儒灯

【温故知新】儒学の普及に力を注いでおります真儒協会 会長、高根秀人年の個人ブログです。 『論語』、『易経』を中心に、経書の言葉を活学して紹介して参ります。 私個人の自由随筆、研究発表などのほか、真儒協会が毎月行っております定例講習についても掲載しております。

《 結びにかえて 》 老子の「三宝」

§.《 結びにかえて 》 ・・・ 『老子三宝の章』/「無名で有力であれ」「壺中天」(安岡正篤)

 【 老子・三宝: 67章/81章 】

(三宝・第67章) 注1) 

老子の「三宝」

 §.「 天下皆謂」 〔ティン・シャ・チェ・ウェー〕

注1) “三宝”といえば、聖徳太子の“憲法十七条”に登場することで知られており、( → cf.資料) 仏教の専用語として理解している人が多いかと思います。が、さにあらずで、『老子』が出典です。“三宝”の意味も、「慈」・「倹」・後“譲/謙”(「敢て天下の先〔せん/さき〕とならず」)の3つです。
「道」を3つに(属性的に)分析して、その3つが自身の“お守り”であると述べています。むろん、「道」は1つです。ですから、例するに、1つのコーヒーカップを観る角度を変えて描いた異なりであり、(コーヒーカップ)本体は1つです。3つの側面(視点)から観たのは、老子の“哲学的”な遊びかも知れません。しかも、「我に三宝あり」と3つの徳を挙げておきながら、「慈」のみをもって結論としています。畢竟〔ひっきょう:=結局〕するに、老子“三宝”の主体は「慈」であり、それは儒学の「仁」と同じであり、仏教とも同じ(「慈悲」)と考えられるのです。


資料

 《憲法十七条》 (by.『日本書紀』)

○ 推古天皇十二(604)年 ・・・ 皇太子親〔みずか〕ら肇〔はじ〕めて憲法十七条を作る。

一に曰く、和〔わ/やわらぎ〕を以て貴〔たっと〕しとなし、忤〔さから〕ふること無きを宗〔むね〕とせよ。

二に曰く、篤〔あつ〕く三宝を敬へ。三宝とは仏〔ほとけ〕・法〔のり〕・僧〔ほうし〕なり


○ 「天下皆謂、我(道)大似不肖。 夫唯大、故似不肖。 若肖、久矣其細也夫。 |
我有三宝、持而保(ホウ:宝/葆)之。 一曰慈、二曰倹、三曰不敢為天下先。 慈故能勇、倹故能広、不敢為天下先、故能成器長。 今舎慈且勇、舎倹且広、舎後且先、死矣。 |
夫慈、以戦則勝、以守則固。 天将救之、以慈衛之。」


■ 天下 皆謂〔い〕う、我れ(/我が道)大にして不肖に似たり、と。夫〔そ〕れ唯〔た〕だ大なり、故に不肖に似たり。若〔も〕し肖〔に〕な(た)らば、久しいかな其の細なること。 |
我れに三宝有り、持して之を保つ(宝として之を持つ)。 一に曰わく“慈”、二に曰わく“倹”、三に曰わく“敢〔あ〕えて天下の先〔せん〕と為らず”。 慈なるが故に能〔よ〕く勇、倹なるが故に能く広、敢えて天下の先と為らざるが故に、能く器の長を成す。 今、慈を舎〔す〕てて且〔まさ〕に勇ならんとし、倹を舎〔す〕てて且〔まさ〕に広からんとし、後なるを舎てて且に先ならんとすれば、死せん。 |
夫〔そ〕れ慈は、以て戦えば則ち勝ち、以て守れば則ち固〔かた〕し。 天将〔まさ〕に之を救わんとし、慈を以て之を衛〔まも〕る。

 “ Here are my three treasures.  Guard and keep them !  The first is pity; the second, frugality; the third: refusal to be ‘foremost of all things under heaven’ .
(A.Waley adj. p.225) 

 “ I have three treasures Which I hold and cherish. The first is known as compassion, The second is known as frugality, The third is known as not daring to take the lead in the empire;
(D.C.Lau adj. p.74)

