儒灯

【温故知新】儒学の普及に力を注いでおります真儒協会 会長、高根秀人年の個人ブログです。 『論語』、『易経』を中心に、経書の言葉を活学して紹介して参ります。 私個人の自由随筆、研究発表などのほか、真儒協会が毎月行っております定例講習についても掲載しております。

2010年04月

天皇のお名前と「仁」

天皇のお名前と「仁」
    ─── 仁 / 愛 /〜子〔し/こ〕/ミーム/忠恕/
          明仁(H.)・裕仁(S.)・嘉仁(T.)・睦仁(M.) ───


《 はじめに 》

 幼少のみぎり、親父が知人と軽く談話していたのを聴くでもなく聞いていて、
その内容を何故かいまだに鮮明に覚えています。

それは、“(当時の昭和)天皇陛下のお名前は何というか”という内容です。

“天皇(陛下)”というのは、会社でいえば“社長”・“会長”などと同じで身分や地位の呼称です。
個人の名前ではありません。

 「そりゃ、キンジョウ陛下だろう。」と、その知人の人が言っていました。
“キンジョウ(コンジョウ)”は、“今上”ですから、今(当代)の天皇といっているだけですから
名前ではありません。

昭和天皇は“ヒロヒト”(陛下)というのだと、父が言っていました。

今、天皇のお名前を知らない若者が多いですが、親は子供にしっかりと教えられているでしょうか?
 (日本史上)最近の、天皇のお名前が言えますでしょうか。(敬称略)

・平成 ── 明〔あきひと〕    ・昭和 ── 裕〔ひろひと〕 
・大正 ── 嘉〔よしひと〕    ・明治 ── 睦〔むつひと〕 
・・・と申されます。

※ 明治以来、「一世一元の制」により天皇一代を一年号と定められています。



《 仁 とは 》

 お気付きのように、天皇のお名前には「仁」の一字が用いられています。

つまり、皇子〔みこ〕(天皇のお子様としてお生まれになった男子)には、
「○・仁」のように命名するわけです。

その出典は、元号(年号)と同じく儒学の経書からが多いです。

 平成天皇のお名前は、「明〔あきひと〕」。お子様の、「徳〔なるひと〕」さまは 
『中庸』から、「文〔ふみひと〕」さまは 『論語』から採られています。
(意図したのかどうか存じませんが)

今上天皇と皇太子と、父子で「明徳となります。
明徳は、大人〔たいじん〕の学 『大学』の三綱領の筆頭です。
「大学の道は明徳を明らかにするにあり。」です。

 秋篠宮〔あきしのみや〕(妃:紀子さま)家のご長男(親王)は、
「悠〔ひさひと〕」さま(‘06.9.6 生)。

「悠」を、“はるか”と読む名前も身近に 3・4人知っています。
“悠游〔ゆうゆう/悠悠〕”は私の好きな言葉・文字ですが、
悠久・悠然の悠で、ゆったり・長い・久しいの意です。 

 「仁」は、一般ピープルにも、永く広く浸透・普及しています。
歴史上の人物名などでご存知かと思います。

現在でも、お知り合いに何人かは「仁」のつく人や屋号などがあると思います。
男女の別を問わず、よく用いられていますね。
「仁」のつく名前の羅列は省略するとしまして ── 。

 TV.番組は、その時代時代の世相を反映しているという側面を持っています。
例えば、昨年度(‘09)私が楽しく見せて頂いたものを 2つ紹介しておきたいと思います。

「仁」が、主人公の名・兼ドラマタイトルに用いられているものです。

 1つは、「特命係長・只野 仁〔ただの ひとし〕」(高橋克典・主演)。
表向き、昼間の顔は、サエない平係長ですが、
社長の特命を受けて会社の平安無事を守るために超人的な活躍をする、
というコミカルな娯楽番組です。“ただの人”のシャレでしょうか。

 今1つは、「JIN − 仁 −」です。
幕末の江戸へいきなりタイムスリップした脳外科医・“南方 仁〔みなみかた じん〕”
(大沢たかお・主演)が主人公です。

その近代医術で、人々を救ったり幕末の英傑たちと交流するものです。
やがて、江戸に“仁友堂”を開院して結びとなります。

緒方洪庵〔おがたこうあん: 医師、適塾をつくる〕も登場しまして、
私には“医は仁術なり”のことばが連想されました。

 現在の「仁」ということば(文字)は、その意味内容の深意・重大性を離れて形骸化し、
大衆社会の弊害を背景に、知名度の理由だけで形式的に用いられているのでしょう。

さて、「」は、儒学(孔子)の考える理想的人間(君子)の徳目の中心です。
『論語』の中に、100回以上も登場します。

「仁」の字は、人が二人で対等・平等・人間相互のコミュニケーション
(親しみや人を思いやる愛情)をあらわしています。
また、種子の中の胚芽の部分で、なくてはならない一番大切なものです。

