何もしないで、どこにも行かないで、夏休みが終った・・・

昨日・今日と交替で長男と長女にお掃除・洗濯・炊事を「指導」した。

長女はよく気がつくので、一緒に家事をしてても疲れないが、長男は・・・

台所に立っても、どこに何があるのかわからない。

「お鍋をガスレンジの上に置いて。」と頼むと、「ガスレンジって何?」とのたまう。

お米の洗い方から始って、焼き魚、おひたしと、一人でするより数倍時間がかかり、どっと疲れたけど、「ご飯も炊けるようになった!」と喜んでくれたので、「指導」したかいがあった・・・かな?

昨日美容院で、「ぜいたくな夢」の話をした。

私の「ぜいたくな夢」は、「家政婦さんを雇う。」

美容師さんのは、「2,3日おきに、シャンプーセットをしてもらいに美容院にいく。」

お互いの「夢」についてあれこれ話しながら、「でも、もし夢をかなえられる余裕ができたとしても、きっとこんなこと実行に移さないでしょうね〜 貧乏性だから。。。」と美容師さん。

「私もきっとそうだろうけど、実現できたらどんなにいいか・・・」と私。

家政婦を雇うくらいの収入を得ることより、子供達を家政婦に養成したほうが現実的・・・だろうな・・・

 

明日から子供達は学校、私は会社。それから、新しい韓国語講座のスタート。受講希望者が9名らしい。どうなることか・・・

 

「人の上に立つ者は、正直者が馬鹿をみないよう、いつもそれを考えなきゃいかん」

世間でもよく言われることである。義父の場合は、その先が少し違った。

「しかし、本当の正直者は、そういうことをあんまり言わんものだ」

皮肉な見方にはちがいないけれど、「正直者が馬鹿をみるのは御免だ」と、しきりに主張する人は、当人はなるほど二で割れば正直なほうかもしれないけれど、それはやむをえず正直者になってしまったのであり、もし不正直者になってごっそりお金が儲かるものならば、彼は内心、「それもわるくないなぁ」そう思っている人なのではあるまいか。

本当の正直者は、正直であること、それ自体が彼の生きかたなのである。それで完結している。どちらを向いても、だれに対しても、天にも地にもなんらやましいこともなく、心は清々朗々、まことにここちよく、すがすがしい。そのすばらしさを愛でているのだから、そのことによって世俗的に多少損失を蒙ることがあっても、部分的に馬鹿をみることがあっても、深く拘泥しないだろう。義父が言ったのは、そのあたりの心理についてだった。

義父が自分のこととして言ったのかどうかわからない。なにかしら思い当たるふしがあったのだろう。 

阿刀田高 「旧約聖書を知っていますか」より