十三の話-不動産会社で生きるということ

古人曰く「どこへ行くのかがわかっていなければどの道を通っても何処にも着かない」。何処に行くかさえわかっていればたとえまわり道をしてもそこに着く。徒然の大いなるまわり道の記録が本ブログの趣旨である。 ※このブログはリンクフリーです。コメントは承認制ですのでご了承ください。

家や土地を売る理由はたいていが住み替えだったり、相続がらみだったり、資金繰りだったりする。使わないから売りますと言ってもそれぞれ差し迫った理由がある。近隣と深刻なトラブルがあって嫌気がさして売ることもある。購入のときにも、買わねばならない理由がある。若いというより、仕事への意識の低い担当者は、基本的に理由を掘り下げる作業が欠けているように思う。

訳もなく売ったり買ったりしているわけではない。ミスリードで1年も2年も、というより半年もかける時間がもったいない。決めるべき時に決められないのは何故か。価格が合えば売れていくというなら、誰でも扱えるレベルのモノしか売れない。低いレベルで伸び悩むことになる。その街で、今の会社、職場で、それなりに数字を上げて存在感を知らしめるというのであれば、そこは押さえるべきポイントだろう。

街頭でプラカードを持って誰かれかまわず声をかける営業スタイルの業者もあるが、昭和の色街の客引きのようで見ていて胸が痛む。毎日、遅くまで、しつこく電話をしてメールをして、疲れ果てて達成感もない。カルト教団が批判を浴びているが、どう違うのだろう。すっかり洗脳されて、自分なりに考えて、判断したり批判したり反省したりする意識もない。ブロイラーのニワトリ状態になっている。スピード化と非効率、無自覚、目指せと言われた方向へ竹槍部隊が今日も走る。早過ぎる昇進、高い給与は何のためだろうと考えないのだろうか。

悪い状況が続いている担当ならどこにもいるだろう。若い頃、上司に、居たくない場所で、やりたくない仕事をして成績が上がらないというならともかく、自分で選んだ仕事で、自由に動けて、そのうえで、目標を大きく外すとは何事かと叱責を受けたことがあった。まったく、その通りで、言葉もなかったが、一つ言えることは、やれることをやり切っての結果ではなかったことは間違いがない。何か足りないことはわかっていて、対応していなかったということだ。そういう時は、やり方が間違っているのか、やるべき活動量が不足しているのか、自分でよく考えてみる必要がある。

いつかそのうちという日を期待している担当者もいるだろうが、やるべきことを考えず、実際にやっていなければ来る日も来ない。自分で変えていかない限りはそんな日は来ない。幸いというかまだ時間があるはずだ。使い方によっては有効な3か月、有効な2週間に変えることはできる。今は苦しいかもしれない。どんな時も十分な報酬があるわけではない。報酬は何かを得たことの対価でもあり、何かを失ったことへの補償でもある。評価されていけば報酬は得られるようにはなる。

一次的ではあっても悪い状況は作りたくない。いい状態は長続きしないかもしれないが、よくない状況は固定化しやすい。属する会社全体の数字がよくないと、一人一人の責任感がぼやけて、せっかくのテンションが下がってしまう。数字が厳しければ何としても挽回する必要がある。

どんな仕事でもそうだが、特に不動産は新築の現場でも中古住宅でも、売り上げがあって初めて給料が出るものだ。大手は固定給でも、地場業者は会社に属していても、業務委託という形を取るので、働いた時間でなくて、会社に入金した金額から給与として貰える仕組みだ。売り上げがなければ給料もない。だから、やるしかない。結局のところ、何処で働くかというよりどう働くかが問題で、自分の居場所を意義あらしめることが重要だ。これは今もこれからも同じことだ。

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井上成美 (新潮文庫)
阿川 弘之
新潮社
1992-07-29



阿川弘之著「井上成美」はこれまで何度も読んだが、今、通勤の行きかえりに読んでいる。最後の海軍大将であった井上成美を知ったのは学生の頃だ。日独伊三国同盟、太平洋戦争開戦に反対し、終戦工作に身命を賭した孤高の提督がいた。帝国海軍の最後の海軍大将で、日本海軍の最後を看取った。これほどの硬骨漢が日本にいた。最後の海軍大将であり、最後のサムライであったのかもしれない。自身の職責を全うした。仕事とは何かを考えるヒントがたくさんある本だ。明日は終戦記念日だな。


