年内での解散を発表した時間堂。その解散公演を前に、自身の演劇観や時間堂という劇団との出会いや思い出、そして最終公演『ローザ』について語った劇団員ロングインタビューです。(聞き手:松本一歩)
第六弾は時間堂の堂主/演出家の黒澤世莉です。前編と後編の二回に分けてお送りします。前編は、時間堂の20年の歴史についてのふり返りです。
黒澤世莉プロフィール http://jikando.com/member/seri.html
「時間堂史のふり返り」
ーそもそも「時間堂」という名前の由来は?
40歳になっても恥ずかしくない名前がいいなと思いました。「何で英語なの?」ていう謎のヘビメタみたいになってるとダサいなと。その「ダサさがいやだ」みたいなことはずっと俺について回るひとつの大きい問題で、「全然日本語のがクールでしょ」ってわけで「時間堂」にした。今は日本語の劇団名も増えたけど、昔は少なかったんですよ。結果的に40歳になっても恥ずかしくないなと思ってるけど、「堂主」は恥ずかしいからやめておけばよかったなってずっと思ってる。だから人は俺のことを「堂主」って呼ぶけど自分ではほとんど言ったことがない。これは失敗だった。そういう失敗は随所にあって、初期(1回目〜6回目)の公演に「目」が付いているのも、「1回公演」とか「第1回公演」とかでよかったのに、わざわざ「目」を入れて変化を出そうとしているのが今となっては恥ずかしい。若いころの「何か特別なものになりたい」とか「変化を付けたい」とかいう自意識過剰さを許せないなって思う。「昔の自分恥ずかしい」って思います。7回公演以降は「『目』いらねえな」って、消しました(笑)。
ー1回目から3回目までの会場がギャラリー・ルデコですね。
ギャラリー・ルデコを初めて演劇で使ったのは時間堂です。デザインフェスタ(※)が始まったばっかりの時に、もともと友達とやっていた「AGE virus factory(Avf)」っていうアーティストグループとして出てました。そこでルデコの人と出会ってルデコに出入りするようになって、ラウンジイベントをやったりフリーペーパーを作ったりっていうことを3年くらいやっていて、それで演劇もルデコでやるようになりました。そうこうしているうちに王子小劇場が出来て。王子小劇場って今でこそすごく有名だけど、当時は出来たばっかりで、まだ知られてませんでした。王子小劇場の上にインキュベーションオフィスとか「狐の木」ていうバーがあったりして、いろんな若者が集まってたんだよね。Avfもオフィスを借りて、俺は「狐の木」の店長になって、演劇も王子小劇場でやるようになった。
(※ 東京ビッグサイトで開催されるオリジナルであれば審査無しで、誰でも参加する事ができる国際的なアートイベント。)
「即興とスペクタクル」
1998 1回目公演 『三人三色』作 黒澤世莉 Gallery Le Deco
最初の頃の三本(『三人三色』『彼女とハサミ』『新型家族』)は即興でやっていました。「俳優がいれば物語はいらない!」「俳優が真実でそこで生きていれば、おもしろくなるのだ!」って言って三回やった結論としては、「うん、即興だといい時はすごいいいけどダメな時はてんでダメだね!」っていうことが分かって、「台本って、大事なんだね」っていうことが分かった。『三人三色』は最後に花火を使う演出をした。「一回性」がすごい大事だと思ってたんだよね。演劇って一回で生で消えてしまうから、その一回性がすごい大事なんじゃないかなって当時の僕は思っていたようで、だから花火。花火の匂いや煙や温度感は、映像じゃ表現できないから。
1998 2回目公演 『彼女とハサミ』作 黒澤世莉 Gallery Le Deco
2回目公演の『彼女とハサミ』っていうのは、そのタイトル通り俺がすごい髪を伸ばしていて、その髪を切られるっていう話。髪を切られてなくなっちゃうので2ステしかできなかった。結果、「一回性って別になくてもいいよね」「なんかそういうことじゃないね」って気が付いた。そうやってひとつひとつ地道に気が付いていくというか、こうやってふり返ってみると、ほんとに俺はやってみないと分かんないんだなって思う。アホなんだな(笑)。普通考えたら分かることを、やってみないと分かんないんだよね。
