年内での解散を発表した時間堂。その解散公演を前に、自身の演劇観や時間堂という劇団との出会いや思い出、そして最終公演『ローザ』について語った劇団員ロングインタビューです。(聞き手:松本一歩)


ロングインタビューの最終回、第七弾は時間堂プロデューサーの大森晴香です。

大森晴香プロフィールhttp://jikando.com/member/oomori.html


「制作って仕事すら知らなかった」


ー演劇に携わり、プロデューサーになるまでのいきさつを教えてください。


そもそもは、幼稚園の頃からクラシックバレエを習っていて、小学校の4年生の時に、学校から「一人一つ必ずクラブに入りなさい」って言われて、ダンスクラブに入るか演劇クラブに入るかで迷ったんです。「バレエの役に立ちそう!」と思って(笑)。でもダンスクラブは習いに行ってるからもういいやと思って演劇クラブに入りました。そこから演劇が面白くなって、中学校高校と演劇部に入って、高校を卒業するときにはもう俳優になりたいと思っていて。全然その頃制作って仕事すら知らなくて(笑)。興味がなかったというよりは選択肢にそもそもなかった(笑)。職業として知らなかったから。高校を卒業してすぐ舞台俳優コースがある専門学校に進んで二年間毎日演劇やったり踊ったり歌ったりしていたんですけど、卒業する頃にはもう出演する方の欲求は満たされていて(笑)。もういっぱいやったからいいや、と。あと一杯周りに才能のある子たちがいたから、その人たちがやってるのを観に行ければいいや、別に自分はやらなくてもいいって思っていました。

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「偶然の当日運営デビュー」


でも演劇は好きだから関わりたいし、「なんでこんなに演劇やってる人って食べていけないんだろう」っていう疑問があったりして。で、もうちょっと勉強してみようかなと思って大学に入り直しました。演劇の文化が進んでいると言えばイギリスだ、と思って英国演劇の研究をしてる先生のゼミがある大学へ入りました。大学の勉強は面白かった。で、その頃、専門学校の同期が劇団を作ってて観に行ったら、やってることは面白いのに受付がぐっちゃぐちゃだったんです(笑)。もう始まる前に「だめだこりゃ」と思って(笑)。それでたしかすっごい長いメールかアンケートをその劇団の友達に送ったんですよ。「やっていることはすごく素敵だったけれども、あの受付はないと思う」「もう観る前に態度が変わっちゃう」みたいなことを(笑)。そしたら、その劇団の主宰が「じゃあお前やれや」って(笑)。「はあ、いいですよ」みたいな感じで引き受けました。それが今思えば当日運営デビューでしたね(笑)。でも当時、制作をやっているっていう意識はなくて。その劇団は演出と俳優しかいなかったから、「本番中受付やる人いないじゃん」と思って、「じゃあ受付やるよ」みたいな感じ。だんだん受付やるにはチケットのことが分からなくちゃいけなくなって、あとロビーを一緒にやってくれる人も私ひとりじゃダメだから探さなきゃいけなくなって、チラシの受け入れとかも出てきて、気が付いたらただの受付さんじゃなくて、制作の仕事がだんだん増えていました(笑)。

大学を卒業するときに、このままこの劇団に入っちゃうか、それともう一個夢があって。演劇を学校教育に使うっていうことにちょっと興味があって。そっちの方向に行くために教員免許を取っていたので学校の先生になるっていう道もあって。さらにもう一個、一般就職をして世間を見るっていうこの三択だと思ったんですね。教員採用試験は落ちたんですよ。だからもうその時点で二択になったんですけど(笑)。でも「今このまま劇団制作やって、私なんの役に立つんだろう」ってふと思って。「就職したことがないから世間のことも分からないし」って思って「じゃあちょっと世間を見てきますよ」と。「三年間全然違う仕事で働いて会社員をやってみて、やっぱり演劇のことをやりたいって思ったら帰ってきます」って言って、その劇団の仕事も一回手を引いて就職したんです。


ーちなみにどんな会社だったんですか?


経営コンサル会社でした。コンサル会社を受けたのも、コンサルになりたかったわけでは全然なくて、「いつか演劇の世界に帰ってくるだろう」って自分で思っていたから、私に足りないのは経営の感覚というか、組織運営とかだと思って。そこまで当時ははっきりわかってなかったけど、要はそのときの私では集団を維持するとか発展させるということが出来ないと思って、「経営者に会わなくては!」と思ったんです(笑)。経営者に会える仕事ってなんだ?って考えたときに、経営コンサルタンティング会社っていうのがあるらしいぞと。「若いうちからめっちゃ社長に会うらしいぞ」って(笑)。それでまんまと就職して、ほんとに新入社員のペーペーの頃から中小企業の社長さんとかにガンガン会いに行って、「君みたいな勉強不足の奴から買わない」とか言われて(笑)。でもまあ可愛がってもらって、社長の悩みとかをいろいろ教えてもらったりして。演劇をやってたらたぶん絶対に出会わなかったであろう業種・業界の人とかに会ったりしていました。


「おじいちゃんの生き様を見て」


たまたま就職して3年間は大阪勤務だったということもあって演劇からもすっぱり離れられたんです。ところが就職して3年後、東京営業所に転勤になって帰って来た途端にうわーって友達が寄ってきて、「帰って来たぞ!」「観においでよ!」「まだ演劇やってるよ!」って(笑)。もうなんか一気に演劇が私の周りに帰ってきて、ちょっとやっぱり演劇から去りがたいなって思って。就職して3年半ぐらいたった時に、おじいちゃんが亡くなったのがひとつのきっかけだったんですけど。私の中でおじいちゃんって結構偉大な人で、お葬式で七人も弔辞を読んだんですよ(笑)。みんなそれぞれおじいちゃんとの思い出が別々にあって、かつちゃんとやるべきことはやって、なにもやり残しなく亡くなったなって思って。「こういうふうに死にたい」って思って、その時に「演劇をやり残してるな、私」って思ったんです(笑)。そのお葬式関係で会社を何日か休んだりしてたんだけど、職場に復帰した時に上司に「やっぱり私は演劇をやってからじゃないと死ねない」みたいな話をして退職した(笑)。なんのツテも見込みもなかったんだけどいきなり退職して、高校の後輩が制作の仕事をやっているらしいっていうのを聞いてたから、その子に「ちょっと仕事紹介してよ」「あなたの現場でとりあえず勉強させてよ」って言って。それで制作人生がそこからスタートしました。


