十三の話-不動産会社で生きるということ

古人曰く「どこへ行くのかがわかっていなければどの道を通っても何処にも着かない」。何処に行くかさえわかっていればたとえまわり道をしてもそこに着く。徒然の大いなるまわり道の記録が本ブログの趣旨である。 ※このブログはリンクフリーです。コメントは承認制ですのでご了承ください。

1月といえば、正月と成人式だが、子供の頃、成人式の会場に入ろうとする若い自衛官を阻止するために、労働組合がピケを張って嫌がらせをする光景をテレビで見た。それを報道する番組も特に批判的な立場ではなかった。ショックだったな。生まれながらの自衛官というものはいないだろう。自衛官もまた職業で、以来、労働運動やマスコミはチンピラ、ゴロツキというようなカテゴリーに入れてしまって信用しなくなった。

本音と建て前という言葉があるが、本音を言うことが正しいというような風潮はよくないと思っている。本音はいわば弱音であって、甘えでもある。現実を受け入れたうえで、負けを肯定している。大事なのは本来あるべき姿である建て前で、本音をどう建前に近づけるかが重要だと思っている。苦しくてもそれに耐え、障害物を乗り越えていくことに意味があると。逃げることを肯定することはしたくない。

不動産の仕事は現実を盲目的に受け入れて、現実を売主、買主に納得できるように説明する。それが成約につながる。いわば、本音の仕事で、だからこそ、社会から尊敬もされないし、目先の成果の多寡だけが尺度であって、ときに、少し知恵の回らないものが不当に成功したりする底辺の仕事であるともいえる。地べたを這いずり回る仕事だ。捉え方は自由だから極端な意見かもしれないが。

生きている実感はあるか。ないならなぜかと考えてみるがいい。先日、腕時計の電池が切れたので家電の量販店で電池を入れ替えてもらったが、販売員は狭いカウンターの中で、一日中、立ちっぱなしだ。足腰がつらいだろうと思った。もちろん、休憩は取るだろうが、自分には到底無理だと思った。自分が販売員なら、あれこれ理屈をつけて現状を嘆いたかもしれない。楽しいのだろうか。中国語のできるスタッフもいるし、以前とは違うのだろうが、閉塞感はないのだろうか。

造成業者の仕事を日がな一日見ていたことがある。隣地とのトラブルを抱えていたということもあったが、重機を操作して、残土を黙々と大型トラックに積み込む。トラックの荷台が山になった途端、次のトラックが来る。それが一日中だ。まだ若いオペレーターだが、その単調さに絶望しないのかと思った。大工や左官の仕事もそうだ。自分にはできないと思った。

それでも長い間、不動産の仕事で生きてきた。一枚のチラシを作ることを研究もし、配布の結果、反響状況を検証もした。案内の仕方、地主へのDMもいろいろ研究した。土地に遭った即したプランも自分で引いて提案したこともある。ローコスト系の注文の営業担当者程度の仕事はできるレベルではある。それでも、充実感、達成感、満足感はあるかと言われれば、頷くこともできるが、首を横に振る気分でもある。

どんな仕事にも一長一短があり、他人から見れば馬鹿な仕事だと思われることもあるだろう。まずは、その場で生き残ること、存在意義をあらしめること。生計を維持すること。職業は手段であって目的ではないのだから、どこかで折り合いは付けないとダメだろう。

去年はあまりいい年ではなかったが、それでも生き延びている。誇らしいとは思わないが、これが自分の生業だとは思っている。職場は職場に過ぎず、カネは所詮カネでしかない。石の上にも三年という言葉があるが、化石になるつもりはない。今年は、今年でそれなりに生きていくのみだ。年の初めにそう思ったわけだ。

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年末に買って眠る前に少しづつ読んでいる。正義は我にありと言えないから読んでいる。世の中は矛盾だらけだな。本はいつも5,6冊の本を同時に読む。途中で投げ出さない本は10回も読む。自分なりの読み方だが、それなりの効果はあると思っている。









不動産会社の店はたいてい狭い。場末のコンビニくらいのスペース。この狭い空間に成功も失敗も、夢も希望も絶望も、権限も反抗も、生活もある。すべて揃っている。努力が必ずしも報われるわけではないことも、権威などくだらないことも教えてくれる。カネは所詮はカネでしかなく、時間は束の間に過ぎていくことも教えてくれる。

有名な進学塾に親が子供の手を引いて通わせる光景を見かけることがある。いい会社に入るためだろう。朝、6時に起きて、会社に行って、夜10時まで働く。褒められたり罵られたり、くだらないことで他人と争ったり、仕事の帰りに酒場で上司や会社からの理不尽な対応に憤ったりしながら、65歳になる。

立派な会社の社章を着けるということはそういうことを40年も繰り返すことだ。できが悪くて不動産の営業をするしかなかった連中の人生と何も変わりはしない。予測のつかないことは誰でも嫌いだが、予測がつくことも嫌なものだな。

