儒灯

【温故知新】儒学の普及に力を注いでおります真儒協会 会長、高根秀人年の個人ブログです。 『論語』、『易経』を中心に、経書の言葉を活学して紹介して参ります。 私個人の自由随筆、研究発表などのほか、真儒協会が毎月行っております定例講習についても掲載しております。

2010年09月

「離」・「率」・「教」・「敬」 ・・・ 両面思考に想う

「離」・「率」・「教」・「敬」 ・・・ 両面思考に想う

 ─── 両(ニ)面思考/「離〔はなれ・つく〕」/「率〔ひきい・したがう〕」/
「教〔おしえ・ならう〕」/「敬〔うやまい・つつしむ〕」/儒学と民主主義 ───  


《 プロローグ ── 視点を変える(多角的に) 》
 
 「情〔なさけ〕けは人のためならず」の意味を学生に聞くと。
多く、“情けをかけて(手助けして)、甘やかすと本人のためにならない。
── だからノートを写させてあげるのはやめとこう。”などと理解しています。

真意は、全く逆で、情〔じょう〕=思いやり(仁) を人に施すのは、
(他人〔ひと〕から見れば自分は他人〔ひと〕なので) 廻り回って、
いつか自分も助けてもらえる。

つまり、他人に情けをかけろ、手助けせよ ということです。

高齢者・弱い立場の人に、電車の席を譲った青年は、
数十年の後に、孫か曽孫〔ひまご〕のような若者に席を譲られ親切にされるのでしょう ・・・ 。 

 幼児が、自分中心の世界(自分がいて、その世界に他人〔ひと〕がいる)から、
心が成長して、自分も他人(の世界)から見れば他人なんだということを認知するようになります。

“社会化”・社会性のめざめですね。

例えば、自分が自分の都合で他人を傷つけてよいなら、
自分も傷つけられてもよいということになります。 

── これは困る、と。

この他人というものの“認知”が、人間の大きな発達段階の一つであると
発達心理学で学んだことがあります。

昨今は、不思議と見かけはしっかり大人〔おとな〕になっているのに、
幼児的・自己中心的世界に生きている人が多い世の中です。

 さて、儒学の『易経』・『中庸』といった、
形而上学的オリジナル〔原典〕の字句・文言を解釈しておりますと、
(表面的には、漢字ですので複数の読み方・意味があるということですが)
思想的に全く対照的な視点・立場が加えられていることに気が付きましした。

両面(二面/反対)思考・相対的思考・弁証法的思考とでもいえるものかと思います。
それらを、少し整理してみましたのでご紹介したいと思います。

 

《 離: はなれ=つく /つき=はなれる 》  注1)

 易の八卦〔はっか/はっけ〕(八卦八象〔はっかはっしょう〕・小成卦)に、「離・り」があります。
離を 二つ重ねて(「重離」)、64卦(大成卦)では【離為火〔りいか〕】です。

 ついでに、命学、例えば九性(星)気学は、易の八卦八象のエッセンスを借用し、
それに中央位「五黄〔ごおう〕土性(星)」を加えて九性(星)としています。

その、運気の盛衰順は、【 坎〔かん:本厄〔ほんやく〕、最も谷の衰運〕 → 
坤〔こん:後厄〕 → 震 巽 → 中宮(五黄土性)〔最も山の盛運〕 → 
乾 → 兌 → 艮 →  → 坎 】の巡りです。

離は最衰運にむかう直前(前厄)の自粛の時です。
離婚・離職などが生じたり、それらの話を進めるとうまくゆくと判断したりします。

そして、(厄があけて、来るべき「震」からの盛運の時に向けて)次のステップへの準備の時でもあります。──

私は、今の離・別れは同時に次の新たなる出合いの始まりですよ、とアドバイスしています。
(この点、九性(星)気学が易の「終始」・「無終」・「循環」の理を取り入れ概説しているともいえましょう)

 さて、【離】卦の正象は「火」です。
火は、何か木や紙などの燃えるものに“(くっ)つき”ます(付着)。
火は、モノに離れ麗〔つ〕いて、炎上・燃え拡がってゆきます
(cf.発火の3要素:燃えるモノ・酸素・温度)。「離〔り〕」は、「麗〔り〕」です。

 はなれる、 離別・離婚・離職(リストラ)・倒産・不合格 ・・・ 。
離れ別れる時は、辛く、悲しく感じ、ブルーな(陰の)気分に落ち込むことが多いですね。
失敗・敗けと思い、マイナス思考で捉えるものです。

 しかし、それによって(その後)、新たな出合い・再婚・新しい職場・新規事業(会社)の立ち上げ ・・・ があります。

そういった、新しいものにつく時には、明るくうれしい(陽)の気分となりますね。
リベンジを果たした、挫折を乗り越えた、と思うプラス思考に転じて捉えるものです。

 逆にいえば、何かを新しく始めるためには、何かを捨て去る終わらせる必要があります。
時間を細にいえば、離れてからつく、つくためには離れなければならないともいえます。
が、大きくみれば、同時に起ると考えたほうが分かり易いでしょう。

 易の象〔しょう〕からみれば、【離為火】は、「火(離)」また「火(離)」の重卦ですから、
一方(下卦)の離火が他方(上卦)の離につくとも考えられます。

人も何に(→正しきものに)つき、誰につくかが大切です。
易の教えの、「明」を継ぐに「明」をもってするの美です。

 「離」の象意の深意に関しても、少しだけ触れておきましょう。
(※このテーマについては、近く改めて執筆したいと思っています)

 「離」は、学術・文化であり文化・文明です。
この、文化・文明そして学術そのものも、両刃〔もろは〕の剣で反対の意味を持っています。

 「財宝は子孫を殺し、学術は天下を滅ぼす」という言葉があります。
中庸を欠く貨幣〔かね〕(経済)は、子孫・人間をダメにし、
中徳を失った学術も世界を破滅させる悪です。 ── 兵器・核兵器に象徴されますように。

 文化・文明は、ひと燃えの“火”と一個の“石のカケラ” (高根造語)から始まりました注2)

大古、我々の祖先は、 “火”の暖と明を獲得し、
智恵を使って“石のカケラ”から「道具(=石器)」を作りだしました。

今では、“ナノ〔10億分の1m〕の時代”を迎え、
その「道具」は “アリの持てる携帯電話” すら夢ではなくなっています。

21世紀の現在、世界は易の【震:小ドラゴン】よろしくインターネットが飛び交い、
易の【乾:ドラゴン】よろしく ミサイル(&核兵器)が世界に満ちています。

それ(乾のドラゴン/ミサイル・核兵器)は、いつでも、飛べます。
地球を何個でも破壊できるパワーです。

注1) 「離」・「離為火」の詳細については、高根・ 『易経64卦解説奥義・要説版』 の
    「’08〜’09 「象」による64卦解説」参照のこと
    →
http://blog.livedoor.jp/jugaku_net/archives/50754711.html

注2) ファンタスティックな事実を加えますと、歴史時代よりはるか大昔。
    一個の“石のカケラ”=10kmほどの“隕石”が、全くの偶然に、地球に衝突しました。
    それは、巨大な恐竜の時代を終わらせ、
    (ネズミのような我々の祖先であった)哺乳類の時代をもたらしたのです。
    ‘10年、仮説の一つであったものが、実証され定説となりました。
    ちなみに、(米)映画にも巨大隕石の衝突による人類の終焉の危機(の回避)が
    テーマになっているものがありますね。
    “アルマゲドン”は、地球に衝突する小惑星を穴を掘って
    爆弾を埋め爆発破壊させるものでした。
    また、大小2個の隕石が接近し、小隕石は地球に衝突しましたけれども
    大隕石は破壊できた、というのもあったかと思います。