「とにかく仕事を覚えたい」


それが2010年10月で、2010年12月には初めての現場に、もちろんチーフとかではないけど入らせてもらって、当日運営だけで生計を立てているプロの人と初めて出会って、その人の働きっぷりとかを学ばして貰うっていう機会を得ていました。そこから1年くらいはどこにも所属しなかったんですよ。いろんなところを見たいと思って。どうやら制作それぞれやり方が違うらしいということにうすうす気が付いたので、なるべくいろんなところに手弁当でいいからとにかく入らせてもらって、仕事を覚えたいと。でもそれをやっていると当日運営の小技は身につくけど、企画の力はなかなかつかなくて(笑)。受付のプロフェッショナルにはなれるし、場内誘導はめっちゃ上手くなるけど、小屋入りするまで何があったのかとかが全然分からない。それにまだ駆け出しだと自分がチーフになることもないから、人をどういうふうに采配してみたいな経験も積めないので、どうしようかなと思って。「まあ1、2年たったらチーフ仕事も増えてきて、変わるんだろうか」なんて思いながら。そうこうしているうちに時間堂との出会いがあって。ここの人たちとはそういう当日運営だけで千秋楽でさようなら、ではなく、もうちょっと「来年これをやりたいから今これをやる」みたいな付き合い方をしたいなあって、初めて思ったんです。しかも芝居がめっちゃおもしろかったんですよ(笑)。「こんなおもしろいもの知らなかった!」みたいな感じになって。それで2012年2月に時間堂に入って、現在に至るという感じです。


「時間堂について」


ー時間堂と初めて関わったのはいつですか?またその時の印象を教えてください。


『星の結び目』(2011-2012)ですね。こまばアゴラ劇場で年越しをしたんですけど。この公演には「実行委員」っていうポジションとして当日運営だけではなく、企画をしている段階から関わっていて。「実行委員」っていうのは今でいう「時間堂の味方」みたいなポジションで、「出来る時に出来る分だけ、やりたいだけ関わってください」っていう気楽なポジションでした。『星の結び目』では劇場で年越しをするとか、年明けには書初めをするとか言ってて(笑)。大晦日にはみんなで年越しそばを食べたり、お正月にはお雑煮を食べるっていうイベントも付いていて。そんな公演が、初めての時間堂(笑)。


「きっかけは”Q体”」


ー時間堂と出会ったきっかけは?


もともとは一番初めに私が前の会社を辞めて相談した高校の後輩というのが、当時趣向のオノマリコさんと仲が良くて、趣向の制作をやっていたんですよね。かつそのリコさんと後輩の浅見絵梨子ちゃんていうんだけど、この二人は小栗剛さん(12/29木20:00の回ゲスト)のキコ/qui-co.にも演出助手と制作で関わっていて、そのコミュニティと黒澤世莉ってめっちゃ近かったんです。当時、趣向の”Q体”(『解体されゆくアントニン・レーモンド建築 旧体育館の話』2011)初演とキコ/qui-co.の『live forever』(2011)の演出が世莉さんだったので。それで”Q体”を観に行って、そのときにリコさんから「今回演出してもらってる時間堂の黒澤さんっていう人がいるんだけど、時間堂制作いなくて大変そうだからちょっと話聞いてあげてくださいよ」みたいなことを言われて。だからリコさんが繋いでくれたんです。まあもっともっと遡ると浅見絵梨子ちゃんが高校の後輩だったっていうのがきっかけ。

余談だけどその浅見絵梨子ちゃんのすごいのは「晴香さんは時間堂の制作になるような気がします」って、まだ時間堂をまったく観ていない私に言っていたんです。そして予言は当たっている(笑)。まだ黒澤さんとそんな面識もないし、時間堂は作品観てないし、「へえ!」ってその時は思ったんだけど(笑)。”Q体”はおもしろかったけどさぁ、みたいな(笑)。


ー黒澤世莉さんと初めて会った時の印象はいかがでしたか?


黒澤世莉の初めての印象は、趣向の初日打ち上げで会ったんだけど、彼はとてもその初日が悔しかったらしくって、「作品はおもしろいのに僕の力不足だ」みたいな感じですごい嘆いていたっていう記憶があって。リコさんはせっかく紹介してくれたんだけど、もうなんか彼は頭がいっぱいで、全然(笑)。名刺交換しただけで終わりみたいな感じだった。その時はこんなふうに一緒にやるとも思わず、公演がすっかり終わった頃に改めて会って、その時に初めてまともに話をして。時間堂の今抱えている問題とかをいろいろ一緒に話していて、「黒澤さん、時間堂はプロデューサーかマネージャーを入れるべきですよ」って言ったんですよ、私が(笑)。まさか半年後にプロデューサーになってるとも知らずに。世莉さんも世莉さんで「そんなこと言って、じゃあやってくださいよ」とか言ってて、でもその時は「時間堂の作品観てないしね」って笑って終わったんですけど、まさかね(笑)。半年後に入ってるなんて。そんな出会いです。


「なんて素敵な劇団だろう!」


ー時間堂を選んだ決め手はなんですか?


実行委員だったので、企画のかなり始めの頃からどういう考え方で物事を決めていくのか、みたいなことを近くで見れたんです。時間堂は当時からイベントとかおもしろいこととかをいっぱいやっていたんだけど、まあ結構やることが多くて大変ではあると。そういう時に時間堂が何を基準にしてやるかやらないかを決めていたかっていうと、当時世莉さんもよく言っていたのが、「お客さんが喜んで、自分たちも楽しいことをやろう」っていうことで。「お客さんが喜んでくれるから自分達は無理をしよう、みたいなことはやらなくていいよ」って言ったことがあって。「あ、それすごい素敵な考え方だな」と思って。ついつい我慢してでも相手を喜ばせようとしたりとかしがちじゃないですか。あとやってる方が楽しいからってお客さんが置いてきぼり、とかもよくないじゃない。なのでそれを聞いて「そういう考え方でやっている人素敵だな」って思って、実際にすごい企画も楽しかったし。それでその年の暮れ、12/28に初めて時間堂を観たんですよ。それがその年で一番面白かったの(笑)。ぶっちぎりで。「すげえ!」って思って。やっぱりまあ面白かったっていうのが一番の決め手ですよね。ここに今後も関わっていきたいなと思ったし。あとダメ押しになったのが、公演が終わった後に劇団員と実行委員で温泉に行ったんですよ、慰安旅行みたいなやつ。もう「なんて素敵な劇団だろう!」と(笑)。こんな出来る範囲で都合の良い時だけ関わった私を温泉にまで連れてきてくれて、「もうちょっとちゃんとやらなきゃだめだ」と(笑)。だからその時は時間堂に入るとまでは実は決めていなかったけど、「こんなに素敵な作品を作ってこんなにいい人達で、もうちょっと毎回関わるレギュラーの劇団みたいな感じで関わっていけたらいいかな」、と思っていました。そう思いながら温泉から帰ってきた後の劇団ミーティングに参加して、「もうちょっと腰を据えて来年再来年、三年後とかを考えた関わり方をしたい」という話をしたんです。そうしたら「YOU入っちゃいなよ」ってみんなから言われて。そりゃそうですよね、今思えば(笑)。


