儒灯

【温故知新】儒学の普及に力を注いでおります真儒協会 会長、高根秀人年の個人ブログです。 『論語』、『易経』を中心に、経書の言葉を活学して紹介して参ります。 私個人の自由随筆、研究発表などのほか、真儒協会が毎月行っております定例講習についても掲載しております。

老子道徳経: 《 老子の“現実的平和主義” に想う 》 その2

こちらは、前の記事の続きです。

《 スポーツ と 戦い 》

今夏(’12.8)、ロンドン五輪が開催されました。連日連夜、メダル・メダル・・・、記録・記録・・・、とマス・メディアが煽る〔あお〕り、選手も民衆も勝つことばかりに過度にこだわり、メダルや記録に血眼〔ちまなこ〕になっています。オリンピック競技大会を「平和の祭典」と表現していたマス・メディアがありました。が、私には今のそれは、“享楽・見せ物の祭典”・“戦いの祭典”のように思われてなりません。そもそも、「(オリンピックは勝ち負けではなく)参加することに意義がある」との名言が語られたのは、104年前の“ロンドン大会”ではなかったでしょうか。

民主主義・哲人政治もオリンピック(オリンピア)競技大会も、ルーツは古代ギリシアです。これら古代ギリシアの偉大な文化遺産を受け継いだ世界は、頽廃〔たいはい〕を遂げていると言わざるを得ません。現在(2012年)ギリシアは、国家自体が経済的に破綻しようとしています。―― 私は、古代ローマ帝国末期の民衆が、「パンと見せ物」に酔い毒されていたことを、また思い起こしてしまいました。

ヨーロッパには、“凱旋門”〔がいせんもん〕という建築物の文化遺産が多く残されています。それは同時に、武力による征服と征服の歴史を物語るものでもありました。古代ローマ帝国の時代より、“凱旋”軍はさぞ賛美され華やかに迎えられたことでしょう。

わが国の、ロンドン五輪メダリスト“凱旋パレード”も銀座で行われました(’12.8.20)。膨大な人々が集い迎えました。それは一興で良いとしても、メダルを取れなかった多くの選手は一顧だにされず、否、恥辱、肩身の狭い有様です。健闘を労〔ねぎら〕われることもないように見受けられます。現代企業の“成果主義”と同じで、結果の良し悪しがすべてなのです。

私は、スポーツもスポーツマンシップも好きではありません。当世のそれが、勝つことしか眼中になく、“敬”〔けい/=うやまい・つつしむ〕の精神も欠如しているからです。大人〔おとな〕の実社会では極度に勝つことのみが価値づけられ、子どもの教育現場では徒競争で皆が手をつないでゴールしたり、劇で出場者全員が桃太郎やシンデレラ(主役)という奇妙キテレツなる“何でも同じ主義”が跋扈〔ばっこ〕しています。わが国は、まったく“過陽”にして“中庸”(=バランス)を欠いてしまっている病的精神情況にあります

孔子の教え(儒学)も、勝つことのみを善しとはしていません。そもそも、儒学の徳目の柱が“譲〔じょう/ゆずる〕”ということです。例えば、『論語』の中に「礼射(弓の礼)」についての記述があります。

○ 「子曰く、射は皮を主とせず。力の科〔しな〕を同じくせざる為なり。古〔いにしえ〕の道なり。」(八佾3−16)

■ 孔先生がおっしゃるには、「礼射(弓の礼)では、皮(=的〔まと〕)を射貫〔いぬ〕くことを第一としない。それは、個々人の能力には強弱(=ランク)があり同じではないからだ。これは古(周が盛んであったころ、徳を尊び力を尊ばなかった時代)に行われた道なのだヨ。」(それが、今や弱肉強食の武力中心となり、礼射でも、力ばかりを尊んで皮(=的)を射貫くことを主とするようになってしまった。)

儒学は、平和主義の教えであり、歴史的にも平和な時代に「国教」として採用されてまいりました。至れるもの、2大源流思想の儒学と黄老(孔子と老子)は、“平和”の視点からもぴったりと、その主旨を同じくしているといえましょう。

ところで、私は、日本の“武道”はその精神において、儒学の教えに通ずるものがあると感じています。それは、精神の修養、徳性の涵養〔かんよう〕を目的とするものであり、相手に対する“敬”といったものです。“敬”は、“うやまい・つつしむ”ことで、人間を人間たらしめている根本的徳性です。“敬”を知ることから進歩・向上があるのです。敬し敬うことを日本語で「参〔まい〕る」といいます。武道で用いる「参った(参りました)」はここからきています。剣道(時代劇など)で、構えて向かい合っただけで「参りました」という場合をよく目にしますね。相手を敬う、相手に感服すればこそ「参った」であり、勝ち負けをいうなら「(コン)チクショウ」・「クソッ」ということになります。