《 大意 》

世の中の人々は、皆、私(私の道)のことを、→ ☆★
☆A.至大であって、これに類似〔=肖〕したものがないから、ホラ吹き・いい加減ではないかと言います。それは、ただただ大きいが故に似たものがないのです。もしも似〔=肖〕たものがあるとすれば、(相対的概念となって絶対の至大・無限大ではなくなるから)それは、そもそも最初から細く小さなニセモノ〔偽物〕(の道)に違いないのです!
★B.[不肖を愚と解する:] 大人物のようだけれども、愚かに見えると言います。そもそも、大きすぎるからこそ、愚か者に見えるのです(愚かであるからこそ、大きくありうるのです)。もしも人並みに(賢く)見えるようなら、まったくもって、とうの昔に小賢〔こざか〕しいちっぽけな人間になっていたことでしょうよ! |

私には3つの宝があり、(宝として)大切に保持しています。その第1は「慈」〔いつくしみ〕、第2は「倹」〔つつましさ〕、第3は「世の中の人々の先頭に立たない」〔=後〕ということです。「慈」を持っているからこそ(人々の心服が得られて、“千万人と雖も吾往〔ゆ〕かん”の 注2) 勇気が出るのです。「倹」を守っているからこそ、(余裕〔ゆとり〕ができて)広く人々に施すこともできるのです。「世の中の人々の先頭に立たない」からこそ、人材を活用できて首長〔かしら〕となることができるのです。
しかるに今、「慈」を捨てて勇に任せて争い、「倹」を守らないで広く人々に施そうとし、人の後〔うしろ〕について行くことを捨てて、いきなり先頭に立とうとするならば、きっと命を落としてしまうでしょう! |

そもそも、「慈」〔いつくしみ〕(は人々の信望を得るから、それ)によって戦えば勝利をおさめ、「慈」によって守備すれば堅固で陥落しません。(それは、人力をこえた)天が、「慈」の人を救おうとして、やはり、天が「慈」をもって(かの人の身を)守護〔=衛〕してくれているからなのです

注2) 「子・勇を好むか。吾嘗〔かつ〕て大勇を夫子〔ふうし〕に聞けり。自ら反〔かえり〕みて縮〔なお〕からずんば、褐寛博〔かつかんぱく〕と雖〔いえど〕も、吾惴〔おそ〕れざらんや。自ら反みて縮くんば、千万人と雖も吾往〔ゆ〕かん。」 cf.孟子の“浩然の気”
(『孟子』・公孫丑〔こうそんちゅう〕上/曽子の言葉)


・「大似不肖」:「肖」は「似」=類似〔アナロジー〕。
☆A.「不肖」は、似たものがないの意。
★B.「不肖」を悪いものと解する。 ex.“不肖の息子”

・「久矣其細也夫」:「也夫」は強い感嘆詞。“細なること久し”とするところを倒置して、感嘆にしています。
ちなみに、『論語』の中に、よく似た孔子(の人物の大きさ)ついて記述した箇所があります。子貢が叔孫子〔しゅくそんし:叔孫武叔〕に対して、先生(孔子)の大きさを遥かに高い屋敷の塀(宮牆〔きゅうしょう〕)に喩〔たと〕えて述べています。普通の人には塀が高くて家の中の様子が見えないから、先生の大きさが分からないのも当然だということです。
(子張・第19−23)

・「舎倹且広」:cf.政府(〜‘12 民主党/自民党)のバラマキ政策。現在の大赤字財政の因。

・「成器長」:成器を大器とし、大器を天下とし、「成器長」は天下の長(君主)とします。 『論語』に「君子は器ならず」 とあります。一つ一つの「器」は(どんなに大きくても)そ の用途が限定されています。「器」は道具の意味が転じて、個別の仕事に役立つその首〔かしら:トップ〕(=才の人・小人)のことです。それに対して、君子=不器の人は用途が限定されず「器」を広く使う人のことです。
『老子』には、「樸〔ぼく・あらき〕散ずれば則ち器となり、聖人これを用うれば、則ち官長となる。」(第28章) とあります。『論語』も『老子』も同じことを言っています。成器の長は、(人民も含めて)万物の長となって天下を支配するのです。

君主・リーダー像 → 儒学)「不器の人(=君子)」 = 黄老)「成器の長」

・「天将救之、以慈衛之。」:天祐(天の祐〔たす〕け)あり。
cf.『易経』・【火天大有】上爻:
「天よりこれを祐〔たす〕く。吉にして利ろしからざるなし。」(三大上爻の一つ)

