儒灯

【温故知新】儒学の普及に力を注いでおります真儒協会 会長、高根秀人年の個人ブログです。 『論語』、『易経』を中心に、経書の言葉を活学して紹介して参ります。 私個人の自由随筆、研究発表などのほか、真儒協会が毎月行っております定例講習についても掲載しております。

2009年05月

第二十回 定例講習 (2009年5月24日)

第二十回 定例講習 (2009年5月)














孝経    ( 五刑章 第11 )

  “ 子曰く、五刑の属三千、而〔しこう〕して罪 不孝より大なるは莫〔な〕。君を要〔よう〕する者は、上〔かみ〕を無〔な(なみ)〕みす。聖人を非〔そし〕る者は、法を無みす。孝を非る者は、親を無みす。これ大乱の道なり。”
 
《大意》 孔先生がおっしゃいました。「むかしから刑罰には、五刑といって5種類あって、その罪悪を細かく分けると数限りない〔三千〕ほどある。それらの数多〔あまた〕の中でも、親不孝以上の大罪はないのだよ。 主君に、不敬にも強要〔むりじい〕し、おびやかし自分に従わせようとする者は、長上を長上とも思わず、ないがし〔蔑〕ろにする非道の者だね。 聖人を非難する者は、聖人によって作り上げられた規範〔きはん=礼法〕を無視するわがまま者だね。 (もっとひどいのは、人倫の大本である)孝道を非難するような者は、親を親とも思わない人でなしの者だね。 このような(三悪の)人は、社会を大乱に導く原因となるのだよ。」

● 前10章の 「下と為りて而て乱すれば則ち刑せらる。」・「猶〔な〕お不孝たるなり。」を受けて、不孝と刑罰について説明しています。

・ 「五刑」 =墨(黥・げい)〔ぼく:いれずみ〕、劓〔ぎ:はなきり〕、剕〔ひ:足筋たち〕、宮〔きゅう:男女生殖器を使えなくする〕、大辟〔たいへき:死刑〕 ・・・古代の刑罰は身体を傷つける肉刑に特徴があります。

cf.  司馬 遷〔せん〕は、友人の李陵〔りりょう〕を弁護して(7代皇帝)武帝の怒りにふれ、「宮刑」により去勢されます。しかし彼は、その屈辱を乗り越えて、父のあとを継いで14年を費やし『史記』・全130巻、52万6千5百字余、を完成させました。(BC.96) 中国「24正史」の第一です。

なお、中国史上に登場する「宦官〔かんがん〕」は、刑罰によってではなく、自ら(幼年期に親が)宮廷(後宮)に仕えさせ出世させるために去勢するものです。

・ 「於」=ヨリ、比較を表す助字         ・ 「三千」=非常に多いの意

○ 「天地の性、人を貴しと為す。人の行〔おこない〕は、孝より大なるは莫し。」(聖治章 第9)

カラスでさえ ※“反哺〔はんぽ〕の”ありといいます。世に孝より尊い美徳はなく、不孝より重い罪悪・背徳はありません。(※ 「慈烏反哺以報親」 梁の武帝・孝思賦、哺は口中にある食物)

 “孝治主義”・・・孝道を教学の指針とし、孝をもって国を治める

論語   ( 孔子の弟子たち )

「 孔子は、詩・書・礼・楽を以て教う。 弟子は蓋〔けだ〕し ( 三千 )。身、六芸に通ずる者 ( 七十二人 )。 」  (『史記』・孔子世家)

「 徳行には 顔淵 ・ 閔子騫 ・ 冉伯牛 ・ 仲弓、 言語には 宰我 ・ 子貢、 政事には 冉有 ・ 季路、 文学には 子游 ・ 子夏。 」  (先進第 11 −3)
〔 がんえん ・ びんしけん ・ ぜんはくぎゅう ・ ちゅうきゅう、 さいが ・ しこう、 ぜんゆう ・ きろ、 しゆう ・ しか 〕

・ “四科十哲”(孔門の十哲、十大弟子)
孔子が昔、艱難をともにした門人を追憶し、それを聞いた弟子が4つのジャンルに分けて記したものです。

後世、「徳行(徳の高さと立派な実践)」 ・ 「言語(思想・言論)」 ・ 「政事(政治的手腕)」 ・ 「文学(学問・教養)」を孔門の四科といい、このメンバーを孔門の十哲といいます。