1998 3回目公演 『新型家族』作 黒澤世莉 Gallery Le Deco
『新型家族』はまだ台本がない頃のやつなんだけど、この頃から白い衣装を着て俳優だけで見せるみたいな事や、音響なしとか、そういう意味では今やってることとあんまり変わらない。ただ当時は最後のシーンはスペクタクルが好きで、『三人三色』では線香花火が燃えて燃えきったら終演。『彼女とハサミ』だと本物の髪が短くなって、『新型家族』は真夏にみんなでひまわりの絵を描いて、最後にそれを振り落としでルデコの壁全体がひまわりになって終わる、てことをやった。ラストシーンから想起するみたいなことをずっとやってます。こないだの『ゾーヤ・ペーリツのアパート』(2016)でもそうだよね。「こんなラストがある」というところに帰結させていく、みたいな感じはずっとあるかもしれない。
「サイキックな稽古」
ここまでは台本はなくて、プロットだけ稽古で決めて、何を話すのかはほんとにその場の即興。よくそれでやろうと思うよね、怖いもの知らずだよ20歳、21歳。恐ろしい。まだマイズナーテクニックと出会う前だから、やっている稽古もものすごいサイキックな感じだった。「相手の考えていることがわかるようになろう」「相手がイメージした色を分かるようになろう」みたいな実験をしてた。でも結構分かったんだよね。それが意味があるかどうかは分からない。観察力とかはきっと上がったんだと思う。
1999 4回目公演 『友達の賞味期限』作 黒澤世莉 王子小劇場
『友達の賞味期限』からは台本を書くようになって、場所もルデコと王子小劇場を行き来するようになるんだけど、当時の王子小劇場はガラ空きだったからいつでも使えるっていう非常に便利な会場でした。『友達の賞味期限』はそういうわけで即興で作っていって台本に起こすみたいなことをしたのか、俺が台本を書いたのかは今はもうあんまり覚えてないです。次の『びょういんのパズル』ぐらいまでは出演する人が大体みんな一緒でした。初期メンバーみたいな感じ。『友達の賞味期限』では、ラストで王子小劇場に雨を降らせて歌う、Singin' In The Rainみたいなことをした。その後劇団員になるキムラマナコが作曲した歌をみんなで歌うっていう。生演奏とか生歌っていうことは当時からやってた。ちょうどこの頃、誰にも何にも言わずに稽古を休んでフラッとロンドンに行って、『RENT』にすごい影響されたっていうこともあった。「あ、演劇って音楽に勝てねーな」って思ったのも今ではいい思い出ですね。若かったなぁ…、21歳の俺。ちなみに帰国後、ものすごく怒られました。
2001 5回目公演 『びょういんのパズル』作 黒澤世莉 王子小劇場
オーストラリアに行く(※)前にちゃんとした公演をやろうというので、きちんと台本を書いて演出して自分も出演して『びょういんのパズル』をやりました。それまでは2〜4人芝居ばっかりだったからね。最後に今は「trico!」やっているピアニストの良原リエさんと縁があったから、出てもらってずっと生ピアノが流れてるってことをやりました。『友達の賞味期限』も『びょういんのパズル』も一幕物で、一幕劇を書いていた。『びょういんのパズル』をやって、オーストラリアに行って帰ってきました。
(※ Victorian College of the Arts 受験のために渡豪。詳しい経緯は後編にて。)
trico! http://tricolife.com/
「サイトスペシフィック、場所の魅力」
2003 6回目公演 『ピンポン、のような』作 黒澤世莉 王子小劇場