 

《 率: ひきいる=したがう 》

○ 「天の命ずる之を性と謂い、性に〔したが〕う之を道と謂い、道を修むる之をと謂う。」
 有名な、述聖・子思子の『中庸』の書き出しです。

「率性之謂道」。「率性」という語があります。
(性にしたがう。生まれつきの本性〔ほんせい:=誠〕にしたがうこと。)

1) この、「率」は、通常“ひき・いる”と読みますね。
   集団を「率いる」、生徒を「引率〔いんそつ〕」する、「率先〔そっせん〕」する、
   「統率〔とうそつ〕」する、といった具合です。
   統率者=師〔すい:かしら/おさ〕 です。
   (かつての君主)・政治家・社長・先生(師)・・・ といった指導者・リーダーの、
   視点立場からのことばです。

2) これと反対・対照的に、率いられる側、導かれる者の視点立場からの言葉が
   “したが・う”(順う、従う、随う)です。 
   ── この『中庸』の「率性」。
   「率服〔そつふく/そっぷく:付き従う、服従する〕」、
   「率履〔そつり:したがいふむ、国法を正しくふみ行う〕」。

優れて善く「率いる」者と、優れて善く「率う」者とがいて、秩序・平和は成り立ちます。
どちらが欠けてもダメです。

そして私は、その“匙加減〔さじかげん〕”・“balance〔均衡/統一〕”こそを、
東洋思想で“中庸(の徳)”という
のだと考えています。

 

《 教: おしえる=ならう 》

 先程の『中庸』の「修道之謂」。「教は效〔ならう〕なり」と注釈にあります。

 「教という字は、単に口で [おしえる] ばかりでなく、実践を伴う。注3) 
即ちお手本になる、人の [ならいのっとる] ところとなるという意味である。
だから『教は效〔ならう〕なり』という注釈があるわけです。
教育とは、教師が生徒のお手本になって、生徒を実践に導いてゆくことであって、
ただ言葉や文句で教えることではない。
言葉で教えるのは [] とか [] とかいうものであります。」 *[ ]内は原文は「、、、」です。
(安岡正篤・『論語に学ぶ』所収、「中庸章句」引用)

 敗戦前の教師(の権威)偏重、敗戦後の生徒中心教育に名を借りた教師の(軽佻)浮薄。
どちらも“中庸”を欠く偏倚です。

その弊害は、“めだかの学校”よろしく 注4)、“ミソもクソもごちゃまぜ”の平等観 注5)、
本〔もと〕も末も一緒くたの戦後教育にこそ具現していると思います。

古の英知、両面思考を思い出してほしいものです。


注3) 王陽明の“知行合一”、に通ずるものがあるかと思います。

注4) 「♪めだかの学校のめだかたち、だれが生徒か先生か、だれが生徒か先生か、
    みんなで元気に遊んでる♪(2番の歌詞)♭」

注5) 従来このような卑俗な表現は、品位の面から、私は決して用いませんでした。
    が、今は危機的状況から、あえて使うべき段階に入っているかと思い用いてみます。

 

《 敬: うやまう=つつしむ 》

○ 「仁者は人を愛し、礼ある者は人を敬す。」 (『孟子』・離婁上)

○ 「愛敬、親に事〔つか〕うるに尽くして、徳教、百姓〔ひゃくせい〕に加わり、
   四海に刑〔のっと〕る。」 (『孝教』・天子章第2)

○ 「故に母には其の愛を取り、君には其の敬を取る。之を兼ぬるものは父なり。」 
   (『孝教』・士章第5)

 『孝教』を読むと、ほんとうにしっかりと、」・「敬愛について書かれています。

敬(=陽)と愛(=陰)、家庭に在っては父と母が揃って、
その徳を発揮してこそ全き世界と人間があるのです。

現今〔いま〕、愛ばかりが言われて敬が忘れられ、失われています。

母(愛)が二人で父(敬)不在の家庭も多くなってまいりました。

家庭はその教育力を失い、ただの同居の場となり下がっています。

 その愛にしても愛情と“甘やかし”をすり替えているような世相です。
甘やかし 子を捨てる」とは、時代を超えてよくいったものです。
(おばあちゃんの)「舐犢〔しとく〕の愛」という古くて新しい言葉もあります。

 敬とそこから生まれる「」ということが、人間にとって一番の根柢的徳です。
西洋においても、例えばカントの道徳哲学においても、「敬」の概念は非常に重視されています。

さて。
1) この、「敬」は、通常“うやま・う”と読みますね。
   他者〔ひと〕が、うやまい、たっとんで礼を尽くすこと。
   「尊敬」・「崇敬」です。

2) 一方、尊敬の対象となっている吾人〔ごじん〕、
   自分自身はというと。 “つつしむ”、真心をこめてつとめるの意です
   「篤敬〔とっけい:人情に厚く慎み深いこと、徳実恭敬〕」・
   「敬忠〔けいちゅう:相手をうやまい真心を尽くす。また、つつしみ深く真心をつくる〕」です。

(※つつしみの貌〔ぼう・かたち〕にあるのを「恭」、心にあるのを「敬」といいます)

 いやしくも、敬される(立場)の人は、己をつつしみ、
いばったり傲慢であったりはしないということです。

人の敬に敬愛で応えるのです。

易も【地山謙】卦が、人に長たる者の謙虚・謙遜を教えています。

“稔〔みのる〕ほど頭〔こうべ〕をたれる稲穂かな”です。

 

《 結びにかえて ── 儒学と民主主義 》

 以上の両(ニ)面思考的視点を踏まえて、
“儒学”そのものと現代民主主義に想いを新たにして結びに変えたいと思います。

 敗戦後わが国では、一般に、儒学というと、
“封建制道徳”の権化〔ごんげ〕ように不当に扱われています。 注6) 

確かに、歴史的に、(江戸期の隆盛を極めた)日本儒学は、
封建制=君主制を支えた社会体制(一面的見方からすれば支配体制)でした。

徳川幕府(徳川家康)がその長期的安定の秩序として(自分にいいとこどりして)
国教として採用したのが儒学=朱子学でした。

中国も朝鮮も朱子学でした。

しかし、徳川幕府の時代を終わらせ明治の時代を拓いたのも、(外圧という背景はありますが)、
また、儒学=陽明学(孟子の革命思想・吉田松陰などの思想・・・ )でありました。
注7)

 ところで、貨幣価値の違いを無視して比較する話がナンセンスであることは、自明ですね。

例えば、100円のねうちは、今はパンの一つを買えるかどうかですが、
かつては(百円長者といって)家一軒が買えたころもあります。

 そもそも、古代奴隷制社会、中世封建制社会といったものを
現代のものさし(基準)をそのまま当てはめて、是々非々論ずるのは浅薄と言わざるを得ません。

● 民主制は最良か?
“民主主義政治体制”以上に優れた政治体制は無い、と聞いたことがあります。
が、私は、今の日本の民主主義社会が善く優れており、
中世封建制・君主制社会が悪く低い段階にあるとは、必ずしも思いません。
(私は、歴史学や政治学、経済学を専門に学んでまいりましたが) 
── 中世の社会と申しますものは、(実は)、随分住み易い社会であったのではないかと思っています。

