儒灯

【温故知新】儒学の普及に力を注いでおります真儒協会 会長、高根秀人年の個人ブログです。 『論語』、『易経』を中心に、経書の言葉を活学して紹介して参ります。 私個人の自由随筆、研究発表などのほか、真儒協会が毎月行っております定例講習についても掲載しております。

2010年05月

黄門さまの“虎変” と 「伯夷伝」

黄門さまの“虎変” と 「伯夷伝」
  ―― 水戸光圀・『大日本史』/司馬 遷・『史記』/「伯夷伝」/
  “譲〔ゆずる〕”の徳/虎変・豹変/放伐(革命思想)/古典学習の大切さ ――


《 はじめに ・・・ “水戸黄門” 》

 「このインロウ〔印籠:Tokugawa’s classical symbol〕が目にはいらぬか!ひかえおろう!・・・ 」 

のステレオタイプ〔紋切り型〕で誰もに知られ親しまれている “水戸黄門”。
現今〔いま〕も昔も大昔も、ずっと人気の(ゴールデンタイム)TV番組で、
主役と脇役を交替・引き継ぎながら“受け継がれ”ているわが国の代表的お話です。

最近も(‘10.4)人気助演女優の 由美かおる さんの入浴シーンが
なくなることがメディアで報じられています。
こういった世相には、ほのぼのしたものを感じます。

 番組最後に、この紋切り型〔きまりきった〕の10分間ほどのシーンが毎度繰り返されます。
(遠山の金さん、桃太郎侍なども同様です)。

結末がわからぬ、どんでんがえしするのが当然の欧米の人々には解し難い、
日本人独特の感性でしょう。

今回は、日本、日本人の“こころ”とでもいえる、「黄門さま」 をテーマに述べてみたいと思います。

 “水戸黄門”のお話は、無論フィクションです。
が、全くすべてが作り話というわけではありません。

水戸藩主・徳川光圀〔みつくに〕公が実在し、仁徳ある名君であったこと、
“助さん”が実在して光圀公のために諸国をめぐり活躍するのも事実です。

「黄門さま」は水戸藩主の位ある(中納言の唐名)ご隠居さまの呼称ですから何人もいます。

ちなみに、古代エシプトのクレオパトラも 7人います。
みなさんがご存じのクレオパトラは、エジプト(プトレマイオス朝)最後の女王
クレオパトラ 7世のことです。

私たちが、普通言っている水戸黄門さまは、徳川光圀(1628-1700)公を指しています。

光圀公は、明〔みん〕の遺臣 朱舜水〔しゅしゅんすい〕を招き、
江戸藩邸に彰考館〔しょうこうかん〕を建て、『大日本史』の編集を開始しました。

――― この伝説化され、お馴染みの徳川光圀公ですが、
一般にはあまり知られていないエピソードがあるのです。


 
《 “不良少年”水戸黄門 と 伯夷列伝 》

 かの、徳川光圀公(水戸黄門さま)は、少〔わか〕いころ勉強もせず
放蕩三昧〔ほうとうざんまい〕で、周りの人を困らせていました。

今風に平たくいえば“不良少年”だったのです。

ところが、18歳(今なら17歳、高校生くらい)の時、『史記』を読み、
とりわけこの「伯夷列伝」に感動し自身悟るところがあったのです。※注) 
そうして変身します。

名君を目指します。
そして、江戸藩邸に彰考館〔しょうこうかん〕を建て『大日本史』の編纂を開始するのです。

ところで、今年(‘10) の12支は虎です。「豹変」はよく知られていますが、
虎変〔こへん〕」はあまり知られていません。

2つはペアーで、共に易卦「沢火革〔たくかかく〕」
(Revolution :革命の革、あらたまる、かわる)の 爻辞〔こうじ〕です。

5爻辞が「大人〔たいじん〕虎変す」、上爻辞が「君子豹変す」です。
両方とも、毛が生え替わって、虎柄・豹柄が美しく変化するという意味です。

実際、虎や豹の生え替わりは実に見事な美しさです。

ついでに、現在「君子豹変」は、いきなり悪く変わることを指して用いられますが、
明らかに誤用です。
虎も豹も、より立派に変わることを虎変・豹変というのです。 

5爻・虎と上爻・豹の違いは、陽と陰(大人と君子/大と小)の違いです。
豹のほうが、しなやかで女性的でしょう。―― それはさておき。

 若き光圀公は、この『史記』・「伯夷列伝」との邂逅〔かいこう〕により、
見事、変身=虎変したわけです

名君(=君子)への道をスタートいたします。
では、その「伯夷列伝」とはどのようなものでしょうか。

※注) 光圀は、兄頼重〔よりしげ〕を超えて水戸藩を継いでいます。
     後、34歳で兄の子を養子にし、63歳で隠居して後を継がせます。
     別荘を「西山荘」と名付け、そこで73年の生涯を終えます。 

 

《 「伯夷列伝」 》

 『史記』は、中国最初の正史〔せいし〕そして、最も秀〔すぐ〕れた史書(兼文学書)だと思います。

宮刑〔きゅうけい:性器を切り取る刑罰〕の苦しみと屈辱に耐えて
司馬 遷〔しば せん〕が完成したものです。
(“司馬 遼太郎”氏が心酔し、司馬 遷には遠く“遼”〔およばない〕と
ペンネームにしたことでも知られています。)

 その、『史記』・「列伝」の最初・第一番目が、「伯夷列伝」です。
私は、「伯夷列伝」は、偉大なる「史記列伝」の冒頭を飾るに相応しい話が、
名文でつづられていると感じています。

 真儒協会定例講習・本学〔もとがく〕で、昨年度後半、『史記』を扱いました。
以下に、伯夷伝の書き下し文(現代仮名遣い)と大意現代語訳をご紹介しておきます。

なお詳しくは、講習レジュメをご参照ください(‘9.10 −‘10.3 ・第24〜29回)。
(※ 主要引用・参考文献は、新釈漢文大系『史記列伝』(明治書院)によりました。)

(定例講習レジュメは以下URLよりご覧いただけます。
 第24〜29回は後日アップの予定です。
 → http://jugaku.net/seminar/index.htm#program )


          【 首陽山に餓えて死す/采薇之歌 】

 其の伝に曰く、伯夷・叔斉は孤竹君の二子なり。
父、叔斉を立てんと欲す。
父、卒〔しゅつ〕するに及び、叔斉、伯夷に※譲る(譲らんとす)。
伯夷曰く、「父の命なり」 と。遂に逃れ去る。
叔斉も亦、立つことを肯〔がえん〕ぜずして之を逃〔のが〕る。
国人其の中子を立つ。 | 

