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ここへ来て御巣鷹山JAL機墜落に関して情報がどっと流れ出てきています。

このような国家機密の重大事案であっても、政権交代による権力の移行につれ、前自民党政権の最大の闇として、暴かれ出されて来ています。

圧力隔壁の破損により尾翼が吹き飛び、ダッチロールしながら迷走して墜落したとされているJAL機のフライトレコーダーによる交信記録を聞いてください。

ただ、当然これは政府により捏造されていますから、真実は隠匿され録音から消され政府に都合よく作り変えられています。
ただ、当時のパイロット達の悲痛な叫びが聞き取れ、思わず目頭が熱くなり、
彼らの無念と絶望の真実を少しでも後世に伝えて行かなければと思っています。

この映像による交信記録によれば、ほぼマスコミ報道されている通りの状況推移であった事がわかります。
しかし、多くの不自然な部分や謎の部分が判明してきています。

落合由美さんは日本航空の客室乗務員。当日は非番で123便に乗り合せていました。

尾翼が吹き飛んだと時のパーンという高い乾いた大きな音は、落合さんの証言の通りですが、実は、この音の6分前から123便の操縦席では、追尾してくる何者かを確認して逃れようと行動を始めているのです。

ボイスレコーダーなどの分析記録によると、操縦クルーや乗客の一部がその謎の飛行物体を目撃しているようなのです。事故調査委員会はそういう事実も知ったうえで、あくまで圧力隔壁破損が垂直尾翼破壊の原因であることで決定してしまっています。

墜落原因は当時の政府としては、決して公表できない事だったのです。

その時の総理大臣が、自民党「中曽根康弘」防衛庁長官が加藤紘一でした。


しかし最後部から5番目に座っていた小川哲氏(当時41歳)が、そのミサイルの様な物をカメラに収めているのです。この写真は、JAL123便事件の謎を解く、唯一の貴重な物的証拠として後世に遺ることになりました。



それが自衛隊のものか米軍のものか、または飛行機からか、船舶からか、地上から発射されたものかは別にして、とにかくその物体(ミサイル)がJAL機の垂直尾翼に命中した事は間違いないようです。

ただ、訓練用ミサイルですから爆薬は抜いてあった為、致命的な破損ではなかったようです。
機長は衝突後、なんとか対応して機体の安定飛行をある程度維持出来る状態であったというのです。
つまり、緊急着陸を羽田か横田基地へする事が十分出来る状態だったのです。



確かに墜落間際に機長が「アンコントロール」と絶叫する所がありますが、衝突から墜落までの  間の状態は機体のコントロールが出来ずダッチロールを続けたあげくの墜落とは大きく違っていた事が判明してきました。

ではなぜ、JAL機は羽田、横田へ向かうと言いながら、御巣鷹山へ向かったのでしょうか。機体をコントロール出来なかったのでしょうか。
どうやら違うようです。
それをこれから検証して行きます。


衝突後、JAL123便の機長は7秒後に「スコーク77」を発信しています
「スコーク77」は、
飛行機が他から攻撃されたようなときに発信する緊急信号です。


ここで注目すべき事実があります。謎の飛行物体を操縦クルーが視認した18時18分時点の飛行機の高度は、1万1300フィート(3440メートル)なのですが、謎の飛行物体が尾翼に衝突した18時24分35
秒時点の高度は、2万3900フィート(7170メートル)であることです。

つまり、6分間に1万2600フィート(3780メートル)も上昇しているのです。
JAL123便が必死になにかから逃げようと上昇していた事がみてとれます。


なにかが飛んできて偶然にぶつかったという状況ではなく、その飛行物体は執拗に飛行機を追尾しているのです。
(この辺の緊迫した機長との交信はフライトレコーダーから消されたと思われます。)

このことから考えて、謎の飛行物体は明らかに巡航ミサイルであるといえます。

標的が、どのように高度を変えても、自ら軌道修正を行い、標的を追い詰めて常に標的の後ろに回り追いかけます。
その結果がJAL123便の垂直尾翼破壊だったのです。

しかそうだったとしても、なぜ、そのようなJAL123便を日本政府は救おうとしなかったのでしょうか?