また、国際競技で日本の選手の活躍を、マス・メディアが安易に讃美して「サムライが云々〔うんぬん〕 ―― 」と報じています。“サムライ〔侍〕”=武士(もののふ)は、日本における伝統的・理想的人間像です。中国の“君子〔くんし〕”、英国の“ジェントルマン〔紳士〕”に相当するでしょう。それは、“敬”に根ざしているものです(*「参る」から側〔そば〕に近づき親しみたい=「侍〔はべ〕る」・「侍〔じ〕する」)。ですから、“サムライ〔侍〕”は、当世のスポーツマンとは違うと思います。“勝てば官軍、勝てばサムライ〔侍〕”では、まことに浅薄ではありませんか。

さて、武道であった“柔道”は、東京オリンピックの時初めて五輪競技となりました。スポーツの「ジュウドウ:JUDO」となりました。その時の、名選手(金メダリスト)がオランダのアントン・ヘーシンクです。(76歳で2010年にご逝去。)そして、神永昭夫選手(故人)は日本の柔道が偉大であった時代の尊敬すべき柔道家であったと思います。偉大な柔道家お二人の戦いに関する記事があります。

―― (アントン・ヘーシンクさんの)▼「神永昭夫選手(故人)との無差別級決勝は、あの場面無しに語れない。勝利を決めた瞬間、興奮したオランダの関係者が畳に駆け上がるのを、厳しく手で制止した。自身には笑顔もガッツポーズもない。敗者への敬意と挙措に、多くの日本人はこの柔道家が「本物」だと知った▼その強さは際立っていた。勝てる者はいないと言われた。白羽の矢が立ったのが神永選手である。 「誰かがやらなければならない大役」だったと、非壮とも言える記述が公式報告書に残る▼そしてノーサイドの高貴が、この勝負にはあった。一方が「神永さんは敵ではなく仲間なのです」と言えば、一方は「私のとるべき道は良き敗者たること。心からヘーシンクを祝福しました」。素朴さの中で五輪は光っていた▼「日本に生まれた柔道が世界に広まり、オランダで花咲かせたことを祝福し・・・・」と当時の小欄は書いている。 「柔道からJUDO]への貢献は末永く続いた。思えばまたとない人物に、あのとき日本は敗れたのであろう。

(朝日新聞・「天声人語」抜粋、2010.8.30)

現代。国際的大会の舞台で、勝ってメダルの決まった日本の選手が、両手を挙げて飛び上がって喜びを現わし、負けた選手は床に崩れ落ちているという場面をよく目にします。また、かつて「ヤワラチャン」と愛称され国民的英雄となった女子柔道・金メダリストは、今、なぜか国会議員になっています。

次に、日本の国技になっている“相撲”について一言いたしておきますと。相撲には源流思想(易学)がよく取り入れられ、その影響が色濃く残っています。具体的には、陰陽」・「五行〔ごぎょう〕」・「易の八卦〔はっか/はっけ〕」などの思想です。例えば、相撲場は、□・四角の土俵(=陰/=地)に ○・丸(円)い俵(=陽/=天) から出来ています。その土俵の中で、東方〔ひがしがた〕(=陽) と 西方〔にしがた〕(=陰)の力士が戦います(「天地人和」)。そして、行司〔ぎょうじ〕のかけ声は、「ハッケヨイ!」(=八卦良い!) です。

相撲は、勝負を争うものではありますが、「心・技・体」といって、精神性が重視される世界です。現在の相撲界は、不祥事の連続で「心」の部分が忘れられ、すっかり堕落しきっている状況です。心ある人の誰もが、周知のとおりのことです。

過去の相撲界の尊敬すべき国民的ヒーローは、何といっても大横綱・双葉山です。今年、生誕100年にあたります。“木鶏〔もっけい/ 出典:『荘子』・『列子』〕”たらんと精進し、右目が不自由というハンディキャップを克服して、不滅の69連勝を記録いたしました。(双葉山については、後日、「“木鶏”と双葉山」のテーマで取り上げたいと思っています。)

勝負の世界が過度となって、勝つことのみに偏しているのは、相撲でも顕著です。その一例として、かつて、強さ(勝ち星)だけはピカ一 の外国人(モンゴル出身)の横綱が想起されます。相撲は、俵から出せば勝負は決しています。それ以上は攻撃しません。敗者が土俵の下に落ちている場合は、土俵に戻るのをいたわり、(土俵上の勝者が)手を差し伸べます。しかるに、その強い横綱は、これでもかと言わんばかりに(豪快に?)、相手を土俵下にたたき落とし勝ちを誇っていました。言動においても、何かと横綱としてのマナーや品格を欠くことが取り沙汰されていました。それでも、勝ち星が重なり優勝すると批判的な声はなくなり、むしろ讃美の調子に変わります。

そもそも、悲しいかな、その外国人横綱には武道・“敬”の精神が教えられていないのでしょう。知らないのは、無理からぬことかも知れません。“勝てば善し”のスポーツの感覚、勝ち負けの感覚しかないのでしょう。 ―― 武道・“敬”の精神を日本人選手は忘れ、外国人選手は知らないということでしょうか

最後に、私の尊敬する野球選手、王貞治選手(後に監督)について述べておきたいと思います。まずもって、108歳の天寿で亡くなられた(2010)謙虚な“偉人の母”様に敬意を表します。私の好きな言葉の一つに「家貧しくして孝子出ず」があります。王さんの“孝行”を想います。

