十三の話-不動産会社で生きるということ

古人曰く「どこへ行くのかがわかっていなければどの道を通っても何処にも着かない」。何処に行くかさえわかっていればたとえまわり道をしてもそこに着く。徒然の大いなるまわり道の記録が本ブログの趣旨である。 ※このブログはリンクフリーです。コメントは承認制ですのでご了承ください。

公立学校の卒業式で日の丸を掲揚し君が代を斉唱することに反対する教職員が問題になったことがある。自己の信条に反するからと、一生に一度の行事を台無しにし、児童生徒の心を傷つけることになんら躊躇もない。税金で雇われていながらなんたる不心得、恐るべき集団だと思ったことがある。実際、学校でその手の教師に出会ったこともある。

世の中にはルールというものがある。公式ルールもあるし慣習化された不文律もある。同調圧力、異物排除は社会の掟で、教師だろうが警察官であろうが、不動産の営業担当者であっても同じだ。ヤクザの世界にも仁義があるだろう。

先の教師たちだって動員をかけられれば赤い旗をもってデモに参加するのだろうしビラも配る。参加しなければ仲間とは見做されないから。周りから自分を守ってもらえないから嫌でも参加するはずだ。世間から見てとんでもないと思うことであっても集団内のルールが優先されただけかもしれない。真っ正直で純粋なものもいたろうし、単に世間を知らないだけかもしれない。

どんな会社に入ろうが、気に入らないからと朝礼や会議に出席しないことは許されない。たいていの不動産業者は毎朝、事務所を全員で掃除するもので、始業時間前だからどうだなどという者はいない。これは闇残業とは全く次元が違うものだ。

仕事ができない担当は不満が多く文句ばかりいうが、自分が未熟なことは問題にしない。時間の守れないものはどこの会社に行ってもすぐにお荷物になるのは、集団内のルールを守るというスキルがないからだ。暗黙のルールを守ることを意識しないとどんな仕事もうまくいかない。自動車学校でスピードを守りながらも車線内の前後をよく見て走れと言われたことがある。 

汚れた営業車は洗わねばならない。ときに汚れていなくても洗わねばならない。報告は遅れてはならないが相談すると解決できないトラブルもあるだろう。あくび、ため息の多いものは遠からず排除されるだろう。誰に対しても答えの読めない質問をしてはならない。教科書に書かれていないルールを読み解くことが必要とされるスキルの第一だ。その場の空気にルールが書いてある。読めないものはいつまでも読むことはできない。

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年末にジャンボ宝くじも買わなかった。年始に初詣にも行っていない。人ごみに紛れることに恐怖感があるな。コロナが収まらないどころかどんどん感染者が拡大している。緊急事態宣言が発出されればコロナ以上の被害が出るだろうが、今の苦しみから逃れるためには衝動的に自傷行動を取るのが人というものだ。急に切れてしまう担当者、希望の仕事が無くても辞表を出す担当者もいる。淘汰される理由を気づかないまま。

某コンビニの「お母さん食堂」というネーミングが差別的だと反対するものがあるが、言葉狩りには注意したい。性差別というが惣菜、冷凍食品の話だ。倫理的に誰かを裁かねば気がすまぬ性向こそ問題だな。動機が純粋な人もいるだろうが異心あるものもいるだろう。何にでも理由があり、置かれた状況がある。政治利用する議員もいるがどこの国の人間かと思う。

グッド・ファイト 華麗なる逆転 シーズン1(トク選BOX)(5枚組) [DVD]
ジャスティン・バーサ
パラマウント
2019-10-09


「グッド・ファイト 華麗なる逆転」シーズン1-3を見ていた。弁護士事務所を舞台にした法廷ドラマであり、時事問題を扱いながら、次々と起こる難問を切り抜けてゆく姿が良い。恒例のテレビの番組が好きではない。




大人と子供の違いはわかるか。子供は物事を是非善悪で判断するが、大人は損得で判断することだ。大人は頭で悩むが、子供は心が苦しむことになっている。大人には過去があるが子供は今しかない。単純な話だ。一人の人格の中には大人と子供がいつも一緒にいる。子供でいていいときは子供になるし、都合が悪かったりすると大人になったりする。

営業マンがよくお客さんにいう言葉がある。「正直にいうと」という言葉。この言葉が前置きで出てくると、たいていそれは正直な話ではない。誘導しているだけだ。お客さんに少し注意力があれば簡単に見破られる。安っぽい言葉だが、社内でもこんな小手先の言葉を平気で使い、それがまかり通っている。

