十三の話-不動産会社で生きるということ

古人曰く「どこへ行くのかがわかっていなければどの道を通っても何処にも着かない」。何処に行くかさえわかっていればたとえまわり道をしてもそこに着く。徒然の大いなるまわり道の記録が本ブログの趣旨である。 ※このブログはリンクフリーです。コメントは承認制ですのでご了承ください。

選挙戦に突入して駅前だけでなく、小さな住宅地にも候補者の名前を連呼する選挙の車が通り過ぎる。付き合いのない小学校や中学校の同級生からも電話がかかる時期だな。駅前で「戦争反対」とか、「消費税ゼロ」とか大声で言われても何も響いて来ない。いったいどこの国と戦争になるというのだろう。民主派を弾圧したり、日本海にミサイルを撃ちこんだりするような国か。消費税は社会保障費の原資に使われる財源で、広く公平に課税されるものだし、脱税もしにくいから減税する意味がよくわからない。それでも日曜日は休めないので期日前投票には行ってきた。

暮らしはよくなってほしいと思う。不動産業界は景気の動向に敏感だ。少し金利が上がる兆候が出ただけで需要は大きく落ち込んでしまう。景気が良くない中で高い買物をするわけだ。上場企業に勤めていたり、夫婦ともに公務員というような恵まれた家族ばかりではない。誰もが進んでリスクを負うような境遇ではない。差し迫った理由で家を買ったり、土地を売ったりする。不動産業界の合言葉である「一生に何度もない買物だから・・」と言うのはある意味正しい。35年もローンに縛られるのだから。

マンションの価格がおかしいのではないかとは繰り返し誰かに訴えかけている。経済合理性を欠く価格になっている。投資目的で価格が変動することは好ましくない。商品の企画も気に入らない。大事なことを先延ばしにしてきてそろそろまずい状態になってきている。タワマンなど居住性も悪いし修繕計画、災害時の安全リスクが高い。一般的なマンションでも管理組合が機能していないし、管理会社の対応も事なかれ主義で、忖度ばかりで後手に回っている。

長期修繕計画は絵にかいた餅だし、古くなっても実際に建て替えは難しい。既存のマンションが700万戸あり、そのうち建築後40年超が140万戸もあるというのに、これまで建て替えられたマンションは約300件程度と聞いている。生かすも殺すも管理次第。住人は皆、何故無関心なのだろうか。「空中に放り出された石にとって上に行くことが良いことでもなく、落ちて行くことが悪いことでもない」とは古代ローマ皇帝アウレリウスの言葉だそうだ。気にしなければ問題ではないわけだ。

だから、選挙の論点が違うのではないかと言いたい。無関心は良くない。馬鹿げた主張で票を集めて当選されても困るし、先に光明の見える世の中であってほしい。相互が相互に依存しあって世の中は成り立っている。都市機能が損なわれる現象である空家問題は人口動態の影響ではなく、行政の政策ミスであるという点は指摘されない。所有者不明住戸、老朽化して危険な家屋やゴミ屋敷のような管理不全住戸はずいぶん以前から問題となっていた。それでも誰も手をつけなかった。問題は山積みだがどうして戦争反対とか消費税が論点になるのだろう。

AIが普及すれば、たとえばプログラマーのような職は不要になるかもしれないが、新たな需要も生まれるだろうし、投入すべき税金の使い道が論点であるべきと思う。医師は患者の痛いところを押す。どこがどれだけ痛むのかがわからなければ治療ができないし、患者は痛くても怒らない。選挙のときにしっかり国民の痛みを押さないで「戦争反対」で逃げないでほしい。・・オールドメディアは社会の木鐸ではなく寄生虫ではないか。本業の不動産賃貸業に専念するべきだろう。

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マンションの専有面積は建築基準法では壁の中心だけれども、不動産登記法では壁の内側、内法計算になる。管理規約は中心線で測る。視点によってものの見方は変わる。立場が変われば発言も変わる。社内にいれば、業績の低下は営業マンの動きが鈍い、活動が間違っているということであるし、社外から見れば、金利の上昇、購入者の所得が上がらない、総じて市場の停滞の影響ということになる。