そうでなければ、西洋でも東洋でも、幾百年にもわたって営々と続くはずがありません。
現在の我国の民主社会は、敗戦後65年余りですが、さて今後幾百年も続くでしょうか? 
それほどに、住み易い社会でしょうか。

「自由」や「民主」の名を騙〔かた〕って、放恣〔ほうし〕・利己主義がまかりとうり、
個人の都合・「権利」ばかりが主張され「責任」・「義務」が問われない無責任な社会。

この大衆民主主義社会の行く末には、嫌気すら覚えます。


● (本来の)儒学は民主的!
 わが国は、敗戦後、アメリカによる“占領政策”により、伝統的儒学道徳が否定され、
金科玉条に(米的)民主化が謳われ洗脳されてまいりました。

就中〔なかんずく〕、教育現場への弊害は、致命的に大なるものがありました。
(むろん米側からすれば、非常にうまく占領政策が進められたといえます。
その要〔かなめ〕は、教育(教職員)への介入政策にあったといえましょう。)

 私の想いますに、真の民主主義的思想のルーツは、むしろ儒学にこそあります。

それは、はるか、古代中国・春秋戦国の時代へと二千数百年も遡ります。
奇しくも、西洋で古代ギリシアで(奴隷制社会の中で)、民主政治が花開いた頃と重なります
(BC.5世紀ごろ)。

 ── 例えば、教育では、『史記』に3.000人ともいわれた孔子の学院は、
東洋史初の民主的私立大学(高等教育機関)
といえます。

“十大弟子”の中には、子貢のような“経済人〔ホモ・エコノミクス〕”の原型もいます。

孟子の王道論(徳治政治)は、経済生活の基盤・安定を説いています
(「恒産恒心〔こうさんこうしん〕」/梁恵王下)。

更に孟子は、民が主である思想
(「民を貴〔たっと〕しと為し、社稷〔しゃしょく〕これに次ぐ」/尽心下)
を展開し、西洋流の市民革命思想(「易姓革命」)
を唱えているのです。

 先述のように、江戸期の日本儒学(朱子学)は、徳川幕府が国教として儒学を採用するにあたり、
幕府の支配体制に都合のよい面だけ採り入れ、都合の悪い部分は導入しなかったということです
( ── そのことは、また戦国をようやく平定した覇者として当然のことではあります)。

そして、その“官(正)学儒学”を擁護する御用学者が出て、
徳川300年弱の御世の秩序を支えたというわけです。
日本の歴史の中に位置づけて然るべきことかと思います。

● 大衆民主制と儒学の調和♪
現今〔いま〕、日本の民主制・大衆社会は、伝統的儒学思想とどう調和させていくかを問われています。
想うにつけても、共産主義国・中国(中華人民共和国)も、
資本主義(経済)や儒学と不思議なミスマッチ〔異種融合:ハイブリッド/フユージョン〕?
を現出しています。注8) 

離れ=つく/つき=離れる、変易(変化)と不易とを改めて思います。

どのような組織にしろ、社会・国家にも指導者〔リーダー〕は必要です。
それも、優れた指導者が必要です。

優れた指導者をもてぬ人々、国家は惨めです。── 現代の日本は、何如〔いかん〕?

学校にしろ、会社にしろ、国家にしろ、
(少数の)指導者〔リーダー〕=【率いるもの】 と (多くの)導かれる者=【率うもの】 があって、
善き人間社会の秩序ではないでしょうか。

現代日本は、この両面を単純愚かにも同じにしてしまい、
“誤った平等”にしてしまっています。

俗に表現すれば“ミソもクソもごちゃまぜ”です。 注5) 

教育も教える者(師・先生)と教えられる者(弟〔でし〕・生徒)とがなく、同じです。

政治家もその道をおさめた指導者〔リーダー〕でなく、
“タダのひと”がバッジを付けています。

政道・学道・商道・医道 ・・・ 道を修めた然るべき指導者不在の時代です。 注9)

そして、【率いるもの】 と 【率うもの】を、
西洋的に支配・被支配の関係で単純に捉え表現してしまわぬことが大切です。

固定的な二元論ではなく、陰陽相対(待)論のように相対的に捉えるべきものです。

つまり、【率いるもの】 と 【率うもの】は、相対(待)的でチェンジ〔交代〕もするし、
同一人物でありながら立場・状況によりどちらにも成り得るのです。

注6) 補述として、旧来からよく見聞きする、愚見・曲解の一例をあげておきましょう。

○ 「子曰く、民は之に由〔よ〕らしむべし。之を知らしむべからず。」 (泰伯第8)

 敗戦後の進歩的文化人と称される人々や政治家が、さかんに引用したものです。
“今は民主的な世の中ですから、(以前のような)民に情報を知らせないで
強制的に従わせるような封建的なあり方は、改めねばならないのです、
云々〔うんぬん〕”といった調子です。

全くの浅薄なる誤解です。 孔子・儒学に対する“冤罪〔えんざい〕”?です。
 「不可使知之」は、禁止ではなく不可能の意です。

今でも“情報公開”や“説明責任”、“知る権利”など声高〔こわだか〕にメディアが唱えています。
けれども、国家百年の大計・判断や逆に細かなことは、なかなか皆に周知出来るものではありません。
いわんや、二千五百年前においてをやです。

ですから、真の意味は、
“(人に長たる者、指導者たる者は、徳を磨き修養を重ねて、)
皆が慕い寄って来るように信頼してまかせくれるようになれ
”ということです。

例えば、家の普請などの大きな買い物、難しい手術の判断などを、
担当営業マンや担当医師の“人物・人徳”に惚れ込んで託し任せるということがあるでしょう。

私には、「この件は、○○支部長に一任ということで・・・」、「西郷さんにおまかせいたす・・・」
といった何かのシーンの言葉が、脳裡に浮かびます。

この、孔子・儒学に対する冤罪ともいえる愚見・曲解は、
現今〔いま〕にいたっても、平気で新聞などのメディアで見聞きします。

まことに、残念なことです。

注7) 高根講演 「儒学と松下村塾の赤龍たち」(‘08 “真儒の集い”特別講演)参照のこと。

注8) 中共は、40年余り前の文化大革命の方向を180度転換して、儒学を国教化し、
    北京オリンピック(‘08.8)で世界に『論語』・“孔子”をアピールし、
    現在子供たちは熱心に『論語』を学んでいます。
    そして、中共は今や、GNP世界第2位、軍備大国に変じています。

注9) 易卦【地火明夷〔ちかめいい〕】: 地中の太陽、
    “君子の道 閉ざされ、小人はびこる”、徳のない蒙〔くら〕い時代。(高根)

                                               ( 完 )

 

第31回 定例講習 (2010年6月27日)

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論語  ( 孔子の弟子たち ―― 子 貢 〔4〕 )

◆ 1) 大器量人子貢 ・・・・ “女〔なんじ〕は器なり”、君子とは? 君子と器!
 ――――→   続 き

※  研究  ―― 渋沢栄一の君子評

 渋沢栄一氏は、維新の三傑*注1)を、その著書の中で次のように観ています。
(以下、『 「論語」の読み方 ―― 「精神の富」と「物質の富」を一挙両得できる! ――  』 
/竹内 均 編・解説によります )

