほらいて、何の本を読んでいるのか興味津々です。
・ホームで、小さい男の子と若いお母さんが、電車が入ってくると、満面の笑顔で、元気よく手を振っている姿をみて、なぜかしら涙が。。。
・週末のローカル線の電車の中は半分以上ベトナムの若者で占められていて、びっくりでした。

利点κ發速度で、電車の速度で、風景を見れる    
利点Т鵑蠧擦できる でも、映画館には行けなくなってしまったのですが。。。
利点┝孱餌翳の二酸化炭素を減らす

今のところはこんな感じですが、4月になってこの利点が増えていなくても、減ったりしていませんように。。。 





モームの十大小説 二作目

サマセット・モームの「世界の十大小説」の二冊目は。。。

赤と黒 上 (岩波文庫 赤 526-3)
スタンダール
岩波書店
1958-06-25



「嵐が丘」を読み終えたあとに読み始めたのですが、「嵐が丘」の余韻が強すぎたのか、初めの1820-30年代のフランスの、スイス近くの、ヴェリエールという架空の小さな町のくだりが退屈で、読み進めることができなかったのですが、今回は、読みだしたら止まらない、何もかもが面白かったデス。

何もかもの一つ目は、何といっても主人公とそのお相手の二人の女性の強烈な個性と行動力

二つ目は、王政復古や7月革命という当時のフランスの政治や社会事情
「赤と黒」の赤は共和主義精神を、黒は僧侶階級を表しているそうです。

三つ目は、階級と自尊心

1990年代、韓国ドラマを見始めた頃、新鮮に感じたのが、貧しい出自の人ほどこの自尊心という言葉を口にすることと、誰かを不幸にして恋を成就させると罰が当たるという考えだったことを思い出しました。最近の韓国ドラマではあまり見られませんが。。。 

四つ目は、モーム曰く、

彼の目的は、すべて自分の言おうとするところを、余分な飾りや華やかな修辞や、絵のように美しいが冗漫な言い回しを一切用いないで、できるだけ平明に、また正確に書き記すことにあった。。。風景描写を避け、また当時一般に行われていた数多くの隠喩を避けた。こうして彼が取り用いた冷たく、平明で、自己を抑制した文体は、『赤と黒』で彼が語る物語の持つ恐ろしさを、見事いよいよ恐ろしいものにし、その息もつけぬ面白さを一段と増すことになった。

五つ目は、小説から推し量られる著者、スタンダールのハチャメチャさ

さて、3作目は「ボヴァリー婦人」を読んでいますが、面白くない。。。。

 

ブックリスト

ブックリストを作成した。といっても1月に読んだ近藤康太朗さんの「百冊で耕す」の巻末にあった100冊リストをエクセルファイルに転記して、紹介されていた本を何冊か参考にして、読みたい本のセルに色をつけただけだけど。

\こκ験悛何を置いても、サマセット・モームの世界の十大小説を読む。
日本文学→リストにとらわれず、その時その時読みたい本を読む、でよしとする。
社会科学と自然科学→社会科学もリストに頼らずその時々で。。。自然科学はこちらの本に従って。



タイトル通り10冊の本を主に大学教授が高校生を科学の世界に誘うために紹介した本。物理のお勉強がいつの間にか遠のいてしまっていたし、物理に限らず、苦手だからといって自然科学を完全に断ってしまうのも、世の中の面白さを取り逃がしているような気がするので、読みやすそうな本から着手しようかと。

参考にした本↓



人は理性と知識の増加については、つねにこれを力説するが、そしてそれはいかに力説しても十分とはいえないが、しかも、この二者のみをもってしては、人間はついに行動に出ることは不可能なのである。よき行動とよき人生を生み出すためには、さらに人生にインタレストをもち、感動しうる心と、つねに新しい経験を作り出す構想力とが必要です。ところが人はこの二者の重要性を忘れ、その正しい養成をややともすれば怠りがちである。しかもこの二つのものなくしては、明日のよき生活の建設は決してありえないのである。そしてこれらに糧を与え、これを養成するものが、ほかならぬ文学である。これ以上人生に必要なものが、又とあるだろうか?