ー入るまでと、入ってからの時間堂に対する印象の変化などがあれば、教えてください。


これ、今私がよく外から言われる事なんですけど、なんかもっとちゃんとしてる劇団だと思っていました(笑)。企画から関わってたんだから予算も知ってるし、スタッフィングだとか全部見ていたはずなのになんでそう思ったのか分からないんだけど、「すぐ仕事になりそうなちゃんとした劇団だな」と思っていて。マネージャーとかプロデューサーって言われる人がいないから、その役割を私がちょっと担いさえすればすぐ出来ちゃうよ!みたいな気持ちでいたんです。作品はいいし、みんなプロフェッショナルだしって。入ってみたら全然大変でしたよね(笑)。「そんなに上手くいくかよ、何を見ていたんだろう」みたいな(笑)。今でも「時間堂はちゃんとしていて」とかってすごい言われるけど、全然そんなこともないですよ(笑)。


ー制作カフェ(※)の時にも「外から見える時間堂と実際の時間堂にはギャップがある」というお話をされていました。(※ fringeの荻野達也氏を招いて実施した制作者対象のオフライン企画 http://jikando.com/toiroan-/588-seisakucafe201609.html


時間堂っていう劇団って外からはすごいうまく行っているように見えるらしく、実際私もそう思っていたから、大変でしたね。あと私が入ってから大変になったという側面もちょっとあって。制作をやる人間が入ったことで「今まで出来なかったことや諦めていたことに手が届くぞ」ってなったのもあるかなと思っていて。いきなりツアー(『ローザ』 2012)に行ったりとかしたのはたぶんそれだと思うんですよね(笑)。「プロデューサーが入ったらツアーとか行けちゃうかも!」みたいな(笑)。私もまだプロデューサーになったばっかりでツアーなんかやったことないですからね。でもみんながいつかできたらいいなって思っていたことに挑戦しようという機運になっていて、私も怖いもの知らないから「なんか面白そう!」「ツアー?行きたい行きたい!」みたいな。やってみたら「超大変じゃんこれ…」ってなった(笑)。初演『ローザ』は初めて地域に出たのに、いきなり5都市連続で回るツアーを組んじゃって。やってみて分かったんだけど、作品は一個だから創作する人たちは同じ一個を作っていって、会場によってちょっと調整は必要だけど作品はどんどん練られていく一方なんですよ。でも制作は、実は公演会場ごと、地域ごとに一つの公演をやってるようなものだから、一人で6公演回しているみたいな感じで。ツアーで5都市を回るっていうのは、言ってみれば二週間で5公演、まったく違う会場のまったく違うお客さんに向けた公演を一人で回すみたいなことで、これは無茶だなって(笑)。それで各地域の協力者の皆さんに、「もうとても私ひとりでは無理なので」って言って助けてもらいました。


ーツアー先の地域のツテというのはもとから知り合いだったんですか?


私が入る前の年に世莉さんが「いつかこの地域で公演をやりたい」と思ってプライベートで旅をしていて、コネクションだけ作ってきていたんです。「今すぐには出来ないけど、いつかこの地域で公演をやりたいので」って言って、挨拶だけして回っていて。その中で協力してくれそうな候補が5カ所あったんだけど、全部が全部予定が合うとも限らないし、「とりあえず5カ所全部に相談してみて、乗ってくれたとこだけやろう」って聞いたら全部OKで、しかもきれいに2週間に全部入ったんです(笑)。


「楽しくて、仕事にならない」


ー時間堂にいて、一番楽しい時を教えてください。


ツアーはすごい楽しかったです。いろんな所に知り合いが出来たし、この間も札幌のintroが来てくれてたけど、そういう劇団ぐるみの付き合いができるのもすごい嬉しいです。

あと私が稽古をあんまり見ないようにしてるのは、実は稽古を見ていると楽しくなっちゃって全然仕事が出来なくなるから(笑)。稽古場で仕事してればいいじゃんって思うんだけど、もうね、完全に手が止まるんですよ。「何も進まなかった…」ってなる。だからたとえ同じ空間で仕事することになっても、あえて楽屋に行ったりする(笑)。おもしろくなっちゃうんだよね。

もう一個あって、実は助成金の書類を書くのが好き。やっている時は辛いんだけど、「この公演は何でやるんだろう」、「どういう意義があるんだろう」とか「時間堂のいいところって何だ」とかをすごく考えないと書けないから、やっているうちに「私すごい社会貢献的な意義のある仕事をしてる!」と思えます。自分へのリスペクトが高まるというか。大変だけど、それで助成金が下りたりすると「素晴らしい仕事をしている」って思えます。


「『ゾーヤ・ペーリツのアパート』秋月準也氏 小田島雄志・翻訳戯曲賞受賞」


ーこれまでの時間堂の活動の中で、一番の思い出はなんですか?


すごい迷ったんですけど、『ゾーヤ・ペーリツのアパート』(2016)の公演かな、と思っていて。ずっとやりたくて企画が通らなかった東京芸術劇場でやっとできたし、作品の規模や座組も大きかったし。俳優と本だけで勝負っていうシンプルなものも大好きだけど、歌もあってダンスもあって、本当にいろんな人の力を借りて作ったからこそ、私たちだけじゃできない規模のものを作れたっていう気持ちでした。「これぞ具現化された総合芸術」みたいな(笑)。あと秋月さんが今年小田島雄志・翻訳戯曲賞を受賞されたっていうのが私の中では大きくて。「シリーズ発掘」って銘打ってやっているシリーズで、本当にあんまり上演されていないものを発掘するっていう意味のある仕事が出来たなと思いました。上演しなかったら選考の候補にすら上がらなかったところを、たまたま選考委員の方が観にいらしていて、「面白いですよ」って勧めてくれたらしいんです。こんなに面白いものを知られなかったら本当にもったいなかったから、やってよかったな、すごい大きなことをやったなと思います。


