儒灯

【温故知新】儒学の普及に力を注いでおります真儒協会 会長、高根秀人年の個人ブログです。 『論語』、『易経』を中心に、経書の言葉を活学して紹介して参ります。 私個人の自由随筆、研究発表などのほか、真儒協会が毎月行っております定例講習についても掲載しております。

2010年11月

三省〔さんせい〕に想う (後編)

三省〔さんせい〕に想う (後編)
  ─── 「省」の2義(意)/聖徳太子と耶律楚材の「省」/結果責任/
無駄・無責任の現代(2010)/“風をおこすものは吏と師”/“黙養” ───


《 師(教師・学校)と「省」 》

 「師走〔師走:12月〕」は、師ですら走り回る(ほど忙しい)という言葉ですから、
昔の先生・師匠は、日ごろよほどのんびりしたものだったのでしょう。

今世は、一転して、いつも走り回っています。

 「教師」という“人種”は、よほど会議が好きな人間と見えます。
そして、次から次へと“コトを生〔ふ〕やす”・“仕事づくり”の名人上手〔じょうず〕です。

それでいて、いっかな省く事ができません。

それは、趣味というより一種の性癖のように思われます。

今時の教師という者を一言に表すと、“賢い愚か者”と造語しました。
矛盾する語の組み合わせながら(小さな巨人のように)、
言い得て妙かなと思っています。

 したがって、学校は“会議漬け”です。
学校は、実〔まこと〕に実〔じつ〕のない会議と膨大な資料・印刷物の山です。

これほどの時間的・物的な無駄は、“親方日の丸”ならではでしょう。
民間会社の“会議漬け”であれば、「省」力化を図れなければ、
いずれ資本主義の原理によって“淘汰”されるというものです。

官公庁は、そんな“会議” をしていても賃金は支払われます。
税金の無駄の典型です。

ちなみに、官制の、日本の一番大規模な会議が「国会」であるともいえましょうか。

 次に、“省〔はぶ〕きなきコト生〔ふ〕やし”についてです。
あるものを【益】やすためには、あるものを【損】じなくてはなりません。

── そこでいくつか、事例を思い起こしました。

1.住宅の間取りプラン : 
  一つの(追加)部屋やより大きなスペースを求めるなら、
  どこかの部屋をあきらめるか狭くするかです。
  “ハコ”の大きさは限られていますからね。
  中途半端な折衷・両用は、どちらもどれも用をなしません。最悪です! 注5)

2.ショッピング : 
  財布の中身は一定です。
  あるものを買いたかったら、他のものはあきらめるか減らすかしなければ、
  借金ができるだけです。 
  足〔た〕るを知り(知足)、「分」を守った(安分)生活が大切です。

3.食毒・過食肥満 : 
  食べること、摂取ばかりで排出を疎〔おろそ〕かにすると
  便秘・宿便で健康を害します。
  エネルギー(カロリー)出入りのバランスを崩して、消費(代謝)が少ないと
  不健康な肥満、肥満に因る万病となります。  ── など等。

 責任という視点においても、敗戦後の教育関係者(教師と監督機関者)は無責任です。

政治家に“結果責任”があるように、教育関係者にも 
── 人間が成人(ひととなるの意)となるのに時間がかかる 
── 結果が出るのに時間がかかるにせよ、
育った人間に対して責任があります。

例えば、最高学府(といわれている)「東京大学」は
多くの人材社会に輩出していると同時に、
多くの犯罪者や問題人間を出しています。

東大の“先生”がたは、これをどのようにお考えになり、
どのように責任を認識なさっているのでしょうか? 

教育者は「成人」に、政治家は「社会」に、“結果責任”があるのです。

 現状においても、学校現場は、“責任”の語は死語のようです。

“権利”ばかりが声高に主張され語られ、
対(ペアー)概念である“義務”・“責任”という語はついぞ耳にした
ことがありません。

共同責任は無責任」という名言がありますが、教師の世界はまさにそれです。
“みんなが責任を取る” は “だれも責任を取らない” ということです。

議長でも分掌〔ぶんしょう〕でも、なんでもかんでも輪番制です。
“もち回り・たらい回し”で誰も責任を取りません。

平等意識もいびつです

体重50kgの人も100kgの人も、おとなも子供も一律に
同じ量のパン(ごはん)を食べさせるがごとき平等思想です。

 教師・学校は、その自らの「分〔ぶん:人間教育〕」は果たせないで、
「分」をこえて能力もないのに他の役割を担って(担わせられて)います

21世紀初頭の日本の教育は、(どうでもよい、むしろ害悪な)枝葉が生い繁り「陽」に過ぎ、
“わからなくなり”・“フン詰まり”状態です

こういう状態を、“お手上げ”というのでしょう。

現今〔いま〕、文化・学道の精華は、どこに視られましょうか?

 【師】は本来、軍隊のリーダー〔指導者〕の意、
そこから「敬」せられて先生の意となりました。 注6) 

人から敬〔うやま〕われ、自らは敬〔つつし〕むというのない先生はいてはいけません。

「師恩友益」という箴言〔しんげん〕があります。が、真の教師が絶滅の危機にあります。
これからの日本は、貴重な“人徳”の君子たる【師】の必要な時代です


注4) 易卦「風雷益」と「山沢損」のペアは、“生〔ふ〕やし”・“削り省く”の理を
    おしえていると私感しています。
    それは、中庸・バランスの原理であるのかもしれません。

注5) 現在、小学校からの英語教育が開始されようとしています。
    愚策の最たるものとして、将来呆れられることでしょう。
    日本の現状は、「国の語」である日本語教育すらままならない、
    つまり言語文化が廃れている危機的状況にあります。
    結果は、母語としての日本語も外国語としての英語(米語)もモノにならない、
    どこの国民か“わからない”人間を溢れさすだけでしょう。

注6) 易卦「地水師」: 戦争の軍師 → 先生の卦 / 忠臣の象〔かたち・しょう〕であり、
    大命を委任されている(指揮君臨する)象。

 

《 言語を省く 》 
 
 私の机上の箴言〔しんげん〕に、「七養」(格言聯璧〔れんぺき〕)を墨書しております。

その 【三】 に「言語を省いて以て神気を養う」があります。 ─── 黙養です。

 明〔みん〕の李二曲〔りにきょく〕は、この “黙養”の修業をしました。
三年の間、軽々しく一語たりと発しないで沈黙を守り、内に力を蓄養することで、
修業の後には、発する言葉に人を信服させた(重みをもった)ということです。