是〔ここ〕に於て伯夷・叔斉、西伯昌〔せいはくしょう〕の善く老を養うと聞き、
蓋〔なん〕ぞ往きて帰せざるやと。至るに及べば西伯卒す。

武王、木主を載せ、号して文王〔ぶんのう〕と為し、東して紂〔ちゅう〕を伐つ。

 伯夷・叔斉、馬を叩〔ひか〕えて諌めて曰く、
「父死して葬らず、爰〔ここ〕に干戈〔かんか〕に及ぶは、孝と謂うべけんや。
臣を以て君を弑〔しい〕するは、仁と謂うべけんや」 と。

左右之を兵せんと欲す。
大公曰く、「此れ義人なり」 と。扶〔たす〕けて之を去らしむ。 | 

武王已〔すで〕に殷の乱を平らげ、天下、周を宗とす。
而〔しか〕るに伯夷・叔斉之を恥じ、
として周の粟〔ぞく〕を食〔く〕らわず (は・まず)。

首陽山に隠れ、薇〔び〕を采りて之を食らう。
餓えて且〔まさ〕に死なんとするに及び歌を作る。
其の辞に曰く、
 | “彼〔か〕の西山に登り、其の薇を采る。/
   暴を以て暴に易え、其の非を知らず。/
   神農・虞〔ぐ〕・夏〔か〕、忽焉〔こつえん〕として没〔お〕わる
   我安〔いず〕くにか適帰せん。/
   干嗟〔ああ〕、徂〔ゆ〕かん、命之れ衰えたり” と。 |

 遂に首陽山に餓死せり。
此れに由りて之を観れば、※怨みたるか、非〔あら〕ざるか


《 大意現代語訳 》  

 伯夷・叔斉について伝えられているものは、次のようなものです。

伯夷と叔斉は、(殷の諸侯である)孤竹君の二人の息子でした。
父は自分の後継者として、(弟の)叔斉を位につけたいと思っていました。
その父が亡くなると、叔斉は位を(兄である)伯夷にろうとしました

伯夷は、「叔斉が継ぐのが父の言いつけである」と言いました。
そして、とうとう(叔斉に位を譲るために、こっそりと国から)立ち去ってしまいました。

すると、また叔斉も位につくことを潔しとしないで(伯夷の後を追って)国を去りました。

そこで、(仕方なく)孤竹国の人々は、
仲の子〔伯夷と叔斉の間の次男〕を位にたてました。

 さてそこで、伯夷と叔斉とは、西伯の昌が(仁徳のある)領主で、
隠居したものをよくいたわるとの評判を聞いて、行って落ち着こうと考えました。

ところが、ちょうど行きついたころ、西伯は亡くなりました。

(西伯の息子の)武王は、西伯 昌の位牌を車に載せ
これを文王〔ぶんのう〕とおくり名し、東に軍を進め殷の紂王を伐とうとしました。

(その出発の時)伯夷と叔斉とが、武王の馬(の轡〔くつわ〕を)押さえて諌めて言うには、
「父が亡くなって、葬儀の礼も全うせずに戦〔いくさ/たたかい〕を起こすのは
“孝”といえましょうか。
また、臣下でありながら主君を弑殺〔しいさつ〕 するのが
“仁”といえましょうか。(おやめなさい)」 と。

武王の側近の家臣たちは、この両名を殺そうとしました。
が、太公望呂尚〔たいこうぼう ろしょう〕が、
「この者達は義人である(殺してはならぬぞ)」と言って助けて、
二人をその場から去らせました。

武王が殷との戦いを平定し終えると、
天下(の諸侯)は周を宗主国として仰ぎ統一されました。

伯夷と叔斉とは、武王の(武力革命の)行いを恥ずべきこととして
義として、周の国に仕えて禄〔ろく〕を得て食すことをせず
首陽山に隠棲しました。

わらびを採って食べていましたが、(わらびは栄養にならないので)餓えて、
今や死期が迫った時に詩〔うた〕を作りました。

その辞〔ことば〕にいうには、
「(私たちの諫言は容れられず、)私たちは、かの西山に隠棲して
わらびを採って食し何とか生きている。/ 
(武王は、)自分自身が暴力をもって殷の暴政にとって代わっていながら、
その行いの非道さに気がついていない。
/ 
(古の創国の聖王である)神農〔炎帝〕・舜〔しゅん〕・禹〔う〕などの王道は、
今や全くなくなってしまった。

いったい私たちは、何処へ落ち着けばよいというのか。/ 
ああ、死ぬしかあるまい。天命は、そのパワーを失ってしまったよ。」 と。

(伯夷と叔斉とは、)とうとう、首陽山で餓死してしまいました。
これらの事実に照らしてみれば、
伯夷と叔斉とは、(その運命や世の中を)怨んでいたのでしょうか、
それとも怨んでいなかったのでしょうか?

 

《 譲(る) の徳 》 

ここでのテーマは譲(る) ということです。
“譲(る)”は、儒学で最も尊ばれている徳目の一つです。

『論語』にも、
「夫子〔ふうし:孔子のこと〕は、温・良・恭・倹・ 以てこれを得たり。」(学而第1)

「譲」の字義を見てみると、言へんに襄。
女へんに襄で、おじょうさんの「嬢」。
音符の襄は、おんなに通じ、はは・むすめ・やわらかいの意義です。
土へんをつけた「壌」は、やわらかくて肥えた土の意です。

初等教育の現場では、シンデレラや桃太郎(主役)が何人も登場するという 
キテレツ な発表会が公然と催されています。

電車の席(シルバーシートすら)も、若者が譲らないで居座っています。
ワレもワレもで、“譲(る)”を忘れたわが国の今時、
忸怩〔じくじ〕たる想いがあります。

この「伯夷列伝」にある、国を譲る、
それも恩に着せず自然に(自分がいなくなることで)譲る

という事は真〔まこと〕に偉大なる徳行です。

 私は、青年時代に漢文でこの話を始めて読み、
その後幾星霜〔いくせいそう〕、何度読み返してみても、
味わい胸に迫るものがあります。

これは、多くの読者の遍〔あまね〕くところでしょう。
人生の各ステージ〔段階〕において、
とりわけ少年(少女)・青年期に、これを読み味わうかどうかは
人間形成上まことに大いなる差があるかと思います。

 余事ながら、愚息も、小学生の時クラスで “譲り合い” をテーマに
発表し合った時がありました。

他の児童が、電車中での席を譲ることなどを発表する中で、
この伯夷・叔斉の話をしたそうです。

愚息の幼少年期に、なにげなく日常物語ってやっていた話が心の養分になっている、
と父親としてささやかな矜持〔きょうじ〕の想いを持ちました。

 なお、古代中国の“譲(る)”故事を加えておきますと。
伯夷・叔斉の故事と同様に、周の大王の季歴の子、
昌〔しょう:後の周の文王、昌の子が発〕に位を譲るために、
泰伯は末弟の季歴に天下を譲ったのです。

