20111023

新約聖書 黙示録113節 「主からの特別な祝福」

アリ牧師

 

1、イエス・キリストの黙示

黙示録を書いたのは弟子の中でも一番若いヨハネです。彼は他の弟子たちと同様、迫害の中にあっても福音を伝え続け、その結果パトモス島に流されました。当時その島に送られることは死んだも同然と考えられていました。しかしヨハネはその島で直接神様と会い、啓示を受けました。最も厳しい状況の中で、神様がヨハネの前に現れたのです。神ご自身の栄光とその人格は、ヨハネを通して多くのリーダーたちにも伝えられ、やがてすべての教会(7つの教会)に行き渡ります。

黙示とは、色々な場面に隠されている神様からの啓示です。私たちは神様を直接知ることや表現することはできません。しかし神様は、ご自身の存在や栄光、そしてその力を私たちに示されることがあります。それが黙示です。

 その黙示録の最初に書かれてあるのは『イエス・キリストの黙示』です。ヨハネの黙示ではありません。この点が重要です。イエス・キリストご自身が、ヨハネのところに現れようとしています。

ここでまず覚えたいことは、黙示録が預言だということです。

次に、黙示が神様ご自身を支配者として表していることです。「わたしはこの世を創造した偉大な神である」と、神様は私たちに語りかけてくださいます。これが黙示です。

そして3つ目に、黙示録は手紙であることです。神様は、あらゆる方法や道徳的な考え、霊的な支えをこの手紙を通して私たちに用意されました。この3つのテーマを覚えましょう。

 

2、すぐに起こる(スピード)という意味

ではこのイエス・キリストの黙示は私たちにどのように現されているでしょうか。11節に『これはすぐに起こるはずのことを、そのしもべたちに示すため、神はキリストにお与えになったものである。そしてキリストはそのみ使いを遣わして、これをしもべヨハネにお告げになった』とあります。

三位一体という言葉を使うとき、父なる神、御子のキリスト、聖霊、それぞれがどのような働きをしたかが問題となります。ここでは「神がキリストにお与えになった」とあるので、父なる神はすべての計画を備えるアーティストであり、御子のキリストは父からそのアートを渡され実行する者となります。そしてその実行されたものを守るのが聖霊の働きです。

アートを渡されるイエス様には必ず天使、つまり遣わす人がいます。父なる神がアーティストで、御子イエス・キリストが実行者なら、御使いはイエス様の言葉を運んで渡す布告者です。御使いはヨハネにイエス様の言葉を渡しました。

その言葉のはじめに「すぐに起こるはず」とあります。ただここで伝えているのは、この時点から実際に事が起こるまでの時間的長短ではなく、事が起こった後に続くアクションの速さです。ひとたびこういう事が起きると、後の展開があっという間だということです。

イエス様が御言葉を伝えてから二千年もの月日が経過したいま、起こるべきものに私たちはだいぶ近づいていると考えられます。もちろんいつ起こるかはわかりません。しかしひとたび起こってしまうとあっという間なのです。

 

3、示す

2節には『ヨハネは、神のことばとイエス・キリストのあかし、すなわち彼の見たすべての事をあかしした』とあります。「あかし」とはイエス・キリストの人格から幕が取り払われることです。

教会では礼拝やメッセージのほかに人々の交わりがあります。交わりの輪の中で、キリストは私たちの隣人を覆い隠してきた幕を取り除き、証しが示されます。キリストが隣人の中に働きかけたとき、私たちはキリストの恵みを味わい、神様によって用意されている祝福を確信するのです。

ひとりひとりの中に同じイエス様がいます。私たちの中におられる聖霊と同じ聖霊さまが隣人の中にもおられます。それぞれの中にいる聖霊さまが、どれも同じ働き方をするわけではありません。しかし交わりや証しを通してイエス様の恵みを示します。

それまで誰にも言えなかった秘密でも、交わりの中では告白できることがあります。それは交わりを共にする人たちの中にイエス・キリストを見たときです。「その人」だから秘密が言えるのではありません。彼らの中のイエス様を見るので告白できるのです。ですから人間的な考えをもって人を見る必要はありません。その人の中におられるイエス様を探してみましょう。そうすれば人生がより一層まばゆい輝きを放ち、更に前進することでしょう。

