2011年10月16日
マタイ6章24節、ヘブル12章2節 「集中力」
アリ牧師
(二兎を追う者は一兎をも得ず)
マタイの福音書6章24節に「だれもふたりの主人に仕えることはできません。一方を憎んで他方を愛したり、一方を重んじて他方を軽んじたりするからです。あなたがたは神にも仕え、また富にも仕えるということはできません。」とあります。お金と神の両方に私たちが集中することは不可能です。たとえそうしようとしたところで、力が湧くこともなければ、神様の恵みを十分味わうこともありません。結局中途半端に終わるのです。
集中することは神様の働きであり、私たちの力ではありません。私たちの中にいる主ご自身、御霊ご自身が私たちを集中させてくださいます。
時間とエネルギーをどのように配分するか
強みに割り当てる
皆さんには強みがあります。ただ自分自身にある強みではありません。自分を愛し、自分を変えて下さる方がおられる、という強みです。
第一テモテの手紙1章12節に「私は、私を強くしてくださる私たちの主キリスト・イエスに感謝をささげています。なぜなら、キリストは、私をこの務めに任命して、私を忠実な者と認めてくださったからです。」とあります。イエス・キリストによって恵みが与えられたことを、パウロ自身が自分の強みとして認識していたことがわかります。
愛する皆さんの中にも主の恵みが与えられているので、パウロと同じような強みがあるはずです。その強みに私たちはいつも目を向けることが大切です。このことを私たちは忘れがちではないでしょうか。
イエス様を信じたと認めるだけでは不十分です。イエス様は私たちのために多くの犠牲を払われたばかりでなく、私たちに目を向けて集中してくださいました。このことを忘れたために、いかに自分自身の力で生きているかを誇示したり、他人の言動を真に受けて反応したりすることが多いのではないでしょうか。
集中する前に、もう一度自分の救いを思い出してください。自分の必要性や自分の持っている物を思い出してください。自分がどれほど神様に愛され、生かされているかを理解することができ、私たちの中で集中する力が身につくはずです。
新しいことに割り当てる
成長とは変化することです。「誰でもキリストの内にあるなら、その人は新しく造られた者」(第二コリント5章17節)であるということです。あなたがイエス・キリストを信じれば~しなさい、とはどこにも書いていません。まず生まれ変わらなければ神の御国を味わうことができません。
私たちは「何をすべきか」と律法的に考えることがあります。ただ私たちは神の恵みに集中するわけなので、私たちが何をすべきかを考えることではなく、このキリストによって変わるかどうかが重要となります。イエス・キリストによって新しい思いや行動に出会うと、自分の持つスタイルすべてが変わり、自ずと新しいことが成し得るのです。
弱い点に割り当てる
自分でできないことは他にゆだね、頼っていくことです。自分の弱さを責めることではありません。ワンマンなリーダーは何もかも自分でしようとしますが、自分の弱さを見ていないので指導することはできません。本物の指導者は自分の弱さを知るからこそ神様にゆだねることができます。
パウロも自分の弱さを取り除きたいと願い、そのことで3度も祈りました。ところが彼は、取り除きたいとするこの弱さが、自分の手で触れるものではなく神様が入る場所だと悟ります。自分の弱さというものは、イエス・キリストのためのゲストルームであり、イエス・キリストご自身がとどまる部屋なのです。
集中力を失った時の対処法
日々キリストによって自分を向上させる
主イエス・キリストの内にあるなら、私たちは新しくされます。イエス様は「見よ、わたしは世の終わりまで、いつまでも、あなたがたのそばにいます」(マタイ福音書28章20節)と言われます。決してあなたを見捨てないと言われるイエス様こそ私たちにとって成長の原動力です。ですからどんどんレベルアップしましょう。