で『ピンポン、のような』をやるんだけど、これは「演劇の一回性」はともかく、生でやることのおもしろさについてはすごく考えてたみたいです。サイトスペシフィックとまではいかなくても、舞台美術を建て込むんじゃなくてその場所の魅力をごちゃごちゃせずに出せるといいなと思っていて。美術も衣裳も簡素で、音響もほぼないし、王子小劇場で平台で囲んで、パイプ椅子を置いて、劇場にある適当なガラクタと、卓球台だけ借りてきて、「ここは温泉旅館の使われてないものが積みあがっている倉庫だ」をつくった。温泉旅館の中でたまたまばったり出くわした人たちの悲喜こもごもというお話。当時はどっちかっていうと60−90分くらいでサクッと観られるちょっとふわっとしたお芝居をやっていた。「隙間を大事にしてます」みたいなことを言ってたかな。「生きているのもそんなに悪くないなって思えるようなお芝居が出来たらいいな」とか言ってた気がする。24、5の俺。
「素直に、年間6公演」
で、奇しくも今年解散した「トリのマーク(通称)」っていう劇団の柳澤さんと、岸田國士の『紙風船』をやるっていう企画があった。その時柳澤さんが「演劇をやっている時間よりもバイトの時間が長いと、演劇やってますって言いにくいよね」みたいなことを言っていて、いや全然正確じゃないですよ、そんなふうに聞こえました。で、「そうですよね」って思って、次の2004年は年に6回公演をすることにした。思い返してみると俺はすごいアホで素直なんだよね。言われたことにすごく影響を受けるし、「じゃあやってみよう」と思ったことはやっちゃってるよね。このひと大丈夫かなって思う(笑)。
2004 7回公演と展示 『画廊にひとがこないいくつかの事情』作 黒澤世莉 Gallery Le Deco
『画廊にひとがこないいくつかの事情』に関しては、ルデコだから画廊の話にしようと。友達のアーティストの田口日月とか、青空洋品店のAZUさんに展示物をお願いして、俳優たちが作家の役をやる演劇。とつぜんだけど消え物がすごく好きです。チーズフォンデュを作って食べた。お芝居の最初から「チーズフォンデュを食べよう」って作っていて、そのうちすごい大人しくて可愛らしい女の子が黙ってそれをモリモリ食べていたら、すごい酒乱だった、みたいな話をやった。結局その子は全ステージチーズフォンデュを丸々一人で食べていて、役者魂だなって思った。たしかワインも本物使ってやってたんじゃなかったかな。だから「本物である」みたいなことに意味や価値を感じていたようですね。アホだよ俺はほんとに。
2004 8回公演 『気がついたときにはいつも』作 黒澤世莉 王子小劇場
次の『気がついたときにはいつも』っていうのは菅間馬鈴薯堂(すがまぽてとどう)という大先輩との合同公演で、同じ舞台美術で二作品やるという企画だった。王子小劇場を地方の旧家の蔵に見立てて、お葬式の時にそこに集まってくる人たちの話。一番最後にお葬式をされていた張本人の長男が実は生きていて出てきて、それまでの話が全部台無しになる(笑)。
2004 9回公演 『紙風船』作 岸田國士 王子小劇場
『紙風船』は、岸田國士の『紙風船を』すごくスタンダードにやりました。これはPRE FIXっていうイベントで7劇団くらいの合同公演で、その中の3劇団が『紙風船』をやるっていう企画でしたね。
2004 10回公演とカフェ 『甘いものを食べる。それが一番よい。』作 黒澤世莉 Gallery Le Deco
次の『甘いものを食べる。それが一番よい。』も書き下ろしで、ルデコの一階のオシャレなスペースでカフェをやって、お芝居もみせるみたいなことをやった。バッグパッカーのとき出会った山田さんっていう友だちがすごい料理が上手かったから、お願いして料理を作ってもらって、俺がコーヒーを淹れて、みたいな。カフェでばったり出くわした1シーンを演劇として見せるみたいなことをやってた。トリプルキャストで。なんで俺はトリプルキャストにしたんだろう(笑)。渋谷の街中や雑踏と組み合わせて、ほんとにカフェで出くわした、みたいなことがやりたかったんだね。それをコーヒーとか飲みながら観る、みたいなことをやりました。
「出世作は突然に」
2004 11回公演 『月並みなはなし』作 黒澤世莉 王子小劇場
