儒灯

【温故知新】儒学の普及に力を注いでおります真儒協会 会長、高根秀人年の個人ブログです。 『論語』、『易経』を中心に、経書の言葉を活学して紹介して参ります。 私個人の自由随筆、研究発表などのほか、真儒協会が毎月行っております定例講習についても掲載しております。

大難解・老子講 <黄老の学 あらまし> 老子物語り(伝説)

§.供 圈]兄卻語り(伝説) ―― “龍のごとき人”(司馬遷・『史記』) 》  

老子の人物像・伝記についての、信頼に足る最古の記述は、史記』・「老子伝」です。

『史記』は、前漢武帝の時代に司馬遷〔しばせん〕によって書かれた最古(第一号)の正史です。

私は、司馬遷の偉大な人生と相俟って、最高の史書といっても良いと思っています。

その偉大さは、『史記』には生き生きと“人間”が描かれており、歴史書であると同時に優れた文学書でもあるということにあります。

 

『史記』に描かれている老子の物語・伝記は、とてもファンタスティックなものです。

例えば、孔子が老子に教えを乞い、その人物の偉大さに「其れ猶〔なお〕、龍のごとし」と感嘆しているシーンです。

 

ところで、『史記』には、老子の人物(特定)そのものについて、“老耼・タン〔ろうたん〕”以外にも楚の隠者“老莱子〔ろうらいし〕”・周の太史(史官)である“儋・タン〔たん〕”と 3様の候補があげられています。

つまり、司馬遷の時代、既に、老子の人物像そのものが伝説化していたと考えられます

まことしやかな伝説が、広く一般化していたのでしよう。

―― 以下、老子の物語をまとめてみました。

 

老子は、楚〔そ〕の国、苦県〔こけん〕の匐拭未蕕いょう〕、曲仁里〔きょくじんり〕 注1) に、西周末年武丁朝庚辰〔こうしん〕の2月25日 卯の刻に生まれました。

姓は李〔り〕、名は耳〔じ〕、注2) 字〔あざな〕は伯陽、おくりな〔謚〕して耼・タン〔たん〕といいました。

 

守蔵室の史官(図書・公文書館の管理人)をしていました。

そこで、仕事のかたわら黙々と書籍を読んで智恵を深めてゆき“道”と“徳”を修めました。

老子の思想は、自らの才能を隠し無名であること(=自隠無名)をモットー(ポイント)としていました。

 

さてある時、当時既に、教育・道徳家として名声の高かった若き日の孔子が訪れます。
孔老会見」(孔子問礼です。 注3) 

老子は、郊外まで孔子を迎えに行き、孔子もまた車を降りて応え手土産(雁)を贈りました。

 

孔子は、洛陽にいく日か滞在して、老子から 「礼」をはじめいろいろ教わりました。

別れに際し、老子は次の苦言を贈って諭〔さと〕しました。 

曰く。

「あなたが(信奉し)話題にしようとしている古〔いにしえ〕の聖賢(=先王の道/古来の礼)は、死んでしまって骨も朽ち果ててしまい、ただその言葉だけが(虚しく)残っているだけです。
(形骸化した言葉をそのまま重視してはいけません。)/ 
それにあなたは、(君子・古来の礼を強調なさるが)君子などというものは、時(運)を得たら高位に昇り志を実現できますが、時(運)を得なければ地位を追われ流浪するような(栄枯盛衰きわまりない)ものなのです。
私は、商売の上手〔うま〕い商人は、(良い品を持っていても)店の奥にしまっておき店頭に並べてひけらかしたりしないものだ、と聞いていますヨ。
(同様に)君子は、立派に徳を積んでいても、謙遜して表面には現わさず、ちょっと見その顔は“愚(愚昧)”のように朴訥〔ぼくとつ〕に見えるものです。
(礼の本〔もと〕は謙虚にあるのです。)
 注4)/ 
とりわけあなたは、驕り〔俺が俺がという傲慢さ〕、欲望〔野心・貪欲さ〕、思い上がった〔居丈高な〕てらい・ゼスチュア、意欲が過ぎる邪心、(が多過ぎます。これら)をみんな捨て去りなさい。
これらはどれも、あなたの身ににとって何の益にもならない(有害な)ものなのです。
私があなたに言ってあげられることは、ただこれだけです。」
 と。 注5)