 都市に生活しておりますと(21世紀初頭・大阪)、つくづく “うるさく” 感じます。

いったい、世の中 煩〔うるさ〕過ぎます。喋り過ぎです。
全く、雑音・騒音に満ちています。

その、“うるささ”は、本来の人間の感性・神経を痛め心身を蝕〔むしば〕んでいくようです。

 車・電車などの乗り物やメディアの喧騒は、仕方なくもあきらめがつきますが、
人間の“うるささ”は度し難いものがあります。

殊に、若者学生の傍若無人の“うるささ”には閉口です。

電車の中やファーストフードの店内などの、
本来大声で喋るべきでない公共の場所で、
所かまわず辺りかまわず、大声で喋りまくっています。

そして、四六時中(“中毒”か“依存症”であることを示すように)携帯電話を弄んでいます。

聞きたくなくとも、耳障りに聞こえてくるわけですが、
つくづくどうでもよいような軽佻浮薄な内容です。

おまけに日本語自体がひどいものです。

 あまつさえ、ファーストフード店などでは、(ゴミ箱に放り込むだけの片づけなのに)
食べ散らかし・散乱ぶり目に余るものがあります。

まるで、ヒト以外のある種のホ乳類でもいたかのごとくに ・・・ です。

加えて、店外でも、“持ち帰り”の中味を食べた後の包装紙の類が散乱している光景は、
いたるところに見られます。

それやこれや、全く、動物的。ジャングルにいるような気になった時もあります。

 “現代若者学生気質〔かたぎ〕”は、自他の区別がなく、“自分〔エゴ〕”しかありません。

幼弱児的若者”です

自分が他人〔ひと〕からみて他人〔ひと〕であるという
幼児レベルの認識が欠如しています。

社会化”がなされておらず、他人〔ひと〕の立場に立つことがありません。

キリなき、グチは休題〔さておき〕。

 まったく、都会の日常生活で静寂を確保することは、難しい状況です。

私は、“聞こえざるを聴き、見えざるを観る”、心耳・心眼の世界を目指しているのですが、
そのため(第六感)には、五感の働きを静かに研ぎ澄ませることが必要です。

 ─── “雄弁は銀、沈黙は金”という古諺〔こげん〕がありましたが、
君子は、もの(口)静かなのが善いとつくづく想います。

まことに、言葉を省くは善しです。

 

《 おわりに ・・・ 中庸を! 》 

 東洋思想(儒学)の根源  は、
森羅万象の変化=「変易」とその対応を教えています。

そして同時に、変わらぬもの「不易」と、
そのシンプルなこと「易簡」 〔いかん/簡易〕を教えています。(「易の三義」) 

真理は、シンプルなものです。

吉田松陰先生の言葉にも、
「道は即ち高し、美し、約なり、近なり。」(『講孟餘話』・序文) とあります。

 ニュートンも、「自然は常に単純であり、何らの自家撞着〔じかどうちゃく〕をも持たない」と、
コペルニクスも、「自然は単純を愛す」と述べています。

自然界に対して、一方、人間界はどうでしょうか?

 先述のように、21世紀初頭・現代日本は、
大衆(民主主義)社会の弊が顕〔あらわ〕となっております。

敗戦後65年余の“ツケ”が回ってきて、
抜き差しならぬ状況に至ってまいりました。

それは、東洋流に表現すれば“陰陽のバランスシート”が大きく崩れ、
「陽」が過多・過剰の氾濫状態になっています。

易の【乾】=「ドラゴン」と【震】=「小ドラゴン」の過剰です。

行きつくところは、騒擾〔そうじょう〕、
“わからなくなって”自滅してゆくでしょう。

平たく例えれば、 適食 → 飽食 → 過食 の時代で、
超肥満により全身に身心の病を生じ、重篤に至らんとするがごときです。

 中庸」とは、“ホドよく”過不及がなくなすべきことに中〔かな〕っていることです。

時のよろしきを得て「時中」で、
和〔やわらぎ:(聖徳太子の「憲法十七条」の一)〕を実現して「中和」です。
 

 
 結びにあたり、「三省」を私自身にあてはめて付言しておきます。

奇しくも、「知命」・「知非」の年齢を経て、
何とか、人生の【節】(せつ/「水沢節」卦:節目)を通過いたしております。

自分の半生を振り返って、随分と徒労・無駄の連続であったことを
深く省みて(反省して)おります。

後生〔こうせい:=若人〕に比べて、絶対的に少ない人生の時間〔とき〕です。

 ところで、宮本武蔵は、「我、ことにおいて後悔せず」と言い放っております。

60余度の真剣勝負(文字どおり命をかけた勝負)に、
全勝した剣豪ならではの境地・言葉です(*後悔する時は死んでいる時)。

 私も、歳をかさね、パワーも人生の“持ち時間”も漸減し貴重なものとなっております。

「省みる」を、後悔の意味で繰り返している時間的暇〔いとま〕はありません。

後悔しなくてよいように、しっかりと省かねばなりません。

徒労の時を補い、人生の“帳じり・勘定”を合わせるためにも、
よくよく先を観、残り人生の中身・密度を濃く充実させなければならないと思います。

そして、貴重な生の時間を、実りある“”(=徳)で煌〔きら〕めかせたいものだと思っております。 

─── そんなことを、思い想いました。
                                  ( 完 )

 

三省〔さんせい〕に想う (前編)

三省〔さんせい〕に想う (前編)
  ─── 「省」の2義(意)/聖徳太子と耶律楚材の「省」/結果責任/
無駄・無責任の現代(2010)/“風をおこすものは吏と師”/“黙養” ───


《 はじめに 》

 漱石の 『草枕』の冒頭ではありませんが、
早朝、駅に向かってアスファルトの道路〔みち〕を歩きながら、
(ふと)「三省」についてこう考えました。

 ── 「吾日に、吾が身を三省す」(『論語』・学而第1)。
『論語』の始めの部分に登場する、宗聖・曽子の名言です。

よく、人口に膾炙〔かいしゃ〕しているものの一つといえましょう。

私にとりましても、「三省」の語は、書店“三省堂”の名前に冠していることで、
幼少の頃から馴染んでいるものです。

 そして、(他にもよくあることですが)、極めて有名なものの一つであるわりには、
“とんと意味がわかっていない”で用いられています。

また、“とんと実行されていない”ものでもあります。

 まことに、人間は、懲りないもので「省」がありません。
「三省」には、2000数百年の時を超えて言霊の真理があります。


《 「省」の2つの意味 》

 「三省」の「三」は、(二度ではダメですか? 四度ではダメですか?の)
三度〔みたび〕ではなくて、“あまたたび”・“何度も”ということです。

1)「省」の第一の意味。通常いわれている省〔かえり〕みる”、反省するの意味です。

 “反省するサル”がいましたが、あれは(反省のポーズを)演技させているだけです。
本当にしっかり反省できるのは、ヒトだけの有力な特質の一つでありましょう。

 今者〔いま〕は、全く、誰もが反省しない時世です。
後述いたしますが、誰もが責任を取らない “無責任の時代”と称せましょう。

 いつも、とりわけ政治家は、(宗教家などとは違って) 結果責任があるわけです。
が、誰も口にしません。

総理大臣・閣僚からして、外交・国防という国家的大事においても責任を取りません。 注3) 