次の『月並みなはなし』も書き下ろしで、一生懸命頑張って書いたね、2004年は。『紙風船』以外全部書き下ろし。これがうちのひとつの代表作になったけど、当時は全然そんなことわかんなくて。王子小劇場をちょっと「演劇っぽく」しようと思って、舞台美術を多少は建て込んで。レストランの一室とテラスで、タバコを吸ったり、パンを焼いたり、お茶を飲んだりした。高津小道具で舞台美術を借りて、俺がトラックを運転してた。「何してんだ俺は」って思ったかな。いや、当時金がない小劇場はそういうもんだと思ってたな、トラックを自分で運転するんもんなんだって。今では絶対やりたくない(笑)。で、ほかのと同じ熱量で書いたんだけど、これだけすごい受けがよくて。月に行きたい人を一人選ぶっていうような話で、俺の中では『十二人の怒れる男』みたいな「一人選ぶモノ」でしょ?みたいな風に思っていたから「やっぱり古典は強いな」って思いました(笑)。

(『月並みなはなし』舞台写真 時間堂HPより転載)
2004 12月おやつ公演『おやつの時間堂』作 黒澤世莉 a-bridge
最後に三軒茶屋のa-bridgeっていう超オシャレなラウンジカフェで本公演じゃない番外編のおやつ公演っていうのをやって。22本くらいの小作品を作って、メニューをお客さんがそれをオーダーして、オーダーされたものを見せるっていう形式でやった。だから人気の演目は連続して観られたり、トイレの演目はトイレまで行かないと観られないから奥の人は声だけしか聞こえなかったりとか、屋上で大きい声で叫んで告白するだけの芝居があったり。あと大塚秀記さんという中年の男性が、女性の出演者に超モテるってだけの「モテモテ☆HIDEKI」って演目とか。「キャー!秀記!秀記!」って言われて、秀記は困っていなくなるだけなんだけど(笑)。そういうの以外にも店内の壁を挟んで壁の向こう側とこっち側の人でダイアログをする、みたいなちゃんとしたお芝居も何本かあって。でもそういうちゃんとしたのよりも訳の分からない飛び道具みたいな話の方が受けが良かったなぁ、っていうのはなんか覚えてます。
2005 12回公演とカフェ 『月輝きながら太陽の照る』作 高山さなえ(青年団) Gallery Le Deco
そのおやつ公演が終わってから2005年の『月輝きながら太陽の照る』のまでの間に一回人を集めて劇団化していて、この時には初めて外部の作家の高山さんの台本を上演しました。俳優は毎回集めればいいやって思ってたから、劇団員には制作と演出助手と宣伝美術の人を集めて。これもカフェ公演だけど、『甘いもの』の時とは違って今回はカフェの借景じゃなく、普通にルデコの一階でカフェをやりながら、お芝居も観られるという企画だった。
2006 13回公演/リュカ. 『vocalise』作 渡邊一功(リュカ.) 王子小劇場
その後がリュカ.との合同公演で『vocalise』。渡邊一功さんっていう良い作家さんがいて、一緒にやりました。これは佐藤佐吉演劇賞の演出賞をいただくくらい評判が良かった。劇団化がどのタイミングだったかちゃんと思い出せないけど、2005年の公演で一回全員辞めて、この『vocalise』の時には一人のユニットに戻っていた。当時の劇団員は「世莉さんを助けたい」っていう思いでやってくれてたんだけど、でも演劇はやっぱり「誰かのために」だけで続けるのはしんどい。さいわい今でも仲良くさせてもらってます。この『vocalise』のオーディションで、2009年の劇団化の時に入る人達の何人かと出会ってる。貴夫は出てないけど鈴木浩司は出てるし、雨森スウ(現・時間堂の味方)とサキヒナタも出てる。あと佐伯風土(現・時間堂の味方)もこの時に演出助手で入っていて、この時の出会いはぜんぶ大切な財産です。
2006 14回公演/王子小劇場プロデュース 『俺の屍を越えていけ』作 畑澤聖悟(渡辺源四郎商店) 王子小劇場