しかしこれは、当時 “陳蔡” に従ったものだけのことで、弟子の ベスト10 というわけではありません。例えば、孔子の後継となる 曾子は入っていません。(年が若かった、孔子と46歳差)

※ 『マンガ 孔子の思想』 (講談社 +アルファー文庫)のマンガキャラクターは、非常によく人物のイメージが捉えられていると感心しています。お薦めの本です。

・孔子(儒家) の後継
    A 忠恕〔ちゅうじょ〕派 (仁の重視)
       曾子 ―― ※ 子思 ―― 孟子      ※孔子の孫、『中庸』を著す
    B 礼学派 (礼の重視)
       子游・子夏 ―― 荀子 ・・・・ 法家 (李斯〔りし〕・韓非子)

    
cf. 尊称;  ・孔子 − 至聖    ・孟子 − 亜聖   ・顔子 − 復聖         
         ・曾子 − 宗聖     ・子思(子) − 述聖 
          ※ 「子」は男子の尊称

 

本学   ( 『中庸』 2 )

§ 易卦にみる中庸(中論)の例   ( by. 『易経』事始 Vol.2 )

● 卦象 ・・・ 中正(中徳)―― 2爻・5爻 を(まん中の意)、陽爻にとって陽の位・陰爻にとっての陰の位 を正位 (初爻から陽・陰・陽・陰・陽・陰、「水火既斉」)、中で正位つまり 2爻が陰・5爻が陽の場合

● 卦意 ・・・ 以下 例

【沢雷随 17】 
「随」は、つきしたがう(時・事・人)ということです。したがうことの真義は、天地自然の法則にしたがうことです。それは時々刻々の、時の変化・推移(=変易・無常)に適切にしたがうことです。動くことが、臨機応変、時のよろしきに適〔かな〕うことが中庸を得ることです。 これが、易(儒学思想)の真面目です。

【離為火 30】
「離」は、はな〔離〕れ、つ〔麗・附〕くということです。万事に中庸を得て、慎重に正しくついてこそ、物事は「化成」(生じ変化し成る)するのです。

【水沢節 60】
「節」は、竹のふし。すべてにほど(程・バランス)・ほどあいを保って、のり・きまり(=数度・規範)を守ることです。〔節度・節操〕。そして、行いが、時のよろしき(ころあい)に適うように適度の区切り・締めくくりがあることが大切です。〔節目〕
この「節」を守ることは、天地自然の法則に適うことであり、易(儒学思想)が最
も尊重している時中(時に中〔あた〕る)こと、即ち中庸に合致することです。竹のふしから芽がでるように、中庸から新たなものが生み出されるのです。
                                                                                                                                                                    
【風沢中孚 61】
「中孚」は、まこと・信にあたるということです。まこととは、限りない創造力。中〔あた〕るとは、道理に適う、一致することです。つまり、こころ根が偏らず中庸に適うことです。これが、易(儒学思想)の極致である中正の道のことです。


§ 考察 : 中庸の美と日本の美 

・ “日本的美”(国風文化=平安時代) ・・・・
派手さを半分に押さえた上品さこそ、さりげなく優美  ― 極端な個性美と対照
例 ― 古語「なまめかし」〔生めかし〕、「なまめく」は優雅だ・優美だとし、容姿
ばかりでなく人柄の上品さなども表す、男女共通の最高の誉め言葉
 *「なまめかしき尼」は“色っぽい”の意でははない!

・ “裏まさりの美学 ”
・ “侘〔ワ〕び・寂〔サ〕び ”
・ “ Contrast and Gradation ”〔対比と漸増〕
・ “美” の原理 ―― 変化〔バラエティー〕の要素 と 統一〔ユニティー〕の要素
                                                   etc.