さて、そのマンションだが、今や国民の一割を超える人が住んでいるということだ。タワーマンションは借りるもので買うものではないと言い続けている。実需でなく投資目的で売買されるから経済合理性を欠いた価格で取引されていることもある。安全上も火災が上層階で起きたらどうなるのだろう。老朽化した時の大規模修繕はどうするのかとの答えがいまだに出ていない。

タワーマンションでなくても、一般的なマンションでもその住環境というものは必ずしもよいものではない。大きくても小さくても住民間のトラブルが絶えない。ペット禁止のマンションで内緒で犬猫を買っていたり、上階の音、ゴミの収集のルール、初期の住民と後発入居の住民間の対立、モンスター住民もいるし、所有者の所在不明の空家もあるし、長期間間管理費等の未納もある。生活習慣の違う外国人居住者の問題もある。

建築後30年程度たっているマンションが実は危険である。まだ美観や居住性は損なわれていなくても、一度目の大規模修繕で修繕積立金が底をつき借入をしているところもある。維持コストのかかる機械式駐車場を取り壊し、空いたスペースに駐車場を増設するケースもある。外側からではわからない深刻な問題を抱えているケースが少なくない。管理組合が機能していなかったり、管理が厳しすぎて生活しづらいマンションもあると聞く。

分譲したディベロッパーや管理会社への不信感もある。本当かどうかは確認できないが、古いマンションの一部には図面には載っていない工事をしているようなケースもあると言う。分譲業者はそのことはわからないと回答する。管理会社の若いフロント営業マンはズブの素人のような者が多いとはある売主の意見だ。マンションはいわばコンクリートの箱であるが、ある意味生きている存在だ。
誕生から衰退まで、まるで生物のような道程を辿る。そして建替えの時期が来る。

現在、築後40年以上も経つマンションが115万戸もあるという。これからどんどん老朽化したマンションが増えていく。昨年度、建て替えの議決権が変更になったと言うが、反対する住民もあるし、有利になる住民もある。都市計画の変更や、容積率の余力で有利な建て替えができることが期待されるマンションもあるが、その反対の事情のマンションもある。仲介の営業はそんなことを気にしない。

築20年くらいで、賃貸家賃並みの支払いで購入でき、あまり費用をかけないでリフォームして、子供が学校を卒業するなど、適当な時期に手放して住み替える方が良いのではないか。タワーマンションなんて、あと10年もすれば大きな問題になるだろうと思っている。住まいのの確保は、まさに人生をかけた椅子取りゲームだな。管理会社へ転職した同僚はいつの間にか元の業界に戻ってきている。居心地は良くないが、ほかの業界よりはましだということなのかな。

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ヒトがサルから進化したものであることは学問的にも立証されている。ヒトとサルの分岐点はおおよそ600万年前だそうだ。神も仏もいない中で、環境に適応するために自己変異を繰り返してきた。無限の時間の中でより環境に適応したDNAの変異が連鎖してヒトになったと言える。

そのヒトが道具を使うようになり、その道具もまた進化して、武器になり、器具になり、衣服になった。ライト兄弟が初めて空を飛んでから60年ほどで人類は月に行った。空が飛べることがわかれば宇宙にも行けるということだ。それから50年でAIができた。

ヒトが数万年かかって得た成果をAIは学習して、ほんの数か月で世代が変わる。タマゴが先かニワトリが先か、少なくとも神も仏もAIもヒトができた後だ。AIはこれからも進化を続ける。AIの活動を驥足するものは設計目的、アルゴリズム、パラメーター、そしてその基幹には哲学がある。哲学の歯止めはいつか外れるのではないかと危惧する立場の人もいる。SF映画の世界観はこの恐れがある。それでも、AIはヒトのための道具である。

