年内での解散を発表した時間堂。その解散公演を前に、自身の演劇観や時間堂という劇団との出会いや思い出、そして最終公演『ローザ』について語った劇団員ロングインタビューです。(聞き手:松本一歩)
第六弾は時間堂の堂主/演出家の黒澤世莉です。後編は演劇との出会いと、自身の演劇観についてです。
黒澤世莉プロフィールhttp://jikando.com/member/seri.html
「半年でクビに」
ー本格的に演劇を始めた頃のことを、詳しく教えてください。
高校を出て、ワダユタカ(※)さんの演劇教室に入りました。記憶が定かじゃないけど、「俳優になりたい人のための学校ガイド」みたいな冊子があったんだよね。それをぱらぱら見て、「新劇?つまんないカタの芝居でしょ?そんな演劇学校行ってもな」みたいに思ってた時にワダさんの学校の広告があって、「じゃあここかな」って思ったような気がする。ワダさんという人は海外でピーター・ブルックとかと一緒に演劇をやっていた人で。その当時のワダさんの薫陶というのは「日本の演劇というのはダメだから観るな、関わるな、毒だ、害だ!」みたいな感じで、当時18、9だった俺は「そうっすか、はい!」ってめっちゃ素直に受け取ってました。色々端折ると、結局そこを半年でクビになって、どうしたらいいのか分からなくなりました。日本で演劇をまともにやれるところが他にないんだったら、もう海外に行って学ぶしかないだろうな、という気持ちでいました。クビになったショックで一週間台所で冷蔵庫と会話をして。徐々に社会復帰をしていって、海外で勉強しなければならないと思っていたので、オーストラリアへ行きました。オーストラリアではVCA(Victorian College of the Arts)という演劇大学へ行こうと思って、英語の勉強をしてオーディションを受けたんですが落ちちゃったので、すごすご帰ってきました。「受かったらVCA初のアジア人の生徒だね!」って言われてました。
(※ 演出家 パリ・国立高等演劇学院教授等を歴任)
ー時間堂での活動を1997年からスタートされます。
ワダさんのところをクビになって、やることがないから始めたみたいな感じです。俺は俳優をやりたかったんですよ。だからもともと時間堂を始めたのは出演するところが欲しかったから。有名でもなんでもない18,9の若造にポコポコ出番があるわけないから、じゃあ自分で出るとこ作るしかないなと思って。「誰からもオファーされない?じゃあ自分でやってやんよ!」みたいな気持ちで時間堂を始めました。
ー時間堂で一番楽しいのはどんな時ですか?
稽古が一番楽しいんですけど、稽古をやっていて、たまに「あ、これが演劇だよな」っていう瞬間があって、それが一番楽しいです。具体的に言うと、その人物が切実で、そういう風に振る舞わなければいけないなっていうことがはっきり提示されている瞬間がたまにあって。そういう時はすごく演劇っていいなって思うし、なかなか他では見られないなって思います。
「人の言うことを聞けなかった」
ー俳優をやめて演出家になったのも、やはりそういう瞬間を見ているのが楽しかったからですか?
ううん、ちがう。褒められなかったから、俳優は。俳優やっても褒められないし、辛いし、人の言うこと聞きたくないし。舞台の上に立って何かをやるということはすごく好きだったと思う。もう過去だからわかんないけど、すごく好きだったはず(笑)。だけど稽古がとにかく嫌で。でも演出してると稽古楽しいんだよね。それに割と褒められるし。オーストラリアに行くときに、「俳優としてここで何にも得られなかったら俳優をやめよう」と思ったんだよね。それでオーストラリアでは俳優として演劇学校へ進むことが出来なかったから、「日本帰ってからはもう演出家として活動しよう」って腹を括って帰ってきた。自分の中でオーストラリアで学ぶっていうのが俳優としての最後のチャンスだと思ってた。俳優って地道な作業じゃない。台詞を覚えたり人の言うことを聞いたり。台詞を覚えるのはともかく、人の言うことを聞くというのが致命的に出来なかったね。自意識が強すぎた。
ー中学高校の演劇部の頃から演出はやっていたんですか?
