十三の話-不動産会社で生きるということ

古人曰く「どこへ行くのかがわかっていなければどの道を通っても何処にも着かない」。何処に行くかさえわかっていればたとえまわり道をしてもそこに着く。徒然の大いなるまわり道の記録が本ブログの趣旨である。 ※このブログはリンクフリーです。コメントは承認制ですのでご了承ください。

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住宅ローンを組む際に、事前審査をするわけだが、個人信用情報機関にまったく記録のない人もいる。いわゆるスーパーホワイトというものだが、22歳で社会人になりたてというならまだしも、30歳で何の登録情報もないなら、金融機関も与信の判断がつかないことになる。

金融機関は当然、過去に事故歴があるのだろうと推測するから事前審査が通らない。ほしい物件があっても買えないことがある。旦那さんが働いているのに、奥さん名義でローンを組んで買うようなときにも何故だと疑われる。金融機関というのは絶えず誰かに評価を与えて、生かしたり殺したりするところがある。表現を変えれば、人を人とも思わないところがあるということになる。

金融とは足りないところに資金を融通することが仕事のはずだが、個人事業主など、少し売り上げを落としただけで、資金を回収しようとする。雨が降ったら傘を取り上げるのは今に始まったことでもないだろう。職業柄、あまり、銀行員と占い師は好きではない。人を操ろうとするからだ。

学校を出て、初めて社会に出て、濃紺のスーツにエンジのネクタイ、髪を撫でつけ、大きな声で挨拶する若者のとき。学校の一日目と同じで、みんな静かで優しくて、胸が躍るような気分があったろう。それから、数年も経ずして、住宅ローン審査で撥ねられるようなことになったらつらかろうな。

家はある意味、切羽詰まって買うモノだ。思い切って買う。勇気を出して買付を書いて、精一杯交渉して買うモノだ。数年前に、携帯電話の支払いが遅延していたり、カード払いをうっかりして、期日が過ぎているのに口座への入金を忘れたとか、家族に事故情報があって、同居して電話番号で引っかかったとか、そんな理由でも審査で落ちるが、なんの履歴もない、スーパーホワイトは金融機関がまるでこの世に存在しないかのような対応を取ることもある。

銀行の融資担当者が、不動産業者を回っては、属性だとか、スコアリングだとか、人を堕とし込む魔法の言葉を言いふらすようなこともあった。言葉の出さないで身振り手振りで、それとなく伝えてくる銀行員もいた。人にはそれぞれ人生があり、節目節目で資金が必要になる。手の平を返すような冷淡な対応を気の毒にと思うお客さんもいた。罪を憎んで人を憎まずという言葉があるが、人生の一時期、うまくいかないときもある。

都市銀行に入って、リテールの個人融資に回されることは不本意なんだと聞いたこともあるが、所詮はカネ貸しだし、所詮はただの人だと言うに過ぎないが、わけのわからない裏付けのないプライドを持つ融資担当者もいるな。個人情報を格付けしたりして、人を見下すような一面はある。もちろん、銀行員に何とか頼み込んで助けてもらったこともある。どうしてもほしい家を手に入れて喜んでいた若夫婦もいた。

仕事をしていて、何かに腹を立てることがあるが、それでも数字は残さないといけない。会社のためでなく自分のためだ。周囲にはそれなりの敬意を払わせるようにしないと生き残ることはできない。努力が必ずしも日の目を見るとは限らないが、宝くじでも当たらない限りは大金を得る可能性はないわけだから、朝、一番遅く来て、夜、一番早く帰っていては信用も評価も下がるし、せっかくのスキルも役に立つ場所を失う。

今、役に立つからスキルの意味がある。評価というものはむつかしく、単純に給与や役職やデスクの大きさばかりでは測れない。何の役職についていなくても、敬意を受けるものもいる。若者は時間を無駄にし、ベテランは経験を無駄にする。我慢が足りないと思う。今に限ったことではないが、どうも春になると人が辞めて出ていく光景を見る。残った者も、このままでいいのかとガードレールのない道に放り出された気分になることもある。若い頃、末路哀れは覚悟の前だと言われたことを思いだす。

