家や土地を売る理由はたいていが住み替えだったり、相続がらみだったり、資金繰りだったりする。使わないから売りますと言ってもそれぞれ差し迫った理由がある。近隣と深刻なトラブルがあって嫌気がさして売ることもある。購入のときにも、買わねばならない理由がある。若いというより、仕事への意識の低い担当者は、基本的に理由を掘り下げる作業が欠けているように思う。
訳もなく売ったり買ったりしているわけではない。ミスリードで1年も2年も、というより半年もかける時間がもったいない。決めるべき時に決められないのは何故か。価格が合えば売れていくというなら、誰でも扱えるレベルのモノしか売れない。低いレベルで伸び悩むことになる。その街で、今の会社、職場で、それなりに数字を上げて存在感を知らしめるというのであれば、そこは押さえるべきポイントだろう。
街頭でプラカードを持って誰かれかまわず声をかける営業スタイルの業者もあるが、昭和の色街の客引きのようで見ていて胸が痛む。毎日、遅くまで、しつこく電話をしてメールをして、疲れ果てて達成感もない。カルト教団が批判を浴びているが、どう違うのだろう。すっかり洗脳されて、自分なりに考えて、判断したり批判したり反省したりする意識もない。ブロイラーのニワトリ状態になっている。スピード化と非効率、無自覚、目指せと言われた方向へ竹槍部隊が今日も走る。早過ぎる昇進、高い給与は何のためだろうと考えないのだろうか。
悪い状況が続いている担当ならどこにもいるだろう。若い頃、上司に、居たくない場所で、やりたくない仕事をして成績が上がらないというならともかく、自分で選んだ仕事で、自由に動けて、そのうえで、目標を大きく外すとは何事かと叱責を受けたことがあった。まったく、その通りで、言葉もなかったが、一つ言えることは、やれることをやり切っての結果ではなかったことは間違いがない。何か足りないことはわかっていて、対応していなかったということだ。そういう時は、やり方が間違っているのか、やるべき活動量が不足しているのか、自分でよく考えてみる必要がある。
いつかそのうちという日を期待している担当者もいるだろうが、やるべきことを考えず、実際にやっていなければ来る日も来ない。自分で変えていかない限りはそんな日は来ない。幸いというかまだ時間があるはずだ。使い方によっては有効な3か月、有効な2週間に変えることはできる。今は苦しいかもしれない。どんな時も十分な報酬があるわけではない。報酬は何かを得たことの対価でもあり、何かを失ったことへの補償でもある。評価されていけば報酬は得られるようにはなる。
一次的ではあっても悪い状況は作りたくない。いい状態は長続きしないかもしれないが、よくない状況は固定化しやすい。属する会社全体の数字がよくないと、一人一人の責任感がぼやけて、せっかくのテンションが下がってしまう。数字が厳しければ何としても挽回する必要がある。
どんな仕事でもそうだが、特に不動産は新築の現場でも中古住宅でも、売り上げがあって初めて給料が出るものだ。大手は固定給でも、地場業者は会社に属していても、業務委託という形を取るので、働いた時間でなくて、会社に入金した金額から給与として貰える仕組みだ。売り上げがなければ給料もない。だから、やるしかない。結局のところ、何処で働くかというよりどう働くかが問題で、自分の居場所を意義あらしめることが重要だ。これは今もこれからも同じことだ。

阿川弘之著「井上成美」はこれまで何度も読んだが、今、通勤の行きかえりに読んでいる。最後の海軍大将であった井上成美を知ったのは学生の頃だ。日独伊三国同盟、太平洋戦争開戦に反対し、終戦工作に身命を賭した孤高の提督がいた。帝国海軍の最後の海軍大将で、日本海軍の最後を看取った。これほどの硬骨漢が日本にいた。最後の海軍大将であり、最後のサムライであったのかもしれない。自身の職責を全うした。仕事とは何かを考えるヒントがたくさんある本だ。明日は終戦記念日だな。
訳もなく売ったり買ったりしているわけではない。ミスリードで1年も2年も、というより半年もかける時間がもったいない。決めるべき時に決められないのは何故か。価格が合えば売れていくというなら、誰でも扱えるレベルのモノしか売れない。低いレベルで伸び悩むことになる。その街で、今の会社、職場で、それなりに数字を上げて存在感を知らしめるというのであれば、そこは押さえるべきポイントだろう。
街頭でプラカードを持って誰かれかまわず声をかける営業スタイルの業者もあるが、昭和の色街の客引きのようで見ていて胸が痛む。毎日、遅くまで、しつこく電話をしてメールをして、疲れ果てて達成感もない。カルト教団が批判を浴びているが、どう違うのだろう。すっかり洗脳されて、自分なりに考えて、判断したり批判したり反省したりする意識もない。ブロイラーのニワトリ状態になっている。スピード化と非効率、無自覚、目指せと言われた方向へ竹槍部隊が今日も走る。早過ぎる昇進、高い給与は何のためだろうと考えないのだろうか。
悪い状況が続いている担当ならどこにもいるだろう。若い頃、上司に、居たくない場所で、やりたくない仕事をして成績が上がらないというならともかく、自分で選んだ仕事で、自由に動けて、そのうえで、目標を大きく外すとは何事かと叱責を受けたことがあった。まったく、その通りで、言葉もなかったが、一つ言えることは、やれることをやり切っての結果ではなかったことは間違いがない。何か足りないことはわかっていて、対応していなかったということだ。そういう時は、やり方が間違っているのか、やるべき活動量が不足しているのか、自分でよく考えてみる必要がある。
いつかそのうちという日を期待している担当者もいるだろうが、やるべきことを考えず、実際にやっていなければ来る日も来ない。自分で変えていかない限りはそんな日は来ない。幸いというかまだ時間があるはずだ。使い方によっては有効な3か月、有効な2週間に変えることはできる。今は苦しいかもしれない。どんな時も十分な報酬があるわけではない。報酬は何かを得たことの対価でもあり、何かを失ったことへの補償でもある。評価されていけば報酬は得られるようにはなる。
一次的ではあっても悪い状況は作りたくない。いい状態は長続きしないかもしれないが、よくない状況は固定化しやすい。属する会社全体の数字がよくないと、一人一人の責任感がぼやけて、せっかくのテンションが下がってしまう。数字が厳しければ何としても挽回する必要がある。
どんな仕事でもそうだが、特に不動産は新築の現場でも中古住宅でも、売り上げがあって初めて給料が出るものだ。大手は固定給でも、地場業者は会社に属していても、業務委託という形を取るので、働いた時間でなくて、会社に入金した金額から給与として貰える仕組みだ。売り上げがなければ給料もない。だから、やるしかない。結局のところ、何処で働くかというよりどう働くかが問題で、自分の居場所を意義あらしめることが重要だ。これは今もこれからも同じことだ。

阿川弘之著「井上成美」はこれまで何度も読んだが、今、通勤の行きかえりに読んでいる。最後の海軍大将であった井上成美を知ったのは学生の頃だ。日独伊三国同盟、太平洋戦争開戦に反対し、終戦工作に身命を賭した孤高の提督がいた。帝国海軍の最後の海軍大将で、日本海軍の最後を看取った。これほどの硬骨漢が日本にいた。最後の海軍大将であり、最後のサムライであったのかもしれない。自身の職責を全うした。仕事とは何かを考えるヒントがたくさんある本だ。明日は終戦記念日だな。