世界のホームラン王(868本)としての王選手は、その人知れぬ努力、その成果は無論偉大です。が、その精神(仁徳)において、私は一層尊敬します。その最たる事例が次のものです。

ホームランを打つと、普通、満面の笑顔で両手を挙げてウイニングポーズをとってグラウンドを回ります。しかるに、王選手は、(ある時から)勝ち誇る様子微塵〔みじん〕もなく黙々淡々とグラウンドを回り続けました。老子の「恬淡〔てんたん〕」として、ですね。それはなぜでしょう? それは、自分がホームランを打ったということは、相手のピッチャーはホームランを打たれたということです。自分のチームの勝利は、相手のチームの敗北ということです。勝者が敗者を慮〔おもんばか〕ってのことです。 ―― 老子の平和主義・不争、易卦の【地山謙】〔ちざんけん: 謙虚・謙遜、“稔るほど頭〔こうべ〕をたれる稲穂かな”〕そのものではありませんか。この一事をもっても、【謙】徳のあるゆかしい大選手だと尊敬の念を深くするものです。

 

《 結びにかえて 》

“兆”〔きざし〕を読む。国家・社会の近未来は後生(=子ども達)の有様〔ありよう〕に窺〔うかが〕い知ることができます。

―― 日曜の電車(大阪)内の一場景。サッカー少年とおぼしき、スポーツウェアー姿の小学生8・9名とその先生(監督)らしき大人〔おとな〕を見かけました。両側の座席を占拠して、元気に(うるさく?)しゃべっていました。引率の大人も坐ってそ知らぬ態〔てい〕です。周りには、(私も含めて)立っている大人・老人がたくさんいました。よくある場景ですね。 ―― どこかおかしいスポーツマンシップではないでしょうか? “本”〔もと〕が忘れられてはいないでしょうか?

わが国は、“心の貧しさ”が顕〔あらわ〕となり、“心の時代”が唱えられてすでに久しいものがあります。徳の【蒙】〔くら〕い時代となりました。このままでは、君子の道閉ざされ【明夷】〔めいい〕の暗黒時代となってしまいます

“戦い”と“勝つことへの偏執”が、現代版の“見せ物”であるスポーツの世界をも支配しているということです。この現実を、老子や孔子といった聖人たちは、なんと言うでしょうか? その延長線上にあるものは何か、過去の歴史を眺めてみれば解かります。現今〔いま〕の、“本〔もと〕”を欠いた平和主義を標榜〔ひょうぼう〕しているわが国の有様は、私には、“理想の平和な社会に向かって、足早に後ずさりしている”ように想えてなりません。

 

研究

≪ シュヴァイツァー と 老子 ≫
―― 安岡・『知命と立命』より抜粋引用

アルバート・シュヴァイツァーは、黒人の医療救済に生涯をささげ、ノーベル平和賞を受賞いたしました。偉大なる博愛主義者シュヴァイツァーの、「老子」戦争論(非戦・不戦)に関する興味深いエピソードがあります。

それは、ヨーロッパでの第2次世界大戦が終わった時、アフリカのコンゴのランバレネ(現ガボン共和国)の病院にいたシュヴァイツァーは、その日の夜、仏訳の『老子』をひも解いて、静かにその31章 を頑味したといいます。(山室三良・中国古典新書 『老子』)

安岡正篤氏が、このことについて述べられておられます。また、J.F.ケネディ大統領の興味深いエピソードを併せて述べられておられます。引用させていただきご紹介いたします。

「 シュヴァイツァー と 老子 」
安岡 正篤・(『知命と立命』より)

アルバート・シュヴァイツァー(1875 〜 1965、フランスの医療伝道家・哲学者・神学者)は元来ドイツの人である。ドイツとフランスとの間、というよりは国境にあるシュトラスブール市の出身である。このシュトラスブールはいかにもヨーロッパの町の歴史を物語る特殊な経歴を持った都市である。ある時はドイツ領になり、ある時はフランス領になる。私がドイツからフランスへ自動車旅行をして、第一次大戦の古跡を回ったことがあるが、その時にこのシュトラスブールに寄って歓待されたことがある。その時にこのシュトラスブール市の歴史を研究している郷土史家が、「わが町は国籍を変えること六十何回・・・」と言っていた。それくらい争奪が激しかった所だ。今は第一次大戦にドイツが負けたものだから、それ以来フランス領になっている。そこでシュヴァイツァーもフランス人になっているけれども、人種はドイツ人である。非常に偉い人で、今日アフリカのコンゴのランバレネ(現ガボン共和国)というところに病院を建てて、原住民の診療に従事しながら、現代文明の批判とその救済とに心魂を傾けた著述をしている。

この人の逸話の中に、第二次世界大戦が終わって、ドイツが降伏し、これによってヨーロッパの戦争が終わったという報道を聞いた時にシュヴァイツァーは祈りを捧げている。この祈りの言葉は聖書ではなく、東洋の『老子』の中の言葉を挙げて祈ったということは有名な話になっております。