 

コギト(我想う)

 《 老子の “三宝” 》

「三宝」 : 「慈」〔いつくしみ〕&「倹」〔つつましさ〕&“後”〔世の人々の先頭に立たない〕

 慈  は、仁の本〔もと〕。柔仁、「勇」を発する根源です。

『論語』に、欲ある者は剛を得られないとあります。『孟子』にも、曽子の言葉として「自ら反みて縮くんば、千万人と雖も吾往〔ゆ〕かん。」(『孟子』・公孫丑〔こうそんちゅう〕上/cf.孟子の“浩然の気”) とあります。
「仁者に敵無し」は、孟子が強調しているモットーです。人民に仁徳・慈恵をほどこすような人(君主)には、敵となって逆らうような者はいないの意です。

 cf.(孟子が梁の恵王にいうには)「故に曰く、仁者に敵無し、と。王請〔こ〕う疑うこと勿〔なか〕れ、と。」(『孟子』・梁恵王章句上) 「夫〔そ〕れ国君仁を好まば、天下に敵無し。」(『孟子』・離婁章句上)

そして、「三宝」を挙げておきながら、「慈」のみで章文を結んでいます。「三宝」の中心が仁徳である ということです。畢竟〔ひっきょう〕するに、老子の「慈」は、孔子・孟子の「仁」であり仏陀の「慈悲」であり、イエスの「愛」です。

 

 倹  は徳の蓄積。倹約、節倹です。

易卦でいうと【水沢節】(節度・節約)でしょう。節倹を守ればこそ、不足がなく広く施し用いる ことができるのです。入るをはからず、バラマキ政策で、膨大な赤字財政のわが国の現状を 省みなければなりません。『老子』第59章にある「嗇」〔しょく〕とほぼ同じです。

 

 後  は、(儒学徳目)の“謙/譲”です。

“敢〔あ〕えて天下の先〔せん〕と為らず” → “後” は、“謙”・“譲”のことです。

「世の中の人々の先頭に立たない」からこそ結果的に首〔かしら〕・長〔おさ〕になる、という老子得意のパラドックス〔ぎゃくせつ〕です。“謙”も“譲”も儒学の重要な徳目です。立場が上であればある程“謙/譲”、へりくだることが大切です。易卦でいうと【地山謙】、謙虚・謙遜・“稔るほど頭〔こうべ〕を下〔た〕れる稲穂かな”ですね。例えば、大臣や社長といった首(トップ・リーダー)は、腰を低く頭を下げて、お酌をして回ることが大切です。反面、立場が上でなければ、普通に相手に敬意を表していればよいと思います。過度にペコペコするのは、卑しむべき阿〔おもね〕り諂〔へつらい〕というものです。

わが国にも“人をたてる”という言い方があります。“オレがオレが”ではなく、まず人を先とし自分を後におく、というのが(善くできた)大人〔おとな/たいじん〕というものです。

「成器の長」は「天下の先とならない」から、動きません。例えば、大臣や社長は受付(先)にはいなくて、奥(後)にいます。

 

(*安岡・前掲「老子と現代」 pp.134-135引用) ( §67章 )

「 所謂『老子三宝の章』といって有名な言葉であります。今日のように全く老子と反対に枝葉末節に走り、徒に唯物的・利己的になり、従って至るところ矛盾・衝突・混乱を来してくると、肉体的にも生命的にもだんだん病的になる。善復た妖となるで、元来善であり正である筈の文明・文化がそれこそ奇となり妖となる。今日の文明・文化は実に妖性を帯びております

こういうことを考えると、我々は老子というものに無限の妙味を感ぜざるを得ないのであって、これを自分の私生活に適用すれば、この唯物的・末梢的混濁の生活の中に本当に自己を回復することが出来るのであります。こういう風に絶えず現代というもの、われわれの存在というものと結びつけて生きた思索をすれば、読書や学問というものは限り無く面白く又尊いものであります。」

 

【老子:むすびに】

( ジ・ジン・ヒ・アイ )