 

4、御使い

「御使い」という言葉はギリシャ語で、人間に対しても使われます。ですから神様が私たちを「御使い」として使われることも十分あり得ます。神様は私たちを通してご自身の姿を示され、ご自身のメッセージを人々に渡そうとされているのです。

教会の中で悲しむ人を見たときには、ただ祈るだけでなく、その人に愛していると伝えてください。神様があなたに見せたこと、あらわしたことを、今度はあなたが伝えることによって、その人にキリストを持ち込んでください。神様は私たちひとりひとりを通して、色々なことをお互いに示そうとしているのです。

 

5、ヨハネはこの黙示を預言と呼ぶ

3節には『この預言のことばを朗読する者と、それを聞いて、そこに書かれていることを心に留める人々は幸いである。時が近づいているからである』とあります。ヨハネははっきり「預言」と言い切っています。黙示は単に神様を表すことだけではなく、神の預言でもあります。すでに「時が近づいている」から「すぐ起こる」と知らせているのです。

 

6、時が近づいているからである

イエス様は「悔い改めなさい。天の御国が近づいている。」(マタイ福音書417節)とだけ伝えました。それ以上のメッセージは一切なくシンプルに呼びかけました。イエス様は預言されていることが必ず起こるから目を覚ましなさいと注意しているのです。それを聞いた人たちは後に指導者となりました。

ギリシャ語で「聞く」という言葉は「聞きながら知る」という意味です。聞いたことを真摯に受け止め、理解して心に留めることです。

みなさんには聞くだけでなく、心を留めて人々に伝える祝福が用意されています。黙示録は私たちにそのことを教えています。神様の目的の中であなたが選ばれ、あなたに神様が示されることだけではありません。今度はあなたを通して、その神様の祝福を多くの人々に伝える用意をしてほしいと思います。なぜならあなたの中にもイエス様がいるからです。伝えることで、あなた自身が祝福を受けるでしょう。逆説を言うなら、イエス様を伝えないことは、伝える相手が受けるべき祝福を、私たちが止めてしまうことと同じです。

以前私は倉庫でお客様の荷物を搬出する仕事をしていました。お客様からの注文に応じてどんどん荷物を搬出します。ところが注文が来ない荷物は放置されたままほこりをかぶっています。「注文がくればすぐに出せるのになあ」と思いながら、私はほこりをかぶった荷物をよく掃除したものです。

神様の倉庫には私たちの祝福がたくさんあります。あなたが伝えることで、その倉庫からあなたの届け先に祝福がどんどん出荷されます。これこそ神様が用意している黙示録です。

 

これが黙示録の始まりです。黙示録では確かに恐ろしい話が展開されます。しかし、まず始めに、どれほど私たちが偉大な神に愛され、どれほど神様が私たちにご自身を示したいか、どれほど神様によって私たちが生きてほしいかという想いが示されている、ということをぜひ覚えましょう。

私たちが特別な祝福を受けるために、あらゆる人が動いています。その祝福は具体的にはなかなかわかりません。ある人にとっては癒しかもしれません。またある人にとっては救いかもしれません。

私にとっては家族の救いがその一つでした。何年も前に、私は母国の家族に自分の信仰告白をしました。「キリストが本当の神です。迷った時にはこの方に頼るしかない」と伝えたのですが、このときは誰も私の話に耳を傾けようとはしませんでした。ところが後になって二人の姉が救われました。一人は洗礼も受けました。彼女の子供たちもすでに4人が救われています。不思議なことですが、これが私に対する主からの特別な祝福です。あなたにも必ず主からの特別な祝福が用意されているのです。

愛するみなさん、時は近いのです。ですから油断してはいけません。目をさまして下さい。このキリストを見つめることで、私たちはあらゆる面で解放されることを知ることができます。ですから交わりを大切にしましょう。交わりの中で神様があなたに現れます。

そして、神のことばとキリストの証しに耳を傾け、信仰に集中しましょう。そうすることで、自分の人生に主からの特別な祝福を味わうことが必ずできるでしょう。祝福はもう用意されています。

次なる祝福を期待してお祈りしましょう。