十三の話-不動産会社で生きるということ

古人曰く「どこへ行くのかがわかっていなければどの道を通っても何処にも着かない」。何処に行くかさえわかっていればたとえまわり道をしてもそこに着く。徒然の大いなるまわり道の記録が本ブログの趣旨である。 ※このブログはリンクフリーです。コメントは承認制ですのでご了承ください。

2009年02月

この時期、どの業界であろうが大手であろうが雇用の状況には厳しいものがある。雇用の不安のないのは公務員くらいものか。不動産の営業など景気がよくても不安定な雇用状況の職種だが、それだけに転職についてあまりにも安易に考えすぎるきらいがある。どこかに天職があって何れ見つけられると思っているのか。

大手でも3社目くらいなら珍しくもない。賃貸、建売、注文、仲介と、このあとマンションの管理人にでもなれば不動産業界を制覇した感のあるような履歴のものもいる。「ウチに来ないか」と誘われて地場業者へ行ってもまずうまくはいかないものだ。本人は自身のスキルやノウハウや人脈に期待されて誘われたと勝手に解釈するがことはさにあらず。単に人が足りなかったり社長とウマがあっただけで、すぐに現実に引き戻される。

個人の社長からカネをもらうことがどれほどたいへんなことかわかっていない。特別の待遇を受けるわけなどない。大手の会社で管理者が馬鹿でも数字が上がらず給料が安くても担当者がすぐに辞めないのは個人でなく法人に勤めているためだ。小さなものでも組織には意思決定の手続きがあり誤った方針でも正当性がある。個人の社長の下は組織でなく集団だから手前勝手な意思決定を押し付けられれば腹も立つし、気に入らなければ不満が鬱積しやすい。

今、40代の担当者は数字がよくても悪くても皆悩んでいる。次がないからだ。これまでのようにはいかないことは肌で感じている。冷静に考えれば世間で通用するスキルなど何も持ち合わせていない。40代、50代は受難のときだな。

ある管理者など定年まであと数年。毎日店にいて物件も見に行かず若い担当者に同行もせず、他の担当者とも意思の疎通がなく、会議のときだけなにかひとりで喋っている。一種の引き篭り状態だがもし営業担当に降格ということになれば実際クビも同じか。間取りの引き方すら忘れてできないだろう。時代遅れの旧式の機械のようだな。動いても使い道がない。年を重ねるということの恐ろしさを見るようだ。高級官僚のように会社が次をさがしてくれることはない。

ネットのニュースを見ていたら自民党の山崎拓前副総裁が、小泉元首相が定額給付金の補正予算関連法案の衆院再議決時に欠席すると表明したことについて「欠席しても処分しない方がいい。万一離党すると自民党は壊滅的打撃を受ける」などと述べたという。政党政治も地に堕ちた。

組織の正当性も道理もなにもない。旧式の役立たずの機械ばかりだな。小泉元首相という人もやりたい放題だが、スタンドプレーの目立つ老人には用心したい。結局は時勢の熱気に酔って選んだ国民が馬鹿なのだがけっこう潰れる会社の重役に多いタイプではないか。

そういえば先日の中川前財務・金融相がローマで開かれたG7の記者会見で酩酊状態で出席し世界中の物笑いになったこともきっと一連の流れなのだろう。何が風邪薬だ。悪い冗談だな。

時代小説が好きでよく読んでいるが江戸時代なら間違いなく浅野内匠頭よろしく「城地没収のうえ切腹仰せ付けられ候」ものの大事件だが、閣僚辞任だけで醜態を演じたと笑い話で済んでしまった。

除名処分は当然だろう。なんともお気楽な連中ではないか。百年に一度といわれる不況の最中のことではないか。
やはり自分の身は自ら守らねば。あんな閣僚でも野党に比べればまだましなほうだろう。

そんなことより明日はどうする?天職でなくても転職せざるを得ぬものもいるだろう。行く道は行くしかない。そうだ。末路哀れは覚悟の前の稼業だった。不動産の営業担当たちよ。

 

新築マンションの販売センター、モデルルームというのは大通りに面したいい場所に建てているものだ。従って、この不況で会社が倒産したりするとしばらく解体撤去もされないモデルルームが残ることになる。「今、不動産は危ないですよ」という広告塔のようなものだ。

会社から駅へ向かう数分の間に先日潰れた会社のモデルルームがあって、人はいないが夜はタイマーで電照看板が点灯する。寂しい光景だな。あのモデルルームの前で動物の着ぐるみをきて風船を配っていた担当者やステ看板が設置できないので終日矢印のプラカードをもって椅子に座っていた若い担当や、愛想のいい受付嬢などはどこでなにをしていることやら。

