儒灯

【温故知新】儒学の普及に力を注いでおります真儒協会 会長、高根秀人年の個人ブログです。 『論語』、『易経』を中心に、経書の言葉を活学して紹介して参ります。 私個人の自由随筆、研究発表などのほか、真儒協会が毎月行っております定例講習についても掲載しております。

2009年10月

文献渉猟の序

文献渉猟〔しょうりょう〕の序〔はじめに〕
  ―― 読書尚友・読書医俗・縁尋機妙・私淑・読書の三上・文献・温故知新 ――


《 “読書”に想う 》

読書尚友〔どくしょしょうゆう〕」という熟語があります。
本を読むことで、古〔いにしえ〕の賢人を友とするの意です。

『徒然草』にも、「ひとり灯〔ともしび〕のもとに文をひろげて、みぬ代の人を友とするぞ、こよなう慰むわざなる。」とあります。

また、21世紀初頭は、“心の時代”とも“癒しの時代”ともいわれますが、
「五医」の中に「読書医俗」(書を読んで俗を医〔いや〕す)という言葉も見られます。

本との出合いは、人の出合いにおける「縁尋機妙〔えんじんきみょう〕」
(良い縁が更に良い縁を尋ねて発展していくことは、何とも人智を超えて神妙なものがあるということ) 
に同じです。

私達は、良い人・良い書物に出合うことを考えなければなりません。

孟子の言葉に、「私淑(ししゅく)」(『孟子』・離婁)があります。
私〔ひそか〕に淑〔よ〕しとするで、直接教えを受けることは出来ないけれども、
書物などを通じて、ひそかに師と仰ぎ模範として学ぶことです。

「孔孟の学」と儒学の正統を称しますが、孔子(BC.551−BC.479)と孟子(BC.372−BC.289)は、200年近く世代がズレています。 (孔子の没後100年余の後孟子が生まれています。)

孟子は、孔子を尊敬しながら、孔子の著作に学んで、孔子の教学を継承・発展させたわけです。

人(師)との出合いは、同時代・同場所に限られますが、本(本中の人物)との出合いは時代(時間と空間)を超越します。
過去の賢人を師とも友ともすることが出来ます。

私淑です。

それによって、その人の人生を大きく良く導き、
豊かなものに飛躍
=中〔ちゅう/アウフヘーベン〕)させてくれるのです。

古今を通じて、私淑する優れた人物を持ち、優れた愛読書を持つことが人生を豊かに輝かせるのです

 

《 読書と私 ―― 回想 》

大学生の頃、友人から「がつぶれるまで本を読みたい」と、ある出版社の社長が言っていたと聞いて
感銘を受けたことが想い起こされます。

また、大学の教授から、本は人生より寿命が長いこと。
“耳学問”は身につかずですから、本を読む“学問”をしなさいと言われたことをよく記憶しています。
目耕”ですね。 ※(易八卦の「離」は目&明智の意、「離為火」の象〔しょう〕なら両眼・メガネの意です。)

幼少年時代、私は体が弱かったせいもあって、よく本を読みました。
“文学少年”といった風?です。
母が、豊かではない家計を切り詰めて、5人の子供たちに書籍を買ってくれました。

西郷南州は「児孫のために美田を残さず」と言いましたが、
母は賢い親は子供に教育を残すものだと言っておりました。

読書のジャンルは、文学・物語・漫画が多かったかと思いますが、
とにかく多読・乱読いたしました。

ちなみに、本の処々にある“さし絵”・“口絵”を楽しく嬉しく感じていました。
このことが、後に私が美術に造詣深くなることにつながっていくことになったのだと思っています。

少年時代、さして学校の勉強はしなかったのですが、成績は良いほうだったようです。
“モノ知り博士”で弁(口)が立ち、人望を得て?“級長”をつとめたのも
豊富な読書によるお蔭〔かげ〕だったかと思います。

自分の、国語力(語彙力)・文章力・読解力・・・感性・想像性・創造性そして情愛といったものは、
この幼少年期の読書に支えられている、と長ずるにつけても実感しています。