 

孔子は、感激して魯〔ろ〕の国に帰ります。

そしてその後、弟子たちに、よく老子をほめてしみじみと言いました。

曰く。

「(私にも)鳥が飛べるということはわかっているし、魚が泳げるということはわかっているし、獣が走れるということはわかっている。
走る者が相手なら網で捕えればいいし、泳ぐ者が相手なら綸〔いと=釣り糸〕で捕えればいいし、飛ぶ者が相手なら矰〔いぐるみ=ひもをつけた矢〕で捕えればいい。
が、相手が(霊獣の)龍で、(龍は)風雲に乗じて天空に昇り(時に飛翔し時に雲間に隠れるのであれば)私の理解を超えている。
(如何ともし難い/捕えようがない。) 
今、私は、老先生にお会いしたが、老子というのはまるで龍のようなお人だナァ!
(龍を除いて老子に比較すべきものはない/推し量り難く捕えようがない。)」 と。 注6)

 

やがて、(周の昭王の23年)老子は、周王室の衰退をみて隠退を決意します。

洛陽を去り、西のある関(関所のこと/函谷関・散関か?)にさしかかりました。

そこの関所には長官の“尹喜”がまっていました。 注7) 

(※ 後述伝では、尹喜は“紫の気が東からやってくる”〔紫気東来〕のを見て聖人がやって来ることを知り、老子をお迎えします。) 

尹喜は、「(老)先生は隠れておしまいになろうとされています。(このラストチャンスに)ぜひにもお願いいたします。私のために、何か書物を書き残してください。」 

とねんごろに頼みました。

そこで、老子は初めて上・下二篇の書を著しました。

それは、“道”と“徳”の意義をのべた 5000字余りのものでした。

 

老子は、その書を渡して関所を去り西方への旅を続けました。

しかし、行方〔ゆくえ〕はようとして知れず、どのようにして生涯を終えたかその後の消息を知る者はありませんでした。 注8)

 

―― 以上の老子物語のポイントを整理すると、 
1)老子の姓・出自を老耼・タンとすること 
2)孔老会見(孔子問礼) 
3)『老子』(著作)を著し関令尹喜に渡したこと、

です。

私は、これらは、すべてフィクション(実際そうであったことではない)であると思います

老子の人物の実在そのものが、疑問です。

さらに、儒家思想の対抗・批判として道家(老荘)思想が形成されてゆきますから、孔子と老子が会うことはありえません。

また更に、自隠無名がモットーの老子があえて世に著作を著すはずもありません。

 

注1)
「苦」は、苦しい苦〔にが〕い。
「辧未蕕ぁ諭廚枠乕翩臓◆峩平痢廚録里魘覆欧襪伐鬚擦泙垢里如△匹Δ皺誘の名称のようにも思えます。
(地名の特定はできていますが ・・・)

 

注2)
「耼・タン〔たん〕」とは、耳の長いという意味ですから耳の長い・大きい人だったのでしょう。
耳は目に対して、遺伝的なものを顕すといわれています。
ちなみに、私は幼少の頃、(耳が大きかったので)“福耳をしている”と他人〔ひと〕から褒められ、母がその意味を解説してくれたのを記憶しています。
私が、“大耳子〔だいじし〕”と聞いて思い起こします人物は。
『三国志』の仁徳のある英雄・劉備玄徳〔りゅうびげんとく〕。
10人の話を同時に聞くことができたといわれる聖徳太子(豊耳聡〔とよみみと〕/豊聡耳〔とよとみ〕/豊聡耳太子〔とよとみみひつぎのみこ〕)。
“経営の神様”といわれた君子型経営者、松下幸之助氏(現・パナソニック創業者)。

 

