2011年10月30日
黙示録1章4~8節「常にいまし、昔いまし、後に来られる方」
アリ牧師
今日のテーマ『常にいまし、昔いまし、後に来られる方』に注目してみましょう。
手紙の書き出しで「誰が書いているのか」や「誰に対して書かれているのか」をはっきりさせることは、ギリシャ人やヘブル人にとって大切な習慣でした。
しかしこの「誰」の部分が具体的に明示できない場合もありました。それはその手紙の筆者が女性の場合です。女性や奴隷の立場があまりにも低かった当時、彼らが自分たちの名前を手紙で書き残すことは許されていませんでした。そのため、筆者が不明であることもしばしばありました。
黙示録ではギリシャ語が巧みに使用されてありながら、ヘブル語が霊的に組みこまれています。『ヨハネからアジヤにある七つの教会へ』(4節)の中で、ことさら「7」という数字が強調されています。「7」は「完全」を表しているので、「7つの教会」といえばそのまますべての教会を指します。そしてこの7つの教会それぞれにあらゆる可能性が隠されているのです。
だから黙示録は、実際に書かれたその時だけのメッセージではありません。すべての教会に対して発せられ、普遍的な意味を持つメッセージなのです。
恵みと平安があなた方の上にあるように
ここで「恵みと平安が私たちの上にあるように」という祈りの言葉が含まれています。というのも、この「恵みと平安」が三位一体の神(父なる神、聖なる神、子なる神)から与えられたものだからです。
私たちには、生まれる前からすでに神様の恵みが用意されています。そして私たちが、その恵みの中で生かされ、恵みによって神様に迎えられています。それが私たちの立場であり、アイデンティティです。だからこそ私たちは胸を張って生きることができます。
この三位一体の計画の中に、絶対的な恵みと平安があります。そもそも3という数字は絶対的なものを表します。イエス様はゲツセマネで3度も祈り、3日目に復活しました。魚に食べられたヨナも3日目に助け出されました。三位一体は、絶対的な恵みと平安が私たちに起こることを教えているのです。
1、父なる神から:常にいまし。昔いまし。そして後に来られる方から
すべての計画が天のお父さまの中にあることを表しています。この記述は一見すると、単に時間のことを記しているように読めます。ところがギリシャ語で読んでみると、むしろ時間の区切りというものはすでになく、神様がいつまでもそこにおられることだとわかります。すべての計画はその神様の中にあります。
「後に来られる」は、単純に未来のことを意味するわけではありません。「必ず答えに来るよ、片付けに来るよ」という神様からのメッセージです。それはまた「必ず終わらせる時が来るよ、さばきの時が来るよ」というメッセージでもあります。
2、聖なる神から:その御座の前におられる七つの御霊から、
ここに「七つの御霊」とあります。絶対的な聖霊さまの働きが、色々な視点から様々な人たちを通して語られるということです。聖霊さまは、一つの方法、一つの形で働きかけるわけではありません。あらゆる人を用いながら色々な方法を通して聖霊さまは私たちに語ってくださいます。
3、子なる神から:忠実な証人、死者の中から最初によみがえられた方、地上の王たちの支配者であるイエス・キリストから
「地上の王たち」とあるので、イエス・キリストの権威は、ユダヤ人だけに限定されるのではなく、異邦人も含めたすべての人に及んでいることがわかります。イエス・キリストの栄光がすべての人にあるようにとの祈りがここで込められています。
キリストに栄光と力がとこしえにあるように。(5~6節)
これまで見てきたとおり、私たちは神様の栄光の中に存在します。この栄光が私たちの前でどのように現われるかについて考えたとき、この5~6節から次の3つのことがわかります。
1、私たちを愛して、その血によって私たちを罪から解き放ち
まず神様は私たちを愛しておられるということです。愛は実体であって説明ではありません。「愛しているよ」という言葉をただ発しただけでは何にもなりません。「愛している」ということは「誰かのために自分自身を捧げる」ということであり、「私はあなたのために死んでもいいよ」と伝えることなのです。イエス様はそのような愛を、ご自身がわざわざ犠牲を払ってまで私たちに教えてくださっています。
「その血によって私たちを罪から解き放ち」をギリシャ語で読むと、その血の中で私たちを洗っているということです。だからそこには「あなたの罪は一つも残っていない、全くきれいだよ」というメッセージも含まれており、私たちはイエス・キリストの血によって救われていると理解できるのです。
2、私たちを王国とし
神様は私たちに生きる力や判断できる力まで与えて下さっているということです。「イエス・キリストの御名によって」と祈るとき、イエス様の権威が与えられていることをぜひ知ってください。強く信じて祈りましょう。
3、ご自分の父である神のために祭司としてくださった方である。
祭司は、罪びとを神様の前につなげるパイプ役を担います。それも権威あるパイプです。「あなたは最善最高のつなげる人だ」と黙示録は教えています。
見よ、来られる(7節~8節)
見よ、彼が雲に乗って来られる。すべての目、ことに彼を突き刺した者たちが、彼を見る。地上の諸族はみな、彼の故に嘆く。しかり。
「雲に乗ってこられる」とは、イエス様がすべての人を見渡すということです。「突き刺した者」とは十字架に掛けられたイエス様を実際に槍で突き刺した人物に限定しているわけではなく、イエス様を裏切った者全般を指します。
たとえイエス様を信じていても、まるで槍を突き刺すようにイエス様を裏切ってしまう人が、この世の中にはたくさんいます。ユダがその代表ですが、もしかするとそれは自分自身かもしれません。イエス・キリストから離れて自己中心に生きる人はみな「突き刺す人」なのです。
このイエス様が「来られる」時に「突き刺す」人たちは苦しくなります。ここに「嘆く」という言葉があるのはそういう意味です。
イエス様が「来られる」と聞いて、救われているみなさんなら喜ぶと思います。ただもし自分の家族が救われていなかったらどうでしょうか。私たちの家族が苦しい涙を流して泣くことになります。だからこそ私たちは真剣に忠実に考え、忠実に祈り、イエス様がいらっしゃる時が少しでも遅くなるようにと祈る必要があるのです。
しかしイエス様は必ず来られます。「しかり」とあるので必ずそうなるのです。
常にいまし、昔いまし、後に来られる方、万物の支配者がこう言われる。「私はアルファであり、オメガである。」
「アルファ」と「オメガ」とは、それぞれ最初と最後という意味です。この世の初めであり、この世の終わりでもあるという意味です。イエス様が最初であり最後です。
最初の言葉を語ったのは神ご自身です。神様による最初の言葉によって、人類が創造されました。そしてイエス・キリストによる一つの言葉で多くの人たちが救われました。最初の言葉が神であり、最後の言葉も神です。最初の行動も神であり、最後の行動も神です。
大事なことは、必ず終わりが来るということです。主はすべての支配者であり、すべての上に物事を決めるお方です。イエス様は必ず来られます。ですから私たちの祈りとこれからの活動がどれほど大切かがわかります。
その私たちが活動するために、私たちが今どこにいるかを知る必要があります。私たちが何をすべきかを考えることではありません。私たちは三位一体の神による、絶対的な力の恵みと平安に包まれていることを知りましょう。そして神の栄光はこの私たちにもあります。この神の栄光を、今度は誰に渡す必要があるかを思いながら、どうか祈る心を持ち続けてください。
祈りましょう。


この変わらない平安と恵み、またキリストの栄光は二人の上に、またJ'sの上に豊かにあることを感謝します。