その場の立ち位置ということで人の言動、行動は成り立っている。必ずしも正しい位置にいるわけではない。必要とされる位置にいるだけだ。必要とされない者に立ち位置はない。会社や店の業績が急におかしくなるのは、その場限りの有利不利で頷くからだ。

大きな会社も小さな会社も愛社精神の塊のような者の浅はかな判断から厳しい状況になる。思慮無く頷いただけだ。見識のある立派なものは不動産業界には向かないものだ。人の意見はそれぞれで誰でも表明する権利があるが行使はしない。不利になるからだ。その場の力あるものの言葉に引きずられていく方が楽なだけだ。

12月も早や半ばか。師走というがたしかにかに忙しい。今年は忘年会の誘いもほとんどない。クリスマスパーティーなどもないだろう卒業式や入学式、運動会やオリンピックもなかったのだから当たり前だが、観光業界、飲食業は大打撃の年だった。不動産の営業担当者はなんとかやっていけているようだ。青息吐息という状況ではなく、思っていたほど悪くはないという状況か。

影響が深刻になるのは来年だろうなと言いあっているが正しいかどうかはわからない。それでも目線を上げて前を見て歩かねば途端に躓き後れを取る。隣の芝生は蒼いかどうか。枯れているのではないかと噂の出ているところもある。不動産業界で生き抜くのに大事なことは、「考えて結論が出るならいくらでも悩めばいいが、そうでないなら考えるな」と昔、先輩の担当者に言われたことがある。なに、末路哀れは覚悟の前の業界だ。やるだけはやってみるさと思っていればいい。

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幸せの教室 (吹替版)
山路和弘
2013-11-26

トム・ハンクス×ジュリア・ロバーツが共演した「幸せの教室」を久しぶりに見た。最近は法廷ドラマばかりにはまっていたからこういうコメディタッチのものが新鮮だった。どこかほっととする作品だ。


高速道路を走っていると一定距離ごとにサービスエリアがあるが、それに似たものに、国道沿いの「道の駅」がある。食事やトイレ休憩のために利用されるが,地元の地域振興策としてもあるので、中には小さな市場があって、地元農家の生鮮食料品が新鮮で安い。

野菜などは形の整ったものばかりではないが、生産者の農家の人の名前や顔写真が箱に書いてあって、安心感がある。撮れたばかりの商品がダイレクトに農家から店に並ぶのでお値打ち感がある。いいものを買ったなと思ってもらうことが有利なことは、どんな商品にも言えることで、もちろん住宅も同じだ。

同じ売り方でも、スーパーの閉店前の見切り品のような売り方はしたくない。必要な時に必要なものが少し足りないくらい量であればよく売れるが、鮮度を落とした商品が山のようにあればどうにも売り辛い。同じ地域にいくつも物件があれば要注意だ。銀行に返済を迫れれて泣く泣く叩き売るケースもあるな。

今、どこの業者に尋ねても、中古も新築もよく売れている。住宅ローン控除の入居期限のこともあり、コロナで一時期、供給が少なかったせいで、品薄感もあるからかもしれない。先日も地元のとの業者の責任者と話をしていたが、5月の緊急事態宣言の解除以降もお客さんの問い合わせとか来店が少なくなって、このままで大丈夫かなと危機感があったそうだが、意外な状況という印象のようだ。

ただ、その危機感を募らせていた時に、全員で知恵を出し合って、不要な経費は削ったり、これまでできるのにしなかったことをやり始めたり、お客さんへのコンタクトの仕方を改めたり、身動きが機敏になって、少しスキルは上がったという。それでも安心はできないので、今はより積極的により丁寧にお客さんにあたっているとのことだ。

普段、強がってはいるがこれほど不安定で心細い仕事も少ないだろう。不動産業者は雨が降っても風が吹いても心配ばかりで、いつもビクビクするだけだ。運命はいつも戦う者の味方だ。怖がって前に進もうとしないものは、堕ちていくだけだ。いわば、世間的にも社内でも落ち武者狩りに遭うわけだ。世間で戦うにはスキル不足のものも少なくはない。

それでもひとりひとりに物語があり、消えるのは簡単なことではないが、不思議と知らない間にいなくなる。皆それぞれ譲れないものをもっているということだ。意地を通す、筋を通すことは悪いことではない。生きていくには勇気も必要だ。