注3)
まず、「孔老会見(孔子問礼)」では、老子は孔子(BC.551−BC.479)の大先輩として記されています。
が、『史記』の老子の系図から逆算しますとBC.400年ころの人物ということになってしまいます。
これは、孔子の孫(孟子の師)の子思とほぼ同時代となります。

ちなみに、両者の年齢は、孔子35歳・老子88歳、(インドの釈迦は49歳)であったと記している本もあります。
次に、孔老会見で、どうして“礼”について老子に教えを乞うのでしょうか? 
孔子は、礼学の専門家ではありますが、老子はそうではないでしょうに。
これについて、楠山春樹氏は次のように説明しています。 
『礼記』・曾子問篇〔そうしもんへん〕に、「吾聞諸老耼・タン」(吾れ、諸〔これ〕を老耼・タンに聞く) と老耼・タンを孔子の師として説く文が 4ヶ条もあります
ここに唯一登場する老耼・タンなる葬儀を差配する人物を、老子の徒が“老耼・タン”にしたて、孔老会見のフィクションが唱えられたのであろう、と。
(楠山春樹・『老子入門』 p.23によります)

 

注4)
「良賈深蔵若虚、君子盛徳容貌若愚 : 良賈〔りょうこ〕は深く蔵して虚〔むな〕しきがごとく、君子は盛徳たりて、容貌〔ようぼう〕愚〔ぐ〕なるがごとし

 

注5)
安岡正篤先生は、若いころの孔子について、気性激しく覇気満々たるところがあった。
か、と想像して、この孔老会見での老子による批評を次のように述べておられます。

○「史記に伝へられてをります老子との会見の事実につきましては、いろいろ考証家によって議論もございますが、何にしても老子が評したと申します 『子の驕気〔きょうき〕と多欲と態色と淫志とを去れ』 ―― 驕気といふのは、俺が俺がといふような気分でありませう。多欲は野心的といふことであり、態色と申しますのは、今日で申しますとゼスチュアに当たりませう。淫志は何でも思ったことは是が非でもやってのけるといふ意欲的なことを申します。 ―― さういふ気分をみな去れ、といふ話だけをとりますと、確にこれは若き孔子を想像するのに味のある言葉であります。」 
(安岡正篤・『朝の論語』 P.7 引用)

 

注6)
龍は“陽”の化身ですが、三棲するといわれています。
地上にいたり、深淵に潜んだり、雲間に隠れたり、天空を飛翔したり、と捉えどころがないの意でしょうか。
あるいは、スケールが大きすぎて圧倒されて推し量れないの意でしょうか。
思い起こされますには、坂本竜馬が初めて西郷隆盛に会った時、その(西郷の)印象を問われた時の応えです。
「よくわからぬ、“タイコ”のようなお人だ。小さく叩けば小さく鳴るし、大きく叩けば大きく鳴る。」 
―― 西郷隆盛もたしかに、わが国幕末・維新期の“人龍”には違いありません。

cf.孔子が老子を評した(とされる『史記』・「老子・韓非列伝」の)この文言は歴史的に名高いものです。
原文(読み下し文)は、次のとうりです。

“孔子去り弟子〔ていし〕に謂いて曰く、「鳥は吾〔われ〕其の能〔よ〕く飛ぶを知り、魚〔うお〕は吾其の能く游〔およ〕ぐを知り、獣は吾其の能く走るを知る。
走る者には以て罔〔あみ=網〕を為すべく、游〔およ〕ぐ者には以て綸〔いと〕を為すべく、飛ぶ者には以て矰〔いぐるみ〕を為すべし。
龍に至りては、吾其の風雲に乗じて天に上るを知る能〔あたわ〕ず。
吾、今日〔こんにち〕老子を見るに、其れ猶〔なお〕龍のごとき」 と。”

 “ The birds ― I know they can fly; the fishes ― I know they can swim; the wild beasts ― I know they can run. 
The runner may be caught by a trap, the swimmer may be taken with a line, and the  flyer may be shot by an arrow.
But as for the dragon,I am unable to know how he rises on the winds and the clouds to the sky.
To−day I have seen Lao Tzu; he is like the dragon. ” 
(Gowen)