仲介業者の営業のいいところは、実際に顧客の家を訪問することだ。建売業者の営業とは違う。しっかりとお客さんの目を見て話をすることは大事なことだ。対話の効果がプラスなのかマイナスに向かっているかをリアルに体感できる。場数を踏めばそれなりに吸収するものがあるだろう。頼みごとが苦手でも頼むことが仕事だ。何れは慣れて当たり前になる。たまにツキが巡ってくる。それを営業力と呼ぶこともあるだろう。

お年寄りのいるお家に行くと、たいてい荷物がいっぱいだ。パソコンのメモリよろしく、十分な規模のお家でも空き場所がある限りは荷物が増え続けすぐにいっぱいになる。二度と読まないとわかっている本とか、銀行のCD機においてある封筒とか、デパートの包み紙とか、色の変わった電話帳まで置いてある。思い出の品でもなんでもないものを集めている。

ものを大事にするという世代でもあるが、加齢というより老化によって捨てるべきものと置いておくものの判断がつかなくなっている。「引っ越ししたら、この荷物の大半は処分できますよ。」と、一回り小さな新居への住み替えの話をまとめてきた担当者を知っている。チリも積もれば山ではあるが、ゴミはいくら集めてもゴミでしかない。使わない荷物はゴミでしかない。何年も使わないものが明日また必要になるわけがない。

古い住宅地ならたいていあるのが、いわゆるゴミ屋敷だ。周囲との関係が途絶え、自分のルールの中で迷惑行為を繰り返す住民がいる。スーパーの袋に詰められたものが、おそらくゴミが山のように庭に積み上げられている。植木鉢が公道を占拠していることもある。ゴミ屋敷以外にも、庭に大型犬を放し飼いにしているとか、夜中に楽器を弾くとか、路上に車を放置して近隣住民とトラブルになっているようなケースがそれだ。

公益性の見地から行政代執行といって役所が強制的に除去してしまう方法もあるが、私有地内なら、臭気が出ない限りはまず手が出せない。時間もかかる。周囲の我慢にも限界があり、近隣住民が訪問し、署名活動が始まり、市役所に陳情するが解決はしない。失うものがない人は強いからだ。住宅地のイメージも堕ちるし実際、売りに出しても売れなくなることもある。かつては夢の庭付き一戸建てであったのに、問題のない近隣関係であったのに。ひどい有様になることもある。

人は変わる。ずっと変わり続ける。今、研修を受けている新卒の社員も半年もしない間に目つきが悪くなりギラついてくる。ギラギラした担当はどうもウンザリするものだ。そして、やり手、切れ者と言われる時期が過ぎると、役立たず、給料泥棒と罵られ、市場価値を失って、あちこちの業者を転々とする。砂だらけのポーチを掃きもしないで、ホコリだらけの陽だまりのよい部屋を少しずつ移動しながら誰も来ないオープンハウス会場で居眠りをするようになる。その姿がゴミだとは言わない。頑固者で傲慢で無能で扱いにくくなっても、また変わるが、たいていよくはならない。状況は好転しない。

今、勤めている会社の朝礼はどんな風かな。集団洗脳型のインスタントラーメンのような兵隊を作るだけの朝礼の業者なら、あまり自分のためにはならないとは思う。兵隊のまま職場を去ることになる。補充可能な消耗品扱いだからだ。高額の初任給に惑わされないことだ。修行中なら稼げなくてもいい。皿洗いが毎日のコックの見習いもいつかは一端の料理人になる。収入は問題ではない。あとで取り戻せるならそれでいいはずだ。

だいたい、さして経験もないものが高額の収入を得られるわけは何か。口答えしない、考えないロボット人形が必要なだけだ。それも、きつくて続かないだろうし、マインドコントロールは何れは解ける。何が残るというのか。大事な時間を安売りしただけだ。いい機会を自分で見逃すようにしただけだ。・・そして、かつては、絶叫型の朝礼の主役でもあった時期もあるだろうが、何も残らないなら、今その時がすべてである。末路哀れは覚悟の前の仕事だ。




