2007年02月17日
暗渠の率川を追いかける
先週からブログで書こうと構想中の率川(いさがわ)ネタ。先週・今週と数日かけて撮影し終えた。カメラはDMC-LC1とCaplio R4を入り乱れて使用したので、個々の写真に使用したカメラをあえて記述しないでおく。

猿沢池南側を流れる率川にかかる橋の上から見えるのが左写真のお地蔵さん。近くには率川神社もある。率川は「いさがわ」と読む。小さい頃から率川神社(右)や率川幼稚園が近所にあったので何の疑問も抱かなかったが、「いさがわ」と読ませるのは難読地名のひとつだろう。
率川(いさがわ)は菩提川(ぼだいがわ)とも言う。奈良公園飛火野奥に上流があり、鷺池、荒池と順に注ぎ、猿沢池南側を流れ、猿沢池西側から先は現在は暗渠となっている。その暗渠になった部分を追いかけた。詳しくは「続きを読む」で記載しているが、超ローカルネタの上に長編なので興味のある方だけご覧頂ければと思う。最近の写真をメインに、少し前に撮影した写真も使いながら辿って行く。

猿沢池南側を流れる率川にかかる橋の上から見えるのが左写真のお地蔵さん。近くには率川神社もある。率川は「いさがわ」と読む。小さい頃から率川神社(右)や率川幼稚園が近所にあったので何の疑問も抱かなかったが、「いさがわ」と読ませるのは難読地名のひとつだろう。
率川(いさがわ)は菩提川(ぼだいがわ)とも言う。奈良公園飛火野奥に上流があり、鷺池、荒池と順に注ぎ、猿沢池南側を流れ、猿沢池西側から先は現在は暗渠となっている。その暗渠になった部分を追いかけた。詳しくは「続きを読む」で記載しているが、超ローカルネタの上に長編なので興味のある方だけご覧頂ければと思う。最近の写真をメインに、少し前に撮影した写真も使いながら辿って行く。
率川を上流から辿ってゆく。写真撮影場所を一枚の地図上に記入したかったのだけど、フリーのWeb上地図の二次利用や二次加工をすることは問題があることが分かったので、各写真に【地図】として直リンクをはることにした。リンク先の地図中の撮影ポイントを見れば分かりやすいと思うが、奈良市の市街地を東西にクネクネ走る路地の下が率川の暗渠。整然と東西南北に道路が整備されている中で、クネクネ曲がっているのが元々川だった証拠。

率川上流部(左:2006年11月26日撮影)【地図】。飛火野の南側、県営高畑駐車場へ向かう道路から撮影。このすぐ横の浮見堂へ向かう道にかかっている橋(右:2006年2月12日撮影)【地図】。率川はこの橋を潜ると鷺池に注ぐ。

鷺池から流れ出した率川は、鷺池西側の公園内の沢となり(2006年12月3日撮影)【地図】、荒池に注ぐ。

荒池から一時暗渠に潜り猿沢池南側で地上に現れる。猿沢池には注がず南縁・西縁をぐるっと周回して再び暗渠に潜る。猿沢池南側にあるのが尾花谷地蔵尊(左:2007年12月10日撮影)。猿沢池からならまちに抜ける道にかかる橋の上から見える。付近の護岸工事で見つかった地蔵や墓石が祀られており、詳しくは2007年1月4日付けの朝日新聞奈良版に奈良の魔界伝・奈良町の幽霊と題した記事が掲載されている。橋から地蔵尊と反対方向を望むと、率川はそのまま猿沢池を周回する(右:2007年2月10日撮影)。【地図】

猿沢池南西部を周回した率川は西部で暗渠となり、奈良市街を流れる間しばし地上から姿を消す。暗渠に潜る入り口(左:2007年2月10日撮影)と暗渠の上に作られた遊歩道(右:2007年2月11日撮影)。【地図】