ー時間堂の一番のお気に入りの作品を教えてください。


今言った『ゾーヤ』は歌あり音楽ありダンスありの超大作で、絢爛豪華な意味でのお気に入りではあるんですが、企画として秀逸だったなと思うのは『衝突と分裂、あるいは融合』(2014)ですね。もともとは世莉さんが「全国で選抜して、全国で創作して、全国で上演したい」って言い出して、出来たら面白いけど…って(笑)。そもそもは全国で選抜した人を集めて合宿して作りたいっていう企画で、「いくらかかるんだよ!」って思って(笑)。それは助成金がたくさん下りたら実現させましょうと。残念ながらそこまでの助成金は下りなかったんだけど、各地域の助成はいくつか受けられた。企画も、全員集まって合宿では作れなかったけど、各地域キャストがいたりとか、時間堂メンバーだけじゃなくて東京と大阪と福岡の各地域で選抜した一人をツアーメンバーにして一緒に全国を回ることが出来て、「こんな企画やるとこないよね」っていう(笑)。おかげで今でも全国に「一緒にやった人たち」がいるんですよね。ただ観に来たとかただ出会っただけじゃなくて「一緒に作った」というのはすごい大きいですよね。全部同じ台本を使っているけど、出来上がった作品はそれぞれの地域で主人公の家族が各地の家族になって、話す言葉も関西弁だったり博多弁だったり。そんな素敵な作品が作れたというのは大きいかな、と。企画そのものが好きだし、出来上がったものも好きですね。


「死守する、だが軽やかに手放す」


ー「時間堂はこうでなくっちゃ」というこだわりを、教えてください。


私は結構時間堂のイメージとかブランディングを気にするので、「時間堂がこんなことをするなんて」とか「時間堂はこういう選択をしなくては」と考えがちなんだけど、実は時間堂っていう団体自体はその「こうでなくっちゃ」っていうこだわりがものすごく少ないんです。私が「こうでなくっちゃ、ああでなくっちゃ」と言ってるからといって、本当にそうでなければならない、そうでなかったら他の選択肢はないと、いうことはない。良くも悪くも、一回決めた事だとしても本当に違うものの方が良いと思ったら変えるということもあるし、頑なに意固地になって守らなくちゃいけないものというのがそんなにないのかもしれない。「そんなにこだわらなくてもいいんじゃない?」って考えられる人たちが結構多い気がしますね。「決めつけなくてもいい」というのが時間堂かもしれない。私は結構決め打ちなんですけど。よく俳優について世莉さんが言ってる「死守せよ、だが軽やかに手放せ」みたいに、ほんとにみんな手放すんですよね。ほんとにいいと思ったら他の人の意見でも聞いて、「自分はこれを大事だと思っていたけど、こっちでもいいかも」ってなれる。演劇やっている人達って意固地になりがちなんですけど。これでみんな「こだわりの強い集団で…」とか言ってたらどうしよう(笑)。

あと「前回これで上手くいったから、今回もこうやらなくちゃ」みたいな事もあんまりないと思います。過去よかったものが今回も良いとは限らない、という感じで。たぶん『ローザ』も「初演の時これでうまくいったからといって再演でもそれをなぞろう」ということはあんまりしないんじゃないかな。「あの時こうやって上手くいった経験はあるよね」ってして、「その引き出しもあるけど今回は違う引き出しを選べるね」、ってなったり、「やっぱりあの引き出し超える引き出しないわ!」ってなるかもしれないし、また「絶対になぞってはいけない!」ということもないと思う。「初演でやったから再演では二度とやらない」ということもないと思う。良ければやるし、良くなければ変えるし。その時々で一番いい選択をするような気がします。


ーいま時間堂を一言で言い表すとすると、なんですか?


「演劇大好き時間堂」。本当にみんな演劇好きだよねって思います(笑)。劇団を続けるのはきつくなっちゃったけど、演劇を嫌いになったわけではまったくないということがひしひしと感じられます。そうじゃなかったら最終公演なんかやらないと思うんですよね。「もう一緒にやらない、解散する」って言いながら作品作りをしてて、「演劇そんなに好きじゃないし作るのが辛い」って言ってたら「公演やらなくてもいいよ」って思っちゃうけど、まったくそうではないですね。


「時間堂の劇団員の印象」


ー黒澤 世莉(堂主 / 演出家)


黒澤さんは懐が深いというのかな。演出家にもいろんなタイプがいると思うんだけど、みんなが意見を出すことをよしとする人なんですよね。人が出してきた、自分が思いつかないものに出会った時に、「面白そうじゃん」って言って取り込める人だと思います。器がちっちゃい人だと「俺のやっていることの方が」とか「俺の方が考えてきて」とか「俺の方が長く演劇をやっていて」とかってなったりプライドも高くなったりすると思うんですけど、そういうところがあんまりなくって。もちろん先輩への敬意は忘れはしないけど、同時に始めたばかりの人とかまったく演劇を知らない人だとしても、自分の持ってないものを持ってる人に対してリスペクトが出来るし、面白がって一緒にもっと盛り上げることの出来るタイプの人だと思います。褒めるところはそんな感じ(笑)。

忘れ物とスケジュール管理だけ、どうにかなってくれるとすごい素敵だと思うんですけど(笑)。まあ完璧な人間はいないよね。忘れ物はほんとに凄い。あの人の忘れ物は伝説ですよ。いつだったか、世莉さんが一人で大阪と三重?かどっかに行って帰ってくることがあったんですけど、初めに東京から持っていったお土産を電車の中で忘れ、次の土地で買ったお土産も電車の中で忘れ、最後の土地で買ってきた東京へのお土産も山手線の網棚に忘れたんですよ。でもそこでミラクルが起きて、それをTwitterで呟いたらたまたま知り合いがその電車に乗っていて、「網棚のこれですか!?」って見つけてくれて、「美味しく食べてください」って(笑)。後々まで語られるような忘れ物をしています。普通一回忘れたら次から気を付けると思うんだけど…。

この二年間で何回タンブラーを新調していることか(笑)。いろんなところにタンブラーを忘れてきてます。毎回ちゃんと落ち込んでるけど、すぐ立ち直って新しくお気に入りを買っている。まあ憎めないけども大変ですよね(笑)。


ー菅野 貴夫(俳優)


貴夫さんは頼れる兄貴だな。たぶん時間堂で一番人づきあいがうまい。時間堂って人見知りが多いんだけど、一番最初に客演の方々だったり他の地域で出会った人たちと垣根なく喋れる。たとえば『ゾーヤ』の時もそうだったけど、初めて一緒にやる客演さんとか時間堂の作品作りの方法に馴染みづらい人がいた時に、適切に翻訳ができる。それはたぶんコミュニケーション能力が高いのと、自分がいろんな現場に行っているからでしょうね。あの人はめっちゃ客演が多いから。オファーが止まらないんですって、羨ましい(笑)。たしかにそういう関係を自分で作っていけたり、いろんな状況に合わせていけたりするっていうのは、一緒に作品を作りたいタイプの人ですよね。頼りになる。

飲みすぎなければいい人です(笑)。お酒強いんだけど、突然スイッチが入るから(笑)。


ー鈴木 浩司(俳優)


