儒灯

【温故知新】儒学の普及に力を注いでおります真儒協会 会長、高根秀人年の個人ブログです。 『論語』、『易経』を中心に、経書の言葉を活学して紹介して参ります。 私個人の自由随筆、研究発表などのほか、真儒協会が毎月行っております定例講習についても掲載しております。

2009年06月

『徒然草〔つれづれぐさ〕』 にみる儒学思想

『徒然草〔つれづれぐさ〕』 にみる儒学思想

―― 変化の思想・「無常」・「変易」・運命観・中論 など ――

「つれづれなるままに、日くらし、硯〔すずり〕にむかひて、
心にうつりゆくよしなき事を、そこはかとなく書きつくれば、
あやしうこそものぐるほしけれ 。」

吉田兼好〔けんこう〕・『徒然草』の、シンプルな冒頭(序段)の文章です。
中学・高校で 誰もが習い親しんだものです。中味・段のいくつかもご存知かと思います。

兼好法師は、当代の優れた僧侶・歌人であり教養人でありました。
歴史的に、中国の儒学は 専らインテリ〔知識人〕である聖職者に学ばれ、
彼らの思想のみなもとを形成いたしました。

『徒然草』の思想的・文学的バックグラウンド〔背景〕を形成するものの中心として、
仏教典籍以外に、国文学(平安朝)和歌・物語と漢籍(中国の古典)があげられます。

漢籍では、儒学の四書五経、とりわけ『論語』の影響がきわめて大きいといえます。

私は、『徒然草』を研究・講義する折も多いので、
今回 私流に、儒学・易学思想の視点からこれを観てまとめてみたいと思います。
( ※ 原文の読みがなは、現代かなづかいで表記しておきました。 )

◇◆◇------------------------------------------------------------◇◆◇

鎌倉時代、中世の開幕は、貴族が社会の中心の座を譲り、武家の時代が到来したことを意味しました。
この新しく、激動と混乱の時代も、元寇を契機として急速に幕府の力が衰えてゆき、
南北朝の動乱の時代へと向かってゆきます。

吉田兼好が生き 『徒然草』 を著したのは、こういう時代変化と社会不安の時期だったのです。

『徒然草』は、清少納言の 『枕草子〔まくらのそうし〕』 と並び 随筆文学の双璧とされ、
また鴨長明〔かものちょうめい〕の 『方丈記〔ほうじょうき〕』 と共に
この時代を代表する隠者文学の金字塔です。

以下において、この 『徒然草』 の中に表されている兼好の世界観・人間認識について
いくつかの段ごとに具体的に考察してみましょう。
そして、『徒然草』に共通する観方・思想的基盤について論じてみたいと思います。


【第7段】 “あだし野の露きゆる時なく”

兼好の特色が非常に良く表れていると思われます。
まず、和歌(和文)と漢籍の影響があげられます。

あだし野きゆる時なく ――― 」 (『新古今集』、『拾遺集』など)、
「かげろふの夕べを待ち」 (『淮南子〔えなんじ〕』)、
「夏の蝉の春秋を知らぬもあるぞかし」 (『荘子』)、
「命長ければ辱〔はじ〕多し」 ( 同上 )、
「夕べの陽に子孫を愛して」 (『白氏文集〔はくしもんじゅう〕』)
等などからの引用が推測されます。

そして、思想的には無常観・仏教的無常観がベースになっています。
「煙立つ」 と 「立ち去る(死ぬ)」 ことをかけており、
「 ――― 世はさだめなきこそ、いみじけれ。」
「もののあはれも知らずなりゆくなん、あさましき。」 と。

この世は不定であるからこそすばらしいという無常の肯定と、
この世の深い情趣もわからなくなって生に執着する老人に対する慨嘆です。

この段は、多分にネガティブ(否定的)で仏教的・情趣的な感じがします。

後述しますが、私には、兼好の無常観はもっと中国源流思想としての、
易の変化の思想としてプラスイメージで展開されていくように思っています。


【第50段】 “応長の比〔ころ〕、伊勢の国より”

