儒灯

【温故知新】儒学の普及に力を注いでおります真儒協会 会長、高根秀人年の個人ブログです。 『論語』、『易経』を中心に、経書の言葉を活学して紹介して参ります。 私個人の自由随筆、研究発表などのほか、真儒協会が毎月行っております定例講習についても掲載しております。

2009年03月

3月14日に想う

 “3月14日”。
巷間 [ちまた] では ホワイトデーと称して、2月14日のセント・バレンタインデーのお返しの品を送る日となっています。平和にして、商魂たくましい限りです。


 私が、ここで思い想うのは、それではなく 1868年の3月14日のことです。
何の日かご存じでしょうか?

戊辰 [ぼしん] 戦争の中、官軍参謀 西郷 南州 [なんしゅう] (隆盛・たかもり)と、幕府代表 勝 海舟 [かいしゅう] (義邦・よしくに)の会談によって、江戸城の無血開城が実現した日です。

翌15日には、官軍 江戸総攻撃の手はずとなっていました。
一大決戦となれば、江戸は火の海となり多くの死傷者が出たでしょう。

以後の日本史は“明治維新”と称されるような優れた変革が実現したかどうか疑問です。


 世界史に誇れる“維新”が実現したのは、西郷と勝という2大巨星の人物によるところが大であったと思われます。共に極貧の中に学び、自らを高めて文武に秀でました。

この敵対する2人の英傑のリーダー像を考えてみましょう。

西郷は徳が才に勝った人です。
主君、島津 斉彬 [なりあきら] 公が評しているように、君子(仁者)であり“情の人”でした。

一方 勝は、才が徳に勝った人であったといえましょう。


 そうした、陰・陽タイプの差はあるものの、両者は共に大儒学者・佐藤 一斎 [いっさい] の教えに学ぶ者であったのです。

佐藤 一斎は、かつて小泉元首相が訪中の時に、
「春風を以って人に接し、秋霜を以って自ら粛 [つつし] む」 との言葉を書いたことでも、
ご存じの方も多いと思います。

西郷は、一般には そのカリスマ性ばかりが印象強いようですが、儒学的教養人でもありました。
佐藤 一斎の『言志四録』四冊から101カ条をピックアップして常時愛読していました。

勝も 佐藤 一斎の弟子 佐久間 象山 [しょうざん] に学んでおりますから、孫弟子とも言えましょう。

共通の師を持つ儒学的教養人の2人が進歩的(進化的)役割を果たして“維新”を実現したとも言えましょう。


 立場は敵同士でも 「一」 [いつ] なるものを持って、お互いに良く理解・尊敬し合っていたと思われます。

西郷は、明治政府樹立後、西南戦争で賊軍の汚名を着せられ死にます。

後年、勝は、西郷の名誉回復に力を尽くし、「西郷隆盛 留魂碑」に西郷を讃える詩文を書きます。

「――――― 府下(=江戸)百万の生霊をして 塗炭 [とたん] に陥 [おちい] らしめず 
ああ君よく我を知り 而 [しこう] して君を知る 亦 [また] 我に若 [し] くは莫 [な] し  
                         明治12年6月   勝 海舟」

 

 ところで西郷は、大久保 利通 [としみち] ・木戸 孝允 [たかよし] と共に
“明治維新の三傑” と呼ばれます。

幕府側にも“幕末の三舟 [さんしゅう] ”と呼ばれる大人 [たいじん] がいます。
勝 海舟 ・ 山岡 鉄舟 [てっしゅう]  ・ 高橋 泥舟 [でいしゅう] の三人がそれです。


 勝 海舟は、かつて木造軍艦「咸臨丸 [かんりんまる] 」で 初めて太平洋横断に成功(1860)もし、明治政府では参議 兼 海軍卿、枢密顧問官 等の要職で活躍します。

 
山岡 鉄舟は、勝――西郷 会談の実現にも裏面で大きな役割を示します。
NHKの大河ドラマ“篤姫”(‘08)にあったように、篤姫の尽力もあったかも知れませんが、山岡 鉄舟の会談実現のための直接的働きかけは歴史的事実として大なるものがありました。 
“維新”の後は、明治天皇の教育係に力を尽くします。


 さて、この両 “舟” の名声に対して、高橋 泥舟の名はご存じでない方も多いのではないでしょうか。

故 安岡 正篤 [まさひろ] 先生が、高橋 泥舟を歴史の陰に隠れた立派な武士道を生きた人物として、正しく評価して紹介されています。 ( 『日本精神の研究』 ・国士の風 3 参照 )


 泥舟は、鉄舟の師であり同時に義兄弟(泥舟の妹の夫が鉄舟)です。
慶喜 [よしのぶ] 公を恭順させ、江戸城無血開城を実現し、幕末の日本を危機から救ったのを 勝 海舟 一人の功績のように、一般でも学校教育でも扱われています。

しかし、功績の第一人者は泥舟といわねばなりません。
勝 海舟は閉居中で家に留まっている立場でした。

泥舟は最後まで慶喜公に従い、そのゆく末を見届けると、あえて要職につくことなく、きっぱりと引退・隠遁 [いんとん] いたします。

「泥舟」・“どろふね”という号 [ごう] がその高潔を良く示しています。
( 「かちかち山」の狸の話から、世に出てもすぐに沈んでしまうの意)


 易卦に 「水沢節 [すいたくせつ] 」というのがあります。
節義・節操なく、出処進退のだらしない現代。 この泥舟の生き方には敬意学ぶ所、大ではないでしょうか。

安岡先生は「無名で有力であれ」と言っておられました。
真のリーダー [指導者] は、歴史の陽の目をみる人ばかりでなく 陰に隠れた人の中にもあるのではないでしょうか。

 

 この泥舟の生き方とは対照的に、幕臣であったにもかかわらず、明治政府に仕え要職を得た者も多くいました。

その代表・典型である勝 海舟と 榎本 武揚 [えのもと たけあき] に対し、福沢 諭吉は、明治政府になったら表舞台から引っ込むべきではないかと その進退を問います。 
(後年、『痩我慢 [やせがまん] の説』を出版)

勝 一人のみ答えていうには、「行蔵 [こうぞう] は我に存す」と。

自分の行動や考え方は自分自身が知っているとの意です。勝の弟子となった坂本 竜馬も同じように言っていました。

勝には勝の信念があってのことだったのでしょう。

 

 「行蔵」とは出処進退のことです。

「出」では、PTAの役員・委員のなり手にも困る現状。
「退」では、政・官・財界を問わず各界で責任をとらず、見苦しい辞任劇を演じている現今。

易卦に「天山遯 [てんざんとん] 」があり「時と興 [とも] に行うなり」と書かれています。

出処進退、とりわけ退くことが人間の価値を決める大切なことではないでしょうか?