そして、国民主権の下、“責任”は、帰する所国民自身にあるわけですが、
メディアも一向にそれを論じることはありません。

 今日の、わが国の教育(徳育)の堕落・退廃の“責任”は、
当然に、直接教育を担当した者が負うものでありましょうに、
いっかな責任の所在が話題になりません。

あれもこれも、猛反省を望みたいものばかりです。
がしかし、そもそも自覚がないあり様です。 
── 経験(歴史)に学ばない現代日本(人)のあり様は、
まさに民族の危機だと懸念しています。

 しかしながら、これでは「省」の真意を尽くしてはいません。
文字どうり“一知半解”というものです。

2)「省」の今一つの意味は、省〔はぶ〕く”です。省エネ・省力化の「しょう」です。

“省く”とは、弁別選良して取捨することです。
新しいものを加えるよりも、省くことのほうがずっと大切で難しいことなのです。

多くの人は、それが理解〔わか〕っていません。

そもそも、新しいものを付加するためには、
旧いもの・不要なものを捨てなければなりません。

国家社会の理〔ことわり〕も、人間自身の生理も同じです。

人の健康も、食べる(摂取)することばかりに目がゆきがちですが、
いかに善く排出するか、発散するかが大切なことなのです。

“出口 − 入口”のバランス(中庸)を得てうまくゆくのです。

 以上、「省」のこの 2つの意味は、もちろん、2つにして 1つです。
善く良く省みて省く、省くべく省みることが重要です。

 私が思いますに、「省」は、個人のレベルにおいても、組織・国家レベルにおいても、
よく知られている第一の意味ですら実現できていません。

いわんや、第二の意味の理解・実現においてをや、です。


《 聖徳太子と耶律楚材の「省」 》 

「省」について、身近な例を一つあげておきましょう。

日本の官庁に、「省」という文字を用いていますね。
“財務省(旧大蔵省)”や“文科省(旧文部省)”といった具合です。

この「省」の使用は、明治時代よりはるか以前、聖徳太子による行政改革にまで遡ります。

唐の律令制度を吸収する中で、採り入れたわけです。

聖徳太子は、日本(古代)史に、さんぜんと輝く偉大なる指導者(リーダー/摂政)にして
当代随一の賢人(儒学・仏教)です。 注1) 

607年には、大帝国・隋〔ずい〕に対等外交の立場を示した国書を、
皇帝・煬帝〔ようだい〕に申し込みます。

 ◎ ── 其の国書に曰く 
日出づる処〔ところ〕の天子、書を日没する処の天子に致す。
恙無〔つつがな〕きや、云云〔うんぬん〕」 と。 (『随書倭国伝』)

東のはての、ちっぽけな名もなき島国(倭国〔わこく〕=日本)の摂政が、
あえて不遜にして賢い表現を持って臨んだのです。 注2) 

そして、翌年“日中国交”が実現をみます。
まさに、日本外交史の金字塔でしょう。 注3)


話を戻しまして、役所というものは、「雑駁〔ざっぱく〕」(ex.駁雑・煩雑)になり、
「冗〔じょう〕」(ex.冗官・冗員・繁冗)になりますので、
省いて「簡〔かん/簡易・簡素〕」を実現すべきものなのです。

然るに、実際には、言葉の意味とはうらはらに、
全く逆に無駄・雑駁・冗員 ・・・ の限りです。

以上の聖徳太子と「省」のことは、故・安岡正篤先生が説かれていたことです。

また、安岡先生は、耶律楚材〔やりつそざい〕の次の言葉をいつも説いておられたと聞いております。

すなわち、「一利を興すは一害を除くにしかず。一事を生〔ふ〕やすは一事を減〔へ〕らすにしかず。」です。

耶律楚材(1190〜1244)は、私も世界史でよく周知している蒙古の偉材・賢材です。
(一般にはご存じない方も多いかと思います。)
政治家として、チンギス=ハン、オゴタイ=ハンに仕え、
モンゴル帝国の政治・経済の基礎を固めた大人物です。

これらのことは、ほんの歴史的一例にすぎませんが、
大きな組織・国家の秩序の礎〔いしずえ〕を創る大人・賢人は、
まず、「省」をしっかりと実現したということです。
    

注1) 太子は、中国の儒学を本〔もと〕として学び、見識・胆識を培ったわけですが、
なぜか聖徳太子=仏教奨励ばかりが強調されているように感じています。
日出づる処〔ところ〕の天子・・・」で外交姿勢、
〔やわらぎ/わ〕を以って貴〔とうと〕しとし・・・」・
「*〔いやび/れい〕を以って本〔もと〕とせよ」(十七条憲法・一,四)で、
官吏(公務員)の原点を鮮やかに示しています。
今日の日本の現状は、何とあやまちそむいていることでしょう!
(*礼 ── 利己主義〔=ジコチュウ〕にならず、他人〔ひと〕・全体の秩序・平和に対して、
その分〔ぶん〕を守ること〔=安分〕)


注2) 太子は、愚か者ではありません。それどころか、大賢人です。
よくよく考え抜いてのことです。
私が、勝手に察しますに。
1.文書の文言は、まずその通りです。
  (日本は中国より東方ですから、日は日本から昇り中国に沈みます。)
2.大運河建設や度重なる遠征で、大帝国・隋も国力が消耗しています。
  強国・高句麗との戦いを控え(煬帝が強行した高句麗遠征3回:612・613・614 は、
  ことごとく失敗し隋滅亡の原因になります)ています。
  こういった(当時の世界)状勢を分析して、
  隋は日本と友好関係でいることにこしたことはない、と考えるであろう ・・・ 云々。
3.当時の大国中国(隋)と日本(倭国)を較べれば、大人と幼児以上の力差です。
  幼稚に強がっているだけですから、はるばる本気で攻めてきたりはしないだろう
  というヨミ(先見)。

以上のことごとを考えて、まず初回この文書を送り(俗に言う“一発かまして”おいてから)、
次には巧みに丁重なる文書を送っています。
ちなみに推測しますに、初めて使いした(遣隋使の)小野妹子〔おののいもこ〕は、
気性激烈な煬帝との謁見で、さぞかし冷や汗をかいたでしょうが!         