今、年の功で諸分野併せて、蔵書の数は万を超えているかと思います。
宝の山か、ゴミの山か? みな専門書ですから、雑誌のような安価ではありません。

が、私の豊かでない経済力の半生の中でも、何とか出費を「節」して工面すれば、
欲しい本が自由に買える生活水準の社会であったことをありがたく感謝しています。

一昔〔ひとむかし〕前の先生は、もともと薄給だったのでしょうが、よく本を買うもので、
本を買うと貨幣〔かね〕が残らないというのが常の態だったと聞いています。

今時の先生は、経済的にも書籍研究の便宜でも随分と恵まれていて隔世の感があります。
尤〔もっと〕も、その代わり?昔の先生は、その志操・学徳の豊かさから、
社会的尊敬と敬意を得ていたと思われます。
少なくとも、そういった教育者が多くいたことは確かです。

人生も壮年となり、修羅場をくぐるが如き闘い転変の中、
分刻みのスケジュール・不休・3時間睡眠といった生活の中で、
教養のための読書は中断いたします。

その騒擾〔そうじょう〕徒労の生活を一段落させて、もしくは中(止揚)して、
再び書籍を読み学びの人生を取り戻しました。

この中年からの読書は、多忙と人生の余時間が少なくなってきたのとで、
一転、多読から良書精読に変わりました。

そして、「読書百遍」くり返し読み味わい楽しむようになりました。

ジャンルも、“四書五経”などの思想的な書物、精神的な書物が中心になってきました。

〔おい〕」を意識する歳になるにつれ、記憶力・記憶保持力などの衰えを感じる反面で、
」が出てきて思索が深まってきました。

世界と人間が、心眼よく「〔み〕」(易卦「風地観」)えてまいりました。
「老」は「考」に、そして「考」は「孝」を想うようになり、
「公」(=義)を思うようになってまいりました。

易に「天山遯〔とん〕」の卦があります。 解脱〔げだつ〕・達観の境地です。
千古不易の名著古典を読み耽〔ふけ〕ると、時間と空間の隔たり感覚を超えて、
文学・芸術ですと“空想・ファンタスティック”な世界に遊べます。

思想・先賢の古典ですと“解脱・救い”の世界に入れます。
まさに「」の境地、「壺中〔こちゅう〕の天」です。

人生50 にもなって、『孝経』、『中庸』、『易経』、『老子』といった経書古典を
一つ一つオリジナルで読了し、座右の書としていきました。

その時々、人生で気にかかっていたことを一つ一つ終えた、
1ステップ・1仕事を遂げた安堵感のような、えもいわれぬ安定感を味わいます。

壮年から初老にかけてならではの、しみじみとした安定感ではあります。

以上のように回想してみました。


今に至って、ただ1つ悔やまれるのは、
自分の幼少期に、経書や史書の古典に出合い指導を受け学ぶ機会があったならば・・・ 
ということです。

長じて大をなす人は、(例えば、吉田松陰先生にしろ安岡正篤先生にしろ)
みな、幼少のころ、父親なりにこの先賢古典の手ほどきをうけておられます。

せめて、愚息にはと思って、小学生の間に『孝経』・『大学』は読了させ、
『易経』を学び始めさせ将来の潤徳修養の布石とさせました。

――― そして、これから人生の収穫期に向かって、書籍を読むと同時に執筆して世に道を広め、
貢献していくのが自分のあるべき姿だと考えるに至っています。


《 現代日本の読書事情・考 》

高度情報社会が進展する中で、読書は、文字書籍以外にも
漫画・アニメ・携帯TEL.活字・音による読書?などさまざまな媒体が登場してまいりました。

そして、過剰駁雑な活字メディアが氾濫しています。

新聞1つとっても、膨大な量です。
内容も大概は、偏倚駁雑〔かたよりごたまぜ〕の記事です。
そのぶ厚い新聞以上の量の広告宣伝チラシ。
これらの情報で、私に必要な情報は何百分の一もありません。

量の過剰と内容の貧弱さ。まさに生産力の浪費。浪費美徳経済の象徴。
紙=神への冒涜〔ぼうとく〕です。

こんな印刷物の大洪水の中で、皮肉にも現代人の読書離れが言われています。
日本語を、読めない・書けない人達が若者層を中心に着実に増えています。

ところで。古人、欧陽脩〔おうようしゅう〕でしたか、読書の「三上」〔さんじょう〕ということをいっています。

すなわち、馬上・枕上〔ちんじょう〕・厠上〔しじょう:トイレの意〕です。
“暇な時の読書身に付かず”で、寸暇を盗んでの読書は効率が良いものです。

さらに、これらの場所・時間でこそ、貴重なインスピレーションを得ることが出来るのです。

「馬上」は、現代では、さしずめ電車中や車中でしょう(自分で運転している時は、運転に集中しましょう!)。 電車の中で、小説や勉強の本を読んでいる人を見るにつけても、微笑ましく思います。

