■ 孝経 ( 五刑章 第11 )
“ 子曰く、五刑の属三千、而〔しこう〕して罪 不孝より大なるは莫〔な〕し。君を要〔よう〕する者は、上〔かみ〕を無〔な(なみ)〕みす。聖人を非〔そし〕る者は、法を無みす。孝を非る者は、親を無みす。これ大乱の道なり。”
《大意》 孔先生がおっしゃいました。「むかしから刑罰には、五刑といって5種類あって、その罪悪を細かく分けると数限りない〔三千〕ほどある。それらの数多〔あまた〕の中でも、親不孝以上の大罪はないのだよ。 主君に、不敬にも強要〔むりじい〕し、おびやかし自分に従わせようとする者は、長上を長上とも思わず、ないがし〔蔑〕ろにする非道の者だね。 聖人を非難する者は、聖人によって作り上げられた規範〔きはん=礼法〕を無視するわがまま者だね。 (もっとひどいのは、人倫の大本である)孝道を非難するような者は、親を親とも思わない人でなしの者だね。 このような(三悪の)人は、社会を大乱に導く原因となるのだよ。」
● 前10章の 「下と為りて而て乱すれば則ち刑せらる。」・「猶〔な〕お不孝たるなり。」を受けて、不孝と刑罰について説明しています。
・ 「五刑」 =墨(黥・げい)〔ぼく:いれずみ〕、劓〔ぎ:はなきり〕、剕〔ひ:足筋たち〕、宮〔きゅう:男女生殖器を使えなくする〕、大辟〔たいへき:死刑〕 ・・・古代の刑罰は身体を傷つける肉刑に特徴があります。
cf. 司馬 遷〔せん〕は、友人の李陵〔りりょう〕を弁護して(7代皇帝)武帝の怒りにふれ、「宮刑」により去勢されます。しかし彼は、その屈辱を乗り越えて、父のあとを継いで14年を費やし『史記』・全130巻、52万6千5百字余、を完成させました。(BC.96) 中国「24正史」の第一です。
なお、中国史上に登場する「宦官〔かんがん〕」は、刑罰によってではなく、自ら(幼年期に親が)宮廷(後宮)に仕えさせ出世させるために去勢するものです。
・ 「於」=ヨリ、比較を表す助字 ・ 「三千」=非常に多いの意
○ 「天地の性、人を貴しと為す。人の行〔おこない〕は、孝より大なるは莫し。」(聖治章 第9)
カラスでさえ ※“反哺〔はんぽ〕の孝”ありといいます。世に孝より尊い美徳はなく、不孝より重い罪悪・背徳はありません。(※ 「慈烏反哺以報親」 梁の武帝・孝思賦、哺は口中にある食物)
“孝治主義”・・・孝道を教学の指針とし、孝をもって国を治める
■ 論語 ( 孔子の弟子たち )
「 孔子は、詩・書・礼・楽を以て教う。 弟子は蓋〔けだ〕し ( 三千 )。身、六芸に通ずる者 ( 七十有二人 )。 」 (『史記』・孔子世家)
「 徳行には 顔淵 ・ 閔子騫 ・ 冉伯牛 ・ 仲弓、 言語には 宰我 ・ 子貢、 政事には 冉有 ・ 季路、 文学には 子游 ・ 子夏。 」 (先進第 11 −3)
〔 がんえん ・ びんしけん ・ ぜんはくぎゅう ・ ちゅうきゅう、 さいが ・ しこう、 ぜんゆう ・ きろ、 しゆう ・ しか 〕
・ “四科十哲”(孔門の十哲、十大弟子)
孔子が昔、艱難をともにした門人を追憶し、それを聞いた弟子が4つのジャンルに分けて記したものです。
後世、「徳行(徳の高さと立派な実践)」 ・ 「言語(思想・言論)」 ・ 「政事(政治的手腕)」 ・ 「文学(学問・教養)」を孔門の四科といい、このメンバーを孔門の十哲といいます。
しかしこれは、当時 “陳蔡” に従ったものだけのことで、弟子の ベスト10 というわけではありません。例えば、孔子の後継となる 曾子は入っていません。(年が若かった、孔子と46歳差)
※ 『マンガ 孔子の思想』 (講談社 +アルファー文庫)のマンガキャラクターは、非常によく人物のイメージが捉えられていると感心しています。お薦めの本です。
・孔子(儒家) の後継
A 忠恕〔ちゅうじょ〕派 (仁の重視)
曾子 ―― ※ 子思 ―― 孟子 ※孔子の孫、『中庸』を著す
B 礼学派 (礼の重視)
子游・子夏 ―― 荀子 ・・・・ 法家 (李斯〔りし〕・韓非子)
cf. 尊称; ・孔子 − 至聖 ・孟子 − 亜聖 ・顔子 − 復聖
・曾子 − 宗聖 ・子思(子) − 述聖
※ 「子」は男子の尊称
■ 本学 ( 『中庸』 2 )
§ 易卦にみる中庸(中論)の例 ( by. 『易経』事始 Vol.2 )
● 卦象 ・・・ 中正(中徳)―― 2爻・5爻 を中(まん中の意)、陽爻にとって陽の位・陰爻にとっての陰の位 を正位 (初爻から陽・陰・陽・陰・陽・陰、「水火既斉」)、中で正位つまり 2爻が陰・5爻が陽の場合
● 卦意 ・・・ 以下 例
【沢雷随 17】
