「感動」 を国木田独歩に想う
  ――― 感動と芸術・ロダンと国木田独歩・「喫驚〔びっくり〕したい」・
         「咸」卦・大衆社会・『孤独な群衆』・“我”・『忘れ得ぬ人々』 ―――
 

《 驚き・感動 ・・・ ロダンと国木田独歩 》

「大切なことは、感動し、愛し、希望し、生きることである。」
       (『ロダンの言葉』・内藤 濯〔あろう〕訳/同名書・高村光太郎訳)

高校時代、偶然に学校図書館で見つけた『ロダンの言葉』。
その名訳と共に、感動をもって読みました。

そして、この一文は私にとって、今に至るまで箴言〔しんげん〕・座右銘〔ざうめい/ざゆうめい〕としていて、若人に贈る言葉にもよく書いています。

 “近代彫刻の父”フランスのロダン( Auguste Rodin : 1840-1917 )は、
また、「芸術は、感情に他ならない。」 とも言っています。

フランス、バルビゾンの画家ミレー ( J.F.Millet : 1814-1875 )は、
「他人を感動させようとするなら、まず自分が感動しなければ、
いかに巧みな作品でも、決して生命はない。」と言っています。

芸術は「美」の追求であり、「美]は人間の「徳」が形をとって創造されたものです。
その創造・造化の過程での原動力が感動でしょう。

芸術そして文化とは、その 感動 = 美= 徳 を創作者(芸術家)と鑑賞者が共有することです。
感性的な感動を共有するのです。

 『易経』・下経は、テーマが自然的・抽象的な上経から、
人間的・社会的なものに移り現実具体的でより易らしくなると言えます。

その下経の最初が、「沢山咸〔たくさんかん〕」卦(第31)です。

」は、心をつけた「」に同じです
感じて応〔こた〕える感応・感動の卦です。

「咸」は、具体的に恋愛や芸術において捉えるとわかり易いかと思います。
これあるが故に、人生も文(彩/章)〔あや〕どられるというものです。

まことに、天に日月・星々あり、地に草木・花々あり、人に咸あり・愛ありです。
尊い文化の源泉でしょう。

 そもそも人間は、とく「情」の人・文の人であらねばなりません。

「月がとってもきれいだったので、(あなたのことを)想い出して電話してみたの」 
という女性がいたそうです。

こういう人が、「咸」の人・良き女性〔ひと〕だと思います。

 (吉田)兼好法師も、月・露・アロマ〔匂い・香り〕・・・の味わいを深く愛し、
古き世の(平安朝)“なまめかしき”〔優雅な・優美な〕女性像を追慕
いたしております。

『徒然草』の中で、良き対をなしている、
「雪の朝」と「月の夜(有明月・早暁)」の女性の物語を紹介しておきましょう。


○ 【雪のおもしろう降りたりし朝〔あした〕】 (第31段)

雪が趣深く降った朝に、ある人(女性と思われる)に手紙を送るに際して、
雪のことについては何も触れませんでした。
そうすると、
「今朝の雪を見ての感想(または、いかがご覧ですかとのあいさつ)が一言もないとは。
そんな粗野・無〔ぶ〕風流なお方のおっしゃることは、どうして受け入れることができましょうか。
それにつけても、がっかりさせられる(情けない)お心の浅さです。」との返事がありました。
これは何とも、おもしろいことでした。

○ 【九月二十日〔ながつきはつか〕のころ】 (第32段)

ある人(高貴な身分の男性)の誘いで、夜明けまで月見をして歩き楽しんだことがありました。
そして、ある人の愛人宅へ同行しました。(※ 兼好は、宅の外で待っていました。)
その愛人は、アロマテラピーを楽しみ、世を避けて静かに住んでいるような優雅な人のようでした。
(入って行かれた)ある人を送ったその愛人は、すぐには戸を閉めて奥へ入ってしまわず、
妻戸を少し押しあけて月を見ている様子です。
彼氏の後を見送りながらしみじみとした情趣を味わっているのでしょう。
これがもし、彼氏を送り出して、すぐに戸を閉めて中に入ってしまったとしたら、
さぞがっかりさせられたことでしょう。
(※ 兼好は、ある人が宅からでてきた後も、しばらくのぞき見しているわけです。)