 また、国家社会の“リーダー”というものを考えてみますと、歴史の陽(目立つ)部分にのみいるのではないということを心せねばなりません。

そして陽にしろ陰にしろ、現在の日本に真のリーダーがどれほどいるのでしょうか?

“たそがれ”の幕府側にも“三舟”をはじめ大人が多くいました。
倒幕側には次代の人材がきら星の如くいました。

今の日本の政府与党、そして野党にも 才徳の大人は一体どれほどいるのでしょうか?


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第十九回 定例講習 (2009年3月22日)

第十九回 定例講習 (2009年3月)












孝経   ( 紀孝行章 第10 − 《2》 )

“親に事〔つか〕うる者は、上〔かみ/うえ〕に居て〔おご〕らず、下〔しも〕と為りてせず。醜〔しゅう/もろもろ〕に在〔あ〕りて争わず。上に居て而て驕れば則ち亡ぶ。下と為りて而て乱すれば則ち刑せらる。醜に在りて而てえば則ち兵せらる。 三者除せざれば、日に三牲〔さんせい〕の養〔やしない〕を用うと雖〔いえど〕も、猶お不孝たるなり。

《大意》 「親へのつとめを立派に果たす人は、人の上に立っても(リーダー〔指導者〕)おごり・高ぶることなく、人の下で支えるようになっても(反抗などして)秩序を乱すようなことはしない。世の人々(大衆)の中にあっても争い合うことはない。 リーダーの立場にいるにもかかわらず、おごり・高ぶれば、たちまちその地位を失い滅んでしまうだろう。部下であって反乱を起こせば、必ず刑罰を受ける。大衆の中で争い合えば、必ず刃傷〔にんじょう〕ざたになるだろうよ。以上の3つの不善のこと(驕・乱・争)が除かれないとすれば、いくら毎日親を、ごちそう・珍味の食事で養ってあげたとしても、やっぱり “不孝”の罪を免れないのだよ。」

● 「驕・乱・争」という不善の行為を行えば、結局は不孝の子を免れません。

・ 「醜」=衆または衆類(仲間)の意  
・ 「兵」=武器の総称ですが、ここでは刃傷殺戮〔にんじょうさつりく〕
・ 「三牲」=神霊に供える 牛・羊・豕〔いのこ:イノシシ・豚〕の最も丁重な犠牲(太牢:たいろう)

○ 個人の孝の実践がよろしければ、社会の秩序は安心であり、道徳的によろしければ、その結果として法的にも問題は起こらないと考えています。

 

論語

「子曰く、中庸〔ちゅうよう〕の徳たる、其れ至れるかな。民鮮〔すく〕なきこと久し。」 
(擁也第 6 −29)

《大意》 中庸の徳というものは、ほんとうに至れる徳であるなあ。しかしながら,(世が乱れてしまって)その中庸の徳が鮮なくなって もう久しいね。

・ 孔子(儒学)の教えは、“中庸の徳”を尊びます。“”は ホド〔程〕よく過不足なく、 “”は平正で不変なことです。後に、孔子の孫である子思が、その教えを明らかにするために『中庸』という本を著すこととなります。

・ 21世紀の我国は、“戦国”の時代ではありませんが、モノの豊かさとはうらはらに人心は乱れ、道徳は忘れられ、この憂〔うれ〕いそのものだと思います。

ちなみに、アニメの名作「千と千尋〔ちひろ〕の神隠し」で、千尋が行きたい“魔女・ゼニーバ”の所へ行ける(40年前の使い残りの)電車の切符、を“かまじい”から受け取るときのやりとりに注目です。 

「行くにはな〜、行けるだろうが、帰りがなー。」・
昔は戻りの電車があったんだが、近頃はいきっぱなしだ。それでも行くかだ!」 
「うん、帰りは線路を歩いてくるからいい」。

そして、電車の線路は、水に浸〔つ〕かり沈みかけていました。 
―― さて、その電車の行き先(電車前面に書いてある)が何処と書いてあったかご存知ですか? 

中道」(=中庸)とありました。
中徳を失った(失いかけている)現代人への寓意〔ぐうい〕でしょうか。 


本学   《 『中庸』 1 》     ( by 『易経』事始 )

● 中庸

・ 「」=人間社会は矛盾の産物、その矛盾(撞着〔どうちゃく〕)したものを結ぶ
   中す・中〔あた〕る ―― 融合・結合 ・・・ 限りない進歩・発展
   “これこそ絶対のもの” =“相反するもの” =“陰の極と陽の極”
   例 :男女が結ばれて子供が生まれる(未来に向かう進歩・発展)
   “神道〔しんとう〕” では “産霊〔むすび〕”/中す=結び・結ぶ・化成

・ 「」=つね・常・並・用いる、平正で常に変わらないこと

・ 「中庸」=常識(常識に適っている、中の精神)。ホド良く過不足のないこと。
  中程(真ん中)の意ではない。正しきをとって正しい向に向かわねばならない
    “折衷〔せっちゅう〕”・・・ 折は、くじく、悪しきをくじき正しきを結ぶ(安岡氏)
    “易姓革命〔えきせい〕” (孟子) ・・・ 中国では、ゼロにして又始めることのくり返し 
       cf. J.ロックの革命思想(抵抗権を認める社会契約説)
    “易世革命〔えきせい〕” (易の六義) ・・・ 世をかえ〔易〕るというより世を修(治)める

 