注3) 今、中国と尖閣諸島沖・中国漁船衝突事件(10.9〜)を一つの契機として
緊張関係にあります。
日本外交の軟弱ぶり、愚拙さが際立っています。
中国政府が、長年国民に培ってきた“反日思想”が花開き、
歪められたナショナリズムが現出しているところです。
当然、機をみるに「敏」に、ロシアも韓国も動き始め侵し始めています。
国の安全保障を“他人〔ひと〕まかせ”にしているような“お人よし”の法治では、
何とも心もとない限りです。
早い話が、(日本国憲法を事実上作った)同盟国アメリカは、
自国の利益のため以外には決して動くことはないでしょう。
── この太古の聖徳太子の外交にひき比べて、
今日の日本外交のさまを日本人として、まことに恥ずかしく情けなく思います。
日本の為政者の見識・胆識のなさ、国家の誇りも展望〔ビジョン〕もなき軟弱外交。
その愚劣さと浅学ぶりは、世界から充分な軽蔑を抱かれています。
21世紀初頭の日本、優れた善き指導者(リーダー)を持てぬ時代、
国民の憐れさをつくづく想います。

 

《 為政者(政治家・リーダー)の「省」 》

風をおこすものは吏と師」という言葉があります。
官吏と教師が、善き“風化・教化”の本〔もと〕ということです。

いつの時代も、古くて真で深い言葉です。
21世紀初頭の当世(2010年)、吏〔り〕と師〔し〕に想いを馳せて一言してみたいと思います。

先述の、わが国の偉人・聖徳太子に関して。
有名な太子の業績の一つ、周知の「憲法十七条」は、(憲法と名付けられていますが)
一般ピープルのためのものではなく、
官吏(国家公務員)への努力目標・誡〔いまし〕め のような性格のものでした。

今回は、公務員の最たるもの、吏の頂点である政治家(国会・内閣)について、
一言を呈しておきましょう。 

‘09.9 政権が、(政治史上はじめて)自民党から民主党に変わりました。

易卦に擬〔なぞら〕えれば、古き腐劣な【蠱】〔こ/「山風蠱」〕が、
新しい虚弱なもの【明夷】〔めいい/「地火明夷」〕に変わったようなものです。

この、新政権が、永き自民党時代の悪弊・無駄を【革】〔あらため〕ようと 
“事業仕分け” を開始しました(`09.11〜)。

今年10月には、その第3回目(特別会計)が実施されました。

日本の政治の罪悪に近い無駄使いが、恰〔あたか〕も病体のウミを出すように削られ、
それはそれで結構なこと、意義あることです。
が、目下のところ総額としては僅かな削減です(第1回:6900億円、第2回:3500億円)。

また、日本の未来にとって学術・文化・芸術などの
削るべきでないものが混じってはいないでしょうか? 

また、“安い席にいる人”のための施策は、充分に予算化されているのでしょうか?

“仕分け”・削減には、担当者によほどの見識・胆識がなければならない筈です
(そもそも、国家議員が本来そうあるべきです
が) 。

 私には、“事業仕分け”が本〔もと〕を欠く、
糊塗〔こと〕的・小手先のものでしかないように見受けられます。

あまつさえ、パフォーマンスじみた報道がなされ、
“仕分け人”なるヒーローをメディア(TV報道)が作り出しています。

現代政治がぺージェント(見せ物)になっている好例です。

 “無駄”・“仕分け”なら、そもそもの話の第一に、
政府が作成した予算を改めて仕分け(=削減)しているのですから、ご苦労なことです。

この仕分けのプロセスそのものが(無駄なプロセス)、
ないに越したことはないのですから ・・・ 。

そもそもの話の第二に、民主党自身の、
一律(高い席にいる者にも)の“子供手当”をはじめとするバラまき政策が、
無駄・愚策です。

そもそもの話の第三に、現在の国会議員 
── 衆議院議員480人&参議院議員242人  ── が無駄です。

私が想いますに、今の御世〔みよ〕、国会議員そのものが、質・量共に問題です。
「省み省くことが」必要です。

 さて、例えば、大工さんは家を建て、お医者さんは病人を治すのが仕事です。
そのための、専門技術を持ったスペシャリストです。

“家を建てられない大工さん”、“手術の出来ない外科医”など、
いない(いてはいけない)わけです。

ところが、政治家に限っては、そのような素人〔しろうと〕議員を
陸続〔りくぞく〕と誕生させ現在に至っています。

だいたい、選ぶ側も立候補する側も、政治家はなにが仕事かわかっているのでしょうか?

議員は、議会(国会)で法律を作り、
首長(しゅちょう/くびちょう: 総理大臣・知事・市長)は、行政・かじ取り運行を担います。

政府=内閣は“議員内閣制”と言って、衆議院の多数を占める政党によって組織されます。

 国を動かし国家100年の大計を慮〔おもんばか〕る国会議員が、
当然のように臆面もなく、「これから勉強します」というような就任の弁をおっしゃっています。

2500万円〜3000万円ほどもの給与(歳費)を、貰〔もら〕って“勉強する”のでしょうか? 

しっかり勉強修養していて、見識・胆識を持った、
才徳兼備の大人〔たいじん〕が選ばれないでどうなるのでしょうか?
 

徳なき小人〔しょうじん〕、才徳非兼備の少なからぬご歴々が、
莫大な税金を無駄にしてます。

── もし、今が明治期、世界が弱肉強食・帝国主義の時代であれば、
国の存亡をかけて超大国ロシアと無謀な戦いをするか、
隷属に甘んずるかのギリギリの決定を、彼ら議員に託してよしということですね?


 ところで、今年虎(寅)年は、参議院議員選挙の年でした(‘10.7)。

ポスター掲示板を見ますと(大阪選挙区)、10名の候補者。

男女半々で共に30代がおおく、男性は若さをアピールしており、
女性は“みめ麗〔うるわ〕しき”かたがたです。
ほとんど(不自然に)笑っていて、白い歯を見せています。

想いました、さて、これは一体何の候補者達なのだろうか?と。

 “参議院”。かつては、“貴族院”と呼ばれました。
その“良識の府”はどこへいったのでしょうか?

長老・元勲・碩学〔せきがく〕・賢人・大人〔たいじん〕 ・・・ はどこにいるのでしょうか?

今の参議院には、2院制の意義も真理・正義のチエック機能もなにもありません。
まさに、“無用の長物”、税金の最大の無駄使いでしょう!

