論語  ( 孔子の弟子たち ―― 子夏 〔3〕 )

盧・研究

≪「素以為絢」/「繪事後素」≫

この、子夏と孔子の禅問答のような一節は、多くの人は、あまり関心を示さずに見過ごしている部分ではないかと思います。しかるに、この部分は、私が 『論語』 に親しんで、専門的な意味で最初に最も深く心惹かれた問答の箇所です。

というのも、私は、若かりし頃は、ひたすら美術の道を歩み「美」の世界を追求しておりましたので、子夏の人間像・想いと似ているところがあり本能的に惹かれたのだと思います。

美術(絵画) =    =    (が形をもったもの)。私は、人間の然〔しか〕あるべき(=道徳的・倫理的) 善き生き方と申しますものは、別言すれば、美しい生き方ということだ、と考えるのです。そして、その生き方は、東洋(儒学)思想でいえばということになるのです。

さて、絵画(の美)と人間の善美(な生き方)の関係ですが、一般的に次のA・B 2つの解釈があると考えられます。どちらも要〔かなめ〕で、重要なものです。

 

A.素(白)地・生地 〔ベース: base〕 

古代中国の絵を考えてみますと、“紙” 補注1) が発明される以前、中国では文字・絵をかくモノ(素材)として、“絹布”が用いられていました。絵を描く白い絹布を“素絹〔そけん〕”といいます。この素絹がなければ表現のしようがありません。つまり、書や絵画という美術を表現するベース=生地〔きじ〕が“素絹”です。これから、素地・素質・本質という意味になって行くのです

朱子(朱熹)の注(新注)では、「絵事は、素より後にす」と解していて、絵画のプロセスに擬〔なぞら〕えて、この意味で人間というものを捉えています。『論語』の他の部分にも、立派な人間には、ベース=根本 が重要であることが述べられています。すなわち。

○ 「君子は本〔もと〕を務む。本立ちて道生ず。」 (学而・第1)

 君子は根本のことに力を注ぐものです。万事、根本がしっかり定まってはじめてその先の道も開けるというものです。

美術で、モチーフの「本〔もと〕」を通常色彩を用いず単色で描写することを“デッサン〔dessin 仏〕”(“クロッキー〔croquis 仏〕”)といい“描〔そびょう〕”と訳しています。私は、興味深いことと想っています。

(肉)体に関するスポーツの世界でも、その競技の技能〔テクニック〕の習得の前に、“体を作る”といった基礎的体力・運動能力の養成が必要です。(ex.ランニング・素振り・しこ・・・) 

精神に関する学術の修養でも、“灑掃〔さいそう/洒掃〕”という“そうじ”をすることによって学ぶための精神的肉体的準備態勢(受け入れ態勢)を整えます。「灑」・「洒」は「シ」〔サンズイ〕がついているように水を注いで塵・埃を払うことで、東洋思想らしいですね。

私が易学的に想いを馳せてみますと、「水」は易八卦の象〔しょう・かたち〕で【坎〔かん〕 ☵】です。【坤/地 ☷】の肉体に内在する精神・こころです。その“陽”の精神・こころが、“陰”の肉体の中を一本貫いています。“一貫”するものですね。精神・心に一本通る“徳”であり、(永遠に)“受け継がれるもの”(cf.DNA、ミーム〔文化的遺伝子〕)である、と想います。―― それはともかく。

そうしますと、孔子の「素より後にす」の応答に対する、子夏の「礼は後か」も「“礼”〔広く文化・道徳的な規範〕は、まごころ〔忠信〕というベース・地塗りが出来てから行われるものですね。」 /cf.「礼儀作法というものはまず忠信という心の地塗りをしたのちに行わるべきものでございますか。」(宇野哲人・『論語新訳』講談社学術文庫) のように解することとなります。

 

さて、本文に「絵の事」とありますので、美術を中心に具体例を挙げて考察してみましょう。

〈メイク・化粧〉

“色白美人”とか“色の白いのは七難隠す”といわれ、肌の白いこと自体が美人とされています。『グリム童話』の「白雪〔しらゆき〕姫」も、正しくは「雪白姫」です。雪のように肌が白い子が生まれましたので、「雪白〔ゆきじろ〕」と名づけたのです。