それで次が『俺の屍を越えていけ』と。畑澤さんは当時は今ほど有名ではなかったけど、作品は素晴らしかったから、王子小劇場でプロデュース公演をすることになって、それの演出をしました。これは出演者が女性は葛木英(クロムモリブデン)・黒岩三佳(元・あひるなんちゃら)・こいけけいこ(キリンバズウカ/元・リュカ.)、男は玉置玲央(柿喰う客)・原田紀行(元・reset-N)・森下亮(クロムモリブデン)っていう小劇場で活躍している人たちとやって、その後時間堂に出る人もいて、楽しくやりました。

「2007年計画」
2007 15回公演 『ピンポン、のような』作 黒澤世莉 王子小劇場
2007 おやつの時間堂 『proof』脚本 デイヴィッド・オーバーン 翻訳 谷賢一(DULL-COLORED POP) 演出 黒澤世莉 王子小劇場
2007 16回公演 『月並みなはなし』作 黒澤世莉 王子小劇場
2007年は時間堂2007年計画(http://www.jikando.com/past-information/80-2007.html)というのがあって、劇団員は俺一人だったんだけど年間ワークショップをやったりシネマプライスシアターっていって1800円でお芝居を見せましょうという事をやっていた。一幕劇をちゃんとやるとか、「人間が舞台の上でどう生きているか」みたいなドラマをしっかり作っていて、そう考えると今とほぼ同じですね。その中で『ピンポン、のような』と『月並みなはなし』を両方再演でやったという感じで、これは最初から台本がある状態で稽古を始めるっていうのと、俳優と長期のワークショップを経て作っていく、みたいなことをやっていた。それで夏におやつの時間堂(企画公演)で『proof』をやっていて、これはたぶん日本に『proof』(邦題『プルーフ/証明』)ブームが巻き起こったきっかけだと思ってます。オーストラリアで観てたので、日本でもやりたいなと思って、谷賢一さん(DULL-COLORED POP 劇作家・演出家・翻訳家)に翻訳してもらいました。役者は玉置玲央(柿食う客)と足立由夏(元・InnocentSphere)と清水那保(元・DULL-COLORED POP)と根津茂尚(あひるなんちゃら)で、すごい楽しくやりました。これは『proof』ブームを起こしたのは俺だっていう自慢がしたかっただけ(笑)。
2008 17回公演 『三人姉妹』作 アントン・チェーホフ 王子小劇場
それで2007年計画の総仕上げとして、翌2008年の春に『三人姉妹』をやったと。この『三人姉妹』のときに菅野貴夫と星野奈穂子っていう2009年の劇団化の時に入る俳優も出演してくれた。初めてのチェーホフは自分の中ですごくチャレンジだった。チェーホフをやるのがほんとに怖くてまったくできる気がしなかったんだけど、でも「できるなって思ってからやるんじゃ遅いな」って思った。俺この発想があるからしょっちゅう失敗するんだと思うんだけど(笑)。「とりあえずやろう!」と。その後劇団員になる雨森スウの曲を使った、オープニングとかエンディングはほんとに気に入ってる作品です。

2009 18回公演 『花のゆりかご、星の雨』作 黒澤世莉 ギャラリー ル・デコ4
それで『花のゆりかご、星の雨』でさっき言ってた5人(雨森スウ、サキヒナタ、菅野貴夫、鈴木浩司、星野奈穂子)が全員入って、やりました。スウの曲を歌いましたね。心温まるいい作品だし、時間堂の「らしさ」が詰まってたんじゃないかな、て思います。
2009 19回公演 『smallworld'send』作 ハロルド・ピンター / アゴタ・クリストフ / マリヴォー / 岸田國士 / チェーホフ 王子スタジオ1
王子スタジオ1というのを俺が王子小劇場の職員として作ったので、ためしに上演も出来るかやってみるか、と。おやつの時間堂でやっていたショーケースみたいにいろんなやつを詰め込んだのが『smallworld'send』で、いろんなものがやれて楽しかったです。
「演劇デート2036計画」
2010 20回公演 『月並みなはなし』作 黒澤世莉 座・高円寺2