◎ ヘーゲル弁証法 参考図

ヘーゲル弁証法 参考図




cf.Hegel,W.( ヘーゲル ) ※ 観念弁証法
   Marx,K.( マルクス ) 唯物弁証法(唯物史観)
            ・・・ 弁証法 + フォイエルバッハ唯物論



※ ヘーゲル 観念弁証法

ヘーゲル 観念弁証法


● 「中和」=中と和、和 ・・・ 和合、調和すること

 ○ 「和〔わ・やわらぎ〕を以って貴〔たっと〕しとなし、忤〔さから〕ふること無きを宗〔むね〕とせよ。」
     (聖徳太子、十七条憲法 604年)
 ○ 「礼の用は和を貴となす」  (『論語』・学而第1)
 ○ 「礼は之れ和を以て貴しとなす」  (『礼記』・儒行篇)
 ○ 「君子は和して流れず」  (『中庸』)
 ○ 「喜怒哀楽の未だ発せざる、之を中と謂ふ。発して皆節〔せつ〕に中〔あた〕る、之を和と謂ふ。
    中なる者は、天下の大本〔たいほん〕なり。和なる者は、天下の達道なり。
    中和を致して、天地位し、万物育す。」  (『中庸』・朱子章句第1章2節)
 ○ 「過ぎたるは 猶及ばざるが如し」  (『論語』・先進第11) *陰・陽でも考えてみよう

 ※ 参考 酸(陽)とアルカリ(陰) ―― 「塩(えん)」 ・・・ 人体でも大切

 


易経      ―― 《 象による 64 卦解説 》 (其の4)    

下経

  (続き)

《 49 & 50 のペア 》

49. 革 【沢火かく】 は、あらたまる、かわる

● 改革・革新・変人・易道家、 革〔かわる〕=変革・Change : 破壊し捨てる、
革命 Revolution (クーデター・政変) と 維新 Evolution (進化・日々に新た・・・) 、互卦「天風姤」(秘密)    ※ 「大正」の語源 ―― (「大亨以正」)

cf. “易姓革命”(孟子):「姓を易〔か〕え命を革〔あらた〕む」 中国では ゼロにしてまた始めることのくり返し
        ※ J.ロックの革命思想(抵抗権を認める社会契約説)

易世革命”(易の六義):世をかえるというより世を修(治)める
5爻辞 :「大人虎変す」 面目一新、革命成功の時 (※陽爻)
上爻辞 :「君子豹変す」 行けば凶 (※陰爻)

■ 上卦兌沢で水、下卦離火で 1)水と火と消しあう(相剋)象(※水火の“中”す)
2)離の夏から 兌の秋の季節変化、動物の毛変わり
3)兌の金(属)を離火で熔かす(五行相剋)
4)二女同居してうまくゆかぬ象(離の中女の上に兌の少女がのっていて順序転倒 ―― 変化する、モメる、/矛盾をどう処理するか ―― 中す)

cf. 易道(占)家の良卦 (離は聡明・兌でインスピレーション、「変化」=易、易学は大化・維新の学、革命・改革する人・指導者、先天卦は「需」=儒者=易者 ?)

○ 大象伝 ;「沢中に火あるは革なり。君子以て‘暦’〔こよみ〕を治め時を明らかにす。」
(兌沢の中に離火がある。すなわち、水火相争いどちらが勝っても変わる象。〔対立する二物が並存して推移する象〕。この象にのっとって、君子は、指導者として暦〔農耕暦〕を正しく制定し、季節の四時の推移を明確に示したのです。)

50. 鼎 【火風てい】 は、かなえ

● 三者鼎立〔ていりつ〕、三角関係、養いのナベ(※「かなえ」は、古代中国の三本足の煮炊きする器)、仏教での線香立て(焼香の器) ?
三人で支え三人なら成就(三頭政治) ・・・三国鼎立(魏・蜀・呉)/三本の矢(毛利元就)/三本の剣(「ホラチウス兄弟の誓い」 ダビット)
「革は故きを去るなり、鼎は新しきを取るなり」(雑卦伝) :革は破壊・鼎は建設の意、“革鼎”革と鼎で革命は成功する ex. 信長―秀吉―家康 にて天下安定

■ 下卦が巽木、上卦が離火   1)木を以て火を燃やす象
2)火中に風木を入れて煮炊き〔烹飪:ほうじん〕する象
3)卦象は、鼎をかたどる。初爻は鼎の脚、2・3・4爻の3陽は腹(胴)、5爻は耳、上爻は弦
4)離は明知・明徳、巽は謙遜に順〔したが〕う。明知に順って行動する

○ 大象伝 ;「木の上に火あるは鼎なり、君子以て位を正し命を凝〔な〕す。」
(巽木の上に離火があるのが鼎です。君子は、この〔煮炊きする象にのっとるのではなく〕鼎の美しく安定した形体にのっとって、自分の位置するところを正して、天から与えられた命を成就〔凝す=成す〕するのです)
  


《 51 & 52 のペア 》

51. 震 【しん為雷】 は、うごく・おどろく     

八重卦(純卦)

● 洊雷〔せんらい〕、 雷また雷、音・電磁波・インターネット・Eメール・電子レンジ、
「震は、百里を驚かすも、匕鬯〔ひちょう〕を喪わず。」(卦辞) ;沈着と恐懼修省〔きょうくしゅうせい〕が必要

■ 震雷の上に震雷。震は、振であり動。天にあっては雷、地にあっては地雷。坤の地中に一陽が生じ、地を破って奮い動き出そうとする象。人では長子・後継者。
上下6爻 全て不応。

○ 大象伝 ;「洊〔しき〕りに雷あるは震なり。君子以て恐懼修省す。」
(震雷の上に震雷の象。この象のように、君子は、恐れ慎むことを忘れず、常々よく 徳を修め自分自身を修正し、省みるのです。)

52. 艮 【ごん為山】 は、とどまる     

八重卦(純卦)