 21世紀初頭の、わが国大衆(民主主義)社会での政治状況は、
芸能人・スポーツ選手などでメディアに登場する有名人で溢れています。
(むろん例外はありますが)

“客寄せパンダ”と俗称される人々がみな議員バッジをつけています。

少人数ならご愛敬とも言えますが、そんな人ばかりが日本のかじ取りをしているようでは、
危機的状況と言わざるを得ません。

国会議員も地方の首長(知事・市長など)も、
担ぎあげられる当人より担ぎあげる政党が問題です。

それ以上に、何より「本〔もと〕」の問題の責は、
当選させる国民・府県民・市民自身にあります

このことを、マスメディアは(知ってか知らいでか)、一切報じません。

浅愚のゆえというより、わざとでしょう。

それは、国民はマスメディアにとって、“お客様”だからにすぎません

そして、むろんその“ツケ”は、国民自身に回ってくるのです


《 師(教師・学校)と「省」 》

 「師走〔師走:12月〕」は、師ですら走り回る(ほど忙しい)という言葉ですから、
昔の先生・師匠は、日ごろよほどのんびりしたものだったのでしょう。

今世は、一転して、いつも走り回っています。

 「教師」という“人種”は・・・、

※ 続きは、11月18日発行予定のメルマガ「三省に想う(後編)」で配信後、こちらのブログに掲載させて頂きます。



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第34回 定例講習 (2010年10月24日) 

論語  ( 孔子の弟子たち ―― 宰予 〔さいよ〕 〔2〕 )

○ 宰予 昼寝〔ひるい/ひるしん〕ぬ。子曰く、「朽木は雕〔え/ほ〕るべからず、糞土の牆〔しょう/かき〕は杇・ヌ〔ぬ/お・す〕」るべからず。予に於いてか何ぞ誅〔せ〕めん。」 と。 |
子曰く、「始め吾、人に於けるや、其の言〔げん〕を聴いて其の行い〔こう〕を信ず。今、吾、人に於けるや、其の言を聴いて其の行いを観る。予に於いてか是を改む。」 と。

 (公冶長第5−10)

【 宰予昼寝。子曰、朽木不可雕也、糞土之牆、不可杇也。於予興何誅。 | 子曰、 始吾於人也、聴其言而信其行。今吾於人也、聴其言而観其行。於予興改是。 】

《大意》

宰予が、昼寝をしていました。孔先生が、これを叱責しておっしゃるには「朽ちた(腐った)木には彫刻をすることは出来ないし、土が腐ってボロボロになった(ごみ土/穢土)土塀には美しく(上)塗り飾ることも出来ない。(そんな、どうしようもない奴だから)わしは、宰与を叱りようもない(叱っても仕方ない)。」 と。 |
そして、孔先生は続けて、「わしは、以前は、人の言葉を聞いてその行ないまで(そのとうりだと)信頼したものだ。が、しかし、今後は人に対して、その言葉を聞いても(鵜呑みにせず)その行ないもよく観るてから信ずることにする。宰予のことがあってから、人に対する方針・態度をそのように改めるに至ったのだ。」 と、おっしゃいました。

・「不可」: 出来ない、不可能の意。〜する値打ちがない。

《解説》

孔子による宰予評の有名な章・部分です。孔子が、罵詈雑言〔ばりぞうごん〕で叱責する、この特異な章は、話の背景・前後関係がないので、次のようにさまざまに推測・憶測がなされています。

1) 学道に志す者が真面目に勉励している孔子の学園にあって、「昼寝」(でサボる)こと自体が怠惰で怪しからんことである、と孔子を呆れさせ怒らせたと解釈します。
*「昼に当たって寝ぬるを謂う」 (朱子)

2) 後半の孔子の言葉との関係を類推すれば、宰予が孔子と何らかの約束事をしていたのに、すっぽかして寝ていたのではないか、という解釈。

3) 面白いのは、この昼寝が、女人とイチャイチャしていた、“房事〔ぼうじ〕”と憶測するものです。週刊誌・官能小説まがいの解釈で一興〔いっきょう〕です。が、いかがなものでしょうか? これは、大儒者 荻生徂徠〔おぎゅうそらい〕の推測です。

さて、いずれにせよ高々昼寝です。罵倒・叱責は不自然です。まして、かくも怒りを露わにしているのは、人格者孔子にしては意外な感を否めません。

前半部の有名な全面否定の“たとえ”そのものは、建築関係の仕事に携わっているとよく解ります。しかしながら、「不可」・「於予興何誅」という人間性の全面否定は、教育(師弟)関係の放棄の言葉です。大教育者・孔子にしては不自然です。そもそも、教育は、才徳の随分薄い者にも与えられるものです。(親心も、放蕩〔ほうとう〕・バカな子供ほど可愛いともいいますね。) ことに、儒学・儒家(老荘に対して)の立場は、“諄々〔じゅんじゅん〕”と諭〔さと〕し導くのが基本的性格です。 ―― 従って、何か特段の事情があっての叱責に違いありません。

なお、「昼寝」について付言しておきましょう。この部分だけみると、「昼寝」が随分とマイナーな行為であるとの感じを受けます。が、そうではないでしょう。

今時〔いま〕の(大部分の)学生気質〔かたぎ〕、“(朝)ねぼう”を理由に授業遅刻、数多〔あまた〕にして堂々たる(?)“重役出社”のごとき不届きさ、目に余るものがあります。しかし、(朝寝でなく)午睡は、悠々自適の善き生活であるように思います。とりわけ、「無為自然」を標榜〔ひょうぼう〕する老荘思想において、その象徴であるように思われます。例えば、荘子(荘周)は、しばしば午睡する姿で描かれています。『荘子』の「胡蝶の夢」は、有名で深い示唆に富んでいます。また、材木にならずもてあまされている巨大樹に対して、その下で仮睡して寛げばよいではないか、と説いたりしてもいます。

実際、適度の午睡は、身心に良いものです。暑い夏場なら、なおさらのことです。むしろ、私は、「昼寝す」の日常を目標に生活(学習)せねばと、改めて思いました。――― 東洋思想の学道も、儒学と老荘の両方が大切です

(宰予完)

 

老子  【5】

§.供 圈]兄卻語り(伝説) ―― “龍のごとき人”(司馬遷・『史記』) 》  

老子の人物像・伝記についての、信頼に足る最古の記述は、史記』・「老子伝」です。

『史記』は、前漢武帝の時代に司馬遷〔しばせん〕によって書かれた最古(第一号)の正史です。

私は、司馬遷の偉大な人生と相俟って、最高の史書といっても良いと思っています。

その偉大さは、『史記』には生き生きと“人間”が描かれており、歴史書であると同時に優れた文学書でもあるということにあります。

 

『史記』に描かれている老子の物語・伝記は、とてもファンタスティックなものです。

例えば、孔子が老子に教えを乞い、その人物の偉大さに「其れ猶〔なお〕、龍のごとし」と感嘆しているシーンです。

 

ところで、『史記』には、老子の人物(特定)そのものについて、“老耼・タン〔ろうたん〕”以外にも楚の隠者“老莱子〔ろうらいし〕”・周の太史(史官)である“儋・タン〔たん〕”と 3様の候補があげられています。

つまり、司馬遷の時代、既に、老子の人物像そのものが伝説化していたと考えられます

まことしやかな伝説が、広く一般化していたのでしよう。

―― 以下、老子の物語をまとめてみました。

 

老子は、楚〔そ〕の国、苦県〔こけん〕の匐拭未蕕いょう〕、曲仁里〔きょくじんり〕 注1) に、西周末年武丁朝庚辰〔こうしん〕の2月25日 卯の刻に生まれました。

姓は李〔り〕、名は耳〔じ〕、注2) 字〔あざな〕は伯陽、おくりな〔謚〕して耼・タン〔たん〕といいました。

 