せ蹉まずは万葉集から。

ケ儻譴遼棧なんでもいいからとにかく毎日15分読むことを習慣にしないと。。。

2月に読んだ本


あとがきにノンフィクションではないし、自伝でもない、「私小説」だと書かれている。こんな人が近くにいて、労働や生活、社会や政治のことについて、毒を吐いてくれたら、刺激的で退屈しないだろうな。

クリーニング工場で一晩中働いていたときに陥った平和な恍惚感だった。体が極限まで疲れていたからなのか、血糖値が急に上がっていたからなのかはわからない。が、あの自分自身が存在しなくなる感覚は、脳がクラウドにアップロードされる感覚ににているのではないだろうか。
他者と交わらない労働の反復にはそうした作用があるかもしれない。
個としての他者と接しないからこそ個としての自分はいなくなる。つまり、全体で行う作業システムの中にのみ自分が存在するようになるのだ。システムに自分を委ねて労働することは、自分がアップロードされることだ。自分がいなくなることは悲しいことであり、生きづらいことである筈なのに、なぜかそこにあったのは不思議な安心と高揚感だった。
人が極端に過剰に労働し、いつしか命まで落とす状況に至ることがあるのは、そのせいではないかとふと思う。人間が脳をクラウドにアップロードできない限り、まだ肉体と共に生きて行かねばならない限り、私が私自身をなくさないことは、この生々しい体を死なせないために必要なのだろう。「自分をなくすな」と言う人がよくいるが、それは道徳とか思想とかではなく、自分の肉体を生存させ続けるための方策なのかもしれない。

ハンナ・アーレントは、人間の活動を「労働」「仕事」「活動」の三つに分類した。
「労働」は生命の維持に不可欠な行為だという。。。「仕事」は何かを作り出すことだ。特定の目的を達成するために働くことである。たとえば芸術家が作品を作り出すような行為であり、仕事によってできあがる生産物には耐久性があるらしい。「活動」は、人間の自発性に由来しているそうで、自発的に開始される行為・行動によって、他者と接触し関係を築く。つまり、他者との交流を可能にする領域だ。人間は活動を通して自分の人格を他者に示すのだという。

デヴィット・グレーバーは、その著書『ブルシット・ジョブークソどうでもいい仕事の理論』で、実入りのいいホワイトカラーの人々ほどその仕事に社会的意義がなく、内心必要がないと知っている作業に時間を費やしていることで道徳的、精神的に傷ついていると指摘した。その反面、社会を回すために必要不可欠な仕事をしている人々は報われない待遇で不安を抱えていると。


このブログと仕事で会議の議事録を書く以外書くことはなく、そこにうまさは求められないので、新聞記者で、米を作り、猟師にもなってと、面白いことを追求している著者が考える「よい文章とは」とか、「よい文章を書くためには」、がどんなことだろうかと好奇心から読んだ。

なぜ文章をかくのか。
見えなかったものを、見えるようにするためだ。常套句で曇った眼鏡を外す。自分だけの目で見る。匂いを吸い込む。風の歌を聴く。それは、文章を書くという行為そのものだ。自分だけの世界を切り取る。文章とは、いままで見えていなかった世界を切り開くことだ。
と、同時に、文章とは、いままで見えていたものを見えなくすることだ。言葉を書くと、その瞬間に、世界が見えなくなる。確固とした自信をもって書いたその文章が、完璧などではあり得ない。ああとも読めるし、こうとも読める。またテクストにそうした太さがなければ、とても繰り返して読む気はしない。いい文章とは、つまるところ、再読できる文章だ。
すべては変わる。世界にとどまるものは、なにひとつ、ない。
恐れることはない。変わることに、身をゆだねよ。
文章を書くとは、迷路を創ることである。

迷路を創ってどうするんだろ???