 ――― 『徒然草』は、このあたりにしておくとして。


 ところで、明治時代の後半期(日清戦争〜日露戦争)、自然主義文学者の国木田独歩をご存じでしょうか。

独歩は、尋常ではない、唯一不思議な“願望”を持っていました。
それは、恋愛・金・名誉・出世・理想社会の実現などといった一般ピープルの持つようではない望みです。

 ―― それは結局、「喫驚〔びっくり〕したい」という望みです
(彼は、その著『牛肉と馬鈴薯〔ばれいしょ/じゃがいも〕』の中で、主人公に叫ばせているのです。)

 少年時代に読んだ、ロシアの童話でしたか、
“ゾクッ(ぞ〜)としたい”ことを求めて旅する男の話があったように記憶しています。
それが、子供心に不思議と印象に残っています。

この「喫驚したい」という望みというのは、文学者(芸術家)としての新鮮な“感動”をさすのでしょう。
創造の源泉・原動力の問題でしょう。

実際、独歩は、驚けない・はっきり目が醒めないことに悩んでおります。
私自身、芸術家・文筆家としての立場で、この独歩の悩みや望みはよくわかります。
今時の、「スランプ」や「モチベーションの低下」、などと関連づけるとよいかと思います。

 よき人間性を失ってしまいそうな時。
主体的にはっきりと目を醒まし、よく驚く=感動する ということが最も尊いことではないでしょうか。

東洋思想の泰斗・安岡正篤先生は、その著『百朝集』の第1・「我」の中で次のように述べられています。

 「人間は段々驚かなくなる、即ち純真熱烈に感じなくなる。麻痺してくる。
善にも、又悪にも、何ともなくなって来てをる。
夫婦親子兄弟が殺傷する世の中を二十世紀人は案外平然として暮らしてをる。
・・・・ 中略 ・・・・ 
人類が何千年もかかって漸く造りあげて来た文明が恐ろしい破滅に瀕してをるのに、
文明人がそれを驚かない、恐れない。
そもそも人間が驚かうにも、驚くその自我といいふものを恐ろしく喪失してをるのである。」
 ( ※注:原書のまま旧仮名づかいで表記しています。)

 社会全体に視野を拡げてみますと、今、感動を失った「大衆社会」が足早に、愚かに進展いたしております。

アメリカの社会学者リースマン( David Riesman : 1909-2002 )は、その著 『孤独な群衆』 の中で、(現代アメリカ人の社会的性格を)周り・他人の動きに左右され易く、画一化した行動様式・生活意識を持っているという特徴を 「他人指向型」性格と呼びました

そして、大衆社会の中で自由ではあるけれども個性と主体性を失い、
無力感と不安の中で、何のつながりもなく孤立しながら群れ集まって生きる現代人を
「孤独な群衆」と呼んでいるのです

私流に表現すれば、“個が空虚〔むな〕しく闊歩〔かっぽ〕する社会”といったところでしょうか。

 我国においても、マス・メディアに軽々と操られ、
周囲に迎合する「他人指向型」の「大衆社会」が進展し、
その弊害が顕著になってまいりました。

大衆化・国際化・高度情報化が進展する世界の時勢の中で、
日本人のアイデンティティ〔 identity :自我同一性・自己同一性/日本人とは何か?何が日本人か?〕が問われています

古代ギリシアの哲人 ソクラテスは、デルフォイのアポロン神殿に刻まれた「なんじ自身を知れ」の言葉を、真の知を得るための出発点(「無知の知」)としました。 

“Who am I ?” 自分の名を知らぬ者はないでしょうが、
“What am I ?” 「我」が何であるか、何者であるかは分かっているでしょうか?!

 

《 国木田独歩・『忘れ得ぬ人々』に想う 》

 それでは、しばし、『易経』片手に国木田独歩の世界を散策してみることとしましょう!