老子【慈】 ≒ 孔子【仁(忠恕)】 ≒ 釈迦【悲(慈悲)】 ≒ イエス【愛】

 「道」/無為自然 ≒ ☆ハーモニ/バランス ≒ *中庸/中和・時中

 harmony 〔調和〕 / balance 〔均衡〕 

 「中」の: 1) ホド、ホドホド 2)止揚〔アウフヘーベン〕

 

―――ー  無  名で  有  力であれ」 (安岡 正篤) ―――ー

六中観

1.忙中  有り : 忙中に摑〔つか〕んだものこそ本物の閑である。

2.苦中  有り : 苦中に摑んだ楽こそ本当の楽である。

3.死中  有り : 身を棄〔す〕ててこそ浮ぶ瀬もあれ。

4.壺中  有り : どんな境涯でも自分だけの内面世界は作れる。どんな壺中の天を持つか

5.意中  有り : 心中に尊敬する人、相ゆるす人物を持つ。

6.腹中  有り : 身心を養い、経綸〔けいりん〕に役立つ学問をする。

cf.1→ 「閑な時の読書身につかず」
3→ 「窮鼠〔きゅうそ〕猫をかむ」

「私は平生〔へいぜい〕 窃〔ひそ〕かに此の観をなして、如何なる場合も決して絶望したり、仕事に負けたり、屈託したり、精神的空虚に陥らないように心がけている。」
( 『安岡正篤・一日一言』、致知出版社 引用 )

 

☆ 《 壺中天 》:  黄老  の世界 ―― 現実の中にあって心中は隠者の世界に  遊ぶ  ・・・
( 学ぶ → 楽しむ → 遊ぶ )
by.盧

 

(完)


■2015年3月22日 真儒協会 定例講習 老子[50] より



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老子道徳経: 《 老子のユートピア(理想国家・社会)思想 》 その3

こちらは、前の記事の続きです。

原典研究

・・・ 《 桃花源の記 》

桃花源の記
(『陶淵明集』より)  陶潜 〔淵明〕

(※書き下し文ふりがなは、現代かなづかいによりました)

第一段落

○ 晋の太元中〔たいげんちゅう〕、武陵の人 魚〔うを〕を捕らふるを業と為す。渓〔たに〕に縁〔よ〕りて行〔ゆ〕き、路の遠近を忘る。忽〔たちま〕ち桃花の林に逢ふ。岸を夾〔さしはさ〕むこと数百歩、中に雑樹無し。芳草鮮美にして、落英繽紛〔ひんぷん〕たり。漁人〔ぎょじん〕甚だ之を異〔あや〕しみ、復た前〔すす〕み行きて、其の林を窮めんと欲す。林水源に尽き、便ち一山を得たり。

《 大 意 》
晋の太元年間に、武陵の人で、魚捕りを業とする人がいました。彼は谷川に沿って船を進めて行くうちに、どれほどの道のりを来たかも忘れてしまいました。そうしているうちに、ばったり桃の花の林に行き会いました。(それは)川をはさんで両岸に数百歩も連なっていて、中には桃以外の木は一本も混じっていませんでした。美しい草が色鮮やかに茂り、桃の花びらが辺り一面に乱れ散っていました。漁師は大層不思議に思い、さらに船を進めて行って、その桃の林の果てまで見きわめようとしました。(やがて)林は谷川の源のところで切れると、そこに一つの山がありました。


第二段落

○ 山に小口有り、髣髴〔ほうふつ〕として光有るがごとし、便〔すなわ〕ち船を捨てて口より入る。初めは極めて狭く、纔〔わず〕かに人を通ずるのみ、復た行くこと数十歩、豁然〔かつぜん〕として開朗なり。土地平曠〔へいこう〕にして、屋舎儼然〔げんぜん〕たり。良田・美池。桑竹の属〔ぞく〕有り。阡陌〔せんぱく〕交はり通じ、鶏犬相聞こゆ。其中〔そこ〕の往来種作〔しゅさく〕する男女の衣著〔いちゃく〕は、悉く外人のごとし。黄髪垂髫〔こうはつすいちょう〕、並〔みな〕怡然〔いぜん〕として自ら楽しむ。