そしてみたび『月並みなはなし』の再演を杉並演劇祭の参加作品として座・高円寺でやりました。「演劇デート2036計画」(※)というのを劇団化した2009年くらいに言い出していて、だから劇団化してからこのあたりまでは割とデート向けの演目みたいな感じかな。俺の感覚としては『月並みなはなし』とか『花のゆりかご、星の雨』、『ピンポン、のような』とか『vocalise』あたりはみんなデート向きだと思っていて。結局劇場にみんなが行かないっていうのは劇場にワクワク感とか映画みたいに観られる気軽さがないからだって思っていた。だから時間堂は2036年までかけて普通の中学生がデートの時に「今日どこ行く?」「劇場に行く」みたいな世界にしようぜ、っていうことを言ってた。デート向けの作品を作りたいかは別として、ふつうの中学生がデートで演劇を観る、て環境をつくりたいな、てのは今でも同じように思ってます。
(※ ”時間堂の目的は、デートで行きたくなるような、素敵な演劇体験をお届けすることです。目的を達成するために、「デートは劇場で」を旗印に、「演劇デート2036計画」を実行します。「演劇デート2036計画」は、日本の社会の中で演劇が、ふつうのひとびとの日常的な楽しみになるようにしていこう、という計画です。中学生からお年寄りまで、いまよりも身近で、いまよりも面白い演劇体験を、いまよりも多くのひとびとに提供したい。だって演劇は、こんなにも素敵だと知ってほしいし、なによりお客さまがいてはじめて完成するものだからです。急激な変化は危ないので、あせらずゆっくりと取り組みます。”2016年12月12日http://www.event-search.info/place/UZQYGadORKJnJl/より抜粋)
2010 15 Minutes Made Volume8 『池袋から日暮里まで』作 黒澤世莉 シアターグリーン BOX in BOX THEATER
2010 時間堂+スミカ 『のるもの案内』作 黒澤世莉 no smoking cafe MODeL T
この二作品はほんとに短いカフェ公演みたいな感じですね。『池袋から日暮里まで』は今でもすごい気に入っている13分位の短編なんだけど。『のるもの案内』は『三人姉妹』や『月並みなはなし』の出演者、原田優理子(現・時間堂の味方)がつくった「スミカ」と合同でやったカフェ公演です。
「ゴリゴリしたものへ」
2011 21回公演 『廃墟』作 三好十郎 シアターKASSAI
地震があった年の3月の公演です。もともと谷賢一さんの書き下ろしをやろうとしてたんだけど、都合で書けなくて他の台本を探すことになって。たくさんの候補作、ピランデッロとかね、その中で三好十郎の『廃墟』をやろうってことになった。このあたりから「劇場までわざわざ足を運んでお芝居観るのに、『明日も頑張ろう』みたいなの見せてどうすんの?」「俺もっと重厚長大なもん観たいわー」「ゴリッとしたもの見せようぜ、やろうぜ!」みたいなことになるんだよね。『廃墟』は3月の公演で客席もガラガラだし、観てくれた人もすごく少ないんだけど作品としては良かったと思う。観客同士が「久しぶり!」とか「あれから初めての観劇なんだよね」とか「元気で良かった」みたいなやり取りをしていたのが印象に残っている。劇場がお互いの無事を確認し合う場、公共の場なんだって教えてくれた。今まで劇場に演劇を観に行くって演劇を観に行くもんだって思ってたけど、演劇を観に行くことが演劇じゃなかった。
2011-2012 22回公演 『星の結び目』 作 吉田小夏(青☆組) こまばアゴラ劇場
『廃墟』が終わってから、前の5人に加えて新たにヒザイと直江ともう一人今はもう辞めちゃったけど窪田優っていう劇団員を入れて、吉田小夏(青年団・青☆組)さん書き下ろしの『星の結び目』をやりました。これは朝のNHKみたいなドラマ演劇で、評判が良かった。ここから先は「ゴリゴリやろうぜ」ということで、『ローザ』で全国ツアーをやると。
