十三の話-不動産会社で生きるということ

古人曰く「どこへ行くのかがわかっていなければどの道を通っても何処にも着かない」。何処に行くかさえわかっていればたとえまわり道をしてもそこに着く。徒然の大いなるまわり道の記録が本ブログの趣旨である。 ※このブログはリンクフリーです。コメントは承認制ですのでご了承ください。

朝、出社して、パソコンを起動させてメールをチェックする。掃除をして、朝礼があって、席に着いたらレインズにログインして、いくつかの地域の登録状況を見る。そこから、各担当者が各々の活動のため営業店を出て行く。昼前に一度戻っていくものもいれば、夜まで帰って来ない担当者もいる。成果は厳しく求められるものの。日々の活動の裁量が大きいところが不動産業界の良いところだ。

今、どこの不動産業者も市場が冷え込んで、経費削減のために営業店を統廃合して事業を縮小する傾向がある。その前に多くの社員が辞めて行った会社もあるようだ。稼げないから無理をしてまで稼がない担当者もいる。停滞感がどこの職場にも出てきている。会社の業績が悪化する前に必ず起こる現象がある。

それは、幹部社員の交代である。それまでの幹部が業績の軽微な減少を問われて淘汰され、より小粒で社内向けには優秀な者が新たに幹部の席に座る。業績は顕著に右肩下がりが続くのが常だ。業績が上がらないのは、有効な対応ができないこととリーダーシップの欠如が原因ではなく、各担当が自分たちの指示した通りに動かないからだと言い張る。馬鹿馬鹿しいと感じた社員がさらに辞めて行くという悪循環が続く。

やればできると新人の頃からベテランになるまで言われ続けて、それでもできないで鬱屈した日々を過ごすこともある。たいした努力もしていないのに大きな成果を上げた記憶が邪魔をして何もできないでいることもある。モチベーションの持続は実際に難しい。意識していないと、すぐに行動に表れて数字がそれを証明する。地球を救うような仕事でもないし、褒められても貶されても、何か変わるわけでもないから、組織が実際の市場よりさらに悪化していくことがある。

良くないことだが、不動産の営業職は社内の立場が弱ければ、即座に数字に表れるものだ。外へ向かうべき力が弱くなる。内部に活力がないと急速に組織は弱体化する。営業店の統廃合はそうした時におこる現象でもある。大きなア声を出せ、キリリとした挨拶をせよということが解決策とは昭和な話だ。

目標とする数字が伸びないときに、よくない状況を足元からひっくり返す方法があればいいわけだが、そんなものはまずない。必要な手続きを省いたり、ズルをしたりしがちだが、「急がば回れ」(Slow and steady wins the race.)という言葉もある。近道があればいいが、自分から穴に落ち込むようなことはしない方がいいだろう。誰かを罰する機会を虎視眈々と待っているあら探しが得意な者が社内には必ずいるものだ。

何処でも通用する個としての能力を高めて行けばいいわけだ。社内がどうあろうと市場がどうあろうと生き抜く本当の力を得るようにはしていきたい。

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リーダーを目指す人の心得
トニー・コルツ
飛鳥新社
2017-06-23


コロナで亡くなったが、米軍統合参謀本部議長、国務長官を務めたコリン・パウエルの書いた「リーダーを目指す人の心得)」はいい本だ。ビジョン、ミッション、ゴールを設定しないで怒鳴ってばかりいる会社幹部に是非読ませたい。「何事も思っているほど悪くはない。朝になれば状況はよくなっている」という言葉は実感としてある。マイナス思考は仕事上も何の助けにもならないと思っている。





ずいぶん前の話だが、ハウスメーカに土地を買ってもらう契約をまとめたことがある。市場調査を入念に行って再販価格を調べ、役所に何度か足を運んで事前協議の内容や日程を確認して、敷地が接する隣地所有者の所在の確認をして、ハウスメーカーの担当者が動きやすいように社内稟議の助けになるような説得力のある資料を集めてまとめ上げた。

契約の日、ハウスメーカーの担当者が一時間近くも遅れてやってきた。担当者が到着する前に、売主が怒って帰ってしまっていた。当然、契約も流れた。その日のうちに、菓子折りを持って担当者の上司と一緒に売主宅に謝罪に行ったが駄目だった。売主は大きな農家の人で、温厚な人だったが、そんな人を怒らせるような失態があった。