“白粉”と書いて“おしろい”と読みます。ちなみに、俗に化粧することを“カベ塗り”とか“化ける”と言いますね。現代一般女性のメイクも、ファンデーション(下地)を塗って肌の地を整えてから目や口のパーツ〔部分〕の装飾に入って行きますね。伝統的化粧(品)として“ドーラン〔Dohran 独〕”があります。現代でも、芸者さんや歌舞伎役者さん俳優さんなどのメイクに用いられています。“ドーラン”と称される油性の練り白粉で顔(首・肩)中を真っ白に塗ってから、目や口や頬の部分に彩色(?)を施して行きます。その白化粧そのものが(殊に舞台など遠目で)艶〔あで〕やかでもあります。

〈日本画〉

“白い和紙”に“ドウサ”〔陶砂/礬水・礬石・礬沙〕を表面に引いて(=塗って)下地調整して後に彩色を開始します。“ドウサ”は膠〔にかわ〕に明礬〔みょうばん〕を混ぜてつくるもので、墨や絵の具が滲〔にじ〕み散るのを防ぎ滲み具合がよくなります。

〈油絵〉

油絵は、15世紀以降(ルネサンス期)西洋画の主要技法となりました。ファン=アイク兄弟は油を用いて絵を描く技法を研究し、写実表現を完成させたといわれています(北欧ルネサンス)。イタリア・ルネサンスの大天才レオナルド・ダ・ビンチは、油絵の先駆者〔せんくしゃ〕でもあり、「モナ・リザ」・「聖アンナと聖母子」をはじめ偉大な傑作を残しています。油絵は、はじめは、板の上に油絵の具で描かれました。レオナルドの制作途中の作品を観てみますと、板の上にモノクローム(黄土色)で地塗りをし、その上に茶系色で下絵を描き、それから彩色しています。

近代になって、油絵を描くのに専ら用いられて一般化しているものが“キャンバス: canvas 仏/カンバス・画布〕”です。 補注2) “キャンバス(カンバス)”は、麻布に白い石膏状の塗料を塗ったものを、木枠に鋲〔びょう〕でピーンと張ったものです。その表面の凹凸の按配〔あんばい〕で絵の具の“ノリ”が良く、適当な描画下地であり、また適度な弾力性(クッション)がある優れものです。この白い“キャンバス(カンバス)”の上に、さらに油絵の具の単色で地塗りして、それが乾いてから下絵を描き始める作家もいます。私も、従来から、レオナルドのやり方に倣〔なら〕って“キャンバス(カンバス)”にモノクロームで下塗りした後、下絵を描いてから始めています。まさに、「絵の事は、素より後〔のち〕にす」ですね。

〈フレスコ画〉

西洋の壁画に古くから用いられている伝統的技法です。“フレスコ〔fresco 伊〕”は、“生乾きの”の意で、西洋の壁画に用いられる技法です。漆喰〔しっくい:石膏・石灰・セメント・砂など/=白土〕を塗って、乾ききらないうちに水彩絵の具で描きます。石灰の層の中に絵の具が滲みこんで乾くため非常に堅牢です。が、塗った漆喰が乾燥するまでに描画彩色を終えなければなりませんから、当面描ける分だけの小面積に漆喰を塗ります。その、部分作業の積み重ねです。また、漆喰が乾燥して後の彩色もできません。したがって、画家に、全体に対する小部分を描き完成させながら統一された全体を完成させるという、高い技量が求められます。

レオナルドと並び称されるイタリア・ルネサンスの大天才、ミケランジェロ・ブオナルローティは“フレスコ画”の名手です。ミケランジェロの「システィーナ礼拝堂 天井画・壁画」は、人類が有する最高のフレスコ画といえるでしょう。