不安な時代(流行病 = 疫病) には、あやしげな流行がつきものですが、
この段の(女の)鬼の噂もそれです。

流言に右往左往する人の姿、
群集心理に足をすくわれる人間の弱点が生き生きと描かれています。

さて、俗人はともかく。
遁世している兼好にとってはどうであったでしょうか。

「 遯〔とん〕 」(※易卦 「天山遯」) として達観し 人々を愚かしく想っているか、
というとそうでもありません。

彼は虚実を確認するように人を走らせます。
自らは現場に赴かないのです。
そして、虚言の生態についていろいろ合点してゆきます。

この理性的抑制と感性的好奇心とのバランスが特徴的です。
兼好の世俗とのかかわりの姿勢、世俗とのスタンス・距離感を示す好例でしょう。

ちなみに、高齢社会が進展する現代(21世紀初頭) において、
このような隠者のあり方は、一つの有力な示唆を与えてくれるような気がしています。


【第51段】 “亀山殿〔かめやまどの〕の御池〔みいけ〕に”

ここでは、水車を例にスペシャリスト(専門家)に対する肯定・賛嘆がなされています。

「萬〔よろず〕にその道を知れる者は、やんごとなきものなり。」
人間の有限・相対性を確認した上で、人間を肯定的に捉える考え方がみられます。

私は、この人間肯定の姿勢が、運命( = 無常 ) を宿命的にではなく
主体的に(変えて)生きる積極的思想と“一貫(いつもって つらぬく)” するのではあるまいかと思っています。


【第60段】 “真乗院に、盛親僧都〔じょうしんそうず〕とて”

いもがしら 好きの曲者〔くせもの〕。
仁和寺〔にんなじ〕圏の説話にもとづいた一段です。

形式的には、主として“伝聞回想”の助動詞「けり」によって語られています。
そのことは、興味中心の収録ではなくて、
むしろ逆に、より兼好自身を語る個性的なものとなっていると考えられます。

盛親僧都 ―― この不思議にも常識を超え、人を食った高僧の自在なる言動を描き、
兼好にとって及びがたい境地としながら、至高なものとして示しています。

すなわち、「尋常〔よのつね〕ならぬさまなれども人に厭はれず、よろず許されけり。徳の至れりけるにや。」
と結びます。

私は、ここに兼好の老荘的境地を感じます。
「道は常に無為にして為さざるなし」「無為にして化す」(『老子』第37・57章)、
そして、茫洋〔ぼうよう〕としてつかみどころのない人「和光同塵〔わこうどうじん〕( 同 56章)
の人物のあり方に魅力を感じ、その機微を認識し、それでいて自分自身は至り尽くせぬ境地
と認めつつ書いているように思われるのです。


【第74段】 “蟻のごとくに集りて”

「蟻のごとくに集りて、 ―― 」
冒頭部は 『文選〔もんぜん〕』 からの影響が推測されます。
全文ほとんど対句表現で、漢文・漢文訓読体の緊張感と格調の高さが感じられます。

無常観は、この段では確信に満ち「生〔しょう〕を貪〔むさぼ〕り、利を求めてやむ時なし」 の人々を嘆じます。

老いと死は、速やかに来り、時々刻々 一瞬も休止しないのです。

「常住」(不滅・不変)を願って 「変化〔へんげ〕の理〔ことわり〕を知らねばなり」と結んでいます。 


【第91段】 “赤舌日〔しゃくぜちにち〕といふ事”

「赤舌日」という忌日を通じて兼好の運命観・人生観をうかがわせる段です。

日の吉凶は、現代(人)においても多くの影響を与えています。
平安の時代、ことに貴族たちの生活は ほとんど迷妄にしばられていて、
物忌〔ものいみ〕や方違〔ほうたがえ〕などで禍〔わざわい〕を避けようとしていました。

兼好は、吉日と凶日を選んだ行為の結果を統計的に論証して合理的批判を加えます。
そして 「無常」 「変易〔へんやく」、 人の心 「不定〔ふじょう〕」 の変化の理を説きます。

ここでいう 無常や不定には、当時隆盛であった鎌倉仏教の影響が考えられます。

変易については、私見ですが、当時の教養人・知識人である兼好は、儒学的素養があり、
易・『易経』の思想・哲学を持っていたと推測されます。

『易経』は、英訳の “ The Book of Changes ” が示すように変化の理であり、
その三義は 「変易〔へんえき〕」 ・ 「不易」 ・ 「易簡(簡易)」 です。