 

注7)
「関令尹喜」 ―― 
1)「関令(関所の長官)の尹喜」 と 
2)「関の令尹(楚語で長官の意)は喜んで」
と 2とおりに読めます。

 

注8)
「莫知其所終」(其の終うる所を知る莫〔な〕し) と結んでいます。
文学的で情緒があり良い表現です。
(蛇足ながら、)更に、尾ひれがついたものとして、後世の道教に「老子化胡〔けこ〕説」があります。
「胡」とは、釈迦(仏陀)のことです。すなわち、消息を絶った老子は、インドに行きます。
そして、インドで、釈迦を教えます(釈迦になります)。
それはともかくとして。
老子の思想が、仏教に多大の影響を与えているであろうことや共通点が見られることについて(ex.“四大”・“三宝”や“無”の思想と“空〔くう〕”の思想など)、後述することといたします。

 

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大難解・老子講 <黄老の学 あらまし> 「老子」紹介

黄老の学 あらまし

 

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横山大観 「老子」:画像省略)


中国の思想・文化の2大潮流 = 【学】 & 【黄/老荘】(道教)

 

中国の思想・文化の3大潮流 = 【学】 & 【黄/老荘】(道教) & 【教】

 

中国の思想・文化 = 【儒学】子・子・子 & 【黄老/老荘】 子・子・

 

日本の精神・文化 = 古神道(惟神道〔かんながらのみち〕) & 3教【

 

§.機 圈 嶇兄辧廖‐匆陝   

儒学と老荘(黄老・道家)思想は、東洋思想の二大潮流であり、その二面性・二属性を形成するものです。

国家・社会のレベルでも、個人のレベルでも、儒学的人間像と老荘的人間像の2面性・2属性があります。

また、そうあらなければなりません。

東洋の学問を深めつきつめてゆきますと、行きつくところのものが、“易”と“老子”です。 

―― ある種の憧憬〔あこがれ・しょうけい〕の学びの世界です。

東洋思想の泰斗・安岡正篤先生も、次のように表現されておられます。

 

「東洋の学問を学んでだんだん深くなって参りますと、どうしても易と老子を学びたくなる、と言うよりは学ばぬものがないと言うのが本当のようであります。

又そういう専門的な問題を別にしても、人生を自分から考えるようになった人々は、読めると読めないにかかわらず、易や老子に憧憬〔しょうけい〕を持つのであります。

大体易や老子というものは、若い人や初歩の人にはくいつき難いもので、どうしても世の中の苦労をなめて、世の中というものがそう簡単に割り切れるものではないということがしみじみと分かって、つまり首をひねって人生を考えるような年輩になって、はじめて学びたくなる

又学んで言いしれぬ楽しみを発見するのであります。」

(*安岡正篤・『活学としての東洋思想』所収「老子と現代」 p.88引用 )

 

『論語』・『易経』とともに、『老子』の影響力も実に深く広いものがあります。

『老子』もまた、言霊の宝庫なのです。

我々が、日常、身近に親しく使っている格言・文言で『老子』に由来するものは、ずいぶんとたくさんあります。

例えば、次のように枚挙にいとまがありません。 

  • 大器晩成〔大器成〕 (41章)
  • 和光同塵〔わこうどうじん〕 (4章・56章)
  • 無為自然 (7章)
  • 道は常に無為にして、而も為さざる無し (37章)
  • 柔弱謙下〔じゅうじゃく/にゅうじゃく けんか〕の徳 (76章)
  • 柔よく剛を制す (36章)
  • 三宝 (67章)
  • 恍惚〔こうこつ〕 (21章)
  • 天網恢恢〔てんもうかいかい〕、疏〔そ〕にして失わず〔漏らさず〕 (73章)
  • 千里の行〔こう/たび〕も、足下より始まる (64章)
  • 知足(たるをしる) / 知止(とどまるをしる) (33章・44章・46章)
  • 上善若水〔じょうぜんじゃくすい:上善は水のごとし〕 (8章)
  • 天は長く地は久し (7章)  cf.“天長節”・“地久節”の出典
  • 知る者は言わず、言う者は知らず (56章)
  • 大道廃〔すた〕れて、仁義あり / 国家昏(混)乱して忠臣有り (18章)
  • 禍〔わざわい〕は福の倚〔よ〕る所、福は禍の伏す所 (58章) cf.“塞翁馬”
  • 功成り名遂げて身退くは、天の道なり (9章)
  • 絶学無憂〔ぜつがくむゆう〕 (20章)
  • 小国寡民 (80章)
  • 信言は美ならず、美言は信ならず (81章)
  • 怨みに報いるに徳を以てす (63章) 
    cf.「直を以て怨みに報い、徳を以て徳に報ゆ」(『論語』) 