〈博多人形〉

人形作品においても、有名な“博多人形”の制作過程に興味深いものがあります。“博多人形”は、焼き物の素材で、白色をベース〔基調〕にした伝統的手書き彩色(絵付け)工芸品です。そのプロセスは、まず、人形の原型から大量に焼き物(陶磁器)で人形を作ります。焼き上がった人形は、無釉〔むゆう:うわぐすりをかけていない〕ですので土器色〔かわらけいろ〕一色の状態です。それらに、コンプレッサー(機械製吹きつけ機)で“胡粉”塗料(東洋の白色絵の具) 補注3) を万遍なく吹きかけ、全体真っ白な人形ができます。よく乾燥させ、その上に人形職人さんたちが、一品づつ一筆一筆、着物の柄や髪・貌〔かたち〕を面相筆で彩色してゆくというものです。博多人形師(師匠)は、最後の仕上げとして“目”を画き“銘〔めい〕”を入れます。

昔時〔むかし〕、色の白い(手?)女性を褒〔ほ〕めて「博多人形みたい!」と相手が言うCM.があったかに記憶しています。先述のように(肌の)色白は女性への美称、褒め言葉です。女性を形取った博多人形には、とりわけ“白の彩〔あや/章〕”を感じさせるものが多くあります「絢〔あや:なんとも艶やか〕」が実感されます

〈現代建築塗装など〉

現代建築の塗装においても、通常、下地調整後 下塗り → 中塗り → 上塗り(仕上げ)といったプロセスをとります。金属素材の場合、錆〔さび〕止めの塗装を加えますし、コンクリート素材の場合“シーラー”と呼ばれる白い乳液状のものを事前に塗布します。

塗装仕上げに対して“タイル貼〔ば〕り(外装)仕上げ”は、建築仕上げで高級・高価なものです。美的で芸術性・デザイン性が高く、建築物を人間に擬〔なぞら〕えると外面が美しく賁〔かざ〕られた“文化人”のような気がします。このタイル貼りの施工・仕上がりの善し悪しは、ひとえにタイル貼り下地としてのモルタル(セメント+水+砂)下地の出来の如何〔いかん〕にかかっているのです。善き人間の形成・完成も「素」=ベースが大事である、ということを連想して感じるところです。

補注1) “紙”: 紙は後漢〔ごかん〕の蔡倫〔さいりん〕が発明したとされてきましたが、前漢〔ぜんかん〕遺跡から古紙が発見されたことから、今では漢代初期の発明と考えられています。この偉大な東洋の4大発明の一つ“製紙法”は、戦争という東西交流の偶然(751. タラスの戦い)から西洋世界に伝播します。紙が伝わるまでの西洋社会では、専ら“羊皮紙 〔parchment 英〕”が用いられていました。

補注2) “キャンバス”: 麻または木綿の布地に、膠〔にかわ〕またはガゼインなどを塗り、更に亜麻仁油・亜鉛華・密陀僧〔みつだそう〕などをまぜて塗ったもの。油絵を描くのに用いる。
(『広辞苑』)

補注3) “胡粉”: 日本画に用いる白色の顔料。古く奈良時代には塩基性炭酸鉛即ち鉛白をいい、鎌倉時代まで用いた。室町時代以後、貝殻を焼いて製した炭酸カルシウムの粉末が白色顔料として多く用いられ、これを胡粉と呼ぶようになった。
“胡粉絵”:地に胡粉を塗り、その上に、墨・丹・緑・青・黄土を用いて描いた絵。
(『広辞苑』)

 

B.仕上げ(プロセスの)白 〔フィニッシュワーク: finish〕

以上の解釈に対し、もう一つの解釈の立場があります。「繪事後素」の前に子夏が孔子に質問した『詩経』の文言は「素以為です。「(その白い素肌の)上にうっすらと白粉〔おしろい〕のお化粧を刷〔は〕いて、何とも艶〔あで〕やか」 つまり、「素」はベースとしての「白」であると同時に仕上げの艶やかに煌〔きら〕めく「白」でもありましょう

儒学も黄老も、伝統的に“控えめ”なありかた=謙譲・謙遜を専ら理想としています。具体的に少々ピックアップしてみますと。

○「詩に曰く、錦を衣〔き〕て絅〔けい〕を尚〔くわ〕う。其の文〔ぶん〕の著わるるを悪むなり。故に君子之道は、闇然〔あんぜん〕として日に章〔あき〕らかに、小人の道は的然として日に亡〔ほろ〕ぶ。」 (『中庸』・第33章)