 「子曰く、泰伯は其れ至徳と謂うべきのみ。三たび天下を以て譲り、民得て称する無し。」
(『論語』 泰伯・第8−1)

 

《 革命思想 》

 次に、(周の)武王が紂王〔ちゅうおう〕・殷を滅ぼした
(あるいは、殷の湯王が桀王・夏を滅ぼした)武力革命を、「放伐〔ほうばつ〕」といいます。

中国政治思想では、有徳者が天に代って、
暴君を討伐・放逐するものと考えてこれを正当化しています。

孟子は、「易姓革命〔えきせいかくめい:平和的な禅譲と武力革命の放伐〕」で、
武力による易姓革命を是認しています。

 このような武力革命思想は、西洋にもみられます。
イギリスのJ.ロック〔John Locke 1632-1704 〕は、
政府に対する“抵抗権”を認める社会契約説を主張し、
名誉革命(1688、英)を正当化し、
アメリカ合衆国の独立やフランス革命に多大な影響を与えています。

 わが国においても、徳川家康の (主君・秀吉から託され引き受けた)秀頼滅殺を、
林 羅山〔はやし らざん:幕府おかかえの儒学者〕が正当化していますね。

このような、儒学(者)による武力革命の正当化はいかがなものでしょうか? 
“勝てば官軍”で、勝者の自己正当化とは考えられないでしょうか。

 伯夷・叔斉は、儒家思想では天命を受けて周の天下を定めた、
有徳の聖王とされている武王を、
暴を以て暴に易え、其の非を知らず」と批判しているわけです。

儒学を学んでいる者も、改めて考えさせられるところではないでしょうか。

 私が想いますに。“歴史”が、勝者が書いた敗者の評価の記録であることは、
洋の東西を問わず真理です。

現代の世界でも、例えばアメリカは“正義”を掲げて
結局いつも武力による解決をしてきた国です。

が、その普遍性はどこにあるのでしょうか。
“正義”は、アメリカのいう“正義”ではないのでしょうか?

天命であり、有徳者であればよいのですが、
その判断基準は自分・勝者ではないのでしょうか?


  
《 『史記』 と 『大日本史』 》

 『大日本史』は、わが国における『史記』ですね。
情報収集にあたって諸国を飛び回って活躍した“助〔すけ〕さん”の名は
よくご存じかと思います。

『大日本史』 402巻は、光圀とその遺志を継いだ子孫によって、
驚くなかれ262年の歳月をかけて明治29年に完成します。 
―― 他に例をみないロマンに満ちた、わが国の誇るべき大文化事業ではありませんか。

 ちなみに、『大日本史』にも 『史記』と同じく「列伝」があります。
その文学部の首篇は、「王仁〔ワニ〕」の伝です。

王仁博士は、朝鮮(百済)の人ですがわが国に『論語』 10巻と
『千字文〔せんじもん〕』 1巻をもたらした大学者です。

そのことは、わが国への文字(漢字)=儒学の伝来を意味します。

仏教伝来の影響が大きく詳細に扱われているのに比べて
儒学伝来については不思議と過少扱いされている感があります。

(外国人でありながら)王仁博士をもって、
日本史の元〔もと〕始まりとしているところ、
本〔もと〕を観ぬく慧眼〔けいがん〕、度量の大きさ、
さすがと感服いたします。

 

《 むすびに ・・・ 古典教育の大切さ 》
 
 現在、わが国の教育は、“古典”を軽視し “偉人” を忘れています。
教育、「蒙」の時代です。

とりわけ、“漢文”・漢学教育はおざなり〔御座なり〕で、
そのなおざり〔等閑〕にすること蒙昧〔もうまい〕なること目に余るもがあります。
―― 亡国の“幾〔きざし〕”でしょう。

 私は、以上の光圀公の“虎変”と「伯夷伝」から、
古典の持つ力、感動の持つ力、影響力の大きさを想います

わけても、青年期の良書(古典)の読書の大切さを改めて想うのです


 ( 以 上 )

 


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平成22年度 真儒の集い 特別講演 (その3)

※ この記事は、前の記事の続きです。
http://blog.livedoor.jp/jugaku_net/archives/50983880.html



§。結びにかえて

1. ドイツと日本は、歴史的(明治以降)に共通するマイナス面・危険性(破滅への土壌)を
持っていたといえましょう。
それは、中庸を欠いている、仁義(愛敬)を忘れているという表現に
要約できるのではないでしょうか。
現代日本が持つ“大衆(民主主義)社会”の危険性への
よき警鐘としなければなりません。

2. グリムの童話は、世界の聖典・至宝です。
優れたものが持つ、普遍性を持っています。
私達は、場所を超え 時(代)を超えて、
「一」なるもの・永遠なるもの・不易なるもの・受け継がれる(べき)ものの価値
再認識せねばなりません。

3. 家庭教育・初等(幼児・児童)教育における 童話教育”の重要性 :
今の教育は、サル から始まっている  →  童話(神話)の重要性、民族性
人格形成の糧・徳育/家庭教育での母親の重要さ、
(母)親から子へ受け継がれるもの/文化的遺伝子 〔= ミーム
  ※ 現在のわが国で、母親が、教師が、このような役割を果たすことが
     出来るでしょうか?

4. 国家の“POWER”とは? 軍事的・政治的パワー と 文化的・総合的パワー
老賢人・老親などの尊厳権威/宗教的(神)・道徳的畏敬権威/
cf.古代中国戦国時代の、(「鶏鳴狗盗」でご存知の) 孟嘗君〔もうしょうくん〕 の
   小独立国 “薛〔せつ〕”

5. 現在のドイツと日本 :
“ベルリンの壁”が開放され(1989.11)、
東西ドイツは (西ドイツが東ドイツを併合) 1990.10.3 統一されました。
新しい独立国「ドイツ連邦共和国」が、新しいヨーロッパのもとでスタート・進化しています。

   * 1つの対比 : 日本のペット(犬・猫)の 殺処分数 年間 30余万匹
               ドイツのペット(犬・猫)の 殺処分数 年間   0 匹 !