猿沢池東側で地下に潜った後はJR奈良駅を越えるまでずっと暗渠。元林院町には絵屋橋の跡が残されている。2007年2月11日撮影。【地図】

猿沢池から餅飯殿商店街に抜ける抜け道も率川の暗渠の上(左:2007年2月11日撮影)【地図】。三条通のすぐ南側をくねりながら東西に流れる。椿井町付近の様子(右:2007年2月11日撮影)【地図】。道路なのに両側が塀。昔この道が川だった名残だろう。

路地の下の流れは率川橋と交差する。小学校の通学路だったけど、事情を知るまでは橋の跡の意味が謎だった。左写真で左奥から手前にかけてが川の跡。奈良市小川町という地名からも当時の様子が伺える。2007年2月10日撮影。【地図】

率川橋の下の流れはやすらぎの道を横断し、伝香寺脇へ。伝香寺にはいさがわ幼稚園が併設されており、率川との関連を知ることができる(左:2007年2月17日撮影)【地図】。伝香寺のすぐ北側には率川神社もある(右:2007年2月10日撮影)【地図】。最近改修工事が終わったばかりで本殿の朱色が眩しい。
猿沢池〜伝香寺の率川暗渠を紹介したWebは検索すれば複数あるが、伝香寺から先、JR奈良駅南側で菩提川として再び地上に現れるまでを追いかけたWebはあまりないようだ。今回はこの部分も紹介する。近所に住んでいるけどこのルート探検は初めて。

伝香寺付近から南西に向きを変えた流れは奈良市柳町付近で再び東西の流れとなる。柳町には柳橋の跡がある(左)【地図】。流れは小さな公園脇を通りさらに西へ(右)【地図】。2007年2月17日撮影。

奈良市杉ヶ町(するがまち)付近では率川暗渠の上に細長い公園が整備されている(左)。公園の西端に橋の跡があるが名前が分からない。この橋から先下流(西方向)は道路が見えるけどフェンスに囲まれていて進入できない(右)。2007年2月17日撮影。【地図】 ここから先は都市開発やJR奈良駅高架化工事の影響でどこの地下を率川が流れているのかよく分からない。

JR奈良駅の線路付近は再開発が激しく率川の跡を辿れないが、線路を越えて少し西に行くと、三条大宮町に「ぼだい川せせらぎ水辺」というのが整備されている。かなり新しいもののようだ。菩提(ぼだい)川は率川の別名。2007年2月17日撮影。【地図】

ぼだい川せせらぎ水辺には暗渠から一部水をくみ上げて流されているようで、左写真の湧き出し口から流れ出し、右写真奥の穴に飲み込まれていく。2007年12月17日撮影。

ぼだい川せせらぎ水辺は本当に小さな流れ。道路下の穴に吸い込まれた後、すぐ反対側からはこんなに大きな流れとなって地上に現れる。やはり流れの本流はせせらぎ水辺の地下に埋もれたままのようだ。ここから先はずっと地上を流れ佐保川に合流、さらに大和川に合流し大阪湾へと注ぐ。【地図】
以上で今回の率川暗渠レポは終了。最後に番外編として率川神社・いさがわ幼稚園以外に、率川(いさがわ)の名前が残る場所を紹介しておく。何れも率川神社や伝香寺のすぐ近くにある。

春日率川坂上陵(開化天皇陵)(左:2006年9月30日撮影)【地図】。 古くは春日率川坂岡社と称した漢国神社(かんごうじんじゃ)(右:2007年2月10日撮影)【地図】。

率川上流部(左:2006年11月26日撮影)【地図】。飛火野の南側、県営高畑駐車場へ向かう道路から撮影。このすぐ横の浮見堂へ向かう道にかかっている橋(右:2006年2月12日撮影)【地図】。率川はこの橋を潜ると鷺池に注ぐ。

鷺池から流れ出した率川は、鷺池西側の公園内の沢となり(2006年12月3日撮影)【地図】、荒池に注ぐ。

荒池から一時暗渠に潜り猿沢池南側で地上に現れる。猿沢池には注がず南縁・西縁をぐるっと周回して再び暗渠に潜る。猿沢池南側にあるのが尾花谷地蔵尊(左:2007年12月10日撮影)。猿沢池からならまちに抜ける道にかかる橋の上から見える。付近の護岸工事で見つかった地蔵や墓石が祀られており、詳しくは2007年1月4日付けの朝日新聞奈良版に奈良の魔界伝・奈良町の幽霊と題した記事が掲載されている。橋から地蔵尊と反対方向を望むと、率川はそのまま猿沢池を周回する(右:2007年2月10日撮影)。【地図】