『詩経』には、「錦を衣〔き〕て、褧〔ひとえ〕とする」とあります。「絅」も「褧」も単衣〔ひとえぎぬ〕、打ち掛けです。麻の粗布でつくったものです。
つまり、錦の美しい衣〔ころも〕を着て、その上に薄い粗布を重ね着するのです。その意図は、錦のきらびやかな「文」〔あや/=彩〕が外に出過ぎることを嫌うからなのです
したがって君子の道も、これに同じく、「絅」を加えるように謙遜です。ですから、外見・ちょっと見は、闇然〔あんぜん〕と暗いようですが、日に日に内に充実してある徳が章〔あき/明〕らかになってきます。反対に小人は、はじめはカッコをつけて明らかですが、中身が伴っていないので日に日にメッキが剥がれていくというものです。

○「黄裳〔こうしょう〕、元吉なり。」 / 「象〔しょう〕に曰く、黄裳元吉なりとは、文〔あや〕・中に在ればなり。」 (『易経』・【坤為地】 5爻・辞/彖)

◇「黄裳」は黄色いもすそ〔スカート〕。謙遜な坤の徳のたとえです。中徳・坤徳の厚いことを説いています。「坤為地」卦は、「乾為天」の「剛健の貞」に対して「従順の貞」、“永遠に女性なるもの”としての大地(母なる大地)です。『詩経』にも、「緑衣黄裏(うちぎ)」・「緑衣黄裳」と祖先を祀〔まつ〕る祭服が表現されています。祖霊の象徴としての「黄鳥」も登場しています。
「文」は、彩〔いろどり〕、かざり、美しき坤徳です。 「中」は生成化育の力、神道における産霊〔むすび〕・天御中主神〔あめのみなかぬしのかみ〕、ヘーゲル哲学弁証法における止揚〔しよう  /= 揚棄・アウフヘーベン: Aufheben 〕 です。

○「是を以て聖人は、褐〔かつ〕を被〔き〕て(而〔しか〕れども)玉を懐く」 (『老子』・第70章)

そういうわけで聖人は、褐(麻のそまつな着物)を着ていても、(何らの貴さを外に見せませんが)(しかし)その懐〔ふところ〕には宝玉(=高貴の代表)を抱いているのです。

cf. ♪‘ぼろは着てても  こころの錦
 どんな花より  きれいだぜ〜’♪ 
(「いっぽんどっこの歌」/水前寺清子)

などなどです。従って、この仕上げの艶やかに煌〔きら〕めく「白」を標榜〔ひょうぼう〕する立場は、ある種現代的ともいえましょう。

さて、東洋の絵の仕上げ・フィニッシュワークに「白」が使われている場合があります。彩色後に胡粉で細線を施して、その彩色の境界をより鮮明にしてシャープなものとするものです。(尤〔もっと〕も、古〔いにしえ〕の孔子の時代にそのフィニッシュワークが一般的であったかどうかについては、私は今のところ確かめられていません。)

色彩学的にいえば、明度差を大きくするもの(明度対比)で、白によるセパレーション効果であり、縁辺〔えんぺん〕対比の一種でもありましょう。白で、ハイライト部分を描くことで画面全体が引き締まり、モチーフに生き生きとした生命・魂が吹き込まれます

例するに、「画龍点睛〔がりょうてんせい〕」の故事はご存じですね。龍の絵の最終仕上げに瞳を点じたところ、絵に生命が宿り龍が動き出したというものです。(たぶん)赤色で瞳を点じた(“陽”の有彩色は赤ですから)たのでしょうが、最後の最後にその瞳に「白」で(白は黒〔墨〕に対して“陽”の無彩色)光沢を入れてこそ本当の最終仕上げでしょう。(〔手塚治虫氏〕少女マンガの人物に描かれる瞳〔ひとみ〕の中の星☆ですね!)