・・・ etc.

 

さて、(孔子とは対照的に)老子という人物は、実は、いたかどうかもはっきりしないのです。

が、少なくとも 『老子』(『老子道徳経』) と呼ばれている本を書いた人(人々?)は、いたわけです。

時代的には、儒家が活躍したのと(諸子百家の時代、春秋時代〔BC.770〜BC.403〕の末頃から)、同時代か少し後の時代と考えられます。

 

そして、近年この『老子』に、歴史的な新発見(サプライズ)があったのです

『老子』の現存する最古のテキスト=今本〔きんぽん〕『老子』というものは、8世紀初頭の石刻でした

ところが、1973年冬、湖南省長沙市馬王堆〔ばおうたい〕の漢墓で、帛〔はく:絹の布〕に書かれた 2種の『老子』が発見されました。

帛書老子”甲本(前漢BC.206年以前のもの)と乙本(BC.180年頃までに書写されたもの)です

 

さらに驚くことに、1993年冬、湖北省荊門市郭店の楚墓から、『老子』の竹簡〔ちくかん〕が出土しました。

この楚簡(竹簡)老子は、“帛書老子”よりさらに 1世紀ほど遡るBC.300年頃のものです。

 

こうして、『老子』のテキストは、一気に1000年以上も前にまで遡って、我々の目にするところとなりました。

これ等の研究により、老子研究の世界も、歴史学や訓詁〔くんこ〕学のそれのように、塗り替えられ新たになろうとしています。

 

新発見の具体的一例をあげれば、大器(ハ) 晩成(ス)があげられます。

国語(現代文、古典ともに)で、しばしば登場する文言です。

四字熟語としても、小学生・中学生のころからお馴染みのものですね。

“大きな器〔うつわ〕は夜できる”という珍訳が有名ですが、大きな器を作るのには時間がかかるという(それだけの)意です

そこから敷衍〔ふえん〕して、立派な人物は速成では出来上がらず、晩年に大成するという意味で用いられます。

即戦力が求められ、レトルト食品なみの速成(即製)人間を作りたがるご時世。

心したい箴言〔しんげん〕ではあります。

 

ところが、この「大器晩成」は「大器免成」が本来の意義であったのです

真に大いなる器(=人物)は完成しない、完成するようなものは真の大器ではないということです。

これこそ、老子の思想によく適うというものです。

( → 詳しくは、『老子』本文・解説にて後述。また、※盧ブログ【儒灯】・《「大器晩成」と「大器免成」》をご覧ください。)

 

―― 『論語』の中に、孔子の「温故而知新」(故〔ふる/古〕きを温〔あたた/たず・ねて〕めて新しきを知れば、以て師となるべし)の名言があります。

“帛書老子”・“楚簡(竹簡)老子”の新発見による研究成果も踏まえながら、20世紀初頭、平成の現代(日本)の“光”をあてながら、「老子」と“対話”してまいりたいと思います。

故〔ふる〕くて新しい「老子」を活学してまいりたいと思います

 

 

(石刻写真:省略)

 

 

〈 易県龍興観道徳経碑 〉 : 唐708年

 cf.「天網は恢々〔かいかい〕、疏〔そ〕にして漏らさず。」(73章)
    ※不漏 → 不失

 