 大久保利通〔としみち〕は、胸底に何を隠しているのかつかめぬ、全く底の知れない人で、
彼に接すると何となく気味の悪いような心情を起こさないでもなかった。

 西郷隆盛は、同じ「器ならざる人」でも大久保とは大いに異なっていた。
一言に要せば、大変親切な同情心の深い、一見して懐かしく思われる人であった。
賢愚を超越したまさに将たる君子の趣があった。*注2)

 木戸孝允〔たかよし/桂小五郎〕 は、文学の趣味深く、すべてに組織的であった。

 以上、三者三様であったが、非凡にして「器ならざる」者という点では共通していた。

荻生徂徠〔おぎゅうそらい〕は、「器なる人は必ず器を用いずして自ら用うるにいたる」といっているが、維新の三傑は人を用いて自分を用いなかった人たちであったというのが、(渋沢氏の)実感するところです。*注3)

 なお、勝 海舟も達識の人であったが、どちらかというと 「器に近い」ところがあって
「器ならず」とまではいかなかったように思われる。*注4)

*高根注1) 「維新の三傑」、すなわち幕末期から明治を創った、西郷・大久保・木戸(桂)の3人。この3人の英傑は、歴史の舞台から申し合わせたように消えてゆきます。西郷は、西南戦争(M.10/1877.2〜9)で政府軍(大久保・木戸)と戦い、敗れて自刃。その間、木戸は病没。西郷亡き後、翌年、大久保は暗殺されます。
なお、この維新の三傑一挙に亡き後、以降はニューリーダーとして伊藤博文や山県有朋(共に松下村塾の出身、また共に『論語』からとった名前です)が、日本史の表舞台に登場してくることとなります。

*高根注2) 西郷隆盛は“情の人”であったと思われます。隆盛の弟、従道〔つぐみち〕も兄に似て言葉少ないけれども不言実行家で、独特の才能を持っていました。従道は、明治政府の下で長く重要な地位を占め重んじられます。
――― 現在、指導的立場に、“口舌〔こうぜつ〕の徒”という軽輩ばかりが多いことを改めて思います。

*高根注3) 現代日本の政治は、大衆民主主義社会の悪弊で衆愚化し、器ばかりの為政者となっています。 ―― 否、器・器量人ならまだしも、器ですら一向にない人たちが議員バッジをつけています。何とも不思議なことです。

*高根注4) 西郷隆盛は、徳がかった“君子タイプ”(=陰)。勝 海舟は、才がかった“小人タイプ”(=陽)。と 陰陽で類型だてることができます。

 ( 続 く )



老子  【2】

 
§.プロローグ : 序 ――― 『老子』 と 『易経』・『中庸』

 ☆POINT

 ※ 形而上学〔哲学・思想〕 ―― 『老子』 = 『易経』 & 『中庸』(子思) 

⇒⇒⇒  東洋思想の2大潮流/2大属性/個人レベルと社会レベル

 先に述べましたように、「諸子百家」の中で、
後世・歴史への影響が重大であったものが儒家と道家です。

この、儒学思想と老荘(道家)思想は、2つして、中国さらに東洋の2大潮流を形成してまいります。

 さて、この“2大潮流”を(二者択一的)2つのもの、場合によっては対峙〔たいじ〕する2つのもの、という一般的捉え方は、私には当を得ていないもののように思われます。

両者は、2つにして「一〔いつ〕」なるもの、2面性・2属性として捉えるべきものです。

 そもそも、何につけても分岐・分析的に物事を捉えるのは西洋学問の傾向です。
それは一見、科学的・合理的でわかり易いような気をおこさせます。

陰陽でいえば、「陽」の分化・分岐の捉え方です。
が、しかし、その実〔じつ〕大いに問題である場合があります。

現代社会そのものが、過剰に陽化し分化し、
多岐駁雑〔ばくざつ〕で “わからなく”なってしまっている現状です。

「陰」の収斂〔しゅうれん〕、統合・統一の視点が必要です。

 「柔よく剛を制す」という、お馴染みのことばがあります。
私は、少年のころ、柔道(柔術)の極意のことぐらいに理解していました。が、これは『老子』の言葉で、“柔弱謙下〔じゅうじゃく/にゅうじゃく けんげ〕の徳”のことです。

ふと思いますに、大昔時〔おおむかし〕は、“陰陽”といわずに“剛柔(柔剛)”といっていました。
ですから、「柔よく剛を制す」は、「陰よく陽を制す」とも考えられます。
―― それはさておき。

 国家社会のレベルでも、個人のレベルにおいてでも、
儒学的人間像と老荘的人間像の2面性・2属性があります。
二者択一のものではありません。

私が、平たく例えてみますと。
いつもいつも、公人として、スーツにネクタイ・革靴で仕事ばかりしていては息が詰まります。
カジュアルな格好をしたり、気分転換・無礼講も必要です。

帰宅してのプライベートな時間は貴重です。ラフな服装が大切です。
あるいは、ウイークデーの5(6)日間しっかりと精勤すれば、
(土)日曜日の休日には心身を休養することが英気を養うことになります。

その、精励 ― 休養、緊張 ― 弛緩、陽 ― 陰、のバランス
中庸・中和・時中 の中に人間・社会の至福があるのです


ちなみに、個人で人生どちらをより優位に選ぶかは個人差があるものの、
やはり一般には、働いて休日があるように、儒学ありて老荘生ずということかと思います。

 ところで、『史記』の「老子伝」には、孔子が周に行って老子に教えを乞い、
老子を「それ猶〔なお〕、龍のごとし」と評した話が書かれています。

実際には、(後述しますが)“老子”という人物が存在したかどうかも定かではありません。
(司馬遷の時代、すでに老子の人物像に3説あって特定出来ていません)

たとえ、実在したとしても、孔子が老子から教わったということはありません。
フィクション〔伝説・物語〕にすぎません。

当時、メジャー〔有力〕であった儒家思想をベースに、
それに対抗・批判する立場(アンチ・テーゼともいえましょうか)で、
老荘思想が登場し形成された
と考えられます。

 弁証法的(=中論)にいえば、儒教【正/テーゼ】と老荘【反/アンチ・テーゼ】が
止揚(揚棄)【中す/アウフヘーベン】して、
東洋思想【合/ジン・テーゼ】が完成するとも表現できましょう。

儒家思想と老荘思想とは、両者が混然一体となって、
東洋思想は深淵でパーフェクトなものとなるのです。

そして、日本の伝統精神の基盤をなした“ミーム”〔文化的遺伝子〕 の
“元〔もと〕始まり”もここにある
と思います。
(※仏教の東洋文化への普及・影響は後の時代のことです)

 ではここで、東洋思想の泰斗〔たいと〕、
故・安岡正篤先生の“儒学と老荘”・“易と老子”の捉え方を少々ご紹介しておきたいと思います。

 「東洋の学問を学んでだんだん深くなって参りますと、どうしても易と老子を学びたくなる、
と言うよりは学ばぬものがない
と言うのが本当のようであります。
又そういう専門的な問題を別にしても、人生を自分から考えるようになった人々は、
読めると読めないにかかわらず、易や老子に憧憬〔しょうけい〕を持つのであります。」
 ( 安岡正篤・『活学としての東洋思想』所収「老子と現代」 P.88引用 )