ところで、西洋絵画(油絵)で、近年フェルメールの作品が日本で公開され人気を博しました。フェルメールの絵のキラキラと輝く美しい作品の秘密の一つは、よくよく画面を観ると仕上げに小さな白い点で光沢・ハイライトがたくさん描かれていることにあります。

話を戻しましょう。―― そうしますと、この立場から「繪事後素」は、「彩色して一番最後に白色の絵具(胡粉〔ごふん〕)で仕上げるようなものだ。」/ex.「白い胡粉〔こふん〕であとしあげをする〔ようなものだ〕」(金谷治・『論語』岩波文庫) 「まず彩色で描いて、最後に胡粉〔ごふん〕で仕上げるよなものさ」(吉田賢抗・『論語』明治書院) と解することとなります。つづく子夏の言葉も「礼(=素・白)は、最後の仕上げですか。」/「(まごころをもとにして) 礼(儀作法)が人の修養・仕上げにあたるものなのですね。」 のように解することとなります。

 

C.素 = 「白」 そのものが重要 (安岡正篤 氏)

安岡正篤氏は、素(白)地・素質が大事であると講じられています。が、また一方で「白」そのものが大切なのだということを述べられています。

 

「 素は普通 『もと』 と読む。元来この文字の始まりは絵を描く白い絹、素絹〔そけん〕のことです。この素絹がなければ表現のしようがない。つまり絵画という芸術を表現する生地〔きじ〕だ。それから素地という意味になる。従って素質、本質という意味になる

いろいろの表現技術、あるいは着色などは、みな素絹の上にやるわけだ。そこで『論語』に『絵のことは素より後〔のち〕にす』(八佾〔はちいつ〕) という名高い言葉がある。後素〔こうそ〕、これを取って大塩平八郎が自分の号にしておる。

大塩平八郎はもと中軒といったが、後に中斎と改めた。これでわかるように、中庸を旨〔むね〕とした人だ。この人が一つは性格、一つは時勢に迫られて、ああいう幕末の反乱を起こしたのであるが、彼としては心ならざるところであった。まあ、それは別問題として、大塩平八郎が後素と称したのはここから取ったのです。

一部の学者はこれを『素を後にす』と読んでおる。これは絵を描いて、いろいろ色彩を施して最後の仕上げに白色を使う。素を後にすと解釈する人があるが、朱子は素より後にす。素は素絹のことで、着色すなわち文化というものはその後で施すもの、素質が大事だと解している。このほうが私はいいと考える。」

(安岡正篤・『人生は自ら創る』・PHP文庫pp.134-136/
旧・『東洋哲学講座』関西師友協会pp.112-114引用)

 

「 『素を後にす』は、『素より後にす』と読んで、素を素質、即ち忠信の意味とする説もありますがこれはどちらでもよい。問題は白だということです。

装飾文化に限らず、何事に徴しても  を出すことが大事である。これが素以て絢と為す、ということです。大塩中斎は後素と号しておりますが、味わってみると面白い。」

 (『安岡正篤・論語に学ぶ』所収 「論語読みの論語知らず」引用)

 

( つづく )

 

老子  【8】

【 4章 】

(無源・第4章) 注1) 《 ナゾのような末句 「象帝之先」 ―― 「道」とは? 》

§.「 道沖」 〔タオ・チャン〕

注1) この章名の無源は、源がないこと。「道」には源がなく万物が生じる始祖であるの意です。
「道」のオールマイティー・無限の働きについて述べて、末段に謎めいた一句を残しています。
象帝之先です。これは、「道」の始原性を示すもので、その謎は次章以下に説かれることとなります。// 
「和光同塵」の出典です(56章にも同文があります)。

○ 「道、而用之、或不盈。淵兮似万物之宗。 |
挫其鋭、解其之紛、。|
湛兮似或存。 *吾不知誰之子、象帝之先。」

■ 道は沖〔ちゅう/むな・しけれども〕にして之を用う。〔あるい/つね・に/ひさ・しく/ま・
た〕盈〔みた〕ず。淵〔えん〕として万物の宗に似たり。 |
其の鋭を挫〔くじ〕き、其の紛〔ふん〕を解き、其の光を和〔やわら〕げ、其の塵〔ちり〕に同ず。 | 
湛〔たん〕として或は存するに似たり。*吾れ、誰の子なるかを知らず、帝の先〔せん・さき〕に
象〔かたど/に・たり〕れり。 |

 Was it too the child of something elese? We cannot tell.
But as a substanceless image # it existed before the Ancestor##
(A.Waley  adj. p.146)