※  参考   ≪ 黄老(老子)とは? 儒学と黄老 ≫

 

〈 黄老(老子)とは? 〉

「―― (老荘は) けばけばしい色彩はぬけてしまって、落ちついた、渋い味を持ってゐる。

世間の常識的な型を破って、しかもその破格の中に、いかなる常識人にも感得せられるあの大きな独自の型を創造してゐる。

その点世間の何人からも肯定される理性的 reasonable な洗練を特徴とする孔孟型と好い対象であって、しかも危なげのない本格的な点で両々共通なものがある

孔孟の教へと同様、老子の説を *「人君南面の術」 とする漢志の説も妥当である。」

(安岡・『老荘』思想 p.15引用)

cf. 君子南面ス。リーダー・指導者のあるべき姿ほどの意でしょう。相学(家相など)にも応用。

 

〈 孔孟と老荘 〉

「しかしながら孔孟に老荘のあることは、丁度人家に山水のあるやうなもので、これに依って里人は如何に清新な生活の力を與へられることであらう。

自然に返れといふことは、浅薄に解してはとんでもないことになるが、正しく解することさへできれば、文化をその頽廃から救って、人間を自由と永遠とに導く真理である。

拘泥〔こうでい〕し易く頽廃しがちな悩みを持つ人間が、孔孟を貴びつつ、老荘にあこがれて来たのは無理のないことである。」

  (安岡・『老荘』思想 pp.2−3 引用)

 

〈 正しい意味の形而上学 → 『中庸』 〉

「そういう意味で、われわれの人生、生活、現実というものに真剣に取り組むと、われわれの思想、感覚が非常に霊的になる

普段ぼんやりして気のつかぬことが、容易に気がつく。

超現実的な直覚、これが正しい意味に於ける形而上学というものであります。

こういう叡知〔えいち/=英知〕が老子には輝いているのです。」

(安岡・『活学としての東洋思想』所収・「老子と現代」 p.92引用)

 

≪ 儒学&黄老 (カラー)イメージスケール ≫ by.たかね

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大難解・老子講 《 プロローグ: はじめに 》

◆プロローグ :  はじめに 

§. 《 “諸子百家” の中の 儒家と道家(老荘) 》

皮肉なこと逆説的なことですが、洋の東西を問わず、科学技術も学術文化(思想)も戦争によって、急速かつ飛躍的に創造発展いたします

兵器の開発、富国強兵のためにです。

古代中国において、なんと 500年 以上にわたり戦乱の時代が続きます。

(BC.770 春秋時代 〜 BC.403 戦国時代 〜 BC.221 秦による全国統一)この間、“百家繚乱〔りょうらん〕”・“百家争鳴”などという言葉があるように、多くの学術文化が華やかに花開きました。

―― 諸子百家と総称いたします。

 

さて、世界の “3〔4〕大聖人” の一人、孔子(BC.551〔552〕〜BC.479)が中国に生まれたのはそんな戦乱の時代、春秋時代の終わりごろです。

インドでは、シャカ族の王子、ゴータマ・シッダールタ〔Gautama Siddhartha BC.463〜BC.383?/BC.563〜BC.483?〕が、苦行・修養の後、大悟しブッダ (仏陀 Buddha: 覚者)となり仏教の教えを説き始めた頃です。

仏教は、やがて中国に伝わり花開き、朝鮮・日本・・・とアジア全域に決定的な影響を与えていくことになります。

 

西洋は、と目を向けてみますと。

ローマ帝国による、地中海世界統一よりはるか昔のころ。

古代ギリシアのポリス〔都市国家〕がおこり、アテネを中心に古代民主制が華やかに盛期を迎え(BC.5世紀頃)ていました。

ここに、古代ギリシア哲学(= ヨーロッパ学術)の祖 ソクラテス〔Sokrates  BC.469頃〜BC.399〕が歴史の舞台に登場します。

「ソクラテスより賢い者はいない」との信託をうけ、自らは己の無知を自覚し(無知の知)哲学の出発点としました。

「善〔よ〕く生きること」を追求します。

“問答法〔ディアレクティケー〕”により語り、誤解され民衆裁判で死刑になります。

が、その思想哲学は弟子の プラトン〔Platon〕 → アリストテレス〔Aristoteles〕 へと受け継がれギリシア哲学として発展大成し、西洋思想の礎となっていきます。

