ある大手業者の業務対応に疑問を持っている。売主、買主が当然主張していい条件を社内ルールだと平然と否定するからだ。業界団体の契約書、重要事項説明書を使用していても、個々の契約にはそれぞれの顧客の事情が当然あるはずだ。特約で契約不適合責任は負わない、私道の通行掘削同意は取らない、越境はあっても解決しない。一切の異議申し立ては仲介業者には申し立てない。等々の内容で押し切られている。
まったくやりたい放題だが、当然反発があり、店のローカルルールで契約書の条項はほぼ否定する覚書を用意して、売主、買主間で勝手に合意したことにしている。契約不適合責任は負うし、通行掘削同意も取る。境界標も入れるし、越境是正義務もある。そうすると、重要事項説明で説明したことと実際の条件がまったく異なっている。顧客間の合意で自分たちは関係ないということなのだろうが、仲介判を押さなくても覚書を用意し契約の場で立ち合いの上で締結されている。
よくトラブルにならないものだ。これでは契約書がまるでB勘ではないか。行政は何をしているのだろう。宅建業法違反ではないのかということだ。ずいぶん以前だが、書面による申し込みがあるから物件資料は遅れませんと流通機構には登録していても資料を出さない業者もあったが、所詮、法は人が作ったもので、穴もあれば抜け道もある。損をするのは常に顧客だと言うのが実際のところだろう。
どこの業者のホームページにも書いてあるが、一生に何度もない大きな買い物だから…などとはいかにも鼻白む話だ。大手で模範なら堂々と取引すればいいにとは思う。顧客不在の仲介業などあっていいものかどうか。お山の大将、裸の王様になってしまっている。社内もおかしくなっているのだろう。急に担当者が入れ替わる。新卒で入らないほうがいいのかもしれない。
新人の頃、なかなか出番がなかった。その頃、現場には新人はいても、皆、他の業界でそれなりの経験があったからだ。不動産以外の仕事はしたことがない経験不足の新人は頼りなく見えたからだろう。「お前に仕事を教えれば自分の食い扶持が減る」と言われたこともあった。それでもコツコツやってきた。”雨だれ石を穿つ”というほどたいしたものではないが。あきらめの悪いものだけがプロになれるということかもしれない。
ところで、昔、商家の丁稚が、丁稚の時代を終え、それなりの仕事ができるようになると、落語を聞きに行けと言われたそうだ。話し方、真の取り方、人情の機微を学ぶためだ。それと同じことだった。映画を見ることが好きで、映画から多くのことを学んだ。むつかしいことを簡単な表現で伝える言葉を学んだし、アメリカの法廷ものが好きなせいか人種差別を扱う映画からいくつかのことを学んだ。その一つは、自由がほしければ声をあげねばならない。あきらめてはいけない。永遠とも思える戦いからは逃げてはいけないということだ。
先日は、「マーシャル 法廷を変えた男」を見た。その前は「ドリーム」も見た。「ビリーブ 未来への大逆転」も見た。「黒い司法 0%からの奇跡」も見た。声をあげ説得していく姿を見た。
女性内閣広報官が辞職した。数万円の接待を受けたからだというが、脇が甘いと言えばそれまでだが、追及する側の野党の面々を見れば「お前が言うな」という言葉しか思いつかない議員もいた。優秀な人であったろう。これなで積み上げてきたキャリアが奪われた。他人を批判するときだけは高潔な倫理家になるものだが、こういう人民裁判のようなものはどうにも胡散臭く後味が悪い。嫌な落ちがついた。
まったくやりたい放題だが、当然反発があり、店のローカルルールで契約書の条項はほぼ否定する覚書を用意して、売主、買主間で勝手に合意したことにしている。契約不適合責任は負うし、通行掘削同意も取る。境界標も入れるし、越境是正義務もある。そうすると、重要事項説明で説明したことと実際の条件がまったく異なっている。顧客間の合意で自分たちは関係ないということなのだろうが、仲介判を押さなくても覚書を用意し契約の場で立ち合いの上で締結されている。
よくトラブルにならないものだ。これでは契約書がまるでB勘ではないか。行政は何をしているのだろう。宅建業法違反ではないのかということだ。ずいぶん以前だが、書面による申し込みがあるから物件資料は遅れませんと流通機構には登録していても資料を出さない業者もあったが、所詮、法は人が作ったもので、穴もあれば抜け道もある。損をするのは常に顧客だと言うのが実際のところだろう。
どこの業者のホームページにも書いてあるが、一生に何度もない大きな買い物だから…などとはいかにも鼻白む話だ。大手で模範なら堂々と取引すればいいにとは思う。顧客不在の仲介業などあっていいものかどうか。お山の大将、裸の王様になってしまっている。社内もおかしくなっているのだろう。急に担当者が入れ替わる。新卒で入らないほうがいいのかもしれない。
新人の頃、なかなか出番がなかった。その頃、現場には新人はいても、皆、他の業界でそれなりの経験があったからだ。不動産以外の仕事はしたことがない経験不足の新人は頼りなく見えたからだろう。「お前に仕事を教えれば自分の食い扶持が減る」と言われたこともあった。それでもコツコツやってきた。”雨だれ石を穿つ”というほどたいしたものではないが。あきらめの悪いものだけがプロになれるということかもしれない。
ところで、昔、商家の丁稚が、丁稚の時代を終え、それなりの仕事ができるようになると、落語を聞きに行けと言われたそうだ。話し方、真の取り方、人情の機微を学ぶためだ。それと同じことだった。映画を見ることが好きで、映画から多くのことを学んだ。むつかしいことを簡単な表現で伝える言葉を学んだし、アメリカの法廷ものが好きなせいか人種差別を扱う映画からいくつかのことを学んだ。その一つは、自由がほしければ声をあげねばならない。あきらめてはいけない。永遠とも思える戦いからは逃げてはいけないということだ。
先日は、「マーシャル 法廷を変えた男」を見た。その前は「ドリーム」も見た。「ビリーブ 未来への大逆転」も見た。「黒い司法 0%からの奇跡」も見た。声をあげ説得していく姿を見た。
女性内閣広報官が辞職した。数万円の接待を受けたからだというが、脇が甘いと言えばそれまでだが、追及する側の野党の面々を見れば「お前が言うな」という言葉しか思いつかない議員もいた。優秀な人であったろう。これなで積み上げてきたキャリアが奪われた。他人を批判するときだけは高潔な倫理家になるものだが、こういう人民裁判のようなものはどうにも胡散臭く後味が悪い。嫌な落ちがついた。