清武英利著「空あかり」を再読した。1997年に自主廃業した山一證券社員のその後を追跡してインタビューした作品。「しんがり 山一證券最後の12人」の続編になる。その後、どんなふうにその人たちは生きたか。多くの不動産の営業担当と違うのは彼らは山一證券の社員であったことに誇りをもって生きてきたことだ。人材の山一と呼ばれた会社の社員たちだ。彼らは吹っ切れたのに吹っ切らなかったようにも見える。証券の世界も厳しい営業だが、絶叫型の朝礼をする業界の会社とは違うようだ。働くことの意味を今一度考えたかったから再読した。

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誰でも多くの顔を持っている。内気でもスポーツマンだったり。上品でも野心家だったり。優しく見えても快楽主義者で嘘つきで狡いこともあるだろう。人生がアンフェアであっても恐れずに立ち向かう人であるかもしれない。賢いと自分では思っているのに簡単に人を信じてしまうようなこともあるだろう。望みは何だろう。願いは何だろう。他人の心の奥底を覗けるならこれほど価値のあることはないだろうな。その願いは本心かどうか、、だ。

体育会系というより軍隊のような会社がある。問題を解決するのに気合で乗り切れというような会社。保険業界や自動車販売、家電量販業界、不動産業界のような何かを販売する仕事に多い。働きアリのようにテキパキと動き、不自然な笑顔を振りまき、声がイライラさせるほど大きい。電話するか訪問していないと脱落者のように見なされる会社。スキルもセンスも経験も社会常識も必要ではなくて気合だけが要求される会社。モチベーションと歩合率と離職率が高い。

他社の営業マンが来て「うちは20代で年収が1千万円を超えるんです。」と目を輝かせていた。何も言わなかったが気の毒になった。実力以上の収入があるならすぐに切られるか脱落するだけだからだ。お神輿を担いでワッショイ!ワッショイ!と叫んで回るような業態は見ていて哀しい。そのお神輿は本物か。担ぐ意味はあるものか。

もっと本物の仕事をすればいいのにとは思うが判断は本人がすることだ。本物の仕事とは自分を活かす仕事だ。何かの役割を演じさせられて自分を殺すような仕事と勘違いすることもある。違法な営業行為、違法な労働行為、パワーハラスメント等不当な職場環境が複雑に絡んでブラック企業と呼ばれる会社もある。

少し調べればわかるだろう。自分を一時だけ鍛えなおそうと内容を承知で入るとか、指示待ち人間を装い、特殊な経験をネタに小説を書くというならいいだろうが、狂気を正常と見間違えているのは辛い話だ。「9時になったら帰れと言われるんですよ。でも11時まではやってますね。」とか言っていた。昭和は死なずか。

急成長を謳い文句にする会社は気を付けたほうがいい。初任給が高いとか若手ばかりで中堅層がいない。昇進が異常に早い会社、朝礼が絶叫型とか。すぐにわかるだろう。集団催眠にでもかかっているのだろうか。手早く強引に処理すれば自分を高めたことになるのか。同世代の人より高価な家を買えば幸福なのか。そのために安っぽいものを値打ちのあるものに見せて商品を売るのかな。

昭和の妖怪のような会社が次々に甦ってくるような気がする。誰かが得をすれば誰かがそれ以上に損をすることもある。世の中のすべてを買い集めても1になるだけだ。ゼロサムゲームはビジネスの常識であり公理である。

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桜、散ったな。咲いては散っていく。「散る桜、残る桜も散る桜」。良寛の句だったか。

ウクライナの戦況が気になっている。侵略したロシア側が苦戦が続いている。軽く見ていた相手から猛反撃を受けて被害甚大だが、多くの市民の犠牲者、難民が出ている。痛ましい光景だ。日本の憲法9条の念力主義的平和主義というものが意味をなさない。宗教レベルで護憲を叫ぶ一部の勢力が沈黙したままだな。ウクライナはソ連時代の装備を放棄したが故に攻撃を受けたのだから。不動産関係でも木材をはじめ原材料の価格高騰の影響が出ている。