守蔵室の史官(図書・公文書館の管理人)をしていました。

そこで、仕事のかたわら黙々と書籍を読んで智恵を深めてゆき“道”と“徳”を修めました。

老子の思想は、自らの才能を隠し無名であること(=自隠無名)をモットー(ポイント)としていました。

 

さてある時、当時既に、教育・道徳家として名声の高かった若き日の孔子が訪れます。
孔老会見」(孔子問礼です。 注3) 

老子は、郊外まで孔子を迎えに行き、孔子もまた車を降りて応え手土産(雁)を贈りました。

 

孔子は、洛陽にいく日か滞在して、老子から 「礼」をはじめいろいろ教わりました。

別れに際し、老子は次の苦言を贈って諭〔さと〕しました。 

曰く。

「あなたが(信奉し)話題にしようとしている古〔いにしえ〕の聖賢(=先王の道/古来の礼)は、死んでしまって骨も朽ち果ててしまい、ただその言葉だけが(虚しく)残っているだけです。
(形骸化した言葉をそのまま重視してはいけません。)/ 
それにあなたは、(君子・古来の礼を強調なさるが)君子などというものは、時(運)を得たら高位に昇り志を実現できますが、時(運)を得なければ地位を追われ流浪するような(栄枯盛衰きわまりない)ものなのです。
私は、商売の上手〔うま〕い商人は、(良い品を持っていても)店の奥にしまっておき店頭に並べてひけらかしたりしないものだ、と聞いていますヨ。
(同様に)君子は、立派に徳を積んでいても、謙遜して表面には現わさず、ちょっと見その顔は“愚(愚昧)”のように朴訥〔ぼくとつ〕に見えるものです。
(礼の本〔もと〕は謙虚にあるのです。)
 注4)/ 
とりわけあなたは、驕り〔俺が俺がという傲慢さ〕、欲望〔野心・貪欲さ〕、思い上がった〔居丈高な〕てらい・ゼスチュア、意欲が過ぎる邪心、(が多過ぎます。これら)をみんな捨て去りなさい。
これらはどれも、あなたの身ににとって何の益にもならない(有害な)ものなのです。
私があなたに言ってあげられることは、ただこれだけです。」
 と。 注5)

 

孔子は、感激して魯〔ろ〕の国に帰ります。

そしてその後、弟子たちに、よく老子をほめてしみじみと言いました。

曰く。

「(私にも)鳥が飛べるということはわかっているし、魚が泳げるということはわかっているし、獣が走れるということはわかっている。
走る者が相手なら網で捕えればいいし、泳ぐ者が相手なら綸〔いと=釣り糸〕で捕えればいいし、飛ぶ者が相手なら矰〔いぐるみ=ひもをつけた矢〕で捕えればいい。
が、相手が(霊獣の)龍で、(龍は)風雲に乗じて天空に昇り(時に飛翔し時に雲間に隠れるのであれば)私の理解を超えている。
(如何ともし難い/捕えようがない。) 
今、私は、老先生にお会いしたが、老子というのはまるで龍のようなお人だナァ!
(龍を除いて老子に比較すべきものはない/推し量り難く捕えようがない。)」 と。 注6)

 

やがて、(周の昭王の23年)老子は、周王室の衰退をみて隠退を決意します。

洛陽を去り、西のある関(関所のこと/函谷関・散関か?)にさしかかりました。

そこの関所には長官の“尹喜”がまっていました。 注7) 

(※ 後述伝では、尹喜は“紫の気が東からやってくる”〔紫気東来〕のを見て聖人がやって来ることを知り、老子をお迎えします。) 

尹喜は、「(老)先生は隠れておしまいになろうとされています。(このラストチャンスに)ぜひにもお願いいたします。私のために、何か書物を書き残してください。」 

とねんごろに頼みました。

そこで、老子は初めて上・下二篇の書を著しました。

それは、“道”と“徳”の意義をのべた 5000字余りのものでした。

 

老子は、その書を渡して関所を去り西方への旅を続けました。

しかし、行方〔ゆくえ〕はようとして知れず、どのようにして生涯を終えたかその後の消息を知る者はありませんでした。 注8)

 

―― 以上の老子物語のポイントを整理すると、 
1)老子の姓・出自を老耼・タンとすること 
2)孔老会見(孔子問礼) 
3)『老子』(著作)を著し関令尹喜に渡したこと、

です。

私は、これらは、すべてフィクション(実際そうであったことではない)であると思います

老子の人物の実在そのものが、疑問です。

さらに、儒家思想の対抗・批判として道家(老荘)思想が形成されてゆきますから、孔子と老子が会うことはありえません。

また更に、自隠無名がモットーの老子があえて世に著作を著すはずもありません。

 

注1)
「苦」は、苦しい苦〔にが〕い。
「辧未蕕ぁ諭廚枠乕翩臓◆峩平痢廚録里魘覆欧襪伐鬚擦泙垢里如△匹Δ皺誘の名称のようにも思えます。
(地名の特定はできていますが ・・・)

 

注2)
「耼・タン〔たん〕」とは、耳の長いという意味ですから耳の長い・大きい人だったのでしょう。
耳は目に対して、遺伝的なものを顕すといわれています。
ちなみに、私は幼少の頃、(耳が大きかったので)“福耳をしている”と他人〔ひと〕から褒められ、母がその意味を解説してくれたのを記憶しています。
私が、“大耳子〔だいじし〕”と聞いて思い起こします人物は。
『三国志』の仁徳のある英雄・劉備玄徳〔りゅうびげんとく〕。
10人の話を同時に聞くことができたといわれる聖徳太子(豊耳聡〔とよみみと〕/豊聡耳〔とよとみ〕/豊聡耳太子〔とよとみみひつぎのみこ〕)。
“経営の神様”といわれた君子型経営者、松下幸之助氏(現・パナソニック創業者)。

 

注3)
まず、「孔老会見(孔子問礼)」では、老子は孔子(BC.551−BC.479)の大先輩として記されています。
が、『史記』の老子の系図から逆算しますとBC.400年ころの人物ということになってしまいます。
これは、孔子の孫(孟子の師)の子思とほぼ同時代となります。

ちなみに、両者の年齢は、孔子35歳・老子88歳、(インドの釈迦は49歳)であったと記している本もあります。
次に、孔老会見で、どうして“礼”について老子に教えを乞うのでしょうか? 
孔子は、礼学の専門家ではありますが、老子はそうではないでしょうに。
これについて、楠山春樹氏は次のように説明しています。 
『礼記』・曾子問篇〔そうしもんへん〕に、「吾聞諸老耼・タン」(吾れ、諸〔これ〕を老耼・タンに聞く) と老耼・タンを孔子の師として説く文が 4ヶ条もあります
ここに唯一登場する老耼・タンなる葬儀を差配する人物を、老子の徒が“老耼・タン”にしたて、孔老会見のフィクションが唱えられたのであろう、と。
(楠山春樹・『老子入門』 p.23によります)