安岡先生は、「孔孟の教は現実的」であり、「老荘の教は理想主義的」であると述べられています。

すなわち、孔孟の儒学(儒書)は現実・実践的で、現実に疲れてくると厳しく重苦しい。
この、厳しさ・堅さを救うものが、黄老思想、所謂〔いわゆる〕老荘系統の思想学問です。

それは、理想主義的で現実にとらわれない形而上学〔けいじじょうがく〕的なものなのです。
                                          ( 続 く )

本学  【 漢文講読 ―― 『晏子春秋』・〔1〕 】

*漢文講読の第一回目は、『晏子春秋』 〔あんし しゅんじゅう〕から、「景公病水 〔けいこう みずをやみ〕… 」を取り上げました。

§.はじめに

 晏子=晏嬰〔あんえい〕は、春秋時代の大国・斉〔せい〕の名宰相です。
霊公・荘公・景公の三代に仕えて、清廉堅実な善政を敷きました。
『晏子春秋』(8巻、内篇6・外篇2)は、この晏嬰の言行録です。

 晏子は、『論語』にもよく登場しますね。
また、漢文のテキストでも良く扱われていて広く知られているものに
「晏子の御〔ぎょ〕」があります。

『史記』の晏平仲伝 にあるもので、
宰相・晏嬰の御者〔ぎょしゃ〕が、その地位を得意がり甘んじていたのを妻が諌〔いさ〕めます。

それで御者は、行いを慎み、晏嬰が大夫〔たいふ〕に出世させてやったという話です。
(この故事から、他人の権威に寄り掛かって得意になる意で用いられます)

 今回採り上げました、「景公水を病み・・・」の話は、当時の陰陽(五行)説 
―― 易学=儒学の源流思想、をうかがい知る意味からも、
現代の(フロイト的)深層心理学的視点からも、非常に興味深いものがあると思います。

これが、実話か作り話かは定かではありません。
が、大政治家にして賢人たる晏子の、心理療法、実践合理的“かけひき”の面目躍如たるものを味わってまいりましょう。

また、補論として、私(高根)の、この話の裏面にある深意への研究・検討もご参考下さい。
 
 (なお、本時の購読と概説は、陰陽五行論に詳しい嬉納禄子〔きなさちこ〕女史が担当いたしました。)


◎ 『晏子春秋』 巻6−1条(一部略)

「 景 公 病 レ 水 ・・・・・ 」


《 漢 文 》  ―――  略  ―――

《 書き下し文 》 (歴史的かなづかいによる)

 景公水を病み、臥すこと十数日、夜夢に二日〔にび〕と闘ひて、勝たず。晏子、朝す。公曰く、「夕者〔ゆふべ〕夢に二日と闘ひて、寡人〔くわじん〕勝たず。我、其れ死せんか」と。晏子対〔こた〕へて曰く、「請ふ 夢を占ふ者を召さんことを」 と。閨〔ねや〕より出で、人をして車を以て夢を占ふ者を迎へしむ。 | 至りて曰く、「曷為〔なんす〕れぞ召さるる」 と。晏子曰く、「夜者〔よる〕、公、夢に二日と闘ひて、勝たず。公曰く、『寡人死せんか』と。故に君に夢を占はんことを請ふ」 と。夢を占ふ者曰く、「請ふ、其の書を反〔かえ〕さんことを」と。晏子曰く、「書を反す毋〔な〕かれ。公の病む所は陰なり。日は陽なり。一陰は二陽に勝たず。故に、病、将〔まさ〕に已〔や〕まんとす。是〔こ〕れを以て対へよ」と。 | 居〔を〕ること三日、公の病大いに癒ゆ。公、且〔まさ〕に夢を占ふ者に賜はんとす。夢を占ふ者曰く、「此れ臣の力に非ず。晏子臣に教ふるなり」 と。公、晏子を召し、且に之れに賜はんとす。晏子曰く、「夢を占ふ者、占〔うらなひ〕の言を以て対ふ。故に益有るなり。臣をして言はしむれば、則ち信ぜられざらん。此れ夢を占ふ者の力なり。臣に功無きなり」 と。公、両〔ふた〕つながら之に賜ひて曰く、「晏子は人の功を奪はず、夢を占ふ者は人の能を蔽〔おほ〕はず」 と。

《 大意・現代語訳 》

 景公が、腎臓病を患って、10日あまり、病床に就きました。
ある夜、夢をみて、自分が2つの太陽と闘って勝てませんでした。

(宰相の)晏子が、お見舞いに参内しました。
そこで公は、「昨夜夢の中で 2つの太陽と闘って、わしは勝てなかった。
わしは、もう死ぬのだろうか?」
と言いました。

晏子がお応えして申し上げるには、
「どうか夢占い師をここへお呼びください。」 と。

(晏子)は、公の寝室を出ると、人に言いつけて車で夢占い師を迎えにやらせました。

 夢占い師は、やってくると言いました。
「なぜ(私は)お召をうけたのでしょうか」 と。

晏子は言いました。
「夜、ご主君(景公)が、2つの太陽と闘って勝てなかった夢をみられた。
そして、『わしは、もう死ぬのではなかろうか?』 と言っておられる。
それで(私が)ご主君に、その(夢の意味)を解いてみられますようにお願いしたのだ」 と。

夢占い師は、言いました。
どうか夢占いの専門書を参照させてください」 と。

晏子は言いました。
その書物を参照してはならぬ。ご主君が病んでいる腎臓は陰であり、太陽は陽である。
1つの陰が 2つの陽に勝てない(のは陰陽の理というものだ)。
したがって、ご主君はまもなくお治りになるのだ

このことを、ご主君へのお答えとせよ。(※ そうしなければタダではすまさぬゾ)」 と。 

 それから 3日がたち、公の病はすっかり良くなりました。

公は、夢占いをした者に褒美を与えようとしました。

夢占い師は言いました。
「これは私の力ではありません。宰相の晏子が、私に教えてくださったのです。」 と。

公は、晏子を召し出して褒美を与えようとしました。

すると、晏子は、
「夢占い師は、(スペシャリストとして)占いの言葉でお答えしました。
だから、ご利益〔りやく〕があったのです。
もし私が、同じことを申し上げたなら、
ご主君には、信用して(有難味を感じて)いただけなかったでしょう。
つまり、(病を治したのは)夢占い師の力〔権威のパワー〕なのです。
私には、何の手柄もありません。」 と。

公は、両人に褒美を下賜〔かし〕してこう言いました。

「晏子は他人〔ひと〕の功績を奪わなかったし、(景公)夢占い師は、他人の才知・能力を隠してしまおうとはしなかった。(両人とも立派である)」 と。
                                            ( 続 く )


― ― ―

易経

※ 新しい受講生も増えていますので、立筮 (略筮法/中筮法)のおさらいをいたしました。 
先輩の受講生諸氏は、筮竹さばきもだいぶんと板に付いてまいりました。

                                            ( 以 上 )
                                    