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1994年(平成6年)に公開された映画「集団左遷」は、毎年一度は見る映画だ。バブル崩壊を契機に大量のリストラのために、首都圏特販部という、いわば首切り部屋に放り込まれた50人の営業担当者たち。生き残りをかけた闘いを描いた不動産会社の話だ。「カネがないなら知恵を出せ、知恵がないなら汗を出せ」と言うようなセリフもあった。映画は時代背景を映し出す鏡だ。今、見たところだが、何とも懐かしい映画だ。

1990年台も不動産の営業担当者たちは、それなりに問題を抱え、それなりに悩んでいた。その他大勢の立場であっても、それなりに難しい決断をしてきた。家族に重荷を背負わせたこともあったろう。・・それは、これからも続いていく。30年前も悩んでいた、新しい悩みはない。因みに、この映画には、柴田恭兵、中村敦夫、津川雅彦、高島礼子が出演している。「生き残るか死ぬか、誰が決めるのか。会社じゃないぞ。キミたち一人一人が、自分で決めるんだ。」。・・その通りだと思う。


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野田新首相は好感がもてるな。おかしな偏りが少ないように見える。ただ、閣僚はまたまたどうしようもない。「私は安全保障の素人だがそれが本当のシビリアンコントロールだ」と新防衛相。素人と思うなら大臣を受けるべきでないし、シビリアンコントロールの意味すらわかっていない。それに、閣僚名簿を見るとパチンコ業界に近い人が多い。もし、万一、外国人からパチンコ献金などが出てくれば、即時罷免、追放してもらいたい。・・・また、あの権高の元キャンギャルのオバサンも入閣か。人が多いのに人が少ないんだな。

それと、ノーサイドを掲げるのはどうかな。ノーサイドというのは字義的に解釈すれば、「試合が終わってもう敵も味方もありませんよ」ということ。なんだ、はじまる前から終わってたのかと思うと笑える。どうも・・・キムチ臭って好きじゃない。おかしな譲歩をして日本に損ばかりさせるのではないかと心配だ。約束事を守らない国だから。

銀行員が訪ねてきて、ローンの新商品が出るたびにスコアリングの高い客はさらに金利優遇しますよと言う。医師や弁護士、一部の上場企業、そして公務員のこと。最近、法科大学院の数が増えて食えない弁護士も少なくないだろう。医師も町医者なら潰れることもある。やはり公務員だな。一種の特権階級のようなもの。幹部クラスで採用されなくとも、高給を取っていなくともスコアリングは高い。賄賂でも貰わない限りクビにならないから。

・・・不動産の仕事に限らぬだろうが役所に行くと、本当に面倒くさそうに応対に出てくる。わかっていながら他の部署へ行けとたらい回しにあうこともある。民間なら潰れているような自治体でさえ職員を減らすこともサービスを改善することもしない。景気にも左右されないし、たしかに銀行としてはまことにありがたい客だろうが、このままではよくない。労働強化反対だの日の丸反対などというようなものは即時罷免して渇を入れるべきだが大新聞が批判することもありえないし、民主党政権だから無理だろう。赤い貴族は旧ソ連や中国にだけいるのではないわけだ。数ヶ月先しか先の読めぬ不動産業従事者のやっかみももちろん入っている。

信じがたい話だが、日本が空母や爆撃機を保有していると思ってている人は以外に多い。全通式の甲板を持つ輸送艦や護衛艦は空母ではない。爆撃機は保有していない。潜水艦は通常動力。そのうえこのたびの津波でF-2戦闘機が18機も水没して航空戦力に大打撃を受けた。他国がどういう装備をもっていて性能や稼働率を考慮にいれずに予算規模だけで減額にもっていくのはおかしな話だ。人員も戦闘機も戦車も絶対数が足りない。韓国のような国までが竹島に続いて対馬は自国領だと騒ぎ始めたのは、自衛隊の抑止力が低下してきているから。自衛隊は広報活動がなっていない。大学の教養課程で軍事学とか安全保障論などの講座があればいいがそんなものはないし、子供手当てで子供の首を絞めながら有用な予算を削ってきたのは馬鹿な話だと思う。