朝だけ一時間農夫をやって、田んぼを猪の被害から守るため、銃猟免許を取って、鴨猟を始め、罠猟免許も取ってけもの道に罠をしかけ猪や鹿を殺し、獲物を解体して、お世話になっている人にプレゼントする。楽しそうですね。。。新聞記者だけど、ジャーナリストではなく、ライターだそう。終末?破滅?に向かっている行き詰まりの資本主義社会でどうするのか? ばっくれる、そうだ。そして、ほんの十数人の贈与交換経済圏を作ってみる。自らの経済生活の2,3%を、貨幣を介さない交換に代替してみる。

「人間とは、交換する生物だ」としたい。人間は、言葉を、貨幣を、承認関係を、愛情を、無償の贈与を、交換しあう生物だ。そしてその交換も、カネと違い、贈与の連鎖であれば途切れない。顔が見える。言葉が聞こえる。だから心が通うし、情もうつる。貨幣を介さない直接的な贈与。交換によって交感する生物が、人間なのだ。

読書と同じで、たとえ何分の一でも、この楽しさを自分のものにしてみたい。。。が、これも強く願わないと手に入れることはできないものなんだろう。。。

今日いただいたミモザのリース。そばに花があるっていいですね
1708257761616[206]


誕生日

木曜日と金曜日は出張で、初めて会社の寮に泊まった。
3ヶ月後と2年後にアメリカとドイツに赴任される方々の工場研修に同行した。アメリカに行かれる方は英語が全くできないそうで(謙遜ではなく)、語学力が海外赴任の条件ではないことに驚いた。

海外で暮らせたらいいな〜いつかはそんなチャンスがあるかも。。。と夢をもてた頃はとっくに過ぎてしまい、やっぱり強く願い、行動しないと、手に入れることはできないんだと。。。そして今はもう何かを強く願える頃も過ぎようとしているのかもと。。。

昨日の土曜日は誕生日だった。
夜に娘と食事をすることになっていて、お出かけついでに、近くの映画館では上映していない映画を見た。

いい映画でした〜



よかったのは。。。
1.セリフが短い、というか主人公はほとんど話さない。
歌、映画、小説で、説明を聞かされるのはもうたくさん!状態なので、セリフ以外の、人の表情や動き、景色、色、音を見聞きしながら、映像の世界に浸れた。

2.説明がないから、いろんなことを想像し考えた。
主人公は毎朝何を見上げて莞爾として笑っているのだろうか? 別れの挨拶で抱擁するのはどんな人たち? PERFECT DAYSというタイトルは反語なの? 

3.  私の日常と似てなくもない。
まだ暗いうちに起きて、週中は決まった時間だけ誠実に働いて、休憩時間に空や木を眺めて、夜は眠たくなるまで本を読んで寝る。週末は好きなところに行って、好きなことをする。

4. ラストシーン
この年まで生きてきて、禍福は糾える縄の如しということが身に染みているからこそ、感動できたんだと思う。。。


夕食は、昨年の春夏秋それぞれに季節感満載の料理をいただいたフレンチレストランで冬の旬を味わった。そして娘から。。。萌黄色の手編みのベストを。。。マフラーと帽子、セーターに続く、第三弾。娘からの文字通り唯一無二のプレゼント

何かを強く願えなくなってきているのは、足るを知り始めたからかもしれない。 

いい誕生日でした〜 

1月に読んだ本


この本を読みました。


イギリスのパンクやロック、保守党と労働党、上層と下層、移民とレイシズム、格差と貧困、目の前の現実を辛辣に、でもそこに住み、生活の根を張っている人にしか見えてこないことを、素直に書いていて、読みごたえがあった。