浩司さんがいるとすごい安心します。実は『ゾーヤ』に出演するかどうかなかなか決まらなくて、すごく仕事が忙しかったりしてまともに稽古に来られないかもという話があったんです。あれだけ客演が多い現場で、劇団員なのに稽古時間が短い人がいるって本当に平気だろうか、変な空気になったりしないだろうかっていう懸念もあったけど、私は浩司さんが出ないと時間堂の作品として成立しないような気がして。いろんなルーツの人が出る大所帯の作品だから、うまくいかないととっ散らかっちゃうと思ったんですよね。時間堂の作品にならないというか、「すごい芸達者の人がいっぱい出ていて、一人一人は素敵だったけど作品としてはあんまり印象ないわ」っていうことになりかねないなと。オーディションを見てもすごい素敵な人がいっぱい来ていたから、みんながとっ散らかったら大変なことになると(笑)。だから、たとえ出るシーンや来られる日が少なかろうが、長く黒澤世莉と作品を作っていて、この場で求められるものがすぐに分かって、一緒に出てる人も「この人と一緒だったら安心」って思えるベテランがいなくてはならないって思ったんです。なので「浩司さん出演して」ってラブコールをした(笑)。

入ったばかりの頃は浩司さんが人見知りだったのか私が人見知りだったのかあんまり喋らなくて。年も上だから気難しい人だったらどうしようと思ったけど、知れば知るほど親戚のおじさんのような温かいコミュニケーションが育まれております。たまにやってきて成長を喜んでくれる(笑)。


ー直江 里美(俳優)


直江ちゃんは、本人は自覚してるか分からないけど、すごく責任感があって、きっちり有言実行をする人だなあと思っています。芝居でもたとえば台詞を覚えて来るって言ったら本当に覚えて来るし、何か仕事を頼んだ時でもやるって言ったことが抜けたことが私の記憶にはほとんどない。なので何か頼んだ時の安定感がすごくあります。

『ゾーヤ』では捜査官役でずっと客席にいる役だったんですけど、「初めての芸劇だったら舞台に上がりたい」って私だったら思っただろうし、そういう気持ちが彼女にあったかどうかは分からないけれども、でもあのポジションでいるからこそできる貢献というものを彼女はまったく惜しまなかったんですよね。舞台に上がれないからってすねちゃったりしなかったし、むしろそれを楽しんでいるっていうのを何度も口にしたし、「すごい人だな」と思いました。だから私は『ゾーヤ』の最後のカーテンコールで、直江ちゃんが真ん中から舞台に上がって皆に入っていく所がすごい好きでした。


ーヒザイ ミズキ(俳優)


ヒザイさんは作品でも制作的なことでも軸になる人だなと、思っていて。ほんとは制作は私が軸にならないといけないんですけど(笑)。筋がすごく通っている人だと思います。だからこそ枝葉の部分はそんなに気にしないけど「ここは通さないとね」っていうところがめったにブレないので、何か話が食い違った時でも安心してちゃんと話ができますね。「これを言うことによって関係がこじれたらどうしよう」とかっていう心配もしないで相談事とかも出来るし、議論を戦わせることも出来るし。

そしてやっぱり時間堂の看板ですよね。出てくると舞台が締まります。


ー阿波屋 鮎美(俳優)


鮎美ちゃんも誰とでもちゃんと話ができる人だなって思っている。劇団全員で集まって会議をしていて、たまにお互いの言っていることが分からなくて話が嚙み合わないような時に、鮎美ちゃんはどっちの言うことも分かっていることがすごく多い。誰かが「あいつの話が分からない!」ってなってる時に、「私分かるけど」って話ができる人だなあと思って。やっぱり『ローザ』に出てほしかったなと思っている。私鮎美ちゃんのお芝居が大好きだから。もともと素敵な俳優ではあったけど、今年のレパートリーでものすごく伸びたような気がする。あー、『衝突』で化けたのかもしれないな。『衝突』の時には劇団員で出演してるのは4人しかいなくて、しかも時間堂女優一人っていう過酷な状況で。その時に作品に対しての俳優としての貢献もすごかったし、企画に関しても、大打ち上げ中に「私たちは今回の苦労を分かち合える仲だね…」って言ったくらい、ほんとに頼りに頼りました。あの時に自分がやるんだ、という覚悟みたいなものがすごく決まった人だな、と。


ー尾崎 冴子(俳優)


冴子は一見天真爛漫で実際天真爛漫なところもあるんだが、結構繊細(笑)。普段からすごく感情が鮮やかな人だなと思ってる。感動している時はものすごく感動しているし、悲しい時は会議中でも涙が止まらないし。そういう喜怒哀楽みたいなものがすごくはっきり伝わってくる。だから舞台でそれが出てくると、すごく鮮烈なイメージになる。『ゾーヤ』は頑張ったな、と。いくら若いとはいえあんなに走り回って足腰を痛めながら(笑)。とても素直なんだろうなと思います。

世莉さんと同じくもうちょっと誤字脱字に気を付けて頂けたら尚よし(笑)。びっくりするような誤字が時々Twitterに流れてきますね。もうなんかキャラクターとして許されるのかもしれないけど。


「福眼…?」って(笑)。


ー國松 卓(俳優)


卓ちゃんは逆にいい意味で結構安定している気がして、語弊があるかもしれないけどあんまり感情が表に出ないんですよね、ふだん。ほんとにそんなに波風がないのかどうなのかは分からないところはなきにしもあらずだけど、割ともともとそんなにデコボコしてないのかもしれない。なにか相談しようとか頼み事しようと思うときにすごい話しやすい。だめだったら笑いながら「無理です」って言ってくるし(笑)。あとうちの人達の中ではスタッフワークが出来るっていうのは強みだなと思っていて。もちろん俳優一本でやっている人もかっこいいなと思うけれども、スタッフワークも分かったうえで俳優としてどういう風にそこに立つかっていうことが考えられるのは強いですよね。



ー穂積 凛太朗(俳優 福岡県在住)


元気かなあ。福岡支部長っていうか劇団員なんですけど(笑)。転勤した途端に古巣が解散、古巣って言っても入ったばかりなのに、一度も本番の舞台を踏まず(笑)。でも凛太朗じゃなかったらもっとすごく気を遣ったかもしれないなあ、って正直思っていて。本人がいないところで解散って決めるなんてちょっと、とか。今でも思わないでもないんだけど、凛太朗を軽視しているっていう意味ではなくて、「凛太朗だったら理解してくれる」っていうのはどこかで信じているところがありますね。本当に嫌だったら「嫌だ」って言ってくるだろうしと思って。あと変に深刻になりすぎない人だなという気がしてるので、だからこういう重大な発表があったりしても、「福岡から『ゾーヤ』を観においでよ」って言えるし、「あなた『ローザ』は何回来るのよ?」って聞けるし(笑)。あと結構地頭が良くて、人の話をまとめるのがうまいなと思います。議事録とかを書いてもらうと、めっちゃ遅いんだけどちゃんとまとまってます。結構いいこと言ったりするんですよね。仕事遅いけど(笑)。痛風にならないでほしいです。



『ローザ』について


ー稽古はどうですか?