しかし、それは少数で多くは、病的依存(中毒)よろしく携帯TEL.を玩〔もてあそ〕んでいる、お馴染みの光景です。
哀しいものがあります。 他にすることがあるでしょうに。

「人間は、考える葦〔あし〕」(パスカル)、私には電車中は貴重な沈思・考える場です。

松下村塾の聯〔れん:一対の柱かけ〕に、
「万巻の書を読むに非ざるよりは、安〔=寧・いずく〕んぞ千秋〔せんしゅう〕の人たるを得ん。」とあります。

また、“士規七則”に
「志を立てて もって万事の源となす。 書を読みて もって聖賢の訓〔おしえ〕をかんがう。」とあります。

身体にとっての食物が、滋養栄養として必要なように、
読書は精神・心の糧〔かて〕です。

現代日本は、モノ社会、過食・飽食の時代です。

食育」という新しい言葉が唱えられ注目されています。
食物に優れたもの・不要なもの・害あるもの・・・があるように、
書物もよくよく選ばなければなりません。

※ (易卦「山雷頤〔い〕」は、食養生・身心ともに養うことを教えています。
「噬コウ〔ぜいこう〕」の象〔しょう〕は、その開いた頤〔おとがい〕=口の中のモノ・障害物〔4爻の1陽〕を表わしています。)

読書離れと逆の問題も、現代社会の弊害の特色です。
あまりに雑書を読み過ぎ雑学に害され、人間性が横着になった“賢き愚者”も濫造されています。

「不易」なるものとして、古典の価値を尊重・重視しなければなりません。

ある禅宗の碩学が、「古典というものは、まさしく精神の化石燃料である。精神の石油であり、精神の石炭なのだ。」と語られていました。
まさに卓見です。

そして、松陰先生の言葉は、リーダー〔指導的立場にある人〕の皆さん、リーダーたらんとする皆さんには、一層心に刻んで欲しいものです。


《 文献渉猟 》

さて、新たに“文献渉猟”と古風に題しまして、
私(高根)流・読書案内とでもいったジャンル〔分野〕をスタートいたします。

名称の由来は、次のとうりです。

文献」の語は、『論語』の中に見られます。

○ 「殷の礼は吾能〔よ〕く之を言えども、宋は徴〔ちょう=証〕するに足らざるなり。
文献足らざるが故なり。足らば、則ち吾能く之を徴せん。」(八イツ〔イツ〕第3−9)

《大意》
私(孔子)は、殷の時代の礼についてもよく話すが、(その子孫である)宋にも私の言葉を証拠立てるに足る材料が不充分である。 これは、つまり、それを証明するに足る文書・記録と、古礼を知っている賢人がいなくなってしまっているからだ。 もし、文献さえ充分にあるならば、それによって私の言葉がよく証拠立てられるだろうに、残念なことではあるよ。

」は記録・書物。「」は賢の意で、その礼を知っている賢人。
文献が、記録ばかりでなく、故老・賢人(が記憶しているもの)をも指すのは興味深いです。

現在、儒学・経書の教えについても、だんだん着実に、教えられる賢人がいなくなってはいませんか?

渉猟」は、広くわたりあさることから転じて、広く書物などを読むことです。

私達は、偏倚雑駁な情報の洪水の中でよく「省」き、不易の良書を精選し昧読〔まいどく〕せねばなりません。

また、限りある時間・人生で全文を読めるばかりとも限りません。

優れたアブストラクト〔抄録・ダイジェスト〕も必要な時代かと思います。

そして、読書は何より“活読”せねばなりません。
とりわけ古典は、現代の光に照らして読み、自らの目で「観」て活学することが大切です。

これが「温故知新」の深意でしょう。

このような点を考慮して頂いて、私のお薦めの書籍の“文献渉猟”をお読み頂けたらと思います。

結びにあたり、碩学・安岡正篤先生の佳書〔かしょ〕と出合うの言葉を引用しておきます。

「佳〔よ〕い食物もよろしい。佳い酒もよろしい。佳いものは何でも佳いが、
結局佳い人と佳い書と佳い山水との三つであります。
 然し佳い人には案外会えません。佳い山水にもなかなか会えません。
ただ佳い書物だけは、いつでも手に執〔と〕れます。」 (『安岡正篤・一日一言』)