ボーナスが少し多く貰えて喜んだ者もそうでない者もいるだろう。そして、今年もクリスマスが終わった。明日から大急ぎで年賀状を作るのか。いい年だったか。そうではなかったか。お客さんには喜んでもらったか。生活をするため、希望を見出すため、充実感に充ちた時間を過ごすためには、ある意味で、疑わないことも必要だ。この職場に全部あるなどとは思ってはいけない。答えのわかる質問はするなということだ。子供の手を引いて塾に行かせることが大事だな。

なかなか手に入らないものを見つけて手に入れることは、探している人にとっては大きな喜びで、ワクワクする瞬間だ。若い人ならコンサートのチケットとか、グルメの人なら行列のできるラーメン屋で初めて食べたとき、35年もローンを組んででも住宅を探している人なら、なおさらでのことだ。それもこれも市場に物があることが前提だし、大事な情報を見逃していれば、情報もなく、いわば行き先がないのでやることもない。

何回、いろいろな物件を見ても決められないお客さんがたしかにいるが、探している限りは必ずこれにしようという物件には出会うものだ。現場でピンとくる商品の提供はしたい。物件が市場にある限りはほしい人はいるものだ。探しているお客さんの事情は様々で、その事情もかわり続ける。郊外で遠くてもいいからもう一部屋と言ってた人が、子供が独立して、仕事も退職したら、小さくても駅前のマンションがいいということになる。

だから、再建築のできない家や、築50年の物件でもリフォームをして買う人もいる。多くの人に受け入れられやすく作っている建売でなくとも、どんな家も売れないわけがないと思うことだ。せめて、お客さんには喜んでもらおう。意義がなければ稼ぐことなどできない。疑わないことだ。ボーナスの明細を見てため息をつくことが大事だ。鈍感力が大事だ。心の壁を厚くせよ。

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座右の銘と言うほどでもないが、「食人之食者死人之事」という言葉が好きだ。「人の食を食せしものは人のことに死す」と読む。意味はそのままだ。司馬遼太郎の小説「項羽と劉邦」で知った言葉。謀反を促されたときの韓信の言葉とあり、幕末の幕府軍艦咸臨丸の乗員が政府軍に殺害され海中に遺棄されたときに、侠客清水次郎長が遺体を海中から引き揚げ丁重に葬った。その慰霊碑にもこの言葉が刻まれたそうだ。いつか見に行きたい。

この言葉は若いころからいつもきつい状況のときに繰り返し思い出してきた。ほかにもある。山本五十六の「男の修行」という言葉。「苦しいこともあるだろう。云い度いこともあるだろう。不満なこともあるだろう。腹の立つこともあるだろう。泣き度いこともあるだろう。これらをじつとこらえてゆくのが男の修行である。」。これも趣旨は、「食人之食者死人之事」だと思う。

ほかにもある。一年に何度も見るトム・クルーズの映画。「ミッションインポッシブル」でもない。「トップガン」でもない。「ア・フュー・グッドメン」という軍事法廷ものの作品だ。落伍兵への私的制裁「コードレッド」をめぐる裁判の話だが、これも趣旨は、「食人之食者死人之事」だ。人の食を食することは辛いことだな。どんな業界にもコードレッドはあるのだろうが、不動産業界には顕著だな。

不動産会社には2種類ある。客を選ぶ会社と選ばない会社。言い方を変えれば客を選らばなければならない会社と、選んではいけない会社。社内的な要請の話。ノルマがあってもトラブルを起こせない会社と、その日の日銭が必要という判別の仕方もできる。

トラブルは避けねばならない。時間の無駄になる。売主や買主の一方に迷惑と負担をかける。社内の倫理観倫理観と社外のそれとは必ずしも一致しない。店長や所長や部長がいいと言っても、やってはいけないことがある。自分の身を守るなら世間の常識の側に重心をかけることだ。

お前は会社の代表だと言われるかもしれないが全部は背負えない。そこまでの信頼されてはいないだろうし権限もないだろう。そんなに高給取りなのか。手取り20万円か25万円の給料にしがみついているだけなのかも。だいたい、自分で気づいているだろう。兵隊は使用人ではあっても奴隷ではない。鉄砲玉ではない。

懐に辞表を入れて出社したことは何度もある。誰でも、腹の立つこと、理不尽な目に遭ったこと、抜き差しならぬトラブルなどいくらでもあるだろう。実際に辞めたこともある。何度も大げんかして辞めた担当者も見てきた。それでも、業界には残っている。因果なものだな。サラリーマンでいられる者は、そうでない者とは違うのだろう。もう11月になった。来月は来年の話をして、今年も終わる。毎年のことだ。

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ア・フュー・グッドメン (字幕版)
ウォルフガング・ボディソン
2013-11-26



カノン
HATS UNLIMITED
2015-07-01

時間を無駄にしたければオープンハウスをすることだと若い頃から言っている。オープンハウスは社内的なパフォーマンスだと毒づいたこともある。迷惑防止条例で誘導看板もなしに玄関先で旗でも振れと言うのかと。アルバイトを待機させよと言ったこともある。