その時に売主に言われた言葉はよく覚えている。時間の約束すら守れない人と一体何の約束をするのかということだ。時間を守ることは最低限のマナーだから、返す言葉がなかった。よくあるようなことだが、こういうことはあってはならない。一生の間に何度もないことだからと日本中の不動産業者にのホームページにも書かれているが、その担当者にだって滅多にない機会だったはずだ。

基本的なことだが、人から信用を得ようと思えば、どうでもいいようなことをキッチリやることだと改めて思ったが、後の祭りではあった。詰めが甘くて取り逃がすチャンスは実際多い。たとえば、「来週再案内なんです。」と目を輝かせる担当者はどこにでもいるが、来週もお客さんである保証はないだろう。その日に結論を貰えない状況を作った言い訳でもある。何度も再案内になるならその場で断られたほうがいいと思っている。

仕事においても実生活においてもそうだが、何をやってもうまくいかない時がある。コツコツ積み上げたものが機能しない。なんとかしようとしても倍ほども手がかかって、ストレスを感じるようなときがある。問題なくことが進めば、辛い仕事では決してないが、ミスの連鎖はそれでも続く。ますます居心地が悪くなる。

いろんな問題があったとしても、答えは出ている。今の場所が不本意だったら、努力して抜け出すしかない。立ち直る機会はやりがいがあって面白い。山上からの景色を見るよりも坂の上の雲を掴もうとするときの方が生きている実感がある。ミスがあったら許してもらえるまで謝ればいいし、小さなミスをしないように注意力を上げる。知らないふりをしていても周りは見ているものだ。

毎年、若手の社員が大量に辞めていく。辞めて後悔しない人が大半なようだが、踏みとどまってそのうち見ておれと再起を期すというのも悪くない選択肢だと思う。映画「ロッキー」の中で、世界戦の前に主人公ロッキーが、入院中のエイドリアンに向けて言った言葉がある。少し違うかもしれないが、「最後のゴングが鳴ってもまだ立っていたら、俺がゴロツキじゃないことを証明できる。」と。・・業界に残って、ただのゴロツキでないことを証明することもいいのではないか。

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ロッキー (吹替版)
カール・ウェザース
2023-08-09




有名タレントが起こした女性トラブルで、テレビ局の幹部が関与したのかどうかが問われて大騒ぎになった。首脳部が10時間にも及ぶ記者会見を行った。 そもそも示談に持ち込むのに9千万円も支払わねばならないトラブルとは何だろう。もし当事者間で示談が成立しなかったら、刑事告発されるような内容なのだろうか。

立派な肩書の首脳陣も返答に窮してシドロモドロになり、ずいぶんアタフタした場面もあった。何かを守るためにそんな場面になったのかもしれない。会社側にとっては10時間も会見をしたという事実が必要ではなかったか。説明責任を果たした根拠として。それでも、もし被害者が泣き寝入りして会社に報告していなかったら、示談にすることもなく、記者会見もなく、同じことが続いていたのかもしれない。権力は絶対に腐敗するというのは政治にとどまらない公理のようなものだから。

会見で、特に感じたことは、自社の社員にまったく敬意を持っていないのではないかということだ。被害者を庇うような発言もあったが、報告を受けてもそのタレントを使い続けたことの言い分がおかしい。本来、組織とはそうしたものなのかもしれない。兵隊には認識番号があるだけで顔がない。ビジネスだと言ってしまえばどんなことも正当化されることがある。

視点を不動産の仕事に変えて見たい。誰でも業務に関して言えないことがあるのではないか。わかっていて気づかぬふりをして黙っていることはないか。心理的瑕疵、境界標、越境、住宅ローン、許認可事項の進捗、隣接地関係、成約に至る交渉過程について、いろいろな局面を考えることができる。隠していても何かの機会に問題になることもあるし、担当者が退社して数年後に発覚することもある。大きなトラブルに発展するまえに当事者間で合意して解決することもあるだろう。