それはJAL123便が横田基地や羽田空港などに着陸を試み失敗したり、
途中で市街地に墜落したりして、大勢の人が亡くなるようなことになったりした場合、現場の慰留品からその原因が白日の下に晒されることになり、政府や自衛隊は,もたないと考えたからではないでしょうか。
勿論無事に着陸したとしても、容認できない理由があったのです。
さらに後で詳しく書きますが、JAL123便の垂直尾翼にはその証拠が刻み付けられていたからです。


もうひとつ重要なことは、JAL123便が墜落した御巣鷹山一帯が、自衛隊特殊部隊の秘密訓練地帯になっていたと言う事です。
つまり、御巣鷹山へ墜落してくれれば、特殊部隊がすぐに対処できると言う事です。
しかしながらこの特殊部隊の対処が救助目的ではなかった事がJAL123便の悲劇だったのです。


そしてスクランブルしてきた3機の自衛隊機により、前後を囲まれるように、JAL123便は横田基地ではなく御巣鷹山へ誘導されて行きます。
必死に拒否する機長の「ライトターン、ライトターン」と悲痛な叫びがボイスレコーダーに残されています。自衛隊の交信記録は勿論公表されません。


墜落したのは、午後6時56分です。それから約1時間後に、上野村三つ岐という場所に自衛隊の特殊部隊が集結しはじめたのです。その数50人〜100人、彼らは何かの合図を待ち、静かに待機していたというのです。1985年8月12日のことです。


その秘密部隊は、墜落現場で、機体の前部・中部の様子を入念に調べ、何やら作業をしていたそうです。
そして、スゲノ沢の機体後部付近で、無線交信妨害電波を出しながら、何かをやっていたといわれます。
その時点ではかなりの生存者がいたと考えられますが、そういう生存者の救出は一切行ってはいないのです。まさに見殺しです。

NHKが救助へ向かえず足止めされていた自衛隊の隊員が、強引に救助に向かおうとして射殺されたと報道しましたが、すぐに誤報という事になりました。
そんな事が誤報される訳がありません。
正義感、使命感にあふれる隊員だったのでしょう。

いったいこの特殊部隊は何をしていたのでしょうか。


JAL123便が御巣鷹山に墜落した直接の原因について、ある恐ろしい仮説がなりたちます。



それは、自衛隊機のミサイル発射によって操縦席部分、エンジン部分が破壊されたことによる墜落という仮説です。
つまりJAL123便は自衛隊機にミサイルで撃墜されたのではないか!!

あまりにも恐ろしい、推測ではあります。


しかし、仮にそうであったとすると、すべてのツジツマが合ってくるのです。自衛隊いや「自衛隊を動かしている存在」、つまり、政府としては、どうしても隠さなければならないものがあったのです。

それは、日米でひそかに開発を進めていた(日本が秘密裡にかもしれません。)巡航ミサイルです。
それ自体が極秘であるのに、こともあろうにその演習用ミサイルが、民間機の垂直尾翼を吹き飛ばしてしまったと言うのです。

しかも、その痕跡がはっきりと破壊された尾翼の跡に残っているということが緊急発進した自衛隊機によって確認されているのです。

それというのは自衛隊の軍事演習用の機器は、オレンジ色に塗ってあるのです。
そのオレンジ色がJAL123便の吹き飛んだ尾翼にくっきりと付着している報告を受けた航空基地指令は愕然とします。
直ちにこの事実は上級指令者(航空幕僚)に報告され、その航空幕僚はそれをさらに上、自衛隊を指揮命令する立場の者に報告して、そこから防衛庁長官、総理大臣にと伝達されたされたと言う事です。


また、JAL123便が横田基地や羽田空港などに着陸を試みたとして、着陸に失敗したり、途中で市外地に墜落してりして、大勢の市民が巻き添えにあったりしたら、当時の自衛隊も政府も、もたないという事だったのだと思われます。


これらを総合すると、当時のトップである浮沈空母発言の、あの中曽根がある決断をしたのではないかと想像するのは難しくありません。


「JAL123便の横田基地着陸を阻止せよ」と。


この場合、「自衛隊を動かしている存在」によって一番都合が良いのは、JAL123便が、人が容易には近づけない険しい山岳地帯に激突して機体がこなごなに破壊され、垂直尾翼の痕跡もろとも、すべてが隠蔽されることだと思います。