最高の人生の見つけ方 (字幕版)
ビバリー・トッド
2013-06-01



ロブ・ライナー監督、モーガン・フリーマン、ジャック・ニコルソン主演の「最高の人生の見つけ方」をまた見た。いいものは何度見てもいい。人生に喜びを見つけたか。それが生きていく上での主題だと思っている。胡散臭いお神輿を担ぐ気にはなれない。どう思うかね。





去年の年末から、しばらく更新しなかった。アクセスしてもらっているのに申し訳ないことだ。忙しくて手に負えないほどの量の仕事があったからだ。目まぐるしく状況が変わった。重圧感もあったが挫けはしなかった。立場の弱さを自分で認めればお仕舞だから何とか耐えた。ずいぶん心の壁が厚くなったものだ。

住まいを探して、なかなか決まらないお客さんがいる。どこにも必ずいる。決めるべき決め手が自分で見つからない。担当の営業マンは、あのお客さんは買いませんという報告を社内でするだろうが、たいていの場合、ときを置かずに他で買っていることが多い。

家を買うと決めるまでに、いくつかのハードルを乗り越えて決心して、買わないという決断はしないものだ。営業マンが音を上げる時が、お客さんの決め時であることが多い。探し疲れて決めてしまったようなこともあるだろう。なぜしっかり背中を押さなかったのかと悔やんでもあとの祭りだ。不動産の仕事はいつもゼロか100だ。

いつも得意げに言うはずだ。売れない物件などないと。値札が付いている限り必ず売れる。再建築不可でも軽自動車でないと走れない道路付けであったとしても、日当たりが悪くても大丈夫だと。一人お客さんがいればいいと特殊な条件の例ばかりあげているはずだ。

誰のために家を買うかといえば、家族のために買うものだ。特に、子供の成長に備えて売ったり買うという要素が大きい。賃貸から戸建に移って、子供に一部屋あてがいたいというような具体的な動機になる。

誰でも家が欲しい時期と状況があって、結婚とか、離婚とか、退職とか、進学とか、何かと物入りな時期になるが、家族のためだと思えばなんとかしようと思う。そういったきっかけが何より大きく、家庭の事情につられて家が売れる。車だってそうだろう。

子供が毎朝、同じ時間に起きて、家を出て学校に行き、同じ時間に帰ってきて、塾に行ったり、宿題をしたりする日常こそが、当たり前になってほしいと初めて気づいて購入意欲が出てくる。45歳だって35年のローンを組む。病気になった時、失業した時、60歳の時のことは考えたくもないだろう。

国道沿いのコンビニが潰れて今はドラッグストアになっている。状況は変わる。優良と言われた住宅地も当初の入居者が高齢化してより便利なところに移っていく状況が続いている。郊外の住宅地は空家だらけでまるでゴーストタウンだ。ニュータウンは特にそうだが、庭付き一戸建てが夢だった時代もある。広い間口の整形地は魅力があった。坂があったり、利便性の点で住みづらいが、サラリーマンの憧れの的だった。歳を取ったら住環境よりも利便性のほうが優先度が高い。どんどん、需要も状況も変わってく。

状況が変わったら状況に見合った需要がある。需要を掴むことができなければ担当者は食えなくなるから辞めていく。大手のパチンコホールも閉店ラッシュだが、同じように仲介業者が道に迷う状況が発生している。大手の会社はもともとたいした利益は上げていないし、稼げないなら若者にとっても魅力がない業種になるばかりだな。

不動産業界の数少ない魅力の一つはスリル満点なところなのに。イライラさせる自由奔放さが許されるところが面白いのに。チャンスとピンチが交互にやってくるところが堪らない。末路哀れは覚悟の前だと若い頃に言われたことがある。

思えば、多くの担当者が職場を去るところを見てきた。本来なら敬うべき者に、勝つためなら誹謗中傷をするような光景も見た。本来なら、声の大きさで勝ち負けが決まるわけではないがそうでもないこともあった。