エイミー・ワインハウスは、よくビリー・ホリデイと比較されたものだが、彼女の歌声からわたしが思い出すのは、美空ひばりとエディット・ピアフだ。小林旭と別れたひばりが泣きながら歌った”悲しい酒”や、飛行機事故で恋人を失ったピアフが歌う”愛の賛歌”は、どちらもエイミーのヴァージョンを聴きたかった歌である。
彼女たちの歌声には、どうしようもない温かみがある。
すぐ男とか愛とかに負けてしまう女のぬくもりがあるのだ。
「元始、女性は実に太陽であった。真正の人であつた。今、女性は月である。他に依って生き、他の光によつて輝く、病人のやうな蒼白い顔の月である」
と平塚らいてうは書いた。
たしかにブレイクと恋に落ちてからのエイミーは、いつも病人のような蒼白い顔をしていた。
けれど、男に負ける全ての女が月になるわけではないだろう。男に負けて、そのことを歌って、人のこころを熱く溶かす太陽になる女もいる。
エイミー・ワインハウスは、実に太陽であった。真正の歌手であった。



漠然とこんな風に本を読んでいていいのかなと思っていたので、本との付き合い方を変えてみることにした。

やってみること
・百冊の自分の本棚を作る
→図書館で本を借りて読むのではなく、本を購入する!

・本棚に入れる本を吟味するために必読リストを作る
→カテゴリは、ヽこ以験悄´日本文学 社会科学と自然科学 せ
(文学作品は時代の新しいものから古いもの、社会科学は逆に古いものから新しいものを読む)

・本を読むのを15分で区切り、4つのカテゴリを一巡して、1日1時間本を読む
→興に乗って読んでいて、たった15分で止められるのか。。。15分だけ読んで面白いのか。。。防水タイマーを購入したけど。。。

著者は新聞記者で、書くプロであり、読むプロであり。。。その道を極めた人には圧倒される。。。というか、本を読むことに並々ならぬ情熱を注ぎ、幸せになるために本を読むんだ、幸せな人とは本を読む人にことだーと熱く叫んでおきながら、おわりには、人間の顔をみるのが億劫になっている、けものと風の音しかない山奥で一人きりで、人間らしい顔つきから離れているのかも、でももうしばらくは、生きてけるかも。。。と、弱腰。。。とっても文学的で人間的。

暗唱カードというものを作られていて、手のひらサイズのカードの表に作者名や出典、裏に殿堂入りのパッセージを書き、常時携帯し、隙間時間に暗唱されるそうだ。へ〜とほほえましく読んでいたのですが、ここでぱたり。。。

冬ながら空より花の散りくるは雲のあなたは春にやあるらむ  清原深養父 古今和歌集

雪空を見上げながら、こんな歌を暗唱できたら。。。  

この本に書かれたこの人がやっていることを、何分の1でもいいからやってみようという気になった。

わたしは、書物をたいへん大事にしたので、ついには彼らのほうもお返しにわたしを愛するようになった。書物は熟しきった果実のようにわたしの手のなかではじけ、あるいは、魔法の花のように花びらを広げて行く。そして、創造力をあたえる思想をもたらし、言葉をあたえ、引用を供給し、物事を実証してくれる。  エイゼンシュテイン全集1

父の一周忌

まだ1年しかたっていなかったのかと思う。

2年前の1月にデイサービスの施設でコロナに感染し、救急車で運ばれ入院。1か月余りベッドで寝たきりになったため、入院前の脳梗塞の後遺症で左半身麻痺の車椅子生活さえもできなくなり、コロナ完治後別の病院に転院し、1年後の1月に亡くなった。

コロナ禍でお見舞いにはいけず、病室で正月のお祝いをしている写真が元気そうだったので、病院からの電話を受けたときも、1年ぶりに父を見たときも、意識がなく血圧が測れないと医師から言われたときも、父が死につつあると理解できなかった。

枕元で呼びかけるとちゃんと聞こえていて、まばたきを何度がしてくれ、声も出た。意識が戻るかもしれないと思った。

病室には誰でも何時でも出入りしてもいいということで、その晩は付き添うことにして、看護師さんたちが様子を見にきてくれるたびに父の状態を説明していただき、一晩かけて、父が最後の時を迎えようとしていること、自分が父を看取ろうとしていることを受け入れることができた。