「果物の核〔さね〕を仁というが、この宇宙・人生を通じて、万物と共に生成化育していく。
その造化の徳が仁である。
この仁が発して、いろいろの枝や葉、花、実となるというふうに発展していくその根本が仁であり、
その仁から出る瑞瑞〔みずみず〕しい鮮やかな成果が文である。
だから文は文化・教養といってもよい。
 ・・・ 」
(安岡正篤・「人生の五計」引用)

 ところで、知るということについて、「学知」と「覚知/智」という語があります。
「学知」とは通常の一般的な読み書きで理解するものです。
「覚知/智」は、心の底・“腹の底からドンとわかる(智:さとる)”というものです。

「仁」のような形而上学的(抽象的・哲学的)概念は、覚知・覚智の世界で、
心眼・心耳にて、形なき形を観、声なき声を聴き、天から(天の働きを)自得しなければなりません。

東洋でいう悟りです

 悟りは、自得・体得するものですから、他者にことばで説明・伝達することは出来ません。
それで、孔子は『論語』の中で、弟子の能力・個性に応じて、さまざまな表現で「仁」を定義・説明し、
語っているわけです。

西洋でも、『(新約)聖書』を読むと、イエスさまが同様にさまざまな具体的表現で、
「(キリスト教の)愛」を語っているのがわかります。 

 このように、「仁」(・「愛」)というものを真に知るには覚知・覚智しなければなりません。

さりとて、人に教え示すのを業としていますと、一応は言葉・文字表現で説明して、
ある程度の理解をしてもらわなければなりません。 

── 例えば、次のとうりです。

 「仁」は、具体的には、まごころと思いやり(忠恕〔ちゅうじょ〕、
加えて孝悌〔こうてい〕)
を意味します。
人類愛・ヒューマニズム〔人間中心主義〕の思想そのものです。

結局のところ、儒学の「仁」、キリスト教の「愛」、仏教の「(慈)悲」は、
本質においてはみな同じと思われます


 人間にとりまして「仁」は、「一貫」する根源的で重大な本〔もと〕です
にもかかわらず、当世、忘却・放擲〔ほうてき〕されて、まさに“仁義なき時代”です。

何百年の後、日本の未来(があるとすればですが)から現在を眺める時、
さぞかし現状を愚蔑軽蔑の念をもって語られることと思います。



《 仁 と 愛 》

皇太子(妃:雅子さま)のご長女(皇孫内親王)は、御名を「子〔あいこ〕」さま、
称号を「宮〔としのみや〕」さまと命名されました。
(‘01.12.1 生) 出典は『孟子』です。

○「孟子曰く、君子の人に異なる所以〔ゆえん〕は、
  その心を存〔そん/かえり=省・みる〕する(心に存す)を以てなり。
  君子は仁を以て心を存し、礼を以て心を存す。 |
  仁者は人をし、礼ある者は人をす。人を愛する者は人恒〔つね〕に之を愛し、
  人を敬する者は人恒〔つね〕に之を敬す。・・・ 」     (『孟子』・離婁章句下)

《大意》
 孟子がおっしゃるには、「有徳の君子が、一般ピープルと異なっているところは、
よくその本心を存して失わないということに(その心をたえず反省していることに)あるのだ。
君子は、いつも仁と礼の徳を修めて、本心を失わないようにする。(その心を反省する。)
そもそも、仁者というものはよく人を“”するし、礼ある者はよく人を(尊)“”するものである。
人を愛するものは、他人〔ひと〕もまた常にその人を愛するし、
人を(尊)敬する者は、他人もまた常にその人を(尊)敬するものである。 ・・・ 」と。


 当時、皇室の中に男性のお子さまがいらっしゃいませんでした(悠さまがお生まれになる5年前)。 
天皇になることを前提とする“仁”はつけにくく、“愛”にしたのではないでしょうか?
(現・皇室典範で天皇は男性と定められています → 変更すればよいわけではありますが) 