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「大器晩成」 と 「大器免成」  その2

前の記事の続きです。


《 命(理)学における大運 》

 ところで、生年月日(時)にもとずく運命学を、命(理)学といいます。

その代表格であります“四柱推命学〔しちゅうすいめいがく〕”は、
生年・生月・生日・生時で“つの”をつくり(タテ書きですので)、
”を“”します。

それで、“四柱推命”と称します。
(ちなみに、生時が不明の場合は三柱推命となります)。

そうすると、同じ“命式”を持つ人、
即ち同年・同月・同日・同時に生まれた性別の同じ人は、
数十万人に一人ともいわれています。

その精密さから、俗に“占いの王様”と呼ばれています。

 旧暦は、干支〔かんし/えと〕、即ち十干〔じゅっかん/天干〕と十二支
〔じゅうにし/地支〕の組み合わせによって構成されています。

十干に対応するのが10の宿命星、十二支に対応するのが12運星です

この10宿命星と12運星の組み合わせで、
運勢を読み取り方針の道標〔みちびき〕とするわけです。

その信憑性〔しんぴょうせい〕の是非は、ここではさておくとして。
運勢(行運)の考え方にある、大運〔たいうん〕について述べたいと思います。

 (四柱)推命学の科学的論拠を考えてみれば、
ある種の統計の学、循環〔めぐり〕の思想であると思います。

経験的智恵です。

十干に対応する10の宿命星の“巡り”は、
年運(=1年運)でいえば10年に1年、
大運(=10年運)ですと100年に10年のサイクルとなります。

十二支に対応する12運星は、専ら運勢・パワーの巡りを現わすものです。

12運星は、胎児の「胎」に始まり、
○「胎〔たい〕」→「養〔よう〕」→「長生〔ちょうせい〕」→「沐浴〔もくよく〕」→
冠帯〔かんたい〕」→「建禄〔けんろく〕」→「帝王〔ていおう〕」→「衰〔すい〕」→
「病〔びょう〕」→「死〔し〕」→「墓〔ぼ〕」→「絶〔ぜつ〕」→
と、ライフサイクル〔 life cycle:人生の過程・周期〕を描き、
再び「胎」にもどります。

この思想の背景には、仏教の“輪廻〔りんね〕”の思想があるといわれています。
が、同時に本源的には、易の源流思想であるともいえましょう。

「帝王」が運気・パワーのピーク〔頂/いただき〕、
「絶」が運気・パワーの最低の谷です。

但し、私は、「帝王」は“陽極まれば陰”ですから
追われ追われて衰運へと向かうので、
むしろこれからまさにナンバーワンになろうという勢いの、
「建禄」を運気最高潮と捉えてアドバイスすることにしています。

12運は、年運(=1年運)でいえば12年に1年、
大運(=10年運)ですと120年に10年のサイクルということになります。

 年運・大運は、今流にいえば、10年間・12年間のバイオリズム、
100年間・120年間の人生のパワーの盛衰
と思えばよいでしょう。

 12運は、人によって「胎」から始まるとは限らず、
どの運からスタートするか様々です。

また、(先述の“順行運”に対して)“逆行運”といって、
巡りの順番(方向)が逆になる人も2分の1の確率でいます。

“立運”といって10年の区切りが何歳から始まるかも
(1歳から10歳まで)様々です。

(※それは節入〔せつい〕り日と性別によって決められます。)

―― このような非常な複雑さ、多様さ〔バラエティー〕が、
人生の不思議・妙味を表しているのだともいえましょう。

 そして、今回注目したいのは、「冠帯:冠をかぶる、出世する」→ 
建禄:禄を建てる、地位や財産を築く」→ 「帝王:最高位に登る」という、
【盛運の30年間(細かく分ければ各10年間)】が
人生のどの段階にきているか
ということについてです。

 12運星・盛運・衰運の巡りは、人間みな平等にあります。
生涯、盛運(幸運)であり続ける人もいなければ、
生涯、衰運(不運)であり続ける人もいません。

要は、人生行路の中での、その巡りのタイミングです。
そして、その善き運気に乗って活かせるか否かです。

 例えば、人生の活躍の年代というのは、
職種や活動のジャンルによって異なりますね。

スポーツ選手やアイドル芸能人などのピークは、一般に10代〜20代でしょうから
若年運であってほしいでしょう。

晩年、最晩年に世に知られ、大成する人もいます。
全国を歩いて日本最初の正確な実測地図を作った伊能忠敬〔いのうただたか〕は
よく知られています。※注3) 

私の身近にも、80歳・90歳 ・・・ と老いてますます盛んな
(向禄運〔こうろくうん〕)の、教育者や政治家がいます。

 今時〔いま〕私には、この「120年」という巡りが、
高齢社会・長寿社会が進展する中で、
(人類の寿命の限界といわれる“人生120年”が)現実味をもって
感じられるようになってまいりました。

 ちなみに、人さまのことは公表できませんので、私自身の場合を例示いたしますと。
私は、一ヶ年立運ですので(数え年)1歳からのスタートで10年間ごとの区切りです。

51歳から10年間「冠帯」/61歳から10年間「建禄」
71歳から10年間「帝王」 と巡る典型的な“晩年運の行運パターン”です。

少なくとも50歳までの半生が、(他の運星の巡りだったわけですので)
盛運・幸運に恵まれてなかったことは、該当しています。

若いころから、命(理)学も学修しておりましたので、
この自分自身の人生120年の巡りは知っていました。

それで、自分は“大器晩成型”なのだと認識し、
過去・現在については慰めとも諦〔あきら〕めともし(消極的な意味での悟りですね)、
未来に向かっては励みとも楽しみともしてきております。

“太く短く”の人生方針も“細く長く”に応変し、
高齢社会の進展を背景に、気力を抑え節制・摂生を専らにしている壮年期(?)です。

 四柱推命学の“命式”が、生得的・宿命的なものであるのに対して、
この“行運(大運・年運)”は、“生きざま”です。
その人の生き方しだいで、変えることも創造することもできるという意味で運命的です。
※注4)

 四柱推命学に、この“立命の要素”が見い出せることで、
救われるような気がします。重視すべきは、宿命ではなくこの行運=運命・立命です。

 大切なことは、“運気【盛運】”を知ること、そしてその運気に乗ることです。
その30年の盛運をいかに活かすか、
その(30年、10年の)人生の転機を、いかに逃さずに
然るべく奮励するかが要諦〔ようてい〕です

他の条件(時代や社会、場合の状況)が、どんなによろしく整っても、
肝腎要〔かんじんかなめ〕自分の心身が病み衰えているようでは、
何事も進められないでしょう。成功は覚束〔おぼつか〕ないでしょう。

自分の気力・体力が充実し、運気に恵まれてこそ、夢や志が実現するのです。

“天祐〔てんゆう〕”は、主体的・創造的な「立命」の
善き・美しき生き方の中にこそあるべきものなのです。

 
※注3)
1745〜1818。商人であった伊能忠敬は、
隠居して50歳にして江戸に出て西洋暦学と測量術を学びます。
1800年から幕府の命を受け17年間全国を測量しました。
その仕事が、『大日本沿海輿地全図〔だいにほんえんかいよちぜんず〕』となって、
(死後)1821年に完成しました。

50歳といえば、当時の平均寿命を超えていたでしょう。
彼の命式・行運は知り得ませんが、驚くべき最晩年運 (向禄運)の人です!
みならいたいものです。

※注4)
「宿命」の宿は、もと(前世)からの、定まった、変えれないものの意。
「運命」の運は、はこび動かす、めぐらす、変えられるものの意。
なお、西洋思想、ヘーゲル哲学でも、運命はその人の生き方によって決まるとしています。

 