                                         ( 完 )


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平成22年度 真儒の集い 特別講演 (その2)

※ この記事は、前の記事の続きです。
http://blog.livedoor.jp/jugaku_net/archives/50983879.html


§。B グリム兄弟 〔Jakob und Wilhelm Grimm〕 の
     『児童及び家庭お伽噺〔とぎばなし〕』 
        〔Kinder-und Hausmarchen. 3 Band 1812-1822〕 (『グリム童話』)  
                ――― の儒学的考察


・ ヤーコップ・ルードヴィヒ・グリム(1785−1863)
  と ウィルヘルム・カール・グリム(1786−1859)

■ 主要参考・引用文献 ・・・・・ 多田真鋤・『近代ドイツ政治思想史』 所収 
  「ドイツ文学とナショナリズム 」

■ 『 グリム童話集 』資料については、『グリム童話集・全7巻』 (岩波文庫) 引用
   ※引用に際して、旧漢字は新漢字に直させていただいております。

○ 《 グリム童話集序 ・ 抜粋 》

 グリム童話は児童の世界の聖典である
グリム童話は「久遠〔くおん〕の若さ」に生きる人間の心の糧である。
グリム童話集を移植するのは、わが国民に世界最良書の一つを提供することである。

 グリムの 「児童及び家庭お伽噺〔とぎばなし〕」 は、いずれ劣らぬ二人兄弟のドイツの大学者、ヤーコップ・ルードヴィヒ・グリム(1785−1863)とウィルヘルム・カール・グリム(1786−1859)とが、「ドイツのもの」に対する徹底的の愛着心から、ドイツの民間に口から耳へと生きている古い「おはなし」を、その散逸または変形するにさきだってあまねく蒐録〔しゅうろく〕したもので、 ・・・・・

ドイツ語の「メールヒェン」は日本語の「おとぎばなし」にあたるというわけなのであるが、このおとぎばなしなるものは、戦国時代以降の御伽衆〔おとぎしゅう〕の咄〔はなし〕に似かよった性格のもので、もとより成人〔おとな〕相手の咄であり、「キンデル・メールヒェン」となって始めて子ども向きのお伽噺となり、内容も自然に変ってくる。 ・・・・・・ 
                                
グリムは、正確にいえば、児童用おとぎばなし(キンデル・メールヒェン)と家庭向きおとぎばなし(ハウス・メールヒェン)との合体したもので、 ・・・・・・・

しかしながら、若いことは児童の専有ではない、「わかわかしさ」は人間の要素である。
人間に尚ぶべきは、聖書に「もし汝らひるがえりて幼児〔おさなご〕の如くならずば、天国に入るを得じ」とある、幼児のあの虚心である、児童のもつ純真な心である。

精神的に「久遠〔くおん〕のわかさ」を保つことによって、人間は人間としての全的活動をいとなむ

                                                                      ( 訳 者 )

 

1) 中庸さ・均衡〔バランス〕 の欠如 ←→ 「中庸」の徳、中和、バランス

◎ “中庸”の徳
「人心惟れ危く、道心惟れ微〔かすか〕なり。 
惟れ精惟れ一〔いつ〕、允〔まこと〕に厥〔そ〕の中を執れ。」  (『中庸』・『論語』堯曰第20)

「子曰く、回の人と為りや、中庸を択〔えら〕び、一善を得れば、
則ち拳拳服膺〔けんけんふくよう〕して之を失わず。」  (『中庸』・第8章) : 
(孔子が言われた。「顔回の人柄は、過不及をわきまえて中庸の道を選び
もし一善を得れば、謹しみ謹しんで、これを実践して失わないように努めた) と。
 〔伊譽田覺・『仮名中庸』〕)

cf.「朕、爾〔なんじ〕臣民ト倶〔とも〕ニ拳拳服膺シテ咸〔みな〕其徳ヲ一〔いつ〕ニセンコトヲ庶幾〔こいねが〕フ。」(「教育勅語」) : 
(わたくしも国民の皆さんと共に、父祖の教えを胸に抱いて、立派な徳性を高めるように、心から願い誓うものであります。
  〔杉浦重剛・『教育勅語』〕)
「恭倹〔きょうけん〕己レヲ持シ」 : (自分の言動を慎しみ) ――
‘ bear yourselves in modesty and moderation ’
  恭 ・・・  Modesty (慎み深いこと・謙遜)
  倹 ・・・ Moderation (節約・中庸・適度) 
       ※中庸=the [golden] mean


○ 中庸  《 「さんかのごい」 と 「やつがしら」 》

 「おまえさん、牛を飼うには、どこがちばんいいかね」と、ある人が、としよりの牛飼にきいてみました。

 「ここですよ、だんな、草が肥すぎてもいず、やせすぎてもいないとこさね。
こういうとこでなくては、だめでさあ」

 「どうして、だめかね?」と、だんなさんがたずねました。

 「むこうの牧場から、だれかを呼ぶような沈んだこえのするのが、きこえるかね?」と、
牛飼が返事をしました、

「あれは、さんかのごい(という鳥)だよ、さんかのごいは、もとは、もとは、牛かいをやっていた、
それから、やつがしら(という鳥)もやっぱり牛かいさ。ひとつ、話をしてあげるかな」

 さんかのごいは、青草のよく肥えた牧場で、じぶんの牛の群れの番をしていました、

まきばにはいろいろの花がふんだんに咲いていました、
それをたべたので、さんかのごいの牝牛は、いきおいがついて、気があらくなりました。

やつがしらは、草などの生えない高い山へ牛を追って出ました、
山の上では、風が砂と鬼ごっこをしています、
それで、やつがしらの牝牛は、やせっぽちになって、元気がでませんでした。

 ゆうがたになると、牛かいたちは牛を家路へ追いたてるのですが、
さんかのごいは、じぶんの牝牛をまとめることができません、

牛は、わがままいっぱいになりきって、飼い主の手からはねだしてしまうのです。

「ブント、ヘリューム」(ぶちよ、こいこい!)と呼んでも、なんのやくにもたたず、
牛は、さんかのごいの言うことなんぞ、耳にも入れません。

 ところが、やつがしらのほうは、てんで牛を起こすことができません。
こちらの牛は、つかれきって、たちあがる力もぬけてしまったのです。

「ウップ、ウップ、ウップ」(おきろ、おきろ、おきろ)と、やつがしらがわめいても、
どうにもなりません、 牛は、砂の上にごろりとねころんだぎりでした。 

なんでも、ほどよくしないと、こんなことになるものです

 りょうほうとも、今は、もう牛の番はしていませんが、
さんかのごいは、「ブント、ヘリューム」(ぶちよ、こいこい!)と、なくし、
やつがしらは、「ウップ、ウップ、ウップ」(おきろ、おきろ、おきろ)と、ないています。

※「ホド〔程〕よく」ということで、中徳・中庸の徳を扱った貴重な寓話、といえると思います。
児童教育での、過保護(かまいすぎ)と放任(ほったらかし)という基本的な訓〔おし〕えでしょう。