全てのモデルルームが貼紙一枚で閉鎖されたわけだ。建設関係者には人ごとではない。不動産関係も然り。モデルルームの前を通るたびにいろいろ思うこともある。同僚で夏の賞与がないとぼやいてばかりいる担当に「いったん会社が潰れたんだと思えばいいじゃないか」というと、おどけも、かわしもせずに「ほんとに潰れるんじゃないか」と真顔で言うので思わず唸ってしまった。ご時世だな。

不動産の営業なんて煮ても焼いても食えないような人間ばかりというイメージが強かろうが実際はそうではない。ずいぶん神経質な人間もいるし真面目すぎる人間もいる。皆、数字が上がらず苦しんでいる。もっとも、撃たれっぱなしでもヘラヘラ笑っていられるパンチドランカー状態のものもたしかにいるが。

各社とも固定費の最たる人件費を減らしたい。人をとにかく減らしたいが、辞めさせるにはそれなりの資金がいるので自発的に退職に追い込みたい。それもあって給与形態の見直しが検討されている。要は基本給を下げて、一定の数字に満たないものは食えない状態にしたい。今でも十分にそうだがもっと徹底したいというところだ。もちろんその場合、足切りラインが上がるかわりに歩合の率も上がるから数字のいい営業担当者は収入が上がるようになるので、あながち全ての営業担当が反対ということではない。結局、人は自分の立場でしかものを考えない。そこが会社の付け目なわけだ。

同じ時間拘束されて年収が300万と1000万なら数字の悪い担当者は不満だろうしプライドもズタズタに引き裂かれよう。管理者は誰が数字をあげてもいいわけで、実力がなくても子犬のように纏わりついてくる担当にいいポジションをあたえるだろうし、一定の年齢の担当には会社から厳しく扱えという指示もあるだろう。当然、不利な立場のものは辞めることになる。コンビニのような規模の店の中がまたさらにギクシャクするだろうがそれも織り込み済みだ。いやな御時世だな。

「3ケ月に1本すればいいんだよ」と言っていた事業用、若しくは法人専門担当のものは今は悲惨な状況だ。「なんにも仕事がない」とぼやいていた。これからはREITの時代だからと資格取得の勉強をしていたがそれもやめてしまったようだ。賃貸も賃貸相場の下落が激しいと聞く。ほんとに嫌なご時世だな。生き残りを賭けたラットレースはこれからも続く。勝ったラットも何れは消えていくわけだが。

第一生命のサラリーマン川柳。毎年話題になりひそかに楽しみにしているが、今年はいいのがないな。ひねりがたりない。なるほど!と膝を打つこともない。選考する人間がかわったのか。川柳だから世相をもっと反映したものでないと面白くない。寸鉄人を刺すというようなものがなかったのか。

・「ストレスか?」 聞かれる上司が その原因
・出来る人 出来ない俺が いるお陰
・見渡せば いるいる名ばかり 管理職 

・・・やれやれ。見て損した気分だ。


 

思わぬカネが入ると気持ちが大きくなって失敗するケースがある。極端なことを言えば宝くじがあたって事件に巻き込まれるというようなことがあるだろうし、そこまでいかずとも悪い遊びを覚えて家族間がうまくいかなくなって離婚したりということは巷間聞くことがある。

なぜそんなことを書くかと言えば最近の株価急落で大損して家を売らねばならないという人の話を聞いたからだ。そもそも景気のいいときに大きく儲けたことがアダとなったのだという。明日は今日の続きではあるが同じ状態とは限らない。大丈夫だろうという甘い判断が大きな失敗を招いた。家一軒で済んでよかったよということらしいがそうだろうな。

たとえば、サラリーマンが30万、50万のあぶく銭が手に入ってそれがもとで100万損をしたとしても、それくらいなら一時のエアポケットで済むだろう。額は小さくなくても人生を左右するような話ではない。成功は失敗のはじまりだ。「勝って兜の緒を締めよ」と日露戦争ののち東郷元帥は言ったが、結局、慢心して40年後の敗戦となる。

反対に小さからぬ失敗をしてもそれがその後の糧になるなら失敗は成功のもとになる。禍福はあざなえる縄の如しだ。景気が悪くて皆が意気消沈している担当者が多かろう。年収も下がるし管理も厳しくなるし何もいいことはないが前向きな姿勢があればまたいいこともあるだろう。小さな失敗などいくらでも挽回できるということだ。

この時期だから、おかしな宗教や占い、風水などに凝ったり、マルチ商法などに引っかからないように自愛を祈る。おそらく人の不安、心の闇をネタにするような業種にとっては願ってもないいい時期なんだろうな。騙される側にも責任の一端はあるものだ。