独歩の作品としては、『武蔵野』をはじめ、『源叔父〔おじ〕』・『忘れ得ぬ人々』
『牛肉とジャガイモ馬鈴薯』・『運命論者』 などが良く知られています。

今回は、短編『忘れ得ぬ人々』に表現されている作者の人間認識や人生観といったものを中心に「観」てみたいと思います。

◆◇◆―――――――――――――――――――――――――――◆◇◆

 『忘れ得ぬ人々』は、1898年(明治31年)国木田独歩28歳の年に、
『今の武蔵野』(『武蔵野』)・『河霧』・『鹿狩』等と共に発表されました。

 この作品は、溝口〔みぞのくち〕という宿場の亀屋という旅人〔はたごや〕宿に、
一人の男が泊まりに来るところから始まります。

語り口調で書かれた巧みな情景描写、
宿の主人と泊まり客との臨場感に満ちた描写がなされています。

この客は、大津弁二郎という無名の文学者で、
その「忘れ得ぬ人々」と書かれた原稿らしきものの内容を同宿の話相手、秋山に語るという設定です。

 「忘れ得ぬ人々」として、三人が語られます。

第一は「淋しい島かげの小さな磯を漁っているこの人」、
第二は馬子唄をうたっている「屈強な壮漢〔わかもの〕」、
第三は琵琶をひき謡〔うた〕う「琵琶僧」です。

その後二年を経て、「忘れ得ぬ人々」の最後に書き加えてあったのは
「亀屋の主人〔あるじ〕であり、「秋山」ではなかったと結ばれているのです。

 さて、大津が原稿の劈頭〔へきとう〕第一に書いてあるのは、
「忘れ得ぬ人は必ずしも忘れて叶〔かの〕うまじき人にあらず」という文言でした。

つまり、親・子・朋友知己・教師先輩といった
忘れてはいけない、忘れるはずではない(義務・当然)人に対して、
「恩愛の契りもなければ義理もない、ほんの赤の他人であって、
本来をいうと忘れてしまったところで人情も義理をも欠かないで、
しかもついに忘れてしまうことのできない人」です。

忘れられない理由は「憶〔おも〕い起すから」であり、
「生の孤立を感じて堪えがたいほどの哀情を催おして来る」時、
「これらの人々を見た時の周囲の光景の裡〔うち〕に立つこれらの人々」が心に浮かんでくるのです。

自他一体感をもって「懐かしくって、忍ばれて来る」というのです。

 忘れられない人々として、大津が秋山に語った意味は、
それが大津(=独歩自身)の人間認識に他ならないからでしょう。

以下において、『忘れ得ぬ人々』から汲み取ることの出来る人間、というものを考察してみましょう。
 
 まず第1に、自然と人間との関係において、“自然の中の人間という認識”があげられます。

 人間中心の西洋の思想・文芸に対し、東洋(日本)には伝統的に自然中心、
自然に帰一する、自然の中の人間という考え方があります。

独歩は、これらの作品をワーズワースの影響の下に書いていると言われています。
湖畔詩人の一人ワーズワースは、詩語を排し、汎神論的な自然観照をうたったイギリスの詩人です。

確かに独歩と共通するものが多いと考えられます。
文学者として自然を描き、その自然の中の人間を描いています。

独歩自身その経歴を見てみますと、
田舎の自然は好みますが人間はつくづく嫌っており、
東京に好んで住むことになるのです。

独歩の志向は、人間関係や人間社会の煩わしさにはなく、
自然とその自然に一体化した存在としての人間にあると思われます。

 この作品を読んで、まず特徴的なことは、その独特の自然描写です。
分量的にも、例えば第2の忘れ得ぬ人である馬子〔まご〕が登場する部分が18行ほどの記述であるのに対して、その話の舞台である九州旅行での自然描写は実に77行ほどにもなっています。

その自然描写の延長、帰一するものとしての人物の描写なのです。
 
ところで、東洋の水墨画は自然中心で、人物は「点景」として小さく自然と一体化した姿で描かれます。
私には、この作品の情景はまさに、一幅〔いっぷく〕の(彩色された)水墨画のように感じられるのです。

 船上からみえる漁人、通りすがりにみえる馬子、散策中みえる店先に立つ琵琶僧、
すべてが恰〔あた〕も点景のような人物です。

それらの人物の個人的なことや空想は、何も語られていません。
ありのままに、人物は自然に近づけられ一体化しています。

大津(=独歩)は、それら風景の中の人物に感動し、
その点景人物に作者自身が投影されているのではないでしょうか。

 そしてその水墨画は、絵画的で色彩の章〔あや〕なすものなのです。
一例に九州旅行の風景描写の中で色を拾ってみると。

 《 阿蘇山の白煙・霜・水蒸気が凝って白・雪・枯草白く・
赤きあるいは黒き・赤く・夕陽〔せきよう/2回〕・白煙濛々・麦畑・
斜陽・夕闇・夕暮・竈〔かまど〕の火・(明白〔はっきり〕)・蒼味がかった水・
真白・月の光・灰色・碧瑠璃〔へきるり〕 》など。