こうして兼好は、中世にあって、開かれた精神 「吉凶はひとによりて、日によらず」 と結びます。
つまり 宿命と運命を区別し、運命は人間が打開できることだと断じているのです。
注目すべきことです。 
西洋思想において、ヘーゲル哲学も運命は その人の生き方により決定されるとしています。             


【第92段】  “或人〔あるひと〕、弓射る事を習ふに”

弓術の師の洞察・教訓に基づいて、人間の心の裡〔うち〕に潜んでいる
「懈怠〔けだい〕の心」への省察を説いています。
兼好は師の言葉に同感して、「道を学する人」の覚悟を説き 無常観に及んでいます。

すなわち、前段において中世にあって開かれた精神 「吉凶は人によりて、日によらず」と結び、
運命はその人の生き方によって切り拓けるのだという積極的思想を展開しています。

そして 時についての考え方は、あとなどない、今をしっかり生きなさい ということでしょう。

結びの 「ただ今の一念において、直ちにする事の甚だ難き。」というのは、
一瞬一瞬 変化する時を大切にして変化に応ずる 「臨変応機」(変化に臨んで機智で応ず)
という事が言いたかったのではないでしょうか。


【第106段】  “高野証空上人〔こうやのしょうくうしょうにん〕”

上京途上、相手の不手際によって事故に遭った証空上人の怒りと始末を語る説話です。
博学ながら臨機応変の対応が出来ず、怒りで我を忘れた高僧がユーモラスに鮮やかに描き出されています。

私には、『論語』の一節
「顔回といふ者あり。学を好む。怒りを遷〔うつ〕さず。過〔あやま〕ちを、弐〔ふた〕たびせず。 ――― 」(擁也第6)
が連想されました。

結びの 「尊かりけるいさかひなるべし」は、仏教的学識や雄弁そのものは立派ですから「尊し」、
その一方的叱責であるとの意です。軽い皮肉であろうと思われます。

兼好は、おそらくこの上人を、子供が怒って後悔するがごとき “純” な人柄として
ほほえましく紹介しているのでしょう。

この段、無常の “変化” に対応出来なかったエピソードと捉えられるでしょう。


【第155段】  “世に従はん人は”

非常に思索的・哲学的な中味の深い内容であると思われます。

前段では、仏教的無常観に基ずく兼好の主張が述べられています。
「機嫌」は 本来仏教用語で 「譏嫌」と書き、ここでは時期・ころあいの意です。
「ついで」も前段部二箇所はほぼ同じ意味です(後段では順序の意)。

「生・往・異・滅の移りかはる」(四相)
「猛〔たけ〕き河のみなぎり流るるが如し。しばしもとどこほらず、ただちに行ひゆくものなり。」
「真俗につけて(真諦・俗諦)」 と、相対的に緩急感ずる時間に沿って変化すること、
速やかに流れていくことを述べています。

時の流れを河の流れとのアナロジー〔類似〕で表現している所は、
「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。――― 」の 『方丈記』の書き出しを想起させます。

「必ず果し遂げんと思わんことは、機嫌をいふべからず。」

東洋における変化の源流思想は “易” です。
変化の思想(変易)は、哲学的に変わらぬものを前提としています。
この「不易」を含んだ変化の理を説いていると、私は理解しています。

後段は、具体例として時(四季)の運行と 生から死への必然(四苦)の対比が、
無常・変化の理で厳然と述べられています。

ここで特徴的なことは、変化が 内在的超出作用により 弁証法的な発展の論理で示されている点にあります。

「春はやがて夏の気を催し、夏より既に秋は通ひ、 ――― 。」
ヘーゲルの弁証法による 正(テーゼ)・ 反(アンチテーゼ)・ 合(ジンテーゼ) です。

そして、変化(死)は、必ずしも漸進的でなく飛躍的に実現されると説きます。
アウフヘーベン(止揚・楊棄 = 中す)です。

東洋流にいえば、儒・仏・道を貫く 「中論」 を展開しているといえるでしょう。


【第243段】  “八〔やつ〕になりし年”