朝の朝礼の光景は10年前も30年前も変わっていない。活動指針のような理念と目標とする数字を大声で唱和して、訓示があって、気分を引き締めモチベーションを上げる一方で停滞感を醸成する。営業担当者にはまだ顔があるが、たとえば女性の事務職員には顔がない。いなくなればいくらでも補充できるという扱いだが、人の使い方を間違っている。

一般職だから補助業務ではなるが、優秀な事務員はくだらない幹部以上の働きをする。事務を正確にこなすだけでなく、営業担当者の後方支援の貢献度は大きい。一般職の事務員のスキル如何で業務のスピードが大きく変わる。顔が必要だし評価が必要だ。この偏見と現実の齟齬のDNAは変異しないと何れは自己破壊をもたらすのではないか。

人生の一時期、周囲の人が馬鹿に見える瞬間がある。調子のよいときは特にそうだが、そういうときは周囲の人を大切に扱わない。ある経営者は今まで何人クビにしたと自慢していた。人を使うことができない、人を育てることができないことを自分で認めているだけだが、人が馬鹿に見えるときは自分が馬鹿になっているときだと何れは気づくことになる。

駅前のラーメン屋と不動産屋は人知れず表れて気が付けばなくなっている。人は成長に時間がかかるが、組織にも人と同じく誕生と衰退がある。AIの活用で人を成長させることはできないのだろうか。先人の知恵を敷衍してうまく伝えることはできないのだろうか。人は年齢を重ねても進化しない。気の遠くなるような時間が必要だということだが、飛べることがわかれば宇宙へも行けるなら、企業文化を変えることくらいできそうなものだが・・。

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オールドメディアと言われる新聞に書いてあることが信用できないというこはずいぶん昔から言われてきた。新聞はもともと幕末の戊辰の役で賊軍になった側、西南戦争で敗れた不平士族の側が作ったものだから。そのDNAが今も生きている。第二次大戦後は負け組の左翼陣営がそこに巣くっている。嫉妬と羨望と絶望と現実逃避が入り混じった視点は公正中立でも不偏不党でもない。

迷惑なのは国民で、事実関係がわからない。たとえば、中国の政治、経済や人権の状況はずいぶん忖度されたものになっている。海外メディアの報道と齟齬する内容になっている。一部の政党の主張を代弁するような内容になっている。偏狭な政治理念に惑わされ多様性を認めないのが彼らの流儀だ。

その新聞、左派政党が多様性を認めろと言うからおかしなことになっている。人種や性別、宗教、価値観の違う人の集団を多様性という言葉に閉じ込めてよいことだと手をたたくのもいいだろう。ただ、それにはそれなりの維持コストがかかり、軋轢や葛藤がある。多様性はコミュニケーション、空気、ルールで縛り上げて初めて機能するものではないのかな。自国の首相の言葉を信用せずに一部の専制国家の主張に沿うように、外国と一緒になって自国を貶めることはおかしなことだ。

企業においても、多様性は給与水準を含めて高いモチベーションを維持する環境があって初めて機能する。それが今流行の言葉、ダイバーシティの実態だ。そんな環境を作るためにもっとも必要なものは何か。それは、経営者、経営陣のビジョンと業績を維持するリーダーシップ、その基幹とも言うべき哲学が必要だ。コンフリクトマネージング、リスク管理のスキルだろう。カネがあってもうまくいかない会社はこの経営陣の能力が決定的に欠けている。根を洗えばただの不動産屋だとも言える。

あの山一證券や日本航空のような企業でも潰れる時は潰れる。同じような商品を作って売っていてもトヨタとニッサンのような差ができる。ダイバーシティは、下から上に上がってくるものではなくて、極端なトップダウンがないと実現しない。日光が差さない日に花は咲かないものだ。友人は選べても親は選べないものだが、会社と言うのも入ってみないとわからない。