                                   高根 秀人年


※こちらのブログ記事はメルマガでも配信しております。
 メルマガは「儒学に学ぶ」のホームページからご登録いただけます。

http://jugaku.net/aboutus/melmaga.htm   

 

にほんブログ村 教育ブログ 教育論・教育問題へ
にほんブログ村

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 儒教・儒学へ
にほんブログ村

第二十三回 定例講習 (2009年9月21日) 後編


前の記事(前編)の続きです。


易経   ( by 『易経』事始 Vol.2 ) & ( by 「十翼」 )

§.易の思想的基盤・背景 (東洋源流思想)  【 ―(4) 】

C. 陰陽相対〔相待〕論(陰陽二元論) ・・・続き

◆ 陰陽の象意例 (左が陽、右が) *陰は凶で、陽は吉であるということではない
 ・ ――   ・ ――   ・ ――   ・ ―― 西  ・ ―― 
 ・ ――   ・ ――   ・ ――   ・ ――   ・ ―― 
 ・ ――   ・ ――   ・ ――   ・ ――   ・ ―― 
 ・ ――   ・ ――   ・ ――   ・ ――   ・ ―― 
 ・行動 ―― 思索  ・主人 ―― 家族  ・目上 ―― 目下  ・先生―― 生徒
                             (「現代易学講座・上級編 1」 参照)

人間

・ “徳” 性=【人間の本質的要素】〔   〕と “才能・技能”=【人間の属性的要素】(    )
・ 君子タイプ〔    〕と 小人タイプ(    )
   cf. 西郷隆盛は、徳が才に勝っている君子タイプ ←→ 勝 海舟は、才が徳に勝っている
       小人タイプとも言われている
・ 感情・情緒・情操〔    〕と 知識・知性・知能(    ) 
・ 愛〔    〕と 敬【敬愛】(    )   
・ 金を使う(    )と 金を蓄える〔    〕
・ 男女で “おしゃれ” するほう(    )と “おしゃれ” でないほう〔    〕 

身体

・ 【人体】の酸性(    )と アルカリ性〔    〕  cf.PH 7より上
・ 心臓(    )と 末端【末梢】血管
・ 動脈(    )と 静脈〔    〕
     cf. 酢は体をアルカリ性にする(利尿作用)、腎臓・肝臓のはたらきを助ける
        (アルコール分解)

動物

・ ツメ〔爪〕の数と陰陽 ―― 馬【   】(   ) ・ 牛【   】〔   〕 ・
            鼠【   】〔    〕 ・ 人【   】(   ) ・ パンダ【   】〔   〕
            龍 ―― 中国【   】 ・ 朝鮮【   】 ・ 日本【   】
[   ] 、 龍(   )と 虎(   )、 虎(   )と 豹〔   〕
     ―― “大人虎変”(「革」卦五爻辞) と “君子豹変”(「革」卦上爻変)
・ 竜馬(   )、ペガサス(   )、「龍のごとき駿馬にまたがり ・・・」(『将門記』)

 ※ 参考  ―― 「登竜門」 “六・六〔ろくろく〕転じて九・九〔くく〕となる”
   ・ 龍のウロコ【9×9=81枚】(   )と龍の逆鱗〔げきりん〕【1枚】(   )
                  《1枚 ・・・“逆鱗〔げきりん〕に触れる” 「韓非子」》 
   ・ 鯉〔こい〕のウロコ【6×6=36】〔   〕

 ※ 研究 : 雄をあらわす漢字と雌をあらわす漢字を組み合わせてつくった動物名

     ・麒麟 〔きりん〕   ・鳳凰 〔ほうおう〕   ・鴛鴦 〔えんおう〕       
     ・翡翠 〔ひすい〕   ・鯨鯢 〔げいげい〕

                                          (次回に続く)


§.「十翼」 : 雑 卦 伝  【 ― (1) 】

「雑卦伝」は、「十翼」の第10翼です。 
64卦を“対卦”(爻の陰陽が対応=裏卦) & “反卦”(上下反対=賓卦)のペアにしています。 
(※ 8つの卦は例外) 
卦の性格や意義を一言で、漢詩のような平明な言葉で対照的に説いています。
 (易)簡にして明、分かり易く、そしてリズム感にあふれを含んでいます