易経    ( by. 『易経』事始 Vol.2 )

§ 易の思想的基盤・背景 (東洋源流思想)  【 ―(1) 】

A 大〔太〕極(たいきょく、=「皇極」)                       
――易の根本・創造的概念、宇宙の根源、万物の起源、神〈自然〉の摂理〔せつり〕

・ 陰陽以前の統体  ――  1)「無」(晋の韓康伯)、2)「陰陽変化の理」(朱子)、3)「陰陽分かれぬ混合体」(清の王夫之) 
参考 : 『荘子』北極星の意

ビッグバン(=特異点)、ヒモ宇宙、ブラックホール、道、無、分子―原子―陽子
ウルマテリー〔原物質・原子極〕(原子物理学、独・ハイゼンベルグ等)、
神ありき 「天(之)御中主神・〔あめのみなかぬしのかみ〕」(神道・〔しんとう〕)、  
易神 ・・・・ 造物主

大極マーク、韓国国旗

※ 参考――万物の根源          《 タマゴが先かニワトリが先か? 》

・ 科学――ビッグバン(宇宙物理学)、ウルマテリー(原子物理学)・・・極微の世界(ミクロコスミック)において大極が発見されようとしている。天文学的研究(マクロコスミック)においては未だ大極に至ってはいない。          
・ 宗教――神話、聖典 ・・・ etc.
・ 儒学=易 ・・・「太極」 / 道教(老荘) ・・・「無」 / 仏教 ・・・「空(くう)」

○ 「無極にして大極」 (近思録) ・・・ 朱子は 大極 = 有 と考える
○ 「是の故に易に太極あり。是れ両儀を生ず。両儀四象を生じ、四象八卦を生ず。八卦吉凶を定め、吉凶大業(たいぎょう)を生ず。」 (繋辞上傳)
○ 「太初(たいしょ)に言(ことば)あり、言は神と共にあり」 (旧約聖書)
○ 「天地(あめつち)初めて発(ひら)けし時、高天原(たかまのはら)に成れる神の名は、天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)、次に高御産巣日神(たかみむすひのかみ)、次に、神産巣日神(かむむすひのかみ)。」 (古事記・冒頭)
○ 「道は一を生じ、一は二を生ず。」 (老子) ・・・ 道は無と考える

■ 易(の中に潜む)神 “シン”
 =天地の神、人格神的なものではなく神秘的な作用の意  
  ※参考―汎神論(はんしんろん)

○ 「陰陽測(はか)られざるをこれ神(しん)と謂う。」「故に神は方(ほう)なくして易は体(てい)なし。」(繋辞上伝)
○ 「※鬼神を敬して之を遠ざく。」(論語・雍也)  ※鬼神=死者の霊魂や人間離れした力
        
                                            (以 上)

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人の一生は重き荷を負うて・・・

「人の一生は重き荷を負うて・・・」

――― 『論語』、江戸儒学の系譜、「大有」・「同人」卦


「人の一生は重き荷を負うて遠き道を行くがごとし。急ぐべからず。」を引用して、
披露宴で気のきいた祝辞をのべた議員を知っています。

これは、徳川家康のものと伝えられている 『東照君遺訓』 の文言です。
広く知られてはいるものの案外この続きをご存知ない人が多いようです。

――― 「不自由を常とおもえば不足なし。
心に望みおこらば困窮したる時を思い出すべし。
堪忍は無事長久の基。怒りを敵と思え。
・・・・・ 及ばざるは過ぎたるに勝れり。」 と続きます。

(私はこの続きの文言に、より身近な感銘を得ています。)

この文言は 『論語』(泰伯篇)の次の一章にもとずいていると思われます。

「曽子日[いわ]く、士は以[も]って弘毅[こうき]ならざるべからず。任重くして道遠し。
仁以って己の任となす。亦[また]重からずや。死して後已[や]む。亦遠からずや。」

「弘毅」 とは、度量広く意志が強いこと。

任が重いのは 「仁」 を実現させねばならないからで、
道が遠いのは死ぬまでその遂行が求められているからです。

「志士仁人[ししじんじん]」 といわれ、人の任務の重大さを力説する文章です。

また最後の句は、「過猶不及(過ぎたるは、なお及ばざるがごとし)」(先進篇)の変形と思われます。

ところで家康は、江戸幕府を支える思想・学問として儒学(朱子学)を採用します。
思想・哲学としての易学が儒学者を中心とする先哲によって形成されたことを考えますと、
この江戸儒学の系譜を一瞥[いちべつ]しておくのも意義あることかと思います。

※(注) “儒学文化圏”の形成、日本儒学の形成については、
HP.「儒学の歴史」――――― 儒学年表 ・ 日本伝来とその後、を参照して下さい。


儒学は、中国春秋時代の末期、孔子[こうし]により創始されました。
仁と礼による社会秩序、徳治主義を唱えました。
孟子[もうし]、荀子[じゅんし]に受け継がれ、漢代国教とされ国家統治の経学となります。