後ろめたいことがない担当者がいるとしたら若手で経験の少ない担当だけではないか。他人を欺きながら自分自身を騙しているようなことはないかな。どこの会社のサイトにも書いてあるように、不動産の売買は一生の間に何度もないことだからヘタを打つと大ごとになる。急げ急げと言われて、必要な手続きを踏まなかったり、本来、関与してはならないことをしてしまうようなことはなかったか。

会社が秘密裏に闇に葬るようなことはなかったか。騙し騙されて平穏を装うことはないか。急に社員が辞めていなくなったり、上司が降格になったりしたことはないか。重圧感で仕事が続かなくなった社員はいなかったか。その闇には何が潜んでいるのかわからない。闇は不安を増幅する。

仕事の進め方において当然優先順位がある。重要度、緊急度の高いモノから処理していくことは当然だが、わかっていてできないこともある。他の業務もなおざりに放置していると、結局はすべてに影響が出て全体がぼやけて雑になっていくこともある。雑に対応するからトラブルがあると長びいてしまうこともある。昨日の何もない時点に戻りたいと思ったことはないかな。

仕事で起きたことは記憶にとどめるだけでなく、記録に残したい。メモでもよいからあとで振り返ることができるようにしたい。上司や同僚の行動が不自然だと感じたときなどは特にそうだ。そういうときは何かあるものだ。仕事は数字がすべてではない。家族に顔向けできない自分であってはならない。長く不動産業界にいるが、そんなに大した人物は
滅多にいないものだ。

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新卒の初任給を引き上げる企業が相次いでいる。30万円とか40万円とか結構な額だ。優秀な人材を確保するためだとか、これもまた企業の論理だ。全社員の給与体系を変更するわけではないだろう。既存社員との給与の逆転現象起きるだろうし、第一、そんなものに釣られて進路を誤らなければよいが。敬意の対価としての初任給アップではない。・・新人の頃、チラシの作成と印刷とポスティングしかさせてもらえなかった。こき使われてはいたが、毎日が楽しかった。先に希望があったからだ。不動産の営業担当者はギリギリのところで勝てばよい仕事だと思ってきた。


土地の資料があれば間取りを入れてみたい。造成計画、外構についても簡単なものでよいのでを入れてみたい。一度、間取りを入れてしまえば、おおよその費用が出る。いろんな提案もできるし、なにより説得力が増す。設計用紙が無ければ方眼紙でよいので、とにかくその土地を最大限に活かす間取りプランを入れたい。最初は間取りを引くのに半日かかっていても数をこなせば、30分もかからないようになる。

間取り作成時には、隣地の窓の位置と建物配置に留意したい。側溝、隣地とのレベルの高さには特に注意したい。GLと排水は土地の命だから。リビングには必ずキッチンテーブルとテレビ、ソファーの配置して違和感がないかを確認する。おかしな動線になっていないかよく考えてみる。「参考までに一度プランを描いてみましょうか」という提案ができなくとも、説明するべきポイントが出てくる。

自由に間取りを入れることができるようになれば、重要事項の調査時にミスも少なくなる。隣地関係に自然に目が行くからだ。不動産の価格は隣地の利用状況も当然含まれる。現地を見る時にも前面道路の架線が手前にあるか、道路の対側にあるかで建築工事のときにクレーンがスムーズに操作できるかどうかと言うこともチェックできるようになる。その土地の強みと弱みがすぐに理解できるようになる。

こういうことは何度も若い営業担当者に言ってきたが、聞いてはくれるが実行できていない。長い実務経験がある担当者でも視野が狭くてスキルが伸びない。他社にいっても通用しないこともある。自分のレベルに合ったお客さんしか相手にできないからだ。地道な作業を繰り返していけばそれなりに面白い絵が描けるのに惜しいことだ。

お客さんとの接点、いわば「よすが」はより多くあったほうがいい。自分の抽斗(ひきだし)を少しでも多く持っていたい。何故なら、ここのところずっと業界が縮小傾向にあるからだ。営業マンが5人いれば、1番、2番はこれまでの数字を維持できるが、これまで食べていけた3番が苦戦している。4番、5番は世間任せ、あなたまかせにならざるを得ない。大手業者の店舗の統廃合が増えている。中小業者なら推して知るべしだ。