スマートフォンはまだまだ実用的ではない。GPSをONにしただけでどんどん電池が消耗してゆく。動画などとんでもない。結局、スマホを持っていながらミュージックプレーヤーが手放せない。あと5mm厚くなっていいから電池が2倍長持ちできるくらいでないとお話にならない。スマホでブログ更新なんてとても無理。iモードの良さが懐かしい。それと、パソコンが一通り使える人でないととても使えない。仕事でも使いにくい。まるで通常型潜水艦のようで、定期的に浮上してエンジンを回さねば。要は電池だな。電話もよくない。ものすごくストレスフルな機種だ。航続距離と速度と格闘性能を高いレベルで兼ね備えた零式戦闘機のようなスマホが出るまで、まだ、買っていない人は待ったほうがいいな。

「人間というものは妙な生きものよ。悪いことをしながら善いことをし,善いことをしながら悪事を働く。」池波正太郎著「鬼平犯科帳」(明神の次郎吉)・・・火付盗賊改方長谷川平蔵の言葉。このたびのタイガーマスク・ムーブメントの件でこの言葉が思い浮かんだ。誰でも、建前どおりに正しく生きたい。現実に流されてそうもいかぬが。だから、何かのきっかけで、よいこともしたいわけだ。

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「鬼平犯科帳」をはじめ池波正太郎の作品は好きだな。「剣客商売」「真田太平記」などいまだに書棚にある。長谷川平蔵の、秋山小兵衛の、真田昌幸、幸村の何気ない言葉がグサリと読み手の胸をえぐる。肩肘張らずに読めるから癒し系のようにも見えるが、厳しい時代を生き抜いた男たちのドラマがある。

ところで、江田法相が記者会見で、死刑執行について「死刑というのはいろんな欠陥を抱えた刑罰。国民世論や世界の大きな流れも考え、政治家として判断すべき・・・もともと人間はいつかは命を失う存在だ。そう(執行を)急ぐことはない」と述べたそうな。・・・いったいこの政権はどうなっている。法治国家ではないのか。馬鹿な教師が自身の勝手な心情で卒業式で国歌斉唱を拒否したりするのとかわらぬ。

ルーピーと外国のマスコミに嘲笑された鳩山前総理にはじまり、やっと、あの仙石官房長官更迭と思いきや、また、こんな発言が飛びだした。こういう発言を議院でするなら問責決議を出すべきだ。やる気がないと言っているのだから。人間はいつかは命を失う存在だからというなら、刑罰の意味がない。人権擁護とは似て非なる老人の妄想と思う。理不尽に命を断たれた人は殺され損ということではないか。安っぽいパフォーマンスには辟易する。耄碌したというなら、そんな老人にはランドセルのかわりに紙オムツでも配るがいい。

馬鹿を見るのは不動産会社だけにしてもらいたい。朝のミーティングで気の利いたことを言いたくて、マネジメントのハウツー本の一節を得意げに披露する上級管理者の低俗な話。聞くたびにテンションが下がっていく営業担当たちの疲れた顔。日本全国、お馬鹿の種は尽きまじか。

銀行員と話していると、お前は何様かと思うことがある。あれ出せこれ出せと資料の提出を客に要求して、結局、否決。ダメなら最初から断ればいいのに、頑張ってますというアピールは社内向けか?これが、何度か続いた銀行があって、ささやかな抵抗だが、店としてその銀行には可能な限り申し込まないことにした。事前審査の書類はゴミ箱へ。

何度も書くが、テレビでパチンコのCMは流さないほうがよい。違法か合法かグレーゾーン。管理人には遊戯でなく賭博としか思えぬ。年金暮らしの老人がなけなしのカネをむしり取られることもあるだろう。依存症になり借金を繰り返す主婦。賭博は結局、勝てはしないのだから。日本人が食い物にれれるいのは我慢ならんな。全面禁止でよいではないか。わずか数百円で長谷川平蔵の呟きが聞けるというのに。

昨年のサブプライム問題に端を発した金融危機から不動産業界は厳しい状況が続いている。景気が上向いたときに土地を仕入れたデベロッパーも大手であれ中小であれいくつもの企業がついに資金繰りが続かず倒産した。街の建売業者など連日といってもいいような倒産劇が続いた。仲介業界も同様で先の読めぬ業績不振に喘いでいる。