「随」は、つきしたがう(時・事・人)ということです。したがうことの真義は、天地自然の法則にしたがうことです。それは時々刻々の、時の変化・推移(=変易・無常)に適切にしたがうことです。動くことが、臨機応変、時のよろしきに適〔かな〕うことが中庸を得ることです。 これが、易(儒学思想)の真面目です。
【離為火 30】
「離」は、はな〔離〕れ、つ〔麗・附〕くということです。万事に中庸を得て、慎重に正しくついてこそ、物事は「化成」(生じ変化し成る)するのです。
【水沢節 60】
「節」は、竹のふし。すべてにほど(程・バランス)・ほどあいを保って、のり・きまり(=数度・規範)を守ることです。〔節度・節操〕。そして、行いが、時のよろしき(ころあい)に適うように適度の区切り・締めくくりがあることが大切です。〔節目〕
この「節」を守ることは、天地自然の法則に適うことであり、易(儒学思想)が最
も尊重している時中(時に中〔あた〕る)こと、即ち中庸に合致することです。竹のふしから芽がでるように、中庸から新たなものが生み出されるのです。
【風沢中孚 61】
「中孚」は、まこと・信にあたるということです。まこととは、限りない創造力。中〔あた〕るとは、道理に適う、一致することです。つまり、こころ根が偏らず中庸に適うことです。これが、易(儒学思想)の極致である中正の道のことです。
§ 考察 : 中庸の美と日本の美
・ “日本的美”(国風文化=平安時代) ・・・・
派手さを半分に押さえた上品さこそ、さりげなく優美 ― 極端な個性美と対照
例 ― 古語「なまめかし」〔生めかし〕、「なまめく」は優雅だ・優美だとし、容姿
ばかりでなく人柄の上品さなども表す、男女共通の最高の誉め言葉
*「なまめかしき尼」は“色っぽい”の意でははない!
・ “裏まさりの美学 ”
・ “侘〔ワ〕び・寂〔サ〕び ”
・ “ Contrast and Gradation ”〔対比と漸増〕
・ “美” の原理 ―― 変化〔バラエティー〕の要素 と 統一〔ユニティー〕の要素
etc.
■ 易経 ( by. 『易経』事始 Vol.2 )
§ 易の思想的基盤・背景 (東洋源流思想) 【 ―(1) 】
A 大〔太〕極(たいきょく、=「皇極」)
――易の根本・創造的概念、宇宙の根源、万物の起源、神〈自然〉の摂理〔せつり〕
・ 陰陽以前の統体 ―― 1)「無」(晋の韓康伯)、2)「陰陽変化の理」(朱子)、3)「陰陽分かれぬ混合体」(清の王夫之)
参考 : 『荘子』北極星の意
ビッグバン(=特異点)、ヒモ宇宙、ブラックホール、道、無、分子―原子―陽子
ウルマテリー〔原物質・原子極〕(原子物理学、独・ハイゼンベルグ等)、
神ありき 「天(之)御中主神・〔あめのみなかぬしのかみ〕」(神道・〔しんとう〕)、
易神 ・・・・ 造物主
※ 参考――万物の根源 《 タマゴが先かニワトリが先か? 》
・ 科学――ビッグバン(宇宙物理学)、ウルマテリー(原子物理学)・・・極微の世界(ミクロコスミック)において大極が発見されようとしている。天文学的研究(マクロコスミック)においては未だ大極に至ってはいない。
・ 宗教――神話、聖典 ・・・ etc.
・ 儒学=易 ・・・「太極」 / 道教(老荘) ・・・「無」 / 仏教 ・・・「空(くう)」
○ 「無極にして大極」 (近思録) ・・・ 朱子は 大極 = 有 と考える
○ 「是の故に易に太極あり。是れ両儀を生ず。両儀四象を生じ、四象八卦を生ず。八卦吉凶を定め、吉凶大業(たいぎょう)を生ず。」 (繋辞上傳)
○ 「太初(たいしょ)に言(ことば)あり、言は神と共にあり」 (旧約聖書)
○ 「天地(あめつち)初めて発(ひら)けし時、高天原(たかまのはら)に成れる神の名は、天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)、次に高御産巣日神(たかみむすひのかみ)、次に、神産巣日神(かむむすひのかみ)。」 (古事記・冒頭)
○ 「道は一を生じ、一は二を生ず。」 (老子) ・・・ 道は無と考える
■ 易(の中に潜む)神 “シン”
=天地の神、人格神的なものではなく神秘的な作用の意
※参考―汎神論(はんしんろん)
○ 「陰陽測(はか)られざるをこれ神(しん)と謂う。」「故に神は方(ほう)なくして易は体(てい)なし。」(繋辞上伝)
○ 「※鬼神を敬して之を遠ざく。」(論語・雍也) ※鬼神=死者の霊魂や人間離れした力
(以 上)
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