ところで、今の総理大臣、ちょっと痛いな。とても一国の首相が務まるようには見えぬ。言動に一貫性がないものは何処の業界であれどんな集団であれ信用は得られぬ。あまりに未熟で驚くやら呆れるやら。よっぽど甘やかされて育ったか自分にやさしい人なんだろう。ただ、このお方よりも郵政民営化のときの総理のほうがさらにひどいとは思うがどうだろう。

先日、テレビで現政権を批判する姿をテレビで見たがあのお方こそがA級戦犯じゃないか。政界を引退してどの面さげて出てきたんだろう。今、問題になっている派遣切りなど多くのことがこの内閣で決まったことが原因だが反省はなしか。

向こう受けするようなリップサービスで国民をミスリードしたのではなかったか。かつて「構造改革なくして景気回復なし」とか言っていたな。グローバリズムという名のアメリカ化。そのアメリカが今や瀕死の状態だ。厚顔というのかまさしく変人だな。

連日のようにマンションのデベロッパーが倒産している。たいてい、景気のよくなったときに土地を取得してそれが命取りになった。景気拡大という状況判断から土地を仕入れるという会社として決断をした結果だ。

会社という組織は積極的な人間が優秀という評価を受けるから、安易な決断をする人間ほど中枢に残る。時期が悪ければ積極策がすべて裏目に出るし実際そうなった。そんな優秀さならないほうがいい。優秀さなど人に馬鹿な決断をさせるだけだ。社内の身分関係など会社あればこそ。潰れてしまえばなんの意味もない。

「決断・・・人生でもっとも貴重な瞬間、それは決断のときである。太平洋戦争は我々に平和の尊さを教えたが、また、生きるための教訓を数多く残している・・・」(冒頭のナレーション)。現在、スカパーのヒストリーチャンネルで太平洋戦争を題材にした戦記アニメ「決断」の再放送が放映されている。現在、12話まで終了。画像的には今のものと比すべくもないがなかなか面白い。テーマ主題歌の歌詞も気に入っているので記しておく。

知恵をめぐらせ 頭を使え 悩み抜け抜け 男なら 泣くも笑うも 決断一つ 勝って奢るな 敗れて泣くな 男涙は 見せぬもの
 
つらい時には 相手もつらい 攻めか守りか 腹一つ 死ぬも生きるも 一緒じゃないか 弱気起こすな 泣きごと云うな のるかそるかの 時だもの
 
右か左か 戻るか行くか ここが覚悟の きめどころ 勝つも負けるも 決断一つ 一度決めたら 二の足踏むな 俺も行くから 君も行け

「決断 」 作詞 丘灯至夫・作曲 古関裕而 

決断することは大事なことだ。決断しないという方法ももあるがそれも決断。このアニメ、動画サイトなどでも見られるので一度ご覧あれ。

 

 

人間誰しも貧すりゃ鈍だ。飛んで火に入る夏の虫のように失敗に向かってまっしぐらだな。今、どこの会社も一生懸命頑張って失敗に向かって驀進中だな。誰も止めることはできない。潰れるまでは。

営業担当者は自分のことは自分で守らないとだめだ。特にこの時期は。トラブルが起こりそうなら上手に上を巻き込んでしまえ。自分ひとりで抱え込むことはない。

会社であったことを全部管理者に報告する担当者はいないだろう。報告・連絡・相談。いわゆるホウレンソウだが、一から十まで言う必要もないだろうし第一、管理者も聖徳太子でもあるまいにそんな処理能力もない。

形式的な報告、連絡、相談か。実際、相談は揉める可能性のあるときだけだろう。へたに相談するとやぶ蛇になって余計に混乱することもあろうし相談する意味がなくなる。

何れにしてもなにかあれば担当者が責任を負うことになる。現場の管理者も権限がないのは担当者と同じ。客と話しても結論は出ぬ。お偉方を引っ張っていくのは現場レベルではどうしようもなく会社的に大きな問題になりそうなときだ。

ただ、責任者は必ず逃げる。頭を下げてくれればなんとかおさまって解決するなら出てくればいいものをと思うがまず出て来ない。仲介手数料以上の責任は負えないのだから解決に向かって会社として客に誠意を見せたい。

普段、評論家のように好き勝手な屁理屈をこねるだけなのだからたまには役に立てよというところだが。本来の責任者は売り子の営業担当でなく高額な給与を得ているお偉方にほかならぬ。