これは『老子』の中に「戦い勝ちたる者は喪に服するの礼を以ってこれに処さねばならない 〈戦勝者則以喪礼処之〉とある。「戦に勝った者は死者に対する喪に服する気持ちで戦後の処理に臨まなければならない」ということで、実にこれは偉大な思想である。徹底した人道思想である。よほどこの言葉にシュヴァイツァーは感動していたとみえて、戦いが終わった、ドイツが降伏したという報道を聞くと、彼はこの言葉を挙げて祈っている。

佐藤(元)総理(佐藤栄作。明治34〜昭和50)がまだ総理になる前、アメリカに遊んでケネディ大統領に会われた時に、その前に私が会っていろいろ話をしたことがある。その時の雑談の中にケネディ大統領に会ったら、今度の戦争についても、たとえ逆に日本が勝っていたとしても、その場合、日本の少なくも天皇は敗戦国に対してこういう心持ちをもって対されたであろうと、この老子の言葉を引用してケネディに聞かせるがよいと、私はその訳文まで知らせておいた。

ケネディ大統領は非常に忙しいので、佐藤さんに二十分とか三十分とかいう約束をして会見をしたそうです。談たまたま予定どおり終戦のことになって、東洋にはこういう哲学があるといって、彼が老子のこの言葉を言ったら、ケネディは急に態度を改めたそうです。非常に敬虔〔けいけん〕な顔になって感動したらしい。「そういうことがありますか」と言ってそれを繰り返し、それから真剣に話を始めて、約束の時間をはるかに過ぎて長時間語り合ったということを、帰って来られるとすぐに私に報告があった。

政治家もこういう教養がなければならない。やはり哲学というものが必要である補注)

《個人と集団》

そのシュヴァイツァーがこういうことを言っている。

「しかし一つのことは明瞭である。集団が個人の上に、個人が集団の上に作用するよりも強い作用を及ぼす時には、下降、堕落が生じることである

ここに個人と集団とがある。個人が集団に与える影響よりも、集団が個人に与える影響のほうが強いという場合には、どうしても堕落するというのです。

「なんとなれば、その場合は、その上に一切がかかるところの個人の偉大さ、精神的および倫理的価値性が必然に侵害せられるからである」

先述のように、人類一切の進歩とか文明・文化というものは、これは人が人の内面生活に返る ―― 自分が自分に返る ―― という、したがってどうしても個人個人の心を通じて初めて発達するのである。言い換えれば、個人の偉大さというものの上に、社会の、あるいは人類の一切がかかっているのである

科学的に言っても、いかに偉大なる発明発見というものも、これは集団で、大衆でできたためしはない。常に偉大なるある個人の研究、ある人の創造、発明発見にかかる。大衆となると「その上に一切がかかるところの個人の偉大さ、精神的および倫理的価値性が必然に侵害せられる」。大衆になると破壊されてしまう

   ――― 以下 略 ―――

補注) 西洋文明の源、民主政治の源は、古代ギリシアです。古代ギリシアの理想的指導者(為政者)像は、(例えばプラトンによれば)当時の最高の学問=“哲学”を修めた人です。“哲人”です。更に“調和の美”を求めましたので、この哲人は同時に、肉体も鍛えられており(≒鉄人?)、更に芸術にも造詣〔ぞうけい〕の深いことが求められました。


■2014年10月26日 真儒協会 定例講習 老子[46] より


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老子道徳経: 《 老子の“現実的平和主義” に想う 》 その1

コギト(我想う)

《 老子の“現実的平和主義” に想う 》

《 はじめに 》

学生時代に鑑〔み〕た「ウオータールー」という映画。エルバ島から脱出した怪物ナポレオン(1世・ボナパルト、Napolėon Bonaparte,1769〜1821) が力を盛り返し、やがてウオータールー(ワーテルロー)でイギリス・プロイセン・オランダ連合軍と激突。大激戦の末、連合軍が、当時ヨーロッパ最強であったフランス陸軍を破りナポレオンを完全に失脚させます。

そのラストシーンを、今でも鮮烈な印象で記憶しています。イギリス軍司令官ウェリントン(Wellington,1769〜1852)が、数多〔あまた〕の屍〔しかばね〕累々たる戦場を見回って、沈鬱な面持〔おもも〕ちで 「敗者の次に惨たるものは勝者である ・・・ 」 とつぶやくのです。

衆〔おお〕くの人命が失われる戦争に勝者の喜びなどないということ、(勝者・敗者)どちらも惨〔さん〕であるということでしょう。

私は戦後生まれですので、直接の戦争体験はありません。けれども、老子の平和主義や反戦思想を研究・考察するにつけ、まずもってこの映画シーンの記憶が蘇ってまいります。

(cf.負けの次に悪いのは“大勝” ―― 民主党&自民党“大勝”の後は気を引き締めなければ・・・ )

 