「つれづれなるままに、 ――― 」で始まった 『徒然草』の終章。
この終章は構成上どのような意味を持っているのでしょうか。

内容は誰しもにありがちな、無邪気な親子の対話(テーマが仏なのは少々異)ですが、
兼好は 『徒然草』をそれなりの思い入れと文学的情熱を傾けて完成させたのであろうことをかんがえてみれば、
この段には深い意味が込められていると思われます。

それは兼好の世界観であり、また人間観なのです。

『徒然草』の中に、幼少年期の兼好が登場するのも 父(ト部兼顕〔うらべかねあき〕)が登場するのも、
これが最初で最後です。

ここで兼好が幼時から聡明で極めて論理的(形式論理的)であることがわかります。
この知性的特質が、成長して兼好の明晰鋭敏な思想を形成させたであろうことを うかがわせるのです。

ところで、『易経』は人生の シチュエーション〔 situation 〕を 64 の卦の辞象で表現した体系であり、
『徒然草』もまた 人生のシチュエーシヨンへの思索であります。

そこに、何らかのアナロジーを見出すことも可能でしょう。

易の 63番目の卦は「水火既済〔きさい〕」で、完成・成就の卦です。
64番目(最後)が「火水未済〔かすいみさい〕」未完成の卦です。

こうして、未完成を最後にもって来ることによって、易は窮することなく、
限りなく終りなく、(円のように) 循環するのです。 

序段にある 「心にうつりゆく」は、時間的に 「移りゆく」ことでもあります。
人生も晩年である兼好は、亡き父を登場させ、自身の幼少年期を登場させ
その成長・発展を暗示します。

父 ― 子 ― 孫 といった世代の連続(仏教的輪廻〔りんね〕)を示しているように私には思われるのです。
無限に変化 − 循環(受け継がれ連続)するという意味での 「無常」 です。


以上、各段ごとに考察してまいりました。
結びに、兼好の思想に一貫するものをまとめておきましょう。

『徒然草』は 思想的には、一般に 仏教的無常観であるといわれています。
しかし、私は、兼好が 「変化〔へんげ〕の理〔ことわり〕」(74段)と呼ぶものを、
東洋的 “変化〔へんか〕の思想” として捉えてみたいのです。

源流思想としての 易・『易経』の世界観・人間観です。
変化は同時に 「時」 の理でもあります。

序段の「心にうつりゆく」は、時間的遷移〔せんい〕でもあり、その遷移は中論(弁証法)的に捉えられます。
無限変化 ―― 進化循環するという意味においての 「無常」です。

従って兼好人間観・運命観は、陽性にして肯定的・主体的です。
つまり、宿命と運命を峻別し、運命は人間の力で打開できると信じています。

中世にあっては、注目すべきことではないでしょうか。
ヘーゲル哲学の運命観も同様であり、ここに近代精神の先駆を見ることも出来ると思います。


                              ( 高根 秀人年 )



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法事に想う

「法事に想う」

――”鼎〔かなえ〕”、龍、音霊、「渙」・「萃」卦辞、「孟子の三楽」 ほか ――

さつき五月 GW.、 よい 陽〔よう〕の天気。
亡父の33回忌の法事を、古里〔ふるさと〕(愛媛県)で行いました。

前回が25回忌だったので、8年ぶりに老母と五人の兄弟(姉妹とその夫と子、計13人)が揃いました。
その ひと日、兼好法師よろしく つれづれ想ったことを、少々 書きつづっておきたいと思います。

法事の前日朝、私は 一人墓に参りました。
寺の楝〔おうち〕の大木に小さな楝色(うす紫)の花が咲き、初夏の風情〔ふぜい〕をかもし出していました。

清掃をし、花・樒〔しきみ〕を新しく飾り、寺へのあいさつも済ませておきました。
不肖〔ふしょう〕・不孝の息子の せめてもの供養の行いです。

いま時の若者学生諸君は、神(神道〔しんとう〕)も仏(仏教)も、榊〔さかき;神前草〕も
樒〔しきみ・しきび;仏前草〕も区別がつかぬようになってしまっています。

おとなが教えない(教えられない)からです。

こうして、先祖の墓に参り、身をかがめて清掃し 畏敬し拝む親(自分)の姿を、
幼少より子供に見せ示し、祖先の連続性 を体感させておくのが 家庭教育の原点に他なりません。