順序は、「序卦伝」と異なり錯綜・雑然としてバラバラです。 “雑卦”といわれるゆえんです。
それは、孔子が自分の考えで順序を錯雑させた(孔頴達・『周易正義』)とも言われています。
が、「雑卦伝」の成立は、儒学(=『易経』)が官学化された前漢以降と考えられます。  
多分に、64卦を朗誦しておおよその性格を記憶するために作られたと思われます


( あお字下線字が韻 )

《 乾は剛、坤は。/ 比は楽しみ、師はう。/ 臨・観の義は、或いは与え、或いはむ。/ 屯は見〔あら〕われて(而も)、そのを失わず。蒙は雑にしてわる。/ 震はこるなり。艮はまるなり。/ 損益は盛衰のめなり。/

大畜は時なり。无妄はいなり。/ 萃は聚〔あつ〕まりて、升はらざるなり。/ 謙は軽くして、豫はるなり。/ 噬コウ〔ゼイコウ〕は〔くら〕う。賁は无〔な〕きなり。/ 兌は見われて、巽は〔ふく・ふ〕するなり。/ 随は故〔こと〕无きなり。蟲は則ち飭〔ととの〕うるなり。/

剥は〔らん・ただるる〕なり。復は〔かえ・もど〕るなり。/ 晋は〔ひる〕なり。明夷は〔やぶ・そこな(わ)・ちゅう(する)〕るるなり。/ 井はじて、困は相〔あいあ〕うなり。// 

咸は速やかなるなり。恒は久しきなり。/ 渙はるるなり。節はまるなり。/ 解はなり。蹇は〔むずかし〕きなり。/ ケイ〔ケイ〕はなり。家人はなり。/ 否・泰は其類を反するなり。/ 大壮は則ち止まり、遯は則ち退くなり。/

大有は衆〔おお〕きなり。同人はしむなり。/ 革は故〔ふる〕きを去るなり。鼎はしきを取るなり。/ 小過は過ぐるなり。中孚はなり。/ 豊は〔こ・こと・ふるき〕多きなり。親寡〔すくな〕きはなり。/ 離は上りて、坎はるなり。/ 小畜は寡きなり。履は〔お〕らざるなり。/ 需はまざるなり。訟はしまざるなり。/

    この章、錯簡と見て改める : 宋の蔡淵、元の呉澄、明の何楷 )

大過はクツガ〔くつが〕えるなり。頤は養うことしきなり。/ 既済はまるなり。未済は男〔だん〕のまるなり。/ 帰妹は女〔じょ〕のりなり。漸は女帰〔とつ〕ぐに男を待ちてくなり。/ コウ〔コウ〕は遇〔あ〕うなり。柔、に遇うなり。/ 夬は決なり。剛、を決するなり。/ 君子の道長じ、小人の道うるなり。 》 
                                      ( 次回に続く )


                                         

「儒学に学ぶ」ホームページはこちら → http://jugaku.net/

 

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 儒教・儒学へ
にほんブログ村

                                          

 

第二十三回 定例講習 (2009年9月21日) 前編

第二十三回 定例講習 (2009年9月)

孝経   ( 広至徳章 第13 )

§.前章に同じく、1章の「先王至徳要道有り」をうけて、「至徳」ということを申〔かさ〕ねて明らか(=広)にしています。
 『論語』に「君子の徳は風なり、小人は草なり。草、これに風を上〔くわ〕うれば必ず偃〔ふ〕す。」(顔淵第12)とあります。民草は風になびき、自然に感化されるということです。 儒学の教えは、“感化・教化”による教育であり、(お手本として)上に立つ者の大事さを説いています。

“ 子曰く、君子の教うるに孝を以てするや、家ごとに至って、(而て)日ごとに之を見るに非ざるなり。
※教うるに孝を以てするは、天下の人の父た〔為〕る者を敬する所以〔ゆえん〕なり。注1) 教うるに悌〔てい〕を以てするは、天下の人の兄た〔為〕る者を敬する所以なり。教うるに臣を以てするは、天下の人の君た〔為〕る者を敬する所以なり。|詩に云う、「ガイ悌〔がいてい〕の君子は、民の父母」と。至徳に非ざれば、其れ孰〔たれ〕か能く民を ※順にする(こと)、注2) 此くの如く其れ大なる者あらんや(ならんや)。” 