『廃墟』をやった後、夏に全国のいろんな場所へ行くようになって。震災後に状況を知りたいと思って東北へ行って、何か分かるかと思いきや結局よく分かんないなって思った。それで分からないけど、友だちになれば、友だちのことはちょっと想像することが出来る。だから全国に行って友だちを増やしてみようって思ったんだよね。ともかく旅自体、移動が好きだから、移動の口実が出来たってことでいろんな所へ行ったんだと思うけど。三重とか福岡とかへ行っていろんな人に「地域公演がしたいんです、ここで公演したいんですよ」って言ってたら「じゃあYOUやっちゃいなよ」ということで、2012年の『ローザ』ですよ。
「転機は”Q体”」
2012 23回公演 『ローザ』作 黒澤世莉 王子スタジオ1(東京) / アトリエみるめ(静岡) / エル・パーク仙台スタジオホール(仙台) / ぽんプラザホール(福岡) / in→dependent theater 1st(大阪) / 津あけぼの座(津) / 枝光本町商店街アイアンシアター(北九州)
ここまで時間堂がやってきたのは、基本的に一幕物というか筋を追っていけば分かるような話なんだよね。それが『ローザ』で突然それをやめちゃうと。それは『ローザ』の前、2011年にオノマリコという作家の『解体されゆくアントニン・レーモンド建築 旧体育館の話』、いわゆる”Q体”と言われる作品の演出をKAATの大スタジオでやったことが大きい。オノマさんの作品って時系列を追う話ではないから。あとマイケル・フレインの『コペンハーゲン』を読んだのも丁度その頃で。演劇をドラマではなくほかのやり方で見せられるんじゃないか、てことに作家として挑戦してしまったこの『ローザ』っていう時間堂の実験作を、なぜ全国ツアーで選ぶのか(笑)。ドイツの革命家の話を。作品のチョイスは完全に意味が分からなかったと思うんだけど。各受け入れ先が「こういうの、なんだ…!」みたいな(笑)。「デート演劇じゃないの?」「ドラマじゃないの?」「すいません。」みたいな。でもすごい楽しかった。初めてのツアーは動員的には難しかったり、経済的に大変だったりはしたけれども、楽しかったです。
2013 24回公演 『テヘランでロリータを読む』作 オノマリコ(趣向) ミニシアター1010(東京) / エル・パーク仙台スタジオホール(仙台)
そのあとの『テヘランでロリータを読む』は、出演者が14人も出たのは『三人姉妹』以来なものだったからすごく多い。『ローザ』は四人だったから、突然三倍以上に(笑)。これも東京と仙台のツアー公演で。アーザル・ナフィーシーさんの書いた世界的ベストセラーを、オノマさんが脚色するっていうので、おもしろい公演だったと俺は気に入ってる。この辺はほんとに囲み舞台で無対象(行動)で演じるっていうのをずっとやってるね。『星の結び目』は衣裳具象で小道具も出て来るけど。『廃墟』は衣裳も小道具も全部フルセットである作品だった。
2013 劇作家女子会×時間堂 『劇作家女子会!』作 劇作家女子会。(オノマリコ / 黒川陽子 / 坂本鈴 / モスクワカヌ) 王子小劇場
これも楽しくやりましたね。あと『テヘランでロリータを読む』の後に、これに出てた阿波屋鮎美と長瀬みなみと、松井美宣の三人が入るんだよね。残ってるのは阿波屋だけになっちゃった。
2013 利賀演劇人コンクール参加2013 『桜の園』作 アントン・チェーホフ 利賀芸術公園 / 巣鴨協会
『桜の園』は直江と阿波屋と長瀬みなみで作り、ボロカスに言われて帰ってきた。
2013 25回公演 シリーズ発掘01 『森の別の場所』作 リリアン・ヘルマン シアター風姿花伝(東京) / in→dependent theater 1st(大阪)
これはリリアン・ヘルマンの戯曲を黒澤世莉が生まれて初めて翻訳しました。これも登場人物が14人で、大所帯で楽しくやりました。
「全国の俳優たちとつくりたかった」