そのため、JAL123便を方向転換させ、自衛隊の特殊部隊の演習場である御巣鷹山付近の山岳地帯に誘導したのです。しかし、JAL123便の機長は、それでも乗客を少しでも助けようと必死の不時着を試みようとしているので、ミサイルを発射して墜落させたのではないかというのです。


「自衛隊を動かしている存在」にとってさらに都合が良いことは、全員が死亡することでしょう。生存者、とくにすべての事情を知る機長をはじめとする操縦クルーに生存者がいることは、「自衛隊を動かしている存在」にとって、致命的になります。

仮にそうであったとしたら、墜落現場での自衛隊特殊部隊の任務は、機体の墜落状況の調査、ミサイルで粉砕されたあらゆる痕跡の回収、とくにミサイル痕が残っている遺体の回収、垂直尾翼の痕跡の除去などになります
さらには生存者の殺害!
いや、さすがに同胞としてそれはなかったと思いますが、命令は出ていたかもしれません。

生存者はいない方が良い、これが米軍の救出の申し出をあえて断り、墜落場所が特定されているにもかかわらず、直ちに救出しようとしなかった理由であったとしたら、これほど人道を省みない外道の所業であります。

加藤防衛庁長官は自衛隊のヘリでその日の夜のうちに墜落現場を視察しています。
しかし、救助命令はださず一晩傍観しています。
さらに、現場に到着して今まさにロープを下ろして救助に向かおうとした米軍のヘリも命令により帰還させられています。
このヘリの音を生存者の落合さんは、はっきりと聞いて自分も救助を叫んでいます。






それでは最後にJAL123便に対して、どのようにしてミサイルが撃ち込まれたのでしょうか。そのあたりの状況について説明しましょう。
JAL123便が墜落する前に、次の3機の自衛隊機が周辺を飛行していたのです。

F−4EJ戦闘機 ・・・・・ 2機
F−15J戦闘機 ・・・・・ 1機


長野県南相木村中島地区の住人3人の証言で飛行機が飛んで行った後から、流れ星のようなものが近くを飛んでいるのが見えた。
とあります。

ここでいう「流れ星のようなもの」とは、明らかにミサイルの航跡であったと考えられます。


機体がミサイルで爆破されたのではないかと思われるもうひとつの証拠と考えられるのは、乗客・乗員の遺体の損傷があまりにもひどかったということです。520人のうち、本当にきれいな遺体は10体程度といわれています。

とくに機体の前部については、飛行機らしい形をとどめておらず、アルミホイルを千切りにして、ばらまいたようになっているのですから、遺体も肉片になってしまっているのです。
山に激突したとはいえ、あれほどひどい事にはならないと専門家もいっているのです。それでいて、機体後部の乗客・乗員はそれ程ひどい状態にはなっていないのです。生存者(落合さんも)も機体後部から見つかっています。

それに機体前部では、歯や肉片だけで、遺体そのものが発見されていないケースが多かったといわれています。おそらくミサイルの痕跡を示す遺体はすべて自衛隊の特殊部隊が持ち去ってしまったと思われます。


とくにコックピット内は、焼き尽くされ何もなく、操縦クルーの遺体もなく、ただ歯が残されているのみという状況であったといわれます。いかに激しく地面にぶつかったとはいえ、遺体の一部は残るはずです。
コックピット部分には燃料タンクはないのに焼け爛れていたといわれ、その状況は、まるで火炎放射器で焼いた跡のようであったといいます。
機首前部付近には遺体がまったくない状態であったようです。


かくして、JAL123便は国家の犠牲になり、その後完全に隠匿される事になるわけですが、しかし、完全に隠蔽出来る訳もなく、権力の移行に従い、そこからは腐臭がもれ匂ってきています。
おそらくこの事件は戦後自民党の最大のスキャンダルであり、自民党だけではなく日本という国家の根幹をも揺るがしかねない、大事件である事は疑いありません。
今後どのような形で推移するのか興味をもって見守りたいと思います。

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