《大意》
 「昔の聖人といわれた立派な指導者(君主・王)が、人々に対して孝道(=至徳)を教える方法は、必ずしも一軒一軒、家に足を運んで毎日毎日会って教えたわけではない。|
民に孝道を教えられたのは、広く世の中の人々に、その父というものを敬うようにさせたいからなのだ。 民に悌(=弟)道を教えられたのは、広く世の中の人々に、その兄というものを敬うようにさせたいからなのだ。 民に臣道を教えられたのは、広く世の中の人々に、その君というものを敬うようにさせたいからなのだ。|
だから、『詩経』(大雅、ケイシャグ〔けいしゃく〕)の中の句にも言っている。“楽しみ易〔やわ〕らぐところの君子(先生)は、(楽しく親しく徳があふれていて)民の父母とも仰ぎ慕われる立派なお方です。”と。
このような至徳・大徳〔この上もない孝悌の徳〕の持ち主でなければ、これほどまでに、人びとを徳化し柔順にさせることが出来ようか。(柔順にさせるに大なるものがあろうか。)」

・ 「家、日」=家ごと、日ごと(家々、日々)

・ 臣=臣道(忠敬)の意

ガイ悌〔がいてい〕の君子=ガイは楽しみ、悌は「易〔やわ〕」らぐ(和/やわらぎ)の意・「易簡〔いかん〕」の意で、天地自然のままの素直な易さです。すなわち楽易”の境地です。
 孝を教える者は、親のように親しく温かい心で教える ということなのでしょう。キリスト教の立派な神父さんや仏教の徳の高いお坊さんのお説教・法話をイメージすると分かりやすいでしょう。

cf. 「(中江)藤樹先生はガイ悌の悌を易と解し、易とは易簡の易としておられるが、此の易簡とは 蓋〔けだ〕し易伝に乾坤の徳を形容せる易簡であろう。所謂〔いわゆる〕天衣無縫、何等造作人為の煩なくして、為さざる無き大作用を起す所以〔ゆえん〕を言ったものであろう。先生の教が実に又此の易簡の二字を以て形容せられる。」  (『孝経啓蒙』、※現代かなづかいに改める)

※ 注1)  「教以孝、所以敬天下之為人父者也」 : 上・中・下点で返り、
       「所一以〔ゆえん〕」は熟語として扱い 一 (ハイフン)の左横に「下」点を打ちます。
       続く2ヶ所も同じです。

※ 注2)  A)順〔じゅん〕にする  B)順〔おし〕うる  C)順〔したが〕えんや などと読みます。

 

論語    孔子の弟子たち ―― 曾 子 〔1〕 )

§.曾参〔そうしん〕、姓は曾、名は参。字は子輿〔しよ〕。弟子の中で最年少で孔子より46歳若い。(孔子の没時27歳) 70歳過ぎまで生きて、孔子学統の後継者となります。『孝経』・(『曾子』・『大学』)の著者としても知られます。「宗聖」と尊称されます。
  私には、顔回を亡くし、長子鯉〔り〕を亡くし、絶望の淵にある孔子と儒学のために光明のごとく天がつかわした(=Gift)のように思われます。孔子の愛孫、「子思」を薫育します。地味な人柄ですが、文言を味わい味わうにつけても、有徳魅力ある人物です。
  『論語』の門人で、いつも「子」をつけて呼ばれるのは曾子だけです。(有子・冉子〔ぜんし〕・閔子〔びんし〕は、字〔あざな〕でも呼ばれています。)


1) あたかも魯なるが如し ―― 第一印象

・ 「柴〔さい〕や愚、参や魯、師や辟〔へき〕、由〔ゆう〕やガン〔がん〕。」
                                (先進第11−18)

《大意》
 柴(子羔/しこう)は愚か〔馬鹿正直〕で、参(曾子)は血のめぐりが悪く、師(子張)は偏って中正を欠き、由(子路)は粗暴・がさつだ。

※ 魯=遅鈍、魯鈍の語がありますが、血のめぐりが悪い・にぶい・“トロイ”と言った感じです。
   「愚」も「魯」も、味わいのある語で訳せません。
   孔子は、4人の4短所は学業修養によって癒え正せる、それを期待して指摘・表現したのでしょう。