というのも、先述のように“仁”と “愛”は同じだからです。

『論語』にも、 「樊遅〔はんち〕 仁を問う。子曰く、人を愛す。」(顔淵第12) と
仁が人を愛すことであることが述べられています

 そして、「敬〔けい/つつしむ〕」。
母(陰)の“愛”に対して“敬”は父(陽)です。

敬愛そろって、人倫のよろしきが保てるのです。
『孝経』 の「天子章・第2」に、次のような記述があります。


○“子曰く、「親をする者は敢えて人を悪〔にく〕まず、
  親をする者は、敢えて人を慢〔あなど〕らず。|
  愛敬〔あいけい〕 親に事〔つか〕うるに尽くして、徳教百姓〔ひゃくせい〕※ に加わり、
  四海に刑〔のっと〕る(刑〔けい・のり〕す)。蓋し〔けだ〕し、天子の孝なり。 ・・・ ”

《大意》    
孔先生がおっしゃるには、「親を愛する者は、どんな場合も敢えて他人〔ひと〕を憎むようなことはない。
また、親を(尊)敬する者は、どんな場合も敢えて他人を侮る(バカにする)ようなことはない。
“愛”と“(尊)敬”の心が、親に事えるに際して発揮され尽くされれば、
徳による教え・教化が遍く万民(国民全体)に行き渡り、
四方蛮族の国々にまでもお手本としてマネるようになる。
これがまあ、天子たるものの孝というものだろうね。 ・・・・ 」と。


 “敬愛”の名称は、今でも、幼・小・中・高・大の学校関係をはじめ一般団体でも広く用いられています。



《 子〔し/こ〕の字 》

 本来、中国では、上につく“子〔し〕”は、男子の美称・尊称です。
日本では、“お富さん”・“お寅ばあさん”のように名前の上に“お”をつけて丁寧・尊敬を表わしますね。

 下につく“子〔し〕”は、成人男子の尊称で、〜先生・〜様の意です。

例えば、“孔子”は(孔が姓で)、孔先生の意です。
ですから、“孔子先生”や“孔子様”という用いかたは“先生様”と同じく重複で丁寧に過ぎます。

『論語』の「子曰く ・・・」は、「孔子曰く ・・・」を略したものです。
また、子は非常な尊敬を表わしますので、『論語』で子がつくのは“曽子〔そうし〕”ほかほんの数名です。

 従って、極めて敬意を表して“子”が上下につく場合もあります。 

 ── 例えば。

○「子程子〔していし〕曰く、不偏、之を中と謂〔い〕い、不易之を庸と謂う。 
   ── 中略 ── 
  子思〔しし〕其の久しうして差〔たが〕わんことを恐る。故に之を書に筆して、以て孟子に授く。」 

有名な『中庸』・序の冒頭です。“子程子”がそれです。
なお、“子思”は孔子の孫の名で『中庸』の著者です。
尊称する時は子思子となります。

“孟子”は孟が姓です。ついでに、『論語』の人気者・孔子の高弟“子路〔しろ〕”は字〔あざな〕です。

ちなみに、日本でも漢学の教養のある人は、“〜子”と称して敬意を表しています。
例えば、俳人 正岡子規の“子規”は名前(ペンネーム)ですが。
子規の親友 夏目漱石は、そのデビュー作品 『吾輩ハ猫デアル』 の中に
次のように子規を敬意を表して登場させています。

「僕の俳句における造詣と云ったら、子規子も舌を捲いて驚いた位のものさ」。

一方日本では、下につく子は“こ”と読んで、専ら女性の名前に使われます。

本来、〜様 という敬称で、身分の高い女性に付きました(一般の人々には付きませんでした)。

ちなみに、私の母の名は“秀子”で、
その母の一字と父の“義人〔よしと〕”の一字をもらって“秀人〔ひでと〕”と名付けられています
(それに“年”をつけ字し、易号として用いています)。
私の4人の姉・妹は、みな “○○子”です。

子供の命名には、流行〔はやり〕があって、
今は “〜子” は流行らないようでぐっと数は少ないようです。
しかしいずれまた、流行るかも知れません。

私が頼まれて命名したもので、良い出来だったと思っているものの一つに
“夏子〔なつね〕” があります。
夏生まれの女児でした。「子〔ね〕年生まれ」であったことと、“なつこ”と読んでも良いので、
将来成人するころには “〜子” が流行るかも知れないと遠き慮〔おもんばか〕りしての命名でした。