《 大 意 》
山には小さな洞穴があり、どうやら内には光がさしている様子です。そこで彼は船を捨てて、穴の口から入って行きました。初めは大変狭くて、やっと人が一人通れるほどでした。さらに数十歩進むと、からりと明るく開けました。(見れば、)広々と土地は開け、きちんと整った家並みが続いています。よく肥えた田、美しい池、桑畑や竹林などがあり、あぜ道は縦横に通じ、あちこちで鶏や犬の鳴き声がしています。そこを行き来したり、畑の仕事をしたりしている男女の服装は、みんな外部の人のそれと変わりはありません。黄色の髪の老人もお下げ髪の子どもも、みんなうれしそうに生活を楽しんでいます。


第三段落

○ 漁人を見て、乃ち大いに驚き、従〔よ〕りて来たる所を問ふ。具〔つぶさ〕に之に答ふ。便ち要〔むか〕へて家に還り、酒を設け鶏を殺して食を作る。村中〔むらじゅう〕此の人有るを聞き、咸〔みな〕来たりて問訊〔もんじん〕す。
自ら云ふ、「先世秦〔しん〕時の乱を避け、妻子邑人〔ゆうじん〕を率ゐて、此の絶境に来たり、復た出でず。遂に外人と間隔せり。」 と。
問ふ。「今は是れ何の世ぞ。」 と。
乃ち漢有るを知らず、魏・晋に論無し、此の人一一〔いちいち〕為に具〔つぶさ〕に聞く所を言ふ。皆嘆惋〔たんわん〕す。余人各〔おのおの〕復た延〔まね〕きて其の家に至らしめ、皆酒食〔しゅしょく〕を出だす。停まること数日にして辞去す。此中〔ここ〕の人語りて云ふ、「外人の為に道〔い〕ふに足らざるなり。」 と。

《 大 意 》
彼らは漁師を見ると非常にびっくりして、どこから来たのかと尋ねました。漁師がこと細かにこの質問に答えると、さっそく彼を誘って自分の家に連れ帰り酒を出し、鶏をひねって(締め殺して)、食事をしつらえました。村中の人は、この人のことを聞きつけると、みなあいさつにやって来ました。
そして自分たちの方から、「私どもの先祖は、秦の時代の動乱を逃れて妻子と村の者たちを引き連れ、この隔絶した世界にやって来て、二度と外には出ませんでした。こうして外界の人とは縁を断ったままです。」 と言いました。
(さらに漁師に)「今はいったい何という世なのでしょうか。」 と尋ねました。
なんと、彼らは(その後)漢の世になったことも知らず、もちろん魏や晋のことを知らないのでした。そこでこの人は自分の聞き知っていることを一つ一つ詳しく彼らに説明してやりました(それを聞いて村人たちは)みんなため息をついて感じ入りました。ほかの人たちも、めいめい彼を自分の家に招いて、皆、酒食を出してもてなしました。彼はここに数日滞在した後、別れを告げました。
ここの人たちは彼に言いました。「外の人たちに(私たちの村のことを)お話になるには及びませんよ。」 と。


第四段落

○ 既に出でて、其の船を得、便〔すなわ〕ち向〔さき〕の路に扶〔そ〕ひ、処処に之を誌〔しる〕す。郡下に及び太守に詣りて、説くこと此くのごとし。太守即ち人を遣りて其〔それ〕に随〔したが〕ひて往〔ゆ〕かしむ。向の誌しし所を尋ぬるに、遂に迷ひて復た路を得ず。南陽の劉子驥〔りゅうしき〕は高尚の士なり。之を聞き、欣然として往かんことを規〔はか〕る。未だ果たさず、尋〔つ〕いで病みて終〔お〕はる。※ 後 遂に津〔しん〕を問ふ者無し

《 大 意 》
彼は(桃花源から)外界へ抜け出て、自分の船を見つけると、先だってやって来た道に沿って、要所要所に目印を付けておきました。やがて郡の役所のある町に着くと、郡の長官の所へ出頭して、以上の次第を説明しました。長官は早速人を遣わして、彼について行かせることにしました。先につけた目印を頼って進むうち、迷って道が分からなくなりました。南陽の劉子驥は、俗世を去った高潔な人でした。(劉は)この話を聞くと、喜び勇んで出かけようとしました。が、志を果たせないうちに、まもなく病気になって死にました。※ それからは、この桃花源へ入ろうと試みる者はなくなりました