《 おわりに 》
 
 以上、老子の「大器晩成」を“起”として「大器免成」の、
完成なきの哲学思想を
のべてまいりました。

それは、また易の循環・無終の理と深いところで「一〔いつ〕」にするものでした
(仏教の“輪廻〔りんね〕”の思想とも重なっていました。)

そういうことで、今回は、あえてエピローグ・終わりはなし、ということで
“結”の言といたします。
                                           ( 以 上 )



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「大器晩成」 と 「大器免成」  その1

「大器晩成」と「大器免成」

 ――― 『老子』/「大器晩成」・「大器免成」/易の無終・循環の理/
   「後生畏るべし」/推命学の大運(10年運)/「冠帯」・「建禄」・「帝王」 ―――


《 はじめに 》
 
 儒学と老荘(黄老・道家)思想は、東洋思想の二大潮流であり、
その二面性・二属性を形成するものです。

東洋の学問を深めつきつめてゆきますと、行きつくところのものが、“易”と“老子”です。
 ―― 憧憬〔あこがれ・しょうけい〕の学びの世界です。

私も、50代にして、『論語』・『易経』と『老子』をあわせて講じることに、
教育者としての矜恃〔きょうじ〕を新たにしているところです。

 『論語』・『易経』とともに、『老子』の影響力も実に深く広いものがあります。
『老子』もまた、言霊の宝庫なのです。

我々が、日常、身近に親しく使っている格言・文言で『老子』に由来するものは、
ずいぶんとたくさんあります。例えば ・・・。

大器晩成 (41章)      
・和光同塵〔わこうどうじん〕(4章・56章)
・無為自然 (7章)
・道は常に無為にして、而も為さざる無し (37章)
柔弱謙下〔じゅうじゃく/にゅうじゃく けんか〕の徳 (76章)
柔よく剛を制す (36章)
・小国寡民 (80章)
・天網恢恢〔てんもうかいかい〕、疏〔そ〕にして失わず〔漏らさず〕(73章)
・千里の行〔こう/たび〕も、足下より始まる (64章)
・知足(たるをしる) / 知止(とどまるをしる) (33章・44章・46章)
・上善若水〔じょうぜんじゃくすい:上善は水のごとし〕 (8章)
天は長く地は久し (7章)  cf.“天長節”・“地久節”の出典
・知る者は言わず、言う者は知らず (56章)
・大道廃〔すた〕れて、仁義あり (18章)
・怨みに報いるに徳を以てす (63章) 
・禍〔わざわい〕は福の倚〔よ〕る所、福は禍の伏す所 (58章)

といった具合で、枚挙にいとまがありません。

今回は、お馴染みの「大器晩成」と、
『老子』の新発見により明らかとなった「大器免成」を中心にしながら、
人生の運勢・人間の大成について述べてみたいと思います。

 

《 「大器晩成」と「大器免成」 》

 「大器(ハ) 晩成(ス)」。
国語(現代文、古典ともに)で、しばしば登場する文言です。
四字熟語としても、小学生・中学生のころからお馴染みのものですね。

 “大きな器〔うつわ〕は夜できる”という珍訳が有名ですが、
大きな器を作るのには時間がかかるという(それだけの)意です

そこから敷衍〔ふえん〕して、立派な人物は速成では出来上がらず、
晩年に大成するという意味
で用いられます。

即戦力が求められ、レトルト食品なみの速成(即製)人間を作りたがるご時世。
心したい箴言〔しんげん〕ではあります。

ちなみに、私は中学生のころ、国語でこの「大器晩成」の意味を習い知った時、
理科で鉱物の大きくて美しい結晶(宝石)は、
じっくりと永い時間をかけなければ出来ない、
ということと不思議と連関づけて納得しました。

それを、いまだによく記憶しております。

「大器晩成」の出典は、『老子』(『老子道徳経』)です。

先に述べましたように、老子の思想(老荘列子/黄老の思想)は、
孔子の儒学思想(孔孟荀子の思想)と相俟って
東洋思想の二大潮流・源流思想を形成いたします。

『老子』は、『論語』・『易経』とともに、
歴史を通じて現代にまで大きな影響力を与え続けています。

さて、この『老子』に、近年歴史的な新発見があったのです。 
(以下、大器免成についてまで、蜂屋邦夫・『図解雑学・老子』に
詳しく説明されている内容です。)

老子という人物は、実は、いたかどうかもはっきりしないのです。
が、少なくとも『老子』と呼ばれている本を書いた人(人々?)は、いたわけです。

時代的には、儒家が活躍したのと
(諸子百家の時代、春秋時代〔BC.770〜BC.403〕の末頃から)、
同時代か少し後の時代と考えられます。

『老子』の現存する最古のテキスト=今本〔きんぽん〕『老子』というものは、
8世紀初頭の石刻でした。

ところが、1973年冬、湖南省長沙市馬王堆〔ばおうたい〕の漢墓で、
帛〔はく:絹の布〕に書かれた 2種の『老子』が発見されました。

帛書老子”甲本(前漢BC.206年以前のもの)と
乙本(BC.180年頃までに書写されたもの)
です。

さらに驚くことに、1993年冬、湖北省荊門市郭店の楚墓から、
『老子』の竹簡〔ちくかん〕が出土しました。

この“楚簡老子”は、“帛書老子”よりさらに 1世紀ほど遡る
BC.300年頃のものです。※注1)

こうして、『老子』のテキストは、一気に1000年以上も前にまで遡って
我々の目にするところとなりました。

これ等の研究により、老子研究の世界も、歴史学や訓詁〔くんこ〕学のそれのように、
塗り替えられ新たになろうとしています。

その一つとして、「大器晩成」をご紹介いたします。

 

―― では、まず原典で「大器晩成」の部分を研究してまいりましょう。

○ “大方〔たいほう〕は隅〔ぐう〕無く、大器は晩成〔ばんせい〕し(晩〔おそ〕く成り)、
大音〔たいおん〕は声希〔まれ/かすか〕に、大象〔たいしょう〕は形無し。|
道は穏〔かく〕れて名無し。夫れ唯だ道のみ善く貸し且〔か〕つ成す。” (41章)

《大意》
 真に大いなる方形〔四角/角のあるもの〕は隅がないように見え、
真に大きな器はいつ完成するかわからぬほど時間がかかって出来上がり、 
真に大きな音は耳に聞き取れず、
真に大きな象〔すがた〕には形がないのです。|
このように、道はその姿がかくれていて、本質を表現しようがありません。
それにもかかわらず、この道だけが、よく万物に力を貸して成就させるのです。

今本〔きんぽん〕『老子』で、道の本質をさまざまに表現を変えて述べている部分です。

原文は、「大方無隅、大器、大音希声、大象無形」とあり、 
無隅、希声〔希は否定の語〕、無形、が否定であるのに、
晩成だと肯定(遅いが完成する)の意の文言になってしまいます。
不自然です。