2) 秩序の観念  

 ※家庭倫理を社会に拡大していく cf.『孝経』

○ 秩序の観念  《 かれい/ひらめ 》

 お魚たちは、じぶんの国には秩序というもののまるでないことを、
ながい間おもしろくおもっていませんでした。

ひとのするようにするものは一ぴきもありません、

めいめい、じぶんのかってしだいに右へ泳ぐのがあり、左へおよぐのがあり、
かたまっていようとするものたちのあいだをとおりぬけるのがあり、
そうかと思えば、ほかのものたちに通せんぼうするのがあります。

強いものは、弱いものを尻尾でひっぱたいて遠くへおしやるか、
さもなければ、なんのことわりもなく、むぞうさにぱっくりやってしまうというありさまです。

 「じぶんたちにも王さまというものがあって、
それが正しいことをやるようにしてくれたら、さぞいいだろうなあ」

 おさかなたちはこう言って、
それでは、※いちばんはやく波を乗りきって、よわいものを助けることのできるものを
みんなの王さまに選挙しよう
ということに話がまとまりました。

 そこで、お魚たちは順序よく岸にならんで、
かますがしっぽであいずするのをきっかけに、みんな一斉に出発しました。

矢をきって放したように泳いでいくのは、かますです、
かますといっしょに、にしんだの、かわぎすだの、すずきだの、鯉だの、
そのほか、なんだのかだの、いろんなお魚がおよいでいきます。

かれいも、決勝点までいけるつもりで、いっしょにおよいで行きました。

 にわかに、
「にしんが、さきだ! にしんが先頭だぞ」と呼ぶこえが、なりひびきました。

 「だれが、さきだてえのだ?」と、泳ぎぐあいのわるい、ひらべったいかれいが、
ぶっちょうづらをしてわめきました、

かれいは、ずうっとおくれていたのです、
「だれが、先頭だてえのだよう?」

 「にしんだよう、にしんだよう」という返事がありました。

 「はだかのにしんかい?」と、やきもちやきのかれいが、声をはりあげました、
「あのはだかにしんかい?」

 この時から、罰として、かれいの口は、はすっかけにつくことになったのです。


※ “秩序の観念”の示された「寓話」だと思います。
  今時〔いま〕の日本そのままではありませんか。
  個人主義(個性尊重)と利己主義をはきちがえて、
  道の決められた片方も歩けない国民、
  “めだかの学校”よろしく誰が生徒か先生かわからない学校、
  為政者(=政治家、リーダー、指導者)不在の国です。

※ 能力(才)のある者で徳もある王(為政者)、
  東洋流にいえば“才徳兼備の君子”でしょう。



3) 美徳 ―― 「従順」や「服従」 : 童話集で特に強調されるテーマ 
               ←→  陰の徳 = 坤徳・巽
    美徳 ―― 「勇気」 : 好戦思想、争いの是認、ミリタリズム〔軍国主義〕礼賛
              ←→ 平和主義、君子は争わぬ、「徳化」・「風化」していく

 ・ 《猫とねずみとお友だち》 の寓話野最後の言葉:
   「どうです、世の中はこんなものですよ」(実にこれが世の常なのだ)

         「無情」 ←→ あきらめ=消極的悟り、「社会化」、「無常


4) 話集の英雄像 ←→ 儒学の君子像

・ 第1の英雄像 : 「先天的な能力、勇気、腕力、知恵などを備えており、自己の運命を切り拓いてゆけるようなタイプの人物像」 
   ←→ 易 5爻の陽の(君主)

・ 第2の英雄像 : 「能力は差ほどではないが、正直であり、誠実なじんぶつであって、その性格に好意をもつ森の妖精などの助力によってその目的を達成することのできるような人物像」
   ←→ 易 2爻の陰の(君主)


5) 排外思想 (地縁・血縁共同体の維持発展)

 ・ 王権・父権、継母、「反ユダヤ人」気質と思想 ←→ 「中華思想」、同胞相和す、
                                 四海皆兄弟

    《 雪 白 姫 》・《 灰かぶり 》・《 ヘンゼルとグレーテル 》 ・・・

6) 残虐性・復讐の観念

 ・ “目には目を、歯には歯を”(雪白姫、灰かぶり、ヘンゼルとグレーテル、・・・ )
           (青ひげ、人ごろし城、子どもたちが屠殺ごっこをした話、・・・ )
                      ←→ 

 ・ 」 = 愛 = (慈)悲 : おもいやり と いつくしみ

*「伯夷・叔斉は、旧悪を念〔おも〕わず。怨み是〔ここ〕をもって希〔まれ〕なり」
                                       (『論語』・公冶長第5)

*「※或人〔あるひと〕の曰く、徳を以て怨みに報いば、何如〔いかん〕。
子曰く、なにを以てか徳に報いん。直〔ちょく/なお・き〕を以て怨みに報い、徳を以て徳に報ゆ。」           (『論語』・憲門第14)
  ※『老子』第63章 「大小多少、怨みに報いるに徳を以てす。」

*「曽子曰く、能を以て不能に問い、多きを以て寡〔すく〕なきに問い、
有れども無きが若〔ごと〕く、実〔み〕つれども虚〔むな〕しきが若く、犯されても校〔むく〕いず。 
昔者〔むかし/さきに〕、吾が友、嘗〔かつ〕て(或いはつねに)斯〔ここ〕に従事せり。」 
                                  (『論語』・泰伯第8−5)

《大意》 
曽子が言うには、「自分は才能がありながら ない者にたずね、知識・見聞豊かでいろいろ知っているのに それの乏しい者に問い、有っても無きがごとく、充実していながら空っぽのごとく、人から害を受けても(道に外れた侵害を受けても)仕返しをしない。昔、自分の学友(顔回)に、そういう(上記5つのこと)に努め励んだ者がいました。(でも、もうその人は死んでしまっていないのです。)


 残虐性 《 子どもたちが屠殺ごっこをした話  》

(二) 第 二 話

 あるとき、おとうさんが豚を屠殺〔つぶ〕すところを、その子どもたちが見ました。

やがておひるすぎになって、子どもたちが遊戯をしたくなると、
ひとりが、もうひとりの小さい子どもに、
 「おまえ、豚におなり。ぼくは、ぶたをつぶす人になる」と言って、
抜き身の小刀〔ナイフ〕を手にとるなり、弟の咽喉〔のど〕を、ぐさりと突きました。

 おかあさんは、上のおへやで、あかちゃんをたらいに入れて、お湯をつかわせていましたが、
その子どものけたたましい声をききつけて、すぐかけおりてきました。

そして、このできごとを見ると、子どもののどから小刀を抜き取るが早いか、
腹たちまぎれに、それを、豚のつぶしてであったもうひとりの子の心臓へ突きたてたものです。

 それから、たらいのなかの子どもはどうしているかと思って、
その足でおへやへかっけつけてみましたら、
赤ちゃんは、そのあいだに、お湯のなかでおぼれ死んでいました。

 これが原因〔もと〕で、妻は心配が嵩じて、やぶれかぶれになり、
めしつかいの者たちがいろいろなぐさめてくれるのも耳に入らず、
首をくくってしまいました。

 夫がはたけからかえってきました。

そして、このありさまをのこらず見ると、すっかり陰気になって、
それから間もなく、この人も死んでしまいました。

 