さっき話したけれど、稽古を見ていると楽しそうで仕事にならないのでそんなに見られてないんですけど(笑)。ブログを見ていても面白そうだし、いいなって思っています(笑)。「私も行きたいな…」って思いながら、「だめだ、行ったら仕事にならん」っていう戦いをしていますね。


「本と台本、逃げ場なし」


ー『ローザ』でお気に入りの台詞(あるいはシーン)を教えてください。


私の『ローザ』大好きポイントは、あんまり部分で「ここの台詞が」とか「ここのシーンが」っていうことではなくてですね。今回は三方囲みだけど元々四方囲みでやっていて、俳優に死角がまったくない、すべての角度から見られるっていう演出で作られていて。今回セットがちょっとあるのかな、みたいな感じだけど元々はほんとにすごいシンプルな素舞台の状態で、「俳優とおもしろい本しかない」っていう何のごまかしもきかない作品なんですよね。それで90分間走り続けるっていう、そこがすごく好きです。逃げ場なしっていう。初演の時に、たしか原田優理子ちゃん(時間堂の味方)に「針の筵みたいで私はとてもこの作品が怖いと思った」みたいなことを言われたんですよ。「俳優にとってどこにも逃げ場がなくって、丸裸にされる感じがする」「やる側だったらとっても怖いと思う」と言われて、「そうなんだね」って(笑)。「でも観てる方は面白いけどね」って。


ー『ローザ』という作品を一言で表すと?


おもしろい本と俳優。以上。


「後がないからこそつくれるもの」


ーこの『ローザ』の公演で、プロデューサーとして一番大切にしているのはなんですか?


いろんな人に連絡するときに何回か書いたんですけど、今後の展望とか見栄とかプライドとか、そういうものを取っ払って、ほんとに作りたいものを作っているという公演だと思ってるんです。「来年これをやるから今これをやらなきゃ」とか、「時期的に一年に一回くらい公演をやろうよ」とかそういうことじゃなくて、後がないから本当に作りたいものを作るということが出来ている。そうやって後先考えることなくつくる、というのは、解散するからこそできることで、やりたくて出来ることではないので。だからそれをいろんな人に見逃さないでほしいんですよね。今までだったら「ちょっと予定が合わなくて」とか「ちょっと忙しい時期で」って言われたら「じゃあまたの機会に」って言えたんですけど、またの機会がありません(笑)。ほんとに純粋に「その作品がもっと面白くなるためには」ということだけを考えて作れているものだからこそ観てほしいな、ということを結構書いていますね。なので今までになく図々しいメールを送っています(笑)。「ご都合合いましたら」ではなく、「ご都合を合わせて」観に来てほしいくらい。そういう気概があります。


「『門出』そして『夢叶う』」


ー『ローザ』にちなんでご自身を花にたとえるとしたら、どんなお花ですか?


私スイートピーの花がすごく好きで、ひらひらした感じの可愛いいい香りがするんですけど。一見ゆるふわで可愛い感じがするんですよ。時間堂もそうだし、私もゆるふわっていうかちょっと天然みたいな印象を持たれることがあるんですけど、スイートピーって「ピー」だから豆なんですよね。和名が「ジャコウエンドウ」で「いい匂いのする豆」なんですよ。ゆるふわなフリして実は豆っていうのが面白いなと思って(笑)。ほわんとしてるフリして、天然の皮を被ろうとして被りきれない私(笑)。実はすごい実用的なことが好き(笑)。そう思って昨日花言葉を調べたら「門出」だったんですよ、「門出」。このタイミングで、びっくりしちゃったんですけど。いろいろ諸説あって、出発するとか門出するとか、それによって別れを表す花言葉がついていたりするんですけど。

スイートピー
スイートピー

あと時間堂に入る前に自分の名刺が作りたくって、イラストが得意な友達に頼んで私のロゴを作ってもらったんですけど、それの真ん中には青いバラの絵が描いてあるの。青いバラの花言葉は「夢叶う」なんですよ。青いバラってもともと色素がなくて花言葉も「不可能」だったんだけど、今は研究が進んでサントリーが青いバラを作って、花言葉も「夢叶う」に変わったんですって。超かっこいいと思って(笑)。自分自身の夢が叶うかどうかは別として、そういういわれがあるのはすごい面白いなと思って、今でも自分のアイコンにも使ったりしています。
青いバラ
青いバラ


「時間堂、『ローザ』にまつわらない、いろいろな質問」


ーこと演劇について、最も影響を受けているのは誰ですか?


前の会社を辞めて制作になりたての頃、とりあえず私の知っているプロデューサーといえばキャラメルボックスの加藤昌史さんだ、ということで加藤さんの本を読み漁った。それでネビュラプロジェクトの就職面接を受けて、最終までいったんだけど落ちた(笑)。テクニカルのスタッフさんでキャラメルと仕事をしている人が知り合いにいて、「ちょっと勉強したいんですけど」って言って、口利いてくださいよって言ったら「ちゃんと作文を出すんだよ」って募集要項を渡された(笑)。それで入社試験を受けたんだけど落ちました。その時に加藤さんがすごく丁寧な手紙を下さって。よくある「貴意に添いかねます」みたいな断り文句じゃなくて、「とてもおもしろい話が出来ました」みたいなことを書いてくださって、「ただ、あなたがやりたいことは、ネビュラプロジェクトに入ってキャラメルボックスの制作をやるというのとはちょっと違う気がします」ってようなことが書いてあった。たしかに、その最終面接で私は、「ひとつの団体に所属するよりも、いろんなところに関わって業界全体を活性化させるコンサルタントになりたい」みたいな夢をペラッペラペラッペラ喋ったんです。ネビュラの面接なのに(笑)。そういう人には入ってほしいというより「じゃあ頑張ってね、どこかで仕事で出会えたらいいね」ってなりますよね(笑)。

あとは最近だったらfringe(http://fringe.jp/)の荻野さんは元々ブログも読んでいたし、制作カフェを一緒にやったりしたのもあって、発言にはすごく注目しています。

あとは福岡のFPAPの高崎さん。高崎さんは歯に衣着せぬタイプだからすごい誤解もされると思うけど、実はすごいちゃんと見ているし、愛に溢れている人だと私は思うんですよ。だから高崎さんからの「時間堂はこう見える」という言葉はすごくすんなり受け入れられる。結構高崎さんの発言に影響を受けますね、私は。


「制作バッグは特注品」


ー制作業務で手放せないものはなんですか?