最終的に演出みたいなポジションで口出してたけど、演出をやりたかったわけではない。(オーストラリアへ行く時までは)気持ちはずっと俳優だった。今ではそんな気持は微塵もないけど。でも、オファーがあればいつでも出ます。
ー現在の世莉さんの演劇のルーツを教えてください。
師匠というか、いろんな大事なことを教えてもらったのは柚木佑美さん(女優 アクターズワークス主宰)。まだ二十歳そこそこの箸にも棒にも引っかからないクソガキだった俺を見守って下さったのは柚木さんだね。ワダさんも師匠の一人ではあるけど、時間が短かった。
ー柚木さんのところに通うようになったきっかけは何だったんですか?
普通に折り込みチラシ。海外の演劇が最高で日本の演劇はダメだっていうワダさんのところの強烈な刷り込みがあった俺は、その呪縛からずっと逃れられずにいたので、マイズナーテクニックという海外のやり方に「これだったらいいんじゃないか」と飛びついた。折り込みチラシって言ったけど、今よくよく思い返してみれば映画館の置きチラシとかだったかもしれない。ユーロスペースとかの単館系のミニシアターの。勉強すること自体は好きだったし、いろんなワークショップにも行ってました。20年前はいまほどワークショップが多くなかったし、インターネットもないので、情報を探すのが大変だった。たしか、柚木さんのところへ行く前に世田谷パブリックシアターが主催していたロイヤル・シェイクスピア・カンパニーか何かのワークショップがあったんだよね。それは誰でも受けられる企画だったと思うんだけど、そのワークショップがすごくよかった。刷り込みもあったのかもしれないけど「やっぱり海外の演劇はいいや」みたいな風に思っていて。
「自分が全然出来なかったから、教えられる。」
それで柚木さんのところでマイズナーテクニックと出会って、マイズナーテクニックってほんとに素敵だなってその時思ったのかな。今はそう思っているけど、当時は辛かったとしか思ってなかった。うん。辛かったっていうか、よくわかんなかったんだよね。だって出来てるつもりだったから。「出来てない」みたいな感じに思われてるけど、「いや、出来てるけどな」って思ってた。今思うと恥ずかしいよね、アホとしか言いようがないじゃんそんなの(笑)。自分の若い頃を思い返すと、自分のことを分かったつもりになってるやつが一番駄目だなって思うかな。話にならない。それで、一回目のワークショップに出たときに「君はあんまりうまくいってないから何回か来た方がいいね」って言われて、「別にそんなことないけどまあ柚木さんが言うならそうか」って思って。二回目か三回目の時にはっきりと、自分の中で今までと違う体感があるというか、からだの中からちゃんと声が出てくる感じというのを味わえて。まあ失恋がきっかけだったんだけど(笑)。振られて悲しいみたいなことが自分で全然理解できてなかったんだけど、からだにはそれがあって。それがワークショップがきっかけで出たと。で、「あ、こういうことか」みたいな(笑)。それから何回か行っていて、「これがシンプルな状態かな」というのにちょっとずつ近づいたり、見ていてもそれが分かるようになってきた。だからなんで教える側になったのかというと、自分が全然出来なかったからですよね。「どこで困ってるのか」とか、「何で止まっているのか」とかが超よく分かる。「ああこの人今自分のからだに何が起こってるのかとか全然分かってないんだろうな」とか、「分かってるつもりなんだろうな、この人」とか。
「エクストリームな俳優至上主義」
ーやはり世莉さんが一番影響を受けているのは柚木さんですか?
「影響を受けている」っていう言葉ってすごく難しいなって思うんだけど、少なくとも今まで一緒に現場を経てアシスタントとかをした中で、一番言っていることに納得がいって、逆らう気持ちが起きなかったのは柚木さん。いろんな有名なかたがたと演出助手をやらせていただいたけど、「俺ならもっと上手くやれる」って思ってた(笑)。極端に言ってしまうと、演劇なんてものは俳優がアクチュアルであればいいわけで。「そこにいる、何かしたい、葛藤が起きる」っていうことが分かればそれでいいんだけど、演出家っていうものは物語や構造を見せようとするでしょ。物語を見せようとするときに、俳優自身のその時の現前性とか一体感とかの優先順位を下げてたり、あるいは興味がなかったりする方が多い。俺はそれがないのは面白くないから。読解とか、読んだ物語をどう立ち上げるのかという所で優れてらっしゃる演出家の方はいて、そこから学べることも多かっただろうにとも思うんだけど、何しろ僕はエクストリームな俳優至上主義者だったから(笑)。今はまだマシになってます。だから若い頃は「あんな状態でいる俳優を放置するとは何事だ、けしからん!」みたいな気持ちで稽古場にいて、もやもやしてたっていう。
ーその俳優至上主義のルーツはどこにあるんでしょうか?