《 結びに 》

 (中国)大陸では、孔子の血脈が受け継がれ、
今時、79代直裔孔孫 孔垂長先生がご活躍と聞いています。

お子さまの、第80代直裔孔孫 孔佑仁さまが、H.18年1月1日にご誕生されておいです。

 我国では、天皇の血統が脈々と受け継がれ、
(神武天皇に始まる初期の代のころは、歴史的実証に疑問がのこるにせよ) 
今上陛下で、125代を数えるとされています。

一番古い皇室(※エチオピア皇室は数年前に追放されています)として世界が注目しています。

その永い歴史の間に、血統が絶えるかもしれないとの危機も幾度かありましたが、
途絶えることなく今日に至っているのは、奇跡的なことといえましょう。

日本の天皇を“世界遺産”に、との声もあるそうです。
実〔まこと〕に偉大、世界に誇れることではあります。

 応神天皇16年、我国に『論語』10巻と『千字文』1巻が伝来した(漢字・儒学の伝来)とされています。

この時以来の、我国の皇室と、天皇の御名に「仁」を冠することに象徴される〔シンボライズ〕
儒学との緊密な結びつきは、現在に至るまで連綿脈々と生きています。
※ 注) この皇室と儒学との結びつきの理由は、どのように考えればよいのでしょうか?

 その考えられる理由の第一は。 
当時、日本の王〔おおきみ〕・元首としての天皇が治世上、
先進唐土〔もろこし〕の儒学という優れた学術文化・治政思想を摂り入れた。
それを強力に普及するべく先頭に立った、という視点が考えられます。

 今一つは、本来アジアの聖なる思想・教学は、至れるもの同じであった。
中国儒家思想(理想像)と日本の天皇の思想(理想像)は
元々似かよっていたから(皇室に「仁」の心がすでにあって)、
自然に速やかに一体化・融合したという視点
です。

 外来文化というものは、固有の文化(神道など)とトラブル〔拒否反応〕を示すものです。
仏教、キリスト教 ・・・然りです。

例を想うに、医学面でも、異なるものが体内に取り込まれる(臓器移植など)と
トラブル〔拒否反応〕を示します。
が、近親者のものなどでDNA〔遺伝子〕が類似しているものなら自然と同化・一体化します。

「仁」の心=儒学の教えは、水が大地に沁〔し〕み込むように日本で吸収され一体化いたしました。

 私は、アジア民族のミーム〔文化的遺伝子:ここでは思想的遺伝子の意〕に想いを馳せて、
後者の視点に魅力を感じています。

そして、私共の祖先が持っていた、外来文化に対する類〔たぐい〕稀な優れた
“陶鋳力〔とうちゅうりょく: 受容・吸収力〕”が相俟っていたことも付言しておきたいと思います。


※ 注) 最近の事例として、皇太子さま50歳をお迎えになる前の記者会見。

《皇太子さまは、天皇陛下も50歳の誕生日会見で触れた
孔子の ※「忠恕〔ちゅうじょ〕」という言葉を引用。
『忠恕』と『天命を知る』という教えに基づいて、他人への思いやりの心を持ちながら、
世の中のため、人のためにできることをやっていきたいと改めて思っております」》 
(朝日新聞 ‘10.2.23) 

と述べられています。


※ 忠恕 ・・・ まごころと思いやり。曽子が、孔子“一貫の道”=仁 を具体的に表現したものです。(『論語』・里仁第4)


【*本稿、尊いお名前について多数ふれております。
記載ミスがありましたら、また敬称の省略など、お赦しいただきますよう。】


以 上 


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特別講演 「儒学・五行(風水)思想からみたアジア(中・朝・日)の交流」

特別講演(2008年9月)












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 定例講習受講生からの招聘〔しょうへい〕を受けて、
京都・四条河原町の至便の地で、特別講演を行いました。

 受講希望者に、韓国語を学んでいたり
韓国・朝鮮の文化に関心を持っている人が多いとのことだったので、
アジア(中・朝・日)の文化交流を儒学・五行(風水)思想の視点から概説いたしました。

韓国の国旗(大極旗/テグキ)が、易の大極と四象〔ししょう〕を示しているように、
儒学(=易学)と韓国の係わりは、現在に至るまで深いものがあります。

 PM.1:30〜開始。 1部:講演、 2部:講演と実演 の構成で、
約3時間余り講じました。

アシスタントとして、易学鑑定士・嬉納禄子〔きなさちこ〕先生、
カラーアナリスト・汐満未佐子先生を伴いました。

2部の実演で、嬉納先生には五行思想(九星気学)に基づく
自分のイメージカラー、ラッキーカラーを確かめてもらいました。

汐満先生には(米流)パーソナルカラー理論に基づく診断実演をお願いいたしました。

また、終了後、希望者には個人的にP.カラー診断を実施いたしました。

 斬新〔ざんしん〕なテーマと豊富・多彩な内容で、
アジア3国の交流を分かり易くポイント解説していると好評を博しました。
講師として、嬉しく思っております。

 