制作の仕事で言うと、ドラえもんのポケットみたいにいろんなものが出せる制作バッグ。あれは、時間堂の味方で大阪にいる畑見亜紀ちゃんの手作りなんです。「これとこれとこれをいつも必ず入れています」というのを伝えて、それに合ったサイズでいろんなものが入るようなポケットを付けて作ってもらった特注なんです。世界に一個しかありません(笑)。現場に行くときはあれが手放せないですね。「めっちゃポケットがほしい」っていって、中にもいっぱいついています。


ー今まで見た中で「これぞ!」という一本のお芝居を教えてください。


後にも先にもこれだろうな、というのが、2014年に観た劇団どくんごの『OUF!』。どくんごってトラックで全国巡演しながらテント芝居をやっている劇団なんですけど、実は私これを観に行った日が超疲れていて、それでも友達が出ているから無理して観に行ったんです。具合が悪いくらい疲れていて、友達にも謝って観ないで帰ろうかとも思ったくらい。でも着いたから頑張って観ようって思ったんですけど、観終わった時には超元気になっていました(笑)。テントだからお尻も痛いし隣の人ともぎゅうぎゅうなのに、でも超元気になってしまって「なんだこれは!?」と。あまりに面白すぎて、その時観たのが千葉公演だったんだけど、その二か月後の東京公演も『衝突』の稽古の合間の超忙しい時に無理やり、当日券に並んで観たっていうことがありましたね。


ーちなみにどんなお芝居なんですか?


内容はとても説明がつかないんですけど(笑)。テント芝居、サーカスみたいな感じというか。アングラっぽい感じの衣裳だったりメイクをした人たちが、5人くらいで基本ずっと一人芝居をリレーしてやっていくんですね。短いシーンが続いて、別に脈絡があるわけでもなくて、一本の物語になってるわけではないから意味もストーリーも全然分からないんですけど、すっごいエネルギーで。今年もどくんごのツアーがあったんですけど、今年は前説の時にはっきりと俳優さんが「どくんごのお芝居に、お話とかないから」って言ってました(笑)。「ちょっとトイレ行きたくなったら行っていいし」とかって言ってて「ほんとに?」みたいな。すごくおおらかですよね、そういう意味で。なんでもありだし。それこそさっきの時間堂の話じゃないけど、「こうあらねばならぬ」みたいなものが全部ガラガラ壊れていく感じがします。「演劇とは劇場の中でなくてはならぬ」なんてことは全くないし、「テント芝居は晴れてなければならぬ」なんてこともないし。大雨の中でもやりますし。ちゃんとした楽屋があって、ということも全然ないし。客席も美しくなければならないわけではなくて、その世界とかコンセプトに合っていればなんでもいいんだな、ということがすごく分かりました。


「後まで尾を引く体験が好き」


あと全く違うんですけど、15年くらい前に観た宮本亜門演出の『GIRLS TIME ガールズ・タイム女のコよ、大志を抱け!』(2000)っていう女優だけのミュージカルですかね。それを観たときあまりにも面白くて、何をトチ狂ったか「これからはミュージカルだ!」と思って、歌の授業があるにも関わらず、その歌の先生に直談判して毎週一回個人レッスンに通い出したんです(笑)。「私いつか、宮本亜門のミュージカルに出る」って思ってた。歌って踊ってアクロバットもできるみたいな女優さんが所せましと動き回るお芝居で、「すげえ!」って思って。「バレエは習っているからいいとして、歌だ!」と思って。アクロバットどこ行ったよ、って思うけど(笑)。そんなこともありましたね。


たぶん、その後の人生とか行動に影響が出る位のものを観るのが好きなのかな、って喋っていて思いましたね。どくんごだったらその後スケジュールこじ開けてでも観に行こうとしたりとか、結構人にも勧めたんですよね。「すっごい面白いから観に行って」って。『ゾーヤ』もどくんごの公演に1シーン幕間でやらせてもらったりしたんですけど、そういうことをやろうと思わされる、とか。『ガールズタイム』だったら、観た後に「歌を習おう!」って思ったりとか。その瞬間だけじゃなくて、後まで尾を引く体験みたいなものが好きなのかもしれません。


ー公演に向けてうまくいかなかったり困難なことがある時、どうやって乗り越えますか?


大体私は乗り越えられないんですよ、ほんとに大変な時って(笑)。なので一回パンクして休んだこともあるし。あと最近はパンクして「助けて」って言うことが増えたかな。「もう無理!」って(笑)。「これ誰かやって」とか「これ諦めようと思う」とか。助けを求めるようになりましたね。あと企画的なことだったりすると、ヒザイさんとか世莉さんとかに「ちょっともう一人ではなんともならないので助けてください」「時間をください」っていうことが増えましたね。

あとすごく最近のことで言えば、制作カフェをやったことはとてもよかったなと思っていて。そこで出会った人に相談ができるということが出てきています。お互いに違う現場を持っていて違う経験をしてきているから、「こんなことが起きちゃったんだけどあなたならどうしますか?」というのをいろんな現場の制作さんに相談ができるというのは心強いですね。

こないだ、『ローザ』のチラシに「自由席」のところを「指定席」って刷ってしまった時も「私どうしたらいいですか?」って相談したりしましたね(笑)。最後の最後にまさかの、痛恨のミスで、あまりにもびっくりしすぎて落ち込むんじゃなくて笑ってしまった。その時も制作のある先輩に電話で相談しました。「どうしてこんなミスをしたのか自分でも分からないんです」なんて言いながら。その時に思ったのは、困った時に相談できる人が出来たということがすごい心強いなと。今までだったら世莉さんなりヒザイさんなり他の劇団員なり、劇団内で相談が出来たんだけど、「解散したら相談する人いないな」と思っていた矢先でどうしようと思っていたんですが、同じ座組の中でなくとも頼れる人が出来たのはよかったな、と。ピン芸人になったら全部ひとりで決めるのか、やばいな、と思ってたんですけど、そうでもないなと。これからはソロ活動になるので。


「言葉にできなくても、語り続ける」


ー演劇とは結局なんなんでしょうか?