● 兼山〔けんざん〕、兼山艮、 山また山、カベまたカベ、“表鬼門”( =丑寅〔うしとら〕 

cf. 鬼門は、気門・生門で 陰陽の気の交替の時であり、元気・生気すべての気が生じます)
“風林火山”の山;「動かざること山の如し」(『孫子』)、地震 ・雷の時は泰山・富士山のように どっしりと落ち着くこと。 「至善に止まる」(『大学』)

cf. 野中 兼山(土佐の人,浅蜊と蛤)、 片山 兼山(上野〔こうずけ〕の人)

cf. 児童心理学での 厳しい山=父のカベ的存在、“双子の黄色い山”=母への愛情への欲求(甘え)、乳房

■ 山また山(双子山)の象。人事では、止まって進まぬ進退、一陽が二陰の上に止まってこれ以上進めず止まっている象。隠居・分限に止まるの象。天に近いのが山 ・・・ 目立つ(出世)。少年同居の象にて無心に遊ぶ。

・ 上下 6爻すべて不応

○ 大象伝 ;「兼ねて山あるは艮なり。君子以て思うこと その位を出でず。」
(山また山でお互い交わらず、止まるべき所に止まっている。このように君子は、〔上にあれば上、下にあれば下で〕自分の職分・才能の分限に止まって、逸脱しないようにするのです。)

※ この一文は 『論語』にあります。「曾子曰く、君子は思うこと其の位を出でず。」
(憲問第14) ;(君子は思い慕うことが、己の本分・職分の外に出ない)


《 53 & 54 のペア 》

53. 漸 【風山ぜん】 は、少しずつ進む    

3吉卦・3大上爻、 愛情4(5)卦

● 正婚・正妻、 賓卦「帰妹」、“小を積んで大となす”、継続の吉
「女の帰〔とつ〕ぐに吉なり」(卦辞)
上爻 「鴻〔こう・かり〕逵〔き〕に漸〔すす〕む。」 ;水鳥が雲(高い天空)を飛ぶ
(意の如くなる)。

■ “山に植林する象”・“千里一歩の意”(新井 白蛾)
下卦が艮山、上卦が巽風・巽木にて
1) 山の上の木が、日を追って漸〔ようや〕く成長する象。
2) 〔男性(艮)が求め〕、女性(巽女)が落ち着いて(艮)求婚を待っている象。
3) 艮の家、その外に巽女が出て行く=嫁ぐ象。

・ 漸は、地天泰の3爻の陰と4爻の陽が交代し、それぞれ正位を得たもの

○ 大象伝 ;「山の上に木あるは漸なり。君子以て賢徳に居りて俗を善くす。」
(艮山の上に巽木が、居るべきところにあって高大であるのは、それが少しずつ成長発展していったからです。このように、君子は、その賢明なる徳を内に止め 漸次進歩発展し、善き風俗を形成するように〔民心に親しむように〕努め続けるのです。)

54. 帰妹 【雷沢きまい】 は、結婚(嫁入り)   

愛情4(5)卦、 帰魂8卦

● 自由恋愛・副妻・愛人、 女の生霊(ジェラシー)、 賓卦 「漸」
「帰妹は女の終りなり」(雑卦伝) ;女〔むすめ〕の終りで、人の妻としての始め
「征〔ゆ〕けば凶なり」(卦辞) ;64卦中 最も警戒を要する
4爻 “鶍〔いすか〕の觜〔はし〕の食い違い”、“待てば海路の日和あり”(晩婚)

■ “少女、男を追うの象” (白蛾)。 
下象・沢の陰気が上蒸して、上象・震の陽気が感じて動く象。 
1) 「漸」と反対で女性(兌)のほうから、〔悦楽の気分で〕男性(震)に婚を求めている象。
2) 2爻から5爻まで、位が正しくない。 
3) 柔(陰)が剛(陽)に乗じている ;(3爻の陰が初・2爻の陽の上に、陰の5爻・上爻が4爻の陽の上に乗って 〔女性が男性を凌いで〕いる。

○ 大象伝 ;「沢上に雷あるは帰妹なり。君子以て終わりを永くし敝〔やぶ〕るるを知る。」
(兌女、悦楽気分で上方の男性を追って失敗する。そこで、君子は、遠くを慮〔おもんばか〕り、物事〔結婚〕が末永く続くように、トラブルが生じることをよく察知して、始めによく深意・慎むように戒めるのです。)

※ 耳に痛い内容です。自由恋愛にせよ見合い結婚にせよ、この大象を よく玩味せねばならない現代の世相でしょう。(高根) 


《 55 & 56 のペア 》

55. 豊 【雷火ほう】 は、

● 豊大に富む、人生のまっさかり
※ 「豐」の字義 : 豆の字は 神前に供物を捧げる器具、上部は 山に木がたくさん茂っている象で、山のようにお供えを盛っている形です

■ 卦象は下卦離火・上卦震雷。
1)雷がとどろき、稲妻が光る象。 (音と光で豊大の極)
2)十分に出来た女性(離の中女)が立派に出来上がった男性(震の長男)に寄り添った象。
3)卦徳では、離は文(明徳・明知)、震は武(活動・行動)にて“文武両道”・盛大。

○ 大象伝 ;「雷電みな至るは豊なり。君子以て獄を折〔さだ〕め、刑を致す。」
(雷鳴と電光が共に至るのが豊の卦象です。このように、君子は、まず下卦の明徳・明知をもって〔訴訟の〕正邪曲直を正し裁定し、上卦震の行動をもって罪有る者には刑罰を執行するのです。)
 
56. 旅 【火山りょ】 は、旅立ち

● 修行の旅、行かねばならぬ旅、孤独な旅人  ※「旅」=進む道の意
芸術・学術・医術など精神的のことは吉

cf. 杜甫、松尾芭蕉〔ばしょう〕・『奥の細道』、 留学 ・・・・ 空海ら(遣唐使節)
坂本竜馬 :“人の言うにまかせよ、我行く道は我のみぞ知る”

■ 下卦 艮山で上卦 離火。   1)山上の火が燃え移って一ヶ所に止まらぬ象。
2)山をめぐって太陽が移り進む象。
3)豊が幽居の象であるのに対して、旅は郷里を離れた外遊の象。
4)下卦艮から上卦離に向かうから、朝から日のある中〔うち〕に旅行する象。
5)止まって(艮)明に麗く(離)から、日暮れになれば、灯火・明らかな館に宿泊する象。 だから、「小しく亨〔とお〕り、貞なれば吉。」(卦辞)