日常の何気ないことで父のことを思い出す。いろんなことを思い出す。思い出すと、温かく懐かしくかなしい気持ちになる。

無口で不器用で、やさしい父だった。最後に好きなお酒を飲ませてあげたかった。

2回目の初釜

土曜日は2回目の初釜でした。

私以外はみなさんお着物で、お一人いる男性は袴でご参加。
たしか昨年の初釜のときは、来年は着物を着ようと言っていたような。。。

花びら餅をいただき、先生に濃茶をたてていただき。。。先生のお点前を見るのは初めてで、自然に流れる動きを無心で眺めていましたが、いつか自分もできるようになるとは思えず。。。

年末に教えていただいた茶杓のご銘は「無事」で、新年は「初笑い」でした。こういうきれいな言葉を耳にするだけでもいいな〜と思うのですが、どれだけ自分の日常が無味乾燥なものなのかとシニカルにならないようにしなければ。。。

お茶も5月からは3年目に突入。お稽古のある前日か当日にyou tubeの動画でちょこっと復習するくらいで上達するわけもなく、今年はなんらかの形で予習・復習を定着させようと思っています。





教習所とF1ドライバー
技術には無限の段階があり、完璧な技術というものに人間は決して到達することができない。プロはどの道の人でも、必ずそのことをまず第一に教えます。
では、どうしてそれにもかかわらず、プロを目指す人は後を絶たないのか?
それは完璧な技術に到達しえない仕方が一人一人違うからです。
完璧な技術がないということは、どのような天才がどれほどの努力を傾けても、ふたりと「同じところ」にたどり着く人はいない、ということです。むしろ、才能があり、努力を惜しまなかった人は、必ず独創的な技術を創造します。。。
教習所の先生は、「君は他の人と同程度に達した」ということをもって評価します。プロのドライバーは「君は他の人とどう違うか」ということをもってしか評価しません。。。
「技術に完成はない」と「完璧を逸する仕方において創造性はある」。この二つが「学ぶ」ということの核心にある事実です。
ことばは難しいですけれど、これはじつは恋愛とまったく同じなんです。
「恋愛に終わりはない」そして、「失敗する仕方において私たちは独創性を発揮する」

学びの主体性
学ぶというほは創造的な仕事です。
それが創造的であるのは、同じ先生から同じことを学ぶ生徒は二人といないからです。
だから私たちは学ぶのです。
私たちが学ぶのは、万人向けの有用な知識や技術を習得するためではありません。自分がこの世界でただひとりのかけがえのない存在であるという事実を確認するために私たちは学ぶのです。
私たちが先生を敬愛するのは、先生が私の唯一無二の保証人であるからです。。。
先生というのは、「みんなと同じになりたい人間」の前には決して姿を現さないからです。。。
だって、そういう人たちにとって、先生は不要どころか邪魔なものだからです。
先生は、「私がこの世に生まれたのは、私にしかできない仕事、私以外の誰によっても代替できないような責務を果たすためではないか。。。」と思った人に前だけに姿を現します。この人のことばの本当の意味を理解し、この人の本当の深みを知っているのは私だけではないか、という幸福な誤解が成り立つなら、どんな形態における情報伝達でも師弟関係の基盤となりえます。。。
人間は自分が学ぶことのできることしか学ぶことができない、学ぶことを欲望するものしか学ぶことができないという自明の事実です。



仕事で英作文するとき、この本で紹介されたSkELLという無料のオンラインコーパスをよく利用するようになりました。「スキーマ」という認知科学の概念も面白かったですが、英語学習意欲は低下の一途です。。。


その瞬間を生き、輝き、全力で愉しむのだ。そして満足して帰っていく。なんと素敵な生き方だろう。私もこうだったらいい。だから、今日は私も次の約束をせず、こう言って別れることにしよう。
「ああ、楽しかった」

岡本斗司夫さんがお薦めしていたので、見に行ってきましたが。。。
こういう映画も楽しめるようになれればいいのですが、グッときたのは、エンドロールの最後のゴジラの足音と雄叫びでした。。。

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