2) さすが親の子 ―― 曾子のお父さん

 “この親にしてこの子あり”で、曾子の父・曾セキ〔そうせき〕も立派な人でした。

・ 「 ―― 点や、爾〔なんじ〕は何如〔いかん〕。瑟〔しつ〕を鼓すること希〔や〕み、鏗爾〔こうじ〕として瑟を舍〔お〕きて作〔た〕ち、対えて曰く、三子者の撰に異なる。 子曰く、何ぞ傷〔いた〕まんや。亦た各々其の志を言うなり。 曰く、莫春〔ぼしゅん=暮春〕には春服既に成り、冠者五六人、童子六七人。沂〔き〕に浴し、舞ウ〔ぶう〕に風して、詠じて帰らん。 夫子喟然〔きぜん〕として嘆じて曰く、吾は点に与〔くみ〕せん。 ―― 」  (先進第11−26)

《大意》
 孔先生は、「点(曾セキ)や、お前はどうだね。」と問われました。曾セキは、今まで低く弾いていた瑟を止め、カタリと置いて立ち上がり、お答えして言いました。「私のは、お三方〔さんかた〕の言われたような立派なものとは違いますが・・・。」 孔先生が、「いや、何でもかまわないよ。皆、ただそれぞれの志を飾りなく言ったまでのことだよ。(お前も遠慮なく言うがよい。)」とおっしゃいました。曾セキは、「春も終わりの頃、春着も既に整ったので、(それを着て)成人した若者5・6人と6・7人の少年を連れて、沂水〔きすい〕のほとりで浴し、雨乞いをする高台で涼風に吹かれて、歌を歌いながら(詩を吟じながら)家に帰ってきたいものです。」これを聞いて、孔先生は感に堪えぬといった様子でおっしゃいました。「私は、点に賛成するよ!」

  ※ 曾参のお父さんの人柄がよく現われている、『論語』の中でも少し調子の変わった部分です。
     孔子は、このように“悠游〔ゆうゆう〕”とした生活も決して否定していません。
     私も、儒学を修め、そして“風流子”もまたよしと思っています。


3) 「吾日三省吾身」 ―― 三省の深意

・ 「曾子曰く、吾〔われ〕日に吾が身を三省す。人のために謀りて忠ならざるか。朋友と交わりて信ならざるか。*伝えて習わざるか(習わざるを伝うるか)。」
                                           (学而第1ー4)

 《大意》
 曾先生がおっしゃいました。「私は、毎日何度もわが身について反省します。人のために考え計って、真心を持って出来なかったのではないだろうか。友達と交際して、誠実でなかったのではないだろうか。(先生から)伝えられたことをよく習熟しなかったのではないだろうか。(あるいは、よく習熟しないことを人に教えたのではないか。)と反省してみます。」

※ 吾日三省吾身 : 「三省」 
  (1) みたび吾が身を省みる
      ( 三=たびたびの意/二たびではダメですか・四たびではダメですか!) 
  (2) 以下の三つのことについて反省するの意 〔新注〕

・ 「」 (1)かえりみる、反省する  (2)はぶく (かえりみることによって、よくはぶける)

cf. 政治も教育も、「省く」ことが大切です。 が、現状は、「冗」・「擾〔じょう〕」。 (分散、駁雑〔ばくざつ〕)ばかりで、(統合、収斂〔しゅうれん〕)がなく、偏倚駁雑〔かたよりごたまぜ〕です。

注) ‘09.9 時事 : 従来は“動き出したら止まらない公共事業” → 民主党(前原国土交通相)は、143ヶ所のダム建設の(中止)見直し

ex. 文部科学などの「省」、「三省堂」の由来

※  「乎」 : 
   (1)伝え(られ)て習わざるか/伝わりて習わざるか〔新注〕
       → 伝えられたこと(聖人のおしえ)を、おさらいもしないでいるかの意
       cf.  ( 王 陽明 の『伝習録はこちらを採っています )
   (2)習わざるを伝うるか → よく習熟(おさらい)もしないことを、
                      (受け売りで)人に教えたのではないか〔古注〕

 

本学   【漢文訓読の基本 ― 2 】

§.訓点のおさらい・注意点と演習/重要語彙の充実 ・・・以下抜粋

● 返り点

 ○ 「レ 点」 ・・・ すぐ下の一字から、上の一字に返って読む時
 ○ 「一・二点」 ・・・ 2字以上を隔てて、下から上に返って読む時(三・四・・点もあり)
 ○ 「上(・中)・下点」 ・・・ 一・二点のついた句を中にはさんで、返って読む時
 ○ 「一とレ・上とレの組み合わせの点」 ・・・ レ点ですぐ上の1字に返って、
                             更に2字以上を隔てて返って読む時