○ 大象伝 ;「山上に日あるは旅なり。君子以て明らかに慎んで刑を用いて獄を留めず。」
(艮山の上に離火があり、燃え移り久しくは留まらないのが旅の卦象です。また、離の明知・明察と艮の断行を意味しています。これにのっとって、君子は、刑罰には明察をもって 慎重の上にも慎重を期し、裁くべきは裁き 訴訟を留めておくようなことはせず、断行するのです。)

cf. (2009現在) 死刑判決確定後の再審請求により(DNA鑑定などで)、無罪(冤罪)となる場合が問題となっています。また、長い期間の審議・裁判も問題です。(高根)


《 57 & 58 のペア 》

57. 巽 【そん為風】 は、したがう。 伏入。    

八重卦(純卦)、 重巽、 随風巽

● 風のように従い従う、風のたより(郵便)、「大人を見るに利〔よ〕ろし。」(卦辞)

cf. フィトアロマテラピー〔植物芳香療法〕の卦 (風―香りー鼻の象) (by.高根)
イソップ 寓話 ・・・ “樫〔かし〕とアシ”・“北風と太陽”

■ 巽は 風・伏入・命令・謙遜に順うの意。どこへでも柔順に入り込んでいく象。
互卦は「火沢睽〔けい〕」であるから、内心背き離れるの意をふくむ。

・ 巽〔したが〕うの2つに意味 : (1)下の者が上の者に巽う  (2)上の者が下の者に巽う (ex. 現代の民主政・選挙 ・・・世論に巽う? 教師が生徒・保護者の要望に巽う教育?それが良いことでしょうか?

・ 初爻・4爻の陰が主爻で、2爻・5爻(中正)の大なる陽に巽順している。

○ 大象伝 ;「随〔したが〕へる風は巽なり。君子以て命を申〔かさ〕ね事を行う。」
(巽為風は、風のあとにまた風が随〔したが〕って吹いている象です。この象にのっとって、君子は、命令が行き渡るようにくり返し丁寧に説き示し〔説明責任を果たし〕、手落ちなくして後実施するのです。〔そうしてこそ、民は皆風のように従い従うのです。〕)
 
58. 兌 【だ為沢】 は、よろこぶ。     

八重卦(純卦)、 麗兌、 麗沢兌

● 悦び・また悦び、“笑う少女”の象、神職・医業(得に歯科)は吉、講習・セミナー、飲食・社交性、女難・色難・Sex

cf. 男の兌・笑う ・・・ 男性苦笑い(仕方がない)、男は苦しい時 笑わねばならない (高根)
「男というものはつらいもの、顔で笑って腹で泣く」 (フーテンの寅さん)

■ 兌は沢。沢は、草木の茂る湿地、止水のあるところ。すべての生物は沢をより所として成長し、悦び、楽しむ。潤沢。季節は秋・実りの秋。
“少女笑う象”(白蛾)、口を開いて笑う・語る象、乙女相随って笑い語る象。

○ 大象伝 ;「麗沢〔りたく :麗は附くの意〕は兌なり。君子以て朋友講習す。」
(沢が2つ並んでいるのが兌の卦です。お互い和悦の心を持って、潤し益し合うのです。このように、君子は、朋友とお互い講習し〔勉学にいそしみ〕潤沢し合って向上し合うように心がけねばなりません。)

cf. 慶応義塾大学 :お互いが教えあった伝統から、今でも「君」づけで教師を呼んでいます(「先生」といえば 福沢諭吉です)


《 59 & 60 のペア 》

59. 渙 【風水かん】 は、散る、離れる

● 散る、離れる。水上の風、吉凶共に散らす、善悪の二面あり
「王有廟にいたる」(卦辞);(民心が渙散せぬよう、万民の艱難が渙散するよう祈る)

・ 兌沢で朋友講習し、各々四方に渙散し大業を成す。やがて結集・結実する。

cf. 幕末〜維新の三大学塾 : 山口・萩の“松下村塾〔しょうかそんじゅく〕”(吉田松陰)、大阪の“適塾”(緒方洪庵)、大分の咸宜園〔かんぎえん〕(広瀬淡窓)。その俊英たちが四方に散って、〔明治維新の〕大業を成しました。

■ 下卦坎水の上に、上卦巽風があり   1)風、水上に在って水を吹き散らす象。
2)風=木 = 舟、帆を張って水上を行くの象。
3)下卦坎の寒気が、上卦巽の春風によって渙散、冬のなごりを春風で吹き散らす(春一番)象。
4)人事では、坎の艱難が、巽の新風によって渙散し、新たなスタートの象。

・ 渙は、「天地否」(天地閉塞)の4爻の陽が2爻に来て、坎水となり、2爻が4爻に位を得て巽風となったと考えられます。天の気 下って雨となり、地の気 昇って風となり、天地の閉塞が渙散するのです。

○ 大象伝 ;「風の水上を行くは渙なり。先王以て帝を享〔まつ〕り廟を立つ。」
(下卦坎の水上を、上卦巽風が吹いて水が飛散するのが渙の象です古の天子は、この象を観て、〔渙散することがないように〕上帝を祭り、廟を建てて祖霊をお祭りして、人心を萃〔あつ〕めるように努められたのです。)

60. 節 【水沢せつ】 は、竹のふし (節は“たけかんむり”)

節目〔ふしめ〕、節度・節制・節操、志節・志操、ダム・・・「止まるなり」(雑卦伝) 
※ 物事ホド〔程〕良く節すれば亨〔とお〕る

cf.“節から芽が出る” ( 教派神道ex.竹のふし、ハスの地下茎など)、 音楽の楽節、
「雁書」・・・ 蘇武〔そぶ〕の“節”

■ 下卦が兌で、上卦が坎水。坎は水で通ずる。兌は止水で止める。竹は、中は空で通じているが止まるところがある。

沢上に水をたたえた象。(※ ―― 水 涸れれば「困」となり、溢れれば「大過」となる。水を調節するダムの作用が「節」 )