2014 26回公演 〔つながる〕ツアー2014 『衝突と分裂、あるいは融合』 作 黒澤世莉 十色庵(東京) / in→dependent theater 1st(大阪) / 生活支援型文化施設コンカリーニョ(札幌) / せんだい演劇工房10-BOX box-1(仙台) / ぽんプラザホール(福岡) / ミニシアター1010(東京)
全国ツアーだ、『ローザ』はアバンギャルドすぎたから分かりやすい話にしようって思って(笑)。一幕ものへのこだわりはもうなくなっていたから、重層的な話ではあったけど。もともとは全国の各地域の俳優と一ヶ月くらい一カ所でレジデンスして作品をつくりたい、みたいな欲求がずっとあって。それは無理だったから、この時は全国でオーディションをして、前半と後半の合わせて5分位の短いシーンを各地域のキャストで作るということにして。俺が公演前に三日現地に行って、公演前にまた三日間くらい稽古をして作るみたいな感じで。本編があって、そのプロローグとエピローグでサンドイッチするみたいな構造で、各地域でその部分のキャストが違うみたいなことをやって。観劇三昧(http://kan-geki.com/)でも東京版と福岡版が観られるんだけど、全然雰囲気が違うオープニングとエンディングになりました。台本はみんな一緒なんだけど各地の言葉に翻訳してもらって、地域の言葉でやりました。大阪の黒住尚生さん(25日14:00トークゲスト)と福岡の富田文子さんっていう俳優にツアーメンバーとして出てもらったことも含めて、いろんな地域の俳優と共同制作するっていう一つ目標が叶った公演でした。
「立てた計画は7年越しに」
あと2014年に十色庵が出来たから、「全国ツアーをやる」っていうのと「スタジオを持つ」っていう2007年ぐらいに立てた計画はこの時に叶った。当時は目の前にあることに取り組むのに必死で、まったく気づいてなかった、そんな目標立てたことさえちゃんと覚えてなかった(笑)。それから2015年の一年はレパートリーの準備をしました。
2016 レパートリーシアター 27回公演 シリーズ発掘02 『ゾーヤ・ペーリツのアパート』作 ミハイル・ブルガーコフ 東京芸術劇場シアターウエスト
そして2016年はレパートリーシアターをやりながら、その合間に『ゾーヤ』をやったという感じです。
で、解散(笑)。
変遷というといろいろあるけど、改めて振り返れば、変わってないような気もするね、最初から。俳優を見せたいというのは変わっていない。その俳優の見せ方で「あ、台本はいるんだ」とか「照明はいるんだ」とか、「ドラマじゃなくてもいいのか」「いややっぱりドラマもいいな」とかそういうのはあるけど。基本は変わってない。
「時間堂の劇団員の印象」
ー菅野 貴夫(俳優)
貴夫は黙ってると怒ってるみたいに見える。だからたまに怖い。
ー鈴木 浩司(俳優)
浩司さんは僕には歯に衣着せず喋ってくる。だから怖い。
ー直江 里美(俳優)
直江が面白いのは、入ってきたときほんと下手だったけど、がんばって成長したとこ。人間は成長するっていう素敵なモデルだと思う(笑)。たまに本気でイライラする。
ーヒザイ ミズキ(俳優)
歯に衣着せず喋ってきて、だからたまに怖いんだけど、でも可愛い。そういう意味で言うと、みんな可愛げあるなと思うけどね(笑)。
ー阿波屋 鮎美(俳優)
阿波屋は、すごくかわいらしいところはある人なんだけど、たまに僕のことを全部見透かしたみたいな断定的な物言いをするのがむかつく。
ー尾崎 冴子(俳優)
…今のままのびのびと生きてほしい(笑)。
ー國松 卓(俳優)
卓はね、繊細。
ー穂積 凛太朗(俳優 現在福岡県在住)
うーん、よく知らない(笑)。って言うとあんまりだから、これからに期待(笑)。
ー大森 晴香(プロデューサー)
たくさん喧嘩をしたが、今の時間堂の三分の一はこの人です。
みんな好きです。
(後編に続く)
[黒澤世莉扱い 予約フォーム]
https://www.quartet-online.net/ticket/rosa2016?m=0afiedi
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