その後、宋代に朱子、明[みん]代に王陽明が出て更に発展いたします。


我国近世儒学の興隆は、まず 「朱子学」 が盛んになり、次いで社会が動揺をみせはじめると、
その批判的立場として 「陽明学」、「古学」 が興りました。(儒学三派)

朱子学は身分制秩序を重んずるもので
 「近世儒学の祖」 ともいわれる藤原惺窩[せいか]に始まります(京学派)。

家康は惺窩の講義を受け幕府に仕えるよう要請しますが惺窩は拒み、
高弟の林羅山[らざん]を推挙します。

推挙を得て弱冠24才の羅山は家康に仕え、以後 秀忠・家光・家綱まで四代の将軍に待講します。
まったく驚きです。

以後代々林家[りんけ]は、大学頭[だいがくのかみ]となり幕府の儒官として仕えます。

「犬公方[くぼう]」 で知られる五代綱吉は、儒学を好み、
林家の私塾と孔子廟[びょう]とを湯島に移し聖堂学問所と聖堂を建てました。

「寛政異学の禁」(1790)により朱子学が正学とされ、聖堂学問所は官立とされ 「昌平坂学問所」 となります(1797)。

そして、明治になり、他の江戸幕府の諸学校と共に統合されて 1877年東京大学が設立されます。

ちなみに、湯島聖堂では毎年11月3日の文化の日に日本易学協会の大講演会が開催されています。

私も2000年に上京し講演いたしました。 (「カラーの時代“Color Ages”からみた易学思想」)

孔子廟に参り、園内の6m程もある孔子銅像を拝し、由緒ある講堂で講演し、感無量なものがありました。

話を戻しまして、朱子学は、この京学派以外にも、
南村梅軒が開き山崎闇斎[あんさい]が京都で広めた南学派、
徳川光圀[みつくに・水戸黄門]で知られる水戸学派があり、文[あや]を競いました。

一方、在野の儒学としては、「知行合一[ちこうごういつ]」 を主張する陽明学。
「日本陽明学の祖」 中江藤樹と弟子の熊沢蕃山[ばんざん]は著名です。

系統的には発展しませんでしたが、
幕末の佐久間象山[しょうざん]、吉田松陰、大塩中斎等の実践家を輩出することになります。

また孔孟への復古の学である 「古学」。
山鹿素行、伊藤仁斎、荻生徂徠[おぎゅうそらい、赤穂浪士事件で切腹を主張]が著名です。

幕藩体制を思想的に支えた朱子学に対し、
これらの批判的立場の思想は、他の 「国学」、「洋学(蘭学)」 等と共に維新を実現し、
明治の時代を築く思想的基盤となります。

さて、冒頭 「人の一生は・・・」 の文言について最古典の 『易経』 に想いを馳せてみましょう。

「火天大有[かてんたいゆう、大いにたもつ]」 中天の太陽、天祐[てんゆう]ありの卦、が思いうかびます。

賓卦[ひんか、相手方からみた卦]は 「天火同人[てんかどうじん、親しむ]、
志を同じくし多くの人が集う卦。

「同人誌」 の同人です。即ち、大いに有[たも]とうとすれば、必ず同人を持たねばならないということ。

大有大象に 「順天休命(君子以て悪をとどめ善を揚[あ]げて、天の休[おお]いなる命に順う)」 とあります。

道義主義、理想主義、正しい者の同人大有でなければならないのです。

二爻[こう]辞に、「大車以て載[の]す」 とあります。

象伝に 「積中不敗(中にいくら積み込んでも良い)」 とありますように、
通常は、ロールスロイスに財宝を山と積んで云々[うんぬん]の意で解されています。

しかし人生、宝くじの一等が当たるようなことは滅多にあるものではありません。

家康の文言のように、重荷を積んでゆくように心してがんばれば・・・・・ というように捉えるのが、
より人生において味わい深いものがあると私は思っています。

最後に、上爻は 「天よりこれを祐[たす]く」 とあります。
三大上爻(大有・大畜・漸)と称されるものの一つです。

「天佑」――― 天意・天の配剤より吉なるものはないでしょう。

結びにふさわしい句だと思います。


                          真儒協会 会長 : 高根 秀人年

 


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