・ 5爻は陽剛・中正な天子、2爻は剛健な賢臣が中爻にあって陰柔に流れることを防ぎ、天子と同徳相通じて中庸の節を実現している

○ 大象伝 ;「沢上に水あるは節なり。君子以て数度を制し、徳行を議す。」
(下卦兌沢に程よく上卦坎の水が蓄えられ、ダムのように調整されて安泰な象が節です。このように、君子〔人君・リーダー〕は、もろもろの事柄に制度や規則を定め、人倫の節を説き示し、人〔人臣〕の才知力量・徳や行いを協議〔し任用〕するのです。)

※ 数度 = 礼制・礼数法度〔れいすうはっと〕 :数は多寡、度は法制

cf. 「有子曰く、礼は之れ和を用って貴しとなす。先王の道、これを美となす。小大之に由る。行はれざる所あり、和を知って和すとも、礼を以て之を節せざれば、亦行はるべからざるなり。」 (『論語』 学而第1)


《 61 & 62 のペア 》

61. 中孚 【風沢ちゅうふ】 は、まこと・信にあたる。   

遊魂八卦、 大卦(大離)

● 愛情、“キス・オブ・ファイアー”、からっぽ〔空虚〕、「豚魚にして吉なり」(卦辞)
※ 「」の字義は、爪の下に子がある形、親鳥が爪で卵を抱いている象形。
※ 「豚魚」 ・・・ (1)豚や魚にまで及ぶ。   (2)豚・魚は貧しい人のお供え。
(3)江豚、すなわち黄河イルカ (兌の水中にあって風に口を向けるいるか)。

■ 下卦に兌沢、上卦に巽風。風と水という自然の相応は、人の虚心な信〔まこと〕
1) 沢の口と風の口と相接する(巽=倒兌/大離)、口移しの象、“火の接吻”の象
※互卦は「山雷頤〔さんらいい〕」で、親鳥がくちばしで雛鳥の口にエサを与える象。
2) 親鳥が爪で卵を抱いている象。「孚は卵なり」(4個のタマゴ・・・3・4爻の陰?)
3) 卵の象。3・4爻の陰は 土で黄色から黄味、2・5爻は白味、初・上爻はカラ、陽は円く固く 色は白だから。
4) 舟(風木)沢上を行く象。

○ 大象伝 ;「沢上に風あるは中孚なり。君子以て獄を議し、死を緩〔ゆる〕す。」
(巽風は兌沢上を無心に吹き渡り、沢水はその風に無心に随って波立ちます。この象にのっとって、君子は、孚の心によって刑罰の理非曲直を十分に審議し、あえて厳罰〔死罪〕を科すことなく、寛大に更生の道を開いてやるのです。)

62. 小過 【雷山しょうか】 は、少しく〔陰に〕過ぎる   

遊魂八卦、 大卦(大坎)

● “飛鳥 山を過ぎるの象”(白蛾)、“安分知足”(分に安んじ足るを知る)の意、
「小事には可なり、大事には可ならず。飛鳥これが音を遺〔のこ〕す。」(卦辞)
(上るには宜しからず、下るには宜し、安分知足、謙虚・控え目であれ)

■ “飛鳥 山を過ぎるの象”(白蛾) 倒艮、艮
下卦艮山の上に震雷が鳴っている形  1)山は大、雷は小にて小過。
2) 4陰 2陽、陽は大で陰は小にて 陰が過ぎている(小過)の象。人では陰の気過ぎ、国家社会では小人が大人より過ぎている。
3)飛鳥の象。・・・ 3・4爻の陽爻が胴体、上下の 4陰が広げた翼。

○ 大象伝 ;「山上に雷あるは小過なり。君子以て行ないは恭に過ぎ、喪は哀に過ぎ、用は倹に過ぐ。」
(艮の山の上に雷が鳴り渡っていますが、その音の程度は 小〔すこ〕し過ぎているだけです。この象にのっとって、君子は、日常の行いはむしろ恭敬に過ぎるほどに慎み、喪では哀しみ過ぎるほどに悼み、日用の出費は倹約に過ぎるほどに節します。〔恭・哀・倹に過ぎることは、小過の卦義によく適っているのです。〕)

cf. 寸暇を惜しんで、過ぎるほどに学びたいものです! (高根)


《 63 & 64 のペアー 》

63. 既済 【水火きさい/きせい】 は、すでに成る、ととのう

● 「既〔おわ〕り 済〔す〕む」、“有終の道(美)”、成就・完成、ジ・エンド 〔THE  END〕、 不良、 「初めは吉にして、終わりは乱る」(卦辞)
“月満つれば欠ける”・・・変化に備えること、 先天卦「地天泰」・・・泰平の世も永くは続かない
・ 初爻辞 「その輪を曳〔ひ〕き、その尾を濡らす。咎なし。」 ―― 64未済辞解説参照のこと

■ 上卦 坎水、下卦 離火
1) 6爻全てが正しい位にある。下卦の中爻には陰爻、上卦の中爻には陽爻が位置している。 正位・中正・正応・正比。 64卦中唯一の完全なる卦象
※互卦をみると「未済」を含む
2)火は下(卦)より炎上し、水は上(卦)より潤下する。水火相交わり、各々その用を済〔な〕す。  ex. 火と水で湯が沸き、料理が出来る
3)火に水を注いで、火の消える象。 夫婦不和の象

○ 大象伝 ;「水の火上に在るは既済なり。君子以て患を思いて豫〔あらか〕じめこれを防ぐ。」
(水の性は潤下し、火の性は炎上し、相交わり相資って用を済す卦象です。しかし同時に、バランスを崩すと水・火相剋し滅ぼしてしまいます。この象にのっとって、君子は、その後の憂患すべきこと困難を慮って、あらかじめそれを防ぐ手立てを講ずるのです。)
※ 「患を思う」は坎難の象、「豫め防ぐ」は離明の象

64. 未済 【火水みさい/びせい】 は、未完成      

64卦 最終卦

● 最終の卦=人生に完成はない、 無終の道=循環・無始無終、 
  ―― 「物に本末あり、事に終始あり。」 (『大学』 始終ではない)
  英語の「卒業」“Commencement ; コメンスメント”は、始まりの意
先天卦 「天地否」 ・・・「泰」・「否」の相対
“花落ちて実結ぶの意”(白蛾) :後に楽しみあり ―― 中論 /
  ヘーゲル弁証法の「合」〔ジンテーゼ〕/アウフヘーベン〔止揚・楊棄・中す〕
「小狐ほとんど済〔わた〕らんとして、その尾を濡らす。」(卦辞)

※ 未済初爻にも「その尾をぬらす」とある、    小狐=子狐、 狐は坎の象
  「済」の字義:(1)わたル、わたス ・・・(川を)渡る、渡す
  (2)なス、なル ・・・なしとげる、できあがる
  (3)すくウ ・・・救う、助ける

cf.チャーハン、準備万端ととのったり ーーあとは炒めるだけ
エジソン、“99%の努力と 1%のインスピレーシヨン” ーー大事なのは、1%のほう!

