十三の話-不動産会社で生きるということ

古人曰く「どこへ行くのかがわかっていなければどの道を通っても何処にも着かない」。何処に行くかさえわかっていればたとえまわり道をしてもそこに着く。徒然の大いなるまわり道の記録が本ブログの趣旨である。 ※このブログはリンクフリーです。コメントは承認制ですのでご了承ください。

タグ:落語

ある大手業者の業務対応に疑問を持っている。売主、買主が当然主張していい条件を社内ルールだと平然と否定するからだ。業界団体の契約書、重要事項説明書を使用していても、個々の契約にはそれぞれの顧客の事情が当然あるはずだ。特約で契約不適合責任は負わない、私道の通行掘削同意は取らない、越境はあっても解決しない。一切の異議申し立ては仲介業者には申し立てない。等々の内容で押し切られている。

まったくやりたい放題だが、当然反発があり、店のローカルルールで契約書の条項はほぼ否定する覚書を用意して、売主、買主間で勝手に合意したことにしている。契約不適合責任は負うし、通行掘削同意も取る。境界標も入れるし、越境是正義務もある。そうすると、重要事項説明で説明したことと実際の条件がまったく異なっている。顧客間の合意で自分たちは関係ないということなのだろうが、仲介判を押さなくても覚書を用意し契約の場で立ち合いの上で締結されている。

よくトラブルにならないものだ。これでは契約書がまるでB勘ではないか。行政は何をしているのだろう。宅建業法違反ではないのかということだ。ずいぶん以前だが、書面による申し込みがあるから物件資料は遅れませんと流通機構には登録していても資料を出さない業者もあったが、所詮、法は人が作ったもので、穴もあれば抜け道もある。損をするのは常に顧客だと言うのが実際のところだろう。

どこの業者のホームページにも書いてあるが、一生に何度もない大きな買い物だから…などとはいかにも鼻白む話だ。大手で模範なら堂々と取引すればいいにとは思う。顧客不在の仲介業などあっていいものかどうか。お山の大将、裸の王様になってしまっている。社内もおかしくなっているのだろう。急に担当者が入れ替わる。新卒で入らないほうがいいのかもしれない。

新人の頃、なかなか出番がなかった。その頃、現場には新人はいても、皆、他の業界でそれなりの経験があったからだ。不動産以外の仕事はしたことがない経験不足の新人は頼りなく見えたからだろう。「お前に仕事を教えれば自分の食い扶持が減る」と言われたこともあった。それでもコツコツやってきた。”雨だれ石を穿つ”というほどたいしたものではないが。あきらめの悪いものだけがプロになれるということかもしれない。

ところで、昔、商家の丁稚が、丁稚の時代を終え、それなりの仕事ができるようになると、落語を聞きに行けと言われたそうだ。話し方、真の取り方、人情の機微を学ぶためだ。それと同じことだった。映画を見ることが好きで、映画から多くのことを学んだ。むつかしいことを簡単な表現で伝える言葉を学んだし、アメリカの法廷ものが好きなせいか人種差別を扱う映画からいくつかのことを学んだ。その一つは、自由がほしければ声をあげねばならない。あきらめてはいけない。永遠とも思える戦いからは逃げてはいけないということだ。

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先日は、「マーシャル 法廷を変えた男」を見た。その前は「ドリーム」も見た。「ビリーブ 未来への大逆転」も見た。「黒い司法 0%からの奇跡」も見た。声をあげ説得していく姿を見た。
マーシャル 法廷を変えた男 (字幕版)
スターリング・K・ブラウン
2018-01-01




女性内閣広報官が辞職した。数万円の接待を受けたからだというが、脇が甘いと言えばそれまでだが、追及する側の野党の面々を見れば「お前が言うな」という言葉しか思いつかない議員もいた。優秀な人であったろう。これなで積み上げてきたキャリアが奪われた。他人を批判するときだけは高潔な倫理家になるものだが、こういう人民裁判のようなものはどうにも胡散臭く後味が悪い。嫌な落ちがついた。





一枚の地図を何人かの営業担当者で切り分けると、それぞれ値札が付いていることがわかる。物なりのよい場所と、草も生えない場所もある。いい場所をとるのは優秀な担当者だ。スキルもあるし、熱意もある。客受けも悪くない。会議では褒められる役回りだ。

数字が悪くて、熱意がなくて、文句ばかりの担当もいるだろうな。会議では吊し上げだな。向いていない担当者もいるし、かつて、優秀だったものがその役回りをすることもある。他へ移る機会もあったろう。あながち、魚のいる場所を知っているから、船頭のままでいて、結局、漁場を奪われたのだろう。

小さな所帯でもこのありさまなら、大きな所帯のところも同じことだ。人は誰でも間違いを犯し、誰それが悪いと言い訳をして、どうか今回ばかりは赦してくれとは言えないから、不満が残る。ギイギイ鳴く歯車は油をさしてもらえるが、度重なると取り外される。取り外されているのに、まだ、動こうというのか。

明かりがつけばゴキブリは消えるが、いなくなるわけではない。何も変わりはしない。落とし穴などどこにでもある。それでも、生きているのは、溺れているのは浅瀬だからだ。希望を持てなくなったから負けたのだと、いつか気づくだろうな。敵は外にいなくて、内にいるものだ。

状況をよくしたいなら、仕事に興味を持つべきだ。興味を失えば不安が増すだけだ。これは真実。

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希望を持つには、余裕も必要だ。ところで、寝る前に最近、落語を聴くようになった。さまざまな演者が、何十年も、あるいは、百年もかかって、一つの落語にしてゆく。その結晶がその作品だ。希望と興味がここにもある。
THE 米朝(DVD付)
桂米朝
EMI MUSIC JAPAN(TO)(M)
2007-12-26







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