※補注)「後遂無問津者」: 結び文の「問津」は、渡し場を尋ねる  桃花源へ入ろうとすること。『論語』・微子篇(第18−6)に孔子が子路〔しろ〕に“津を問わせた”(「使子路問津焉」)とあるのが出典のようです。「津を問ふ者無し」とは、桃花源=ユートピア のような“高尚〔こうしょう〕”な世界を志向し求める人が絶えてしまったということなのではないでしょうか?
ここに、“田園詩人”と称され“壺中〔こちゅう〕の天(≒自分だけの別世界)”を持っている陶潜の感慨が寓〔ぐう〕せられているのでしょう
今我々は、老子の「小国寡民」・陶潜の「桃源郷」の世界が語りかけ投げかけている現代的意義について、真摯〔しんし〕に考えてみるべきだと思います。


■2015年2月22日 真儒協会 定例講習 老子[49] より



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老子道徳経: 《 老子のユートピア(理想国家・社会)思想 》 その2

こちらは、前の記事の続きです。

コギト(我想う)

《 ユートピア=理想郷(社会・国家)について 》

『老子・第80章』は、老子の描く、有名なユートピア〔理想郷〕論です。ユートピアの姿は、洋の東西にかかわらず描かれてまいりました。思い起こしますと、幼少の頃、手塚治虫氏の漫画でみたどこか秘境の地にあるという「シャングリラ」。青年の頃読んだ、トマス・モアの 『ユートピア』注1) 
K.マルクスが『資本論』で(科学的に)予測展開しようとした“社会主義社会”への思想も、一世を風靡〔ふうび〕しました。

東洋では、ユートピアを「桃源郷」と言ったりもします。これは、六朝〔りくちょう〕時代の有名な田 園詩人・陶潜〔とうせん/=陶淵明〕の作品「桃花源の記」 注2)  に由来しています。その話のルーツが他ならぬ、この老子の理想郷像にあるといわれています。

注1) 羊が人間を喰うの文言で有名です。当時・資本制社会発生期のイギリスの“エンクロージャー”(囲い込み)運動が背景になっています。そのことは、D.デフォーの『ロビンソン・クルーソー漂流記』にも書かれています。

注2) 「桃花源の記(並びに詩)」: 陶潜の晩年56、7歳の頃に書かれたと推測されています。老子の「小国寡民」に想いを馳せながら当時の民間説話に取材しながら、彼自身の理想を託して作品にしあげたものでしょう。
《あらまし》 ―― 晋の太元年間のこと。武陵に住む一人の漁師が、谷川に沿って行くうちに道に迷い、桃の花の咲き乱れる林に出逢いました。漁師は、さらにその先をみきわめようとして進んで行きますと、山の洞穴がありました。その洞穴をくぐり抜けてみると、そこはかつて秦〔しん〕の時代に戦乱を避けてやって来た人たちの子孫が、長く世間と隔絶して平和な生活を営む別天地でした。長官は、住民たちから温かくもてなされました。数日楽しい時を過ごして、武陵に帰り、郡の長官にそのことを報告しました。長官は、その漁師に道案内をさせ、部下をつかわしてその村里を調べさせようとしましたが、ついに捜し出すことはできませんでした。その後、桃源郷への道を尋ねる人はなくなってしまいました。
 → 後述  原典研究   参照のこと

これら東西のユートピア思想を比較して考えてみますと。 ―― 安岡正篤氏も度々指摘されておりますように ―― 概して、西洋のユートピア像が“未来志向”であるのに対して、東洋のそれは善き“過去への回帰志向”であるといえます

この“尚古〔しょうこ〕思想”は、儒学・黄老に共通しています。すなわち、儒学の開祖・孔子とその思想を発展させた孟子は、「文王〔ぶんのう〕」・「周公旦〔しゅうこうたん〕」といった聖王の時代・周王朝の善き社会を理想とし、その復活を唱えたのです。老子においても、堯〔ぎょう〕・舜〔しゅん〕さらに伝説の時代である太古の聖王の善き時代を想起しているのです。