もし、明日も今日と同じ過ちを犯すなら、神様の御心に従って生きていることにはなりません。それは単に私たちが怠けているだけのことです。集中すれば必ず今の問題が見えるようになり、必ず明日への希望につながります。私たちはいつまでも同じ場所にとどまることはないのです。
自分の最優先事項に取組む
これは信仰の闘いです。信仰のために汗を流すことがあります。しかし私たちはそのために自分にとっての優先順位を見失うことがあります。伝道することなのか、それとも家族を見ることが大事なのか、と迷ってしまうことがあるかもしれません。テモテへの手紙の中でパウロが強調していることは、救われた人間がすぐに奉仕をすることではなく、自分の家族をまず整えていくことの大切さでした。奉仕したら神様が喜ぶと思うのはただの勘違いでしかありません。
確かに奉仕は素晴らしいことですが、それは神様にとっての最優先事項を守った上での話です。ですから時に奉仕には犠牲が必要になります。
強みを生かす
強みとは賜物です。強みは神様の栄光をあらわすだけではなく、あなたの集中力になります。たとえ苦しいことがあっても、強みを持ってさえいれば、乗り越える喜びを味わうことができます。
私たちにはそれぞれの現場というものがあり、心と力を合わせて一緒に働く同僚がいます。家族という現場にあっては自分の妻や旦那さんがあなたの同僚です。教会では隣に座っている人が祈りの同僚、時には奉仕の同僚にもなります。そこであなたの賜物と同僚の賜物が合わさると、豊かな実を結びます。
ローマ人への手紙1章12節で「あなたがたの間にいて、あなたがたと私とのお互いの信仰によって、ともに励ましを受けたいのです。」とパウロは言っています。お互いの賜物を合わせていくことが大切です。
集中力を高めるために!
焦点を強みに移す
この教会が始まった時、数回にわたる礼拝場所の移動、イスの不足、様々な問題がありました。そんなときでも当時のスタッフが、ごく少数であるにもかかわらず、教会に集中してくれました。誰がいつ辞めてもおかしくない状況が続く中、やがて救われる人々や教会に戻ってくる人が現れました。そして協力者にも恵まれました。J’s Tableはこうして今に至ります。当初のスタッフたちが焦点を定めて集中的に祈ったことが、このように強みとして実ったのです。
弱い点を神とスタッフに任せる
もし自分に弱さがあるのなら、自分の代わりとして他の人にやらせてみることです。そのためにも自分の弱さを他の人に伝えてください。「私はこんな点が弱いので、支えてください」「私のこの弱さのために是非祈ってください」と頼んでみましょう。
自分のレベルをアップする(ビジョンを持つ)
イエス様を信じること、つまりイエス・キリストによって変わることは、私たちがまずビジョンを持ってそこに集中することです。ですからビジョンを持ちましょう。将来どんな会堂がほしいのか、どんな賛美をささげたいのか、どんな奉仕をささげたいのか、という具体的なビジョンを、どんどん神様のもとへ持っていきましょう。また、この国の中で自分は何ができるのかといった大きなビジョンまで持つこともできます。
私には、教会と教会を繋げる架け橋を作りたいというビジョンがあります。また宣教のために海外に事務所を構えたいというビジョンもあります。そこで豊かな関係とコミュニティーを作りたいと願っているのです。
自分に与えられたビジョンは神様にゆだねましょう。アーティストは神です。パウロはローマに自由人として行くことを願っていましたが、実際には囚人としてローマに行ったのです。どんな形であれ、結果として彼はローマに行くことができました。その形を作られたのは神です。
ビジョンを持つことで、私たちの人生には神様の形が必ず現れます。この神に集中してみましょう。そうすることによって自分の賜物、または自分のビジョンが必ず見えてくるはずです。集中しましょう。


今週のメッセージ、その週に個人的に向き合っていたみことばとどんぴしゃで、かなり恵まれました。
与えられたタラントはそれぞれ違うんだっていうことがよく分かりました。自分が与えられたタラントが何かを知って、忠実に最大限に生かしていきたいです!