誰も来ないとテンションが下がるから、小動物的、植物的な気持ちになる。なんでこんなことをやっているんだろうと思ったことはないか。子供連れの近所の奥さん方の餌食になったことはないか。好き勝手なことを言われて、名簿も取れない。気が付けば夕方で、世の中にこんなみじめな仕事があるのかとため息をついたことはないか。

不動産の営業のいいところは、行動についてはある程度の裁量が認められることだ。見込み客に片っ端から電話をすることもあるし、遠方の顧客を訪問してもいいし、チラシをまいてもいい。やり方などいくらでもある。どうしてオープンハウスをするのか。

ある管理者が部下のオープンハウスを見に行ったら、担当者が爆睡していて、気が付くそぶりがない。それで顧客カードに「〇〇くんおはよう」とマジックで書いて帰ってきた。夕方、青くなって担当者が返って帰ってきたことは言うまでもない。本でも読むか、宅建の勉強でもするかという目的がかにあるならそれはそれでいい。売主の手前、仕方なくというのもありか。

動ける患者を車椅子に乗せるなとある医者が言った。一度、車いすに慣れてしまえば、病気が治る頃には本当に歩けなくなるからだ。いい若い者がオープンハウスなどで時間を潰すなと言いたい。あんなものに頼るのは動けなくなった老いた営業マンに任せればよい。日向ぼっこをするか雑草でも引いていればいい。

長期化している新築の物件に行ってみるがいい。オープンハウスをしているはずの現場のはずが、玄関ドアに担当者の携帯番号を書いた紙が貼ってある。身過ぎ世過ぎの営業マンがオープンハウスで潰す時間はないということだ。やる気があるものはオープンハウスなどしない。

言ってはいけないことだが、いい歳をしてオープンハウスをする者は、ある意味、若いころの不勉強のツケを払っているのだ。罰を受けている。良き鉄は釘に成らずという言葉がある。もっとオープンハウスをしなさいと言う管理者がいたら、頭が弱いと思って間違いなかろう。

すまない、好き勝手なことをいうのが趣味のようなものだから聞き流してくれ。このブログもそろそろ仕舞い時だと思っている。どんなものにも終わりはある。書かれてあることが正しいかどうかなど、誰にも分りはしないものだ。

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最高の人生の見つけ方 (字幕版)
ジャック・ニコルソン
2013-11-26

ジャック・ニコルソン、モーガンフリーマンの「最高の人生の見つけ方」を数年ぶりに見た。ちょうど、吉永小百合、天海祐希で、日本版リメイク作を見たからだ。悪くない。人は誰しも何れは死ぬものだ。どんな人生を送ろうと後悔は残る。その日その日をしっかり生きていくしかなかろう。、、オープンハウスなどやめておけ。

小学校の教師たちによるいじめが社会問題になっている。若い教師に激辛カレーを無理に食べさせたり、買ったばかりの車の上に飛び乗ったりしたという。まるで子供のような振る舞いだが、あれが問題になるのは、やはり、教師だからか。教育者にあるまじき行為ということなら、まだ、それなりの権威はあるようだ。不動産業界ならどうだろう。いじめなど立派な看板を掲げた大手であってもよくあることだ。

小さな集団であっても大きな組織であっても、正規の命令系統ではなく、水面下で別の命令系統が機能することはよくある。出身学校や出向元だとか、保有資格や、私的なつながりがいつしか正規の命令系統を圧迫する。人事権なども制約を受ける。社会のモラルが通用しない狭い空間が当たり前に存在する。正規のルートで上になれない人が地下系統の長になると周りは大変だ。

元銀行員、元保険の営業マン、元カーディーラー、司法書士事務所にいた者、いろんな内輪話を聞いたことがある。同じ空気を吸っているのだ。組織があるなら、どこにでもある話だ。教師だからということはないだろう。だいたい、やましいことのない組織があるのか。

黙っているのか。抵抗するのか。理不尽な目に遭っても、それ以上、状況を悪くせず、切り抜ける方法を考えるのか。しばらくは、歯を食いしばって耐えることから始めるしかないが、精神が病んでくるまでの我慢は要らない。当事者は所詮、トカゲの尻尾だ。表沙汰になれば、何れは切られて元の状態になる。

他人を恨むあまり理性を失うものは多い。正面から堂々と立ち向かってぶちのめすこともなかなかできはしない。大事なことは組織とどう向き合うかだ。流されないようにするには、節目節目にしっかりけじめをつけること。反省したり、お祝いをしたりすること。少なくとも、よい結果が出たときは、その都度祝うものだ。所詮は尻尾だろうが尻尾も生きている。

命令とは不快なことをさせることを正当化する力のことで、それだけのものだ。いじめる力も実は命令系統に含まれている。振り回されることはやむを得ないが、どこまでも付き合うほどのものではない。図太くあれ。心の壁を厚くせよ。
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「行蔵は我に存す、毀誉は他人の主張、我に与らず我に関せずと存候。」勝海舟の言葉。出処進退は自分で決める。他人の評判など関係はないという意味。まったく、その通りだと思うな。

半沢直樹 -ディレクターズカット版- DVD-BOX
堺 雅人
TCエンタテインメント
2013-12-26

このドラマは面白かったな。続編ができるそうだが楽しみにしている。

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