結局、お百度参りのように担当者が日参して解決せねばならぬわけだ。お偉方の無責任、管理者の無能、そして我が身の不甲斐なさ、情けない思いで客宅から会社にもどったこともある。トラブル産業だからある程度のことは織り込み済みだが、それでもいつかは起こるのがトラブルだな。

新人の頃、ややこしそうな客と見ると、親切そうに客をまわしてくる先輩がいた。世間一般の常識の通用しない相手。クレーマーになりそうな客だ。学校の教師、中年の独身女性、外国人、若手の経営者、医師、弁護士。社会的身分とは別にヤバイと思うような客を自分は忙しくて対応できぬからとまわしてくれるわけだ。

実際、ささいなクレームから火が吹いてひどい目にあったこともある。外国人ともめたこともある。具体的には書けないが世の中にこれほど傲慢な人間が存在するのかと驚いたほどだ。その国自体が大嫌いになった。特に平気でウソをつくのには閉口した。

日本人同士でも価値観が多様なのに外国人となるとさらに注意を要する。トラブルを経験した担当者なら契約書というものの重要性、ありがたさがよくわかるだろう。

アバウトな部分を残すと必ず自らに帰ってくる。何度も何度も説明して合意を得てから契約だな。まして不利な立場では契約してはならない。これは鉄則。誰も他人を理解できないということは外国人も日本人も同じだが、外国人の思考様式、行動様式などわからないから怖いわけだ。

地場の業者の一部にはまず契約という会社がある。調印すればあとは強引に押さえ込むような業者がある。客にすればたまったものではないがそういう業者が現実にある。そこまで酷くなくても若いときのようなどんな客でもさばいてみせるといった行け行けドンドンというような契約はしない。

月内に契約しろといわれても条件が折り合わない限り契約しない。「なんとかなるさ」と不確定な部分があっても契約してしまう担当もいるが先にのべたように人ほど恐ろしいものはないから客も選ぶし担当者として納得しない限り契約しない。但し、自分の手に負えないからといって他の担当者にまわすようなマネはしない。

景気が悪いと人の心も荒むからくれぐれもトラブルは上手に処理するように心掛けたい。トラブルが起きてあれこれ悩んで解決しないなら深くは悩まないことだ。この世で起きたことはこの世で解決するようになっている。

メールは送ってもらってかまわない。返事はしないかもしれないが悪く思わないでくれ。気まぐれブログで営業上のものではないから。ただ、全部読んでいる。

 

 

会社は学校ではないので全てのものを平等にも公正にも取り扱わない。敬意も払わない。ただ、人には意地や面子やプライドがあって意識的にも無意識のうちにも自他を区別する。

会社に勤めている以上は集団生活だから、ある程度はそれを矯正して周囲と共生せねばならぬが、ことの成りゆき上、負ける喧嘩でもせねばならないときもある。意地をとおさねばならぬときもある。それまでの自分の生き方を否定したくないからだし損得抜きで堪えられぬこともある。

以前こんなことがあった。定期異動で新しい管理者が赴任してきた。以前の管理者はいわば体育会系で上下関係にうるさかったが、会社のおぼえもめでたく下のものからも慕われていた。珍しく行動と言動に一貫性があったからだ。

ところが新任の管理者は反対に社内で札付きの人物で、人の好悪の感情が強くあちこちで問題を起こしては店を転々とさせられるような人物だった。かつて上司にどんなふうに逆らったとか、自分の言うことをきかない部下を仕事の面でとことん不利な扱いをしたとか、自分に従わないものは上層部へコネがあるからどこそこへ飛ばしてやるとか、ひとつ話のように自慢していた。

不動産会社には必ずいるタイプだな。チンピラのような人物だった。当然ながらある程度実力のある担当者は横を向いてしまったが迎合する担当者もいた。弱い人間は子分を欲しがるし子分になりたがるものもいる。

ある若手担当者は管理者の歓心をかおうと世話になった先輩にまでタメ口をきいたり、誰が何を口にしたとかこんなことをやっているとか告げ口したりするようになった。安物のサラリーマンドラマみたいだな。

その担当者はいいエリアをもらって、紹介客を優先的にもらって数字も伸びたが同時に信用もなくした。もともと評判の悪い管理者以上に評判が悪くなった。

担当者の中にも公然と逆らうものも出てきて結局、外へ向かう力が内部で消えてしまい店の数字が急落。管理者は飛ばされ、迎合した担当者は店にいることができなくなった。 そういえば怪文書のようなものが出回ったり、所轄官庁が乗り込んできたりと今から思えばスリルに満ちた日々であった。

盛者必衰は世の慣いだ。人の顔を潰したりするとひどい目にあう。その管理者がまだ社内にいる。能力もなく人望もなくいったいどういうわけとだろう。本当にコネでもあったのかもしれぬと不思議がられている。