 注1) 上(・中)・下 点 → さらに「甲・乙・丙 点」 → さらに「天・地・人 点」
 注2) 「レ点」は「一・上・甲 点」とは併用できますが、「二・下・乙 点」などとは併用できません
 注3) 熟語は「−(ハイフン)」で示す ex.「所―以〔ゆえん〕」・「教育ス」
     ※ ただし、実際には「−」がない場合も多いので要注意です!
     → 1字目と2字目の間(ハイフンの左側)に返り点をつけます
     

◆ 注意すべき漢字の読みと意味
 
・ 幾何 : いくばく − どのくらいか
・ 所謂 : いはゆる − いわゆる
・ 以為 : おもへ ラク − 思うことには
・ 所以 : ゆえん − 理由
・ 就中 : なかんづく − とりわけ・ことに
於レ是 : ここニ おイテ − そこで・こうして
是以 : ここヲ もつテ − そういうわけで
以レ是 : これヲ もつテ − このような方法で・このことによって
・ 若/而/汝/ : なんぢ − そなた・おまえ(二人称の代名詞)

※ 以下の語、おどり字がなくても重ねて読みますので要注意です!
・ 益 − ますます(益々)   ・夫 − それぞれ(夫々)
・ 数 − しばしば(屡)     ・各 − おのおの(各々)
・ 偶 − たまたま(偶々)   ・看 − みすみす(見す見す)
・ 愈 − いよいよ(愈々)   ・抑 − そもそも


◆ 和漢異義語 (※読みは現代かなづかいにいよる)

◇ 遠慮 : 漢)エンリョ ― 遠い将来まで見据えた深い考え(を巡らすこと)。
        和)えんりょ − 物事を控えめにすること。
◇ 稽古 : 漢)ケイコ ― 昔のことを考え調べること。学問・学習。
        和)けいこ − 武術・技芸などを習うこと。
◇ 故人 : 漢)コジン − 昔なじみ、旧友。  同)故知・故旧。
        和)こじん − 死んだ人。
◇ 人間 : 漢)ジンカン − 人の世・世間・俗世間。 cf.「人間到る処、青山あり。」 
        和)にんげん − 人・人類。
◇ 大人 : 漢)タイジン − 徳のある優れた人。年長者に対する敬称。
             cf. 聖人 ― 君子 ― 大人 − 小人 − (愚人)
        和)おとな − 成長した人。
◇ 小人 : 漢)ショウジン − 1)徳のないつまらないひと。 2)身分の低い人。
        和)しょうにん/こども − 1)子供。  2)背の低い人。
◇ 多少 : 漢)タショウ − 1)多いと少ない。 2)多い(少は助字)。 3)どれほど。
             cf.「 花 落 知 多 少 」(「春暁」)
        和)たしょう − 少し・幾らか。
◇ 百姓 : 漢)ヒャクセイ − 庶民・庶人・一般民衆。多くの人民。
        和)ひゃくしょう − 農夫・農民。農耕に携わる人。 
◇ 迷惑 : 漢)メイワク − 1)道に迷う。  2)心が乱れる。 
        和)めいわく − 厄介で困ること。面倒なこと。
◇ 包丁 : 漢)ホウテイ − 昔の有名な料理人の名前。料理人。 cf.『荘子』
        和)ほうちょう − 料理用の刃物。
◇ 経済 : 漢)ケイザイ − 世を治め人民を救う。「 民」の略。
             cf.Political Economy の訳 (by福沢諭吉)
        和)けいざい − 生活に必要な財貨の生産、分配、消費。
◇ 漸   : 漢)ヨウヤク ― しだいに。「ゼン」は順序、次第。 cf.易卦「風山漸」
        和)ようやく − やっと・しだいに。
◇ 大丈夫 : 漢)ダイジョウ − 一人前の立派な男子。 cf.女丈夫 
         和)だいじょう − たしかで、危なげがなく安心できる様。

 

易経   ( by 『易経』事始 Vol.2 ) & ( by 「十翼」 )

§.易の思想的基盤・背景 (東洋源流思想)  【 ―(4) 】

C. 陰陽相対〔相待〕論(陰陽二元論)



続きは、次の記事(後編)をご覧下さい。




                                         

「儒学に学ぶ」ホームページはこちら → http://jugaku.net/

 

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 儒教・儒学へ
にほんブログ村

                                          

 

QRコード
QRコード
  • ライブドアブログ