 

なお、ちなみに、「日の出づる処の国」わが国は、まだ“倭〔わ〕”の国とも呼ばれず、邪馬台国よりはるか大昔、縄文の原始時代です。

 

以上 3人の聖人が、あたかも何らかの意思が働いたかのように、時をほぼ同じくして世界史上に登場します。

そして、500年ほど遅れて、紀元の頃、イエス・キリスト〔Jesus Christ BC.4頃〜AD.30頃 〕 が誕生し、(ユダヤ教に対して)世界宗教キリスト教の開祖となります。―― 4大聖人です。

 

では、中国・「諸子百家」に再び目を戻しましょう。

群雄割拠も7大国に淘汰されます(戦国の七雄)。

「秦」は、法家思想を取り入れ富国強兵策を推し進め、強力な軍事国家を創り上げます。

そして、政(後の始皇帝)が中国統一の偉業を達成します。

しかし、信じ難いことですが、この法家思想にもとづく秦は、わずか15年ほどで崩壊します。

 

法家思想の源は儒家思想といえますが、孔子は、平たく今時〔いま〕の言葉でいえば、(あくまで当時は)“負け組”だったのです。

後の漢代(武帝)に、国教(国の教え)となります。

儒学は、本質的に、平和・安泰の時代の思想だと思います。

 

そして、ここに聖人孔子と並称しても良いような哲人がいます(もし、実在するならですが)。

老子です。

老子は人物を特定することも、実際いたのかどうかも分かりません。

が、少なくとも、『老子』という本を著わし道家思想を唱えた人(人々?)がいたことは事実です。

老子を祖とする道家思想(老荘思想)は、以後、儒学と並ぶ中国(東洋) 2大潮流を形成していくこととなります。

 

「諸子百家」の思想・教えが、その時代背景からして実践的・実学的であったのに対して、道家思想(老荘思想)は、宇宙論(形而上学)を持つ唯一優れた特異なもの、哲学的に最も優れた思想であった、と私は感じています。

 

私は、「諸子百家」の幾数多〔いくあまた〕の哲人・学派の中で、その後世・歴史への影響力という点で、“孔子・儒家”と“老子・道家”が双璧といっても良いと思うのです

 

中国の思想・文化の2大潮流 = 【学】 & 【黄/老荘】(道教)

 

≪ 諸子百家(百家争鳴) ≫

 

戦争の時代に科学・学術文化は、大きく発展します。

古代中国、春秋戦国時代(BC.770〜BC.221)に、政治・経済・社会・文化あらゆる分野から思想家・学派が「百花繚乱〔りょうらん〕」のごとくに現れました。

これを諸子百家〔しょしひゃっか:子は先生、家は学派の意〕と総称します。

華やかに競い合うさまを百家争鳴ともいいます。

戦乱の世にあって “離〔り〕=文飾”の時代 のエポック〔画期〕となりました。

 

諸子百家は、『漢書〔かんじょ〕』・芸文志〔げいもんし〕によれば、儒家・道家・墨家・兵家・陰陽家・縦横家・名家・農家・雑家・小説家の十家に分類されています。

小説家を除いて 九流とし、それに法家を加えて 十流としています。

 

この中で、後世、現代に到るまで多大な影響を与え続け、東洋源流思想の2大潮流を形成するのが、儒家と道家です

 

【儒家】: 周王朝初期の社会を理想(尚古思想)、当時は用いられませんが後(漢代〜)中国の国教・正統的思想(「儒教」・「儒学」)となります。“修己治人の学”・“終身・斉家・治国・平天下の道”(指導者・リーダーの養成)を説きます。

cf.儒家にいう「道」は人倫のみち

子・『論語』・、―― 曽子・『孝経』、―― 子思・『中庸』 

子・『孟子〔もうじ〕』・仁義・性善説

子・『荀子』・性悪説 

( 後世の展開 ・・・→ 朱子≪朱子学≫、 王 陽明≪陽明学≫ )