《 老子の平和主義/反戦思想 》

『老子(老子道徳経)』 は、“道”(【第1章】)に始まり “不争”(【第81章】)に終わっています。

『老子』・【第31章】(と【第30章】)を中心に説かれている、老子の現実味のある(生半可道徳でない)平和主義思想、流動性のある(融通のきく)反戦主義に想いますに。まず、「武器(=兵器)というものは、不吉な(殺人の)道具」と明言し、その発現(=使用)としての戦争を否定しています。戦争を忌むべき凶事として、葬儀の礼(作法)に準ずることが述べられています。

ズバリ軍事を直截〔ちょくせつ〕説いているので、兵(法)家の文章の紛れ込みと考えるムキもあります。が、主旨はまったく老子の思想に反するものではありません。そもそも、(戦国の当時にあって)兵(法)家の戦争思想そのものが、ただ単に戦〔いくさ〕に勝つことを説くものではなく、戦いの哲学・人間学を説くものなのです。例えば ――。

兵書 『三略』: 「夫れ兵は、不祥の器、天道これを悪〔にく〕む。已むを得ずしてこれを用うるは、是れ天道なり」 とあります。有名な孫武の『孫子』 にも、「百戦百勝は善の善なるものにあらず」/「戦わずして人の兵を屈するは、善の善なるものなり」(謀攻編1)と、戦わずして勝つことが明言されております。

それにもかかわらず、「やむを得ず武器を用いる場合(=戦争をする場合)」を想定しています。老子の反戦思想の複雑・デリケートな側面です。当時、数百年来続いている“戦国時代”であることを鑑〔かんが〕みれば、いたし方のない想定でしょう。私は、むしろこれこそが活きた反戦思想に想われます

他が攻めてきた場合にはこれに応じて立つべし ―― これは儒学の思想も同じだと思います。現在の世界で、想起されます事例が “永世中立国スイス”です。自国は、国民自身で守っています。国民皆兵ですね。国民は、非常時に備え(3日分の食料を蓄え)家の中に銃火器を蔵〔かく〕し持っています。

以前、こんなエピソードを聞いたことがあります。スイス留学していた日本の若者たちが、スイスの友人宅を訪れた時、その友人がベッドの下から銃を取り出し見せてくれました。日本の若者たちは驚きました。それに対して、スイスの若者は「それじゃ、君達の国では敵が攻めてきた時どのようにして守るのか?」 と聞かれて誰も何とも返答できなかったそうです。

次に、やむを得ず武器を用いる場合には、「恬淡と用いるのが第一です。戦いに勝っても(勝利を)賛美しないことです。」 と主張しています。そして戦後処理についても、戦いに勝っても、葬礼〔葬儀の礼〕の方法(きまりごと)によって、これ(=戦後)を処理するのです と主張しています。

つまり、戦勝者は喪に服するのと同じ心がけでこれに臨めということです。なんと偉大なる精神、偉大なる人道主義の顕れではありませんか。他、「兵を以て天下に強くせず」(武力によって天下に強さを示すことはない)/「敢〔あ〕えて以て強きを取らず」(強さを示すようなことはしない) (【第30章】)なども同様の主張です。

 

《 老子とシュヴァイツァー&トルストイ 》

“アフリカの聖者“と呼ばれたアルバート・シュヴァイツァー (Albert Schweitzer,1875〜1965)は、フランスの神学者・哲学者・医師・音楽家。30歳の時、赤道アフリカ地方の黒人窮状を知り、その医療奉仕に一生をささげようと志しました。

再び大学の学生となり医学を修め、アフリカのコンゴのランバレネ(現ガボン共和国)に病院を建て、90歳の生涯を閉じるまで黒人の医療救済とキリスト教伝道に生涯をささげました。

1952年・ノーベル平和賞を受賞、1957年・原水爆実験禁止をアピールしました。

シュヴァイツァーの思想の根本理念が “生命への畏敬” です。これこそが、文化を頽廃から救い、人類に理想を与える根本精神であると考えました。

「―― (道徳の根本原理は) すなわち、生を維持し促進するのは善であり、生を破壊し生を阻害するのは悪である。」(『文化と倫理』)

この偉大なる博愛主義者シュヴァイツァーの、「老子」・戦争論(非戦・不戦)に関する興味深いエピソードがあります。

それは、ヨーロッパでの第2次世界大戦が終わった時、ランバレネの病院にいたシュヴァイツァーは、その日の夜、仏訳の 『老子』 をひも解いて、静かにその 【第31章】 を頑味したといいます。(山室三良・中国古典新書 『老子』)

安岡正篤氏が、このことについて「シュヴァイツァーと老子」の中で、述べられておられます。また併せて、J.F.ケネディ大統領の本章に関する興味深いエピソードを述べられておられます。 ( → 後述  研究  参照 )