口では立派なことを言う人物であったが、人の言うことはまずその人の値打ちを見てから判断したほうがいい。経験の長さとと能力は別のものだ。信頼される人間は信頼されるにたるものをもっている。傲岸無礼は自分で馬鹿だといっているのと同じ。まわりの反感をかってついていくものがいなくなるからだ。

新聞を見るのもうんざりするがまた、マンションデベロッパーが潰れた。潰れれるたびに大型倒産と書かれるがもう誰も驚かなくなった。破綻した会社の社長が記者会見で金融機関の融資姿勢の変化が破綻の最大の原因だったと強調した。

今回は知らぬが景気がいいときに積極的に用地取得をすすめてきて状況が悪くなり販売不振と銀行が判断すると無理難題をふっかけて資金の供給を止めたり回収してくるのは銀行の常套手段でいわばお決まりのパターンだな。別のマンションデベロッパーは財閥系の企業の子会社の道を選んだ?が、深刻な状況はまだまだ続く。

不動産の営業担当者で住宅ローンや子供の学費などで経済的に苦境に陥るものが多い。親会社はともかく実家が裕福な人間はあまりこの業界にこないからなおさらだ。経費がなければ足で稼げ、頭を使えと業界残酷物語のはじまりはじまり!といった感じだな。苦境のときに真価がわかる。流されないわけにはいかないが精一杯踏ん張るだけだな。    

 

                                                                                                        

雇用が安定しないと不動産というものはなかなか売れないものだ。どうしても売ったり買ったりする必要のある客がいてもその数は相当数減少している。職を失うかもしれないのにローンを組むのは嫌だろう。

それも不動産のような元々不安定な業種でなく、主要な製造業でまず派遣切り、そして正規社員の勧奨退職。大規模リストラ。家を買うような空気かどうか。涼しい顔をしていられるのは公務員を除けば銀行員くらいか。

景気がどうあれ資金需要はあるわけで、資金需要のある業種を乗り換えるだけでよい。あとはリスクに応じて金利を決めればいいだけだから結構な仕事だ。

「50歳になったら給料が半分になるんですよ」というが、それまでのレベルが高すぎただけの話だ。前にも書いたが不動産会社から内定の取り消しを食らった学生ほど運のよいものはないな。

今、新卒で入ったらまさに塗炭の苦しみを味わうだろう。経費節減といえば聞こえはいいが効率を無視した竹槍営業を延々とやらされる。

大規模マンション群や、ニュータウンでスーツが擦り切れるほどポスティング、会社に帰ったら延々とチラシの印刷業務に従事することになる。宣伝広告費が削減されているからだ。印刷機もよく火を噴かないものだと感心するほど製版ドラムの回転は続く。

20年も前に時計の針が止まっている管理者などに捕まって愚にもつかぬ成功体験、武勇伝を深夜まで聞かされたら地獄だろう。夜遅く帰ろうとする担当者に「お前、明日の案内も入れてないのに帰るのかよ}と管理者に詰め寄られたものもいた。少しは名前の通った大手の会社の話だ。

歩合稼業だから竹槍であれなんであれ理不尽な扱いを受けても食えればいいわけだが食えない担当者が増えている。苦しいときでもなんとか会社に入金しないと余計に仕事がし辛くなる。そうこうするうちに今年も最初の月が過ぎてしまったわけだ。すでに夏の賞与を飛ばしてしまったものもいる。モチベーションが下がれば全てを失う。

「朝青龍、ガッツポーズ問題で釈明」とネットのニュースに出ていたな。横綱朝青龍が復活優勝の千秋楽の土俵上でガッツポーズをした問題で釈明した。「うれしさをこらえきれずに」。その通りだろう。ガッツポーズをしていったい何が悪い?

観客が不快感を覚えたというなら本当に相撲ファンかどうか疑わしい。様式美なんて嗤わせるんじゃない。十両の力士が大麻取締法違反で逮捕されたり、新弟子を稽古と称してリンチで死なせてしまうような角界が何を言ってやがるといったところか。

相手の力士に非礼というが受忍限度内のことだと思う。結局、朝青龍だから問題になっただけだ。国技、神事といっても格闘技の興行ではないか。不動産会社でも敵役の担当者はいて何をやってもおかしなとられ方をする。

朝青龍も同じことだろう。文句をいうなら桝席から座布団を土俵めがけて投げさせるのもやめさせるべきだろうし、だいたい外人を力士として入れなければいい。坊主憎けりゃ袈裟まで憎いというだけのご都合主義で不愉快な話だ。

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