 このように、日本を象徴する色、白をベースに色が彩〔あや〕なしています
ちなみに、易に「白賁(はくひ/白く賁〔かざ〕る)」を理想とするとあります。

白は(素人〔しろうと〕と使うように)素〔しろ〕であり、
賁らぬ素〔そ〕のままの人間のあり方を示しているのです。

 第2に、“(自然を)我・自我を中心に捉えている点”があげられます。
先に自然について述べましたが、その自然は作者の私心に訴えるものです。

風景の美は、独歩(大津)の目と心を通しての“心象風景”の美といっても良いでしょう。

 大津は独歩自身がモデルであり、忘れ得ぬ人々も自身の投影、
自分がそこにいても良い人々なのでしょう。

具体的に登場する三人、原稿にある他の人々、鉱夫・青年漁夫・船子、
そして「亀屋の主人〔あるじ〕」です。
従って、すべて(独歩と同じく)です。
そして、(独歩と)心の交流のない人々なのです。

 第3に、“平凡・無名の人間”です。
1907年、二葉亭四迷が『平凡』を発表します。

『忘れ得ぬ人々』に登場する人々も平凡であり、一般的・ありきたりです。
そして忘れ得ぬ三人の人々は、仕事をしている姿(自然の中での人間の営みの日常)がありのままに描かれています。

また、大津・秋山以外に人名は登場しません。
この両名にしても、最初は、「七番目の客」・「六番の客」として登場するのです。

共に名刺には“肩書き”がなく、無名の文学者と無名の画家なのです。
更に、後年、秋山は忘れ得ぬ人々の中に入っていないのです。

 無名の自然(場所)に無名の人、―― そこに人間の本質・素〔そ〕・真実を見い出しているのではないでしょうか。

 第4に“五感(官)に忠実な認識”。
五感に占める情報量は、(心理学実験値で)視覚 87%、聴覚7%、
嗅覚3.5%、触覚1・5%、味覚1% 
とも言われています。

作者が意図しているかどうかはともかく、
この感覚の重要度の順に忘れ得ぬ人々が想起語られています。

 第1番目の漁人の場面では視覚描写。
第2番目の馬子の場面では、荷車の音・馬子唄・俗謡など聴覚描写が加わります。

第3番の琵琶僧の部分では、更に「腥〔なまぐさ〕い臭がーー鼻を打つ。」など、
嗅覚描写が加わっています。

人間の内面の“自然”にも忠実ということでしょうか

 第5に、まことに私見ではありますが、この作品から受けるイメージとして、
易卦「火山旅」の人生観が連想されるので一言付言いたします。

「旅」卦は、行かねばならぬ旅、孤独な旅人の意です。
親和薄く、文学美術への志向です。
作品の冒頭「旅人宿〔はたごや〕」、「燈火〔あかり〕」の登場や
末部「独り夜更〔よふ〕けて燈〔ともしび〕に  ーー 」などからの連想からかも知れません。

心淋しく、妻女外に行く意があります。
独歩の当時の境遇は、“信子”失踪があり、
こういった人生の辛味が作品に込められていることも推測できるでしょう。

 結びに、“感動・驚き重視の人生観”とでもいえそうなものについて述べてみたいと思います。

大津、秋山は、無名ながら多感な青年です。
忘れ得ぬ人々は、大津(=独歩)が感動した人々に他ならないのです。

 独歩がこの三年後に書く 『牛肉と馬鈴薯〔じゃがいも〕』 の主人公に
喫驚〔びっくりしたい〕」という唯一不思議な願いを叫ばしているのは有名です。

独歩自身、驚けない、はっきり目が醒めないといたく悩んでいます。
人間は段々驚かなくなり、純真熱烈に感じなくなります。

人間が人間たることを失ってしまいやすい時に、主体的に目を醒まし、
よく驚くということが、人間の一番尊いことでありましょう

独歩は、そのような人間像を志向していたのではないかとも、この作品を読み味わうにつけ感じた所です。
 
                                                                                     以 上 


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