■ 上卦 離火、下卦 坎水
1) 6爻全てが、陰陽逆で正位を得ていない。下卦の中爻の陰位には陽爻が、上卦の中爻の陽位には陰爻が位置している。しかし、全て正応・正比。
※ 互卦は「既済」、未済の中に完成の意を包む
2)上卦の火は上にあって炎上し、下卦の水は下にあって潤下する。水火交わらず用を成さない象。
3)光明(離)を望んで険(坎)を済〔わた〕る象。
4)女性上位の象。 ( ※「地天泰」も女性上位)

○ 大象伝 ;「火の水上に在るは未済なり。君子以て慎みて物を辨〔べん〕じて方〔ほう〕に居〔お〕く。」
(火の性は炎上し 水の性は潤下するので、両者は相交わることなく、功用を発揮することが出来ず物を済わせない象です。しかし反面で、火・水は、相異なるものとして居るべき所に存在している象でもあります。この視点にのっとって、君子は、慎重の上にも慎重にもろもろの事物を弁別して、それぞれをその居るべき場所・位地・方位に置くのです。)


§. “〔 Dragon ; ドラゴン〕” から “小狐〔 Little Fox 〕” ・・・・・

◎ 『易経』も『論語』も ーー 無始無終円通自在
 
「未済はまた新たな咸を体することであり、乾を始めることでもある。かくして、ずっと限りなく循環していく。無始無終であり、無限の循環は尽きることがない。我々はここに六十四卦の偉大な循環連鎖をみることができるのであって、これがいわゆる『大易』というものです。」
                             ( 安岡 正篤 『易と健康(上) 易とはなにか』 )

                                              (以 上)


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謹賀己丑年 [ 謹んで己丑年を賀します ]

明けて平成21年(2009)。
「今年のエトはウシで・・・」 と例によって、俗説軽々とメディアが報じています。
エトとは 「干支 [かんし] 」 のこと、つまり 十干 [じっかん] (天干) と 十二支(地支) のことです。

従って 今年の干支は、 「己丑 [つちのとうし、き(こ)ちゅう] 」 です。 また 十二支の 「丑」 は、動物の 「牛」 とは専門的には直接関係はありません。
更に、干支は旧暦(太陰太陽暦)ですから、年始は2月4日(立春) からで、2月3日(節分)までは、まだ 「戊子 [つちのえね、ぼし] 」 年です。
----- これらのことは、さておくとして。

まず、今年の干支 「己丑」 には、どんな深意があり、どのように方向づけると良いのでしょうか。

「己 [き・こ] 」 の文字は、糸の乱れを正して治めるという意味があります。
また、己 [おのれ] を正しくして筋道を通すこと、「起」 に通じることから 奮い起つことでもあります。

一方、「丑 [ちゅう] 」 は、赤ん坊が手を伸ばす・手で取るというところから、始める・つかむ という意味があります。
また結ぶ、統率する意味があるとされています。

この2つが合して、己丑となると、筋道(紀律・道義)を正して、物事の乱れを治めていく年といえましょう。
(以上、安岡正篤干支学による。 『干支新話』、 関西師友協会刊)

さて、この干支を易の64卦になおして(翻訳して)みましょう。

己丑は、「坤為地 [こんいち] 」 です。
己も丑も陰、坤為地は純陰(老陰) ・ 陰の極致の卦です。
陰というのは、(分化発展してゆく力の陽に対して)、統一し含蓄する力、分かれたものを統一し それを根元に含蓄しようとする働きです。

『易経』 に 「君子は徳を厚くし、物を載 [の] す」 (坤・大象)とあり、“母なる大地”、“柔順の貞” の意味です。

「積善の家には必ず余慶(=慶福)あり、積不善の家には必ず余殃 [よおう] (=災禍)あり」 (坤・文言伝) ともあります。

 真儒協会は、平成19年 「丁亥 [ひのと・い] 」 = 「火水未済 [かすいみさい] 」(未完成、準備万端ととのったり)に機をみて発足しました。
平成20年 「戊子 [つちのえ・ね] 」 = 「山水蒙 [さんすいもう] 」(啓蒙、くらきをひらく)を経て、「坤為地」 の本年を迎えた訳です。

年頭、感慨深いものがあります。

 次に、九性(星)気学では、本年は 「九紫 [きゅうし] 火性」 です。
易の八卦 [はっか] でいうと 「離」 であり 「火」 です。

政界は不安定・不活発、経済も不況・格差の拡大で社会は複雑な様相を呈する傾向が考えられます。
芸術・美的なものと 科学・技術的なものの相待も考えられます。

 「離」 は “はな [離] れ” ・ “つ [麗] く” の同時的意味があります。
例えば、離職・離別があるから 次の就職・出合いがあるのです。
『易経』 に、「重明以て正に麗 [つ] けば、すなわち天下を化成す。」 (離為火・彖 [たん] 伝) とあります。

真なるもの、正しきものに麗いて、学術・文化の光で照らせば、世の中を大いに化し成すことができます。

 「紫」 については、『論語』 に 「紫の朱を奪うを悪 [にく] む。」 (陽貨) とあります。
朱(赤)は正色(五色思想)であるのに紫の流行に地位を奪われてしまったとの意です。