さて、老子が 「小国(邦)寡民」で描いたユートピアは、古き善き村落共同体の社会像です。春秋・戦国の時代(BC.770〜BC.403〜BC.221)、2000余もあったといわれている諸郡は、しだいに戦争で淘汰〔とうた〕統合されてまいります。戦国時代には“戦国の七雄”と呼ばれる7大国に統合されてゆきます。そして、BC.221年には秦の政(始皇帝)が他の6国を滅ぼして中国を統一します。政治的には、そういった大国家統合(超統一専制国家)へのプロセスをとりますが、依然として多くの村落共同体が常に存在していたと考えられます。この古き善き村落共同体への回帰が、老子のユートピア論の原点なっていると思います。加えて、(先述の「テンニースのゲマインシャフト〔共同社会〕と孟子の思想」で紹介いたしましたように) 孟子もその“利益社会(=ゲゼルシャフト)”を(周代の)封建社会の崩壊した社会において捉え、老子と同じような結論に至っております。

次にここで目を一転させて、老子がユートピアに想いを巡らしていたであろう頃の、ヨーロッパ世界に目を転じてみましょう。古代ギリシアの時代です。古代ギリシアは、古代西洋(ヨーロッパ)文明・文化の源であり、民主主義が発達し、オリンピックの発祥の地であり、そして東方専制国家(ペルシア)を打ち破った“強国”です。

古代ギリシアでは、「ポリス」とよばれる政治的・経済的に自立した都市国家が成立していました。中国・周代の善き時代(およそBC.1100〜BC.770)には、村落共同体があり、ギリシアではポリスが発生していたと考えられます。

“ギリシア”というのは地域的・民族的な総称です。“ギリシア”には、1000以上ものポリスが存在していたとされています。ポリスは小平野を単位とする国家です。その規模については、哲人アリストテレスは、中心部である丘〔アクロポリス〕に立って一望のもとに視野におさまる範囲が最良と述べています。人口、自由民が 1万を超えるポリスは稀でした。最盛期のアテネ(BC.5世紀ごろ)でも自由民が 4万人程であったといわれています。(cf.奴隷は全人口の3分の1程度)ポリス成立時には貴族政〔aristocracy〕が確立され、その後アテネなどでは民主政が発展しました。アテネ・スパルタ・テーベ ・・・ といった強力なポリスが、全ポリスをリードしました。ギリシア世界では、“調和の美”・“自由”が重んじれれました。そして、西洋古典文化の源流となったのです。

―― 老子の「小国寡民」のユートピア国家に重なるところ大といえないでしょうか?


結びにかえて、21世紀の現在の世界で、「小国寡民」に想いを馳せてみましょう。私には、次の二つの国家が想起されます。

一つは、“永世中立国スイス”です。スイスは、自国を国民皆兵で守っています。国民は、非常時に備え(3日分の食料を蓄え)家の中に銃火器を蔵〔かく〕し持って有事に備えています。それにより、現実的中立・平和を実現して今に至っています。

いま一つは、“世界で一番幸せな国・ブータン”です。敬虔〔けいけん〕な仏教徒である若き国王(ワンチュク国王、31歳)が統治しています。わが国の江戸時代同様、“鎖国政策”をとっています。経済的には決して豊かとはいえぬ小国ですが、経済(GNP)よりも「国民総幸福量〔GNH:Gross Nationale Happiness〕」 注3) を重視しています。実に、国民の9割が「幸せ」を感じているといいます。“ストレス”にあたる言葉そのものがありません。“心の貧しさ”がいわれて久しいわが国で、一体何割の人々が「幸せ」を感じているでしょうか? “ストレス”を感じていない都会人がどの位いるでしょうか?

わが国の未来社会の有り様・あるべき姿を具体的に模索する時、スイスは空虚な理想主義的平和(中立)主義・安全防衛を省みる上で、ブータンは人間・国民の真の“幸せとは何か”ということを省みる上で、貴重な示唆を与えてくれていると考えます。

注3)  “経済的(モノ)豊かさ”よりも“幸せと感じる” 国を目指す。“モノ”の豊かさは必ずしも幸せ感をもたらさない。(“モノ”の豊かさも“満足感”という主観的なもの ex.10万円の生活・食べ物/20万円の生活・食べ物/30万円の生活・食べ物 ・・・ )
幸福を感じると、モノ(経済的)豊かさも感じることも UP!→ 老子の「知足」・「安分知足」に通じると思います。


朝日新聞:「ブータン国王夫妻 国会へ/衆参議員 議場埋める」 引用


■2014年12月28日 真儒協会 定例講習 老子[48] より


(この続きは、次の記事に掲載させて頂きます。)


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