次に、『戦争と平和』 で知られる レフ・トルストイ (L N Tolstoi,1828〜1910)と老子の繋がりについて一言しておきましょう。

トルストイは、ロシアの世界的文豪であり思想家です。“神の摂理”・“神の意思”にもとづいた理想主義的・人道主義的性格がその思想の特徴です。

トルストイも、老子を非常に高く評価しています。トルストイの晩年の民話的寓話〔ぐうわ〕作品イワンのばかは、老子の思想から大きな影響を受けて書いた作品です。

老子の“愚”・“愚の政治”・“不戦”・“戦わずして勝つ”・“足るを知る”などをお話にしたもので、老子の世界そのものです。

お話の中の「愚直な馬鹿」は老子が理想とした(道の体現である)赤ん坊のように純朴な人々であり、指導者(=国王イワン)は“愚徳”の豊かな“素〔そ〕”・「樸〔ぼく・あらき〕」(§28章)の人に他なりません。

そして、この“不戦の思想”を実践したのが、“インド独立の父”と呼ばれた政治家マハトマ・ガンジー(1869−1948)でしょう。

無抵抗主義・非暴力運動で民衆を指導し、イギリスからインドの独立を勝ち取りました。ガンジートルストイを尊敬しその影響を多大に受けていますので、間接的にも、ガンジーは老子思想の実践者であったともいえましょう。

なお、トルストイは、老子の(やむを得ない時には武器を用いるという)反戦思想のデリケートな部分については、これは老子本来の思想ではないと強く主張しています。

くわえて、『老子』に 「報怨以徳 (怨みに報ゆるに徳を以てす。)」(§63章) とあります。『論語』には、「以直報怨、以徳報徳 (直〔なお・ちょく〕きを以て怨みに報い、徳を以て徳に報ゆ。)」(憲問第14−36) とあり、孔子の現実味ある通用可能の立場を示しています。現実的人間の“情”を重視する立場です

この、老子の理想的立場は宗教において、キリスト教(イエス)と仏教(仏陀/釈尊)は同じ立場です。そして、トルストイも、「悪に報いるに善をもってせよ、悪に反抗するな、そして総〔すべ〕てのものを許せ。」 と、言を同じくしているのです。

 

《 安岡正篤・「シュヴァイツァーと老子」 》

安岡正篤先生は、『シュヴァイツァーと老子』の中で、「政治家もこういう教養がなければならない。やはり哲学というものが必要である。」 と結ばれています。

歴代総理の指南役であった碩学〔せきがく〕、安岡先生の慧眼〔けいがん〕・深意は当然として、その安岡先生をブレーンとも師とも敬し・信頼して、その言に従った佐藤(後)首相(後年ノーベル平和賞受賞)は立派であることを想います。

そして、若き人龍の如き大統領 J.F.ケネディ(暗殺されて後は、アメリカの伝説的英雄となりました)が、老子の言葉を聞いた時のエピソードは、「流石〔さすが〕に ・・・ 」 と感じ入りました。補注)

ところで、西洋文明の源、民主政治の源は、古代ギリシアです。古代ギリシアの理想的指導者(為政者)像は、(例えばプラトンによれば)当時の最高の学問=“哲学”を修めた人です。“哲人”です。

更に“調和の美”を求めましたので、この哲人は同時に、肉体も鍛えられており(≒鉄人?)、更に芸術にも造詣〔ぞうけい〕の深いことが求められました。

この結びの言葉のように、確かに偉大な指導者・政治家は、偉大な思想家・哲学者であります。私は、そういう思想哲学のある人が指導者・政治家にならなければなりませんし、また民衆によって選ばれなければならないと、深く想います。

補注) ≪ キューバ危機 ≫
J.F.ケネディは、第二次世界大戦後、最も戦争(の危機)に直面した大統領です。“キューバ危機”(1962.10.22: キューバ沖海上封鎖)で、米・ソが核戦争の瀬戸際に立ちました。もし戦争となれば、犠牲者は米・ソ、欧州で 2億人を超える衆〔おお〕きになったとも言われています。人口に膾炙〔かいしゃ〕しているケネディ大統領のことば、―― 「人類は戦争に終止符を打たねばならない。さもなければ、戦争が人類に終止符を打つ。」は、このギリギリの実体験のもとづく重たいことばなのです。

 

《 (空想的)平和主義/反戦 》

わが国の“日本国憲法”において(3つの)柱として、“永久平和主義(戦争放棄)”は唱えられています。従って、言葉は誰しもが聞いているわけです。が、しかし、“日本国憲法”は理想主義の憲法です。

近代民主主義の精神として平和主義が具体的に立論されたのは、1625年 グロチウス(1583〜1645)の 『戦争と平和の法』 に始まるとされています。そして、ホッブズ(1588〜1679)をはじめ諸賢人・哲人をへて、1795年 カント(1724〜1804)の 『永久平和のために』に到り組織立ったものになってまいりました。

然るに、私はそもそも、四大聖人・老子の時代から、平和への想い願いは、“平和思想”としてしっかりと優れたものがあると言ってよいと考えています

それにもかかわらず、いっこうに人間世界から争い・戦争はなくなりません。否、むしろその規模・内容(武器)において、拡大の一途を辿っています。石ころ・コン棒から刀槍、銃火器、そして核兵器へと。今や、地球は、生命そのものが何度も死滅し、地球そのものが破壊されるほどの核兵器を持つに至っています。