一昨年の世相を示す文字は 「偽」 でした。
邪はいつも正に勝ちやすく、世の中は不正にして勝つ者が多いものです。
そうあらぬように、いましめなければなりません。

ちなみに我国では、紫はインペリアルカラー [高貴な色] です。
紫から赤味が失われれば、紫ではなくなってしまいます。
“赤味 = 真正なるもの” を大切にしなければなりません。

 ところで、昨年 平成20年の世相をあらわす文字は 「変」 でした。
政治・経済・社会ともマイナス変化の年でした。
アメリカでは、大統領選挙でオバマ氏が 「変革」 [Change] をとなえて登場し、本年1月早々大統領に就任いたしました。

確かに、自然と人間の世界は大いなる変化 すなわち 「変易」 ・ 「無常」 です。

しかし、現在は “未来に向かって足早に、後ずさりしている” ような変容混迷ぶりです。
 “変わらぬもの” ・ “不易なるもの” の価値を見直さなければなりません。

 正月は 「一 [いつ] 」 に止まる月、と書きます。
「一」 なるもの、人間界における 「不易」 は、「徳」 でしょう。
孔子の 「一貫 [いつもってつらぬく] の道」、 孟子の「揆一 [きいつ] 」 です。

それは、忠恕(まごころと思いやり)の道、正しい筋道のことです。

 真儒協会は、この 「一」 なるもの、「不易」 なるもので蒙 [くら] きを啓 [ひら] く活動を、
本年 「己丑・九紫火性」 (坤為地・離為火)の真義をふまえて充実させてゆきたいと思います。

 新年、ようやくホームページを立ち上げることができました。
遅々としておりましたのは、ひとえに私の筆が進まなかったからです。
本年は、陰の統合・含蓄に順 [したが] って、儒学についての研究・論稿・講習内容等を整理・編集して、まとめてゆきたいと思っております。

ブログ 「儒学に学ぶ」 では、定例講習・各種セミナーのレジュメ [要約] を掲載してまいります。
また、この個人ブログを 「儒灯」 と名付けて、四書五経を中心に 「儒学からの言霊 [ことだま] 」、 「儒学随想」 等、多面的に発表してまいりたいと思っております。

これは、ひとえに私個人の精進如何 [しょうじんいかん] にかかっている訳です。
自らを励まして、モチベーション [やる気] を高めて、----- 格調高く いえば 「浩然 [こうぜん] の気」 (孟子) を養って、活学執筆してまいりたいと思います。


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儒学からの言霊

「犬に論語」のことわざは、「猫に小判」などと同様に否定的意味で使われています。
愚息いわく、人の生活に身近な犬は、有難い『論語』を聞いているとその『言霊(ことだま)』によって、あるいはその飼主の影響を受けて立派になる。
『犬にも論語』であると。

言葉や文字には、神秘霊妙なる魂があります。
聖書にも「太初(はじめ)に言(ことば)あり、言は神と共にあり」とあります。
我国は「言霊の幸う(さきはふ)国」といわれ、この言葉の持つ影響力が作用し続けた国なのです。

『論語』や『易経』は、古(いにしえ)の聖人が語ったり作ったりしたもので言霊の偉大なる集積・体系です。
『論語』は古くは『円珠経』と称され上下四方、円通極まりなきもの。
『易経』は、生々、無限の創造進化、窮することなきもの。
これらの文言・箴言(しんげん)は、広く処世、人生の哲学として日本人の本(もと)を作ってまいりました。

『論語』から取られた、博文・有朋・敏行などの人名、
『易経』から取られた、大化に始まる明治・大正といった元号や
神道・大和・元気などの語は良く知られています。

さて、従来デザイン・政治・法律・易学と広い分野を研究対象といたしておりましたが、
私も知非・知命の齢となって、儒学をその研究と教学の中心にすえました。

その契機は、安岡正篤先生の著書との出合いであり、論語普及会、師友協会の皆様からの感化も大なるものがありました。

儒学の古典を、現在(いま)学ぶ意義はどこにあるのでしょうか。
歴史哲学者 E・H・カーは、「歴史とは、過去と現在との対話である」と述べ、
孔子も「故(ふる)きを温めて新しきを知れば、以って師と為るべし」(為政)と言っております。
過去を現在に生かし、更に未来への栄養とするのです。
例するに、冷めたシチューやカレーを“ねかせて”から温め、更に一味工夫するが如きものです。

西洋史では、中世『暗黒時代』に対するルネサンス(復活)であり、易では『地雷復』卦の示すところのものです。
異文化の浅薄な模倣が蔓延する時代、東洋・日本精神のルネサンスが必要です。

ところで、我国の優れた人間教育のひな形が江戸期の寺子屋や藩校の中にあります。
『読み・書き・ソロバン』と要称されているものです。

まず第一に何を読んでいたのでしょうか。
『孝教』・『論語』・『大学』・『易経』といった儒学の経書が中心と思われます。

第二にどのように読んでいたのでしょう。
漢文の素読・音読でしょう。初等教育で、声に出し、リズムで学び、また暗唱することで学の基本をたたき込んだのです。
『言霊』は、音の持つ力と共にあります。
天才モーツァルトの『音』が胎児・幼児、更に動物・野菜にいたるまで効果があることは、新しく知られているところです。
戦後、音読が捨て去られました。
現今(いま)、脳学者は、高齢者や児童にとって計算演習と国語の音読が脳を活性化し有効であることを明らかにしています。

第三に『書き』とは何でしょう。
文字・書の持つ力『書(字)霊』とでもいった気韻の世界が考えられます。
言葉は文字・書によって一層力を発揮し、自分の美=徳を表現できます。

ワープロや携帯のメール全盛で、『書霊』は絶滅しつつあります。
小中学教育現場で、運動会、入・卒業式などの立看板が、ワープロ文字を拡大コピーして作られているのは寂しいものがあります。
論語普及会や師友協会の諸先生方が、毛筆手書きで教材を整えておられるのは、けだし王道と感じ入っております。

今、想いを新たにしている『論語』の一節を引用して結びといたします。

「子日く、黙してこれを識(しる)し、学びて厭(いと)わず、人を誨(おし)えて倦(う)まず。何か我に有らんや。」(述而)

真儒協会 代表 高根 秀人年


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