それに対して、「晩成」は、帛書乙本では「免成」(甲本では欠落)、
楚簡では「曼城〔まんせい:無成の意〕」となっています。

「免成」だと免〔まぬが〕れるの意で否定です。
「曼城」も、曼は免と通用し、城は成の借字です。

そうすると、“真の大器は、永遠に完成することがない”の意となります。
これだと、文脈によく適います。

以上のように、「大器晩成」は「大器免成」が本来の意義であったのです。

真に大いなる器(=人物)は完成しない、
完成するようなものは真の大器ではないということです。

これこそ、老子の思想によく適うというものです。

ところで、易の思想は、無始無終、循環の理です。

『易経』 64卦は、63番目が【水火既済〔すいかきさい/きせい〕】で、
完成・終わりの卦です。 

64番目、最終の卦が【火水未済〔かすいみさい/びせい〕】で、
未完成の卦です。

即ち、人生に完成というものはなく、
また再び 1番目、上経最初の卦【乾為天〔けんいてん〕】
(もしくは、31番目、下経最初の卦【沢山咸〔たくさんかん〕】)に戻り、
こうして、永遠に循環連鎖いたします。
 ※注2)

私見ですが、こうして不思議と然〔しか〕るべく、
老子の真意と易の深意が重なりました。

老荘と儒学の 2つの形而上学は、つきつめれば「一〔いつ〕」なるものなのです。

なお付言しておきますと。
広く知られ続けています「大器晩成」には、すでに 1800年以上の歴史があります。

“真の器量人であればこそ世に認められるのに時間がかかる、
たゆまぬ努力を重ねることで大いなる完成がある”ということで、
あるいは慰めあるいは励ます言葉です。

これはこれで、良い格言・言霊に違いありません。


※注1)
この出土した竹簡の『老子』は、2000字を超え完成した『老子』の 5分の2位です。
この竹簡の手本となった『老子』がそれ以前にあったわけですから、
最初の『老子』はBC.350年より以前に作られていたと推測できます。

※注2)
『易経 十翼』・「雑卦伝」では、
最終ペアが、【天風姤コウ〔てんぷうこう〕】と【沢天夬〔たくてんかい〕】です。
《反卦の組み合わせ》

○【コウ〔コウ〕は遇〔あ〕うなり。柔、に遇うなり。 
  夬は決なり。剛、を決するなり。 
  君子の道長じ、小人の道うるなり。」 (「雑卦伝」末部)

 ・ コウ〔コウ〕は、思いがけずして出合うの意です。
   1陰=柔 が始めて初爻に生じて、5陽=剛 に出合うのです。
   多淫・淫奔の意でもあります。

 ・ 夬は、逆に 5陽(剛)が伸長して、
   上爻の陰(柔)を決去、押し決〔き〕る、引き破ってしまう卦象です。

 ・ ですから、陰が陽に出合うコウ卦は、
   小人の喜びを表し君子をその地位から遠ざけます。
   が、夬卦では、君子が小人を引き裂いて、
   君子の道がますます長じて(盛んになり)
   小人の道は憂え衰えてゆくことを説いています。


 【沢天夬】を最終に位置づけたのは、象〔しょう〕で捉えて、
上爻の陰が夬決されて純陽の乾天に戻るとの考えからでしょう。

――― つまり、夬卦の1陰が決去され尽くしますと、最初の純陽の乾卦に戻ります。
人類の歴史は行き詰まることなく、再び始まります。
「終始」 = 終りて始まる、という悠なる易学の循環の理がここに示されているのです。

(高根定例講習・易経:「雑卦伝/大意・解説・研究」参照のこと)

 

《 「後生畏るべし」 》

 以上、道家(老荘)思想の開祖・老子(『老子』)の言葉の一つについて述べてみました。
ここで、儒家の開祖孔子(『論語』)の言葉も、一つ引用して語ってみましょう。

○ “子曰く、後生畏るべし。焉〔いずく〕んぞ来者の今に如〔し〕かざるを知らんや。
  四十五十にして聞こゆるなきは、斯れ亦〔また〕畏るるに足らざるのみ。”
  (子罕第9−23)

《大意》
  孔先生がおっしゃるには、わしよりも後に生まれた者は、
(前途の可能性があり、パワーがあるから)まことに畏(恐)ろしいものがある。
(彼らが自ら日々研鑽努力すれば)どうして彼らの有徳が、
今日の(わしの)有徳に及ばないということが測り知られようか。
  だが、しかしだ。 40歳・50才にも長じて、
その人物の出来・有徳あることが世に聞こえないような者は、
(とるにたらぬ輩〔やから〕として)何ら畏れるには及ばないことだねえ。

 よく人口に膾炙〔かいしゃ〕している、
「後生〔こうせい〕畏るべし」 の文言の典拠です。

「後生」を「後世」と勘違いしている学生、
「先生」の反対語を「生徒」とノタマウ学生が多いですが、
正しくは「後生」です。

「先生」は、先に生まれる。「後生」は、後に生まれる、の意です。

 私は、仕事柄、何千・何万の学生(後生)を指導してきました。
が、“後生畏るべき”若者を とんとみません。

寂しく心もとないのを通り越して、情けない限りです。

私は、現今〔いま〕は、むしろ兼好法師が“嫌いなもの”として、
“若者”と“健康な人”をあげているのが、同感よく理解〔わか〕る気がしています。
それはともかく。

ここにいう“畏るべき”若者は、ただ単に暦年齢が若く、
未来への可能性を秘めている、パワーを蔵している、ということではないでしょう。

その若者が、今現在しっかり着実に、自己を研鑽し
仁徳を磨いているなら将来が楽しみ(畏敬の念を持つ)との意でしょう。

若人諸君を、覚醒させ、時に及んで学に励ませようとの孔子の言葉でしょう。

後〔おわ〕りの一文は、一般にはあまり顧みられていないようですが、
自分に反〔かえ〕ってみますと、私にとっては(中壮年頃から)“耳の痛い文言です。

五十路〔いそじ〕の馬齢を重ねるにつけても、自己嫌悪に陥ってしまいそうです。
それでも、いくつかの自己弁護(いいわけ)も想っています。

まず、 1)「四十五十」(歳)とあるのは、平均寿命が40代かそこらであったろう
(春秋)時代の言葉です。

ですから、高齢社会・長寿社会の進展する今時〔いま〕の日本にあっては、
70・80歳と考えて良いのではないでしょうか。
ーー せめて60・70歳と考えたいと思います。

2)その人が活躍する分野、その人のタイプによっては
「大器晩成」型もありうると思います。

例えば、ノーベル賞級の研究・業績にしても、
理数系の場合は多く 20代といわれています。

対して、社会科学系では、中年・壮年時代。
人文科学系〔文学・ゲイ術や思想〕では、
人生体験を重ね積む中に晩年大成するものでしょう。

3)ここで「聞こゆる」といっている中身は、
社会的立身出世や有名になることをさしているのではありません。

平たくいえば、“人間の出来”とでもいいますか、
人間の中味(徳・仁)の充実についての「聞こえ」をいっているのでしょう。

社会的に名声を博していなくても、出世していなくても、
(否、むしろそういった人の中にも)善く出来ている人はいます。

4)評価は、短期的・現世的なものとは限りません。
人とその業績の評価は、歴史がするものです。

死後、(その業績や著作)が認められ善き影響を後世に与えていくこともあります。

孔子(儒学)そのものも含めて、
死後、後代に知られ「聞こえた」人は数多〔あまた〕います

ーー などなどと考えて、(少々自己弁解も心しつつ)
自己嫌悪や落ち込みから、自身を励ましているところです。

尊敬する故・安岡正篤先生は、「無名にして有力であれ」とおっしゃっていました。
私は、このことばを座右の銘ともして、50代を陰陰と精励いたしております。


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