戦争をなくし、争いのないユートピア社会を造るという課題は、宗教も哲学思想も、夢に過ぎないことを“歴史”が明確に示しています。人間というものは、先哲による平和への偉大な思想・理論を持ちながら、いっかな実践を伴わぬということです。

「空想的社会主義」という語がありますけれども、“空想的平和主義/反戦主義”とでも名付けられそうなものが跋扈〔ばっこ〕しているのが現実です。 ―― 根拠のない楽観(信頼)主義・他力本願の“平和”、かけ声ばかりの“平和”・“反戦”は、絵空事〔えそらごと〕でしかありません。

私は、それは“本〔もと〕”が誤っているからだと考えています


■2014年9月28日 真儒協会 定例講習 老子[45] より


(この続きは、次の記事に掲載させて頂きます。)


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老子道徳経:  《 老子の平和主義 ―― 「戦勝以喪礼処之」 》

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 【 31章 】 (30章/81章)
 (*安岡正篤:「シュヴァイツァーと老子」

偃武・第31章) 注1) 

 《 老子の平和主義 ―― 「戦勝以喪礼処之」 》 

 §.「 夫佳兵」 〔フ・チャ・ピン〕

注1) 「偃武〔えんぶ〕」とは、“武事(=戦争)”を偃〔や〕める”という意味です。ここでは、老子の実際的平和主義が説かれています。当時(春秋戦国時代)にあっては、“危言”(タブー)といえましょう。
おしなべて、宗教家や哲学者は、絶対的戦争反対・無抵抗主義を唱えています。が、老子は、現実的に自衛のためのやむをえない武力行使は是認しています。 「直〔ちょく〕を以て怨みに報い、徳を以て徳に報ゆ。」(憲問第14−36) と孔子が『論語』で述べている、現実味のある“中庸”の精神も根本において同一であるといえましょう。

○「夫(佳)兵者、不祥之器。 物或悪之。故有道者不処。(是以)君子居則貴左、用兵則貴右。|
兵者、不祥之器、非君子之器。 不得已而之用、 恬淡 為上。勝而不美。而美之者、是楽殺人。夫楽殺人者、則不可以得志於天下矣。 |
吉事尚左、凶事尚右。偏将軍居左、上将軍居右。言以喪礼処之。*殺人之衆、以悲哀泣之、戦勝、以喪礼処之。」

■ 夫〔そ〕れ(佳)兵は、不祥〔ふしょう〕の器〔き〕なり。 物或〔つね/あるい・は〕に之を悪〔にく〕む。故に有道者は処〔お〕らず。(是れを以て)君子は居るには(居りては/居らば)則〔すなわ〕ち左を貴び、兵を用うる(とき)には則ち右を貴ぶ。|
兵は不祥の器にして、君子の器に非ず。 已〔や〕むを得ずして之を用うるも、 恬淡 〔てんたん〕を上と為す。勝ちて美とせず。而〔も/しか・るに〕し之を美とする者は、是れ人を殺すを楽しむなり。夫れ人を殺すを楽しむ者は、則ち志を天下に得べからず。 |
吉事には左を尚〔たっと〕び、凶事には右を尚ぶ。偏将軍は左に居〔お〕り、上将軍は右に居〔お〕り*補注) 喪礼を以て之れに処〔しょ〕するを言う。*人を殺すことの衆〔おお〕ければ、悲哀を以て之に泣〔のぞ〕み(/之に泣き)、戦いに勝つも、喪礼を以て之に 処り*補注)

補注) 「居り・処り」は、ラ行変格活用の終止形ですから、“処る”ではなく“処り”として文を切ります。
cf.〔 ら/り/り/る/れ/れ 〕、ラ変の動詞 → あり・居り・侍〔はべ〕り・在〔いま〕すがり

*A host that has slain men is received with grief and mourning;  he that has conquered in battle is received with rites of mourning.
(A.Waley adj. p.181)

*When great numbers of people are killed, one should weep over them with sorrow。When victorious in war, one should observe the rites of mourning
(D.C.Lau  adj. p.36)

《 大意 》

そもそも、武器(=兵器)というものは、(たとえ優れた=精巧にして美麗なものであっても)不吉な(殺人の)道具です。人は(誰もが)、それを怖れ嫌うでしょう。ですから、“道”を身につけた者は、武器を用いる(=戦争をする)立場にはたちません。君子〔くんし〕は、ふだん(家にいる時には)左を貴〔とうと〕びますが、戦時(戦場にいる時)には、(反対に)右を貴びます。

武器というものは、不吉な道具であり、君子が用いる道具ではありません。(然しながら、世は平和な時ばかりではなく、戦争ともなれば「不祥」などと言っていられません。ですからもし、)やむを得ず用いる場合(=戦争をする場合)には、恬淡〔てんたん:=あっさりと執着せずに〕と用いるのが第一です。戦いに勝っても(勝利を)賛美しないことです。(決して立派なことではないのです。)しかるに、(勝利して賛美する者があるなら)それは人を殺すことを楽しむ(残忍な)人です。そもそも、人を殺すことを楽しむような者は、自分の志を天下にかなえることなどできはしません。