○ 《 灰かぶり (サンドリヨン/シンドレラ・シンデレラ) 》 はじめとおわり

 お金もちの男なのですが、その妻が病気になりました。
妻はじぶんの最期〔おわり〕が近よったのをさとると、
としのいかない一人娘をねどこへ呼びよせて、言いきかせました。

 ※「おまえ、いい子だからね、いつまでも神さまをだいじにして、
それから、氣だてをよくしているのですよ

そうするとね、神さまは、いつなんどきでも、おまえを助けてくださるし、
かあさんも、天国からおまえを見おろしていて、
おまえのためをおもってあげることよ」
 こう言ったかとおもうと、お母さんは目をつむって、この世を去りました。
               ―――  中 略  ―――
 晩になって、さんざ疲れきっても、むすめは寝床へははいらず、
かまどのそばの灰のなかへごろねをしなければなりません。

そんなわけで、娘はいつでも埃〔ごみ〕だらけで、
きたないようすをしていたものですから、
世間の人は、この娘のことを、
アッシェンプッテル(灰かぶりむすめ)とばかりいったものです。
               ―――  中 略  ―――
 いよいよ王子との御婚礼のお式があげられることになりました。
せんに替えだまになった姉と妹がやってきて、おべっかをつかって、
灰かぶりの福をわけてもらうつもりでいました。

 花むこ花よめが教会へ行く段どりになると、姉は右に、妹は左につきそいました。
すると、二羽の鳩が、めいめいから、目だまを一つずつ啄〔つつ〕きだしました。
お式が済んで、教会から出てきたときには、姉は左に、いもうとは右につきそっていました。
すると、二羽の鳩が、めいめいからもう一つの目だまをつつきだしました。

こんなわけで、ふたりの姉妹〔きょうだい〕は、じぶんたちが意地わるをしたばかりに、
かえだまなんぞになったばかりに、ばちがあたって、
一〔いっ〕しょうがい目くらでいることになりました。

※本人の徳と、(先祖を大切にすることによる) 親〔=先祖〕の愛の守り。
外見の美については、殆ど設定されていません。
むしろ、(継母や)義理の姉妹のほうが外見は美しいとされています。

◎ 灰かぶりの “くつ”と“中庸” 考 ・・・ ( 略 )


○ 《 ※ 雪 白 姫 〔ゆきじろひめ〕 》 はじめとおわり

 むかし昔、冬のさなかのことでした。   ・・・・ 中 略 ・・・・    
おきさきは、「雪のように白く、血のように赤く、窓わくの木のように黒い子どもがあったら、
さぞうれしいでしょうにねえ」と、ひとりでかんがえてみました。

 その後まもなく、おきさきは女の子をもうけました。
その女の子は、雪のように白く、血のように赤く、それから、
黒檀のように黒い髪の毛
をもっていましたので、
それで、「ゆきじろひめ」という名前がつきました。
そして、この子どもが生まれると、お妃は死んでしまいました。
               ―――  中 略  ―――
 まっ暗になってから、この小さな家〔うち〕に主人〔あるじ〕たちが帰ってきました。
それは、お山の地〔じ〕のなかであらがねをさがしては、
それをたたきわって掘りだすのを仕事にしている 
七人のツェルク という一寸法師〔いっすんぼうし〕なのです。
一寸ぼうしたちはめいめいの小さな灯火〔あかり〕を七つともしました。
               ―――  中 略  ―――
 そんなわけで、おきさきは、その御殿〔ごてん〕のなかへはいってみると、
わかいおきさきというのは、まぎれもない雪白姫でした。
胸が締めつけられるように苦しく、それに怖ろしいのなんの、
おきさきは立ちすくんだまま、身動きもできません。

けれども、このとき、早くも鉄の上靴が炭火の上にのせてあって、
それが両〔ふた〕またの火ばしではさんで持ちこまれ、おきさきの前にすえられました。

おきさきは、その真赤〔まっか〕にやけてる上ぐつを、否〔いや〕おうなしに穿〔は〕かせられて、
おどっておどって踊りぬくうちに、とうとう息がたえて、ばったりたおれました。

※ 我国では、翻訳・再話・TV.映画 ・・・ すべて「白雪姫(しらゆきひめ)」となっています。
原文のとうり、肌が雪のように白いので “雪白〔ゆきじろ〕”(日本語は修飾語が前です)
という名前がついているのです。
ですから、雪白姫が正しいのです。

 なお、「雪のように白く、血のように赤く、黒檀のように黒い
(肌が白く、頬が赤く、髪の毛が黒い)は、
女子の理想的美しさを詩的に表現したものです。

古〔いにしえ〕のドイツ(西洋)もかつての日本(東洋)も同じだとおもいます。
しかるに、日本人若人の“みどりの黒髪”は、
異様なる“茶髪”の乙女(青年)に変ってしまっている現今です。
複雑なる想いです。

※ 七人のツェルク ・・・ 小人、一寸法師とよばれているお馴染みのキャラクターですね。
ディズニーのアニメーションも素敵ですね。 
これは、実際の背景には、ドイツで鉱山労働(銅や鉄の採掘)に従事した
幼い少年鉱夫の存在があります。
狭い坑道では少年労働者が便利だったのです。
陽のささない、空気のよごれた劣悪な環境の中での重労働は、
少年たちの外見を不健康で、あたかも老人のような姿に変えたと考えられます。
雪白姫は、奇しくもかれらの“飯場〔はんば〕”に迷い込み、
その家事仕事をする条件で住まわせてもらったということでしょう。
 

※ 続きは、次の記事をご覧下さい。
http://blog.livedoor.jp/jugaku_net/archives/50984818.html

平成22年度 真儒の集い 特別講演 (その1)

※ この記事は、前の記事の続きです。
http://blog.livedoor.jp/jugaku_net/archives/50983878.html


平成22年度 “真儒の集い” 特別講演 レジュメ        (‘10.4.18)

“ 『グリム童話』 と 儒学 
   ―― 現代日本を“中す”一つの試論 ―― ”

                         真儒協会 会長    高根 秀人年


§。はじめに

 ○ 視点をかえる → コーヒーカップの図示、(※見る角度による違い説明)
    切り口を変える → バームクヘン と “木どり” (※図示説明)

 ○ 「ドイツ」という国
  cf.お国柄: 英 → (工業中心)・詩   仏 (農業中心)・美術・バレエ
          独 → 法律・哲学・医学 ―― ex. カント/ヘーゲル/マルクス/
               ベートーベン/ゲーテ/シラー/「カルテ」 ・・・・

・ 両極端、“中庸”を欠く ドイツ史 ?!