今年、コロナで大きな被害が出た。感染しなくてもその余波で仕事を失った人もいる。大企業から他社に出向になったりボーナスが出ないなどは、むしろ運がいい部類だろう。今以上の状況が来年も続く。家を買おうとする人に敬意を表したい。

不揃いの野菜も鮮度があれば売れる。社内で業界で生きていくには意地と勇気だな。足並みを揃えて間違ったことをする会社は淘汰される。ずいぶん無茶振りをさせられる担当もいるだろうが、やっていいことと悪いことはあるだろう。



七人の侍
津島恵子
2015-04-22


黒澤明監督「七人の侍」は何度見てもいいな。志村喬演じる浪人の頭目「島田勘兵衛」がいい。統率力があり、戦略眼があり、個人の武芸に長じていて、そして、いつも負け戦になる。
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「よし、わかった。もうわめくな。この飯、おろそかには食わんぞ。」。野伏りの襲撃から村を守ってほしいという百姓の願い受けた勘兵衛。命を的に割の合わぬ選択をした。

「腕を磨く。そして、戦に出て手柄を立てる。それから、一国一城の主となる。しかしな、そう考えているうちに、いつのまにか、ほれ、このように髪が白くなる。そしてな、その時はもう、親もなければ身内もない。」。若き日から今までの回想を漏らす初老の武士の哀しみが滲み出ている。

「他人を守ってこそ自分を守れる。己のことばかり考えている奴は 己をも滅ぼす奴だ。」。村人を一つにまとめねばとても守り切れない。分断派の農民には抜刀し威嚇した。



窓から見える景色は買うか買わないかということを決めるのに大きな要素になる。同じ住宅地でも周りが取り囲まれた家と、眺望のよい風通しのよい家では売れ行きももちろん価格も違う。最近、どこの住宅地に行っても目につくのは空家の多さでだ。特にニュータウンがひどい。整然とした街並みで、道路が広くて開放感があっても、そこを出ていく住人が多い。

当初の入居者が高齢化してより便利なところに移っていく状況が続いている。坂があったり、駅やかかりつけの病院が遠かったり、利便性の点で住みづらいからだ。住環境よりも利便性のほうが優先度が高いとも言える。需要も状況も変わってゆく。1区画では売れないので建売業者が分割することが多い。庭付き一戸建てはサラリーマンの夢だったのは昔の話か。

そんな中で、空家は何かと不用心なので自治会が対応策を検討しているが、空家でなくても、違法駐車とか、草が上がってきて放置されたままの土地とか、最近、特に問題になっているのが、迷惑行為を繰り返す住人が増えていることだ。家族が面倒を見れなくなったことも原因だが、ゴミ屋敷に近い状態の家とか、大型犬を放し飼いにしているとか、最近、見に行った物件は自分の敷地でもないのに道路に鉢植えやペットボトルを置いて往来妨害をしていた。

月末に担当者が売りたい物件は、マイナスのポイントを見逃しがちだ。隣のことは関係ないと言うが、不動産というのは周りの環境も含めて価格がついているもので、売買対象だけ問題なければそれでいいというわけではない。自治会にも限界はあり、行政にもできることとできないことがある。行政代執行にどれほど時間がかかることか。遠く離れた家族は解決してくれない。家族や親類でも厄介者だろうから。

大手の仲介業者は近隣の状況を重要事項説明書に書く。あとあと問題にならないよう説明をしたうえで買ってもらわないと、のちのちクレームになるからだ。説明をしてあっても、あとでこれほどひどいとは思わなかったと言われることもある。クレームは避けがたいが、重要事項の説明義務違反は何かと面倒ではある。知らないことまで説明できないからだ。現場の直感が大事なことは言うまでもない。

朝、少し早く会社に行くことを勧める。誰もいない事務所で缶コーヒーでも飲んで周囲を見渡してみよ。あと30分で何が起こるかは誰でもわかるが、この職場の一部になっている自分に気づくだろう。その他大勢の中にいる。それは何らかの権限があっても無くても同じだ。自分がいなくなっても半日もすればまたその環境が当たり前の風景になる。

権限は自他の関係を律して誰かを裁くためにあるものだ。プラスであろうとマイナスの評価であろうと意図的に裁かれている。裁いている権限のあるものも実は裁かれている。上からも下からも。「あいつは使えない」、「うなづく以外のことが何もできない」という会話はいつでもどこにでもあるだろう。給料は裁きを受けることの代価でもある。事務所に備え付けの従業者名簿を見て見よ。どれほどのものが出入りしたことか。不動産会社は苦痛と不安、怒り、夢、希望が常に入り混じって出入りする場所でもある。