 

注4)
「良賈深蔵若虚、君子盛徳容貌若愚 : 良賈〔りょうこ〕は深く蔵して虚〔むな〕しきがごとく、君子は盛徳たりて、容貌〔ようぼう〕愚〔ぐ〕なるがごとし

 

注5)
安岡正篤先生は、若いころの孔子について、気性激しく覇気満々たるところがあった。
か、と想像して、この孔老会見での老子による批評を次のように述べておられます。

○「史記に伝へられてをります老子との会見の事実につきましては、いろいろ考証家によって議論もございますが、何にしても老子が評したと申します 『子の驕気〔きょうき〕と多欲と態色と淫志とを去れ』 ―― 驕気といふのは、俺が俺がといふような気分でありませう。多欲は野心的といふことであり、態色と申しますのは、今日で申しますとゼスチュアに当たりませう。淫志は何でも思ったことは是が非でもやってのけるといふ意欲的なことを申します。 ―― さういふ気分をみな去れ、といふ話だけをとりますと、確にこれは若き孔子を想像するのに味のある言葉であります。」 
(安岡正篤・『朝の論語』 P.7 引用)

 

注6)
龍は“陽”の化身ですが、三棲するといわれています。
地上にいたり、深淵に潜んだり、雲間に隠れたり、天空を飛翔したり、と捉えどころがないの意でしょうか。
あるいは、スケールが大きすぎて圧倒されて推し量れないの意でしょうか。
思い起こされますには、坂本竜馬が初めて西郷隆盛に会った時、その(西郷の)印象を問われた時の応えです。
「よくわからぬ、“タイコ”のようなお人だ。小さく叩けば小さく鳴るし、大きく叩けば大きく鳴る。」 
―― 西郷隆盛もたしかに、わが国幕末・維新期の“人龍”には違いありません。

cf.孔子が老子を評した(とされる『史記』・「老子・韓非列伝」の)この文言は歴史的に名高いものです。
原文(読み下し文)は、次のとうりです。

“孔子去り弟子〔ていし〕に謂いて曰く、「鳥は吾〔われ〕其の能〔よ〕く飛ぶを知り、魚〔うお〕は吾其の能く游〔およ〕ぐを知り、獣は吾其の能く走るを知る。
走る者には以て罔〔あみ=網〕を為すべく、游〔およ〕ぐ者には以て綸〔いと〕を為すべく、飛ぶ者には以て矰〔いぐるみ〕を為すべし。
龍に至りては、吾其の風雲に乗じて天に上るを知る能〔あたわ〕ず。
吾、今日〔こんにち〕老子を見るに、其れ猶〔なお〕龍のごとき」 と。”

 “ The birds ― I know they can fly; the fishes ― I know they can swim; the wild beasts ― I know they can run. 
The runner may be caught by a trap, the swimmer may be taken with a line, and the  flyer may be shot by an arrow.
But as for the dragon,I am unable to know how he rises on the winds and the clouds to the sky.
To−day I have seen Lao Tzu; he is like the dragon. ” 
(Gowen)

 

注7)
「関令尹喜」 ―― 
1)「関令(関所の長官)の尹喜」 と 
2)「関の令尹(楚語で長官の意)は喜んで」
と 2とおりに読めます。

 

注8)
「莫知其所終」(其の終うる所を知る莫〔な〕し) と結んでいます。
文学的で情緒があり良い表現です。
(蛇足ながら、)更に、尾ひれがついたものとして、後世の道教に「老子化胡〔けこ〕説」があります。
「胡」とは、釈迦(仏陀)のことです。すなわち、消息を絶った老子は、インドに行きます。
そして、インドで、釈迦を教えます(釈迦になります)。
それはともかくとして。
老子の思想が、仏教に多大の影響を与えているであろうことや共通点が見られることについて(ex.“四大”・“三宝”や“無”の思想と“空〔くう〕”の思想など)、後述することといたします。

 

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横山大観: 「龍蛟躍四溟〔りゅうこうしめいにおどる〕」

( つづく )

 

本学  【 漢文講読 ―― 志怪・『広異記』 】

*漢文講読の第3回目は、志怪から『広異記』を取り上げました。

 

志怪・『広異記』

§.はじめに

“志怪”〔しかい:怪を志(しる)す〕 ―― 聞きなれない言葉だと思います。魏晋南北朝時代に成立したといわれている、小説のジャンルです。夢(お告げ)、ユーレイ、妖怪、死人復活、祟り、動物の恩返し ・・・ 奇怪・摩訶不思議な話の総称です

不可思議な現象が、実際にあったか、起こりうるか、とすぐに科学的・合理的に考える人もあるかと思います。私は、“存在(あるかどうか)”は、“認識”の如何にかかわっているのだと考えています。感覚器官としての“第6感”の鋭敏さもありますね。

ところで、古代エジプトでは、霊魂不滅・復活の思想から“ミイラ”や“ピラミッド”(?)が、作り造られたことはよく知られていますね。古代中国においても、皆が「鬼〔き〕」即ち死後の霊魂の存在を信じていて、鬼が現世の人間とかかわる話がずいぶんたくさんあります。(我が国でも、大陸の影響もあってか、同じく似たる処があると思います。)

今回は、特に易占にかかわった「鬼=霊魂」の話を教材に選びました。このお話は、とりわけ、霊感・感性を修養し(易の)神さまと身近で、運命・宿命のアドバイザーである 「易の名人・達人」が主人公であるところに、重みも面白みもあるというものです。

 

『広異記』

《 漢 文 》   ――  略  ――

《 書き下し文 》 (現代かなづかいによる)

○ 柳少遊〔りゅうしょういう〕卜筮〔ぼくぜい〕を善くし、名を京師〔けいし〕に著わす。天宝中、客〔かく〕の一縑・ケン〔いっけん〕を持ち少遊に詣〔いた〕る有り。引き入れて故〔ゆえ〕を問う。答えて曰く、「願わくは、年命を知らん」 と。|

少遊為に卦〔か/け〕 を作す。成りて悲嘆して曰く、「君の卦不吉なり。合〔まさ〕に今日の暮にい尽くべし」 と。其の人傷み嘆くこと之を久しくす。|

因〔よ〕りて漿〔しょう〕を求む。家人水を持ちて至る。両〔ふたり〕の少遊を見、誰〔たれ〕か是れ客〔かく〕なるを知らず。少遊、神〔しん〕を指して客と為し、持ちて客に与えしむ。|