*精神史・文化史上での高度さと市民社会を形成する市民精神の未熟さ
大衆(民主主義)社会 → ファシズム を生む (今時の日本とのアナロジー)

*「ドイツ国民の歴史は、極端の歴史である
そこには中庸さ(moderation)が欠如している
そして、ほぼ一千年の間、ドイツ民族は尋常さ(normality)ということのみを経験していなかった。  
   ・・・中略・・・  
地政的にドイツ中央部の国民は、その精神構造のうちに、
とりわけ政治的思考のなかに、中庸を得た生き方を見出したことはなかった。
われわれは、ドイツ史のなかに、フランスやイギリスにおいて顕著である
中庸(a Juste milien)と常識の二つの特質をもとめるのであるが、
それは虚しい結果の終るのである。
ドイツ史においては激しい振動のみが普通のことなのである 」 
 (A・J・P・ティラー、『ドイツ史研究』)

*「ドイツ史の流れには、その国民性と精神構造のうちに
均衡』のいちじるしい欠如のあることが指摘できる。
ドイツ国民の行為の二面性は注目すべき現象である。」
 (L・スナイダー)

○ 戦後日本は、米(の方向)ばかりを見ています。

米の視点ばかりで見ています。
米の色ガラスを通してばかり見ています。

かつては、専ら欧の列強(英・仏・独)に学び、交流いたしました。

独はかつての同盟国。
“負”の面でも経験・歴史としての共通するところがあったに違いありません。

その差異を検討することを忘れてはなりません。

 今回の研究・講演のテーマは、“グリム童話”にドイツを象〔かた〕どらせて
その視点から(そのフィルターをとおして)我国の現状と近未来を探ってみたいと思います。

その指標・道標(めやす・みちびき)として、
東洋・日本思想の源流・バックボーンである儒学古典との対比で文(あや)どってみました。

(おそらく)はじめての切り口でしょう。

視点・切り口をかえれば見えなかったものも顕〔あら〕われてまいります。

この試論によって、行きずまり、堕し病める現代日本を“中す〔アウフヘーベン〕”
一つの手がかりとなればと思っております。

 

 

§。A ドイツの賢人・哲人 と 儒学思想 

     
1) シュペングラー、A.トインビー の“西洋文明のたそがれ” と 易学

・ ドイツの歴史哲学者 オスヴァルト・シュペングラー 〔 Spengler 1880-1936 〕は、
その著 “Der Untergang des Abendlandes”〔『西洋の没落』 あるいは 『沈みいくたそがれの国』〕で、資本主義社会の精神的破産と第一次大戦の体験から、西洋文明の没落を予言したいへんな反響を呼びました。
つまり、近代ヨーロッパ文明は既に“たそがれ”の段階であり、やがて沈みゆく太陽のように消滅すると予言したのです。
  ――― 諸行無常、盛者必衰ですね。

・ イギリスの歴史家 A.トインビー 〔 Arnold Joseph Toynbee  1889-1975 〕が、
大著 “ A Study of History ” 〔『歴史の研究』〕 で、世界20余の文明の盛衰の調査研究から得た結論は、残念ながらシュペングラーと同じものでした。
学問的・研究上、窮し、行き詰まったわけです
この、世界史上の“たそがれ”、行き詰まりを打開するものが東洋の易学でした。
千古不易の学問思想である易学により、「活眼を拓く」ことができたのでした

※ 易学の循環の思想、無始無終の思想をさすのでしょう。

永遠なるもの、(私は、受け継がれるものでもあると思っています)、
「一〔いつ〕なるもの」です。

易 64卦は、世界(自然)と人間の縮図の体系ですが、
一位番目の「乾」に始まり、完成・完了の卦は 63番目の「既済」、
最後 64番目は未完成の卦「未済」です。

終わりはまた新たな始まりで、乾・坤(上経)あるいは咸・恒(下経)に戻り循環します。

64卦が、円周上に配置されていると思えば良いでしょう。
どこから始めても、どこで終わってもよいのです。

・ シュペングラーは第一次大戦のころ、A.トインビーは第二次大戦後に活躍いたしました。

第二次大戦後、英・仏の時代は終わり、世界史は 米・ソの時代を迎えました。

ヨーロッパは全体が一つにまとまって、
一つの大国のような“パワー”しかなくなりました。 「EU」です。 

―― けれども、(後述しますが)軍事的・政治的なものではなく、
文化的・総合的パワーへの道の可能性があると思います。

そして、未来は 米・中の時代となってゆくでしょう。
(残念ながら日本の時代ではないでしょう。日本は、どのような位置づけを得ているのでしょう?)

   ・仏(独)  →  米・ソ  → 米・中 

※ かつての大英帝国 = “日の没することなき世界帝国”
英語 = 一番広く話されている言語・公用語 (言葉による世界支配の継続)


2) テンニースのゲマインシャフト〔共同社会〕と孟子の思想

・ ドイツの社会学者 テンニース〔 Fredinand Tonnies  1855-1936 〕は、
前近代的社会類型としての「ゲマインシャフト〔Gemeinschaft/共同社会〕」 と 
近代的社会類型としての「ゲゼルシャフト〔Gesellschaft/利益社会〕を
分析的に類型立てて、社会学的な近・現代社会論の礎〔いしずえ〕を築きました。

ゲマインシャフト : 家族 → 民族社会 /地縁・血縁・心縁(朋友や教会)によって結びついた社会、「人間の本質意志」、親愛と尊敬の心情による本質的結合

ゲゼルシャフト  : 会社 → 国家 /「人間の選択意志」、本質的に離れており契約や法で結びついている

・ 孟子 の 「仁義(愛敬)によって結ばれた社会」 と 「利益によって結ばれた社会
※ 愛敬仁義 :人間固有の“愛敬〔あいけい〕” の心の発展したものが “仁義”

・ 陽 は 父 = 敬 → 義
・ 陰 は 母 = 愛 → 仁

*父は敬と愛を兼ねる(『孝経』)とされるが、今時は母も会いと敬を兼ねると考えるべき。

    【考察】男女の別 = 男性ホルモンと女性ホルモン両方の相対的・量的な差

・ 「孟子の言っていることを要約いたしますと、社会には利益によって結ばれた社会と、敬愛によって結ばれた社会との二つの型がある。利益によって結ばれた社会は、闘争の社会であって、それはその社会の自滅につながるものである。敬愛によって結ばれた社会は秩序の保たれた社会であって、それは世界の平和につながるものである。だから、吾々は、利益によって結ばれた社会を否定して、敬愛によって結ばれた社会を建設しなければならない。」