不動産の営業職は、たとえば銀行員の不動産業者への営業とは異なる。銀行員の営業はいわば御用聞きであって、頭は要らない。金利表と商品のメニューの資料があれば誰でもできるが、家を一軒売ろうとすれば、それなりに気も使うし頭も使うはずだ。どこまでお客さんの懐に入り込めるかということが問題になる。やる気や熱意だけでは、まさに場当たりになる。間取りは一つの例だが、土地を売るなら、土地を二次元で見てはいけない。坪単価で安いか高いかなどと言うのは意味がない。最大限に利用するにはどうすればいいのかを考える。

・・そんなことを薄ぼんやりと考えていたが、年末年始の休暇もようやく終わる。世間的には6日月曜日からの仕事始めだが、4日の土曜日には営業が始まる会社もあるだろう。去年より厳しい一年になることを前提に動き始めねばなるまい。働き方改革とは労働環境を改善して、多様で柔軟な働き方を自分で選択できることを政治目標に掲げてはいるが、残念ながら、そうはならないだろう。甘い考え方では生き残ることはできないからだ。間取りは一つの例だが、もっと仕事に興味を持つべきだろう。自己評価が高いと生き残れなくなるだろう。

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いつの間にかいなくなってしまった営業担当者がいた。生真面目な性格で、夜遅くまで働いていたが、周囲から、というより同僚からは嫌われていた。いつも会社を代表するかのような発言が目立った。何かにつけて他の営業マンのあら探しをやって点数を稼ぐと陰口をたたかれていた。そんな人でも仕事量の多さとストレスに耐えかねたのかある日を境に会社で見かけなくなった。営業ではなくて管理部門ならやっていけたのかもしれないが、コールドフィッシュというのか周囲との接点が見つからず、誰とも打ち解けないでいた。

会社は利益を生み出すことを目的とした機能集団ではあるが、ムラ社会的な共同体でもある。コミュニケーション能力に問題が無くても、業績が悪くなくても、秩序を乱すなら異物排除の機能がうなりを上げて働いて、あっという間にその人の居場所を奪ってしまう。無理な働き方は最後のあがきであったのかもしれない。周りを傷つければ自分も傷つく。人を呪わば穴二つとはよく言ったものだが、周りの人は協力者にもなれば、検察官、裁判官のようにもなる。後ろから飛んで来る弾丸は避けがたい。

もっとも、何が正しくて何が間違いなのかはわからない。その時々で価値判断は変わり続ける。間違ったはずの人があとで惜しまれたりもする。組織の論理が馬鹿々々しくなってウンザリしてしまうこともある。空気を読めないなら、それに耐えるメンタルの強さが必要になる。本当に会社というのは面白いところだと思う。それでも、人は誰でもやるべきことをやるしかない。

新卒で入社して定年まで働き続けることが良いのかどうかはわからない。新卒で入社しても数年を経ずして退社してしまうので、自然に職場はほとんど中途採用になる。中には数年ごとに会社を変わる人もいる。人は立場でものの考え方が変わるものだ。ある担当者は他の大手業者にいたが、ある時期から意欲を無くして数字が落ち込み退職した。十数年勤めて退職金が200万円だったと言っていた。

ところで、退職金をどう評価すればいいのだろう。長年の勤務への功労金。手切金、口止め料、残った社員に安心感を与える宣伝活動費か。40代で家を買う買主に定年時の退職金の額を聞くのは普通のことだが、60歳で2千万円もらえるというような人は一流企業に勤める人と公務員だけの話なのだろう。不動産の仕事は一部の人たちを除いて退職金とは無縁だな。もの言えば唇寒しと言ったところか。

歌会VOL.101


















休みに入り、『中島みゆきコンサート「歌会VOL.1」 劇場版』を見てきた。1970年代から現在までこれほど長く第一線にいたミュージシャンは珍しい。観客席にも若い人から高齢者まで幅広い年代の人がいた。学生の頃、深夜ラジオの放送を愉しみにしていた。多くの人々の記憶に残り続けている。眼鏡をかけていたが、声量は衰えていない。・・仕事とは何だろうかとエンドロールを見ながら思った。・・エンドロールが流れて初めて気づくことが大半だとも思った。これは生成AIでは判断できない領域でもある。今年ももうすぐ終わる。




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