 

【道家】: “黄老の学”・“老荘思想”として広まりました。儒家と対峙〔たいじ〕、儒家への批判的立場から形成されてゆきます。独自の宇宙論を持ち宇宙の原理である・「無為自然」を説きます。逆説の真理(論法)。

cf.道家にいう「道」は宇宙の根元(=無)/(仏教の「空〔くう〕」→ゼロの思想へ)

子・『老子』(『老子道徳経』): 道(上篇)と徳(下篇) /「有」と「無(=道)」/「無為にして為さざるなし」/「柔弱謙下〔じゅうじゃくけんか〕」/「道」を“水”と“赤子”で象〔かたど〕る/大器免(晩)成〔たいきめん(ばん)せい〕/和光同塵〔わこうどうじん〕/玄牝〔げんぴん〕の門/「小国寡民」

子・『荘子〔そうじ〕』: 「無用の用」/「逍遥遊〔しょうようゆう〕」/ 「包丁〔ほうてい〕」/「朝三暮四」/「渾沌〔こんとん〕の死」/「蝴蝶〔こちょう〕の夢」/「井の中の蛙〔かわず〕」/「邯鄲の歩 (ものまね)」/「泥の中の亀」/「蝸牛〔かぎゅう〕角上の争い」/「万物斉同」

子・『列子』: 「杞憂〔きゆう〕」/「愚公、山を移す」/「知音〔ちいん〕」(友人・知己)/「木鶏〔もっけい〕」 cf.横綱:双葉山

 

◎【墨家】: 兼愛・博愛(無差別愛)と倹約を説く、「非攻」(自衛のための戦闘的集団の結成)、「墨守」、 戦国期に儒家と双璧をなしましたが秦の統一とともに消えていきます。

 

◎【法家】: 礼や道徳ではなく、君主の法や刑罰によって国を統治しようとする、君主権の絶対と官僚制度の確立を説く。「信賞必罰」。
(古くは管仲〔かんちゅう〕に始まり晏嬰〔あんえい〕・)商鞅〔しょうおう〕・李斯〔りし〕 ・・・→ 秦に登用され秦による天下統一に寄与

*韓非・『韓非子』: 「濫吹〔らんすい〕」(実力がないのにその位にいることのたとえ)/「宋襄〔そうじょう〕の仁」(行きすぎた親切心)/「矛〔ほこ〕と盾〔たて〕」(矛盾:つじつまが合わないこと) /「守株〔しゅしゅ・くいぜを守る〕」(待ちぼうけ)

 

◎【兵家】: 兵法(用兵・戦略)を研究、孫子〔孫武/そんぶ〕、呉子〔呉起/ごき〕

*孫武の『孫子』 ・・・ 「彼を知り、己を知れば百戦殆〔あやう〕からず」、「百戦百勝は善の善なるものにあらず」  →  戦わずして勝つ、 「常山の蛇」、 “風林火山”  → 「その疾〔はや/と〕きことの如く、その徐〔しず〕かなることの如く、侵掠〔しんりゃく〕することの如く、動かざることの如く、知り難きこと陰の如く、動くこと雷霆〔らいてい〕の如し」 (cf.武田信玄の旗印)

 

◎【陰陽家】: 陰陽五行説(「陰陽」は光と影)・木火土金〔ごん〕水。*鄒衍〔すうえん〕  

cf.西洋「四元素説」

 

◎【縦横家】: 外交術、*蘇秦の「合従〔がっしょう/縦〕」策 と *張儀の「連衡〔れんこう/横〕」策。

 

◎【名家】: 論理学・詭弁、*公孫龍・「白馬非馬論」。*恵施(子)

 

◎【農家】: 重農主義、神農を本尊とする。*許行〔きょこう〕

 

◎【雑家】: その他学派

 

◎【小説家】: つまらぬ小話を説く。思想希薄。 

 

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