不易」・不変性は、 親 − 子 − 孫 ―― という ”受け継がれるもの( DNA )”の中にあるのだと思います。

儒学でいう””の概念、 ”一〔いつ〕なるもの” であり、すべての原点でもあります。
その意味では、私の一族の次の世代に 大きな不安はありません。

さて、法事当日。
我が家の宗派は、浄土真宗ですが、私そのものは 特定の宗教への信仰心はなく、
また昔から 線香の臭いは苦手です。

仏教に対する 一般的尊敬の念を持ちつつ、儒学・学道を修める者の視点で雑感を述べてみたいと思います。

「無常」の世であれば、本堂内は、調度の金箔も塗り替えられていて 明るくリニューアルされていました。

座布団の代わりに、低いイスが全員分用意されていました。
高齢社会進展の影響でしょうか? とにかく ありがたいことです。

寺も世代交代して、若い(中年)住職さんが 読経されました。

亡父の戒名〔かいみょう・法名〕を書いたものと大きな”ろうそく”を持ってきてスタンバイ。
父の戒名は 「専徳院釈義 ―― 」と名づけられています。

以前は、さして文字は気にとめなかったのですが、今は すぐ目に留まりました。
”は、儒学がみなもとでしょう。
”は、特に孟子が ”仁”に加えて唱えた概念ですが、
これは 父の俗名が”義人”であったので、そこから採ったのでしょう。

灯されるろうそくが赤い(ケースが赤いのかもしれません)のは、不思議と新鮮(アクセント カラーコーデイネート)な気がしました。

それから、読経。 ”経”の字は、儒学では タテの意で”ケイ”と読みます。
(経書 ― けいしょ、 経典 − けいてん) が、仏教では 経典〔きょうてん〕の意で ”キョウ” といいます。
同じ漢字でも、発音と意味を異にしています。

ところで、仏教は釈迦によって開かれた宗教です。
本来 インド発祥ですから、その経典は、古代インド語 = サンスクリット語で書かれています。

それが 中国にもたらされ漢訳(中国語訳)されます。
漢訳では、鳩摩羅什〔くまらじゅう〕や 玄奘〔げんじょう;三蔵法師〕が訳経家として名高いです。

仏教は、インドを出て 中国で栄え広まることとなります。
その中国仏教が、日本に伝わり 我国固有の宗教 神道と調和・融合して(神仏習合〔しんぶつしゅうごう〕)、発展します。

日本で、漢語をそのまま音〔おん〕で読んだものが ”お経” です。
漢文訓読ではないので、意味はわからないわけです。

こうしたルーツを考えてみると、お経は サンスクリット語で読まなければ ”言霊” とはいえないような気もします。

しかし、日本のお経は、専ら音〔おと〕の響き(ありがたさ、荘厳・厳粛さ・・・)に意義があるように思います。

音霊〔おとだま〕”ですね。

それに加えて、読経の後の気のきいたお話(教話・法話)は、”言霊”ですから値打ちものです。

従って、読経は お坊さんの声の良さ・ありがたさ、 教話は お坊さんの修養・人徳いかん、ということなのでしょう。

ついでに、教話は 「ナンマンダ〜」(※ ナムアミダブツのこと)についてでした。

宗派によって”念仏”( 南無阿弥陀仏;ナムアミダブツ 6字 = 浄土宗・浄土真宗 ) と
“題目”( 南無妙法蓮華経;ナムミョウホウレンゲキョウ 5字または7字 = 日蓮宗 ) と呼ぶことは、
教養として持っておきたいものです。

ちなみに、易の”八卦”( 乾・兌・離・震・巽・坎・艮・坤 ;けんだりしんそんかんごんこん )を、
念仏・題目を唱えるのと同列に扱っている古書があったのを思い出したりしました。

そして、今回 一番に記しておきたかったのは、私の目の前にあった ”焼香〔しょうこう〕台(兼・線香立て)” についてなのです。

前列 中央に座っていたので、私とお坊さんとの間に 直径 60〜70 cm もある立派な金属製の容器が置かれてありました。

この三足の器は、「鼎〔かなえ・てい〕」というものです。
古くは、夏〔か〕の禹王〔うおう〕が九鼎をつくったと書物にあり、
次の殷〔いん〕代の青銅製鼎の美術品的精巧さは有名です。