※ 配布資料の一部として用いました“儒学年表”は、
  完成した形で真儒協会HP.( 文字検索“儒学に学ぶ”、儒学の歴史・あらまし )
  でご覧になれます。

http://jugaku.net/jugaku/history.htm

これは、中・韓・日 の3つの国の年表を並置したオリジナル年表です。 

3国の交流のプロセスや“儒学(朱子学)文化圏”が形成されたとの 私の考えが、
年表の上で視覚的に確かめられます。

 “儒学年表”で、チャングム(実在の医女)の時代 【16世紀初の「李朝」・(中国 明王朝・我国 室町)】 や、太王四神記の時代 【「高句麗」・(中国 南北朝分裂時代・ 朝鮮半島に「百済」・我国「倭」=大和王権】 を確かめておきましょう。

※ 講演終了後、アンケートによる感想を頂戴いたしました。 
  2・3 付記しておきます。

・ 「とても詳しい資料と とても良い声で、知らなかったことを沢山聞くことができました。
  とてもわかりやすかったです。/聖徳太子や大王四神記、チャングムの誓いなど・・・
  身近な話題も多くて楽しかったです。」

・ 「とても高度なお話しでしたが、テレビ番組など、
  親しみやすいお話しを入れて頂いたので、分かりやすく・・・、
  貴重なお話しをありがとうございました。」

・ 「全く儒学の事をしりませんでしたが、大変興味深く聞かせて頂き楽しかったです。 
  ―――― 息子と話す、楽しみの1つが出来ました。
  先生のお話は最高でした!!」

     − − − − − − − − − − − − − − −



 「 儒学・五行(風水)思想からみたアジア〔中国・朝鮮・日本〕の交流 」 レジュメ

                           真儒協会会長 : 高根 秀人年

 「北京奥林匹克〔オリンピック〕」が開催され(2008.8.8)、世界諸国が集い、
中国が文化で彩(いろど)られています。

かって“文化大革命”(30年余り前)で、強力に弾圧されたことが信じられない程に、
儒学(孔子・『論語』や風水)思想が復活再生〔ルネサンス〕されつつあります。

 さて、かつてアジアは、すぐれた文化圏として親密に結ばれていた時代が
幾たびかありました。
それは、例えば、中国を父母とし朝鮮・日本を兄弟姉妹とするようなものでした。

日の出づる処〔アズー :ASU〕 = アジア〔ASIA〕”を構成する
中国(地域)、朝鮮(半島)、日本(列島)の交流のあらましを
儒学・五行(易学、風水)思想の視点から、概説してまいりましょう。


§.1 部 : アジア(中・朝・日)の文化交流のあらまし

                      ( cf.真儒協会 HP. “儒学年表” )

 “日の出づる処”アジアが 文化的に交流し、結び付けられたのは、
文字(=漢字)と儒学(の思想)によるところが大でありました。

 まず、文字の日本伝来

文字を持たない我国に、応神天皇16年 (西暦285年?、405年?)、
朝鮮(百済:くだら)の博士 王仁〔ワニ〕が、『論語』10巻と 
『千字文〔せんじもん〕』 1巻をもたらしました。

やがて日本は、中国の漢字を日本的に変容させて
( ex.漢文訓読、かな文字の発案など)受容・吸収いたしました。

 次に、儒学文化圏の形成
文字の伝来・受容は同時に儒学の伝来・受容でもありました。

その儒学は、永きにわたって我国の政経・社会・文化の“いしずえ”となり、
美しい日本人の精神 = こころを形成してまいりました。

聖徳太子は、(日本史に登場する)その最初の儒学的教養人指導者で
あったともいえましょう。

儒学による大文化圏の形成は、日本の遣(隋)唐使節の時代〔大唐文化圏〕に続き、
徳川幕府が、“朱子学(しゅしがく :朱子によって大成された新儒学)”を
官学(正学)として採用した時代に実現
いたすます。