たぶんマイズナーテクニックは関係なくて、俺の興味がそもそもそこにあるんだと思う。高校や中学の演劇部の頃から、恥ずかしい話なんだけど「ことばに魂を乗せるんだ!」「Soul on wordsだ!」みたいなことを言っていた(笑)。でもそういう、分かりやすく言うと「俳優が嘘をつかない状態」が欲しかったし、そういうものが見たかったんだと思う。俺テレビドラマがすごく嫌いで、中学生のころから「なんてヘタクソな人たちが出てるんだろう」と思っていて(笑)。「なんだこれは、茶番か!?」って思ってて。映画はそういう風に思わなかったから好きだったんだけど。「悲しい時に悲しそうにするかよ!」みたいなこととか。だからマイズナーテクニックに出会ったというのは、いろんなものに出会った中で最終的に選択したものがマイズナーテクニックだったというだけで、マイズナーテクニックがあったから俳優至上主義になったわけではきっとないんだろうなって、今は思う。元々そういうものが好きだったんじゃないかな。
ー今まで観た中で「これぞ!」というお芝居は何ですか?
自分が作ったもので言うと、演出した『解体されゆくアントニン・レーモンド建築 旧体育館の話』(作・オノマリコ 趣向 2011)。「ああ劇場に神様がいるってこういうことかな」って思った。演劇っていうのは俳優がイメージを具体化させれば何をやってもいいんだということを強く知らしめてくれたのは、世田谷パブリックシアターで観たピーター・ブルックの『ザ・マン・フ―』(1999)。演劇っていうのはこんなに何もない中でもすごくおもしろく出来るんだっていうことを教えてくれたのは五反田団。演劇は音楽にかなわないなって教えてくれたのはロンドンで観た『RENT』(笑)。
おもしろかったお芝居っていうのは一杯あるけど、でも観て影響受けたのって20代に観たやつばっかだね。オノマのを作ったのは30歳を過ぎてからだけど、ピーター・ブルックと五反田団と『RENT』は全部20歳そこそこの時に観たんじゃないかな。
「俳優の成長だけは、待てる」
ー演出をしていて稽古場でうまくいかなかったり、困難だったり苦しいなという時、どうやって乗り越えますか?
演劇づくりって戦争だなって思っていて。それは敵がいて戦うっていう意味じゃなくて、常に不完全で準備不足で相手の出方も分からない状況で何かを決めて実行していかなければいけないことの繰り返しだなぁって思う。ちょっと前までは、そこに対して全力で立ち向かっていかなければと思ってたんだけど、うまくいかない時は、嵐が過ぎるのを待つように、のんびり耐える。俺せっかちなんだけど、なぜか俳優の成長だけは待てるのね。それはよっぽど好きだからであって。基本せっかちだから「すぐ結果が出ないといやだ!」って思っちゃうんだけど。うまくいかないときって必ずその後にうまくいくときが来るから、カリカリしないでのんびり耐える。って今は思ってる。潮目って絶対に変わるじゃない。カリカリしてもいいことないから。もうひとつ「なんか今しんどいな」とか「今うまくいってないな」ということをちゃんと見た方がいいなとは思う。しんどさを見つめるのはつらかったりするけど、でもそのつらさって別に不幸ではないから。「ここうまくいってないな」とか「俺全然足りてないな」っていうことから目を背けちゃうとややこしくなるので。ちゃんとその自分を認めてあげる。そして毎日頑張ってるし、自分のベストは尽くしてるだろうから、そこでちゃんと自分を信じてあげられるようにした方がいい思っている。そのためにはやっぱりのんびりしていた方がいいかな、って。のんびり向き合ってると、いつのまにか出来るようになっているから。まあ性格にもよるかもしんない。うまくいかないときにそれをうまくやる工夫はない(笑)。
『ローザ』について
ー作家として、演出家としてこの『ローザ』はどんな作品になりますか?