宝器として 「鼎の軽重を問う」 という故事もあります。
本来は、煮炊きに用いた”ナベ”です。

易の 64卦にも 「火風鼎〔かふうてい〕」(三者鼎立、三角関係、養いのナベの卦意)があります。
“鼎”の字は 難しいですが、今でも 三国鼎立〔ていりつ〕や”かなえ”という人名があったりします。

『徒然草』 (53段)の 仁和寺〔にんなじ〕の僧の話に、
「足がなえ」を興じて頭にかぶり、抜けなくなる大事となり、
結局 耳・鼻がもげて穴があきながらも 強引に抜くという話があります。

鎌倉時代(まで)には、仏具として用いられていたということです。

話を戻しまして。
その鼎の両側面に 取っ手のように大きな大きな 「」がつけられていたのです。
龍も 中国が起源、『易経』が発祥の源であることは 明らかです。

『易経』 64卦の第一番目は、「乾為天〔けんいてん〕」、龍〔ドラゴン〕の物語です。
龍は、陽物の象〔シンボル〕です。

おもしろいのは、本家本元?の中国の龍の”ツメ”は、(ヒトと同じく 陽数) 5本 ですが、
朝鮮では 4本 、日本では 3本 と減っています。

その鼎の、3本 爪の龍は、雌雄なのでしょうか?

神社の狛犬〔こまいぬ〕や寺院山門の仁王像のように、一方(左)が口を開き 他方(右)は口を閉じていました。

開いているほうは 「阿〔あ〕」といい、閉じているほうは 「吽〔うん〕」と言っているのでしょう。
この「阿吽〔あうん〕」は、仏教の思想ですから、ここにも 儒・仏が融合しているわけで、興味深いものがありました。

さて、本堂での法事を終え、一同で墓に参り、寺を後にしました。
一席 昼食の場を設け、あれこれ一族で語り 一日の法会を無事終了いたしました。

『易経』を読むと 「王有廟〔びょう〕に仮〔いた〕る。」 の同文が、
「風水渙〔ふうすいかん〕」卦辞と 「沢地萃〔たくちすい〕」卦辞に登場しています。

「渙」の大象には、「先王以て帝を享〔まつ〕り 廟を立つ。」の文言もあります。
要するに、民心が渙散することがないように(渙)、人心が集るように(萃)、
先祖の霊を敬虔〔けいけん〕な まごころを持って、お祭り したのです。

今も昔も、家庭・個人のレベルでも 国家国民のレベルでも本〔もと〕は同じです。
また、そうでなければいけないと思います。

父が亡くなって、はや 33年が経ったわけです。
80歳ちかくの母をはじめ、5人もの兄弟姉妹とその家族が、歳を重ねて 誰も欠けることなく揃うことが出来ました。

これは、一つに父が早世したからです。
孔子 50 にして ”知名(天命を知る)”、
蘧伯玉〔きょはくぎょく〕 50 にして ”知非(49年の非を知る)” ですが、
父は 50 歳で亡くなりました。

今なら50歳は、平均年齢(平均寿命は80歳くらい)でしょう。
私も、知名・知非の歳を過ぎて、亡父の死後を生かされているわけです。
ありがたいことです。

そして次に、皆が 養心・養生して息災〔そくさい〕延命しているということです。
改めて、孟子の三楽 (その一)を実感しました。

「 父母ともに存し、兄弟 事なきは 一の楽なり。 
仰いで天に恥じず、附して人に愧〔は〕じざるは 二の楽なり。
天下の英才を得て、之を教育するは 三の楽なり。 
君子に三つの楽あり、而して天下に王たるは預かり存せず。」(尽心章句 上20)

この言葉も、知識としては 早くからありましたが、
人生も中年を過ぎ晩年に近づくと しみじみと味わえる境地のように思います。

次回の法事は、50 回忌だそうです。
今より 17年後です。

皆が、再び息災にして 一同に会せるよう、それを大きな目標にして養心・養生に努めましょう、と会食時の あいさつを結んだのでした。
             
                                    ( 高根 秀人年 )


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