(ですから、一般に、)慶び事には左を尚びますが、凶事では右を尚びます。軍隊では、副将軍が左に位置を占め、上将軍が右に位置を占めています。つまり、(これは軍隊というものが人を殺すものですから) 葬儀の決まりごとに倣〔なら〕っているということなのです。したがって、戦争は多くの人を殺〔あや〕めるので、心からの*悲哀の気持ちで戦〔いくさ〕に臨み(/=戦争で人を殺〔あや〕めることが多い時には、*悲哀の心をこめて泣き)、戦いに勝っても、葬礼〔葬儀の礼〕の方法(きまりごと)によって、これ(=戦後)を処理するのです

・「夫(佳)兵者」:「佳」の文字を用いている本が多いです。が、帛書にはこの文字はありません。
「佳兵」は、1)精巧な武器、すぐれた武器の意  2)「佳」は、「隹〔すい〕」の誤字で「唯」と同義とする説(王念孫)

・「物或悪之。故有道者不処。」:24章に同文があります。「物」は万物で人も含みます。世人・誰もがの意。 「或」は、 1)「ある・いは」で、たいがいは、おそらくは、の意。 2)「つね・に」

・「君子居則貴左、用兵則貴右」:平時の儀礼では、左を貴びます。 「君子南面す」で、主君は南面して(北に)坐りますから、左が東で【陽】、右が西で【陰】、【陽】を貴び【陰】を卑〔ひく〕めます
また、陰陽観で、【陽】は“生”に、【陰】は“死”に結びつきますので、戦時には右が上位になるとも考えられましょう。

cf.穢〔けが〕れたものを持たない左手を神聖視した原始信仰による。すなわち、戦争を穢れに連なる行為と考え戦時には右を上位とした、と考える立場。(加藤常賢氏)
  研究  ≪ 日本における左・右観 ≫参照のこと

・「恬淡」:心安らか、静かであっさりして執着しないこと。淡白・無欲。『荘子』の中にも、「虚静〔きょせい〕恬淡」・「恬淡無為」/「君子の交わりは淡〔あわ〕きこと水の如し」(=「淡交」)とあります。。 戦いに勝っても、あっさりと切り上げるのが上策というもの。欲を出すと、勝って身を亡ぼします。

cf.「隴〔ろう〕を得て蜀〔しょく〕を望む」(=望蜀)

・「以悲哀泣之」:「泣」〔きゅう〕は、楚簡では「位」〔い〕、帛書は「立」〔りつ〕。「立」は「位」の略字、「位」は「莅」の略字。
*「泣」は、1)泣く の意  2)「磧廖未蝓佑慮躬と考えられ、「磧廖Α帶」〔りん〕は、「臨」〔りん〕=のぞむ、の意。
「以悲哀」は、表面上の儀礼として無名戦士の墓前に花をささげるだけでなく、殺された人とその遺族諸氏に対して心からなる哀悼の意をささげて悲しむ、ということです。

cf.馬叙倫氏は、この章は、本文と注が錯乱・混合しているとしてして、陶方の訂誤を付記して説明しています。それによると、この部分 「戦勝以喪礼処之」 が本文で、「殺人之衆以悲哀泣之」 を注としています。

研究

≪ 日本における左・右観 ≫

中国において、宰相職の左・右の上位・下位の関係は、時代によって異なるように思います。わが国では、左・右両大臣のうち左大臣を上位とするようです。尤〔もっと〕も、“右に出る者はない”という慣用句もあり、右を貴んでいるようにも思われます。催事・セレモニーで、国旗(日の丸)と一般の団体旗(○○政党旗など)を壇上に並置して飾る時も右(壇上からみて右、客席から見れば左)が国旗です。易学・陰陽思想で右(手)が【陽】で、左(手)が【陰】と考えられるからでしょうか。

想いますに、現代にまで繋がっている日常生活の風習にも、この易学の生死にかかわる“左右/陰陽観”の影響が推測されるものがあります。―― 例えば。“和服の襟〔えり〕”は、通常は左が前です(右手が入るように)。それが、死装束〔しにしょうぞく:死者に着せる着物〕では、逆に右が前です。“帯締め(帯止め)”も、通常・日常は、左・右両方を上に向けます。が、葬儀に出席する時は、逆に、左・右両方を下に向けます。(上方は【陽】、下方は【陰】です。) 流派にもよるのでしょうが、披露宴などでは、右は上(慶び)・左は下(悲しみ)にするといいます。これからの人生、慶びも悲しみもありますヨ、の意図でなんともシャレた考え方・方法ですね。

“死んだら何でも(生前と)反対にすればいい”と、幼少のみぎり、母から教えられたのを記憶しています。“のし袋”のウラの重ねも、祝い事の場合はからかぶせます(上向き)が、香典袋の場合はからかぶせます(下向き)。香典として袋の中に入れる紙幣も、使い古したものを(新しければクシャクシャにして古く見せて)用います。古いお札は、死者と同じく【陰】だからでしょう。


■2014年8月24日 真儒協会 定例講習 老子[44] より


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