日本(江戸幕府)と朝鮮(李氏)との間では、“朝鮮通信使”の交流がありました。 
ーー アジアにとって、平和で文化の繁栄した時代でした。

 そして、儒学(易学)思想を中心的に形成する源流思想である 
陰陽五行思想”を紹介いたしました。

四神相応〔ししんそうおう〕や風水〔ふうすい〕として、人々によく知られているものです。

日本の例として、キトラ古墳や高松塚古墳の壁画、
「京都」や「江戸(とうきょう)」の風水思想による都づくり、街づくりを紹介いたしました。

朝鮮の例として、(韓国ドラマの)‘太王四神記’や
‘チャングムの誓い’(漢方・中医学・易)を紹介いたしました。

 結びとして、アジアの現状と展望。

第2 WAR後、儒学とその思想が、伝統文化なるがゆえに、共産化・“文化大革命”(中共)、
“大東亜戦争敗戦”・米による占領政策(日本)によって弾圧・忘却させられました。

私は、儒学交流年表で それぞれ“暗黒時代”と“蒙の時代”と表現してみました。

朝鮮は南北に分断され、北は共産国となっています。

いま、“古き良きもの”・“不易なるもの”として、それらが見直され 再生されようとしています。


§.2 部 : 五行(風水)思想と色 【講演と実演】

 21世紀は、“色の時代 : Color Ages ”とも呼ばれています。
また、国際化の時代でもあります。

儒学・五行思想の身近な具体例として、“色”に視点を絞って
アジアの交流のあらましと、(欧)米との交流の現状を提示してみましょう。

 まず、東洋における“色”の思想は、陰陽五行思想にもとずくものです。
五色(ごしき)・禁色(きんじき)・位階色(いかいしょく、服色制度)、
風水や四神相応のなかの色がそれです。


○ 自分の色 A (東洋流) : 第1カラー、第2カラー
   五行思想にもとずく、自分のイメージカラー・ラッキーカラーを
   伝統的「九星気学」で確かめました。 (万年暦使用)
       ※ アシスタント : 認定鑑定士・嬉納 禄子(きなさちこ)先生

○ 自分の色 B (欧米流) : 第1カラー、第2カラー
   次に(欧)米における“色”の研究と現状を紹介しました。
   もっぱら米で発展した色彩学、色彩心理学、パーソナルカラー〔自分色〕の理論です。
   《 パーソナルカラーの理論紹介とモデルによる診断実演 》
   ※ 担当アシスタント : カラーアナリスト・汐満 美佐子(しおみつみさこ)先生

○ 国際化の時代における(欧)米と東洋の交流
   国際化の時代を迎え、(欧)米と東洋とがグローバルに交流してまいりました。
   その交流の中で、アジア的(日本的)なものを創っていくことが必要です。

 今回 例示いたしましたパーソナルカラーは、ブルーベースとイエローベースに2分し、
更にそれぞれ2分してフォーシーズンに類型立てるものです。

これを東洋の“陰陽の思想=易学の思想”によって捉え直すことができます。

また、色彩の原理論に関しても、“東洋の五色〔ごしき=正色 :赤・青・黄・白・黒〕の思想” と
イッテンのペンタードとの同一性が指摘できます。

※ 【たかねデザイン研究所・色彩研究所の研究試論による】



■ おわりにかえて

 以上、儒学を中心とするアジアの交流のあらましと、
各論として色文化の現状を見てまいりました。

かつて、アジアを結び付けた文字・儒学・(宗教では仏教)の流れは、
中国 → 朝鮮 → 日本 というものでした。

 現在、国際交流の時代を迎え、欧米とアジアという視点から考えていかなければなりません。
アジアも、中国は政治的に共産化、朝鮮は南北に分断(北は共産化)、
日本は(占領後)アメリカ化し個々混沌としてまいりました。

例えば、色文化の流れみても、
1つには、 (欧)米 → 韓国 → 中国 が考えられます。
が、日本を経由せずに直接 米 → 韓国 、
さらに(米中関係の変化から) 米 → 中国 も考えられます。


 『論語』に、古くていつも新しい“温故知新”という言葉があります。

アジアが、新しい時代の要素を加えて良く交流し、
儒学に代表される優れた文化で再生〔儒学ルネサンス=オリエンタル・リナシメント〕すること。

そして、我国の持つ“陶鋳力〔とうちゅうりょく :優れた受容吸収能力〕”が発揮され、
日本的ルネサンスが実現することを望んでやみません。
 

「儒学に学ぶ」ホームページはこちら → http://jugaku.net/

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