「言葉で説明できるんだったら上演しなくていいんじゃない」という言葉が昨夜突然フッと浮かんできたんです。制作・プロデューサーという仕事をしていると「どういう公演か」「作品の見どころは」ということを聞かれるし、聞かれなくても発信していく仕事をしている自覚はあるんだけど、一方で、そんな言葉だけで、しかも私のボキャブラリーだけで説明ができるようなものをつくっているんだったら、上演観なくてもいいんじゃない?とも思って。言葉にできない、語りきれないものを作っているから演劇は上演するんだし、生身の人間が一時間半やっているものを一分や二分で説明できない。そんなことを思ったんですよね。言葉で語れないから演劇にするんじゃないのかなーって。

もうちょっと考えたときに、そこで作品について語るのをやめる、放棄するということではないな、と。今までは作品のあらすじ的な意味でどんな作品なのかを説明しようとしてた気がするんだけど、実はストーリーはそんなに大事じゃないんじゃないか、と。(例えば目の前にある)マフィンだったら、その作り方や材料はそんなに大事ではなくて。それを説明されてもふーん、という気がするんだけど、結局甘いの?しょっぱいの?って話だったり、「なんだそれ食べたことない、食べに行きたい」という行動を起こさせるような言葉を発していきたいなと思っていて。でもそれは「コメディをやります観に来てください」とか「シリアスな作品です観に来てください」という話でもないなと思っています。


「食べに行きたいって思わせる」


たとえば今回だったら、ローザ・ルクセンブルグっていう革命家の人生や歴史的な背景を事細かに説明することが大事なのではなくて、それよりはさっき話したような「俳優と本だけのシンプルなもので勝負するよ」っていう事だったり。すっごいマニアックなドイツ革命の話をするし、私も正直初演を見るまでは全然知らなかったけど、「今聞いても胸に刺さることを言ってる人なんですよ」ということだったりとか。「自由」という言葉を自分のために使うのではなく他人のために使った人だというのが結構すごいことだなと思っていて、「そんな人の話なんだよ」だとか。ローザを知っている人たちが集まって劇中で再現劇をやるんだけど、ローザという1人の人間を見ているはずなのに、皆違うローザを見ているというのが私はすごい面白いと思っていて。たとえば今喋っている私と、家族の前にいる私と、劇団員だけで話し合いをしている私と、前の会社の人と会っている時の私ってたぶん違う私が見えていて。もしかしたら矛盾しているかもしれないし、全然見せていない顔があるかもしれないし、なんていうことは誰にでもあって。それをあんなに鮮やかに切り取って90分にしたっていうのはすげーな黒澤!って思います(笑)。そういう話はこれからもいっぱいしていくと思います。

でもローザ・ルクセンブルグという実際の人物の歴史や、ドイツ革命の解説をするようなことは、そこまでしなくてもいいかな、と。お客さんもきっと世界史の勉強をしに来るわけでもないと思うので、むつかしそうとか政治的な話なのか、つまんなそうって思われてしまうともったいないと思います。作品内容、あらすじや知識を言葉にするよりも、「何それ、見たい!」って思うようなその演劇そのものの魅力、それで実際にお客さんの行動を引き起こすような言葉を探していけたら、と思います。


ということで元々の質問に答えるとすると、言葉で語れないから演劇にするんだ、と。語っても語ってもたぶん語りつくせないから。


「いつかまた全国へ」


ー時間堂解散後の活動のご予定は?


当面は十色庵の管理人として活動をして、それと並行してフリーランスの制作としていろんな劇団やプロデュース公演のお仕事をもらってサポートをしていく予定です。あと、旅公演がしたくてですね。だからツアーをやりたいと思っている人たちとうまいこと出会えないかな、とちょっと思っています。時間堂の活動の中でせっかく全国のいろんなところに知り合いが出来たんですけど、ホームがなくなるとなかなかつくった演劇を持って遊びにいくということが出来なくなってしまうので。旅自体はいつでもできるんですが、演劇を持っていって再会したい人達が全国にたくさんいるので、またツアーはやりたいなと思っています。


でもたぶんこれから先、どこかの団体に所属するということはよっぽどのことがない限りないだろうな、と思っています。時間堂に入って、中の人になったからできた経験はすごく沢山あって、それはすごく大変でもあったけどすごく面白かった。そしてやりがいもあったけど、プレッシャーもストレスもものすごかったから、本当にもうよっぽど腹を決めないと入れないな、と思います。ちょっとおこがましいかもしれないけど、私の匙加減一つで人の人生を狂わせるかもしれない、って時間堂でプロデューサーをやって初めて思ったんです。もしここで判断を間違ったら借金地獄になるかもしれないし、演劇がやりたいのに続けられなくなるかもしれないし。自分ひとりで責任をとれる範囲だったら別にいいかなと思うけど、人の人生がすごい揺れるかもしれないというのは、結構恐い経験ではありました。だからどこかの団体に入って中心的なプロデューサーとして活動をするというのはよほど運命の出会いがない限りないかなと思います。


さっきネビュラの面接での話もしたけれど、もともと時間堂に入るまではひとつの団体に入ってとっぷり活動する気もあまりなくて、いろんな団体とちょっとずつ広く関わっていたいという気持ちもあったので、実は私の中では時間堂に入ったことの方がイレギュラーだったりもします。5年もいたんですけど(笑)。


時間堂の中でも、俳優や演出家が「こういうことをやりたい」って言った時に「じゃあどうやったら実現できるか考えよう」という立場ではあったんだけど、それをもっと多くの団体に対して側面支援をするような形にしていきたいかなと思っています。私が中に入って舵を取るのではなく、それぞれの団体の目標に対して「こういうふうにしたらいいんじゃない?」という提案や、「こういうお手伝いならできるよ」という関わり方を今後はしていくんじゃないかな、と思います。たぶんその方が私自身冷静になれるのでいいんじゃないかなとも思います(笑)。胃が痛くて眠れない夜も来ないかな、と。「仕事だ!」と思って外注先の現場に行くと、とても落ち着いて良いパフォーマンスが出来るんですよね(笑)。時間堂だと「あれもこれも大事」ってなってしまうので。


ー時間堂という名前と、十色庵は今後も残るんですか?


劇団としての時間堂は終わりなので解散して活動もなくなるんですが、「合同会社時間堂」という法人名と、十色庵のスタジオは残ります。ただ時間堂という名前を使って仕事をするとどうしても劇団としての時間堂のインパクトが強いので、今後の表向きの屋号としては「十色庵」ということになります。


ー最後に一言お願いします。


本当にいろいろ聞かれるんですけど、本当に解散しますので(笑)。よく「嘘でしょ?」とか「時間堂が解散するなんて」と言ってくれる方もいて嬉しい反面、本当に解散なんです。なので、ほんとに後がないから、ほんとに観てもらいたくって。別に今までの解散しなかった公演を観なくてよかったわけではないけど。さっきもちょっと話したけど、純粋に作りたい作品に向かって、後先考えることなく作れるとてもしあわせな作品だなあと思っています。しかもそれをいろんな人たちの力を借りて作った自分達の十色庵っていうスタジオでやれるなんて、こんなに恵まれた解散公演はなかなかないよと思います。

たぶんすごく吹っ切れた作品になるはず。

「こんな良い作品をつくれるなら、解散しなくていいじゃん」と思えるような作品を作っちゃうんじゃないかと思って、俳優と演出を見ています。


(2016年12月1日 十色庵のおとなり ガトーココにて)


[大森晴香制作扱い 予約フォーム]

https://www.quartet-online.net/ticket/rosa2016?m=0aahaaj