「テンニースのこの社会の区分は、根本的には孟子のそれとまったく一致するもののように思われます。そして、孟子のいう愛敬の社会は、まさにテンニースのいうゲマインシャフトと同一でありますが、利益社会については、孟子がそれを封建制の崩壊した中国の古代社会において捉えているのに対し、テンニースは、それを資本主義制の発達したヨーロッパの近代社会において捉えている点が違っておるのであります。」

(参考・引用 『中国の古代哲学』所収/小島祐馬「社会思想史上における『孟子』」)

 
3) ヘーゲルの弁証法哲学 と “中論”(中庸)

 ・ Hegel,W.(1770−1831)
 ・ 正 ー 反 ― 合   cf. “さくら花”〔cherry blossams〕考・・・ 花のあと葉
  
  「正」=日本・儒学 − 「反」=ドイツ・グリム童話 →“中す” → 「合」= ?
  「アウフヘーベン」 Aufheben; ( 止揚・揚棄 = 中す )

◎ ヘーゲル弁証法 参考図

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   cf.Hegel,W.( ヘーゲル ) ※ 観念弁証法
      Marx,K.( マルクス ) 唯物弁証法(唯物史観)
              ・・・ 弁証法 + フォイエルバッハ唯物論

 

4) グリム兄弟の『児童及び家庭お伽噺〔とぎばなし〕』 (『グリム童話』) 

             ―――  後 述  ―――



5) ミヒャエル・エンデの 『モモ』 ・・・ 『中庸』の「時中」に学べ

・ (西)ドイツの児童文学者 ミヒャエル・エンデ 〔Michael Ende〕 は、
1973(s.48)年 『MOMO〔モモ〕』 という作品を発表いたします。

これは、単なる童話ではなく、世代・時代を超えた普遍性を持つ作品です。
世界的に非常に高い評価を得ています。

  私は、学生時代の愛読書の一つ、フランスのサン・テグジュペリの 『星の王子さま』
(“ル・プチ・プランス”:内藤 濯〔あろう〕の名訳です)に通ずるものを感じています。

大切なものは、目に見えない。」ということばを、悠〔はるか〕に覚え続けています。

この歳になりまして、『中庸』に学び
その見えざるを観、・・・」ということと重ね合わせたり、
易卦「観」の心眼で観ることに想いを馳せたりしています。

  さて、モモという主人公の女の子は、今風にいえば ホームレス(浮浪児)です。

モモは大宇宙の音楽を聴き星々の声を聴く
(東洋流にいえば“天の声を聴く”?)超能力の持ち主です。

物語の舞台は、ある時代のある村。
人々は日々、楽しく歌ったり踊ったり飲食したりしておりました。

ある日、「時間どろぼう」がやって来て、時間の節約と労働によって、
貨幣〔かね〕を儲け有名人になることを教えます。

人々は、それに随って一所懸命努力し、富と名声を得ます。
が、その代りにみんな孤独になってしまいました。

そこへ、モモが現われて、「時間どろぼう」を退治します。

人々は、以前の幸せな生活を取り戻すというストーリーです。

  そして、最後の部分で、このモモの物語を語った人が言います。

自分は、このお話を過去に起こったことのように話してきましたが、
これは未来に起こることと思っても良いのですよ、と。

* 「時間どろぼうと、ぬすまれた時間を人間にとりかえしてくれた女の子の不思議な物語」

* 「おとなにも子どもにもかかわる現代社会の大きな問題をとりあげ、その病根を痛烈に批判しながら、それをこのようにたのしく、うつくしい幻想的な童話の形式(エンデはこれをメールヘン・ロマンと名づけています)にまとめる ・・・ 」

 ※ 時間・時計に支配(自己疎外)されている現代人 
     ――― 時間がない(時間を意識しないでよい)のが幸せ
 この作品は、わが国のオイルショックのころ書かれています。普遍的なものですが、当時から現在の日本(人)の問題ある状況にぴったり当てはまるように思います。
 わが国は、おとなも子どもも、時間に追い立てられアクセクと生きています。私は、日本が改めるべきは、目指すべきは、「君子而時中」 (君子よく時中す:『中庸』第2章)だと思います。



※ 続きは、次の記事をご覧下さい。
http://blog.livedoor.jp/jugaku_net/archives/50983880.html

平成22年度 「真儒の集い」 (2010年4月18日)

photo_20100418

平成22年度 “真儒の集い”が、さる 4月18日催されました。
第3回目の“集い”、“発足の会”から数えると 4年目になります。

本年は、定例講習の受講者を対象に、講演中心の“学修会”としてつつましく実施されました。

なお、「論語温習会」の昨年秋の合宿で当会活動をお知りになった方にもご参加頂きました。

司会進行は、汐満未佐子〔しおみつ みさこ〕先生が担当されました。

【 1部:特別講演 】

 高根秀人年〔たかね ひでと〕 氏による、
“ 『グリム童話』 と 儒学 ―― 現代日本を“中す”一つの試論 ―― ”。

 全く初めてのテーマで、新しい視点・切り口による記念すべきものでした。

斬新にして、広く濃い専門的内容ですが 噛み砕いて解り易く講じられました。

約100分余の講演。ドイツ語と漢文のハイブリッド〔異種混合・融合〕で
高根氏の格調高く澄んだ声で語られました。

また、資料として配布されたグリム童話抜粋は、汐満先生の美しい声で朗読されました。

 この特別講演は、欠席者のためにもビデオ録画されました。

レジュメ〔要旨・概要〕は、このブログを通じて広く公開いたします。ご参考くださいますように。

(特別講演レジュメは次の記事に掲載しております。)
 → xxx


【 2部:式典とお茶会 】

 『孝経』(開宗明義章第1)の朗誦。
(*定例講習・「孝経」の学習を4年がかりで、昨年度末3月で終了いたしました。今年度 5月からは、「老子」の学習に入ります。)

 高根会長あいさつ。

嬉納禄子〔きな さちこ〕副会長による、今年度活動内容の報告。

恒例の表彰は、高根会長から定例講習受講者全員に“推奨”が贈られました。

謹呈されたのは、(今年の12支にちなんだ)“虎”の絵と“虎変”揮毫のオリジナル色紙です。

閉会の辞は、嬉納副会長。


 なお、多くの皆さまから、茶菓やご寄付を頂載いたしました。

 ――― 蛇足ながら、終了後、スタッフ一同近くの“カラオケ”に行きました。数カ国国語(むろんドイツ語も含んで)で唄って、“楽習”を加えました。



※ 特別講演のレジュメは次の記事をご覧下さい。
http://blog.livedoor.jp/jugaku_net/archives/50983879.html

 

 

 

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