昨日もこの寒い日にサンドイッチマンのような若者が道行人に声を掛けていた。そんなことをしているのは歓楽街の黒服と、駅前の交差点のパワービルダーの営業だけではないかと思う。若いときのいいところはいつでも引き返すことができるということだ。船乗りの言葉であるポイントオブノーリターン。これ以上進んだら引き返せなく地点、あるいは航空機におけるラストチャンスエリアを若者だけがもっている。昨日、新品のスーツ、晴れ着姿の若者を見かけた。成人式から帰るところだが、どんな人生をおくるのだろうかな。

ところで、ある地域の市場が混乱している。たとえば、外国人向けに途方もない価格で料理を提供する店が出てきている。日本の物価と海外の物価の差とはいえ、日本人は一人前5千円のカツ丼は食べない。これはボッタクリ詐欺ではないのかな。最低のルールがあるだろう。これが拡大すると信用不安につながるし、第一、こんな多様性は要らない。ダイバーシティの言い変えがカオスということになる。

・・衆議院が解散されて選挙になるようだから、この際にもっと透明度の高い政権ができればいいと思う。外国に対して言うべきことを言えばいいが誠実でなければならない。オールドメディアの主張する反対のことが実現することが望ましいと思っている。

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正月の朝、「何かあったのか」と思った。年賀状がいつもの年より半分程度しか届いていない。こちらに来るのは遅れても構わないが、こちらから出したものも同じ状況ではないのか。年賀状なんて一日の朝に来ていないなら意味がない。何事もタイミングが重要だから。配送業者の人員確保が厳しいと聞いていたから、「働き方改革」のせいで配達員の確保かシフトに問題があったのだろうか。

コメが5キロ4980円でも驚かなくなった。仕方がないからスーパーで普通に買っているが、気付かない間にパン食が増えた。コメの消費量は大きく減っているのだろう。需要があるのに流通業者の倉庫には出荷されないコメが山積みになっているとも聞いた。やはり賃上げが必要だな。そうしないとビジネスチャンスが大きく損なわれるのだろう。それでも賃金はなかなか上がらない。賃金の下方硬直性と言って企業が業績を落としても賃金は下がらない反面、必要な時に賃上げがしにくい。

誰に聞いても何を見てもいい年にならないのではないかと思う。金利が上がって来て真っ先に影響を受けるのは不動産業者だから。資金の集めるコストが増える。顧客の財布も緩んでは来ない。そんな中で、売上、利益をどうやって維持すればよいのか。厳しい職場環境になるのではないか。結局のところ、現場では顧客とどう結びつくかがより重要になる。

動画サイトを見ているとAIが本格的に導入されるようになるということばかりだ。小学生が学校の宿題をAIを使って済ませるくらいだから当たり前なのだろうが、どう導入するのだろうか。今ひとつ理解できていない。チラシを作ったり、メールの下書きのチェックをさせたり、売買契約書の特約条項を作成させたりするようなことはこれまでやってきた。営業担当者の相談相手、パートナーになるというようなことなのだろうか。

AIは聞き方のわずかな違いで、導き出される回答も大きく違う。判断をするわけでもないし、責任を取るわけでもないから、より本質的な質問をしないと誤った判断をしてしまうことにならないか。結局、AIをうまく使うにはコッミュニケーション能力と説明できるステラシーがより必要ではないのだろうか。人は肉体をもった存在で自分の感覚器官で捉えたことしか認知できないのだから。AIは馬鹿な人間をさらに馬鹿にするようにはならないのだろうか。

そんなことを考えていた正月ではあるが、初出で出社するとほとんど昭和の風景のままであった。朝礼のあと、部課ごとに徒党を組んで挨拶まわり、新人の頃とたいして変わらない。これは他業種ならあり得ない光景かもしれないが現実の世界だ。Aに質問してみた。「あけましておめでとうございます。今年はどんな年になりますか」。・・「社会とテクノロジーの新たな調和」の年という回答だった。AIでは処理できない領域、たとえば抽象的な概念の中に逃げ込むしかないのかな。

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