ときに自らを恥じるようなことをしたり、同僚を騙したり、上司を中傷したり敵でもない人を陥れたりする担当者もいた。ウンザリする光景があった。それでもスリルがあり生きている実感はあった。飛行機雲は何もないのに現れはしない。過ぎ去ったが確かにその場にいたのだ。


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グッド・ファイト 華麗なる逆転 シーズン1(トク選BOX)(5枚組) [DVD]
ジャスティン・バーサ
パラマウント
2019-10-09



アメリカの法廷ドラマが好きだ。今は、「グッド・ファイト 華麗なる逆転」を見ている。日本のドラマはくだらないものが多いが、よくできている。考えさせられることも多い。閉塞感から抜け出すシーンが堪らなく面白い。


クリスマスは終わったが、サンタクロースを信じている子供はあどけなくて可愛いものだ。太った白人の老人は、一夜限りだが子供たちのヒーローだ。まだ幼いからと周りの大人は目を細めるが、では神仏を本気で信じている大人は幸せなのか。神仏に身ぐるみはがされたような人を見たことがある。介護施設には毎日のようにその手の寄付を依頼する電話があるそうだ。ただのサラリーマンだったのに亡くなって戒名を付けてもらったら何十万円ではすまないという話を聞いたこともある。

世の中で本当に恐ろしいものは化け物でも悪魔でもなく人だな。人ほど怖いものはない。だから必要なものは、坊主でも牧師でもなく、弁護士や税理士やと医師でもない。セラピストやケースワーカーでもない。労働基準監督署や区役所の職員も立場も予算も保身もあり、モラルを曲げ見て見ぬ振りができる。困ったときに頼りになる不動産屋くらいの信用はしてもいいが、それ以上の存在は必要ない。友人と家族もどうかわからない。いい人にも悪意はある。

蛇は自分の体の数倍の獲物を丸呑みする。どこで牙を剥くかはわからない。やはり、しっかりした判断力のある自分だな。自信と活力に満ちた幸福な時期はいつまでも続きはしないから、他人の不安に付け込んで儲ける輩が多い。

昭和が平成になり、平成が令和になっても、何も変わらないのが不動産業界だ。携帯電話で住宅を探す時代ではあっても、営業担当者のやっていることがそうは変わらない。今でもFAXは情報のやり取りには欠かせないし、靴底がすり減るほど歩き回ることも変わらない。この寒さの中で、手作りのチラシをポストに投げ込むスーツ姿の若者もいる。

会議の内容は20年前のままだと気付いているか。金利が上昇しないので物価は安定していて、従って所得も大して上がっていない。ブレーキを踏まなくても何れは行き止まりの道に辿り着くものだから、退職して、また同じ仕事をする。記憶力と判断力はそんなには役には立たないのかもしれない。

人生が辛くアンフェアだ時も、それを受け入れ、失望もせず後悔もしない。恐れない。挫けない。他人と気まずくなってもめげない。人に雇われ給料を貰うことはリスクは少なくても辛いことだ。会社の規模は関係がない。年を越したらまた、自分か誰かを信じて、また歩き出す。心の壁を厚くすることが生きていくコツだ。20代から50代までこの繰り返しが続いていく。家庭の中も同じようなものだ。・・・それにしても年末は人が多いな。

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田中森一著「遺言」を再読した。元特捜検事、弁護士。「闇社会の守護神」と呼ばれ、多くのバブル紳士たちとも親交があった。手形詐欺事件で実刑判決。収監中に別の詐欺事件で再逮捕、有罪。保釈中に前著「反転」がベストセラーになる。収監中に癌の告知を受け手術。出所後に死去した。享年71。この書は「反転」に続く自叙伝。保釈中と出所後でずいぶん印象が違う。収監中、心の拠り所としたのが「論語」だという。「塀のなかで悟った論語」という著書もある。人の何倍も努力したことだろうし、何度も大きな賭けに出たこともあるだろう。すごい人生だなと思う。これまで何千冊の本を読んできたという高名な評論家の著書も持っているが、プールサイドで泳ぐ人をずっと見てきたというのとどう違うのだろう。



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