世の中、積極的政策、勇猛果敢、威勢のいい言葉、イケイケドンドンがもてはやされます。停滞している(と思われている)世情には現状を打破するという試みが頼もしく映るのでしょう。古くは、聖域無き構造改革、少し前では大阪の前市長、最近ではイギリスのBrexit、アメリカの大統領選などがこれにあたるのかも知れません。これらの中には後から見て正しいものもあれば、そうでないものもあるでしょう。

 政治の世界についてはよくわからないのですが、医学の世界にも多かれ少なかれこの傾向はあるようで、待機的に見ているより積極的介入が好まれるようです。たとえば弁膜症ガイドラインでは一次性重症僧帽弁閉鎖不全症に対する治療は、無症状で心機能が保たれていても、形成術が高い確率で可能なら早期に手術となっています。だいぶ前になりますが、アメリカの某大病院からearly surgery群の方がwatchful waiting群よりも予後良好であるというデータが出てきたときには、無症状の人に手術するのか、術中に脳梗塞を発症することや、術後に収縮性心膜炎を発症することもないではないのになぁ、と違和感があったものです。当時、とある学会で同席したアメリカの某病院(某大病院とは違う施設)の某先生は、watchful waiting群の成績が悪いのはデータを出してこられた某大病院の先生が外来でちゃんと患者さんを診ていないからではないか、と冗談っぽく言っておられました。

 さて最近、大動脈弁狭窄症に対するearly surgeryの話題がよく見られるようになりました。無症候性高度大動脈弁狭窄症に対してearly surgery群の方がwatchful waiting群よりも予後良好であるというのです。古い頭の私には、これも違和感があります。無症状の方が突然死を発症する率は、大動脈弁置換術を受けた際の危険率より低いので、症状が出るまで手術しなくてよいと教わってきたからです。どうもTAVIが出てきて、大動脈弁狭窄症の侵襲的治療が随分手軽に思われているようです。Early surgery群を良しとするのはTAVI時代の内科医の発想ではないでしょうか。弁置換術後のいろいろな合併症を知っておられる外科医の発想ではないような気がします。しかしイケイケドンドンが好まれる昨今、そのうちにearly surgeryが当たり前になるのかも知れません。確かにイケイケドンドンは医学の進歩に必要です。今でこそ当たり前になったカテーテル検査ですが、カテーテルを初めて体内に挿入したフォルスマンが当初大変な非難を浴びたことはよく知られています。しかしどこまで行くのでしょうか。この調子でいくと中等度無症状の大動脈弁狭窄症でも、将来どうせ高度狭窄症に進行していくのだから早期に手術を、と言われるようになるのかも知れませんね。どのような方針に落ち着くにせよ、私としては頭をできるだけ柔らかくして新時代に備えたいと思います。