# A.Waley によれば、「象」はある種特別の“神秘的イメージ”と考えられます。達人が“覚り”の体験をした時、すなわち、瞑想〔めいそう〕によって「道」と一体になったと感じる時、そこに特殊なイメージが現れるという見解です。→ (老子における神秘主義、quietism 〔寂静:じゃくじょう/精神的平穏〕の傾向

## 「帝」は、通常「天帝」を指しますが、それだと「帝」と「天」が同一ということになります。が、『老子』で「帝」が出てくるのはこの章だけです。 A.Waley の注では、伝説上の最初(太古)の帝王である「黄帝〔the Yellow Ancestor who separated Earth from Heaven ・・・ 〕」などを指すと述べています。

 I know not whose son it is. It images the forefather of God.
(D.C.Lau  adj. p.8)


《 大 意 》

「道」は空虚〔うつろ/からっぽ〕のように見えても、これを用い得られるのです(=はたらきは無限なのです)。いくら用いても(汲めども尽きず)盈〔み〕ちることがありません。その深々と水をたたえ静まりかえった(幽玄な)淵〔ふち〕のようなさまは、あたかも万物が生み出され(生々化育す)る源のように思われます。

(才知は発する)鋭〔えい〕を鈍らせ、(その心の)紛〔みだれ/ほつれ〕をほぐし、その光り〔のギラつき・直射〕を和〔なごやか〕にし、その塵〔ちり〕を人々とともに甘受するのです。(/*塵は、払い除かれなめらかになるのです。by.A.Waley )

(道は)涸〔か〕れることを知らず、ふかぶかと湛〔たた〕えられた水のように、(或るものが、永遠に存在し続けていくように)思われるのです。それ(=道)が、誰によって生み出された子であるのか、(私は)知りません。(では、道の母胎何でしょうか?)どうやらそれは、天帝の祖先よりも以前に象〔すがた〕を以ていたものであるようです。(=道は、天帝の祖先であるように思われます。)

・「道 而用之 或不盈」 : 「沖」は、サンズイ、ニスイ に通じます。共に音は‘Ch’ung’です。
意味は“虚”。道の本体は虚無〔うつろ〕ということです。(cf.≒「盅」〔チュウ〕)
空虚という言葉がありますが、”は仏教の「」〔くう〕です。
無限大で包容力に限界がなく、従って満(盈)つることがないのです

※ 【45章】に「大盈若沖 其用不窮 / 大盈〔たいえい〕は若沖〔むな〕しきが若〔ごと〕くして、其の用窮〔きわま〕らず。」 
《大意》

大盈=「道」 : 真に充実したものは、世俗では空虚(沖〔むな〕しく)に見えますが、(無限の包容力を持ち)それを用いても永遠に尽きることはない(=はたらきに窮まりがないのです)のです。

沖 = 虚 = 「空」 = 大 

→道家では、「沖虚〔ちゅうきょ〕」の熟語が作られています。

cf.【道家三大聖典】 :
『老子(道徳真経)』 / 『荘子(南華〔なんげ〕真経)』 / 『列子(沖虚真経)

・「或」 : 軽い語助で、あまり意味を持ちません。「常に」と解する人もいます。

・「和其光 同其塵」 : “和光同塵”の語源。老子の理想的人間像(儒学の「君子」像)です。老子一流の逆説的論理です。この四句は、56章にも同文があります。そのため、後から加えられたとする見解もあります。
*A.Waley によれば、世俗の日常的なわずらい(塵)が取り除かれた状態を「同」としています。老子の思想が、世俗からの超越と「静」 を中心としていることからみれば、一理あるものかも知れません。

cf.“和光同塵”は、仏教にも摂取されます。仏〔ほとけ〕や菩薩が、衆生〔しゅじょう/すじょう/しゅしょう/=生きとし生けるもの〕を救済するために、本来の智慧の光を隠して衆生と同じ俗世に身を置くことを言います。

・「湛兮似或存」 : 「淵として万物の宗に似たり」と「道」の姿を、また「道」を体得した人を表現しているのです。

・「誰之子」 : 何者の子〔Whose son〕。何から生まれたのか?〔Who gave it birth?〕

・「象帝之先」 : ↓

 

( つづく )

 


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