猿沢池南西部を周回した率川は西部で暗渠となり、奈良市街を流れる間しばし地上から姿を消す。暗渠に潜る入り口(左:2007年2月10日撮影)と暗渠の上に作られた遊歩道(右:2007年2月11日撮影)。【地図】

猿沢池東側で地下に潜った後はJR奈良駅を越えるまでずっと暗渠。元林院町には絵屋橋の跡が残されている。2007年2月11日撮影。【地図】

猿沢池から餅飯殿商店街に抜ける抜け道も率川の暗渠の上(左:2007年2月11日撮影)【地図】。三条通のすぐ南側をくねりながら東西に流れる。椿井町付近の様子(右:2007年2月11日撮影)【地図】。道路なのに両側が塀。昔この道が川だった名残だろう。

路地の下の流れは率川橋と交差する。小学校の通学路だったけど、事情を知るまでは橋の跡の意味が謎だった。左写真で左奥から手前にかけてが川の跡。奈良市小川町という地名からも当時の様子が伺える。2007年2月10日撮影。【地図】

率川橋の下の流れはやすらぎの道を横断し、伝香寺脇へ。伝香寺にはいさがわ幼稚園が併設されており、率川との関連を知ることができる(左:2007年2月17日撮影)【地図】。伝香寺のすぐ北側には率川神社もある(右:2007年2月10日撮影)【地図】。最近改修工事が終わったばかりで本殿の朱色が眩しい。
猿沢池〜伝香寺の率川暗渠を紹介したWebは検索すれば複数あるが、伝香寺から先、JR奈良駅南側で菩提川として再び地上に現れるまでを追いかけたWebはあまりないようだ。今回はこの部分も紹介する。近所に住んでいるけどこのルート探検は初めて。

伝香寺付近から南西に向きを変えた流れは奈良市柳町付近で再び東西の流れとなる。柳町には柳橋の跡がある(左)【地図】。流れは小さな公園脇を通りさらに西へ(右)【地図】。2007年2月17日撮影。

奈良市杉ヶ町(するがまち)付近では率川暗渠の上に細長い公園が整備されている(左)。公園の西端に橋の跡があるが名前が分からない。この橋から先下流(西方向)は道路が見えるけどフェンスに囲まれていて進入できない(右)。2007年2月17日撮影。【地図】 ここから先は都市開発やJR奈良駅高架化工事の影響でどこの地下を率川が流れているのかよく分からない。

JR奈良駅の線路付近は再開発が激しく率川の跡を辿れないが、線路を越えて少し西に行くと、三条大宮町に「ぼだい川せせらぎ水辺」というのが整備されている。かなり新しいもののようだ。菩提(ぼだい)川は率川の別名。2007年2月17日撮影。【地図】

ぼだい川せせらぎ水辺には暗渠から一部水をくみ上げて流されているようで、左写真の湧き出し口から流れ出し、右写真奥の穴に飲み込まれていく。2007年12月17日撮影。

ぼだい川せせらぎ水辺は本当に小さな流れ。道路下の穴に吸い込まれた後、すぐ反対側からはこんなに大きな流れとなって地上に現れる。やはり流れの本流はせせらぎ水辺の地下に埋もれたままのようだ。ここから先はずっと地上を流れ佐保川に合流、さらに大和川に合流し大阪湾へと注ぐ。【地図】
以上で今回の率川暗渠レポは終了。最後に番外編として率川神社・いさがわ幼稚園以外に、率川(いさがわ)の名前が残る場所を紹介しておく。何れも率川神社や伝香寺のすぐ近くにある。

春日率川坂上陵(開化天皇陵)(左:2006年9月30日撮影)【地図】。 古くは春日率川坂岡社と称した漢国神社(かんごうじんじゃ)(右:2007年2月10日撮影)【地図】。