担当者レベルでも業績が足切りラインに届かず冬のボーナスが貰えず、市況が回復しないから今夏もなくて、次の冬も危ないとなれば状況が厳し過ぎる。ボーナス払いの住宅ローンがあったり子供の学費を秋に払わねばならぬとなると蓄えた資金などすぐに尽きてしまう。一般のサラリーマンも同様な状況であれば客が減るのは致し方ない。

業績が悪いから広告宣伝予算も大幅カットになってそれでもノルマは減らなくて、足らずは足腰で補えととっくに耐用年数が過ぎていて頭の切り替えが出来ていない幹部たちが言うので兵隊蟻たちは戸惑い怒るわけだ。担当が頭を使わず惰性で仕事をするから業績が落ちるなどと本気で会議で言っている。よく言ってくれると苦笑するほかない。

不動産会社の営業担当など会社から見ればとるに足らぬ一匹の蟻に過ぎないが一寸の虫にも五分の魂。意地も面子も夢も希望もある。職場でどんどんモチベーションを失ってゆくのはつらいことだが会社に依存していて、それが裏目に出ていることにも気付かねばなるまい。

ある芸能人は舞台で、調子の良いときは普通に、調子が良くなければ全力で演技をするそうだが、状況が悪いときには全力で細心に対応せねばなるまい。会社のために非ず自分のため。焼け石に水でも水をかけ続けねばその場所にとどまることさえできまい。

ローンが払えず延滞者が増えているようだ。銀行の審査もかなり厳しくなってきている。優良な客なら店頭金利から1.5%ものディスカウントをするくせに、スコアリングが低いと保証料を倍にもしてくるから、銀行員は所詮ただのカネ貸しであることを再認識せざるをえない。

ずいぶん銀行員の態度も悪くなった。融通もきかぬ。税金で不良債権を抱えていたのを助けてもらったのはそう遠い昔ではない。子供は不動産屋や銀行員にはしないことだ。職業には貴賎がある。カネ貸しは不動産屋とさしてかわらぬ地獄の餓鬼なり。もっと社会的に有意義な職もあろう。

ベテランの担当者になると若い担当よりは経験があるからトラブルは少ないだろうが、客から若い担当にはないようなクレームを受けることがある。曰く波長があわない、曰く親身になってくれない。曰く前向きな気持ちでいるのに水を注すようなことばかり言う。

気付かぬうちに上からモノを言っていたりすることもあろうし、トラブルわ避ける為に過剰な説明をしたり、また客のほうで自分の思いのままにならぬためストレスを受けているというようなこともあるだろう。業界にどっぷりつかってしまって謙虚な気持ちになれないというようなこともあるだろう。

周りからは営業力が落ちたと判断されるだろう。絶えず微調整して改めるべきは改めるべきだろう。一般論、原則論ばかりでは客の反感をかうだけだ。踏まざるを得ない手順をショートカットしては不信を招くことにもなる。少しは客の身になって考えて尚且つ自分の意見を押し付けるなということか。年を重ね経験を積むことはけっして人間的な成長を意味しない。接客業は答えがないからむつかしいことだ。

「人の一生は重荷を負いて遠き道をゆくが如し いそぐべからず 不自由を常とおもへば不足なし・・」と古人は言うがそこまで達観できるほど人間が出来ている人間は業界内では見かけたことはない。あんなふうになりたくないという御仁なら掃いて捨てるほどいるが。

こんな時期になってみれば中枢にいる人間も保身ばかりで意気地がない。馬脚をあらわすとはこのことだ。高給を食むならそれなりの覚悟、身の処し方もあろうに、怒鳴り声はすなわち悲鳴。過去を想って逃げてばかりでは下僚から信頼を失うだけだろう。

7月か。今年も半分が過ぎた。努力が必ずしも陽の目を見るわけではないが現状を支えるだけで青息吐息が正直なところだ。傭兵だからこうしたらどうかと主張することはないが、もっとも不向きなものがその地位にいて舵をとり、その場限りの支離滅裂な指示が出てくることには憤慨もするし哀しくもあるな。正すべきは人事制度か。機能しない組織に活路はないようだ。


 

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