今俺が興味があるのは、「仲直り」。間違えるじゃない、俺たちは。その場の感情に任せて、とか、状況に負けてとかいろいろあると思うんだけど間違えるんだよね。間違えたときに、引っ込みがつかなっちゃってそのまま離れていくっていうのはもったいないことだなって思って。自分が間違えたこととか…、まあ仲直りできるといいよねって。俺すごい苦手だから仲直りが(笑)。それが『ローザ』の主題と合ってるかは分かんないけど。仲直りの話になるといい。みんなローザと喧嘩した、みたいな話をしていて。ローザのことを思い出して、ローザと仲直りしていく話だなって思う。
ー時間堂解散後の活動のご予定は?
演出の仕事が来年もう3、4本入っていて。正直ちょっと受けすぎたって思っている(笑)。ほんとに休みたいって思っているのに、休もうとしていない僕はなんなんだっていう、この矛盾した己がつらい(笑)。だから来年も東京とか大阪とかで演出はしています。
ー演劇とは結局なんなんでしょうか?
ピーター・ブルックが、演劇っていうのは演じる人とそれを見る人がいるという状況のことだって言っていて。ずっとそういう風に思って演劇をやってきたんだけど。あと演劇って生命の燃焼だと思っていた頃もある。これは岡潔っていう数学者が「数学とは生命の燃焼である」って言ったっていう話があるんだけど、それは演劇だと覆って言い換えた。今は、現象かな、って思ってて。宮沢賢治の『春と修羅』の冒頭に「わたくしといふ現象は…」っていう一文があるんだけど、人間を現象っていうのっておもしろいってある評論家が書いていて。「存在」とかは言うけど、「現象」ってあんまり言わないと。現象っていうのは電気が点いたり消えたり、プラスとマイナスを行き来するとか、熱が上がったり下がったりっていう、揺れている状態だと思っていて。演劇の概念を固定化されたものだと俺は思ってしまいがちだけど、演劇っていうのは動的で、常に動いているものなんだよねって。だから風が吹くとか、水が流れるとか、星が瞬くみたいな「現象」だなぁって思っている。
…「何言ってんのこの人」って感じじゃない?大丈夫(笑)?
「時間堂というもの」
ー時間堂とは、世莉さんにとってどういうものだったんでしょうか。
時間堂ってずっと、「時間堂というもの」であってほしいと思っていて。それはつまり俺(黒澤世莉)ではなくて、時間堂という集合、俺の意思を越えたものであってほしいなってずっと思ってたんだけど。でも解散するみたいな話がいよいよ本格的になった時に、「いや時間堂って世莉さんのものでしょ」みたいなことをみんなが言っていてすごくびっくりして、「そう、だったんだ…!?」みたいな(笑)。だから時間堂を自立させるということに関して、言葉を選べないけど、まあ失敗しちゃったんだなと思っていて。…まあだから自分の半分だよね。切り離したかったなぁ…。自立させたかったけど、今の僕の器では集団を自立させるところまでは持っていけませんでした。
ー最後に、このロングインタビューを読まれる皆さんに向けて一言お願いします。
常に演劇は素晴らしいなと思っていて。だからそんなに握りしめなくても演劇はあなたのことを愛しているから、大丈夫。って思います。
俺は演劇に愛されているなって思っていて、俺が愛されているんだからみんなも演劇に愛されてるよって、思います。だから大丈夫。
(2016年11月30日 池袋西口の中華料理店にて)
[黒澤世莉扱い 予約フォーム]
https://www.quartet-online.net/ticket/rosa2016?m=0afiedi
黒澤世莉・時間堂に関する参考ウェブサイトほか
黒澤世莉 ハンサム部ブログ http://handsomebu.blog.jp/
ハンサム部 ブログ「October 19, 2007 演劇と私」http://handsomebu.blog.jp/archives/51139362.html
時間堂2007年計画ブログ http://blog.livedoor.jp/jtc2007/
名古屋演劇アーカイブ 黒澤世莉さんインタビュー http://nagoyatrouper.com/interview/044/
CINRA MAGAZINE 第二次観劇人口増加計画 http://cinra-magazine.net/vol.14/CONTENTS/STAGE/T2.HTM
劇団突撃インタビュー★第0弾 黒澤世莉
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