乃〔すなわ〕ち辞去す。童送りて門を出づるに、数歩にして遂に滅す。俄〔にわか〕に空中に哭声〔こくせい〕の甚だ哀しき有るを聞く。|

還りて少遊に問う、「郎君〔ろうくん〕此の人を識〔し〕る否や」 と。具〔つぶさ〕に前事を言う。少遊 方〔はじ〕めて客の是れ精神なるを知る。遽〔にわか〕に縑・ケンを看〔み〕しむれば、乃ち一紙縑・ケンのみ。注1) 歎じて曰く、「神我を捨てて去る。吾其れ死せん」注2) と。日暮〔にちぼ〕に果たして卒〔しゅっ〕す。 

 

《 現代語訳・解説研究 》

柳少遊は、占筮〔せんぜ=占い〕の名人として、都で名を知られていました。天宝年間のことでした。一疋〔いっぴき〕の絹織物を持って少遊を訪ねてきた人がいました。招き入れて、来訪の用件を尋ねたところ、そのお客は「どうか、私の寿命を占ってください」と答えました。|

少遊は、(その客人のために)立筮〔占うこと〕しました。卦を得て、(解釈しますに)悲しく嘆いて言いました。「あなたの(ことを占った)卦は、不吉です。あなたの寿命は、きっと今日の日暮れに尽きるでしょう」 と。その客人が悲嘆にくれること、長きに及びました。|

そのために、(喉の渇きをおぼえて、その客は)飲み物をリクエストしました。召使いが水を持って来ましたところ、二人の少遊がいて、どちらが客人であるか区別がつきませんでした。(本物の)少遊が、神=霊魂 を指して客人だと示して、その客人に水を手渡させました。|

そして、その客人は、あいさつして帰りました。召使いが門まで送ると、門をでて数歩もしないうちに、たちまちのうちに姿が消えてしまいました。突如として、空中に非常に悲しげな泣き声が響くのが聞こえました。|

(召使いは、)家に戻ると、少遊に尋ねました。「ご主人さま、あの客人をご存知なのですか?」 そして、詳しく目の前で起こったことを話しました。少遊は、そこではじめて、その客人が自らの霊魂であることがわかりました。急ぎ、客人が持参した絹織物を調べさせてみると、なんとその絹織物は紙でした。少遊は嘆いて言いました。「私の霊魂は、私(の肉体)から離れ去ってしまった。私は間もなく死ぬにちがいあるまい。」 と。夕暮れ時になり、少遊はその占筮のとうり死にました。

*「尽今日暮」: 「合」は、=「当」で、「まさニ 〜 すべし」の再読文字。 当然~すべきである/きっと〜するはずだ の意

 

※  高根・参考  

易経64卦に、死期の卦そのものはありません。しかし、例えば、“必殺の凶卦”“必死の凶卦”と呼ばれるものはあり占的〔せんてき〕に応じて解釈の参考にはします。

・ 必殺の凶卦(遊魂八卦) ・・・ 五爻変じて下卦と逆になる卦
【 晋・大過・頤・訟・明夷・中孚・需・小過 】

・ 必死の凶卦(帰魂八卦) ・・・ 五爻変じて下卦と同じになる卦
【 大有・師・漸・随・蠱・同人・比・帰妹 】

死の時期に関しては、時期そのものを「占的〔せんてき〕」にすることも可能です。卦の象意〔しょうい〕や爻〔こう〕の位置からもよみとることができます。(例えば【山火賁:さんかひ】=夕暮れ、たそがれの卦/例えば、初爻であれば、今日中・すぐになど)

*「不知誰者客」: 是〔こレ〕は、〜である で英語の“be動詞”に近いはたらきです

*「識此人」: 「否」は、文末に置かれると、〜スルヤ「否〔いな〕」ヤ。〜するのか(どうか) の意

注1) 中国では、棺桶の中に“紙銭”を入れます。(日本〔仏教〕でも地域によっては同様ですね) 絹織物は高級品なので通貨の役割も果たしていました。つまり、「紙縑・ケン」は“紙銭”と同じ意味を持ち、柳少遊の死を暗示する伏線の道具だてとなっているのです。

注2) 古代中国人は、死を“たましい”(=魂魄・霊魂・精霊・魂気)が肉体から遊離することであると考えていました。死者のたましいが「鬼・き」、「神・しん」です。
【魂魄・こんぱく】: “たましい”を詳述すると、人の精神をつかさどるものが「魂・こん」で、人の肉体をつかさどるものが「魄・はく」です。生きている時は、この2つが宿っていますが、死ぬと離れると考えました。

 

※  高根・参考  

「遊体離脱」(=魂が肉体から離れて動き見聞きすること)という言葉がありますね。このお話では、その精神・魂(の自分)が、訪ね来りて自分と話している。また、他者〔ひと:家人〕にも見え聞こえているところが興味深いですね。

死期は、占わぬがよいもの、占っても知らせぬものです。自分のことであれば猶更のことです。知らぬままに、自分の死期を占い知ってしまいました。そして、易占の通り死ぬことになりなした。 “運命” → この場合、死期のような“宿命”は変えられないということです。

最後に、外国の映画のことを少々付け加えておきたいと思います。

◆「タイム・マシーン」: 恋人の、事故で死んだという過去の事実を変えようと、主人公の科学者は“タイム・マシーン”を完成します。過去に戻り、“運命”(過去の事実)を変えようとします。しかし、いきさつ(彼女の死に方)は変えれても、彼女が「死ぬ」という事実は変えられないというストーリーです。

◆「シックスセンス」: ブルースウィリスが、マルコムという小児心理学者を主演しています。マルコムが診療にあたる少年は、死者の霊(ユーレイ)が見えるのでした。さまざまの霊は、生前(現世)で満たされないものがあるから成仏できずに霊としてさまよっている。だから、その果たされなかった願いをかなえてやればいいのだ、と少年にアドバイスする。といったようなストーリーだったかと思います。
そして、衝撃のラスト。このマルコム自身が、すでに死んでいてユーレイだったのです。(少年だから見えたというわけです。少年以外の人々には、見えていないわけです。)
ちなみに、未公開のシーンで、マルコムが奥さんと結婚記念日にレストランで食事する場面があります。現実には、奥さんにマルコムは見えてないわけで、一人、結婚記念日にレストランを(二人分)予約して亡き夫の思い出に耽っているのです。この場面設定で、監督が苦心したことが 2つ。

1)食卓などの小道具が動かないようにすること(マルコムは、ユーレイですから)。

2)場面全体のあらゆるところに、“赤”色をあしらって死後の世界を暗示したこと。柳少遊のお話の(たぶん)“白”色の、絹織物・「紙縑・ケン」という道具設定にあたるものですね。“赤”=死(復活) の暗示というのがキリスト教的で、私共(仏教徒)には解し難いものがあります。(※なお、天国は青紫のイメージです)

 

( 完 )

 


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