束の間という言葉が好きだな。一瞬のことだ。刹那といってもいい。山の頂点にいてもそれは束の間のことだ。ニュータウンの住人のように何れは出ていく。それもすぐに起こることだ。缶コーヒーを飲み干す間に起きることだ。大企業だから、大手の業者だから安定していると思っているものがいるだろうが、刹那の中でその場に居合わせているだけのことだ。気づかないことがいいのかもしれない。

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杉原千畝 スギハラチウネ
小日向文世
2016-06-02



久々に、映画「杉原千畝」を見た。千畝はチウネと誰もが読めるほど有名な話だ。失策と汚点の多い日本の外交で唯一世界に誇れる日本の外交官の話だ。戦前、リトアニア領事代理として外務省の訓令にあえて背いて、ナチス・ドイツの迫害から逃れようとするユダヤ人難民に通過ビザを発給し続けた。帰国後、職を追われたが、戦後、イスラエル政府から表彰されたのち、20年もたってから名誉回復した。優秀な人が集まって馬鹿げた決断を下す見本のような話だが、組織より個人としてどうあるかが大事なことだと改めて感じた。今も、護憲だ平和だと立派なことを言いながら、香港の人権弾圧には一切何もしない護憲派、人権派という人たちがいる。良心というものがなく、ただ、生業として絵空事を主張しているだけだ。似非は嫌いだ。



業務推進とか営業推進とかいろんな呼び方もあろうが業種を問わずどこの企業にもそういう部署はあるだろう。仕事は何ですかと聞かれて答えにくいポストではある。会社を引っ張っていると自負する人もいるだろう。手足ではなく頭で、間違っても雑用係とは思っていないだろう。車でいえば、ブレーキの役割だが、奇妙なことにアクセルだと勘違いする人が大半だろう。船が沈むときには乗客を置いて、救命ボートで真っ先に漕ぎ出す不思議な立場の人たちだ。大企業ほどそうではないかな。

船の乗客には一等も二等も三等もある。一等客室は相応のサービスが提供されるが、船底の三等客にはそんなものはない。「その辺を歩き回るな」と乗員に怒鳴られるまでは自分の判断で動くしかない。大きな船でも沈むときは沈む。救命ボートには一等客しか乗れない。3等客室の中でも、俺が一番だと怒鳴り散らす管理者はどこにもいる。気の毒だが怒鳴る理由の一つがそこが3等客室だと知っているからだ。船の中には富豪もいれば着の身着のままの移民もいる。

来月は賞与だと言うのに希望のない担当者や、毎日、厳しい対応で途方に暮れている担当者もいる。20代も50代もこの場にいる限りは何も変わらない。家に帰って職場の愚痴を嫁に言ったり辛く当たったりしても子供の寝顔を見て、何事かを思う者もいるだろう。そこに居るのか居たいのかは自分で決めるしかない。今年も多くの担当者が職場を去った。別に負けたわけではない。残った者が置いてきぼりを食っただけかもしれない。3等客室に勝者も敗者もない。そこを出たときに希望があるかどうかだ。

やっていこうと思えばやっていける。嫌いな者とも仕事はできるし、希望した本来の仕事ではないが、どんな役割も誰かがやらないといけないものもある。誠実で弱腰だから便利使いさせられるのかもしれないし、チャンスを得ることもあれば失うこともある。聞きたくないから会話を打ち切るのはよくないし、噛みつくように声を出すのは嫌われやすい。折り合いをつけることはできる。感情に支配されて考えやアイディアをおろそかにしないようにしてきた。

一等船室の客はお客さんだと思えばよい。一等客の主張が正しいわけでもあるまい。本質を曲げずに少し言い分を聞いてやればよい。2等船室と一等船室の間には小さいが通路はあるが、3等客室はどこにもつながってはいない。状況は楽しめばいい。座右の銘というほどではないが、好きな言葉がる。首相というより海軍大将米内光正の言葉「人間と言うものは、いついかなる場合でも、自分の巡り合った境遇をもっとも意義あらしめることが大切だ。」。自分は自由なんだと思いを新たにして、毎日、やっていけばよいだけだ。

米内光政 (新潮文庫)
阿川 弘之
新潮社
1982-05-27



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映画「子連れ狼 その小さき手に」を久しぶりに見た。萬屋 錦之介の主演作よりこちらがいい。胸に迫るものがある。

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